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堀 雄二(ほり ゆうじ、1922年9月26日 - 1979年6月19日)は日本の俳優。本名は堀 吉太郎。東京都出身。ぷろだくしょん榎所属。
● 来歴
シナリオライター志望であったが、偶々空きっ腹を抱えて東宝撮影所近くを散歩中、募集の看板にあった「昼食付」の文字に誘われて進路変更したという。
本郷中学校を経て、早稲田大学政経学部中退。1946年、第1期東宝ニューフェイスで東宝へ入社。同期に三船敏郎・久我美子・伊豆肇・若山セツ子・堺左千夫らがいる。翌年、新東宝映画『大学の門』で主役デビュー。
1950年、大映へ移籍。同年春、仕事で京都府のある旅館に泊まっていた時、のちの妻である甲斐はるみと偶々旅館が一緒であった。相手役の関千恵子と甲斐は部屋が一緒で、紹介されたという。甲斐と知り合ってからは京都で2人だけのデートをしていた。堀のほうが先に仕事が終わり、その晩東京都に帰る時、「食事でもしましょう」と、先斗町へ連れて行き、その時から親しくなった。
当時堀には妻子がおり意思表示はしていたものの、甲斐と結婚するまでは先妻からかなりの抵抗を受けていた。当時の堀は暗い気持ちで酒を飲んでいたが、甲斐は慰め役になり堀は「女房と別れるから結婚してくれないか」とプロポーズした。堀は「ただ一つだけ条件がある。結婚したら、女優をやめてくれないか。私は一度結婚生活に失敗した男だ。今度こそは、どんなことがあっても成功させたい。素晴らしい家庭を持ちたい」と言っていたという。
1951年4月27日に堀の家で、ごく内輪で結婚式をした。
1970年に映画界を離れ、テレビドラマや舞台に専念。
その頃、妻と共にゴルフが好きであり、次男の秀行も高校時代はゴルフ部に所属するほど一家はゴルフ・フィーバーであった。1969年時点では次男・秀行をゴルフ場に連れて行っていたという。
静岡県御殿場市のゴルフ場に行くためには、朝早くに家を出なければならないため、一家揃って東京都世田谷区成城から静岡県御殿場市に転居した。
1978年9月に、胃癌の手術を受け、胃の三分の二を切り取った。この時、家族は一致団結して癌であることを隠しており、堀自身は最後まで自分の病気を胃潰瘍と信じていたという。
1979年6月18日、トイレに行くために病室のベッドから降りようとして、起き上がった直後に倒れる。意識不明のまま24時間昏睡したあと、意識が回復しないまま、同年6月19日午前9時46分に胃癌の為、東京女子医科大学病院で死去。葬儀は本覚寺で行われた。戒名は偉雄院光芸日隆居士。
● 人物
妻、息子全員が役者の役者一家。父は、高麗屋の番頭、松本幸四郎 (7代目)の番頭で浅草の公園劇場を経営していた興行師の堀倉吉で、市川團十郎 (11代目)、松本白鸚 (初代)、尾上松緑 (2代目)、中村雀右衛門 (4代目)の面倒を見ていたなど歌舞伎関係の仕事をしていた。父からは、役者になることだけは固く禁じられていたという。堀は「いつか、3人の息子と一緒に芝居をしてみたい」といっていたが、この夢は実現しなかった。
1965年時点では、休みには3人の息子を相手にキャッチボールをするのが楽しみであったという。
甲斐が長男の之紀を妊娠中にインフルエンザにかかり、レントゲンの結果、町の老医師から結核と診断された。その時に老医師は「一刻も早く人工中絶したほうがいい」と忠告した。堀は「どんなことがあっても生みなさい」と言っており、甲斐は困っていたという。堀は自宅に帰っても、苦しそうにしていた甲斐を見るのにしのびなく、好きな酒のハシゴをすることが多くなった。堀がとまり木で浮かない顔をしていたところ、「よう、堀さん」と肩を叩かれ、振り返ったところ旧知の病院の歯科医師であった。「顔色が悪いじゃないの」と言われた堀は、その理由を歯科医師に話したところ、「じゃあ、うちの病院に来てみないか、専門医を紹介するよ」と言われた。その結果結核は誤診だとわかり、嬉しかったという。あの時渋谷区のバーへ行かなかったら、之紀は誕生しなかったかもしれず、酒好きで良かったかもしれないという。1969年時点で雄二は之紀が生意気なことを言い出すと、之紀にこの話をしつつ「オレがもし酒が嫌いだったら、お前は生まれてないかもしれないんだぞ」と語っており、之紀は「またか」というようにニヤニヤしながら聞いていた。
『七人の刑事』で共演していた天田俊明は、堀のことを実の父のように慕っていたという。
● 親族
・ 松本虎藏(祖父・歌舞伎役者)
・ 堀倉吉(父・興行師)
・ 甲斐はるみ(妻・宝塚歌劇団女優)
・ 堀之紀(長男・声優)
・ 堀秀行(次男・声優)
・ 堀光昭(三男・俳優)
・ 堀友美(孫、次男秀行の娘・女優)
● 主な出演
◎ 映画
・ 大学の門(1948年) - 海野駿介
・ 三百六十五夜(1948年) - 津川厚
・ 忘れられた子等(1949年) - 谷村清吉 ※キネマ旬報ベストテン第5位
・ 果てしなき情熱(1949年) - 三木竜太郎
・ 宗方姉妹(1950年) - 前島五郎七 ※キネマ旬報ベストテン第7位
・ 銀座化粧(1951年) - 石川京助
・ お遊さま(1951年) - 慎之助
・ 源氏物語 Le Roman de Genji(1951年) - ※第5回カンヌ国際映画祭撮影賞受賞作品、キネマ旬報ベストテン第7位
・ あの手この手(1952年) - 天平君
・ 阿波狸屋敷(1952年) - 阿波の善長
・ あにいもうと(1953年) - ※キネマ旬報ベストテン第5位
・ 決闘五分前(1953年) - 小谷修
・ 人生劇場 望郷篇 三州吉良港(1954年) - 谷口喜平
・ 終電車の死美人(1955年) - 長谷川部長刑事
・ 南国太平記(1954年)
・ 東京摩天街(1955年) - 沢田龍男
・ にっぽんGメン 特別武装班出動(1956年) - 生沢刑事
・ 警視庁物語シリーズ(1956~1964年) - 長田部長刑事
・ 点と線(1958年) - 捜査第二課長
・ 忍法破り 必殺(1964年、松竹)
・ 男の掟(1968年、日活)- 長男・宗方玄一
・ 高校生ブルース(1970年) - 佐伯
・ 姿三四郎(1970年) - 村井半助
◎ テレビドラマ
・ 松本清張シリーズ・黒い断層 「地方紙を買う女」(1960年10月24日・31日) - 杉本隆治
・ 大河ドラマ
・ 赤穂浪士 (1964年) - 堀内源太左衛門
・ 勝海舟(1974年) - 島津斉彬
・ 元禄太平記(1975年) - 島津綱貴
・ 大江戸捜査網(松平定信)
・ 検事
・ 講談ドラマ 相馬大作(相馬大作)
・ 侍
・ 七人の刑事(赤木係長)
・ あゝ忠臣蔵(1969年) - 荷田春満
・ おんなの劇場・「吉野太夫」(1970年) - 板倉重宗
・ 大岡越前
・ 第1部、第2部 (1970年 - 1971年) - 吉本作左ヱ門
・ 第5部
・ 第2話「すり替えられた薬」(1978年2月13日) - 武蔵屋宗兵衛
・ 第10話「殴り込み仁術」(1978年4月10日) - 山城屋
・ 大忠臣蔵(1971年) - 内田三郎右衛門
・ 波の塔(1973年)
・ 赤ひげ 第46話「駆込み訴え」(1973年9月7日)
・ 江戸を斬る 梓右近隠密帳 第7話「二人葵小僧」(1973年11月5日) - 阿部対馬守
・ 水戸黄門
・ 第5部 第23話「野望の代償 -唐津-」(1974年9月9日) - 古川主計
・ 第6部 第24話「うなぎ屋の助太刀 -浜松-」(1975年9月8日) - 向井又五郎
・ 第7部 第2話「姫君はにせ者 -福島-」(1976年5月31日) - 河村外記
・ 第8部 第11話「風車に賭けた恋 -桑名-」(1977年9月26日) - 横山作左衛門
・ 第9部 第3話「狐が唄った相馬盆唄 -相馬-」(1978年8月21日) - 坪田三左衛門
・ NHK朝の連続テレビ小説・火の国に(1976年 - 1977年) - 桜木壮吉
・ 江戸を斬るIII 第5話「人情遠山裁き」(1977年2月14日) - 伊勢屋伊左衛門
・ 明治の群像 海に火輪を「鹿鳴館〜条約改正〜」(速見雅恒)
・ 前略おふくろ様
・ 必殺からくり人・富嶽百景殺し旅第3話「駿州片倉茶園ノ不二」(1978年9月8日) - 土井玄蕃
「堀雄二」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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