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長渕 剛(ながぶち つよし、本名:同じ、1956年〈昭和31年〉9月7日 -)は、日本のシンガーソングライター。俳優 。Office REN(オフィス・レン)所属。
1977年、シングル『雨の嵐山』でビクター・レコードからデビュー。「乾杯」「とんぼ」「しあわせになろうよ」など、多数のヒット曲があり、『家族ゲーム』『親子ゲーム』『とんぼ』『RUN』などのテレビドラマや『オルゴール』『ウォータームーン』『英二』などの映画に主演し俳優としても知られる。
● 略歴
・ 1973年
・大学祭の前座で初めての舞台を経験。
・ 1974年
・友人と2人でフォークソングのグループ「T&Tグループ タケシとツヨシ」を結成し、ステージ活動を本格化させる。
・ 1975年
・福岡県の九州産業大学へと進学。
・「永渕剛(ながぶち つよし)」の芸名で、場末のバーでオリジナル曲を歌い続ける。この時はまさに地獄の環境で、毎夜のようにビール瓶や灰皿が飛び、酒酔い風の客や非人道的風な客から「演歌やらんかい演歌」と罵声や蹴りを浴びつづける日々だった。ここで根性が鍛えられたと本人は述べており、後年披露するリアリティに満ちた悪漢の演技も、ここでの観察によるものである。そして、ライブハウス(照和)での活動が本格化する。
・ 1976年
・財団法人ヤマハ音楽振興会主催の、第12回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場し『雨の嵐山』を唄い入賞。
・ 1977年
・2月25日、前年のポプコン入賞を機に、ビクター・レコードより、シングル『雨の嵐山』でデビュー。当時の芸名の読み方は「ながぶち ごう」。
・ 1978年
・『巡恋歌』で15回ポプコンの入賞、10月5日東芝EMIから同曲で再デビュー。芸名の読み方も本来の「ながぶち つよし」に戻された。そして同年暮れから、南こうせつや庄野真代らとコンサート活動を本格化させる。
・南こうせつのオールナイトニッポン(ニッポン放送、木曜1部 1978年4月 - 1979年3月)内で「裸一貫ギターで勝負」のコーナーを担当する。
・ 1979年
・3月5日、初のオリジナルアルバム『風は南から』をリリース。
・7月26日、愛知県篠島での吉田拓郎のコンサート「吉田拓郎 アイランド・コンサート in 篠島」に特別出演。「帰れコール」を浴びながらも。長渕自身「あのステージがなかったら今はなかった」と話している。
・4月から9月まで、ニッポン放送『オールナイトニッポン』水曜日第2部、10月から翌年9月まで金曜日第1部、それぞれパーソナリティを務める。
・11月29日、新宿厚生年金会館でワンマンコンサート開催。チケットは発売3時間でソールドアウト。
・ 1980年
・6月5日、元々アルバム『逆流』の収録曲であった「順子」が、ファンからの熱い要望によりシングルカット。同年8月にはオリコンのチャート1位に。この曲のヒットにより、一躍トップシンガーの仲間入りを果たす。
・音楽番組ザ・ベストテンに中継出演し、この曲を披露する機会があった。観客の間で自然と手拍子が始まると一旦演奏を中断し、失恋の歌なので手拍子は控えてほしいとたしなめた。
・10月、『ナウ・ジェネレーション/長渕剛のアピール26』(TBSラジオ)、『長渕剛のひたすら60分』(ニッポン放送)のラジオパーソナリティを務める。またこの他、当時山梨鐐平などが結成していたグループ「Do」とのジョイントバンド「チョコレッツ」を結成し、翌1981年まで活動していた。
・ 1981年
・3月23日、徳島県・徳島文化センターより、全国ツアー『LIVE'81』(全49ヵ所)をスタート。このツアーより初めてバックバンド(リズム隊を含めた)をつけたり、初のピアノによる弾き語りや、アコースティックギターだけではなく、バンジョーやエレキギターを持つなど、新たな試みが数々と披露された。
・8月、当時アイドル歌手だった石野真子と結婚。ニッポン放送『オールナイトニッポン』で意気投合したことがきっかけとなり結婚した。ハワイでの結婚式の仲人は、自ら恩師とする吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時)だった。
・9月25日、『コンサートツアー'81〜'82』(全90ヵ所)が、沖縄県・那覇市民会館よりスタート、翌年の6月まで続くロングツアー。
・ 1982年
・6月6日、『コンサートツアー'81〜'82』のファイナルを、日比谷野外音楽堂で『SUPER LIVE IN HIBIYA』として開催。自身初の野外公演でもあり、この模様は日本テレビの「ザ・ライブ」にて6月20日・27日の2週に分けて放送された。
・7月28日、8月4日、『青春は手品師』(アルバム『時代は僕らに雨を降らしてる』に収録)が、ドラマ『王貞治物語』(TBS系列)の主題歌になる。珍しく阿久悠の作詞によるもの。ドラマには長渕本人もちらっと出演している(貞治の父親役)。
・10月12日、『コンサートツアー'82〜'83時代は僕らに雨を降らしてる』(全45ヵ所)がスタート。このツアー中の11月29日に初の日本武道館公演、翌年の2月21日のファイナルも再びこの会場で行われた。
・ 1983年
・石野真子と離婚。原因は長渕の石野に対する度重なる家庭内暴力とされている。
・7月25日、埼玉県所沢市の西武ライオンズ球場にて『SUPER LIVE 西武球場』を開催。2万人の観客を集め、雨の中でのコンサートとなった。
・7月29日、ナゴヤ球場にてサザンオールスターズとジョイントライブを行う。しかし、両者や主催者側のイベントに対する受け取り方の違いが原因で、長渕はサザンのボーカルの桑田佳祐に対して悪印象を持つようになる。なお、このイベントに先立ちプチセブン 1983年8月5日号では桑田と長渕による対談が実施されており、この際は和やかなムードで会話していた。
・8月25日、『SUPER LIVE 西武球場』が公演からわずか1ヵ月後、2枚組のライブアルバム『SUPER LIVE IN 西武球場』としてリリースされる。同時に『LIVE'83 JUST HEAVY GAUGE』ツアー(全47ヵ所)がスタート。
・8月26日、初の主演テレビドラマ『家族ゲーム』(TBS系列)が放映開始、俳優としても本格的に活動を始める。同番組の主題歌であるシングル『GOOD-BYE青春』をリリース。
・ドラマ『青が散る』(TBS系列)の挿入歌『人間(ひと)の駱駝(らくだ)』(歌:大塚ガリバー)の作曲を手掛ける(編曲: 瀬尾一三)。ちなみに作詞は、秋元康、宮本輝の両名。ただし、現在ではこの楽曲の収録がなされたLPは入手が相当困難である。
・ 1984年
・3月15日 - 4月9日にかけて、全国10ヵ所にて3年ぶりの弾き語りコンサートを、ファンクラブ『TSUYOSHI CLUB』結成記念イベントとして開催。
・4月20日、主演したテレビドラマ『家族ゲームII』(TBS系列)放映開始。
・7枚目のオリジナルアルバム『HOLD YOUR LAST CHANCE』を発売。当時桑田佳祐は収録曲の「TIME GOES AROUND」を自身のラジオ「桑田佳祐のオールナイトニッポン」で絶賛していた。
・10月11日から翌年3月まで、TBSラジオ『スーパーギャング』木曜日のパーソナリティを務める。
・ 1985年
・3月30日に発売されたシングル『久しぶりに俺は泣いたんだ』に伴い、自身初のプロモーションビデオを制作。
・4月5日、主演したテレビドラマ『家族ゲームスペシャル』(TBS系列)放映。
・8月26日、『HUNGRY』ツアーをスタートさせるも、翌年1月の日本武道館での公演を最後に、過労によりダウン。一時は重度の鬱状態に陥り、予定されていた残りのコンサートがすべて公演中止となる。
・ 1986年
・6月7日、主演したテレビドラマ『親子ゲーム』(TBS系列)が放映開始。志穂美悦子と、ラーメン店を営む恋人同士役をつとめる。
・10月22日、ギター弾き語りアルバム『STAY DREAM』リリース。11月11日には大阪城ホールより『LIVE'86〜'87 STAY DREAM』(全11ヵ所)がスタート。本ツアーはアルバムのテーマと同様、ギター1本で歌うスタイルで、またアリーナ級や体育館などの会場ではセンターステージを組んで行われた。センターステージという形式は世界初の試みであった。
・12月20日、出演した映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』が劇場公開。志穂美悦子と再び恋人同士役で共演し仲を深めた。
・ 1987年
・2月25日、『LIVE'86〜'87 STAY DREAM』の追加公演が、ツアー初日の会場でもある大阪城ホールにて『LAST CRIME』と題して開催された。
・4月10日、主演したテレビドラマ『親子ジグザグ』(TBS系列)が放映開始。
・8月5日、アルバム『LICENSE』をリリース。同年末の第29回日本レコード大賞にてアルバム大賞を獲得。
・8月28日、ゲスト出演したテレビドラマ『スタンドバイミー きまぐれ白書』(TBS系列)放映。
・8月29日、テレビドラマ『親子ゲーム』映画『男はつらいよ』での共演をきっかけに、志穂美悦子と2度目の結婚。志穂美は芸能界を引退。
・ 1988年
・2月5日、アルバム『乾杯』に収録されていた『乾杯』を8年振りに新録しリリース、ミリオンセラーとなる。
・6月19日、コンサート会場として、初めて東京ドームに進出。
・10月7日、主演したテレビドラマ『とんぼ』(TBS系列)放映開始。
・10月26日、同ドラマのタイトル曲となる『とんぼ』をリリース、ミリオンセラーを記録する。
・12月3日、出演したテレビドラマ『うさぎの休日』(NHK) 放映。
・ 1989年
・3月11日、主演した映画『オルゴール』が劇場公開開始。
・3月25日、アルバム『昭和』リリース。ミリオンセラーとなる。
・12月23日、主演した映画(原案・監督も兼任)『ウォータームーン』が劇場公開。監督は当初工藤栄一が務めたものの途中降板、長渕自身が引き継いだ。
・ドラマ『とんぼ』『うさぎの休日』の演技が評価され、第26回ギャラクシー賞・選奨を受賞。
・ 1990年
・12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、第1部の最後にドイツ・ベルリンから生中継で、「ベルリンからのメッセージ」と題して『親知らず』『いつかの少年』『乾杯』の3曲を16分フルに歌った。全てタイトル・歌詞のテロップが示され長渕の終了後、予定通り20時55分からニュース、21時から第2部が開始されたが、長渕が出演する際にNHKのスタッフを批判していたため、「植木等の持ち時間を大幅に短縮することになった」。1970年代から1980年代にかけて、吉田拓郎ら、ニューミュージック系の大物の間では「『NHK紅白』は国民的ナショナリズムの象徴だから、出場しないことこそが反体制的で格好良い」という風潮があり、同年末「プライム10 音楽達人倶楽部」にそれぞれ出演。また2014年12月6日放送のSCHOOL OF LOCKSaturday 長渕LOCKS(TOKYO FM/JFN)にてNHKを出入り禁止になったことを述べている。
・ 1991年
・10月10日、主演したテレビドラマ『しゃぼん玉』(フジテレビ系列)が放映開始。『週刊ザテレビジョン』11月15日号ではイメージが合わないことを理由に、レモンの使用を拒否した。
・10月25日、シングル『しゃぼん玉』リリース。ミリオンセラーとなる。
・12月14日、本格海外レコーディングアルバム『JAPAN』リリース。
・ 1992年
・『西新宿の親父の唄』(アルバム『JEEP』収録)が、『北の国から-'92巣立ち』の挿入歌となる。
・東京ドームでのセンターステージライブに関して、自身は「あまり覚えていない」と語った。65,000人の熱気のど真ん中で、あまりにインパクトがあったとのこと。また「東京ドームという場所は、本来ライブをやるべき場所じゃない(音響面で最悪、自分の声が数秒後跳ね返ってくる)。ドームでライブをやる必要性がある時はやるけど」と語っている。
・『巡恋歌'92』(1992年10月28日)をリリース、80万枚のヒット。
・ 1993年
・9月22日、シングル『RUN』リリース。ミリオンセラーとなる。
・10月15日、主演したテレビドラマ『RUN』(TBS系列)が放映開始。同ドラマの打ち上げパーティー終了後にADに暴力を振るってしまう。
・11月1日、アルバム『Captain of the Ship』がリリースされるが、この頃楽曲の歌詞盗作疑惑が持ち上がり、本人が謝罪した。詩人・相田みつをに関連したもの。
・ 1994年
・8月10日、シングル『人間』をリリース。
・9月9日、『Captain of the Ship』ツアーをスタートさせるも、溶連菌感染症による体調不良によりわずか3公演しかできず、残りの日程は全て公演中止となった
「長渕剛」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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