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高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 -)は、日本の政治活動家、教育学者。一般財団法人親学推進協会理事長、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長、明星大学教授・同大学院教育学専攻主任、麗澤大学道徳科学教育センター客員教授などを歴任。専攻は占領下の日本教育史。その他にも「感性教育」、臨床教育学、ホリスティック教育学、「親学」などを研究している。
● 経歴
兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。旧姓は土橋。兵庫県立龍野高等学校を経て1973年3月、早稲田大学第一文学部人文専修卒業。早稲田大学在学中、生長の家学生会全国総連合(生学連)委員長を務め、生学連のOB組織である「日本青年協議会」に参加。
1974年11月、日本青年協議会は、教科書を作成し、教育理論家や活動家の拠点校を増やすことなどを目的とする下部組織「日本教育研究所」を設立。高橋が事務局長に就いた。生学連女子学生対策局長だった高橋こずえと結婚し、高橋姓となった。
1978年3月、早稲田大学大学院文学研究科教育学専攻修士課程修了。高校講師となる。学校を休み、同年10月3日に日本武道館で行われた「元号法制化実現国民会議」の総決起国民大会に出席し、参加者2万人を代表して大会決議文を朗読した。その後、スタンフォード大学フーヴァー戦争・革命・平和研究所研究員となった。
1980年11月、明星大学人文学部専任講師。1984年4月、人文学部助教授。1990年4月、人文学部教授。1995年4月玉川大学大学院講師兼任。2016年4月、明星大学教育学部特別教授。
・ 1984年9月6日、高橋は統一教会の機関紙「世界日報」で教育勅語失効に異論を唱えた。
・ 統一教会の関連団体「世界平和教授アカデミー」の機関紙『知識』1990年6月号に高橋は寄稿した。
・ 統一教会の関連団体「世界平和教授アカデミー」の機関紙『知識』1991年10月号に高橋は寄稿した。
・ 統一教会の関連団体「世界平和教授アカデミー」の機関紙『知識』1992年1月号に高橋は寄稿した。
・ 2016年8月23日、新興宗教「幸福の科学」の関連団体「ひまわりJAPAN」が主催する講演会「このままでいいのか、日本!」で、高橋は徳永信一や杉田水脈らと講演をした。講演会の会場はニューヨークにある統一教会が所有するビルだった。
・ 2017年7月6日、高橋は再び、「ひまわりJAPAN」が主催する講演会「このままでいいのか、日本!2017」で、高橋はモラロジー研究所研究員の山岡鉄秀らと講演をした。講演会の会場は上記の統一教会が所有するビルだった。
・ 2018年3月25日、統一教会の関連団体「アジアと日本の平和と安全を守る山梨県フォーラム」などが主催し、統一教会の関連団体「平和大使協議会」が後援した特別教育講演会「戦後秘史〜日本人洗脳計画がもたらしたもの」で、高橋は講演した。宮川典子と堀内詔子がこの特別教育講演会に祝電を送った。第3回地方議員研修会を呼びかけた「全国地方議員連絡会議世話人会」は統一協会関連団体だった。議員が支払う研修会費の振込先が、統一教会の関連団体である「平和大使協議会」スズキ ヒロオ となっており、スズキとは、平和大使協議会の会長、鈴木博雄のことだった。
・ 2018年12月14日、高橋は旧統一教会関連の保守系のワシントンタイムズ紙の姉妹紙、日刊紙「世界日報」の読者でつくる世日クラブの定期講演会で、「教育再生の根本問題」と題し講演した。
・ 2019年7月30日、国際勝共連合鳥取県本部代表の森谷司米子市議が事務局の鳥取県家庭教育支援条例推進委員会が主催した「家庭教育の必要性について」勉強会で、高橋は講師を務めた。
・ 高橋は子ども家庭庁の名称について、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の関連の保守系の日刊紙の月刊雑誌の「Viewpoint」で〈家庭を視野に入れた「こども家庭庁」であるべきだろう〉などと主張していた。
・ 高橋は、「生長の家」の関連団体「日本青年協議会」の一員である。
・ 新興宗教「生長の家」の関連団体「日本協議会」の機関紙『祖国と青年』1975年11月号に、高橋は寄稿した。
・ 『祖国と青年』1976年10月号に、高橋の詠んだ和歌が掲載された。
・ 『祖国と青年』1977年4月号に、高橋は寄稿した。
・ 『祖国と青年』1977年7月号に、高橋の詠んだ和歌が掲載された。
・ 『祖国と青年』1978年5月号に、高橋は寄稿した。
・ 『祖国と青年』1977年7月号に、高橋の詠んだ和歌が掲載された。
・ 1978年10月3日、「生長の家」や統一教会の関連団体「国際勝共連合」等が共催したイベント「元号法制化実現総決起国民大会」で、高橋は学生服姿で大会決議文を読み上げた(詳細は「元号法制化実現国民会議」を参照)。
・ 『祖国と青年』1980年5月号に、高橋は寄稿した。
・ 『祖国と青年』1980年7月号に、高橋は寄稿した。
・ 『祖国と青年』1981年3月号に、高橋は寄稿した。
・ 『祖国と青年』1984年2月号に、高橋の詠んだ和歌が掲載された。
・ 『祖国と青年』1985年2月号に、高橋の詠んだ和歌が掲載された。
・ 『祖国と青年』1989年4月号に、高橋は寄稿した。
・ 『祖国と青年』1991年5月号に、高橋は寄稿した。
・ 『祖国と青年』1991年5月号に、高橋のインタビュー記事「学校でひそかに進む"性教育”の実態 『性の解放』をめざす推進派の独壇場を許すな」が掲載された。聞き手は『祖国と青年』編集部だった。このシンポジウムのコーディネーターは全国教育問題協議会会長の中尾建三だった。
・ 同年、「生長の家」の関連団体「仙台祖青の会」が主催した講演会で高橋は講演した。
・ 『祖国と青年』1993年3月号に、高橋は寄稿した。
・ 高橋は、「生長の家」の関連団体「日本教育研究所」が製作した定価1万8000円の「先生と父兄のための性教育ビデオ〈60分〉どうする?エイズ性教育」の監修を務めた。このビデオの広告が『祖国と青年』1994年1月号に掲載された。
・ 1999年8月24日、高橋は『祖国と青年』編集長の田中和子、アサヒビール名誉顧問の中條高徳らとともに、靖国神社崇敬奉賛会が主催したシンポジウム「生きるということ―英霊のみこころに学ぶ―」で講演した。講演の様子は『祖国と青年』1999年10月号に掲載された。セミナーの様子は『祖国と青年』2000年9月号に掲載された。
・ 2000年9月30日、高橋は『祖国と青年』編集長の田中和子、俳優の今井雅之とともに、靖国神社崇敬奉賛会が主催した第2回公開シンポジウム「生きるということ―特攻隊と戦後の僕ら―」でトークセッションを行なった。講演の様子は『祖国と青年』2000年9月号に掲載された。この本の著者・森虎雄は明星大学大学院の高橋史朗ゼミの卒業生だった。
・ 2016年8月23日、「幸福の科学」の関連団体「ひまわりJAPAN」が主催する講演会「このままでいいのか、日本!」で、高橋は徳永信一や杉田水脈らと講演をした。
・ 魚住昭によると、高橋は昭和中後期の冷戦下、反共路線をとっていた頃の宗教団体「生長の家」で、学生運動をしていた。
● 主張
◎ 米国の日本占領政策
米国の戦後の日本占領政策について、米国が「日本が二度と立ち上がれないような政策」を行ったとしており、それがその後の日本人の「自虐意識」を育てることになったと主張している。
◎ 子どもの権利批准条約
1990年に「『子どもの権利条約』批准・署名運動には慎重な対応を」という記事を『改革者』(政策研究フォーラム)に寄稿した。
◎ 教育・男女共同参画
高橋の論文は日本青年協議会機関誌『祖国と青年』に数多く残っており、1975年11月号の『無国籍歴史教育・その問題点』では「日教組が明確な『階級史観』に立脚し、低劣な『善玉悪玉論』で徹底した『革命教育』をしているのは明らか」と主張。1977年には「日本教育研究所」事務局長として「若者の凄惨な爆弾闘争は、歴史の中における一体感を身につけなかった悲劇」「天皇―国家―自己の生命を貫いている根源的な価値に目覚めさせることが最も本質的な課題」と座談会で述べた。
1996年12月2日、藤岡信勝、西尾幹二らが中心となって「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)の結成記者会見が開かれる。西尾は「この度、検定を通過した7社の中学教科書は、証拠不十分のまま従軍慰安婦の強制連行説をいっせいに採用した」との声明を発表。声明文に藤岡、西尾、高橋、小林よしのり、坂本多加雄、深田祐介、山本夏彦、阿川佐和子、林真理子の計9人が呼びかけ人として名を連ねた。
2006年の教育基本法改正に奔走した。
◎ 親学
現在家庭の教育力が低下・崩壊の危機に瀕していると考え、まず親が子育ての方法を学ぶという「親学」の概念を提唱している。児童の発達障害は治療可能であると主張している。高橋の助言により、大阪市において大阪維新の会が、「家庭教育支援条例」案に親学を盛り込む条文を検討、作成している。この条例案は、医師や発達障害児の保護者から、内容が「学術的根拠がない」「偏見を増幅する」との批判を受け、維新の会代表である大阪市長橋下徹も、批判に同調しつつ条例案に否定的なコメントを述べたため、維新の会大阪市議団はいったん謝罪、その後、この条例案を撤回した。
◎ 憲法
「『美しい日本人の心』を支えてきたのが、親心と孝心(子が親を思う心)、すなわち『家族の絆』であった」として、「GHQから押し付けられた」日本国憲法第24条を「なんとしても改正するか創設すべき条項」に挙げている。
● 活動
◎ 埼玉県教育委員
2004年12月に埼玉県知事上田清司に招聘され、埼玉県教育委員会の教育委員に任命された。高橋は「新しい歴史教科書をつくる会」の役員、扶桑社版教科書監修者でもあったため、特定の教科書の関係者が教育委員という教科書採択に関わる立場につくことは不適切だなどとして、教職員組合、日本共産党などが抗議した。
2007年10月25日、埼玉県教育委員長に選出された(任期は2007年10月26日より1年間)。2008年10月に再任されたが、教育委員の任期切れに伴い同年12月26日付で退任した
◎ 男女共同参画会議委員
2013年3月27日、フェミニスト関係者の「mネット・民法改正情報ネットワーク」などのとらが、男女共同参画会議議員に高橋が就任したことに対して、フェミニスト団体から「高橋氏はジェンダーへのバッシングの急先鋒(せんぽう)として知られ、男女共同参画会議議員として極めて不適格」とした抗議文を会議議長の菅義偉内閣官房長官(当時)に提出した。。
◎ その他
・ 1996年には、選択的夫婦別姓制度導入に反対する「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」の呼びかけ人を務めた。
・ 独自の「脳科学」を論拠に講演や出版を行っている。
● 役職
・ 内閣府男女共同参画会議委員
・ 東京都男女平等参画審議会委員
・ 親学協会理事長
・ やすくに活世塾初代塾長
・ 一般財団法人親学推進協会理事長
・ 「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議 家族・地域の再生分科会委員(政府委嘱)
「高橋史朗」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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