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HYDE


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hyde(ハイド、本名:寶井 秀人(たからい ひでとや「HEAVEN'S DRIVE」やスティング、シングル・単曲配信23作品、映像作品7作品を発表している。余談だが、HAUNTED RECORDSでは自身のソロ名義作品以外に、オルタナティヴ・ロックバンド、MONORALの作品も発表されていた。ちなみにhydeは、2018年からは前記の自主レーベルでなく、ユニバーサルミュージック内のレーベル、Virgin Musicに移籍している。 そして2008年には、K.A.Z(Oblivion Dust)とロックユニット、VAMPSを結成。VAMPSでは、ソロ名義の活動で行ってきた<動>のスタイルを、よりバンドに近いかたちで行うようになっている。VAMPSは2016年に、アメリカの大手マネジメント、10th Street Entertainmentと契約を結び、音楽制作のメインを海外へ移しており、これ以降、海外のアーティストやプロデューサーとのコラボ制作を展開するようになっている。また、VAMPSでは全国のライヴハウスで連続公演を行う"籠城型ツアー"をはじめ、アリーナ公演、夏季の野外ライヴ、ハロウィンイベントなど、多彩なスタイルの公演を実施。海外においても精力的にライヴを開催しており、日本以外のアジア各国、ヨーロッパ、アメリカでもツアーを行っている、シングル・単曲配信15作品、映像作品12作品を発表している。そしてHYDEは2022年に、YOSHIKI(X JAPAN)の主導により結成された、エッジなEDMと耽美なロックサウンドを融合したロックバンド、THE LAST ROCKSTARSに参加している。 他には、中島美嘉やジェジュン、Cö shu Nieなどに自身が作曲した楽曲を提供している。また、音楽活動以外には、2017年にアパレルブランド「SWITCHBLADE」(読み:スイッチブレード)を設立している。そして2023年には、SWITCHBLADEのセカンドラインとして、"和"をコンセプトにした「WaRLOCK」(読み:ワーロック)というブランドを新たに立ち上げている。 マネジメントは、2012年2月に自身が設立したVAMPROSE。現在の所属レーベルは、ユニバーサルミュージック内のVirgin Music。ソロ名義の公式ファンクラブは、2001年に設立した「HYDEIST」。公式モバイルサイトは、2008年に開設した「HYDERoom」。

● 来歴


◎ 生い立ち - 少年時代
1969年1月29日に和歌山県和歌山市にて生まれる。hydeは自叙伝『THE HYDE』で、この頃を振り返り「比較的内向的で、そんなに友達も居なかった。居ないというか、家の近所には何人か同い年の子が居たから遊んではいたんだけど、結構、その子達にいじめられて泣いて家に帰るような弱い感じだったね」と述懐している。また、hydeは幼いころから絵に興味があり、この頃から黙々と一人で絵を描いていたといいなども好きだったといい、hydeはこの頃から「将来は漫画家かアニメーターになりたい」と漠然と思うようになる。 上記のように、小学校時代のほとんどを「泣き虫のいじめられっ子」として過ごしてきたhydeだったが。後年hydeは、恩師である当時の担任の教師について「(小学6年生の頃の)先生とは、今でも交流があって。担任だったんだけど、とにかく一生懸命で一緒に泣いたり笑ったり、怒ってくれたりする素敵な先生だったやデヴィッド・シルヴィアン、カルチャー・クラブ。また、中学生の頃は、当時公開された映画『ランボー』の影響から、軍服を着て、よく山や海で友人達とキャンプをしていたという、ニューロマンティックのアーティストが着こなすファッションも好きで、この頃から映画の登場人物やミュージシャンの服装を真似して着るようになったという、デザイナー・画家になるため、一般の高校ではなく、デザインの授業もある学校へと進学する。後年hydeは、デザインの授業がある学校に進学した理由について「このまま普通に高校に行くのが、もう自分の中ではあり得なかったから。ラジオで"絵の授業がある高校がある"って聞いて、"ここに入りたい"って両親に言ったら、許してくれて。多分、入学金とか高かったと思うんだけど。その高校って普通の授業は半分くらいで、あと半分は絵の授業だったんだよね」と述べている。こうして専門学校に進学したhydeだったが、自身が先天性の色弱で中間色の判別が難しいことから、絵を描くことに自信はあったものの彩色に対する不安が徐々に募っていったという。hydeはこの頃について「彩色になるとね…俺、色弱だから、どうにもならなくて。水彩画とかになってくると、ちょっと弱いというか。小学校の頃は、さっき言った(6年生の頃の)担任の先生が"気にしないで、思うように着色しなさい"って言ってくれてたから、人に違ってるって言われても自信をもって絵の具を走らせてたんだけど。でも、世間には通用しなくて、専門学校の頃には、彩色の自信がまるでなくなってたんだ、徐々に興味の対象が移りはじめ、音楽の道へ転身することを模索し始める」「音楽を始めたときには悩みがなくなった。 こうして地元で音楽活動とアルバイトに明け暮れる中、hydeは20歳になった頃にやディスチャージといったハードコアに傾倒していたこともあり」と述懐している。こうしてhydeはしばらくの間、どのバンドの固定メンバーにもならず、様々なバンドにセッションメンバーとして参加する。後年hydeは、peroの人物像について「彼は気さくで社交的で面白い人だったからすぐに仲良くなれた。ただ、前記のようにhydeとperoはJelsarem's Rodを結成したばかりだったため、その申し出を断ることにしている。後年hydeはこのセッションを振り返り「当時はJelsarem's Rodを作ったばかりだったから、他のバンドには興味が持てなくて。peroが"行こうよ"って言うから行ったけど、ひと通り演奏して帰ったっていう感じだったね。まあ、"上手だな〜""うちのバンドとは全然違うな〜"とは思ったけど。というのも、tetsuya曰く、hydeとperoに出会った際、"hyde、pero、hiro、自分で全部がつながった"、"すごいバンドになる"と直感的に感じていたという。このセッションでhydeは「やっぱり自分達のバンドとは全然クオリティーが違う」と感じ。このライヴはいわゆる対バン形式だったが、100人以上の動員を記録。そして、1991年9月27日に同所でL'Arc〜en〜Cielとして初のワンマンライヴを行い、300人以上の観客を集めている、tetsuyaの考えたプロモーション・イメージ戦略によるところが大きいという。こういったバンドが溢れる中、活動最初期の頃のL'Arc〜en〜Cielはデモテープの販売を避け、あえて大阪からあまり動かず、先々のライヴ予定も発表しないスタンスをとっていた」と述懐している。 また、観客との距離を詰め、ライヴの打ち上げに客を参加させるアマチュアバンドがこの当時多く存在していたが、L'Arc〜en〜Cielはこういったファンとの過度なコミュニケーションを一切行わないようにしていた。さらに、tetsuya曰く、ブランディングの観点から、メンバーが自作したライヴのチラシやフライヤーを直接配布する行為をしないようにしたり、会場に出入りする観客の前でメンバーが演奏機材を運搬するといった行動を避けるため、結成当初からローディーやスタッフを雇っていたという。また、hydeはソロ名義で発表する楽曲のミュージック・ビデオを制作する際に、自ら絵コンテを描いていたこともある。 このように頭を使った戦略をとったことで、L'Arc〜en〜Cielは結成してすぐにワンマンライヴで客席を埋めることができ、当時のバンドの滑り出しとしては稀に見る順風満帆なスタートとなった。そしてL'Arc〜en〜Cielは、紆余曲折がありながら、結成から約2年後の1993年5月に1stアルバム『DUNE』を発表。1994年7月にはメジャーデビューシングル「眠りによせて」、2ndアルバム『Tierra』をリリースし、メジャーレーベルでの活動を開始する。メジャーデビューしてからもL'Arc〜en〜Cielは、メンバーチェンジを挟みながら活動を進め、30年以上のキャリアを積んでいくことになる。 L'Arc〜en〜Cielとしての活動が約10年ほど続いたころ、2001年半ばあたりからhydeの要望もあり、メンバーそれぞれがソロワークスを始めるようになる。hydeは2001年に受けたインタビューで、ソロ活動を始めた経緯について「子どもが大きくなって自分の部屋が欲しくなったような感じで、自分ひとりで音楽を作ってみたいっていう欲求が出てきたから」「バンド4人でやるのはそれはそれで凄い想像もしなかった結果になったりして良い方向に転んだりするんですけど、自分が予想したところに向かう創作っていうのを一度やってみたいなと思いました。また、2016年にはアメリカの大手マネジメント、10th Street Entertainmentと契約を結び、MY FIRST STORYとのコラボレーションソングを発表するなど、ライヴ・音源制作の場で国内バンドと関わる機会を増やしている。さらにhydeは、2019年に自身が愛聴しているバンド、ブリング・ミー・ザ・ホライズンのライヴにゲストアクトとして参加。2023年には同バンドがキュレートしたロック・フェスティバル「NEX_FEST 2023」に出演している。 L'Arc〜en〜Cielとしての活動と、ソロ名義での活動を並行して進めていた中、2022年にhydeはYOSHIKI(X JAPAN)の主導により結成された、エッジなEDMと耽美なロックサウンドを融合したロックバンド、THE LAST ROCKSTARSやキーボード、プログラミング、ハーモニカ、アルトサックスをレコーディングで担当している。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielのパートチェンジバンド、D'ARK〜EN〜CIELではHYDE DARK名義で、P'UNK〜EN〜CIELではHYDE P'UNK名義でギターを担当している。 L'Arc〜en〜Cielのライヴでは、早い時期から「I'm so happy」や「"good-morning Hide"」「HONEY」「死の灰」「いばらの涙」などを演奏するときにギターを担当していたが、レコーディングでは一切弾いていなかった。hydeの弾いたギターがスタジオ音源に収録され、クレジットにその旨が記載されたのは、2000年に発表された8thアルバム『REAL』に収められた楽曲「THE NEPENTHES」が初となる。また、hydeは2001年に発表されたL'Arc〜en〜Cielの楽曲「Spirit dreams inside」の制作で、kenからのリクエストでアコースティック・ギターを弾いている。なお、hydeはL'Arc〜en〜Cielのライヴにおいて、タンバリンやコンガ、ホイッスルを担当することもある。 2001年から開始した、ソロ名義での活動では、バンドの頃から引き続きボーカルを務めており、2003年までに発表されたほぼ全ての楽曲の作詞・作曲・編曲・プロデュースを自らの手で行っている。なお、2003年に発表した2ndソロアルバム『666』では、全収録曲の制作においてギターを担当している。その後は、ギタリストのK.A.Z(Oblivion Dust)の他、日本国内外のプロデューサー、コンポーザーと共作を行うようになっている。 また、2008年に結成したVAMPS及び、2022年に結成したTHE LAST ROCKSTARSでもボーカルを務めている。ちなみにVAMPSとして開催したライヴでは、「LOVE ADDICT」や「EUPHORIA」「THE PAST」「ZERO」といった楽曲を披露する際に、HYDEが時折ギターを担当していた。

◎ 楽曲制作

○ 作詞
L'Arc〜en〜Ciel、VAMPSならびにソロ単独名義でリリースした楽曲のほとんどの作詞は、hydeが担当している。L'Arc〜en〜Cielとして作詞作業をするようになってしばらくは、今いる世界からの逃避を望んだような歌詞や、遠くを見つめた願望のような歌詞を多く綴っていた」と表現していたことがある。なお、hyde自身は1993年に受けた音楽雑誌のインタビューの中で「俺は身の回りのことしか歌わないから、ありえないような話は全部"例え話"だと思ってもらえればいいですね」と述べており、現実離れした世界について書いているつもりはなかったことを示唆している。ただ、hydeは2021年に受けたインタビューにおいて、過去に綴ったリリックについて「(架空の物語の中に)自分にとってのリアリティがあったんです」「書いていたのは想像の世界だけど、自分としてはリアルを求めてそうなった」と述べていたことがある。 hydeは、多感な学生時代に洋楽あるいはハードコアな音楽をよく聴いていたため、バンドを始めた最初の頃は日本語の歌詞を書くことに不慣れだったと述べている。そしてL'Arc〜en〜Cielで作詞を行うにあたり、hydeが参考にしたものは、幼いころから好きだった小田和正(オフコース)が綴る歌詞だったという。hydeは、2016年に発行された音楽雑誌『Rolling Stone Japan』の取材において「音楽を作り始めた頃は僕はハードコアや、ゴシックロックにハマってたから、ラルクを始めて、すごくキャッチーな曲がメンバーから出てきた時に、どういう詩を書いていいかさっぱりわからなかったんです。"何を言ってええんやろうな?"ってすごい迷って試行錯誤して詩を書いた時に、開いた引き出しがオフコースで。オフコースの曲って、実は都会的なクールな感じで、歌詞もすごく抽象的だと思います。言葉もかなり選んでいるし。そういうところで、"あ、こういう表現の仕方があるな"って。歌詞もその時の影響が出てる。例えば「Blurry Eyes」は、小田和正さんが使うような言葉がいくつかあると思います」と述べている。このように、尊敬する小田和正が書く歌詞の言葉選びや、抽象的な比喩表現を取り入れていき」と述べている。また、hyde曰く、昔は真っ直ぐな恋愛をテーマに歌詞を書くことに対し、抵抗感があったという。hydeは2012年に発表した自叙伝において、「今でこそ、そんな事はどうでもいいんだけど、元々は男が恋愛を口にするのって、俺としてはカッコ悪い事だと思ってた所があって。激しい、ちょっとイカれちゃったような恋愛を詞にするのは良かったけど、普通の、あったかい感じの恋愛の詞は苦手だったんだよね」と述べている。 さらにhydeはL'Arc〜en〜Cielの活動当初、視覚的に楽曲をイメージするため、歌詞を書く前に絵を描くようにしていたという。このことについて、hydeは1994年発表のアルバム『Tierra』のインタビューで「これはずっと続けてきていることなんですが、詞を書くうえでのガイドとして、カンタンな絵を1曲ごとに描いて、自分がその世界にいるという気持ちで詞を書いていくんです。そうすると、具体的なものが見えてくる」と表現している。 ただ、2000年頃から、hydeの綴る歌詞に、現実を見据えたようなフレーズが増えている。2000年に発表されたアルバム『REAL』に関するインタビューの中で、hydeは「"なんだ、2000年になっても街は何も変わらないじゃん"って。ささやかな望みはあるけど。そういうことを書いてる。『REAL』というアルバムは。諦めてるけど、"ひょっとしたらいいことあるかもね"っていう」「現実的に、深い夢のような未来はあり得ないっていうのが、見えてきてるんだろうね。だから、冷めた詞が多い」と心境の変化を述べている。 アルバム『REAL』をリリースした後、2001年半ばあたりから、hydeを含めたL'Arc〜en〜Cielのメンバー4人は、ソロ活動や別バンドでの活動を始動し、L'Arc〜en〜Cielとしての活動が事実上の休止状態となった。その後L'Arc〜en〜Cielは、バンドを解散させることも考えたが、2003年6月に久々のライヴを行い、本格的に活動を再開することになった。そして2004年に、約3年7ヶ月ぶりのアルバム『SMILE』を発表している。このアルバムでは、hydeがこれまでに書いたリリックのテーマとは異なり、ストレートな前向きさを綴った歌詞が多くなっている。この当時に受けたインタビューの中で、hydeは「もう、普通に悲しいだけのCDじゃ、僕、心が動かされないんですよ。今の僕のテンションがそうなのかもしれないけど、悲しい詞を今僕がやると、逆にすごく嘘っぽく書いちゃうような気がするんですよね。あんまり興味がない。そういう悲しい部分を表現した曲もあると思うけど、でもどっかに、ちょっと今の気持ち的には悲しいとか、暗い部分を音源にしたくないなって気持ちがあるのは確かですねが多く手掛けられている。 hyde曰く、2006年・2007年頃から、"ありふれた日常"をテーマに歌詞を書くようになったという。以前にもhydeは「C'est La Vie」や「TIME SLIP」「ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE」など、いくつかの楽曲の制作で、身近に起きた出来事をもとに歌詞を書いたことがあったが、2007年に発表したアルバム『KISS』には、人に近い表現を用いた歌詞をのせた楽曲が数多く収められることになった。hydeは2012年に発表した自叙伝において、この当時の心境の変化について「普段の生活の中で、ふと愛に満たされた時、"このまま、死んでもいいや"って思った瞬間に宇宙と繋がった気がした事があったんだよ。なんか、死を迎え入れられた瞬間に"あ、なんだ、宇宙ってこんな物だったのか"って。ちなみに、俺、薬はやってないよ(笑)。そして、宇宙の摂理というか、なんか全てがスッと理解出来た気がして。それが大きかったのかもしれない。その時に、多分、生への執着がなくなったんだろうな。それからというもの、周りのいつもの風景がとても愛おしく感じられるようになってきた。その感覚は、L'Arc〜en〜Cielの「ALONE EN LA VIDA」の歌詞に書いたり、HYDEソロの「I CAN FEEL」とか、その頃の作詞の核になってるんだけど。(中略)"いつ死んでもかまわない"と共に、"いつ死んでもいいように生きよう"って思う自分が加わった感じかな」と綴っている。また、hydeはこの頃から、リスナーが歌詞の意味を大きく誤解しないよう、比喩だけではなく、直接的な表現を使ったフレーズも意識的に増やし始めている。 なお、hyde曰く、歌詞を書く際は作曲者から楽曲のイメージを聞き、それを基に作業を行うことも多いという。そして、映画やアニメーション作品に楽曲を提供する場合は、監督などの製作陣と話し合いを行ったうえで、そのタイアップ作品を意識した歌詞を書くこともある。L'Arc〜en〜Cielは2000年に映画主題歌として「finale」という楽曲を提供しているが、この時の作詞作業についてhydeは「映画と、まったく違うアプローチをしても夢からさめた感じがするし、かと言ってまったく同じだと逆に映画との相乗効果がない気がしたんです。で、自分の感性で、映画の中で流れるなら、こういう感じがいいかなと思ったんです」と当時述べている。 また、2001年にソロ名義での活動を開始し、2008年から新たなプロジェクトとしてVAMPSを展開するようになって以降、HYDEは歌詞のほとんどを英語で綴るようになっていった。これに伴い、L'Arc〜en〜Cielで歌詞を綴るときとは異なる作詞手法が採られるようになった。ソロ名義およびVAMPSとしてリリックを書くときは、まず英語で歌詞を書いたうえで、一部のフレーズを日本語詞と差し替えていくようなやり方を採用している。ちなみに、英語詞はリン・ホブデイやAnis(MONORAL)、近年ではAli(MONORAL)とともに手掛けていくことが多い。なお、HYDEは英語詞の中にあえて一節だけ日本語を混ぜることも多いが、これは一種のフックとして綴っているという。 hydeは歌詞を書く行為について、「詞を書くのってホントに面倒くさいけど、人として書いてて良かったなとは思うよ。詞とか文章を書くって、すごくいい事だと思う」「頭で考えてるだけだと、なかなか一つの形にまとまらないんだよね。でも、文章にしていくと"あ、そっか、そう思ってたんだ"って文章って形で見えるからわかりやすいんだ。そうすると突き詰めやすくて、物事の本質が見える」と語っている。また、hydeは、音楽における歌詞について「結構ね、中途半端に理解されるべきもんだとは思うんですよ。歌詞なんて、いちいち説明してたらカッコイイわけない」「ちゃんと理解してほしいからといって、いいことばかり書いてもカッコイイものができるとは思わない」と表現しており、「パンク以後の精神性としての”ロックンロール”からは遠く、文学・映画・演劇の要素まで取り込んで”ロック”とする表現の発展性とみれば大いにありだと思う」と批評している。 音楽雑誌『MUSICA』の創刊者で音楽ジャーナリストの鹿野淳は、hydeが綴る歌詞の特徴について「バラッドではかなり文学的な言葉世界を展開するものの、ドライヴ・ナンバーになると途端にわかりやすい言葉しか歌わなくなる。だからこそラルクの楽曲はどんな曲でも必ず"聴きとれる"。これは実は凄いことだ」と評している。さらにシンガーソングライターの松任谷由実は、1999年に行われた近田春夫との対談において、"同じつぶつぶを持っている人"として、hydeの他、2人の作詞家の名前をあげている。松任谷は、hydeを含む3人の作詞家が書く歌詞について「詞とメロディは連動してるけど、詞に心地よい空白を感じましたやCHARAの名前をあげている。余談だが、hydeは2015年に受けた音楽雑誌のインタビューの中で、aikoが綴る歌詞について「aikoさんの書く詞は素敵だなって曲が流れるたびによく思います。ただし、L'Arc〜en〜Cielが1995年までに発表したほぼすべての楽曲の歌メロは、hydeが制作している。これは当時のL'Arc〜en〜Cielではボーカリストがメロディを制作し、コード進行やオケを作った者を作曲者としてクレジットするという、いわゆる「昔のヘヴィメタルバンドにありがちな作り方」が慣例になっていたことが背景にある。そしてL'Arc〜en〜Cielは、1996年に発表したシングル「風にきえないで」(作曲:tetsuya)以降に、作曲者がオケに加え歌メロも制作するようになった、現在に至るまで音源化されていない。また、hydeはL'Arc〜en〜Cielを結成する前に組んでいたバンド、Jelsarem's Rodでも多くの楽曲の作曲を担当しており、「Moon Seduction」や「With Silence」といった楽曲を制作していた。なお、Jelsarem's Rodとして制作した「With Silence」は、1994年4月にL'Arc〜en〜Cielとして開催したライヴツアー「ノスタルジーの予感」の渋谷公会堂公演において、久々に演奏されている。 前述のとおり、L'Arc〜en〜Cielが活動初期の頃に発表したシングルのカップリングにはhyde作曲の楽曲が多く収録されており、これまでに「I'm so happy」のようなポップなメロディと憂いがかったサウンドが印象的なブリットポップの雰囲気を感じる楽曲であったり、「THE GHOST IN MY ROOM」のようなホワイト・ファンクテイストのダンサンブルな楽曲、「Peeping Tom」のような掴みどころのないギターとアコーディオンのサウンドが印象的な楽曲などが発表されている。 hydeが作曲したL'Arc〜en〜Cielの代表的な楽曲として、ミリオンセラーを記録した「HONEY」や「HEAVEN'S DRIVE」があげられる。また、自身が好むニュー・ウェイヴからの影響が反映された「In the Air」や、ビートルズを意識し"気怠さ"と"サイケデリック"な雰囲気で制作された「and She Said」、1990年代初頭に流行していたネオアコの雰囲気を内包した「flower」、フィードバック・ノイズと情緒あるピアノのイントロからアルト・サックスとバンドサウンドの絡みに展開していく「LORELEY」、クリーンギターのアルペジオからサビに向けてヘヴィなロック調に変化していく「いばらの涙」、軽快なアコースティック・ギターのサウンドが前面に押し出されたロックナンバー「Spirit dreams inside」も作曲している。他には、スウィング・ビートならではのハネたリズムが印象的な楽曲「Singin' in the Rain」や、美しく荘厳なサウンドスケープが印象的なバラード「Anemone」、キーボードの音色やサンプリングした音を大々的に取り入れたアダルトなロックナンバー「My Dear」、富樫春生のピアノと三宅純のフリューゲルホルンをフィーチャーしたジャズテイストの楽曲「Ophelia」といったソフト・ロックの方向性で制作された楽曲を発表している。ちなみにhydeは、学生時代からニュー・ウェイヴやヘヴィ・メタル以外に、ソフト・ロック寄りの音楽も好んで聴いていた背景があり、後述の1stソロアルバム『ROENTGEN』の制作において、デヴィッド・シルヴィアン。 また、hydeは2000年代後半頃から、L'Arc〜en〜Cielとして行う楽曲制作に対する考え方を変化させている。hydeは当初、「ロックバンドのL'Arc〜en〜Cielとしてどういう楽曲を作るか」に焦点を当てることが多かったが、ソロワークスでハードロックやオルタナティヴ・メタルに傾倒した楽曲制作を進めるようになって以降、その思いが昇華されていき、「ロックに従属しない音源制作」に舵を切り始めたという。hydeは2007年にL'Arc〜en〜Cielとしてアルバム『KISS』を発表した際に受けたインタビューの中で「今までは、ラルクに対してこだわりがあった。"もっとロック・バンドでありたい"みたいな。だけど自分のソロでそれが昇華されたところがあって。逆に音楽的にもっと挑戦するのがラルク アン シエルじゃないのかなって気がしたんです」「L'Arc〜en〜Cielは、楽しい以上のことを追求してる。エンジョイしてOKじゃなくて、もっと音楽的にレベルの高いところを挑戦しないと、やる意味がないってところにきてるバンドだと思うんです」と述べている。 こういったL'Arc〜en〜Cielに対する意識の変化もあり、2000年代後半以降は様々な方向性で楽曲制作を行うようになっている。例えば、「SEVENTH HEAVEN」では"デッド・オア・アライヴの現代版"を意識した制作が行われており、「Hurry Xmas」ではジャジーでポップなクリスマスソングをイメージしたサウンドを手掛けている。また、2010年代以降には、弦楽器の他、金管楽器、木管楽器、鍵盤打楽器を大々的に取り入れたバラードソング「BLESS」であったり、エレクトリック・ヴァイオリンの音を取り込んだエレクトロでファンタジックな楽曲「ミライ」を発表している。ちなみに、2011年に発表した楽曲「X X X」は、「R&Bとメタルをくっつける」というコンセプトで制作が開始されている。なお、hydeは当時、「X X X」の制作に関して「ロックと言われているものよりも、実はポップスやR&Bのほうがヘヴィだったりロックだったりするなって思うことが多くて。だからそこをあえてミックスしてロックとポップスの両立を目指した」と述べている。 2001年から開始したソロ名義での活動では、大まかに<静>と<動>の2つのコンセプトを使い分けており、楽曲もそれぞれに合わせた音源が制作されている。2002年に発表された1stソロアルバム『ROENTGEN』には、デヴィッド・シルヴィアン」「それまでは作曲っていっても、ギターを弾いてメロディを歌って、バンドに持っていって、みんなで合わせてっていう流れだったから、アレンジはバンドに頼る部分が多かったんだろうな。それが『ROENTGEN』では、デモを作って、さらにそれをどんどん自分でアレンジしていくっていうやり方を始めたんだ。 2018年から再開したソロ名義での活動では、ドリュー・フルクやニコラス・ファーロンといった海外のプロデューサーの他、様々な国内外のミュージシャンとコライト体制で楽曲制作を行うようになっており、オルタナティヴ・メタルやメタルコア寄りの音源が増えている。これはHYDE曰く、前述の「RISE OR DIE」のレコーディングの経験から採り入れた手法だという」と述べている。そのため、1曲の制作に時間がかかる反面、ボツ曲が比較的少ないと語っている。 なお、hydeは音楽作りや作品制作の心構えについて「アーティストは、少し強気で、自分のアートを信じて突き進んでいかなければならないんだよ。そうしないと自分が楽しめないし、楽しんでないアーティストをファンも求めてない」と述べている。また、hydeは変化し続けることを是としており、2012年に発表した自叙伝の中で「初めて変化した時は、離れていく人もたくさん居るけど、その変化が良い物であれば、必ず新たなファンがつくと思うから。その新陳代謝が、色褪せない物にすると思うんだよね。変化しても、それが良い物であれば、嫌でも認めてしまう。だから、またその次に変化した時も愛してくれる。それが積み重なって、どんどん信頼へと繋がっていくんだ。そしていつか"このバンドはどう変化してもカッコいいんだ"ってなる。それって表面上ではなく、その人の本質が好きになったって事だと思うんだよね。だから、俺が言うのもなんだけど"L'Arc〜en〜Cielのアルバムは、次も絶対に買うよ"って言ってくれる人は、多分、信頼してくれてると思うんだ」と述べている。余談だが、hydeはライヴ・コンサートにおける観客の振舞いに関しても、より自由であることを望んでおり、2014年に受けたインタビューの中で「僕、コンサートやライヴってみんなが好き勝手に楽しめばいいと思ってるんですよ。よく見るような全員が同じ動きをしたりするのは僕的にはあんまりカッコいいものではなくて」と述べている。

◎ 音楽ルーツ・音楽的嗜好
主に1970年代後半から1980年代に隆盛だったニューウェイヴやニューロマンティック、シンセポップ、HR/HM、ハードコア、他には1990年代以降のオルタナティヴ・ロックやオルタナティヴ・メタルを好んで聴いている。 自身の音楽の原体験のひとつとして、小学生のころに出会ったオフコースやビリー・ジョエル。後年hydeは、当時について「この頃ぐらい音楽聴いたのは、僕はこの後無かった。それぐらい感性の礎を築いた重要な時期だった」と語っている。このジャンルによく該当されるアーティストでは、デペッシュ・モード、デュラン・デュラン、デッド・オア・アライヴ。そして、この頃のhydeはMTVや『ベストヒットUSA』といった番組だったり、地元の音楽喫茶を通じて新しい音楽を探していたといい。ちなみにhydeは、自身が中学生の頃に隆盛を迎えたアーティストでは前述のバンド以外に、ビリー・アイドル。また、hydeはデヴィッド・シルヴィアンについて「すべてが美意識の塊みたいで。当時の僕にとってデカダンスの始まりでした。 中学の終わりごろからは、ジューダス・プリーストやマイケル・シェンカー・グループ、メタリカ、モトリー・クルーやミスフィッツ。また、hydeは2015年に、モトリー・クルーのベーシストであるニッキー・シックスが主導するプロジェクト、シックス:エイ:エムとVAMPS主催のライヴイベントで共演を果たしている。余談だが、hyde曰く、初めてギターで弾けるようになった曲は、モトリー・クルーの楽曲「ルックス・ザット・キル」だったという。 なお、hydeは上記のようなハードな音楽以外に、前述のデヴィッド・シルヴィアンの他、スティング、スティーナ・ノルデンスタム」と述べている。なお、hydeがソロ名義で初めて発表したアルバム『ROENTGEN』は、これらのアーティストからの影響が色濃く反映されている。余談だが、hydeは1998年に、L'Arc〜en〜Cielとして出演した音楽バラエティ番組『LOVE LOVE あいしてる』において、ジョージ・マイケルがボーカルを務めたポップ・デュオ、ワムの楽曲「ケアレス・ウィスパー」をカバーセッションしている。 また、hydeは他に、ザ・キュアーやザ・スミス、ポリス、ドアーズ、U2といったアーティストを好んで聴いていた。ちなみにザ・キュアーやジョニー・マー(ザ・スミス)は、L'Arc〜en〜Cielのメンバーであるkenとtetsuyaも敬愛しているアーティストである。こういった背景もあってか、L'Arc〜en〜Cielが活動初期の頃に発表した作品の中には、これらから受けた影響を反映した楽曲が存在する。なお、後年kenは、バンド活動初期の頃に目指していた楽曲制作の方向性について「ザ・キュアーみたいな雰囲気でバッキングトラックを作ったらどうかとかがあった」と述べている。また、L'Arc〜en〜Cielの所属事務所の代表を務める大石征裕は、L'Arc〜en〜Cielと出会った頃を振り返り「(メンバー)4人ともザ・キュアーのようなUKロックをよく聞いていたと記憶しています」とリクエストされたことがあったという、ダイナソーJr.やビョーク、スリップノット、リンキン・パークやリンキン・パークの「ギヴィン・アップ」をカバーしたことがある。 2000年代・2010年代に登場したアーティストでは、サーティー・セカンズ・トゥ・マーズやセルドウェラー、サイラー」といい、1980年代に日本で流行したビートロックに関して「好みではなかった」と2002年に受けた音楽雑誌『ROCKIN'ON JAPAN』のインタビューの中で明かしているや井上陽水の楽曲「少年時代」、矢沢永吉の楽曲「時間よ止まれ」、aikoの楽曲「カブトムシ」をカバーしたり、hydeからのオファーでCHARAと共演しデュエットを行っている、カヒミ・カリィの楽曲「ハミングがきこえる」をあげたことがある) 1. ティアーズ・フォー・フィアーズ / Shout
2. ビリー・アイドル / Rabel Yell
3. INXS / Suicide Blonde
4. フィクス / Reach The Beach
5. フィクス / One Thing Leads To Another
6. ネイキッド・アイズ / Always Something There To Remind Me - 2018 Remaster
7. デュラン・デュラン / Union Of The Snake - 2010 Remaster
8. ポリス / King Of Pain
9. ポリス / Synchronicity Ⅰ
10. ポリス / Synchronicity Ⅱ
11. カジャグーグー / Hang on Now
12. カジャグーグー / Too Shy - 2004 Remaster
13. デュラン・デュラン / The Reflex
14. U2 / New Year's Day - Remastered 2008
15. メン・アット・ワーク / Who Can It Be Now?
16. ユーリズミックス / Sweet Dreams (Are Made Of This) - Remastered
17. カルチャー・クラブ / Mystery Boy (Suntori Hot Whiskey Song) - Remastered 2003
18. デペッシュ・モード / Master and Servant
19. デペッシュ・モード / People Are People HYDE LIVE 2020-2021 ANTI WIRE BGM [SONGS FROM HIGH SCHOOL DAYS  (Spotify) 1. ラット / Lay It Down
2. マイケル・シェンカー・グループ / Into the Arena - 2009 Remaster
3. メタリカ / One
4. スザンヌ・ヴェガ / Tom's Diner
5. スザンヌ・ヴェガ / Luka
6. スティング / Russians
7. デヴィッド・シルヴィアン / Pulling Punches
8. デヴィッド・シルヴィアン / Red Guitar
9. ジューダス・プリースト / Electric Eye
10. ジューダス・プリースト / The Hellion
11. FLATBACKER / ハード・ブロウ
12. FLATBACKER / AFFECT A SMILE
13. ストームトゥルーパーズ・オブ・デス / March of the S.O.D.
14. ストームトゥルーパーズ・オブ・デス / Sargent "D" and the S.O.D.
15. モトリー・クルー / In The Beginning
16. モトリー・クルー / Shout At The Devil
17. モトリー・クルー / Too Young To Fall In Love
18. モトリー・クルー / Live Wire
19. メタリカ / Fight Fire With Fire - Remastered
20. スレイヤー / Angel Of Death

● ソロアーティストとしての活動


◎ アーティスト名義
L'Arc〜en〜Cielとして活動しているときはhydeという小文字表記を使っているが、その他の活動時はHYDEという大文字表記にすることが多い。 ただし、HYDE自身は表記の区別に一切こだわりを持っておらず、2012年に発表した自叙伝で「L'Arc〜en〜Cielでは小文字で、ソロは大文字みたいになってるけど、本人はこだわってないんだ。だって俺のサインは"hyde"だしね。なんか気がついたらそうなってたって所だけど、今でもどうでも良くて、デザイン次第で変えていいと思ってる」と綴っている。

◎ 2001年 - 2002年:『ROENTGEN』
2001年に、hydeの希望もあり、L'Arc〜en〜Cielのメンバーそれぞれがソロ活動を開始するようになる。そしてHYDEは、これまで自身がバンドで手掛けてきた楽曲の方向性とは異なる、<静>をテーマとした音楽活動をソロ名義で始める。2001年10月17日に、自身が出演した「ユニクロ」のCMソングに使用された「evergreen」をソロ名義の1stCDシングルとして発売し、本格的に活動を始める。HYDEはソロ活動を始めた経緯について「子どもが大きくなって自分の部屋が欲しくなったような感じで、自分ひとりで音楽を作ってみたいっていう欲求が出てきたから。制作にはイギリスの音楽プロデューサーチームであるストック・エイトキン&ウォーターマンが主宰する音楽レーベル、PWLに在籍していたイアン・カーナウと、デイヴ・フォードの2名が共同編曲者として参加している。さらに、フリーダやテレンス・トレント・ダービーのアルバム制作に参加していたピート・グレニスター、デヴィッド・シルヴィアンのアルバム『ブリリアント・トゥリーズ』の制作に参加していたフィル・パーマーの他、クリス・ローレンスやピップ・ウィリアムズなどが招聘されている。なお、『ROENTGEN』ではアルバム全編にわたって弦楽器や生楽器を効果的にフィーチャーした楽曲制作が行われており、アンビエント色の強いムーディな世界観で仕上げられている。こういった背景から、この作品は自身初となるコンセプト・アルバムとして発表されることになった。バンドの頃に志向していた音楽性とは異なる方向で制作が進められたのは、HYDEが学生時代からL'Arc〜en〜Ciel活動初期の頃に好んで聴いていたデヴィッド・シルヴィアン」「バンドの方は例えば"夏に出すシングルだからこういう曲がいい"って作ったりするんですけど、今回はアルバムっていう目標を持って作ってる時点で僕からすると明らかに違う作り方だった、発売年の2002年にはほとんどライヴを行っていなかった。ただ、2002年4月7日にNHK総合テレビで放送された特別番組『ミッドナイトチャンネル - HYDEアンプラグド』では、同年3月19日に収録したグローリアチャペル品川教会の礼拝堂でのコンサートの模様が放送されている。このコンサートには富樫春生(ピアノ)と徳澤青弦(チェロ)がサポートとして参加しており、3人編成のアンプラグドスタイルで公演が行われている。なお、この公演はプロモーション企画的なものであり」と捉えているという。 <動>に方針を切り替えた後、HYDEはKen(L'Arc〜en〜Ciel)が在籍するロックバンド、SONS OF ALL PUSSYSが2003年4月27日から同年5月15日にかけて主宰したライヴツアー「BUBBLE FESTiVAL」に参加。このツアーでは、同年6月4日にリリースされる4thCDシングル「HELLO」を含めた、メロディアスなハード・ロックを意識し制作された未発表楽曲を初披露して各地をまわっている。そして同年11月6日には、映画『スカイハイ 劇場版』の主題歌に使用された5thCDシングル「HORIZON」を、同年12月3日には2ndアルバム『666』を発表した。アルバム制作には、ロックバンド、Oblivion DustのギタリストであるK.A.Zが共同プロデューサー兼ギターアドバイザーとして招聘されている。また、HYDEはこの作品で初めて本格的にギタリストとしてレコーディングを行っており、前作で見せた音楽性から一転し、ヘヴィなリフを多用したハードな路線に舵を切っている。なお、HYDE曰く、シンプルなフォーマットのバンドでライヴ演奏することを踏まえて楽曲制作を行っていたこともあり、この作品では一度録音した音の上に更に音を重ねるダビング作業を極力避けていたという。 この頃に開催したライヴは、HYDEがボーカルとギターを担当し、サポートメンバーとしてベーシストのHIROKI(ex.media youth、ex.KILLERS)と、ドラマーのFURUTON(ex.SPACE COWBOY、ex.Oblivion Dust、ex.BUG)の2名を招き、スリーピースバンドのスタイルで行われていた。なお、HYDEがライヴ全編を通してギターを担当することはL'Arc〜en〜Ciel結成以降初のことで、HYDEはライヴ終了後に受けたインタビューで「ギターを弾くので手一杯だった。多分凄い下手くそだったと思うんですけど、最初って。でもなんかすごい懐かしい感じがしましたね、高校生みたいな。また、翌2004年にはソロ名義で初のライヴツアー「2004 FIRST TOUR 666」を国内11都市で全21公演を開催。同年3月14日に行われた前記ツアーのZepp Sendai公演では、L'Arc〜en〜Cielの元ドラマーであるsakuraをゲストドラマーとして招き、L'Arc〜en〜Cielの楽曲「I'm so happy」を披露している。なお、このライヴツアーでは、前作『ROENTGEN』の収録曲のバンドアレンジバージョンの他、ビートルズの楽曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」や、ニルヴァーナの楽曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のカバーも披露されている。

◎ 2005年 - 2006年:『FAITH』
2004年5月からは活動を再開したL'Arc〜en〜Cielのツアーが始まり、以後1年間ほどバンド活動が続いたため、表立ったソロ活動は休止していた。L'Arc〜en〜Cielとしての活動が中心となっていた中、2005年8月31日に歌手の中島美嘉へ自身初の楽曲提供を行っている。提供した楽曲「GLAMOROUS SKY」(作詞:矢沢あい/作曲:HYDE)は映画『NANA』の主題歌に使用され、映画の大ヒットとともに大きな話題を呼んだ。なお、HYDEは同年8月26日に放送されたテレビ朝日系音楽番組『ミュージックステーション』に中島美嘉のバックバンドメンバーの一人として出演しているが、HYDEにとってこれがギタリストとして初の同番組への出演となった。 2005年10月5日に映画『ステルス』の日本語版主題歌に使用された「COUNTDOWN」を6thCDシングルとして発表することを皮切りに、ソロワークスを再開。このシングルの制作では、前作『666』で共同プロデューサーを務めたK.A.Z(Oblivion Dust)と引き続き共同で楽曲制作を行っているが、この作品からギタリストとしてもK.A.Zがレコーディングに参加するようになっている。 また、2005年10月29日から10月31日にかけて自身主宰によるハロウィンイベント「HALLOWEEN OF THE LIVING DEAD」を開催。このイベントには、主宰者であるHYDEの他にMONORAL、UVERworld、OLIVIA、HIGH and MIGHTY COLOR、中島美嘉、yasu(Acid Black Cherry、ex.Janne Da Arc)が出演している。なお、ハロウィンイベントは2008年に自身が結成したロックユニット、VAMPSの活動に引き継がれており、2017年までVAMPS主宰で毎年行われた。 2006年2月22日には、約4ヶ月ぶりに7thCDシングル「SEASON'S CALL」をリリース。このシングルまでにHYDEがソロ名義でリリースしたカバー音源以外の楽曲は、全てHYDEが作詞・作曲を行っていたが、今回初めて共同プロデューサー兼サポートギタリストのK.A.Zが作曲を担当している。そして同年4月26日に発表された3rdアルバム『FAITH』では、収録曲の半数の作曲をK.A.Zが手掛けることとなり、楽曲制作の体制が大きく変わっている。このような制作スタイルは、のちに結成するロックユニット、VAMPSの原型になっている。HYDEは、VAMPS結成直後に受けたインタビューで「いろいろなタイミング、要素が重なっているんですけど、実は前回のアルバム(アルバム『FAITH』)から、今やっているようなスタイルは出来上がっていたんですよ。ただ、今後もこれまでと同じように“HYDE”っていう名前でやるのは無理があった」と結成の経緯を語っている。 なお、アルバム『FAITH』は、L'Arc〜en〜Cielとして2005年に発表したアルバム『AWAKE』の世界観を引き継ぎ、反戦・平和といったテーマに加え、自身の宗教観を盛り込んだ作品に仕上げられている。また、アルバムレコーディングはほぼ全ての作業がアメリカで行われており、HYDEが好んで聴いていたザ・ミッション、ザ・カルトに在籍していたクレイグ・アダムスとスコット・ギャレットに加え、ナイン・インチ・ネイルズのツアーサポートをしていたダニー・ローナーが参加している他、エンジニアも現地で選定されている」というオファーを受け、globeのトリビュートに参加。他にもD'ERLANGERのトリビュート・アルバムや、MIYAVIのアルバムにゲストボーカルとして参加している。 2014年以降は、毎年冬季に北海道・富良野でディナーショー形式のコンサート「黒ミサ」をHYDE名義で定期開催している。このコンサートでは、ソロ名義で発表した楽曲の他、自身が在籍するL'Arc〜en〜CielあるいはVAMPSの楽曲、他アーティストのカバーをアコースティック・アレンジを施したうえで披露している。ちなみに2017年には、毎年恒例の富良野公演に加え、幕張メッセ 国際展示場4〜6ホールにおいて「HYDE Christmas Concert 2017 -黒ミサ TOKYO-」を開催。2018年には上海、北京、香港、クアラルンプール、台北の日本国外5都市にてコンサートツアー「HYDE ACOUSTIC CONCERT TOUR 2018 -黑ミサ ASIA-」が開催されている。

◎ 2018年 - 2019年:『ANTI』
VAMPSとしての活動を約10年間ほど続けた2017年12月1日、VAMPSを一時活動休止することが発表された。そして2018年3月には、同年6月からソロ名義のライヴツアー「HYDE LIVE 2018」を開催することを発表。再びライヴ活動を中心とした<動>のアプローチでソロ活動を展開し始める。なお、このツアーのサポートメンバーには、新たにPay money To my PainのPABLO(ギター)、MONORALのAli(ベース)、山縣亮(ドラムス)、かどしゅんたろう(ドラムス)、堀向彦輝(キーボード)らが流動的に参加しており、5人体制のバンドスタイルで日本7都市をまわっている。 2018年3月には、中島美嘉へ2度目の楽曲提供を行っている。中島とHYDEのタッグは2005年に発表された楽曲「GLAMOROUS SKY」以来約13年ぶりのことであり、提供曲「KISS OF DEATH」は、テレビアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』のオープニングテーマに使用されることとなった。 そして2018年6月27日には、ソロ単独名義として約12年ぶりとなる8thCDシングル「WHO'S GONNA SAVE US」をリリース。さらに上記ツアーと並行して、9thCDシングル「AFTER LIGHT」と10thCDシングル「FAKE DIVINE」を発表している。なお、前記3作のシングルは、フィジカルの発売に先駆けてダウンロード・ストリーミング配信が行われている。ちなみに、2018年以降に発表される新譜は、リスナーのリスニング環境を鑑みてか、翌年に発売するアルバムを含め、基本的に配信リリースを先行させている。また、同年8月には、前記のライヴツアーの東京公演にサポートアクトとして参加していたアメリカのロックバンド、スターセットとコラボレーションした楽曲「Monster feat. HYDE」を発表。同年10月にはYOSHIKI(X JAPAN)からのオファーを受け、テレビアニメ『進撃の巨人 Season3』のオープニングテーマに使用された楽曲「Red Swan」にボーカルとして参加する。ちなみに「Red Swan」は、2018年12月31日に放送された『第69回NHK紅白歌合戦』において、"YOSHIKI feat. HYDE"として披露されている。 なお、2018年から再開した活動では、VAMPSの頃から引き続き、ユニバーサルミュージック内のレーベル、Virgin Musicと契約している他、アメリカの大手マネジメントである10th Street Entertainment、そして世界最大のイベントプロモーターのひとつである「ライヴ・ネイション」と提携している。こういった背景もあり、2018年以降は海外のプロデューサーを招いた楽曲制作や、「ウェルカム・トゥ・ロックビル」などの海外フェスへの出演、海外ツアーの開催が頻繁に行われるようになっている。また、2018年には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018」「音楽と髭達2018」「氣志團万博2018」「ポルノ超特急2018」といった国内で開催されたロック・フェスティバルにも多数出演している。なお、2019年以降も日本国内のフェスに頻繁に出ており、これまでに「SUMMER SONIC」や「VIVA LA ROCK」「MONSTER baSH」「METROPOLITAN ROCK FESTIVAL」「ARABAKI ROCK FEST.」「男鹿ナマハゲロックフェスティバル」などに出演している。 2019年1月には、毎年冬季に北海道・富良野で行っていたディナーショー形式のコンサート「黒ミサ」を幕張メッセ イベントホールで開催。また、自身の誕生日となる同年1月29日には、地元の和歌山県にある和歌山ビッグホエールにてアコースティックコンサート「HYDE ACOUSTIC CONCERT 2019 黒ミサ BIRTHDAY WAKAYAMA」を開催する。そしてHYDEは、同年1月30日に行われた同コンサートの最終公演において、「和歌山市ふるさと観光大使」に就任することを公表しているをそれぞれ11thCDシングル、12thCDシングルとして発表。そして同年5月3日には、アメリカ13都市で行われるライヴツアー「HYDE LIVE 2019 US」に先立ち、ソロ単独名義として約13年ぶりとなる4thアルバム『anti』の全曲先行配信を開始する。配信開始から約1ヶ月後の同年6月19日には、アルバム『ANTI』のフィジカルを発売する。なお、同年5月13日付のオリコン週間デジタルアルバムチャートならびにBillboard JAPAN Download Albumsにおいて、ソロ名義で初の週間首位を獲得している。 アルバム『ANTI』のレコーディングでは、日本国外でツアーやイベント出演を控えていることを踏まえ、アメリカのフィルターを一度通す試みで、ドリュー・フルクやニコラス・ファーロンといった海外のプロデューサーや、マット・ブランディベリー(フロム・アッシュズ・トゥ・ニュー)をゲストに迎え、楽曲制作が行われている。また、ライヴサポートを務めるPABLO(Pay money To my Pain)や堀向彦輝の他、Sho(MY FIRST STORY)も制作に参加しており、オルタナティヴ・メタルやメタルコア寄りの楽曲がアルバムに集められることになった。なお、このアルバムでコライトを増やしたのは、HYDE曰く、VAMPSとして2016年にリヒャルト・Z・クルスペ(ラムシュタイン)と楽曲「RISE OR DIE」を共作したときに、自分と異なる制作手法に触れ、今まで抱いていた固定観念が崩れたことが一つのきっかけだったという。アメリカツアーおよび日本国内ツアー、さらにスターセットのライヴへのサポートアクト出演、ブリング・ミー・ザ・ホライズンの来日公演へのゲストアクト出演を経て、2019年12月に幕張メッセ 国際展示場4〜6ホールでライヴ「HYDE LIVE 2019 ANTI FINAL」を開催。なお、このライヴは、フロアでダイブやサークルモッシュが起こる盛り上がりとなり、『ANTI』プロジェクトのひとつの集大成に位置付けられる公演となった。ちなみにこの公演の模様は、ライヴビデオ『HYDE LIVE 2019 ANTI FINAL』に収録されている。

◎ 2020年 - 2021年:「BELIEVING IN MYSELF」、<動>から<静>への原点回帰
2020年1月には、新曲「BELIEVING IN MYSELF」の完成を発表。この曲は、東京都区部で開催されるマラソン大会「東京マラソン」のレースディレクターとの対談をきっかけに制作されたもので、同年の大会イメージソングに使用されることとなり、同年3月18日発売の13thCDシングル「BELIEVING IN MYSELF/INTERPLAY」に収められた。そして、HYDEは2020年1月から同年3月にかけて、L'Arc〜en〜Cielとしてライヴツアー「ARENA TOUR MMXX」を開催。このツアーの後に、ソロ単独名義でライヴハウスをまわるツアーなどが計画されていたが、同年1月末に日本国内で初感染が確認された新型コロナウイルスの蔓延の煽りを受け、バンド及びソロ名義で計画されていたツアーが中止の憂き目を見ることとなり、大幅な活動予定の変更を余儀なくされる。表立った音楽活動が止まる中で、HYDEは同年5月にチャリティーグッズを販売することを発表。グッズ収益を緊急支援募金として寄付することも合わせて告知する。 前述のコロナ蔓延により行動規制が敷かれる中、激しいライヴが思ったようにできない状況を逆手に取り、2020年9月に着席型のアコースティックライヴ「HYDE LIVE 2020 Jekyll & Hyde」を敢行。この公演では動画配信サービス、SHOWROOMを活用した自身初のライヴ有料配信を実施する。2020年12月からは、再びアルバムタイトル『ANTI』を冠したアコースティックライヴツアー「HYDE LIVE 2020-2021 ANTI WIRE」を開催。このツアーでは、アコースティックと銘打ちながら、重低音感を失わないようなロックサウンドと両立させた音作りが為されている。ちなみにHYDEは、このツアーの位置付けについて「「HYDE LIVE 2019 ANTI FINAL」の延長線」と突如発表する。この発表の経緯について、HYDEは公演後に受けたインタビューで、当時の日本のコロナ対応の状況を踏まえ「だったら2年後にやりたいと思っていたことを今やろうと気持ちを切り替えた。また、2021年7月31日・8月1日には京都・平安神宮の特設ステージで、オーケストラコンサート「20th Orchestra Concert 2021 HYDE HEIANJINGU」を開催。この公演で披露された楽曲の多くは、篳篥や龍笛、笙、羯鼓、大太鼓、鉦鼓、楽筝、楽琵琶の音色を使い、雅楽のテイストでリアレンジされている。さらにこの公演には、天理大学雅楽部の総監督である佐藤浩司と同部員の他、石笛奏者の横澤和也や能楽師の茂山逸平がゲストとして出演している。さらに、ステージは日本の重要文化財に指定されている大極殿をバックに設けられており、左右に聳える白虎楼と蒼龍楼も演出に合わせてライトアップされている。そしてこの公演では、プロジェクションマッピングも一つの見どころとなっており、「SMILING」を披露した際は屋根に雪が舞っては次第に積もっていく様を。ちなみにこの公演の模様は、2022年7月に発表されたライヴビデオボックス『HYDE 20th Anniversary ROENTGEN Concert 2021』に一部収録されている。

◎ 2022年 - 2025年:『HYDE[INSIDE]』:<静>から<動>への再転換
京都・平安神宮での公演を終えた後も、地元・和歌山と東京でオーケストラコンサートを開催し、<静>をテーマとした音源制作・コンサート活動を進めていた。そうした中で、HYDEは2022年4月に対バン形式のライヴツアー「HYDE LIVE 2022 RUMBLE FISH」を開催することを突如として発表する。 2023年1月には、前年に結成したロックバンド、THE LAST ROCKSTARSとして日本国内およびアメリカにて、全7公演から成るファーストツアーを開催。このツアーでは、コロナ禍で敷かれた規制を全て撤廃したうえでライヴが開催されることとなった。そして同年6月からは、ソロ名義でライヴツアー「HYDE LIVE 2023」を実施。Julian(MAKE MY DAY)が制作に参加した楽曲「TAKING THEM DOWN」と、EDMビートに妖しいメロディラインとメタリックなギターリフをのせた楽曲「6or9」の新曲2曲を披露しながら、日本6都市をまわり全18公演を開催する。なお、このツアーではツインギター構成に体制が変更されており、PABLOに加え、Julianもしくはザ・レゾナンス・プロジェクトのYas Nomura。 そして、2024年4月25日にHYDE専用アカウントで生放送されたニコニコチャンネル『HYDE CHANNEL』において、今夏に約5年ぶりとなる5thアルバム『HYDE[INSIDE]』をリリースすることを発表。これにあわせて前述のツアータイトルを「HYDE [INSIDE LIVE 2024」にすることも明かしている、前記のアルバムに収録される曲の他に、リンキン・パークの楽曲「ギヴィン・アップ」」と述べている。 上記ツアーを完遂し、2024年9月13日にアルバム『HYDE[INSIDE]』の全世界配信を開始。配信開始から約1ヶ月後の同年10月16日には、同アルバムのフィジカルを発売する。このアルバムを引っ提げ、同年10月から海外ツアー「HYDE [INSIDE LIVE 2024 WORLD TOUR」と、日本国内ツアー「HYDE [INSIDE LIVE 2024 -EXTRA-」を開催。翌2025年には、前年から引き続き日本国内と南米などをまわるライヴツアー「HYDE [INSIDE LIVE 2025 WORLD TOUR」を開催する予定。

● 参加ミュージシャン


◎ サポートメンバー
(※)太字はレコーディング作業にも参加したメンバー、星印は現在もライヴサポートを担当するメンバーを示す <静>としての活動
・ 2001年 - 2002年
 ・ Violoncello
  ・ 徳澤青弦(anonymass)
 ・ Piano
  ・ 富樫春生(梵鉾/Bom'Boco)
・ 2011年以降
 ・ Guitar
  ・ YUKI(Rayflower、DUSTAR-3)
  ・ 伊平友樹(ex.TRAMP) 他
 ・ Bass, Double Bass
  ・ 砂山淳一(ex.unsuspected monogram)  CD   AICL-3064~5
AICL-3066
  アルバム  2017年9月13日  D'ERLANGER TRIBUTE ALBUM〜Stairway to Heaven〜  Various Artists  D'ERLANGERの楽曲「LA VIE EN ROSE」をカバー  CD   WPCL-12767
  アルバム  2017年11月8日  SAMURAI SESSIONS vol.2  MIYAVI  収録曲「All My Life」にボーカルで参加  CD+DVD
CD   TYCT-69120
TYCT-60108
  シングル   2018年3月7日   KISS OF DEATH (Produced by HYDE)   中島美嘉   表題曲「KISS OF DEATH」の作詞・作曲・プロデュース及び、収録曲「GLAMOROUS SKY (Re:Present 2018)」の作曲・プロデュースを担当。テレビアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』オープニングテーマ   CD+DVD
CD   AICL-3494~5
AICL-3492〜3
AICL-3496
  アルバム   2018年8月10日   Vessels (Japan Version)   スターセット  表題曲「Monster feat. HYDE」にボーカルで参加   デジタル・ダウンロード   -
  シングル   2018年10月3日   Red Swan   YOSHIKI feat. HYDE  表題曲「Red Swan」にボーカルで参加。テレビアニメ『進撃の巨人 Season3 Part.1』オープニングテーマ   CD   PCCA-70532
PCCA-70533
  アルバム   2018年10月3日   音量を上げて聴けタコ 〜音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ オリジナルコンピレーションアルバム〜   Various Artists  収録曲「人類滅亡の歓び」の作曲を担当。映画『音量を上げろタコなに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ』主題歌   CD+DVD
CD   KSCL-3110~1
KSCL-3112
  シングル   2020年10月8日
2021年3月31日   BREAKING DAWN (Japanese Ver.) Produced by HYDE   ジェジュン  表題曲「BREAKING DAWN (Japanese Ver.)」の作詞・作曲・プロデュースを担当。テレビアニメ『NOBLESSE -ノブレス-』オープニングテーマ   デジタル・ダウンロード
CD+DVD
CD   JJKD-56~57
JJKD-58~59
JJKD-60
JJKD-61
  シングル   2025年4月5日
2025年6月11日   MAISIE   Cö shu Nie feat. HYDE  表題曲「MAISIE」の作詞・作曲・コーラスを担当。編曲は中村未来(Cö shu Nie)、歌唱・演奏はCö shu Nieが担当。テレビアニメ『黒執事 -緑の魔女編-』オープニングテーマ   デジタル・ダウンロード
CD   AICL-4763

○ 書籍

種別 発売日 タイトル ISBN 発行
  ライヴ写真集   2003年11月   HYDE 666 ROCK ROCK ROCK   ISBN 978-4-78-972120-2   ソニー・マガジンズ
  バンドスコア   2004年3月12日   OFFICIAL BAND SCORE「666」   ISBN 978-4-78-972206-3   ソニー・マガジンズ
  ライヴ写真集   2006年11月8日   HYDE FAITH 3rd SOLO PROJECT PHOTOGRAPHS   ISBN 978-4-83-561641-4   ぴあ
  バンドスコア   2007年3月31日   OFFICIAL BAND SCORE「FAITH」   ISBN 978-4-83-561660-5   ソニー・マガジンズ

「Hyde」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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