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袴田事件(はかまたじけん)は、1966年(昭和41年)6月30日に日本の静岡県清水市横砂。日本弁護士連合会が支援していた、2024年9月26日の一審判決で無罪判決が言い渡され。 「袴田事件」という名称は1981年の再審請求後に広まった通称であるなどの表記を用いる場合もある。静岡一家4人殺害事件、静岡県一家4人殺害事件と妻B(当時38歳)、次女C(当時17歳:静岡英和女学院2年生)、長男D(当時14歳:市立袖師中学校3年生)の一家4人である。 事件現場は、静岡県清水市横砂651番地の1:)に所在していた被害者A一家の住宅である、その外壁には焦げ跡の黒い煤が残されている、事件当時はAの父親が社長を務め、同社を合資会社としていた。なお、Aの父親は事件後も不自由な体で会社の再建に尽くしてきたが、事件の後処理に追われた過労で体調を崩し、同年9月6日に脳溢血のため、68歳で死亡している。また、「橋本藤作商店」は事件後に吸収合併されて商号を「株式会社王こがね」に変更し、Aの長女が社長に就任した。 「橋本藤作商店」が製造していた「こがね味噌」は事件当時、関東・東海地方に知られ、年産約1,200トンで、静岡県では第3位であった、袴田は事件当時、工場2階の寮に住んでいた。

● 犯行概要
一審・静岡地裁(1968年〈昭和43年〉9月11日)の判決によればで刺した。さらに、売上現金204915円、小切手5枚、領収証3枚を強取した上、同商店第一工場の三角部屋付近にあった石油缶の混合油を4人の被害者にかけマッチで点火、現場住宅を放火し、A一家の住宅一棟を全焼させ、一家4人を殺害した。

● 捜査
ここで記載する捜査結果、事実は第一審・静岡地方裁判所(1968年〈昭和43年〉9月11日)の判決に基づく内容であることに留意すること。 8月20日午後、特捜本部は袴田を殺人、放火、窃盗容疑で静岡地方検察庁に送検した。 8月21日、清水署にて袴田を勾留、袴田を住居侵入、強盗殺人、放火の罪で静岡地方裁判所へ起訴。ただし、窃盗の余罪については不起訴処分とした。自供内容は、前日(6月29日)夕方に犯行を決意して従業員寮で時間を待ち、30日1時20分ごろ、パジャマの上に工場内の雨合羽を着て、工場から見て東海道線の向こうにあったA宅に侵入したが、寝ていたAに気づかれて大声を出されたため、格闘の末に持っていたくり小刀で刺殺した。その後、Aの大声で目を覚ましたB・C・Dも相次いで殺害し、「焼いてしまえば跡が残らない」と考え、1人1人に油をかけた上でマッチを使って点火した――というものである。さらに取り調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせるなどした。 睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋に収容し、その泥酔者にわざと大声を上げさせるなどして一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限が迫ると取り調べはさらに過酷になり、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事たちも当初は3、4人だったのが、のちに10人近くになっている。 これらの違法行為については、静岡県警で次々と冤罪を作り上げたことで知られる紅林麻雄警部の指導を受けた者たちが関わったとされている。事件当時、袴田を取り調べた清水署刑事課の元警部補(2016年6月時点で89歳、静岡県藤枝市在住)は『中日新聞』記者である山田雄之の取材に対し「認知症を患い、責任を持って話せない」と、県警捜査一課の警部補だった男性(同月時点で95歳、静岡市在住)も「もう殆ど覚えていない」と、それぞれ話している。また、パジャマには、石油缶の混合油及び被害者の衣類に付着していた油と同種の油が付着していた。
◇ 捜査結果9 : 清水郵便局の封筒同封物の文章の筆跡鑑定の結果、片仮名の文字を書いたのはEであると判明した。 味噌製造工場にある味噌の1号タンク内から、従業員が血染めの「5点の衣類」を発見
◇ 捜査結果11 : 袴田の血液型がB型であることから、5点の衣類のうちの白半袖シャツの右肩部分に内側から付着した血液型と一致すること、8月18日時点で袴田の右上腕の外側の上三分の一の部分に肉芽組織が存在していたこと、9月8日時点で右上腕部前面に横に走る紫褐色の化膿の痕が存在していたことが確認された。 1968年(昭和43年)5月9日、第29回公判で静岡地検検事の岩成重義が死刑を求刑。 同年5月23日、第31回公判で袴田の弁護人による最終弁論。岡村鶴夫・斎藤準之助の両弁護人が自白の信用性・任意性・真実性を否定する旨の弁論を行い、無罪を主張。 同年9月11日、静岡地裁(石見勝四裁判長)は袴田に対し死刑判決を言い渡した。ただし、自白調書45通については1通を除き、任意性を否定し、証拠として採用しなかった。熊本はほか2人の死後、評議の秘密に反してこの出来事を明らかにしている。袴田は同日夕方、弁護人を通じて東京高等裁判所へ控訴した。
○ 供述調書
第21回公判では、検察官は、警察が作成した供述調書28通と、検察官が作成した供述調書17通の計45通の供述調書の取調べを請求し、第28回公判において地裁は45通全ての供述調書を証拠として採用した。 5点の衣類の装着実験が、1971年11月20日、1974年9月26日、1975年12月18日と3回に渡り実施されたが、袴田は、いずれも鉄紺色ズボンは小さすぎて穿くことができなかった。これを受けて袴田は上告した。 1980年(昭和55年) 11月19日、最高裁判所第二小法廷(宮崎梧一裁判長)が袴田の上告を棄却する判決を宣告した、同決定が被告人の袴田に伝えられた12月12日 をもって死刑判決が確定)。 死刑確定後は、精神に異常を来たし始め、親族・弁護団との面会にも応じない期間が長く続いた。その後は面会には応じるものの、拘禁反応の影響による不可解な発言が多く、特に事件や再審準備などの裁判の話題についてはまったくコミュニケーションが取れなくなっていた。このため、2009年3月2日より、袴田の姉が保佐人となっている。 袴田は近年、獄中にて拘禁反応に加えて糖尿病も患っていることが判明している。なお、2014年3月27日の釈放後、袴田は東京都内の病院に入院していた際、拘禁反応については回復の傾向があり、糖尿病も深刻な状況ではないと診断された。同年5月27日、48年ぶりに故郷の静岡県浜松市に帰り、市内の病院に転院した。2020年時点、姉と暮らしている。

● 裁判の主な争点


◎ 自白の任意性・信用性
自白調書全45通のうち、裁判所は44通を強制的・威圧的な影響下での取調べによるものなどの理由で任意性を認めず証拠から排除したが、そのうちの2通の調書と、同日に取られ唯一証拠採用された検察官調書には任意性があるのかなど。「自白法則」を参照。 また「自白」によれば犯行着衣はパジャマだったが、1年後に現場付近で発見され、裁判所が犯行時の着衣と認定した「5点の衣類」については自白ではまったく触れられていない点など信用性にも疑義が呈されている。

◎ 凶器と犯行時の行動
凶器とされている、くり小刀で犯行は可能か。 逃走ルートとされた、留め金のかかったままの裏木戸からの逃走は可能か。また、可能だとして警察の示した写真が捏造されたものかどうか。

◎ 「5点の衣類」
犯行着衣とされた「5点の衣類」は犯人である証拠か、警察などによる捏造かも大きな争点である。衣類には袴田と同じB型の血液が検出されたことが、1968年の静岡地裁による死刑判決で理由に挙げられた。 袴田の実家を家宅捜査した際に、犯行着衣と同じ共布を発見。これが犯行を裏付ける証拠として採用された。2010年9月に検察が一部開示した証拠を弁護側が検証したところ、共布発見の8日前と6日後の2度にわたり、捜査員がズボン製造元から同じ生地のサンプルを入手していた。弁護側はこの行動に「実家からの発見」を捏造した可能性があるとして2枚のサンプルの開示を要求、「検察側が示せないなら捏造の根拠になる」と主張している。

● 再審請求


◎ 第一次再審請求
袴田は1980年に死刑判決が確定したが、翌年の1981年4月20日、袴田の弁護団が静岡地裁に第1次再審請求を申し立てた。弁護団(「日弁連袴田事件弁護団」)は1994年8月時点で、団長を伊藤和夫が務め、地元の弁護団と日弁連人権擁護委員会の16人で構成されていた。しかし1992年3月に安倍が「被害者の傷はくり小刀ではない」という鑑定書を第10回三者協議に提出しようとしたところ、弁護団から「内容が不十分」と反対された、脱退後に静岡地裁に提出した意見書には弁護団批判も展開されていたことから、これに反発した弁護団は安倍意見書を再審開始決定の判断材料にしないよう同地裁に申し入れた。決定内容は翌9日、弁護団・検察側の双方、そして獄中の袴田に伝えられた。弁護団は8月12日に即時抗告を行ったが、2004年8月26日 に東京高裁(安広文夫裁判長)から即時抗告を棄却する決定を出され、 9月1日に弁護側が行った特別抗告も 2008年3月24日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)により棄却決定を出されたため、第一次再審請求は棄却が確定。 2011年(平成23年)1月27日には日本弁護士連合会も、妄想性障害等を理由として、袴田に刑の執行停止と医療機関での治療を受けさせるよう法務省に要請した。これに対し法務省は2月11日、千葉景子法務大臣の指示の下袴田を含む複数の死刑囚を対象に精神鑑定などを実施したが、袴田については「執行停止の必要性は認められない」との結論に達していたことが明らかになった。 8月、第二次再審請求審において、静岡地裁は事件当日にはいていたとされるズボンの他、衣類5点の再鑑定を決定した。その後、足利事件や布川事件などにおいて、かねてから冤罪が疑われていた判決確定後の裁判に対し、再審が認められて立て続けに冤罪が確定した。これを機に、国民の冤罪に対する関心は高まり、検察は2013年3月、4月、7月と続いて当時の一部の証拠を開示した。また、同年11月には、事件当時、袴田の同僚が袴田のアリバイを供述していたにもかかわらず、検察は袴田が犯人であるかのような供述に捏造していた事実が発覚した。加えて12月には被害者が当時着用していた5点の衣類に付着している血液が袴田のものではない可能性があるとのDNA鑑定結果を弁護側が提出した。これらは裁判が開始して以来最大の変動でもあり、「重大な証拠」として再審が認められる可能性を大きく持った。2013年12月に、メディアでは「2014年の春ごろには再審の可否判断がされるだろう」との予想が新聞各紙にわたって掲載、同時に各ニュース番組でも報道された。 2014年3月27日、静岡地裁(刑事第1部、村山浩昭裁判長・大村陽一裁判官・満田智彦裁判官)で再審が認められ、さらに死刑と拘置の執行の停止を決定、袴田は釈放された。静岡地検は東京高裁に拘置停止について抗告を申し立てるが、高裁は28日、拘置停止決定を支持し抗告を棄却。3月31日、静岡地検は再審決定について東京高裁に即時抗告した 。 一方で3月28日18時ごろ、生き残っていた被害者一家の長女が亡くなっているのが自宅で発見された(満67歳没)。同日に病死したとされている、4、5年前に夫が病死してからは1人暮らししており、家族が度々様子を見に来ていた。また死亡が確認される直前は体調を崩しており、外出することは少なかった一方。彼女は生前、『朝日新聞』の取材に対し「もし袴田さんが無罪なら、一日も早く真犯人が見つからないと仏様は浮かばれない」と話していた一方、『読売新聞』の取材に対しては「もう昔のことです。もう何も知らない。私には関係ないわよ」と語っている。また、同月20日に『毎日新聞』の取材を受けた際には「裁判はもう終わった。話すことはありません」と話していた。長女の息子(A夫婦の孫)である男性は自身の母親について、事件後に重度の鬱病を患って精神科病院に入院していた時期があり、テレビを見ず携帯電話も持たない生活を送っていたため、裁判の動向も含めて理解できていなかったと主張している。またインターネット上では根拠なく長女を犯人視する書き込みや、「家族からのけものにされていた」など無根拠な内容の書き込みが飛び交っている。 2018年6月11日、東京高裁(大島隆明裁判長)は静岡地裁の決定に対し「地裁が認めたDNA鑑定の結果には科学的疑問が存在し、証拠として信用できない」として再審請求を棄却。弁護側は6月18日に最高裁に特別抗告し、再審開始の判断は最高裁に委ねられることとなった。なお、死刑と拘置の執行停止については「袴田の年齢や生活状況などを鑑み、釈放の取り消しが相当とは言いがたい」として維持している。 2020年12月22日、最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は前述の東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻す決定を出した。合議体を形成する裁判官5名のうち林景一と宇賀克也が、新証拠は再審を開始すべき合理的な疑いを生じさせるものであることは明らかでその判断のためだけにこれ以上の時間をかけるべきでないとし、「原決定を取り消した上,本件を東京高等裁判所に差し戻すのではなく,検察官の即時抗告を棄却して再審を開始すべきであると考える。」、「単にメイラード反応の影響等について審理するためだけに原裁判所に差し戻して更に時間をかけることになる多数意見には反対せざるを得ないのである。」と反対意見を出した。その後、審理は東京高裁第2刑事部で審理されることとなった。同刑事部には最高裁調査官として特別抗告審に携わった中尾佳久(2020年4月1日付で同部に異動)が所属していたが、彼は担当から外れた。 2021年(令和3年)3月22日に差し戻し審で三者協議が開始され、11月1日には弁護団が、味噌漬けにされた衣服から血痕の赤みが消失するメカニズムを科学的に示した鑑定書を東京高裁に提出。この弁護士(村松奈緒美)はその後、2人目の再審請求人としても選任された。7月から8月にかけ、東京高裁が鑑定人ら専門家5人の証人尋問を実施。 2023年(令和5年)3月13日 、東京高裁(大善文男裁判長)は「衣類のほかに袴田を犯人と認定できる証拠はなく、確定判決の認定に合理的な疑いが生じることは明らか」として、検察の即時抗告を棄却し、捜査機関による証拠捏造の可能性を指摘した上で、弁護側の再審開始を認める決定を下した。その後、同月20日の最高裁への特別抗告の期限までに検察が申立を断念したため、再審開始が確実となった。 4月10日に静岡地裁で再審公判に向けた法曹3者協議が始まり、7月10日には静岡地検が再審公判で袴田に対する有罪立証を維持することを表明した。

◎ 検察側の証拠捏造疑惑について
第2次請求審では、犯人が着ていたとされたシャツについた血液のDNA型が袴田元被告と一致しないとの鑑定結果が出た。村山裁判長は決定理由で、DNA鑑定結果を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する」と評価。事件の約1年後に発見され、有罪の最有力証拠とされたシャツなどの衣類について「捜査機関によって捏造された疑いのある証拠によって有罪とされ、死刑の恐怖の下で拘束されてきた」と指摘した。 『毎日新聞』の荒木涼子記者は、このことに加え、以下のような検察側の証拠捏造の疑惑を示唆した。1970年代にあった控訴審での着用実験で、(使用していたとされる)ズボンが袴田には細すぎて履くことができなかった。だが、検察側は「タグの『B』の文字は84センチの『B4』サイズの意」などと言い張り、確定判決でもその通り認定された。しかし、これは捏造とも言える主張だった。「B」についてズボン製造業者が「色を示す」と説明した調書の存在が、今回の証拠開示で明らかになった。

◎ 裁判の問題点や批判
最高検察庁の検事として袴田事件の審理を担当した竹村照雄は、地検に眠っている証拠を「もう一回分析することはしなかった。その前の段階で有罪だと思っているから、改めて無罪のこと(証拠)をほじくることはない」と述べた。証拠の全体像を知るのは検察側だけで、何を裁判に出すかは検察の裁量に任されており、今の裁判員制度が始まる前の制度では、検事、検察官は、被告人を有罪するのに最も適切な証拠だけ出せばよく、それ以外の証拠は一切見せなくていい、という問題点が指摘されている。 NHK解説委員の橋本淳は「(死刑判決を書いた裁判官の)熊本さんは7年前、守秘義務を破って異例の告白をしました。この中では、警察の厳しい取り調べで、袴田さんがうその自白を強いられたと見ていたこと、無罪にしようとしたが、ほかの裁判官を説得できず、心ならずも死刑判決を書いたことを明らかにしました」と指摘した。 『週刊現代』は、袴田事件裁判にかかわった裁判官・刑事・検事を実名で挙げ、その裁判の不当さを批判した。「裁判所が警察・検察とグルになって、袴田さんを殺人犯に仕立て上げた構図が浮かび上がる」と表現している。 2018年の東京高裁の再審請求を棄却したことについて、葛野尋之一橋大学法学部教授は「東京高裁は、有罪判決に合理的な疑いが残るかどうかを判断すべきなのに、再審請求で出された「新証拠」の個々の信用性を検討しており、問題がある」とした。

● 再審公判
2023年(令和5年)10月27日に静岡地方裁判所で袴田の再審の初公判が開かれた。袴田本人は前述の通り、心神喪失として出廷を免除され、代わりに彼の姉が無罪を主張した。以降は再審請求同様、服の血痕の赤みを最大の争点として審理が続けられ、翌2024年(令和6年)5月23日に検察が改めて死刑を求刑、弁護側が無罪を主張して結審した。死刑判決が再審で無罪になるのは35年ぶり5度目で、袴田の逮捕から2万1225日目の再審無罪判決だった。判決で國井裁判長は「判決に時間がかかり、とても申し訳ないと思っています」と謝罪している。 静岡地検は判決が言い渡された後もすぐには上訴権を放棄せず、控訴も含めて今後の対応を検討していたが、10月8日に最高検察庁の畝本直美検事総長が、「判決は多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容」としながらも、「袴田さんが結果として相当な長期間にわたり、法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、検察が控訴するのは相当ではない」として控訴の断念を表明し、翌9日付で上訴権の放棄を行ったため、袴田の無罪が確定した。過去に再審無罪となった死刑事件4件も、いずれも検察側が控訴しない形で無罪が確定しており、再審無罪が確定した死刑事件はこの事件が「島田事件」(1989年に再審無罪確定)以来35年ぶりで、戦後5件目である。その後、10月21日、静岡県警の津田隆好本部長が袴田の自宅を訪れて謝罪した。 その後、最高検は事件の検証結果、静岡県警は捜査の事実確認をそれぞれ公表したが、静岡地裁が判決で指摘した証拠のねつ造について、最高検は「現実的にありえない」、静岡県警は「ねつ造をうかがわせる具体的な事実や証言は得られなかった」などと揃って否定した。袴田の弁護団の事務局長で弁護士の小川秀世はこれをうけ、「判決で指摘された点に限っての検証、調査で非常に問題があると思う。全体として不十分でがっかりする内容だった。死刑判決という重大な間違いがあったわけで、もっと検証や事実確認に時間をかける必要があった」と批判した。

● 支援の動き

・ 1979年 - ルポライターの高杉晋吾が、事件の冤罪性を指摘した記事を『現代の眼』に掲載し、死刑確定後に支援組織「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」(現「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巖さんを救う会」)を設立する。
・ 1981年11月13日 日本弁護士連合会(日弁連)が人権擁護委員会内に「袴田事件委員会」を設置する。
・ 1991年3月11日 - 日本プロボクシング協会(JPBA)の原田政彦会長(=ファイティング原田)が、後楽園ホールのリング上から再審開始を訴え、袴田支援を正式に表明する。
・ 2006年5月 - 東日本ボクシング協会が会長輪島功一を委員長、理事新田渉世を実行委員長とする「袴田巌再審支援委員会」を設立する。同委員会はボクシングの試合会場(後楽園ホールなど)で袴田の親族、弁護団所属の弁護士や救援会関係者らとともにリング上から早期再審開始を訴えたほか、東京拘置所への面会やボクシング雑誌の差入れなどを行った。
・ 2006年11月20日 - 輪島を始め5名の元ボクシング世界チャンピオンらが、早期再審開始を訴える約500筆の要請書を最高裁に提出する。
・ 2007年2月 - 一審静岡地裁で死刑判決に関わった熊本典道が、「彼は無罪だと確信したが裁判長ともう一人の陪席判事が有罪と判断、合議の結果1対2で死刑判決が決まった(下級裁判所の合議審では各裁判官の個別意見を書くことは認められず、判決文は形式上、全会一致の体裁で作成しなければならない)。しかも判決文執筆の当番は慣例により自分だった」と告白。袴田の姉に謝罪し再審請求支援を表明する。なお、熊本がこれらの告白を行ったのは、熊本に死刑判決の判決文の作成を指示した当時の裁判長ともう一人の陪席判事が死亡した後であった。また、熊本自身は判決言い渡しの7ヵ月後、良心の呵責に耐えかねて裁判官を辞職し、弁護士に転職した旨を語っている。
・ 2007年6月25日 - 熊本が袴田の再審を求める上申書を最高裁に提出。
・ 2008年1月24日 - JPBA、後楽園ホールで支援チャリティーイベント「Free Hakamada Now」を開催。日本ボクシングコミッションが袴田に対し名誉ライセンスを贈呈する。
・ 2008年 - 人権団体「拷問の廃止を目指して行動するキリスト者」(ACAF、Aktion der Christen fuer die Abschaffung der Folter)が、袴田のための署名活動を国際的に展開する。また死刑制度そのものに反対するアムネスティ・インターナショナルも釈放を求めている。袴田がカトリック教会の志村辰弥神父の洗礼を獄中で受けたために、日本ではカトリック教会の司教などが、再審の署名集めに尽力してきた。
・ 2011年1月27日 - 日弁連は江田五月法相に対して袴田が長年の拘禁で妄想性障害にあり、刑の執行停止が認められる心神喪失の状態だと判断し刑の執行停止と、精神疾患の治療を指示するよう勧告した。
・ 2011年3月10日 - 袴田が「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス世界記録に認定された。認定期間は、第一審の静岡地裁で死刑判決を受けた1968年9月11日から2010年1月1日までの42年間である。死刑確定後の拘置期間としてはマルヨ無線事件・名張毒ぶどう酒事件・ピアノ騒音殺人事件の死刑囚の方が長いが、第一審の死刑判決から「死刑囚として拘束」され続けているとして、袴田が最長と認定された。
・2012年5月19日 - JPBA、後楽園ホールのリングサイドに袴田の早期再審開始と釈放を祈り「袴田シート」2席を設置。この日は「ボクシングの日」でもある。
・2014年1月 - 世界ボクシング評議会が名誉王座を認定し、釈放された場合はチャンピオンベルトを授けることを決定。14日、静岡地裁に7万4千筆、静岡地検に4万2千筆の、速やかな再審開始を求める署名(ビタリ・クリチコも賛同)が提出され、八重樫東も立ち会う。
・2014年4月 - 週刊現代が当時の捜査関係者(捜査員、検察官)と、死刑判決に関与した裁判官全員の実名を公表。依願退官した熊本以外の全員が功成り名遂げ、叙勲された者もいる。3日、NHKテレビ『クローズアップ現代』が静岡県警・静岡地検による袴田有利な証拠の隠蔽・捏造問題を採り上げる。民主党、自由民主党、公明党、国民新党、社会民主党、新党大地、日本共産党、みんなの党、等に所属する議員が発起人となり、総勢57名の超党派議員が参加、代表には牧野聖修・民主党衆議院議員、事務局長には鈴木宗男・新党大地衆議院議員が就任した。同議員連盟発足について牧野は「足利事件で無罪が明らかになるなど冤罪への関心が高まっており、袴田さんの冤罪を信じる議員が集まった。今後は法務大臣に死刑執行の停止や一刻も早い再審の開始を求めたい」と述べている。同議員連盟は、設立総会において、冤罪の可能性とともに、死刑執行への恐怖が長期間続いたため袴田は精神が不安定になっていることなどを指摘し、今後、法務大臣の職権による死刑執行の停止や、医療などの処遇改善を求めることを決めている。 同議員連盟代表の牧野は、強い拘禁反応によって心神喪失状態にある袴田に対し刑事訴訟法479条(死刑執行の停止: 死刑を言い渡されたものが心神喪失にあるときは、法務大臣に命令によって執行を停止することができる)に基づき、法務大臣に対し職務権限による死刑の停止と、速やかに適切な治療を求めるとともに、再審の道を開くべく追求することを表明している。また、担当弁護士は、国際法規に照らしても拘禁反応や糖尿病を放置している状況は人権侵害だと述べている。
・会長 塩谷立 (自由民主党衆議院議員)
・世話人 逢沢一郎(自由民主党衆議院議員)・漆原良夫(公明党衆議院議員)・照屋寛徳(社会民主党衆議院議員)
・顧問 大口善徳(公明党衆議院議員)・生方幸夫(無所属衆議院議員)・柿沢未途(自由民主党衆議院議員)・杉本和巳(日本維新の会衆議院議員)・仁比聡平(日本共産党参議院議員)・畑浩治(希望の党衆議院議員)
・事務局長 鈴木貴子(自由民主党衆議院議員)
 ・生方幸夫・杉本和巳・畑浩治は2014年12月の第47回衆議院議員総選挙にて落選。松浪健太は落選。谷畑孝は辞職。

● メディア


◎ 映画
全てドキュメンタリー
・ 『BOX 袴田事件 命とは』2010年5月29日 - 事件と裁判を描いた
・ 『ふたりの死刑囚』東海テレビ放送、2015年
・ 『袴田巌 夢の間の世の中』キムーンフィルム、2016年
・ 『獄友』キムーンフィルム、2017年
・ 『48 years – 沈黙の独裁者』2018年
・ 『拳と祈りー袴田巌の生涯ー』2024年

◎ テレビ

・ 『死刑囚と姉 -袴田事件50年-』テレビ静岡、2016年7月26日放送
・ ETV特集「獄友たちの日々」(2017年、NHK Eテレ)
・ NNNドキュメント'18『我、生還す -神となった死刑囚・袴田巖の52年-』中京テレビ放送、2018年10月15日放送
・ ドキュメンタリー解放区『袴田事件57年 ~再審の壁~』TBS、2023年08月07日放送

◎ 漫画

◇ 『スプリット・デシジョン ―袴田巌 の元プロボクサー―』 : 2019年2月からネット配信。題名は、熊本典道が無罪の心証を持ったにも拘らず有罪判決が全員一致の形で出てしまった静岡地裁判決にちなむ(判定プロ格闘技)。作者は元プロボクサーで漫画家の森重水。日本プロボクシング協会の支援委員会が製作。
◇ 『デコちゃんが行く ―袴田ひで子物語―』 : 姉の支援活動を描いた漫画作品。袴田さん支援クラブの猪野待子代表の自費出版で、2020年5月に刊行。

◎ 書籍



● 本事件が特集された番組

・ 『0.1%の奇跡逆転無罪ミステリー』(2020年9月21日、テレビ東京)
・ ETV特集『雪冤(せつえん)〜ひで子と早智子の歳月〜』(2020年7月18日、NHK Eテレ)、2014年に取り消されている。認定の対象期間は、静岡地裁で死刑判決を受けた一審判決の1968年9月11日から2010年1月1日までの42年間である。

「袴田事件」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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7位 vs 8位


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