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CAROL(キャロル)は、1970年代に活動した日本のロックバンド。1972年に結成し同年デビュー、1975年解散。

● メンバー

◇矢沢永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 -) :ベース・ボーカル担当でバンドのリーダー。広島県広島市出身。 :多くの作曲を手掛けた。
◇ジョニー大倉(ジョニー おおくら、1952年9月3日 - 2014年11月19日) :サイドギター・ボーカル担当。神奈川県川崎市出身。
◇内海利勝(うちうみ としかつ、1953年5月30日 -) :リードギター・ボーカル担当。神奈川県鎌倉市出身。 :解散後はイギリスのレゲエバンドThe Cimaronsとのコラボレーションでアルバムを発表。いち早くレゲエのリズムを取り入れるなど意欲的で「たわごと」「鏡の中の俺」がヒットした。原田芳雄のバックバンドのギタリストを務めたこともある。 :2012年には矢沢のデビュー40周年記念公演にゲスト参加しており、現在もblues file No.1やソロで活動している。
◇ユウ岡崎(ユウ おかざき、1951年12月14日 -) :ドラムス担当。東京都豊島区出身。 :キャロルのデビュー前はいくつかのアマチュアバンドやセミプロバンドで活動していた。初顔合わせの時、メンバーに「YOUたちなんかやってるのは、アレでしょ。ロッケンロールでしょ?」と言ったことから芸名が「ユウ岡崎」となった。

◎ 元メンバー

◇ 今井英雄(いまい ひでお) :ドラムス担当。結成からデビュー前まで在籍。後に吉野大作バンドに参加。 :※現在、ネット上で広く語られている「今井茂利(茂淑の誤変換と思われる)」は、神無月、ハート・オブ・サタデイ・ナイト、初期のダンガンブラザースなどのバンドに在籍した別のドラマーであって、キャロルとは無関係の人物である。
◇ 相原誠(あいはら まこと) :ドラムス担当。ユウ岡崎が2ndシングルを録音後に離脱したため、代わって正式メンバーとして加入した。3rdシングルの「やりきれない気持ち / ホープ」、1stアルバム「ルイジアンナ」収録の「ホープ」(シングルと同じバージョン)、「ワンナイト」を担当。その数ヵ月後に岡崎が復帰した為、入れ替わりで脱退となった。後にダウン・タウン・ブギウギ・バンドに参加。 :2020年4月13日、虚血性心不全のため逝去(68歳没)。
◇ 猿山(サミー)幸夫 :サイドギター担当。元乱魔堂ベーシスト。 :ジョニー大倉が失踪中であった1974年初頭の2ヶ月弱のみ在籍。後に大倉のバックバンド「ジョニー&ダーリン」にベーシストとして参加。

● 経歴


◎ アマチュア期
1972年4月、矢沢永吉が川崎駅近くのイトウ楽器店に自ら書いた貼り紙で募集をかけ、ジョニー大倉、内海利勝、今井英雄と矢沢の4人で。貼り紙の文句は、「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム」だった。当時はフォークがメジャーシーンに浮上しはじめ、ディスコはバタバタ倒れて、ロックンロールを演奏できる場所がなくなっていった時期だった。ジョニー大倉が矢沢に電話して京急川崎駅で待ち合わせたが、矢沢は当時吉田拓郎みたいな肩まで伸びた長い髪で、ジョニーのリーゼントを笑ったという。近くの喫茶店で2~3時間話をしたが、その頃から矢沢は「ビッグになるために俺は広島から出て来た」と言っていたという和田アキ子が友情出演している。 ミッキーのアイデアで「ルイジアンナ」でデビュー以降、異例の毎月一枚のシングルをリリース。その他のレコードも平均10万枚を売り上げ、コンサートはどこも満員だった。3枚目のシングル「やりきれない気持ち / ホープ」のレコーディング終了後、岡崎が仮釈放されたため、スタッフと矢沢は相原をクビにして岡崎をメンバーに戻した。 『ぎんざNOW』(TBS)の総合プロデューサー・青柳脩がキャロルの不良っぽさの虜になり、1973年初頭から翌1974年にかけて、『ぎんざNOW』木曜日に16回以上出演。『リブ・ヤング』の熱演で、週刊誌も大きく取り上げ、篠山紀信、山本寛斎、龍村仁ら、業界人や若いクリエーター、地方のイベンターたちも会場に集まった、篠山は『リブ・ヤング』出演時からキャロルをマークし、キャロルを被写体としてフォト・セッションを続け、その作品はディスクジャケットや宣伝用写真として用いられた他、『週刊プレイボーイ』が毎週グラビアに掲載。キャロルのビジュアル・イメージ作りに一役買った。当時キャロルのメンバーはライブの前に大量に酒を飲みステージに上がった。「第1回ロックンロール・カーニバル」では、初の大舞台ということもあって、高ぶった感情を抑えようとメンバー全員で楽屋で大酒を煽り彼らの影響もあって音楽的な幅を広げることになる。 --> マスメディアのインタビューでは、矢沢が挑発的に喋りまくり、あとの三人は難しい顔をして黙るという戦略をとった。 1973年6月25日にリリースした7枚目のシングル「ファンキー・モンキー・ベイビー」は、当時のロックバンドとしては異例の30万枚を売り上げ。 この事件は、キャロルがひとつのロックンロールバンドを超えて、社会現象として1つの色に塗り替えた。 この頃からキャロルのコンサートは軒並みソールドアウトとなり、パニック状態となる。キャロルのスタイルに呼応して暴走族がコンサート会場に集まって集会を行い、当時ドラッグに依存する生活ぶりで破綻をきたしていたこともあり、1973年11月23日~1974年2月中旬まで行方不明となった。発見されたのは川崎の精神病院だった。そのこともあり、矢沢のバンド内での影響力がさらに増す。暫くは3人での活動を進め、ジョニーを待ち、探したが出て来なかったので新メンバー・サミーを加えて活動した(その後ジョニーが復帰)。この時点でバンドはほぼ崩壊状態に陥っていた。 1974年8月ワンステップフェスティバル出演、15日の大トリを務めた。

◎ 解散・その後
、1975年4月13日、日比谷野外音楽堂で解散。3千人収容の会場に7千人がつめかけた。解散ライブでは、特殊効果用の爆竹200発が雨で暴発し、火がセットに燃え移り。この解散ライブは「ロックのメッカ」としての、その後多くの「野音伝説」を生むきっかけとなった。解散ライブのテレビ放映は、同年7月12日にTBSテレビ『特番ぎんざNOW』という番組で1時間枠が組まれ「グッバイ・キャロル」というタイトルで放送された。日本のロックバンドのライブ映像がテレビ放送されたのは、これが最初ともいわれる、2003年当時、インターネット・オークションにキャロルの海賊盤や偽造商品が横行し。 ジョニー大倉はソロ活動の傍ら、俳優としても活躍していたが、2014年11月19日、肺炎により死去。2012年には矢沢のライブに出演し、37年ぶりの競演を実現させた。 ユウ岡崎は現在『C's Graffiti Japanese Rock'n Roll Band』で活動している。

● 音楽性


◎ ロックマーケットの開拓
1970年代前半、吉田拓郎、かぐや姫などの活躍で興隆するフォーク勢とは対照的に、マイナーな存在に甘んじていた日本のロックシーンにとって一筋の光明となったのがキャロルだった。それまでのロック・リスナーのメイン層はハイティーンで、ヒッピー風の長髪にジーパン姿がロック・ファッションの定番であったが。GSブーム以来、久々に女性ファンの凄まじい矯声と失神騒ぎも復活させた。 この時代、他のロックバンドの多くが、同時代の英米のロックバンドを模して、技巧重視の音楽を展開したことに対して、キャロルは初期ビートルズを模範としてシンプルなロックンロールを志向したことが大きな特徴といえる。当時の日本のロックは英米の新しい動向を意識した流れであったため。当時日本でロックバンドをやろうという人なら、誰もがビートルズは聴いてはいたが、1970年に解散したビートルズの音楽をもはや最先端の音楽とは思ってはなく、さらに1960年初頭のハンブルク時代のアメリカのロックン・ロールなどのカヴァーをやっていた頃のビートルズに着目する人がいるなんて誰も考えもしなかった>、オールディーズの要素をノリのいい8ビートで、日本的に分かりやすく解釈して見せた。

◎ 日本語ロックの確立

○ ソングライティング
ジョニーと矢沢の作詞・作曲コンビは、ビートルズのレノン=マッカートニーに例えられた。ジョニーの個性と矢沢のメロディアスでビートのある曲とのマッチングにより、洋楽ロックンロールの単なる模倣とも違う不思議なオリジナリティを生み出した、まだ日本語オリジナルのロックは一般的でなかった、日本語ロックの流れを決定的にしたのがキャロルだった。大友康平は と述べている。 売野雅勇は などと述べている。 「日本語はロックのリズムに乗らない」といわれてきて。意味よりも語感を重視した日本語と英語のチャンポン詞は、さらに日本語を英語風に発音する矢沢の唱法で一種独特な和製ロックソングへと昇華されているが、この手法の考案こそが後のJ-POP隆盛へと至る発火点であるとも論じられる。これらは1950年代から1960年代にかけてロカビリーの頃に全盛を迎えたが、みゆき族の時代に入るとアイビー的なファッションが主流となり、またビートルズの出現でヘアスタイルの革命が起こると、リーゼントは「終わった」といっていいところまで追いやられ、普通の若者のやることではなくなってしまった。当時日本のロックミュージシャンは、外国のハードロック/プログレのミュージシャンの影響で、みな長髪だった。若者向けのテレビ番組『リブ・ヤング』出演一発で人気が爆発した点も、ビジュアル面での高さを物語り、J-POPの未来を先取りしていたといえる。こうしたキャロルのファッションは、メンバーの行きつけだった新宿のライブハウス「怪人二十面相」を中心に話題となり、その後原宿を中心に一世を風靡したロックンロールファッションの先駆けとなった。「怪人二十面相」は、のち原宿にクリームソーダ王国を築く山崎眞行が最初に手掛けた店でキャロルが一度スペシャル・ライブ(1974年3月6日)を行ったことで当時最先端のライブハウスになった。1970年代にリーゼント、革ジャン、バイクで、"不良=ロックンロール"イメージを定着させたのは、キャロルと矢沢永吉である。

◎ オールディーズの普及
当時、アメリカとか英国では、"ロックンロール・リバイバル"(Rock and roll revival)が叫ばれていたが、日本で形として現したのはキャロルが最初。キャロルのファーストアルバム『ルイジアンナ』(1973年3月25日発売)に収録された「ジョニー・B.グッド」は、ロックンロールのスタンダード・ナンバーであるが、当時はまだ、日本で知られていなかった。キャロルがライブで当時この曲を演奏すると、キャロルのオリジナル曲と思った人が多かった。キャロルの演奏によって「ジョニー・B.グッド」は日本で最もメジャーなロックンロールとなった。2008年頃から言われ始めた「ヤンキー力」「ヤンキーパワー」の解説に於いて、キャロルはその歴史の始まりに持ってこられる場合が多い。『フライデーダイナマイト』のヤンキー特集「ヤンキー40年史年表」では、「1972年、ロックバンド・キャロルがデビュー。リーゼントの若者が急増」という記述からヤンキーの歴史が始まっている。それまで不良の形は様々なものだったが、キャロルの登場によってイメージは統一化された篠山紀信の撮った写真にメンバーがリーゼント、革ジャンでバイクに乗った物があり、それを真似る若者が増えたため。彼らが暴走行為を始めたため、「キャロルが"暴走族"という言葉を作った」、 などとジョニーは話している。 キャロルの人気が出ると暴走族が護衛やステージサイドのガードをした。但し、有名な日比谷野音でのキャロル解散ライブに於けるクールスの護衛は、ローリング・ストーンズがヘルズ・エンジェルスを親衛隊にしてコンサートを行なったことに影響されて、矢沢が舘ひろしに同じような演出をしたいと持ちかけたものである。 キャロルの舞台にはいつも暴力的な雰囲気が付きまとい、群がってくるファンの中にも、どことなくそれを期待する雰囲気があった。そんな時代の申し子のように、キャロルの音楽やファッションは若者の心を虜にした。コンサートに集まる若者の半分以上が若い男の子であったが、彼らの鬱積した肉体のエネルギーは、キャロルの演奏によって挑発された。リーゼント・スタイルのオートバイ族とロック・ファンの長髪族とがケンカして、重傷者3名、軽傷者8名を出した。

◎ 影響
1973年2月28日、「ロックンロール・カーニバル」に出演したキャロルを会場で観たNHKディレクター・龍村仁(当時)がキャロルに取り憑かれ、彼らに帯同してカメラを回しドキュメンタリー『キャロル』を制作した。しかし放映の是非を巡ってNHK上層部と揉め、最終的に龍村と実質の製作者といわれた小野耕世がNHKを解雇された。当時は『ヤング・ミュージック・ショー』など、外国のロックがようやく放送される時代になってはいたものの、NHKではロックに対してまだ保守的な姿勢を崩していなかった。この事件は、三大新聞をはじめ、多くのマスコミに取り上げられ社会問題に発展したが。ロックバンドが映像から入っていくといった手法で売り出されるというのも当時は珍しかった。宇崎はこの一年の差に悩まされ、宇崎らも最初は皮ジャンを着ていたが、やむなく皮ジャンでないものを探して、たまたま「つなぎ」にいったという~氣志團らに至るツッパリ系ロックン・ロールバンドのルーツである。 キャロルの影響を受けたミュージシャン、クリエーターは数多いが、ミュージシャンでは、大友康平、高橋ジョージ、氷室京介、藤井フミヤ。藤井と横山は、少年期に初めてキャロルを観て、藤井「心をレイプされた」、横山「矢沢永吉が龍に見えた」などと大きな衝撃を受けたと話している。藤井は2003年に全曲キャロルの楽曲をカバーしたアルバム『MY CAROL』をリリースし。ダイアモンド☆ユカイは矢沢の自伝タイトルをパロった著書『成りさがり』に、埼玉出身なのに、キャロルをまねてわざわざ川崎まで行ってバンドメンバーを探したという件がある。土屋公平は中学生の頃にキャロルのラストライブに足を運び、会場で舘ひろしにインタビューされている(その時の映像は未だに動画サイト等で公開されている)。

● ディスコグラフィー
※ レコードは、すべて日本フォノグラム/フィリップスより発売。

◎ シングル
※ すべて7インチレコードで発売。
   1st    1972年12月20日    FS-1732  A  ルイジアンナ    大倉洋一    矢沢永吉
 B  最後の恋人
   2nd    1973年1月25日    FS-1733  A  ヘイ・タクシー    大倉洋一    矢沢永吉
 B  恋の救急車
   3rd    1973年2月25日    FS-1736  A  やりきれない気持ち    大倉洋一    矢沢永吉
 B  ホープ
   4th    1973年3月25日    FS-1741  A  レディ・セブンティーン    大倉洋一    矢沢永吉
 B  愛の叫び
   5th    1973年4月25日    FS-1741  A  彼女は彼のもの    大倉洋一    矢沢永吉
 B  憎いあの娘
   6th    1973年5月25日    FS-1747  A  0時5分の最終列車    大倉洋一    矢沢永吉
 B  二人だけ
   7th    1973年6月25日    FS-1752  A  ファンキー・モンキー・ベイビー    大倉洋一    矢沢永吉
 B  コーヒー・ショップの女の娘
   8th    1974年2月5日    FS-1755  A  涙のテディ・ボーイ    大倉洋一    矢沢永吉
 B  番格ロックのテーマ
   9th    1974年7月25日    FS-1797  A  夏の終り    矢沢永吉
 B  泣いてるあの娘    内海利勝
   10th    1974年12月20日    FS-1807  A  ラストチャンス/Last Chanse    大倉洋一    矢沢永吉
 B  変わりえぬ愛/Unchained My Love

○ 再発売シングル

・ ルイジアンナ/涙のテディー・ボーイ/ファンキー・モンキー・ベイビー/番格ロックのテーマ (1975.3.25)
・ ラストチャンス/やりきれない気持ち/夏の終わり/レディ・セブンティーン (1975.4.25)
・ ルイジアンナ/ホープ/ミスターギブソン (1975.11.25)
・ ヘイ・タクシー/いとしのダーリン/番格ロックのテーマ (1975.11.25)
・ ファンキー・モンキー・ベイビー/コーヒー・ショップの女の娘/ジョニー・B・グッド (1975.11.25)
・ ハニー・エンジェル/憎いあの娘/恋する涙 (1975.11.25)
・ レディ・セブンティーン/恋の救急車/ハニー・エンジェル (1975.11.25)
・ 涙のテディ・ボーイ/愛の叫び/彼女は彼のもの (1975.11.25)
・ 涙のテディ・ボーイ/彼女は彼のもの (1976.4.25)
・ 夏の終わり/ラストチャンス (1976.4.25)
・ やりきれない気持ち/0時5分の最終列車 (1976.4.25)
・ ルイジアンナ/ヘイ・タクシー (1976.4.25)
・ ファンキー・モンキー・ベイビー/レディ・セブンティーン (1976.4.25)
・ ファンキー・モンキー・ベイビー/ルイジアンナ (1979.7.25)
・ 夏の終わり/涙のテディー・ボーイ (1979.8.25)
・ ファンキー・モンキー・ベイビー/ルイジアンナ (1979.11.25)

◎ アルバム

○ スタジオ・アルバム

   1st  1973年3月25日  LP  FX-8056    ルイジアンナ ※「ホープ」「ワン・ナイト」のドラムは相原誠。「やりきれない気持ち」は『GOOD-BYE CAROL』収録バージョンと同じ演奏なので今井英雄と思われる。その他はユウ岡崎。 A面 ルイジアンナ ヘイ・タクシー やりきれない気持(アルバムバージョン) ホープ 恋の救急車 最後の恋人 B面 グッド・オールド・ロックン・ロール メンフィス・テネシー ワン・ナイト トゥティー・フルティー ジョニー・B・グッド カンサス・シティー
 1975年5月15日  LP  FX-6010
   LP  S-7044
 1992年11月26日  CD  PHCL-3027
   2nd  1973年7月25日  LP  FX-8066    ファンキー・モンキー・ベイビー A面 ファンキー・モンキー・ベイビー 憎いあの娘 レディ・セブンティーン コーヒー・ショップの女の娘 恋する涙 二人だけ B面 愛の叫び ハニー・エンジェル いとしのダーリン 彼女は彼のもの ミスター・ギブソン 0時5分の最終列車
 1975年5月15日  LP  FX-6011
   LP  S-7045
 1992年11月26日  CD  PHCL-3028
   3rd  1974年7月25日  LP  FX-8095    キャロル・ファースト A面 CAROL(子供達に夢を) ヘイ・ママ・ロックン・ロール 夢の中だけ 素敵な天使 カモン・ベイビー 甘い日々  B面 ズッコケ娘 ふられた男 娘(クーニャン) ビブロス・ピープル 雨のしずく 悪魔の贈り物 CAROL(子供達に夢を)
 1975年5月15日  LP  FX-6013
   LP  S-7047
 1992年11月26日  CD  PHCL3030

○ ライブ・アルバム

   1st  1973年12月20日  LP  FX-8081    ライブ・イン“リブ・ヤング” ※ 1973年10月23日にフジテレビ第一スタジオにて収録。 A面 ヘイ・タクシー 最後の恋人 レディ・セブンティーン コーヒー・ショップの女の娘 憎いあの娘 ファンキー・モンキー・ベイビー B面 彼女は彼のもの やりきれない気持 愛の叫び ルイジアンナ 恋の救急車 ジョニー・B・グッド
 1975年5月15日  LP  FX-6012
   LP  S-7046
 1973年12月20日  カセット  LCT-20020    ライブ・イン“リブ・ヤング” ※ LPレコードとは収録内容が異なる。 A面 ヘイ・タクシー 最後の恋人 レディ・セブンティーン コーヒー・ショップの女の娘 憎いあの娘 彼女は彼のもの やりきれない気持 愛の叫び 恋の救急車 ファンキー・モンキー・ベイビー B面 ルイジアンナ グッド・オールド・ロックン・ロール スロー・ダウン メンフィス・テネシー ユーブ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー ヒッピー・ヒッピー・シェイク トゥティー・フルティー ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイング・オン ジョニー・B・グッド
 1975年5月15日  カセット  FT-7077
 1992年11月26日  CD  PHCL-3029  ライブ・イン“リブ・ヤング” ※ 既発LP盤のCD化。 ヘイ・タクシー 最後の恋人 レディ・セブンティーン コーヒー・ショップの女の娘 憎いあの娘 ファンキー・モンキー・ベイビー 彼女は彼のもの やりきれない気持 愛の叫び ルイジアンナ 恋の救急車 ジョニー・B・グッド
   2nd  1975年5月15日  LP  FS-9001~2    燃えつきる - キャロル・ラスト・ライヴ 1975.4.13. ※ 1975年4月13日、東京日比谷野外音楽堂での解散コンサートを収録。 A面 ファンキー・モンキー・ベイビー 憎いあの娘 グッド・オールド・ロックン・ロール メンフィス・テネシー 涙のテディ・ボーイ やりきれない気持 変わり得ぬ愛 ビブロス・ピープル ユーブ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー(fade out)  B面 ユーブ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー(fade in) 愛の叫び ヘイ・ママ・ロックン・ロール ヘイ・タクシー   C面 夏の終り (ゲスト紹介) ジョニー・B・グッド ズッコケ娘~スロー・ダウン ルイジアンナ  D面 エニタイム・ウーマン ファンキー・モンキー・ベイビー ラスト・チャンス
   LP  FS-5105~6
 1985年  LP  15PL4~5
 1992年11月26日  CD  PHCL-3031  燃えつきる - キャロル・ラスト・ライヴ 1975.4.13. ファンキー・モンキー・ベイビー 憎いあの娘 グッド・オールド・ロックン・ロール メンフィス・テネシー 涙のテディ・ボーイ やりきれない気持 変わり得ぬ愛   ビブロス・ピープル ユーブ・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー 愛の叫び ヘイ・ママ・ロックン・ロール   ヘイ・タクシー 夏の終り (ゲスト紹介) ジョニー・B・グッド ズッコケ娘~スロー・ダウン ルイジアンナ  エニタイム・ウーマン ファンキー・モンキー・ベイビー ラスト・チャンス

◇再発売アルバム
・ 『アプローズ・デラックス・パック』 (日本フォノグラム/フィリップス、1973年11月25日)
 ・ 1stアルバムと2ndアルバムの全ての音源を合わせたもの。「やりきれない気持ち」のみシングルバージョンで収録。LP2枚組のBOX仕様。
・ 『アーリー・キャロル』 (日本フォノグラム/フィリップス、1975年9月25日)
 ・ 上記『アプローズ・デラックス・パック』を更に再発売したもの。LP2枚組。BOX仕様ではない。
◇コンピレーション・アルバム
・ 『キャロル・ゴールデン・ヒット』(日本フォノグラム/フィリップス 20Y-3 1974年12月25日 20曲)
 ・ ジャケットの英語表記はHITSだが帯の日本語表記はヒット。「やりきれない気持ち」はシングルバージョン。
・ 『GOOD-BYE CAROL』(日本フォノグラム/フィリップス 20Y-9 1975年4月5日)
 ・ 最後のスタジオ録音音源の「緊急電話」を初収録し、他にデモカセット音源、英語テイク、日大講堂でのライヴ音源(B面3~6)等を収録したドキュメンタリーアルバム。
・ 『キャロルとディスコ・パーティー』(日本フォノグラム/フィリップス、1976年3月5日)
 ・ B面はクック・ニック&チャッキー、つのだ・ひろ、ミッドナイト・スーパー。
・ 『キャロル・ゴールデン・ヒット・マークII』(日本フォノグラム/フィリップス 20Y-16 1976年5月25日 20曲)
 ・ ジャケットの英語表記はHITSだが帯の日本語表記はヒット。「グッド・オールド・ロックン・ロール」「トゥティー・フルティー」「ワン・ナイト」の3曲はオリジナルと別テイク。
・ 『INTRODUCING CAROL』(日本フォノグラム/フィリップス 1977年6月10日)
 ・ プロモーション用音源を流用。「やりきれない気持」「恋の救急車」はオリジナルとは別ミックス。B面は音楽業界者のインタビュー。
・ 『キャロル・ゴールデン・ヒット』(日本フォノグラム/フィリップス 1978年6月25日 16曲)
 ・ 1974年にリリースした『キャロル・ゴールデン・ヒット』から「ミスター・ギブソン」「コーヒー・ショップの女の娘」「最後の恋人」「二人だけ」の4曲をカット、ジャケットも変えて再発。ジャケットの英語表記はHITSだが帯の日本語表記はヒット。
・ 『キャロル・ゴールデン・ヒッツ・マークII』(日本フォノグラム/フィリップス 1978年10月25日 16曲)
 ・ 1976年にリリースした『キャロル・ゴールデン・ヒット・マークII』から「ふられた男」「トゥティ・フルティー」「甘い日々」「雨のしずく」の4曲をカット、ジャケットも変えて再発。「グッド・オールド・ロックン・ロール」「トゥティー・フルティー」「ワン・ナイト」の3曲はオリジナルと別テイク。
・ 『ラスト・チャンス ~キャロル・レア・トラックス』(日本フォノグラム/フィリップス PHCL-3032 CD 1992年11月26日)
 ・ オリジナルアルバムに未収録だったシングルテイク(1~6)に、最後のスタジオ録音「緊急電話」(7)、更に1973年リリースのライブ盤でカセット盤のみに収録だった音源(8~14)を1枚に収録。
・ 『THE★BEST』(ユニバーサルJ、UMCK-4048、CD、2003年1月31日)

◎ カバーアルバム

・ 『TEN YEARS AGO』(矢沢永吉、1985年) - セルフカバーアルバム
・ 『朝まで踊ろう悲しきテディ・ボーイ』(Mi-Ke、1992年)
・ 『MY CAROL』(藤井フミヤ、2003年)
・ 『CAROL TRIBUTE』(オムニバス、2003年)

● 映像作品


◎ ビデオ

 1984年3月19日  日本フォノグラム  VHS  PV13-1  47分    燃えつきる キャロル・ラスト・ライブ
・ TV放送された「グッドバイ・キャロル」から編集され、「涙のテディー・ボーイ」「やりきれない気持ち」を追加収録。
・ 演奏曲の音源をモノラルからステレオに差し替え。
・ メンバー4人と観客へのインタビューは1部カットされ、クールスの舘ひろしへのインタビュー(モノローグも含む)は全カット。 二人だけ (BGM) ルイジアンナ ファンキー・モンキー・ベイビー ズッコケ娘 憎いあの娘 グッド・オールド・ロックン・ロール ヘイ・ママ・ロックン・ロール 愛の叫び メンフィス・テネシー ヘイ・タクシー ハニー・エンジェル (BGM) スローダウン 涙のテディ・ボーイ やりきれない気持 エニタイム・ウーマン ファンキー・モンキー・ベイビー エデンの東 (BGM) ファンキー・モンキー・ベイビー<ボーナストラック:テレビ神奈川『ヤング・インパルス』> 憎いあの娘<ボーナストラック:テレビ神奈川『ヤング・インパルス』>
 1984年4月13日  ミュージック東京  LD  78L-1  47分
 1990年6月5日  日本フォノグラム  LD  PHLL-3801  47分
 1995年4月5日  マーキュリー・ミュージックエンタテインメント  VHS  PHVL-2501  47分
 2003年1月22日  ユニバーサルミュージック  DVD  UMBK-1524  52分
 2004年6月23日  Kitty Mercury  DVD  UMBK-9542  52分


◎ テレビ出演

・リブ・ヤング(1972年10月1日、フジテレビ)- テレビ初出演。
・私の作った番組 赤塚不二夫の激情No.1(1973年1月25日、東京12チャンネル)
・ NHKドキュメント キャロル(1973年10月20日、NHK 監督:龍村仁)
・ 夜明けの刑事(1974年10月9日、TBS)- 第2話「キャロル知らないやつはおくれてる」ゲスト出演
・ 特番 ぎんざNOW グッドバイ・キャロル(1975年7月12日、TBS)
 ・放送前は本編約51分だったが、TBS側の指示により約47分に編集された。
 ・技術:パビック、プロデューサー:小谷章・村木益雄、ディレクター:佐藤輝雄、制作協力:TELL DIRECTOR'S FAMILY

● 書籍及び楽譜

・ CAROL バイオグラフィー&バンドスコアー / キャロル(1973年5月、東京音楽書院、TOS-K-0168)- 全掲載写真撮影:篠山紀信


● 映画

・ 番格ロック(1973年9月25日公開、監督:内藤誠・制作:東映東京) - ゲスト出演
・ キャロル(1974年6月22日公開、監督:龍村仁、脚本:小野耕世、撮影:仙元誠三、制作:怪人二十面相プロ / ATG、上映:アートシアター新宿文化、日劇文化劇場)

「キャロル (バンド)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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好き嫌い準決勝

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3位 vs 4位


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嫌いな歌手は どっち?

3位 vs 4位


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好き嫌い準々決勝

好きな歌手は どっち?

5位 vs 6位


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嫌いな歌手は どっち?

5位 vs 6位


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好き嫌い7位決定戦

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7位 vs 8位


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嫌いな歌手は どっち?

7位 vs 8位


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好き嫌いTOP10圏内確定戦

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9位 vs 10位


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9位 vs 10位


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