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イリタトル(イリテーターとも、学名: 、「苛立たせる者」の意)は、約1億1000万年前にあたる前期白亜紀のアルビアンで現在のブラジルに生息した、スピノサウルス科に属する獣脚類の恐竜の属。ので発見されたほぼ完全な頭骨から知られ、化石商人がこの頭骨を入手してに違法販売した。1996年、この標本はタイプ種 Irritator challengeri のタイプ標本に指定された。属名は「苛立ち」を意味する "irritation" に由来し、頭骨が収集家により酷く損傷して変造されたと考えた古生物学者の感情を反映している。種小名はアーサー・コナン・ドイルの小説の架空の人物チャレンジャー教授への献名である。
1996年の下半期に記載された吻部先端から知られる Angaturama limai をイリタトルのジュニアシノニムの可能性があるとみなす研究者もいる。いずれもアラリペ盆地の同じ層序単位から産出しており、以前イリタトルとアンガトラマの頭骨部位は同じ標本のものであるとも提唱されていた。この提唱は疑わしい点もあるが、同じ動物であるか否かを確定させるためにはさらに重複した化石標本が必要である。ロムアルド累層から回収された他のスピノサウルス科の骨格要素にはイリタトルあるいはアンガトラマに属しうるものもあり、それを利用して2009年にブラジル国立博物館の展示用にレプリカ骨格が製作された。
イリタトルは全長6 - 8メートル、体重約1トンと推定され、最小のスピノサウルス科の1つである。上下に浅く細長い吻部には、鋸歯状構造を持たず真っ直ぐな円錐形の歯が並んでいた。頭部の縦方向には矢状隆起が走り、そこに強力な首の筋肉が固定されていた可能性が高い。外鼻孔は吻部先端から遥か後方に位置し、堅い二次口蓋は摂食の際に顎を強化していた。亜成体の Irritator challengeri のホロタイプ標本は、これまでに発見された中で最も完全に保存されたスピノサウルス科の頭骨である。アンガトラマの吻部先端はロゼット状の形状で側方へ広がり、長い歯と高い鶏冠を持っていた。他のスピノサウルス科と同様に、第1指の鉤爪が肥大して背中には帆が走っていたことが、おそらくイリタトルのものである骨格から示唆されている。
イリタトルは当初誤って翼竜とされた後、マニラプトル類の恐竜とされ、1996年にスピノサウルス科の恐竜として同定された。ホロタイプ標本の頭骨が完全に揃った後、2002年の再記載で分類が確定した。イリタトルとアンガトラマはいずれもスピノサウルス亜科に属する。イリタトルは現在のワニのようにジェネラリストの捕食動物であったことが提案されており、主に魚類、他には仕留められる小型動物を捕食していた可能性がある。化石証拠としては、翼竜を狩るかその死体を漁るかして捕食した個体が知られている。イリタトルは半水棲の可能性があり、乾燥地域に囲まれた沿岸のラグーンの熱帯環境に生息していた。本属は他の肉食獣脚類だけでなくカメやワニ、大量の翼竜や魚類と共存していた。
● 研究の歴史
商業化石盗掘者がブラジル北東部地域のの街近くで白亜のコンクリーションを発掘し、巨大な頭骨の後側部分を入手した。化石の売買は1942年からブラジルの法律により禁止されていたが、この化石は商人により違法にドイツののルパート・ワイルドへ売却した。より完全で価値のあるように見せかけるため、化石商人は頭蓋骨を石膏でひどく隠しており。バイヤーは違法に収集された標本の変造に気付かず。
マーティルらが最初に Irritator challengeri を記載した際、ホロタイプは大部分がまだ石灰岩の母岩に入っていた。トロント大学の研究者ディアン・M・スコットはは完全に頭骨をクリーニングする作業を引き受け、2002年に詳細な再記載を行った。完全に取り出された標本に基づいて2002年にスース、フレイ、マーティルが執筆した精査では、マーティルらのオリジナルの観察は否定され、損傷した上に大部分が隠れていた頭骨の誤解に基づいたものとされた。完全な頭骨は原記載よりも24センチメートル短いと見積もられた。元々卓越した頭部の鶏冠と考えられていたものは、結合していない不確定な骨の断片であると判明した。さらに、追加の頭骨が同定された。以前の研究と同様に、スースらはアフリカのスピノサウルス属をイリタトルに最も近縁な分類群とみなした。この根拠として、主に真っ直ぐな円錐形の歯冠、薄いエナメル質、はっきりとしていて鋸歯状構造を持たない縁、縦方向の溝といった特徴が両属に共通していたことが挙げられる。当時スピノサウルスの頭骨はほとんど理解が進んでいなかったため、これらの類似点を受けた論文著者はイリタトルをスピノサウルスの潜在的ジュニアシノニムであると提唱した。スースらはさらなる重複した頭骨要素を要すると綴った。
発見地は定かではないが、標本はおそらくかつてロムアルド層群に指定されていたから産出した。
1997年、イギリスの古生物学者とはアンガトラマがイリタトルのジュニアシノニムである可能性が高いと考え、両属が奥に位置する外鼻孔や長い顎、特徴的なスピノサウルス科の歯列を持つことを記した。ポール・セレノらは1998年にこの可能性に同意し、アンガトラマのホロタイプ標本がイリタトルのホロタイプ標本に揃う、即ち両者が同じ標本に属しうると意見した。とモハメド・クアジャは2002年、らが2015年、ダレン・ナイシュが2013年。彼らのイリタトルの再記載で、いずれのホロタイプ標本も同程度に細く、鋸歯状でない縁を持つ横に丸みを帯びた歯を共有するとスースらは指摘した。また、彼らはアンガトラマの前上顎骨の矢状隆起はイリタトルの鼻骨に対応する可能性があると記載した。
ブラジルの古生物学者マルコス・A・F・セイルズとシーザー・L・シュルツによる2017年の両化石の評価では、保存という他の観点でも両標本が別物であるとされた。イリタトルの標本は明るい色で垂直に割れ目が入り、一方でアンガトラマの標本は多くの空洞がある。また、イリタトルのホロタイプの歯への損傷は遥かに少ない。さらにセイルズとシュルツは左第3上顎骨が重複すると発見したほか、近縁なバリオニクスのプロポーションに基づくとアンガトラマの頭骨はイリタトルのものよりも大型であるとも意見した。これを以て彼らは二つの標本は同じ個体に属さないと結論づけ、属レベルのシノニムの判定にはさらに広く重複した化石が必要だと記した。アンガトラマとイリタトルが同属とみなされる場合、イリタトルがほぼ1ヶ月先に命名されたため、先取権の原則によりイリタトルが有効な学名となる。2004年に脊柱の一部 MN 4743-V が累層で発掘され、ブラジルの古生物学者ジョナサン・ビッテンコートとケルナーが構造に基づいてスピノサウルス科と想定した。この標本がイリタトルとアンガトラマのいずれに分類されるかは、両属が頭骨のみに基づいているため不確定である。2007年にマカドとケルナーは暫定的に肋骨断片 MN 7021-V をスピノサウルス科に割り当てた。骨格は2010年にマカドによる未発表の修士論文で完全に記載された。2018年、ティト・オーレリアノと彼のチームが特大個体の左腸骨の一部 LPP-PV-0042 を記載した。
頭骨よりも後方のロムアルド累層の骨格にはアンガトラマのレプリカ骨格の製作の基盤に用いられたものもあり、レプリカは後にリオデジャネイロ大学の所有するブラジル国立博物館で組み立てられた。骨格は顎での翼竜を運ぶ様子を示した。特別展開幕のプレスリリースで、ケルナーは MN 4819-V がアンガトラマに属すと非公式に暗示した。2018年9月、ブラジル国立博物館で火災が発生し、化石コレクションも大規模な破壊を受け、おそらく展示されていたアンガトラマの骨格と化石も失われた。Oxalaia quilombensis のホロタイプ標本は同じ建物に保管されていたため、これも火災で破壊された可能性がある。
● 記載
全長を最大限見積もっても、イリタトルは知られているスピノサウルス科の中で最小であった。グレゴリー・ポールはその全長を7.5メートル、体重を1トンと計算した。はそれを上回る推定をしており、全長8メートル、体重0.9 - 3.6トンと見積もった。ドゥーガル・ディクソンによる見積もりは低い値を示し、全長6メートル、体高2メートルと推定された。オーレリアノらは比率を調整し、セイルズとシュルツによる研究の復元から Irritator challengeri のホロタイプを全長6.5メートル、Angaturama limai のホロタイプを全長8.3メートルとした。この標本に由来する数多くの要素がブラジル国立博物館の骨格マウントに組み込まれており、骨格は全長6メートル、体高2メートルであった。眼窩の後ろに開いた孔である下側頭窓は非常に大きい一方、目の前に開いた上側頭窓は細長い楕円形であった。眼窩自体は眼球の位置した最上部で底よりも深く広かった。涙骨は眼窩を前眼窩窓と分け、40°で閉じる2つの突起で前眼窩窓の上下後方縁を形成した。この角度は35°のバリオニクスのものに似ていた。バリオニクスと違い、イリタトルの涙骨は骨の角を形成しなかった。前眼窩骨は大型かつ頑丈で、その後ろに位置する薄い前頭骨は最上部で滑らかかつ凹状で、いずれもが眼窩の上部縁を形成した。イリタトルの鶏冠の保存された部分は前眼窩窓の最深部の真上で、スピノサウルスの鶏冠に見られる垂直な隆起を欠いている。また、他の親戚と同様に、イリタトルの頭蓋天井にはさらに2つ孔(postnasal fenestrae)が開いているほか、部分的にしか分かれていない長い基翼状骨突起(口蓋骨と共に頭蓋腔と繋がる骨の伸長)があった。下顎の欠損は深く、後側上側表面は大部分が上角骨からなり、上角骨は下に位置する浅い角骨と関節した。下顎の側面に開いた孔(mandibular fenestra)は楕円形的比較的大型だった。下顎で歯の生えた骨である歯骨はイリタトルでは確認されておらず、上角骨の前に残骸が残っている。Irritator challengeri のホロタイプはあぶみ骨が保存されていた非鳥類型恐竜化石という点でもユニークである。MN 4819-V にはほぼ完全な骨盤、複数の脊椎と尾椎、5つの仙椎、右の腸骨と腓骨の断片、右大腿骨の大部分、尺骨の一部があった。
骨盤は保存が良く、右側は左側よりも良く関節した。癒合した仙椎がまだ骨盤に付いており、恥骨と坐骨の遠位端は失われていたオルニトミモサウルス類やトロオドン科と近縁とした。歯の形態、特に長い吻部、そしてヒレ状の鶏冠が他のマニラプトル類に知られていなかったため、研究者は新しい科としてマニラプトル類にイリタトル科を設立した。彼らはイリタトルとスピノサウルスが似た形状で鋸歯状でない歯を持つという類似性を認めたが、スピノサウルスの下顎はイリタトルの上顎と一致せず、コンプソグナトゥスやオルニトレステスのような他の非鳥類型恐竜も鋸歯状構造のない歯を持っていたと記述した。イリタトルはその後アンガトラマ、バリオニクス、スコミムス、スピノサウルスと共に2003年にオリバー・W・M・ローハットによりバリオニクス科に分類された。らは2004年にバリオニクス科をスピノサウルス科のシノニムと考え、これらの属をスピノサウルス科へ移した。後の研究もこの分類を支持した。2005年に、ダル・サッソらはイリタトルの外鼻孔が上顎骨歯の中央の真上に位置し、これはバリオニクスよりも後方でスピノサウルスよりも前方であると推測した。
Topology A: Benson ら (2009)
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Topology B: Sales and Schultz (2017)。イリタトルの外鼻孔は吻部先端から遥か後方へ移っていた。これは口の内側と鼻腔を分ける二次口蓋と共に、獲物を抑えている時や水中でも呼吸ができるようにしていた。特に、イリタトルの二次口蓋は首の筋肉が卓越していたことを示唆しており、これは水の抵抗に逆らって素早く顎を閉じることと、急速に頭を引っ込めることに必要とされた。セイルズとシュルツが2019年に発表した論文では、イリタトルやバリオニクス亜科は前方に位置した大型の鼻孔と広大な鼻腔を頭骨に持つため、スピノサウルスよりも嗅覚に狩りを頼っていた可能性があると提唱された。スピノサウルスはおそらく視覚、あるいはワニが水中で動く獲物を感じ取るために使う機械的受容器を主に使っていた。知られている大半のスピノサウルス科よりは低い度合いであるものの、この特徴は Angaturama limai のホロタイプ標本にもある。イリタトルに属する歯には翼開長3.3メートルほどのオルニトケイルス科翼竜の頸椎に刺さって発見されたものもある。このことから、狩りを行ったのか死体を漁ったのかは不明であるものの、イリタトルが翼竜も捕食していたことが示唆されている。2018年には、オーレリアノらがロムアルド累層の食物網のシナリオを発表した。ロムアルド累層産のスピノサウルス亜科は陸棲及び水棲ワニ上目、カメ、小型から中型の恐竜を捕食した可能性があると彼らは提唱した。スピノサウルス亜科はこの生態系における頂点捕食者であっただろう)といったアドバンテージを得て明確な生態的地位を占め、より陸棲の獣脚類との競争を避けていたことが判明している。スピノサウルス亜科はバリオニクス亜科よりもそのような生態に適していたらしい。
2018年、オーレリアノらはロムアルド累層の腸骨断片に解析を行った。での標本のCTスキャンにより、骨硬化の存在が明らかにされた。この状態がブラジルの脚断片にも見られたことは、少なくともスピノサウルスが1億年前のエジプトに出現した頃にはコンパクトな骨が既にスピノサウルス亜科で進化していたことを示している。近縁種との比較により生命体の未知の特徴を推定するのに用いられる手法 phylogenetic bracketingによると、骨硬化はスピノサウルス亜科では標準的なものであった。
● 古環境学と古生物理知学
イリタトルとアンガトラマはから知られ、層の岩石は約1億1000万年前の前期白亜紀アルビアンまで遡る。この層は海水準の変動サイクルと競合する不規則な淡水の影響を受ける沿岸のラグーンであったと解釈されている。層を取り巻く地域は乾燥地帯ないし半乾燥地帯で、大部分の植物相は乾生植物であった。ソテツ類と絶滅種の毬果植物門のが最も広がった植物であった、、トロペオグナトゥス、などの翼竜が支配的であった。イリタトル以外で判明している恐竜の動物相は、ティラノサウルス上科のサンタナラプトル、コンプソグナトゥス科のミリスキア、未同定のウネンラギア亜科のドロマエオサウルス科、マニラプトル類に代表されたや、アラリペミス、サンタナケリスのようなカメが堆積層から知られている。また、カイエビ、ウニ、貝虫、軟体動物も生息していた。保存の良い魚類の化石記録としてはのサメ、エイ、ガー、オスニア科、、ソトイワシ科、サバヒー科、や未同定の種が挙げられる。ナイシュらによると、植物食恐竜がいないことは、植生が乏しく大規模な集団を維持できなかったことを意味する可能性がある。個体数の多い肉食獣脚類は、その後豊かな水棲生物を主要な食糧源に変えた可能性がある。また、嵐の後には翼竜や魚類の死骸が海岸線に打ち上げられて獣脚類に膨大な腐肉が提供されたとも彼らは仮説を立てた。セレノらは1998年に、テチス海が開いたためスピノサウルス亜科が南(アフリカ、ゴンドワナ)で、バリオニクス亜科が北(ローラシア)で進化したと提唱した。しかし、スピノサウルス科の古生物地理学は仮説の段階かつ遥かに不確定のままであり、アジアとオーストラリアでの発見によりさらに事態は複雑であることが示唆されている。
◎ 化石化
Irritator challengeri のホロタイプ標本の化石化の過程は複数の研究者が議論してきた。頭骨は傍に横たわるようにして発見された。化石化に先駆け、頭蓋腔の後ろの幾つかの骨、歯骨、烏口骨、下顎の右のが失われた。他の骨はほとんどが後頭部に由来し、分離して頭部の別の場所へ分散して埋没した。2004年にナイシュらは、ロムアルド累層の恐竜の動物相は海岸線か川で死亡して海へ運ばれ、漂った末に化石化した動物に代表されていると主張した。2018年にオーレリアノらはこのシナリオに異議を唱えた。Irritator challengeri のホロタイプの下顎は残りの頭骨と関節下状態で発見されていたが、死体が海を漂ったなら分散した可能性が高いと彼らは主張した。また、骨格の骨硬化ゆえに死体はすぐに海へ沈んだとも彼らは綴った。従って、サンタナ層群から産出した化石は異所的に堆積したのではなく、土着の生息地で埋没した生物を代表するものであると彼らは結論付けた。
「イリタトル」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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