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田山 雅充(たやま まさみつ、1948年12月2日 -)は、日本のフォークシンガー・シンガーソングライター・作曲家。
● プロフィール
◎ 生い立ち
東京都目黒区出身。幼少時代、テレビドラマ(乙羽信子主演『ママちょっと来て』、『独眼竜政宗』他)、映画『モスラ』に子役で出演。子役になったのは、東宝児童劇団の新聞折込がきっかけであったが、同劇団は実際には東宝とは関係がなく『モスラ』の撮影後に遁走したため、田山にはギャラが支払われなかったという。
中学生の時から柔道を始め、大学生の時には柔道三段の段位をとっていた。柔道をしていた時は体重110kgの巨体だったが、歌手デビューした時には75kgに減っている。
高校生の時にエレキバンドを結成し、ドラムとボーカルを務める。若い頃、新しいドラムセットが欲しく、賞金目当てで、浜口庫之助が審査員を務めるフジテレビの「勝抜きのど自慢」に出演。自作の曲『夏の夕日』をギターの弾き語りで歌って3週勝ち抜き、賞金を獲得した。それが縁となり浜口に師事、作曲を学ぶ。その間、浜口が手がけたにしきのあきららに作品も提供した。
後に作詞家・千家和也の事務所に招かれ、演歌の作曲も手がけるようになる。おさだたいじに『妻あるあなたに』(1972年)という楽曲を提供する。
◎ 歌手デビュー
歌手デビューは1974年、コーラスグループ「赤い花」のメインボーカリストとして、当時の資生堂キャンペーンソング『赤い花みつけた』(ポール・ウィリアムズの作品の日本語訳詞曲)をキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)からリリース。そのB面の『今愛の中で』(中里綴・作詞)では作曲を手掛けた。またこのグループには新生五つの赤い風船メンバーでもある青木まり子も在籍。
その後、同じキャニオンレードより男女デュオ「たやまと夕子」でシングル『雨の交差点』、アルバム『暮れそで暮れない黄昏どきは』をリリース。このアルバムがCBSソニーの当時のディレクターだった酒井政利が注目。このアルバムに収録されていた曲『人恋しくて』が南沙織のシングル曲ともなり、この曲は1975年の第17回日本レコード大賞歌唱賞受賞曲となった。
田山自身のソロ・歌手としてのデビュー曲は、『春うらら』(1976年)に決定。この『春うらら』は当時数多くあった音楽祭(TBS『東京音楽祭』、文化放送『新宿音楽祭』、ニッポン放送『銀座音楽祭』、FM東京『FMリスナーズ・グランプリ』)の受賞曲に、それぞれ選出される。特にその当時TBSが主催していた「第5回東京音楽祭世界大会」では、「THE BEST JAPANESE ARTIST(外国審査員団賞)」を受賞した。
3枚目のシングル『愛することから始めてみませんか』は、この1976年当時TBSテレビで放送されていた「白い秘密」(田宮二郎主演、片平なぎさの女優転向第一作作品)の主題歌となった。
◎ 作曲家として
ほか田山は自ら作曲家として南沙織の『人恋しくて』、『気がむけば電話して』(1976年)を筆頭に、太田裕美・アグネスチャン・小林麻美・中森明菜・芹洋子・狩人・荒川務・塚田三喜夫など、沢山の歌手に作品が提供されることとなる。
また、作曲家としてTBSのアニメ番組「まんが日本絵巻」(1977年)の主題歌『なんじゃらもんじゃら』、NHKの音楽番組「歌はともだち」の主題歌『なにしてる』(田中星児)の他、NHK「おかあさんといっしょ」の童謡(「おおきなくちあけて」「わらいごえっていいな」「きめたきめた」「ムギューだいすき」など多数)も手掛けた。
TVのCM曲では武田薬品工業「アリナミンA」や阪急百貨店、亀田製菓など多数を手掛け、自ら歌った曲がオンエアされた。演劇・映画界においても、石橋蓮司・緑魔子率いる劇団「第7病棟」では、その前身である劇団「桜社」設立から現在に至るまで音楽プロデューサーを務め、同劇団の直近作の2000年公演「雨の塔」でも劇中歌など全曲を作曲・プロデュース。1970年には緑魔子主演・東陽一監督の映画「やさしいにっぽん人」(東プロ)の音楽を担当している。
◎ 歌手活動再開など
1977年には「NHKフォーク・フェスティバル」に“時代を象徴するミュージシャン4名”に選出され出演。共演はハイファイセット、大橋純子、松任谷由実。当日の模様はテレビ・FMでも放映された。また1976 - 1978年にかけては、ラジオ関東(現アール・エフ・ラジオ日本)の深夜番組「真夜中のコーヒーブレイク」のパーソナリティーを作詞家の中里綴と共に務めていた。また1981年1~3月の3か月間、NHK・クイズ番組「連想ゲーム」のレギュラー解答者(5枠)で出演していた時期もある。
しかし、その後、所属レコード会社制作サイド内での覇権争いの犠牲となり、制作の完成したアルバム発売が見送られたり、担当プロデューサーが刑事事件を起すなど不運が度重なった。結果、1980年代以降、表舞台では姿を見る機会が殆どなくなっていた。
そのような中でも、劇団第7病棟女優の田所陽子との“作詞(田所)作曲(田山)ユニット「HIP」”の自主制作アルバムをリリース(1989年)するなど、地道な創作活動は継続。引き続きNHK「おかあさんといっしょ」への作品提供も行われていた。
そして2004年、歌手活動再開を決意。旧友のミュージシャン濱田金吾(元クラフト)らの音楽的支援を受け、活動を再開。東京・名古屋・沖縄(石垣島)などで定期的にライブ活動を行っている。
2005年、そのライブ会場(第1回銀座モナリザライブ)で、田山は「春うらら」の作詞者である最首としみつと20数年振りに再会。それ以降、二人による新作がライブでも発表されている。その新作のひとつである「カラス」は青木まり子のニューアルバムにも収録されている。
◎ 現在
2015年より徳島県美馬市脇町の古民家に移住。近在のアマチュアミュージシャンに呼びかけ、当地の史跡「うだつの町並」で毎日曜日にストリートライブのプロデュースを開始。
自宅で妻が起業したシフォンケーキ店(焼菓子工房ムギュー)を手伝う傍ら、自らも作詞・作曲・ギター・ボーカル等を教える「シンガーソングライター・田山塾」を開講。一方で「チューリップ祭」「ひな祭り」「そばの花まつり」等の祭りや、市の観光交流センター開所式等、地域の催事に出演。
また「美馬フォークジャンボリー」「アエルワロビーコンサート」「パパラギライブ」等近隣ミュージシャン主催のライブに多数参加。2016年には熊本地震支援チャリティーの複数のイベントにも参加するなど精力的に活動を続けている。
● ディスコグラフィー
◎ シングル
キャニオンレコード
1976年2月26日
A-296
A
春うらら
最首としみつ
補:中里綴
田山雅充
船山基紀
B
お嫁に行くんだってね
中里綴
田山雅充
1976年6月
C-8
A
嗚呼
最首としみつ
田山雅充
船山基紀
B
小さな会話
中里綴
1976年10月25日
C-26
A
愛することから始めてみませんか
中里綴
田山雅充
船山基紀
B
淋しい夜だから
1977年7月
C-59
A
紅葉
中里綴
田山雅充
田山雅充
B
姫スイレン
松井忠重
1977年11月
C-75
A
夢うつつ
最首としみつ
田山雅充
松井忠重
B
冬枯れの街
中里綴
田山雅充
1978年9月
F-218
A
夜露
中里綴
田山雅充
船山基紀
B
1と1/2の人生
1979年5月
F-234
A
巡恋譜
中里綴
田山雅充
松井忠重
B
海
ワーナー・パイオニア
1982年9月
L-1609
A
てるてる坊主
中里綴
田山雅充
松井忠重
B
こぼれ松葉
吉田正美
◎ アルバム
1976年3月25日
LP
C-3066
風裸風裸-春うらら
※ 作曲・唄・田山雅充
A
1
春うらら
中里綴
田山雅充
2
写真
中里綴
船山基紀
3
この愛にすべてを
田山雅充
萩田光雄
4
お嫁にいくんだってね
中里綴
田山雅充
5
人恋しくて
中里綴
田山雅充
6
流れて行きたい
最首としみつ
馬飼野康二
B
1
ふらふら
中里綴
松井忠重
2
夏の終りに
中里綴
松井忠重
3
コーヒーブレイク
最首としみつ
田山雅充
4
深刻振るのはらしくない
中里綴
水谷公生
5
プロポーズ
中里綴
松井忠重
1990年10月21日
CD
PCCA-00153
1976年9月
LP
AF-6001
風裸風裸-嗚呼
※ 作曲・唄・田山雅充
A
1
アメリカンコーヒー
田山雅充
田山雅充
2
過去へは戻れない
中里綴
田山雅充
3
雨ふり
最首としみつ
船山基紀
4
古いアコーディオン
中里綴
田山雅充
5
二人だけの誓い
中里綴
田山雅充
6
ハッピーエンド
藤沢淳
田山雅充
B
1
鳴呼
最首としみつ
船山基紀
2
おとずれ
最首としみつ
田山雅充
3
三年目にきた別れ
中里綴
船山基紀
4
小さな会話
中里綴
船山基紀
5
女ってやつは
中里綴
田山雅充
6
愛の幕開け
中里綴
田山雅充
1977年5月
LP
AF-6017
紅葉-風裸風裸
※ 作曲・唄・田山雅充
A
1
今夜あたりは
中里綴
田山雅充
2
さよならの一言
中里綴
田山雅充
3
手まくら
中里綴
田山雅充
4
久し振り
中里綴
田山雅充
5
あなたは夕陽を見ましたか
中里綴
田山雅充
6
いつまでも
田山雅充
田山雅充
B
1
紅葉
中里綴
松井忠重
2
姫スイレン
中里綴
松井忠重
3
北に住む友へ
最首としみつ
松井忠重
4
桃の花酒
中里綴
松井忠重
5
モノローグ
中里綴
松井忠重
6
旅に出たい
中里綴
田山雅充
CD
自主制作
風に乗って・・・HIP
※ 作曲・唄・田山雅充
道標(みちしるべ)
あなたを求めて
心の綱
今
アネモネ
あたしは風よ
あるがままに
月夜
冬の蝶
告白
● 楽曲提供
・小野寺昭『燃えてるあいつ』
・中森明菜1stアルバム『プロローグ〈序幕〉』収録曲2曲(1982年)「Tシャツ・サンセット」「A型メランコリー」
・南沙織『人恋しくて』(1975年)、『気がむけば電話して/ふりむいた朝』(1976年)※すべて作曲のみ
・太田裕美 アルバム『12ページの詩集』(1976年)、収録曲「失くした耳飾り」※作曲
● 俳優
◎ 映画
・モスラ(1961年/東宝) - 中條信二
◎ テレビドラマ
・ ママちょっと来て(1959年 - 1963年、日本テレビ)
・ 独眼竜参上(1960年 - 1962年、日本テレビ)
「田山雅充」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2023年6月7日7時(日本時間)現在での最新版を取得



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