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谷口雅洋


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谷口 雅彦(たにぐち まさひこ、1967年5月27日 -)は日本の写真家、アートプロデューサー。日本近現代写真研究家。

● 人物
谷口雅彦写真アーカイブ室代表 。ART PROJECT【完全写真化計画】主宰。3.11を忘れない写真家の会代表。近現代写真発掘活用プロジェクト代表。写真師中鉢直綱研究室代表、旭川市民活動団体あさひかわ写真アーカイブ研究会顧問。 北海道旭川市生まれ。AB型。VIVOの写真家丹野章、細江英公に師事。 写真家細江英公氏主宰の写真ワークショップ「CORPUS(コルプス)」(東京目黒・土方巽記念アスベスト館・からだの学校)第二期修了。 舞踏家土方巽の著『病める舞姫』を底本に、土方ゆかりの舞踏家(「大野慶人・和栗由紀夫・小林嵯峨・山本萌・白榊ケイ」)をモデルに秋田の風土を背景に写真を撮り(「病める舞姫完全写真化計画」アサヒグループ芸術文化財団助成)、写真展(秋田県立美術館・国際交流基金ロサンゼルス文化センター)・写真集(『土方巽原作「病める舞姫」東北歌舞伎計画秋田公演』 」NPO土方巽記念秋田舞踏会刊)で発表。(2017年-2019年) アメリカの写真家ウィリアム・クラインが写真集『東京』(1964年刊)で撮影した舞踏祖土方巽らの当時の行われた日本初の街中屋外でのパフォーマンス写真を、現代のダンサーと写真家でライブで再現してみる彫刻実験的身体行為に写真家ウイリアム・クライン役として参加。元ダムタイプのダンサー川口隆夫、舞踏家上杉満代らと共演(東京・寺田倉庫・NPO法人ダンスアーカイヴ構想)。(2017年12月) 肖像写真、ドキュメンタリー写真、舞踏家や身体表現者とのSessionでの写真作品に定評がある。国内外で展覧会多数。 2023年5月から「あさひかわ新聞」(株式会社北のまち新聞社)にて「谷口雅彦の写真の話」を連載中。 2021年、第13号より、旭川の詩誌『フラジャイル』の表紙写真を担当している。 ホラー作家の平山夢明氏のエッセイ(「どうかと思うが面白い」など)などに「谷やん」として時折登場している。 株式会社東京ドーム代表取締役専務執行役員及び、株式会社東京ドームホテル取締役(非常勤)・弁護士、インハウスローヤーの谷口好幸は従兄。 社団法人N.G.S.ジャパン代表の谷口多美江は従姉。 株式会社ワタミタクショクの創業者、元株式会社タクショクの園田義夫は母方の従叔父。 ENKENや縁顕名義で、メディアやアートイベントのプロデュースを行う。 毎日新聞ニュース写真1989年度賞特選(毎日新聞社 1989年) 日本写真家協会(JPS)展入選(日本写真家協会 1994年) 旭川市文化奨励賞(旭川市 2022年) 旭川ななかまど文化賞(旭川ななかまど文化賞協議会 2024年 第47回)谷口雅彦写真アーカイブ室代表、あさひかわ写真アーカイブ研究会顧問として受賞。 第18回調布映画祭ショートフィルム・コンペディション本審査員。(2015年) 一般社団法人日本写真学会正会員。 一般社団法人日本写真芸術学会学生会員。 現在、京都芸術大学通信教育部芸術学部芸術教養学科に在学中。 2013年から、青森県八戸市在住の写真家高田幸枝とユニット527を結成。 2017年から、音楽家寺岡大悟と写真家のユニット[SHAOSHA ON](シャオシャオン)のメンバー。

● 来歴

・ 1967年 - 北海道旭川市春光町(旧二区六条)(矢ヶ崎病院にて出生)生まれ。
・ 1970年 - (3歳)初めて写真を撮る(母の笑顔・現存)(旭川市緑町18丁目)。
・ 1977年1月26日 - (9歳)自らオリンパスペンを購入、写真を撮り始める。
・ 1980年 - (12歳)初めてモノクロフィルムの自家現像をする。
・ 1980年 - 同級生の友人と「天文知識研究会」を結成。会誌「アステロイド」。
・ 1981年 - (13歳)初めてカラーネガフイルム自家現像とプリントをする。
・ 1981年7月31日。自宅前で天体望遠鏡【ビクセン・ポラリス8M】に一眼レフを装着し、部分日食の観測&約200枚の写真撮影をする。
・ 1983年 - 「天文知識研究会」を発展的解散し、新たに「天文情報同好会」を結成。会誌「ぶらっくほぉる」。
・ 1984年 - 高校の修学旅行で韓国へ。北海道の高校としては史上初めての海外修学旅行第1期生となる。
・ 1985年9月 - 中高の同級生で同人誌『幻像(イリュージョン)』を発刊。写真作品、詩、エッセイ、評論などを発表する。1987年 - 8号で終刊。
・ 1986年3月 - 旭川実業高等学校機械科(のち電子機械科)を卒業。在学中に国家資格・ボイラー技士(二級)、危険物取扱者(丙種)、ガス溶接作業者を取得している。
・ 1986年 - 大学進学のため上京。国士舘短期大学国文科に在籍。中世文学を専攻。卒論は「平家物語と義経記の描写比較と義経伝説について」
・ 1988年4月 - 日本ジャーナリスト専門学校メディア研究科入学。写真部に入部。
・ 1988年7月から9月にかけて、日本一周の旅を決行。東京から北上、故郷旭川から日本海沿い南下、富山県の総本家に初めて訪問。その後、鳥取県まで南下したあと、瀬戸内に移動、姫路市を経て、岡山で瀬戸大橋を渡り、香川県、愛媛県を経て宇和島からフェリーで大分佐伯で九州に渡り、別府、臼杵、都城を経て鹿児島へ。熊本、長崎、佐賀、福岡を経て、本州山口へ。広島、姫路を経て、名古屋、東京。69日間の旅を経験する。
・ 1988年 - 友人の通う写真専門学校に潜り込み、写真家丹野章の授業を聴講。その日に見つかり、以降、丹野の内弟子になる(丹野が亡くなる2015年まで続く)。
・ 1988年 - NHK教育テレビ『土曜倶楽部』にて、体験隊として2回出演(体験保父さん・体験ケーブルTV番組作り)。いとうせいこう、笑福亭鶴瓶、えのきどいちろう、山崎哲、夏目房之介らと共演。
・ 1989年 - 日本ジャーナリスト専門学校メディア研究科卒業。在学時、写真家樋口健二、ジャーナリスト猪野健治、映画監督千野皓司、評論家丸山邦男らに学ぶ。
・ 1989年-1992年 - 東京世田谷の営業写真館(フォトスタジオ)株式会社フォートサービスでサラリーマンを経験。
・ 1990年 - 「昭和天皇大喪の礼」のスクープ写真で、毎日新聞ニュース写真1989年度賞特選を受賞。
・ 1991年 - 短大、専門学校の友人たちと同人誌『PROOF(プルーフ)』を創刊。翌年 - 2号で終刊。この頃、『PROOF』同人らと、東京・新宿御苑のビプランシアターに出入りし、太田プロダクション、吉本興業などの若手お笑い芸人らと知り合い、舞台写真、宣材写真を担当する。
・ 1992年 - 舞踏家土方巽記念アスベスト館で行われていた[からだの学校](校長・大野一雄)の写真教室【CORPUS】第2期に参加(写真家細江英公主宰)、細江に学ぶ。第3期から第7期まで【CORPUS】の助手を務める。講師で来られた写真家倉田精二、須田一政と出会う。舞踏家の大野一雄、大野慶人、元藤燁子、和栗由紀夫に出会い、以後、舞踏家、ストリッパーなど、身体表現者たちをモチーフに写真作品を、写真展、写真集、カメラ誌で発表する。1992年からフリーランスの写真家となる。
・ 1993年 - 写真教室【CORPUS】第5期生の6人、佐々木六介、細渕太麻紀、菊地美紀、西岡浩記、笠井爾示、大井慶子の写真集団CUM-ADMIXに途中加入。
・ 1994年 - 誕生日が同じ3人の写真家(菊地美紀1967年5月27日生、村瀬太加夫1969年5月27日生、谷口雅彦1967年5月27日生)で写真家ユニット527を結成、コピー紙のみで写真展を開催[コピーでlet's527(1996 東京)]したり、国際的なアートイベントに参加して、青山通りに面したビルに5メートルの写真壁画を制作展示[KISS DE 527(1996 東京)]する。9回の展覧会を開催して1998年解散。
・ 1994年8月 - 日本一周の旅(2回目)を決行。北は北海道稚内、南は鹿児島指宿まで。
・ 1995年 - 雑誌『自由時間』(マガジンハウス)の特集「写真家荒木経惟が選ぶ20代の写真家15人」に作品が掲載される。
・ 1995年 - デザイン事務所マッチアンドカンパニーのアートディレクター町口覚氏が同時代の写真家40人を選んで制作した写真集『40+1 PHOTOGRAPHERS PIN-UP』(印刷・図書印刷 500部限定)に参加。
・ 1995年秋 - 阪神淡路大震災の現場を1週間かけて、4×5サイズのカメラで300カットを撮影して回る。淡路島北淡町も含む。
・ 1996年 - 劇団・指輪ホテル(主宰・羊屋白玉)の法政大学大講堂で行われた公演の幕間で、出演女優たち21人を撮影した写真スライドムービー[指輪にホレテルショウを上映。
・ 1997年から2003年まで、オリエンタル写真工業株式会社(のちに株式会社サイバーグラフィックス社)との協力で、銀塩写真ならびに印画紙普及のための、展覧会やイベントなどを計画。このことがきっかけで、以前から興味があった日本近現代写真史研究を本格的に始める。
・ 1997年から2001年 - 写真の町・東川町と自身の故郷旭川を拠点に、若手写真家を中心とした写真イベント[写真タワープロジェクト](1997年)、[PHOTO DIMENSION](1999年 - 2000年)のプロデュース(協賛・オリエンタル写真工業株式会社)や写真誌『PHOTO PRE』(窓社)の創刊参画などを経験(2002年-2003年)。
・ 1998年 - 北海道東川町・文化ギャラリー第1・第2展示場にて自身の写真人生20年を記念する写真展[二十年記77/98を開催。展示点数800枚。
・ 1998年~1999年 - 月刊情報誌『さっぽろタウン情報』にて「谷口雅彦写真日記」を連載。全6回。
・ 1998年 - 渡米しサンフランシスコとバークレーに約1か月滞在。バークレーでは舞踏家の玉野黄市宅に世話になり、当時、玉野がサンフランシスコで経営していた寿司屋のネタの仕入れを手伝ったりした。
・ 1999年 - 2000年と、沖縄県与那国島に滞在。地元の土葬で行われる葬儀を体験、カルチャーショックを受ける。
・ 2002年 - 約3年かけて、ストリップ及びストリップ劇場について実際に何が行われているか、芸の数々を中心に知られざるその世界を写真家として解説、レポートした本を執筆。『裸女の秘技絢爛絵巻 ストリップはいま』(河出書房新社・文庫)を上梓。現在では失われた秘芸やしきたりなどを写真と共にアーカイブしている。
・ 2002年 - 谷口雅彦写真集『日々の旅 1993-2002』(ワイズ出版写真叢書15)(編集・大田通貴 装丁・原耕一)を上梓。
・ 2004年 - コニカミノルタ(東京・新宿)で写真展開催記念にZINE『稚児と大仏』を出版。(装幀・原耕一、編集・蒼穹舎大田通貴)
・ 2005年秋 - mixiコミュニティ【yOUR pARTy (ユアパ)】(主宰・寮母)の運営に参画。「あなたも今日は主役」と東京都内のクラブを活動拠点に、引きこもり系アーティストとのコンタクトを試みる。撮影会や作品審査委員長などを担当。~2012年まで。
・ 2006年-2008年 - 国立ファーム有限会社(創業・高橋がなり)で農業契約生産者のポスター写真を担当する。飲食店「農家の台所」(立川・新宿・恵比寿)で写真展示。
・ 2007年 - 北海道深川市・アートホール東洲館(深川市営)にて、自身の写真人生30年を記念する写真展[からだについての写真表現を開催。同時に、旭川市内のギャラリーで、写真展[光彼方へ‐Digitalからの誘い‐を開催する。
・ 2007年 - 谷口雅彦写真アーカイブ室を設立。(北海道旭川市)
・ 2008年以降、いわゆるファインアートだけでなく、北方謙三、今井絵美子、平山夢明、山本一力、堂場瞬一、鳥羽亮などの小説家や角川春樹、石井輝男などの文化人、アスリートの肖像写真、全国の原子力発電所のある町や未解決事件の現場を追ったドキュメンタリー写真、最新作『オーラ? キルリアン写真の世界』(双葉社)といったサイエンス写真、また女性誌やWEBの広告写真、ムック本の口絵写真なども手がけている。
・ 2008年-2009年 - 電子雑誌「FIST」(ソフトバンククリエイティブ株式会社・現SBクリエイティブ株式会社)のグラビア写真を担当、定期連載する。
・ 2009年-2010年 - TVCM[山田養蜂場]に取材写真家役で出演。BS朝日系[ちい散歩]放送時間内で繰り返し放送される。
・ 2010年 - 川崎登戸にある自身のアトリエにて[四畳半アートフェスティバル](主催:二〇八号展示室)を開催。アトリエ解体の2015年まで14回開催。
・ 2010年5月17日 - ソフトバンクUSTREAM(ユーストリーム)スタジオ渋谷で谷口が参加しているmixiコミュニティ[yOUR pARTy (ユアパ)が、一般枠初の生配信をするに伴い、配信当日 - 動画の撮影と出演をする。ゲスト・写真家山内道雄。翌朝、NHK『おはよう日本』番組内で、「ネット生中継 個人が放送局に 1年で利用が4倍に」というタイトルで数回ニュース報道される。
・ 2011年 - 東日本大震災を受けて、「WONDEFUL PHOTO to PEACE 写真で復興プロジェクト」を立ち上げ、共同代表となる。有志の写真家17人で被災前の被災地の写真だけを集めた写真展を開催。のちに「3.11を忘れない写真家の会」と改称。代表となる。東北を中心に巡回展を開催。現在も継続中。
・ 2011年-2012年 - 母の生まれた中国・大連に4度にわたり訪問。太平洋戦争後、初めて日本人に解放されて間もない旅順を訪ね、二○三高地から旅順港を眺める。
・ 2012年 - 全国の原子力発電所のある町をレポートした写真集『沈黙と饒舌と 原発のある町』を出版。編集は、白夜書房編集者でエッセイストの末井昭。
・ 2013年 - 青森県八戸市在住の写真家高田幸枝と[ユニット527を結成。
・ 2014年6月10日 京都・西本願寺にて帰敬式を受ける。第二十五代門主、釋専如(大谷光淳)から法名・釋縁顕(しゃくえんけん)をいただく。
・ 2014年11月 - 俳優高倉健の死去を、中国四川省・成都の新聞『成都商報』からの依頼で、詳細取材、配信。中国本土での第1報となる。北京放送が紙面を用いてニュース番組で報道する。
・ 2015年4月 - YouTubeに[チャンネル527]を開設。以降、東北や熊本の被災地取材の状況や、数々の試みを見せるメディアとして機能させる。
・ 2015年‐2016年 - 画家、現代美術家、アートライターらとアートプロジェクト[登戸宿河原完全写真化計画]を決行。町(登戸・宿河原)をフィールドワークし、シネマリテラシーを取り入れたドラマ『登戸宿河原完全写真化計画』を制作(総合監督)。同時に、同タイトルの展覧会を開催。また登戸駅前の解体予定の旧秋葉ビルで、地域住民に向けてドラマ全編を上映する[シネマ527](旧秋葉ビル2階)を2日間に渡り開催。同時に、純喫茶「十字路」があった1階では、谷口自ら撮影の多摩川の桜を撮った写真展『光、彼方へ sakura of 7 minutes』と3階では、1995年から2007年まで撮影した『登戸1995-2007』を展示。
・ 2015年 - 第18回調布映画祭ショートフィルム・コンペディション本審査員を務める(映画評論家・柳下毅一郎、映画監督・井口奈己と共に)。
・ 2015年 - 沖縄県久高島に1週間滞在。数々の電子機器が故障してしまう。
・ 2015年10月1日 - 自身の[オフィスMaP]内に「谷口雅彦企画室」を設立。
・ 2016年1月1日 - アトリエ兼事務所を神奈川県の登戸から都内世田谷区経堂に移転。それに伴い、[オフィスMaPから[オフィス527に屋号を改称。谷口、アシスタント2人、ライター1人の4人体制での運営になる。
・ 2017年1月1日 - [谷口雅彦企画室を[オフィス527を統括する形で[スぺクターズカンパニーに改称し新たに設立、[オフィス527の代表をアシスタントNに任せる。
・ 2017年 - 谷口雅彦写真人生40年記念写真全集出版プロジェクトを開始。(全10冊)
・ 2017年3月23日 - AbemaTV freshに[チャンネル527]を開設。この日 - プレ配信をする。(出演・えんけんこと谷口雅彦、寺岡大悟・ゲスト中津宗一郎)
・ 2017年4月6日 - AbemaTV fresh[チャンネル527]配信スタート。新番組[まるみつ](えんけんこと谷口雅彦・寺岡大悟) 。
・ 2017年 - 浅草東洋館(旧浅草フランス座)にて「ストリップ70周年記念イベント 裸と笑いの殿堂・フランス座を語る会」に参画。初代浅草駒太夫、青空球児、ビートきよしのベテラン師匠らと共にストリップを撮り続けている写真家として登壇。
・ 2017年6月‐10月 - 土方巽生誕90年記念企画[病める舞姫完全写真化計画]に参画(助成:アサヒグループ芸術文化財団)、土方巽ゆかりの世界的舞踏家を被写体に全撮

「谷口雅彦」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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