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内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年〈昭和14年〉11月17日 - 2019年〈平成31年〉3月17日)は、日本のミュージシャン、俳優、プロモーター、タレント・スカウト、音楽プロデューサー、エンターテイナー、政治活動家。本名:内田 雄也(読み同じ)。身長174cm。血液型はB型。
兵庫県西宮市に生まれ。堺市立大美野小学校〜堺市立三国丘中学校入学(1952年)。
バンドボーイとして音楽生活を開始し、間もなく佐川ミツオ(現・佐川満男)とともにバンドボーイ兼ボーカルとしてロカビリー・バンドのブルー・キャップスを結成する。出演はファニー・カンパニー、キャロル、クリエイション、内田裕也と1815ロックンロールバンド。なお、矢沢永吉を殴ったという噂話は虚偽であり、真相は内田が矢沢を殴ろうと思ったが、矢沢が「一発殴ってください」と言ったために、彼を高く評価して殴ることをやめたという。川添象郎によると、内田裕也が初めて大麻を使用したのは川添の自宅で、裕也はけいれんを起こしていたという。
1970年代後半からは映画俳優としても活躍し、神代辰巳監督の『嗚呼おんなたち 猥歌』では、本人のキャラクターを活かした歌手役を演じた。また、『コミック雑誌なんかいらない』『魚からダイオキシン』では脚本・主演を兼ね、一定の評価を得た。
1979年1月、妻の樹木が『ムー一族』の打ち上げパーティーの席上、番組プロデューサーの久世光彦と番組出演者の不倫を暴露し騒動となる。騒動を聞きつけた内田はパーティー会場へ乗り込もうとするが、入店を断られたため店員と押し問答となった揚句、パトカーが出動する騒ぎを起こした。
1981年、離婚届を区役所に提出するも、樹木は離婚を認めず、訴訟となり、離婚無効との判決が下る。
1991年にはアントニオ猪木が一度出馬表明しながら撤回したことに触発され東京都知事選挙に立候補し、対立候補である浜田マキ子と共闘。政見放送の冒頭から10秒間の沈黙の後アカペラで「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、後半にも「コミック雑誌なんかいらない」を歌い、英語及びフランス語で主張を演説した。また選挙戦最終日の4月6日の街頭演説では対立候補である「鈴木俊一」と書かれたたすきを帯び、ほとんど演説をしないまま演奏に終始し、最後は「明日は投票日、絶対に入れないでください」との言葉で締めたを指原莉乃(HKT48)とのコラボレーション・デュエットという形で発売した。
2017年11月には脱水症状を起こして緊急入院する。79歳だった。
同年4月3日、青山葬儀場でお別れの会が開かれ、AI、堺正章、指原莉乃、竹中直人、ダイアモンド☆ユカイ、浅田美代子、鮎川誠、崔洋一、尾藤イサオ、DJ KOO、PANTA、田代まさし、郷ひろみ、氏神一番、巻上公一、秋元康、南部虎弾、ギュウゾウ、ビートたけし、美勇士ら950人が参列した。戒名は「和響天裕居士」。ロックコンサートの部分に関しては裕也と素人のブティック・オーナーとが共催したが、実質的な仕切りは裕也だった。翌1975年8月10日に第2回ワン・ステップ・フェスティバルに相当する「空飛ぶカーニバル」が郡山市で開催された。
・ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド(1975年~76年)
1975年8月3日から9日にかけて札幌・名古屋・京都・東京・仙台で順次開催され、8月7日の東京(後楽園球場)公演には、ニューヨーク・ドールズ、フェリックス・パッパラルディ、ジェフ・ベック、カルメン・マキ&OZ、四人囃子、クリエイション、イエローが出演した。各地の公演で出演者が微妙に異なっている。翌1976年に第2回が開催されたが、前年ほどは盛り上がらなかった。
・ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル(1974年~)
内田裕也が始めた「打倒NHK紅白歌合戦」をテーマとして、1973年12月に年越しロックイベント「フラッシュ・コンサート」を渋谷西武劇場(現:PARCO劇場)にて開催され、ニュー・イヤー・ロック・フェスティバルとして、裕也が亡くなった後も開催されている。開催会場は度々変わっている。
名称については「浅草ROCK'N'ROLL VOLUNTEER」、「スモーキン・クリーンコンサート」、「New Year Rock Festival」を経て、2007年からは「New Years World Rock Festival」の名称で実施。開催会場は一時は浅草の国際劇場やロックンロック、ロック座で行われた時期もあるが、2008年(36回)から東京会場は銀座の博品館劇場をメイン会場に据えるようになっている。2013年からは日本国内において2都市同時公演を東京と石巻(2015年は福島)で行っており、東北開催ではその地ゆかりのアーティストが参加している。
・ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル参加者
内田の非常に幅広い交友関係を生かして、多くのアーティストが出演してきた。
【常連(古参)】白竜、シーナ&ザ・ロケッツ、THE NEWS、石橋勲BAND、頭脳警察(PANTA)、近田春夫/活躍中、氏神一番/カブキロックス、陣内孝則/ザ・ロッカーズ。他に故人となったジョー山中、桑名正博、安岡力也が生前は、ほぼ毎年参加していた。
【常連(若手)】カイキゲッショク、新月灯花、高木完、高樹町ミサイルズ(Vo.中村獅童)、原田喧太(原田芳雄の長男)/KATAMALI、美勇士(桑名正博の長男)/トライポリズムなど。
【常連以外】原田芳雄、宇崎竜童、かまやつひろし、ビートたけし、などが数回出演。ほかに沢田研二、萩原健一、キャロル、本木雅弘、RCサクセション、アナーキー、あぶらだこ、THE MODS、ルースターズ、HOUND DOG、P-MODEL、BOØWY、ラッツ&スター、ザ・スターリン、松田優作、JAGATARA、つんく♂、ヒカシュー、AI(カイキゲッショク・HIROの妻)、Zeebraなど。
● 家族
娘は内田也哉子、娘婿は婿養子となった本木雅弘である。
『SWITCH』誌にて、本木も含む家族全員の記念写真が掲載されたり、孫の七五三を報じるワイドショーでは、内田裕也は不在だったが、一家の祝い事を撮影するジョー山中の姿が全国にオンエアされたこともある。女優の内田伽羅は孫。
● エピソード
・ 自身の自虐ネタにもなっている位にヒット曲といえるものはない。また、日本のロックの(関西では「関西のロック界の」と称される)とされているが、実態はほとんどない。
・ 『YOUNG GUITAR』1972年7月号での大瀧詠一との対談で「おれは、フォークとロックの違いというのは、結局Drugをやってるか、やってないかの違いだと思う。日本の場合だと、わりと健康、健康ムードで、LSDのようなものはヘビー過ぎてあれだろうけど、Grassぐらい別に日本でも売っておかしくない世の中になるんだと思う」と発言、大瀧に「Drugは、音楽する人には必要ないと思う」と反論された。これに内田は「アメリカではDrug常用者の80%がロック・ミュージックが好きだということを考えれば、日本でも。そういうことが絶対にあると思う」などと、日本での麻薬合法化を期待する発言を行なった。
・ 映画『花園の迷宮』で共演した島田陽子と不倫関係に入る。きっかけは同作品で内田が島田洋子をレイプする役どころであり、当初は島田も不信感を抱いていたところへ内田から「この撮影をしても、あなたの品位はなんら貶められません」と訴える長文の手紙が丁寧な字で届いた。島田は誠意が尽くされたその文面に心を動かされたという。また、撮影が終わると内田が花束を持って待っていてくれたりしたことから交際がスタート。だが後に破局(DVもあった)。内田が1991年東京都知事選挙に出馬した際、島田は内田に選挙カーを提供するなどの支援をしたが、その際に方々から数億ともいわれる膨大な借金をし、破局後それに関するトラブルを多数引き起こす。これが現在に至るまで、内田の死後も尾をひくこととなり、女優としてのキャリアに暗い影を落とした。
・ 内田が主演を務めた日活ロマンポルノの映画『嗚呼おんなたち 猥歌』(1981年、監督:神代辰巳)のヒロインに高畑淳子が抜擢されたが、撮影直前になって高畑が出演を取りやめた(代役は中村れい子)。内田はこの件で高畑を許しておらず「怒りは未だに収まらない」。
・ 先述の指原莉乃とのデュエット曲発売の関係で、2014年7月13日に福岡市の海の中道海浜公園で開催されたHKT48コンサート「可愛い子にはもっと旅をさせよ」に出演、「裕也」コールや「超絶かわいい裕也」など、アイドルのコンサートならではのかけ声を浴びた内田は出番を終えた後「俺の一生の中でも忘れられないコンサートになりました」と振り返った。
・ 『NHK紅白歌合戦』には出場歴がない(先述)一方、2013年9月13日放送のNHK総合テレビ『あさイチ』出演時、「いつか紅白に出て見返したい」と語った。
・ 代名詞ともいえるフレーズ「シェキナベイベー(シェキナ)」は『ロック・サーフィン・ホット・ロッド』収録の「ツイスト・アンド・シャウト」にて歌詞中の“Shake it up Baby”を歌ったもので、後にグッチ裕三のモノマネから広がって内田自身を代表するフレーズとなった。後にシングル「シェキナベイベー」のタイトルともなった。
・ 萩原健一は裕也を評して「日本のロックに無軌道、日陰のイメージがついたのは裕也さんのせい。」と雑誌のインタビューで裕也を批判したことがある。
・ ソロ転向後の桑名正博をプロデュースしていた寺本幸司が、作詞:松本隆・作曲:筒美京平コンビで『哀愁トゥナイト』を桑名に歌わせ、ヒットした。するとかつて桑名が所属していたファニー・カンパニーをプロデュースしていた内田が、寺本宅に夜中の1時頃電話してきて、「お前は桑名を歌謡曲歌手にしやがったな!」と酔って大声で怒鳴り、寺本が「裕也さん、桑名はロックをやってると思いますよ」と返答したら、「何がロックだ!売れれば何でもいいのか、この裏切り者!」と罵り、「裕也さん、ロックに形はあるんですか。ロックはスピリッツがあるかどうかじゃないですか」と切り返したらガチャンと電話を切ったという、"しみったれた音楽""軟弱"と決めつけ。中でも最も敵対視したのが吉田拓郎、拓郎を筆頭にフォークというジャンルに位置付けられることの多い幾多のミュージシャンが等を遊び場としていた内田にとっても目障りな存在。
● 法的問題
・ 1977年9月に佐世保警察署に大麻取締法違反の疑いで逮捕され(事情聴取後、起訴猶予処分)、釈放後の『週刊文春』のインタビューでは「マリワナに関して、くどくど弁解などしたくない。オレは10年前からやってるわけで、いつかはやられるだろうと思ってた。ただね、ひとつだけ言っとくと、あれによって音楽が変わるかというけど、そんなにたいそうなもんじゃないよ。まあ、アルコールは人を攻撃的にするよね。酔うと悪口の言い合いになったりする。その点マリワナは、決して攻撃的にならない。やさしく包んでくれる。そういう意味では、アルコールよりも健康的なわけで、ただそれだけのことだよ」と述べたをやっている。まだ実名は言ってないよく考えて一週間以内にTELLを今ならまだ間に合う」(原文ママ)などと書いた文章を女性宅のポストに投函した。さらに同月19日、女性宅を自分の家と偽って鍵屋に頼んで鍵を無断で交換した上に宅内に侵入した。帰宅した女性が、玄関の鍵が開かないことを不審に思っているところに内田が部屋の中から出てきたという。女性は110番通報し、警視庁原宿署は両者から事情を聴いた上で5月13日に強要未遂と住居侵入の疑いで内田を逮捕した。なお、同年3月にもストーカー行為を110番通報されており、4月には被害届も提出されていた。5月31日、起訴猶予処分で原宿署から釈放され、6月3日に銀座博品館劇場にて謝罪会見を行った。
● 作品
◎ シングル
・ ひとりぼっちのジョニー/ヤング ワン(1963年)
・ 破れたハートを売り物に/メダルのジョーイ(1963年)
・ 悲しき悪魔/キューティー・パイ(1963年)
・ ブルージーンと皮ジャンパー/ジプシー・キャラヴァン(1964年)
・ ラスベガス万才/ロール・オーバー・ベートーベン(1964年)
・ スイムで行こう/ラン ラン ラン(1965年)
・「スイムで行こう」はエルヴィス・プレスリー、「ラン ラン ラン」はの楽曲。
・ マンジョキロックンロール/ジョキ安ブギ(内田裕也と1815ロックンロールバンド名義)(1974年)
・ きめてやる今夜(Gonna Make It Tonight)/レッツ・ツイストNo.1(Let's Twist No.1)(1977年)
・ いま、ボブ・ディランは何を考えているか(What's Happening, Mr.Dylan?)/アニーよ銃をとれ(Annie Get Your Guns)(1978年)
・ 無礼講(Sake,Women & My Life)/ONE NIGHT ララバイ(One Night Lullabye)(1979年)
・ 長いお別れ(The Long Goodbye)/さらば愛しき女よ(Farewell My Lovely)(1982年)
・ 雨の殺人者(Killer In The Rain)/ローリング・オン・ザ・ロード(テーマ・オブ「ロックンロールBAKA」)(1982年)
・ アニー FOR A CHEEK TIME(Annie For A Cheek Time)(1985年)/コミック雑誌なんかいらない(No More Comics)(1985年)
・ シェキナベイベー(内田裕也feat.指原莉乃名義)(2014年)
◎ アルバム
・ ロック・サーフィン・ホット・ロッド(尾藤イサオ+内田裕也)(1964年)
・ レッツ・ゴー・モンキー(尾藤イサオ+内田裕也)(1965年)
・ Challenge(内田裕也とフラワーズ)(1969年)
・ ロックンロール放送局(Y.U.Y.A 1815KC ROCK'N ROLL BROADCASTING STATION)(1973年)
・ エキサイティング ロックンロールパーティ(内田裕也と1815スーパーロックンロールバンド)(1973年)
・ HOLLYWOOD(内田裕也 & ザ・ヴェンチャーズ)(1975年)
・ ア・ドッグ・ランズ(1978年)
・ さらば愛しき女よ(1981年)
・ NO MORE COMICS(1985年)
● 出演作品
◎ テレビドラマ
・ ザ・ガードマン(1966年、大映テレビ室・TBS)第87話「檻の中の女」
・ 三匹の侍 第5シリーズ 第5話「獣」(1967年、フジテレビ) - ふうてんの仙太 役
・ 七人の刑事(1978年・TBS)第28話「悲しきチェイサー」
・ 翔んでる警視(1986年・TBS)
・ スターライト・キッズ 新・北斗七星伝説(1988年・TBS)
・ 美少女新世紀 GAZER(1998年・テレビ朝日)第4話・第5話
・警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官(2016年) ‐ 伊藤重太郎 役
◎ 映画
・ 素晴らしい悪女(1963年)
・ エレキの若大将(1965年)
・ クレージーだよ奇想天外(1966年)
・ お嫁においで(1966年)
・ パンチ野郎(1966年)
・ リオの若大将(1968年)
・ コント55号 世紀の大弱点(1968年)
・ 恋のつむじ風(1968年)
・ 昭和元禄 TOKYO・196X年(1968年)
・ ザ・タイガース 華やかなる招待(1968年)
・ ドリフターズですよ 特訓特訓また特訓(1969年)
・ ドリフターズですよ全員突撃(1969年)
・ 野蛮人のネクタイ(1969年)
・ キャロル(1974年)
・ 炎の肖像(1974年)
・ 不連続殺人事件(1977年)
・ 実録不良少女 姦(1977年)
・ 新宿乱れ街 いくまで待って(1977年)
・ 最も危険な遊戯(1978年)
・ エロチックな関係(1978年)
・ 桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール(1978年)
・ 餌食(1979年)
・ スーパーGUNレディ ワニ分署(1979年)
・ 夢一族 ザ・ライバル(1979年)
・ 赤い暴行(1980年)
・ 少女娼婦 けものみち(1980年)
・ ヨコハマBJブルース(1981年)
・ 無力の王(1981年)
・ 嗚呼おんなたち 猥歌(1981年)
・ 水のないプール(1982年)
・ コールガール(1982年)
・ さらば相棒(1982年)
・ 十階のモスキート(1983年)
・ 戦場のメリークリスマス(1983年)
・ コミック雑誌なんかいらない(1986年)
・ 『キネマ旬報賞』主演男優賞、『報知映画賞』主演男優賞、『毎日映画コンクール』脚本賞
・ 大日本除虫菊「タンスにゴン」(ちあきなおみとの共演、1991年)
・ スニッカーズ
・ イシダ
・ セレミューズ株式会社 (2015年11月1日- 、近畿地方のみ放映)
・ 日清食品「日清焼そばU.F.O.」(2018年)
・ サンコーインダストリー - CMは内田の没後も放映され、画面下部には内田の冥福を祈る旨のテロップが挿入されている。
◎ MV
・ KOBerrieS「チグハグコミュニケーション」(2015年9月2日)
◎ その他
・絶対に笑ってはいけない熱血教師24時(友情出演)
● 著書
・
・ 「俺はロッキンローラー」 高平哲郎構成 講談社 1976年(2009年、復刻版として廣済堂文庫より発売)
・ 「JOHNNY TOO BAD 内田裕也」モブノリオ/内田裕也 文藝春秋 2009年
・ 「内田裕也俺は最低な奴さ」 白夜書房 2009年
・ 「ありがとうございます」 幻冬舎アウトロー文庫 2014年
「内田裕也」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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