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加藤 嘉(かとう よし、1913年〈大正2年〉1月12日 - 1988年〈昭和63年〉3月1日)は、日本の俳優。本名は同じ漢字表記で、前妻は山田五十鈴、後妻は女優の中村雅子(詳しくは後述)。
● 来歴・人物
祖父は材木商をしていたが、父は無職で、不動産収入で生活していた。母・長子との長男として誕生(妹が1人いたが、早くに亡くなっている)。
鎌倉師範付属小学校から慶應義塾商工学校に入り、専門部の慶應義塾高等部に進む。当時は俳優になるつもりはなく、山岳部の活動をしながら学生生活を送っていたが、ラグビー部員に刀の鍔で殴られて失明状態になり、僅か1年で高等部を中退している。しかし、大部屋生活に不満を持ち、それまで関心のなかった新劇を見るようになる。反戦劇に共鳴し、西欧近代劇や社会主義の本を片端から読みあさっていた。
1936年(昭和11年)、新築地劇団付属研究所に入所、同期に殿山泰司、千秋実、多々良純らがいる。同劇団での初舞台となった水谷八重子主演の『女人哀詞』で茶店の親爺役を演じ、23歳にして早くも老け役を演じている、海軍経理学校の警衛分隊に勤務するうちに終戦を迎える。墓所は多磨霊園。
● エピソード
◎ 役者として
病人のように痩せこけた顔、骨ばった身体、ギラリと光る黒目の大きな瞳が特徴。本人は生前、演じる際には極度のあがり症だったことを、ドラマで息子役で共演した児玉清に告白している。
映画では老け役を多く担当し、媒体によっては「“老け役”として様々な作品で強烈なアクセントの役割を果たしてきた」、3年で離婚した。
1958年(昭和33年)に映画『米』で親子役として共演した、東映の新進女優・中村雅子と4度目となる結婚をし、後に女優となる加藤千代をもうけた
◎ ラジオドラマ
・ ベルリンが歌っていた(1986年11月22日、NHK) - 老ユダヤ人
◎ 舞台
・ かもめ(1950年、劇団民藝) - トリゴーリン
・ その妹(1951年、劇団民藝) - 高峯
・ 女の一生(1967年、文学座) - 伸太郎
◎ CM
・ 大日本除虫菊 金鳥マット - (1986年、掛布雅之、坊屋三郎、曾我廼家五郎八と共演)
「加藤嘉」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2025年1月3日5時(日本時間)現在での最新版を取得
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