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大阪弁(おおさかべん)は、大阪とその周辺で話される日本語の方言で、近畿方言(上方語、関西弁)の一種。ここでは大阪市を中心に大阪府北部(北摂)から兵庫県南東部(阪神間)にかけての旧摂津国の方言を取り上げるが、旧摂津国のうち神戸市とその周辺の方言は「神戸弁」を参照。また、大阪府のうち、旧河内国の方言は「河内弁」、旧和泉国の方言は「泉州弁」を参照。

● 概要
大阪府の方言は摂津・河内・和泉に大別され、特に泉南地方の方言が最も特異性が強い。大阪府内は大部分が大阪平野であり、大阪市を中心に人的交流が活発であるため、もともと他都道府県と比べると方言の地域差は小さく。兵庫県南東部も大阪府との間で交通網が発達していて人々の往来が盛んであり、方言の差はそれほど大きくない。楳垣実と岡田荘之輔は「府県別に方言区画を設定することには、どうしても無理がある」と述べている。神戸市の大部分も旧摂津国であるが、神戸市の方言はアスペクト表現「とる/とー」「よる/よー」や敬語表現「て(や)」など旧播磨国の方言(播州弁)との共通性があり、一線を画す。 大阪は近畿地方の経済・文化(特にテレビ放送)の中心地であることから、大阪弁は近畿地方一円(場合によっては四国なども)の方言に強い影響力を持ち、漫才などを通じて全国的にも知名度・認知度が高い。京都と同様に大阪では方言への愛着や自負心が強く、地元を離れた時やテレビに出た時にも大阪弁を使い続ける人が少なくない。一方で語彙面を中心に共通語化が進んでおり、他府県からの人口流入もあって大阪弁は変容し続けている。

● 地域差
大阪府側の摂津の方言について、山本俊治は次のように区分している。狭義の摂津方言が一般的に「大阪弁」とされる方言である。
・ 摂津方言(広義)
 ・ 摂津方言(狭義) - 大阪市・豊中市・池田市・箕面市・吹田市
  ・ 北摂方言 - 能勢町西部・旧止々呂美村・旧細河村
 ・ 三島方言 - 高槻市・茨木市
  ・ 淀川沿岸方言 - 三島郡(島本町・三島町)・旧鳥飼村・旧三箇牧村。京都方言の影響が見られる。
 ・ 能勢方言 - 豊能郡(豊能町・能勢町)。旧歌垣村には京都方言の、天王には丹波方言の影響が見られる。 以上の区画は1962年時点のものであり、その後、方言の地域差はさらに縮小している。2009年、岸江信介は摂津・河内・泉北の言語類似度がかなり高くなっていることを指摘し、それを踏まえて高木千恵は、大まかにいえば現代(21世紀初頭)の大阪府下には「大阪弁」(摂津・河内・泉北)と「泉州弁」(泉南)の二つの方言が存在することになるとした。 兵庫県阪神間の方言について、山本俊治は尼崎市・西宮市・川西市・伊丹市・宝塚市は大阪方言に、芦屋市は神戸方言に属すとした。鎌田良二は、1958年の調査で住吉川を挟んで敬語表現「はる」と「て(や)」の優勢が変わると突き止め、住吉川が大阪弁と神戸弁の境界をなすと報告している(その後、「はる」が優勢な地域は西へ拡大している)。なお、三田市も「て(や)」が優勢な地域である(2010年代の高年層への調査)。 なお、現在の大阪市にあたる地域に限っても、江戸時代から明治にかけては、地区や階層によって様々な言葉が存在していた。船場(町人)、島之内(芸人)、天満(役人=江戸訛り)、天王寺(農民)、長町(スラム)、木津(市場商人)など。明治後期以降、大阪市電の路線網の充実化などによって市内各所の交流が活発になるにつれて、市内の言葉は均質化・簡略化していったという。

● 音声
舌や唇などをあまり緊張させずに発音することが特徴である。特に高齢層では子音の発音が不明瞭になりやすく、サ行音のハ行音化(例:すみません→すんまへん、七→ひち)やザ・ダ・ラ行の混同(例:淀川の水→よろがーのみる、座敷→だしき。ただし紀州弁ほどではない)、半母音の脱落(例:泳ぐ→おーぐ、変わる→かーる)などが起こる。男性の荒い口調ではラ行音が巻き舌になりやすい。高齢層では語中のガ行鼻濁音が聞かれるが、中年層以下では衰退している。 子音と対照的に母音は明瞭に発音され、無声化が少ない。例えば「そうです」は「そーですー」のように語尾が伸び、「す」を無声化させる東京の発音に比べて、歯切れが悪い印象を与える。連母音の転訛はエイ→エーを除いて起こらないが、「見えた→めーた」「消える→けーる」のようなイエ→エーや、「蝿→はい」「迎えに行く→むかいにいく」のようなアエ→アイが起こることがある。1拍の日常語は「蚊→かー」「目→めー」のように長音化するが、「忙しいなー→いそがしなー」「関東煮→かんとだき(=おでん)」のように本来長音のものが短くなることもある。ウは円唇後舌狭母音に近く発音される。 その他、イ・ウ段にア・ヤ行音が続く際の「日曜→にっちょ」「好きやねん→すっきゃねん」のような促音+拗音化、他には「洗濯機→せんたっき」、「昨日→きんのー」「小便→しょんべん」「ゴミ箱→ごん箱」のような語中・語尾の撥音化、「何するねん→何すんねん」「電車に乗る→電車ん乗る」のような動詞のラ行音や助詞「に」の撥音化(ダ・ナ行音が続く場合)などが特徴的である。 アクセントは京阪式アクセントであり、大阪市内だけでなく大阪府全域でも地域差がほとんどないが、世代間での違いはかなり大きい(以下例)。
・ 高年=コ レワ フネ ナカ アト イヤ(=あの男は、あれは船の中にあると信じているようだ)
・ 中年=トコ フネ ナカ アト シンジテルタイヤ
・ 若年=トコ フノ ナニ アト シンジテルタイヤ 他、谷崎潤一郎は発音の特徴として以下の例をあげている。

● 表現
以下にみられるのが大阪弁の表現の特徴である。一言に「関西弁」とまとめると大阪弁をさされがちだが、京都や神戸方面で通じにくいこともあり、注意を要する。
・ 丁寧体には「です」と「ます」を用いるが、年配層では「です」の代わりに「体言+だす」「体言+でおます」「形容詞連用形ウ音便+おます」を用いる(「おます」単体では「ある」の丁寧語)。丁寧体の後ろに終助詞が接続すると「す」が促音化・撥音化するのも伝統的な大阪弁の特徴である。「だす」「ます」「おます」は「す」が省略されることもある。
 ・ 例:ここが大阪城です、ここが大阪城だす、ここが大阪城だ、ここが大阪城でおます、ここが大阪城でおま
 ・ 例:行きます→行きま、行きますねん→行きまんねん、行きますがな→行きまんがな、行きますなあ→行きまんなあ、行きますえ→行きまっせ、行きますか→行きまっか、行きますやろ→行きまっしゃろ
・ 五段活用動詞に否定の助動詞「へん」を接続させる場合、主に「ア段+へん」と「エ段+へん」の2形があるが、大阪弁では「エ段+へん」が優勢である(同様の用法は名古屋弁にも見られる)。「ア段+へん」が優勢な地域(京都や神戸など)では不可能を表すのに可能動詞の「エ段+へん」を用いるが、大阪弁では通常の「エ段+へん」との同音衝突を避けるため、可能動詞を使わずに「未然形+れへん」を用いる(近年は京都でも「未然形+れへん」が多用されるようになっている)。ただし「ん」の場合は、「エ段+ん」を通常の否定に用いることはなく、京都などと同じく不可能表現となる。
 ・ 例:行けへん - 大阪では「行かぬ」、京都では「行けぬ」の意。「行けん」は大阪でも京都でも「行けぬ」の意。
 ・ 例:行かれへん - 大阪で「行けぬ」の意。京都では「行けへん」だが、最近は京都でも「行かれへん」を用いる者が増えている。
 ・ 例:膝は笑えへんやろ - 大阪では「膝は笑わないだろう」、京都では「膝は笑えないだろう」の意。
 ・ 例:なんで決勝に残れへんねん - 大阪では「なぜ決勝に残らないんだ」、京都では「なぜ決勝に残れないんだ」の意。
・ 下一段活用動詞に否定の助動詞「へん」を接続させる場合は「エ段+へん」で安定しているが、上一段活用動詞に接続させる場合には個人や世代によって複数の形があり、例えば「見る」の否定形には「めーへん」「みえへん」「みーへん」があり、若年層では「みーひん」という形も多い。カ行変格活用動詞とサ行変格活用動詞の場合は「けーへん」と「せーへん」が優勢で、一部では「こえへん」や「しえへん」もあるが、若年層では「きーひん」「こーへん」や「しーひん」が広まっている。
・ 「もうかりまっか」
 ・ 「儲かりますか」の転。いかにも金に細かい大阪人らしい表現として喧伝され、大阪弁の代名詞ともいうべき有名なフレーズ。しかし、実際には「もうかりまっか」を用いる大阪商人は殆どおらず、「どう(どない)でっか」「負けてはりまっか」「お忙しいでっか」などが一般的な商人の挨拶だったという。「もうかりまっか」の対として知られている「ぼちぼちでんな」(「ぼちぼちですな」の転)は現在も多用される表現であるが、「もうかりまっか」→「ぼちぼちでんな」という挨拶の組み合わせは菊田一夫の小説内で作られたものであり、近年の大阪でこの遣り取りが模倣されるのは関東から見た大阪弁のイメージを逆輸入した結果に過ぎない。大阪市浪速区生まれの放送作家である新野新は「『阪僑』という言葉は、評論家大宅壮一の造語だが、ぼくの推論として、その流れをくむ週刊ジャーナリズムが、昭和20年代の後半に『大阪人は顔を合わせると『もうかりまっか』とあいさつする』と言い出したのではないだろうか」と推察している。

● 船場言葉
船場言葉(せんばことば)は、大阪市の中心業務地区である船場の商家で用いられた言葉。船場言葉は、豊臣秀吉が大阪に築城し、その後、徳川幕府の支配を受けるようになった江戸時代を経て、明治、大正、昭和中期に至るまでの間に、美しく格式のある大阪商人の言葉として練り上げられ、折り目正しい大阪弁の代表格として意識されていた。大阪弁研究家の前田勇は船場言葉について「大阪弁は庶民的な言語であるというのが通説であるけれども、少なくとも船場言葉にそれは当たらず、船場言葉は、いうべくば貴族的以外の何物でもない。」と評した。 江戸時代から近代初期にかけて、船場は商都大坂の中心地として繁栄し、船場言葉は商業社会の共通語として広く用いられた。豊臣秀吉が船場を開発した当初は堺から強制移住させられた商人が大半を占めていたが、その後は平野商人、伏見商人らが台頭。江戸時代中期には近江商人が船場へ進出した。このような経緯から、船場言葉は各地商人の言葉が混ざり合って成立した。 商いという職業柄、丁寧かつ上品な言葉遣いが求められたため、京言葉(とりわけ御所言葉)の表現を多く取り入れ、独自のまろやかな語感・表現が発達した。一口に船場言葉といっても、話し相手や状況、業種、役職などによって言葉が細かく分かれていた。暖簾を守る船場商人に限っては、経営者(主人、旦那)一族と従業員(奉公人)の独特の呼称を固定して用いた(後述)。 明治以後、中等・高等教育の普及による標準語化(船場言葉の使用層は裕福な家庭が多く、教育熱が高かった)や帝塚山・阪神間の宅地開発に伴う船場商人の職住分離化(阪神間モダニズム)で船場言葉は変質していった。 大正時代、大阪へは他県の人がどんどん職を求めて移入してきた。移住者は、この難解な船場言葉を容易になじめず、彼らの影響を受けたのは西横堀川以西の言葉であった。西横堀のことに、阿波座、靱という地域は扱う商品のたちが異なり、大部分の商家は、悠長で優雅な船場言葉を使っていられなかったので、最も単的な、最もスピーディーな商業言葉で売買しなくてはならなかった。地域とともにこのような言葉が四方へ伸びてゆき、その郡部の素朴な土地の言葉が入れ混じった。そのなかで船場言葉は、孤立無援の状態に置かれていた。しかし、第一次世界大戦前後から、船場の人々の生活状態が変わってきた。日の光が射さない冷え冷えした古い家屋の中、商売の拡張と共に店舗は少しずつ住居を浸食していた。そんな中、郊外電車が発達しそれらの郊外電車は、郊外生活の快適を宣伝した。最初は成金や株成金が、浜寺や御影に別荘を建て、そのブームは続いて、財あるものは猫も杓子も別荘熱に浮かされた。船場商人にもそれは伝染した。郊外の別荘は、もう別荘ではなく本宅となってしまった。船場言葉もまた、その人たちとともに郊外へはじき出されてしまった。 また、更に時代が下がって、昭和10年前後の、あの『細雪』の時代になると、船場言葉もさらに変化していった。『細雪』の姉妹たちが使っている船場言葉であるが、これは色々な方言の入れまじったチャンポン船場言葉になってしまっている。だから、あれが正統な船場言葉だと誤解しないようにしなければいけない。 すると、果たしていつの時代の船場言葉が正統な船場言葉であるか、疑問となる。辛うじて見出せるのは、船場に店舗と住居が一緒にあり、雇人と家族とが同じ屋根の下で暮らしていて、大部分の商家が会社にならない個人経営の時でなければならない。産業資本主義が勃興するなか、なお商業資本主義が幅をきかしていて、大阪近郊の郊外電車も発達していない明治末期から大正初期と想定される。 その後、大阪大空襲や戦後の混乱による旧来住人の離散や、高度経済成長による商習慣の変化や企業の東京移転などが原因となって船場言葉は急速に衰退し、今では上方落語の古典落語などで耳にする他は、限られた高齢者にしか船場言葉は残っていない。船場言葉を守り伝えようとする動きもあり、例えば1983年に結成された「なにわことばのつどい」では約200人の会員が活動している。2015年度のNHK朝ドラ「あさが来た」では、明治~大正時代の商家がモデルになり、主人公の「白岡あさ」(演:波瑠)の他、様々な登場人物においても船場言葉が使用されている。これらの指導は松寺千恵美が行っていた。

◎ 特徴
船場言葉は子音の省略をせず、冠詞などを文につけて話すため、標準語が同じ文章でも、河内弁より言葉数が多くなる。よって話す速度が遅くなり、その分聞き取りがしやすくなって、丁寧な印象がうまれるとされる。一般の大阪弁と比べると速度にほとんど差はないが、大阪弁は他の方言より早く話すとされているため、大阪弁の中ではゆっくりと話す言葉と考えられる。また、京言葉に似ているということに、聞き手が無意識にでも気づいた場合、京言葉のやさしい、やわらかいといった印象も付加される。なお、美しいといった印象は無声音の多用による部分が多いと考えられる。 船場言葉が聞き手に丁寧な印象を与える主な要因は、言葉を省略せずに話すことにある。言葉を省略してしまうと昨今の若者言葉にもみられるように、軽い印象を与えてしまう。聞き手に分かりやすく話すことが落ち着いた印象をつくりだし、ゆっくりと話すこと、言葉の省略をしないことなど、聞き手にわかりやすい話し方をすることで、丁寧な印象を与える。 随筆家の森田たまは、牧村の「大阪言葉事典」の書評で、船場言葉を「まったくびろうどの布の上に玉をすべらせているようだった。なめらかで艶であった。」と評している。 「大阪弁善哉」では、「綺麗で滑らかで、なんとなくまったりした、やわらかく優雅な言葉、幅のある表現のなかに適度にユーモアをたたえた、苦労を知ったうえの気取らなさがあり、そのうえ、うっかりすると聞き逃してしまうかもわからぬような諷刺が、そのなかにそっと包まれていて、それが少しも耳立たない。」と評している。 しかし、香村菊雄によると、「船場言葉もびろうどの布の上に玉をすべらせるような、優雅な場合ばかりとは限らず、一度、船場言葉でねっとりと絡まれると、何ともいえぬ、意地悪(いけず)さがぬらりくらりと這い回って、まるで真綿で首というか、くちな(蛇)にじわじわ締め付けられてゆくような恐ろしさがある。それは怒っているときであり、皮肉を言う時である。」と述べている。 以下は、船場の人である香村の母親の会話例である。 という調子であり、鰻谷で生まれ育った香村の妻はこの船場言葉を聞くと、さぶいぼが立つと恐れおののいたという。鰻谷のある島之内は、今は埋め立てられた長堀川の南岸に位置し、川幅20mの北対岸が船場である。このように、たった20mの川一つが国境でもあるかのように、言葉も違えば気質も風習も違っていた。

◎ 表現
大阪の人間は挨拶代わりに「儲かりまっか」という表現をとる、と云われるが、昔の船場の人々は、絶対にそんな一旗組の、新興商人のような下品な挨拶はしなかった。また、「これ負けてんか」「負けときまひょ」などのズケズケした品のない取引もしなかった。同じことでも「もうちょっと何とかなりまへんか」「さいでごあんなぁ。あとあとのこともごあすし、清水の舞台から飛びおりたつもりで、勉強さしていただきやす」というような、相手を奉った物柔らかい調子であった。 木村元三は、母親の使う船場言葉を聞いて、穏やかで、相手を非難したり、争いをするようなことはひとつもなく、ボキャブラリーが豊かで、言いたいことを過不足なく伝えられて、相手への思いやりがあふれている。語感もすっきりして、言葉としても完成されていた、と回想している。また、「「もうかりまっか」とかいうのが大阪弁の典型みたいにいわれてますけど、大阪の商売人はそんなんたことないです。から来た人が流行らした言葉でしょうな。」と語っており。大阪人は、「ごあへん」「ごあっさかい」とか、しゃちこばらず、角のとれた言葉で、しかも十分、礼儀を尽くした言葉を使っていた、と語っている。

◎ 語彙

・ 人の名字や名前を、その人に向かって直接呼ぶときは「さん」をつけることが多く、その人のことを第三者同士が話の中で話し合うときには「はん」をつけることが多い。ところが「はん」づけでは読みにくい名字や名前も多い。アイウエオ五十音で、イ列のイ、キ、シ、チ、ニ、ヒ、ミ、リ。ウ列のウ、ク、ス、ツ、ヌ、フ、ム、ユ、ル。ハ行のハ、ヘ、ホ。ア行のオ。それからン。それらが名字や名前の最後の音になると言いづらく聞きづらいので、だからこれは必ず「さん」となる。また「さん」にしても言いづらく聞きづらいものがある。それは、サ行のシ、ス。タ行のチ、ツである。つまり、小林さん、野口さん、甘粕さん、赤松さん、秋津さんなどである。これらは耳で聞くと、コバヤッサン、ノグッツァン、アマカッサン、アカマッツァンと響く。だから船場では、その響くがまま、つまり前記片かなで書いたように呼んでいる。例えばエノケンさんとロッパはんと呼び、アチャコはんとエンタッつぁんといいやすく呼び、エノケンはんとロッパはんとか、アチャコはんとエンタツはんとは呼ばない。
・ 名前だけの時では、丁稚には「吉」がつき、手代小番頭には徳七のように「七」がつき、大番頭には「助」がつく。女子衆には、お松、お竹、お梅がどの家でも女中名になっており、呼ぶときに「ドン(殿)」がつく。丁稚と手代番頭にも「ドン」がつく。大番頭には「はん」がつく。ところが、吉どん、七どん、お松どんは聞きづらく言いづらい部に入る。だから、吉どんではなく、吉っとんであり、七どんでなく、七ッとんである。七はシチでなくヒチと読む。シチヤ(質屋)もヒチヤである。
・ 自分のことを学校では「ぼく」家へ帰れば「わて」と使いわけた。返事も学校では「はい」家では「へえ」であった。それは船場だけでなく、船場の周辺部にある島之内や京町堀、江戸堀、靱あたりの商家でも同様であった。当主は家族の間では「わて」であったが、奉公人の前では「わし」といった。女は「わて」を使うが、若い女の子は「うち」という方が多い。家庭でも両方とも使っていた。しかし、よそゆきには「わたし」である。中年になると「わたい」ともいった。「わ」が「あ」になって「あたし」「あたい」「あて」ともいう。
・ 明治末から親しい女の子同士が話すとき、「そやわ」とか、「あかんわ」「ええわ」などの「わ」は「そやし」「あかんし」「ええし」など「し」に変化した。が、これは遊女の言葉からきたというので、年寄りなどはこの表現を厳しく禁じていた。 
・ 「したろか」だとか、「いてこましたろか」「やったるで」などのよく知られる大阪弁も、品のない言葉だから、たとえ冗談でも使わないように戒めていた。
・ 船場言葉は、よそ行きの言葉と日常の言葉、目下の者、友人同士、奉公人同士などの変化があり、親しいもの同士の場合は、うんとくだけて河内弁も入った。喧嘩の場合などはドスをきかせるために、ガラの悪い言葉も出た。
・ できる限り丁寧な表現を用いるように努め、一般の大阪市民が多用した「おます」や「だす」よりも、「ござります」や「ごわす・ごあす」を多用した。「ごわす」は「ござります」が変化したもので、船場独特のややくだけた丁寧語として知られた。否定形は「ごわへん」または「ごあへん」。
・ 尊敬語に関しても、一般市民が多用した「なはる」や「はる」よりも、その原型である「なさる」や京言葉から取り入れた「お…やす」を多用した。また、江戸時代に多用され、明治以降の大阪では「はる」に押されて衰退したてや敬語(例:言うてや=言っておいでだ)を船場では昭和まで用い続けた。
・ 「お…やす」「ご…なはる」などの様に、文頭に冠詞をつけ、かつ文末表現も合わせることで、尊敬の意味を付加することが多いと考えられる。「どす」や「お…やす」など、京言葉に似ている点が多い。船場の商人たちが、京にあこがれ真似した、或いは、京都の娘が多く船場に嫁いできたなど様々な理由が考えられている。
・ 「すもじ・おすもじ(寿司)」「おだい(大根)」「おみや(足)」といった女房言葉を日常生活で多用した。
・ 谷崎潤一郎の『細雪』では以下のような船場言葉が登場する。
あなたの旦那さん、きつときつと無事でお歸りになりますわ(略)」(幸子→シュトルツ夫人 『細雪』中巻・四)
幸子は夫または下位者に対しては「あんた」を使用し、ソトの関係の人物に対しては「あなた」を使用している。また、夫に対して使用する「あんた」は、見合いの場等では「あんさん」として敬称が使用されている。
・ 「………雪子はをりやつけど、呼んで來まおか」(幸子→富永の叔母 『細雪』上巻・二十二)
この使用は、「「お」のない「やす」言葉であって、これこそ「船場特有のもの」とされている。
・ その他、『細雪』に於る関西方言の特徴では、四姉妹の叔母にあたる富永の叔母が使用する「昔ながら船場言葉」があげられる。
「今日は雪子ちやんもこいさんもお内にゐてやおまへんか」(富永の叔母→幸子 『細雪』上巻・二十二)
「さうですか、それであたしも使に來た甲斐がごわしたわ」(富永の叔母→幸子 『細雪』上巻・二十二)
楳垣実によれば、「これだけの簡単な対話に船場言葉の代表的語法がこれだけ現れていることは、たしかに注目すべきことであって、谷崎氏は確かな資料に基いて書かれたものと信じてよかろう」と述べており、谷崎の関西方言が相当なものであることが示される。

◎ 船場言葉の例
参照: 以下は謡曲式記号を元に、高音を「―」低音を「\」としてあらわす。
○ 日常で用いる言葉

・ ・・・(私)
 ・ ワテは男女共に使う。アテ・ワテは女だけ(ウチは間違いである)。ともに日常語で、品よく言うときは男女ともにワタシを使う。中高年の男でを使うこともある。変化〈ワタクシ・・・ワタシ・・・ワタイ・・・ワテ・・・アテ〉
へり下った場合に(手前)を使うが、必ずその下にとかとかをつけて、(わが家・わが店)(われわれ)というふうに使う。
・ (貴方)
 ・ 敬称である。男女とも、男にも女にも使う。変化〈アナタサン・・・アンタサン・・・アンサン〉
・ (お前さん)
 ・ 目下の者の男女ともに使う。ときにはお前と呼び捨てにすることもある。変化〈オマエサン・・・オマエハン・・・オマハン〉
・ ・(あの人)
 ・ 男女ともに使う。アノオカタは敬語。は敬語ほどではないが、丁寧な言い方である。
・ ・(他人の家)
 ・ ヨソとは外、他所、遠方などの意で、余所と書く。他人はヨソの人で、サンがつくと他人の家ということになる。
・ ・(女中)
 ・ 女子衆のつづまったもの。他家の女中にはサンをつける。女中を呼ぶときは、その本名を呼ばず、松竹梅からとって、お松とん・お竹どん・お梅どんと名付ける。お松とんがやめて代わりが来ると、お松とんを継ぐ。4人以上になると、御寮人さんが呼びやすい名前をつけてくれる。(例:お花どん)女中には上女中(小間使)下女中(下働き)とあるが、お互いに両方の用事をする。上女中には古参の女が多い。
・ ・(下男)
 ・ 男子衆で、おおむね家族の用をつとめるが、店舗が忙しい時、店舗を手伝うこともある。人力車のある家では車夫がこれを兼ねる時もある。中年者・老人に多い。
・ ・(ございます)
 ・ ゴワスのワ(WA)は、Wの音が殆ど消え、ゴアスと聞こえる。鹿児島弁のゴワスとは異なる。、という人もある。ゴワイヤスと聞こえる人もある。変化〈ゴザリマス・・・ゴワリマス・・・ゴワイヤス・・・ゴワス・・・ゴアス〉
・ ・(ございません)
 ・ ・などと言う人もある。変化〈ゴザリマセン・・・ゴザリマヘン・・・ゴワリマヘン・・・ゴワイヤへン・・・ゴワヘン・・・ゴアヘン〉
・ (いらっしゃいませ)
 ・ はがつづまったもの。客も、または(御免下さいませ)と至極丁寧に入ってくる。
・ (なさいませ)
 ・ その他、(おっしゃい)(おやめなさい)など、は丁寧な命令語にもなる。(なさいまして)(おっしゃいまして)(おやめなさいまして)というふうにも、また(なさいましたら)、というふうにも使う。
・ (いたします)
 ・ このヤスは、マスからの変化。
・ (いたしません)
 ・ このヤへンは、マセンからの変化。
・ (行きなさる)
 ・ イキは行き。ユをイということが多い。は(なさる)である。をということもある。よりもう一つ丁寧である。打ち消しは(お行きなさらない)。過去形は。その打ち消しはで、もっと丁寧に言えばとなる。
・ (いらっしゃらない)
 ・ はおって。はじゃない。ともとも言う。はよく使う。、(買って)など。
・ (左様で)
 ・ (さようでございます)(さようでございますか)(さようでございますか、それはそれは)(さようでございますとも)となり、これが打ち消しとなる場合はサイデを使わない。(そうではございません)(そうではございませんか)となる。
・ (行って参ります)
 ・ 使いなどで家を出るとき、学校へ行くときなどの挨拶。では叱られる。「参じ」は馳せ参じの参じである。帰宅したときはと挨拶する。
・ (お早くお帰りなさい)
 ・ 奉公人が主人方を送り出すときはという。とリを上げる場合もある。物見遊山などに行くときには、ということもある。そうして出て行くのはという。
・ (お早うございます)
 ・ と挨拶する人もある。解釈としては「朝のお天道さまがお出ましになりましてござります」ということになる。
・ (ごめん下さい・さようなら)
 ・ 他家に入る場合に使うが、また他家を出るときにも使う。は子供に多い。お家さんや御寮さんたちは、(ごめんなされて下さいませ)と丁寧にいう。主客男同士の場合で同格なら、とも、とも簡易に交わす。
・ (かまわない、別条ない)
 ・ 大事ないである。かまわない。丁寧にいうと、。簡単にいうとダンナイになる。
・ (畏まりました)
 ・ 承知いたしましたという意に使う。
○ 家族の者の呼び方


 ・ 当主、御主人。旦那さんがつまってダンサンになり、ナが変化してンになった。

 ・ 当主の父。当主に家督を譲り隠居している者もあれば、なお営業にくちばしを入れたりする者もある。

 ・ 御寮人さん(京都の公家言葉で、御寮人とはまだ結婚していない部屋(寮)住の娘のことをいい、御料人とも書く。料は娘の意であるが、それが他家へ嫁ぐとき、身の回りの世話をさせる為に、日頃使っていた召し使いを何人か一緒に連れて行く。その女中達が実家にいたと同じ様に「ご寮人さま」と呼んだので、いつしか妻女のことをそう呼ぶ様になった。船場ではそれを真似たものである)。当主の妻。ゴリョウニンサマのニが消え、サマがサンになり、ゴリョンサン、となった。単なる主婦でなく、親類縁者との付き合い、分家、別家への配慮は勿論、雇人に対しても身の回りのこと、食事、相談ごとなどの面倒をみたり、それらの親元との連絡をとったり、ダンサンとのパイプ役になったりした。また、金庫、蔵の鍵を全て預かっているのも御寮人さんである。とにかく船場の御寮人さんというのは、店と家族を引っくるめての総支配人である。

 ・ 御家さま。オイエサマのイエがエとつまった。元は御寮人さんであったのが、息子が当主になり、息子の嫁が御寮人さんになったので、御家さまに格上げされたものである。ところがオエサンという言葉の響きは、年寄り臭く、老女を思わせるものがあるので、これを嫌って相変わらず御寮人さんと呼ばせて、息子の嫁をワカゴリョンサン(若御寮人さん)と呼ばせている家もあった。
・ っ
 ・ この呼び名は御後室様から来ている。公家や武家における未亡人の意であるが、船場では由緒ある大町人のお家さんで、つれあいの亡くなった人をそう呼んだ。

 ・ 坊ん坊んで、男の子一般を呼ぶ。家庭内では雇人たちが、家庭外では他家の息子のことを呼び、家族の者はそう呼ばない。とも呼ぶ。兄弟の多いときには上がで、中を、下がで、まだ下があれば、4人目からは名前の下にボンサンをつける。

 ・ 愛さんで、呼んで字のとおり愛しい、またはいとけないから出たものと思われる。女の子一般を呼ぶ。トオサンとも呼ぶが、これはイトサンのイが消えてトがのばされたものとされる。俗語としてイトハンという言い方があるが、第三者同士で話す場合はそれで良いが、直接、またはその家族に話す場合は、ハンではなくサンでなければならない。ハンは慣れなれしい呼び方で、人を見下げたようなニュアンスを含んでいる。だから昔は他人にイトハンなどと呼び掛けられると、返事もしない娘もあった。ゴリョンハンにも同じことがいえる。
上を、中を、下はまたはと呼ぶ。これは雇人または他人が呼ぶ場合で、両親が呼ぶ場合は、めいめい名前で呼び、姉妹同士で呼ぶときは、上をまたは、中を(ナカアネサンのつまったもので、さらにになる)、下はまたは、または名前で呼ぶ。
・ ・
 ・ 子供衆・子供衆さんである。衆を「し」とつづめるのは、おなご衆・おとこ衆・ええ衆などを、おなごし、おとこし、ええし、などと言うのと同様である。お子たち・お子たちさんの意で、よその子供たちに対して使う。
・ ・
 ・ 女中である。上女中・下働の女中共にいう。よその女中には「さん」をつける。
・ ・
 ・ 下男である。中年以上が多く、おなごしと夫婦の場合もある。庭掃除、米ふみ、薪割り、重い物の持ち運び、高い所の作業、風呂の水汲みなど力仕事に従う。番頭より古参者もいて奉公人にはうるさい存在でもある。奥向きの内密な用事をつとめることもあり、「はん」づけで呼ばれる者もある。
・ ・
 ・ 乳母のことである。河内出身の人が多かった。子供が乳離れすると帰る者もあり、成長後もおなごしとして、居着く者もある。

● しゃれ言葉
大阪では様々な駄洒落言葉が発達した。近世大坂は、「諸色値段相場の元方」である堂島米市場、天満青物市場、雑喉場魚市場の三大市場を擁し、全国の物資・物流の集散地であった。中之島には諸藩の蔵屋敷が並び、「出船千艘・入船千艘」の活況を呈した。こうしてヒト・モノ・カネ・情報が集積する大坂は一大商都であり、商行為にはコミュニケーションが必須であった。 とはいえ、己の利益をただ露骨に表明するだけでは、顧客の心を掴むことはできない。一方、甘言を弄して顧客に媚びるだけではかえって警戒されるし、仮にうまく成約にこぎつけても、すぐに飽きられてしまう。そこで、相手の気を逸らさないようにしつつ、同時に己の相応の利も確保するという巧みな会話力が必要とされた。その際に威力を発揮したのが「しゃれ言葉」であった。依頼・勧誘・哀願・保留・交渉・譲歩・提案・謝絶・皮肉・揶揄・賞讃などを、しゃれを介して柔らかく朗らかに、しかし芯をぶらすことなく、相手に伝えたのである。 大阪の洒落言葉はみな江戸時代のもので、やはり元禄以後、文化の華やかな時、芝居町や遊里に発達したものと思われる。そして俄師や、幇間などの口から出たものが世間に流行したという。化政期といわれる文化文政時代は、江戸時代の爛熟期で、いわゆるエロ・グロ・ナンセンス時代だった。それが天保を経て、幕末から明治へかけての100年近い間、大阪の人々は生活のユーモアとして愛し、親しんだ。その伝播の一役を買ったのが、これらの言葉を集めた一枚ずりの出版であった。「かわりもんく新板すいこと葉」という一枚ずりは、松屋町の出版屋から出てよく売れたという。 しゃれ言葉は人々の日常会話の中で不断に生み出され、多くの人々の共感を得た秀作は残り、意味がとりにくいものや面白みに欠けるものは時代の波に洗われて消えていった。以下に実例を例示する。
・ 白犬のおいど:面白い(尾も白い)
・ 黒犬のおいど:面白うない(尾も白うない)
・ 牛のおいど:物知り(モーの尻)
・ うどん屋の釜:言うばかり(湯ぅばかり)
・ 雪隠場の火事:やけくそ(焼け糞)
・ 五合とっくり:一生つまらん(一升詰まらぬ)
・ 蟻が十匹、猿が五匹:ありがとうござる(蟻が十、五猿)
・ 夜明けの行灯:薄ぼんやり
・ やもめの行水:勝手に湯取れ(勝手に言うとれ)
・ の嫁入り:と相談(値段の相談)
・ 蛸の天麩羅:揚げ足をとる
・ 竹屋の火事:ポンポンいう
・ 酢屋の看板:上手(上酢)
・ 鰯煮た鍋:(男女が)くさい仲である・どうも臭う
・ ちびた鋸:(仲が)切っても切れない
・ 春の夕暮れ:ケチ(くれそうでくれん)
・ 赤子の行水:金足らいで泣いている(金盥で泣いている)
・ 狐のやいと:困窮している(コン灸)
・ 馬のやいと:貧窮している(ヒン灸)
・ 無地の羽織:一文なし(一紋なし)

● 役割語としての大阪弁
漫画やドラマなどのフィクションの世界において、大阪弁および関西弁は一定のステレオタイプを伴う役割語として描かれることがある。「役割語」の提唱者である金水敏は、大阪弁を話す登場人物がいたらほぼ間違いなく、以下のステレオタイプを1つか2つ以上持っていると述べている。また、ステレオタイプな役割語は表現者の意図した、あるいは意図しない偏見・差別意識を伝える場合があると指摘している。 冗談好き、笑わせ好き、おしゃべり好き けち、守銭奴、拝金主義者 食通、食いしん坊 派手好き 好色、下品 ど根性(逆境に強く、エネルギッシュにそれを乗り越えていく)
・ なお、大阪では本来、「ど根性」とは悪い根性を意味する語であった。本来の大阪弁で現在の「ど根性」のニュアンスに近い語は「土性骨」である。 やくざ、暴力団、恐い 2から6はいずれも、直感的・現実的な快楽や欲望をなりふり構わず肯定、追求しようとする性質と結びついている。それは周囲の常識人から顰蹙を買い、嘲笑や軽蔑の対象となるが、一方で1と結びついて愛すべき道化役となり、また偽善・権威・理想・規範といった縛りを笑い飛ばす役回りにもなる。すなわち、ステレオタイプな大阪人・関西人はトリックスターの役どころを与えられていると金水は指摘する。 1から6のステレオタイプは、江戸時代後期には既に相当完成されていたとされる。江戸時代、上方では現実的で経済性を重んじる気風があり、また商交渉を円滑にするため饒舌が歓迎されていたと考えられる。これは禁欲主義・理想主義・行動主義的で寡黙な人格が好まれる江戸とは対照的であった。特に商都大坂から江戸へ金儲けにやってくる上方商人達の姿は「宵越しの銭は持たない」江戸っ子にとって強く印象的だったろうと考えられる。また上方の人形浄瑠璃の芸風もステレオタイプの形成に影響を与えたと考えられる。十返舎一九『東海道中膝栗毛』に登場する喜多八の「惣体上方ものはあたじけねへ。気のしれたべらぼうどもだ」という台詞は当時の江戸から見た上方者のイメージの例と言えよう。 近代になると、大阪ではエンタツ・アチャコを中心に漫才が急速に発展し、ラジオを通じて日本全国で人気を博した。また戦後のテレビにおいても『番頭はんと丁稚どん』や『てなもんや三度笠』などの上方喜劇番組が盛んに放送された。こうしたマスメディアでの発信は大阪弁・関西弁の浸透を日本全国に促すとともに、「関西人=お笑い」が固定化されていったと考えられる。またこの同時期には菊田一夫の戯曲『がめつい奴』や花登筺の「根性もの」がブームとなり、「関西人=どケチ・ど根性」が固定化されていったと考えられる。中井精一は「大阪弁は面白く、大阪はお笑いだ。このイメージは、80年代の漫才ブームが火付け役になり、90年代になって一般に普及していった。これは見方を変えると、90年以降、バブルがはじけて多くの中小企業が倒産し、大阪の凋落が決定的になったことと同一線上で語られる現象で、成功者が激減した大阪は『ど根性』から『どあほう』の街へ全国の人々のイメージを変容させたとも言えそうである」と記述している。 最後の7は戦後になって形成された、比較的新しいステレオタイプである。江戸時代・明治時代においては、べらんめえ口調で喧嘩っ早い江戸っ子に比べて、上方者は気が長く柔弱であるとされていた。泉鏡花が「草雙紙に現れたる江戸の女の性格」で同様に評している。福澤諭吉は「元来大阪の町人は極めて臆病だ。江戸で喧嘩をすると野次馬が出て来て滅茶苦茶にしてしまうが、大阪では野次馬はとても出てこない。」と福翁自伝にて述べている。 関西の言葉について、谷崎潤一郎は、1932年(昭和7年)に随筆「私の見た大阪及び大阪人」にて、「関西の婦人は凡べてそういう風に、言葉数少く、婉曲に心持を表現する。それが東京に比べて品よくも聞え、非常に色気がある。(中略)猥談などをしても、上方の女はそれを品よくほのめかしていう術を知っている。東京語だとどうしても露骨になる。」と記している。織田作之助は1947年(昭和22年)「大阪の可能性」において「私はかねがね思うのだが、大阪弁ほど文章に書きにくい言葉はない。」とし、「大阪弁というものは語り物的に饒舌にそのねちねちした特色も発揮するが、やはり瞬間瞬間の感覚的な表現を、その人物の動きと共にとらえた方が、大阪弁らしい感覚が出るのではなかろうか。大阪弁は、独自的に一人で喋っているのを聴いていると案外つまらないが、二人乃至三人の会話のやりとりになると、感覚的に心理的に飛躍して行く面白さが急に発揮されるのは、私たちが日常経験している通りである。」と評している。 「関西人=暴力的」のイメージは、1950年代から1970年代にかけて、今東光の「河内もの」、『極道シリーズ』に代表される関西が舞台のやくざ映画、『嗚呼花の応援団』や『じゃりン子チエ』のようなエネルギッシュな漫画作品の流行などによって形成されたと考えられる。その後、1980年代には映画さながらの抗争事件やグリコ・森永事件などの凶悪犯罪が関西で多発し、新聞やワイドショーを連日賑わせるなかで「関西=恐い」のイメージがあおり立てられた。 これらの印象付けを木津川計は「マスコミでは、ふだん、大阪のことは全国記事になりにくいのに、暴力団の抗争や警官不祥事などというとすぐに大きい扱いとなる。これでは大阪の印象は良くならない」「イメージのひとり歩きが『文化テロル』に繋がる」と指摘している。また、関西大学副学長の黒田勇もスポーツ紙から次第に一般化したと、役割語としての関西弁の広がりを指摘する。大阪を取り上げる在京マスコミの姿勢がそもそも、「あくまで関東人にとってのステレオタイプの大阪」しか求めようとしないという指摘もある。

● 例文

・ 設定した文を近畿各地の方言に訳してまとめた『近畿方言の総合的研究』の「近畿方言文例抄」から、旧摂津国の範囲の方言を抜粋する。なお、この項目での「摂津」は狭義の摂津方言を指す。
 ・ 雨が降っているから、傘を差していきなさいよ
  ・ 摂津:アメ(ガ) フッテ(イ)ル ヨッテ(ニ)/サカイニ、カサ(オ) サシテ イキー/イキ(ナハレ) ヤ/ナ
  ・ 能勢:アメ フットル サカイ、カサ サシテ イキ/イキナハレ ヨ
  ・ 三島:アメ(ガ) フッタール/フッテル サカイ(ニ)、カサ サシテ/サヒテ イキ ヤ
  ・ 神戸:アメ フリヨル サカイ、カサ サシテ イキヨ
 ・ おはようございます。さあお上がりくださいませ。皆様が待っていらっしゃいますから
  ・ 摂津:オハヨーサンデス/オハヨーサン。サー アガットク(レ)ナハレ/オアガンナハッテ。ミナサンガ/ドナタハンモ マッテハリマッセ/マッテハリマスヨッテ
  ・ 能勢:オハヨーオス/オハヨーゴザイマス。サー アガットクナハレ/アガッテクナハレ。ミナハン/ミンナ マッタハリマッセ/マッタハリマッサカイ
  ・ 三島:オハヨーサンデス/オハヨーゴザイマス。サー アガットクナハレ/アガットクナーレ。ミ(ン)ナ/ミナハン マッテテクレタハリマスネン/マッターリマ
  ・ 神戸:オハヨーサンデス。マー アガットクンナハレ。ミナサンガ マットッテデッサカイ
 ・ 赤ん坊を寝させるのだから、静かにしていなければいけないよ
  ・ 摂津:ヤヤコ/アカンボー ネヤセルヨッテ/ネサセンナンサカイ、シズカニ/オトナシー セント/シテオカント アカンデ(ー)
  ・ 能勢:ヤヤコ/アカチャン ネサスネンサカイ/ネヤスノヤサカイ、シズカニ シテナ/シトラナ アカンデー/イカンデ
  ・ 三島:ヤーコオ ネヤスサカイ/ネサセルサカイ、シズカニ/オトナシー シテ(ヤ)ナ イカンデ/アカンデ
  ・ 神戸:アカンボー ネサセンネヤカラ、シズカニ シトラナ アカンデー
・ 1990年に記録された、明治44年生まれの大阪市生野区の女性(船場南久宝寺町出身)と調査者(岸江信介)のやりとり。は調査者の発言。なお、読みやすさのため、カタカナ表記をひらがな表記に、アクセント記号を[に改め、共通語訳を加えた。
 ・ (オワタリというのはどういう事?)
 ・ おわたりわ[ねー、
 ・: お渡りはねー
 ・ そ[この[うじがみさんの[ね、
 ・: そこの氏神さんのね、
 ・ あのー [ま、
 ・: あのー ま、
 ・ わたしらー あの [なんばじんじゃいーまして ね あのーいまー[まーまだ[のこってますけど みどー[すじに なんばじんじゃゆーのが [のこってますけど [そのおまつりの[ひーが、
 ・: 私らー あの 難波神社といいまして ね あのー今まあまだ残っていますけど 御堂筋に 難波神社というのが 残っていますけど そのお祭りの日が、
 ・ あのー[にじゅー は[つか にじゅー い[ちとありますねん[な、
 ・: あのー二十 二十日 二十一とあるんですよね、
 ・ [ひちがつのそーと その よ[みやの ひー[に、
 ・: 七月の その 宵宮の日に、
 ・ あの[ほんまつりのひーか あの [あれお[ね、
 ・: あの本祭りの日か あの あれをね、
 ・ ちょ[ーないから みな[ね、
 ・: 町内から 皆ね、
 ・ おちご[さんも だし[ますし そして あの まー おうち[の おかた[が、
 ・: お稚児さんも 出しますし そして あの まあ お家の お方が、
 ・ おやくあのーお[せわ[したはるおか[たやら [じゅんばんにまた[ではるおう[ちもありますちゃんと [いみ[ただして そら もんつき[はかまで[ね、
 ・: お役 あのーお世話しておられるお方やら 順番にまた出られるお家もあります ちゃんと 意味を正して そりゃ 紋付袴でね、
 ・ それ ついて[いきはりますね ほんで [その かみさん[が、
 ・: それ ついて行かれるんです それで その 神さんが、
 ・ あの こしに[のって [そして、
 ・: あの 輿に乗って そして、
 ・ あのあのー [なんちゅーねん[なー あの [むこの えー おた[びしょゆーのがありまして そ[こ[え あの [いかれますねん [そのぎょーれつお、
 ・: あのあのー 何と言うのかなー あの 向こうの えー 御旅所というのがありまして そこへ あの 行かれるんです その行列を、
 ・ そのーおみやさんから ずーっ[と、
 ・: そのーお宮さんから ずーっと、
 ・ [ぎょーれつして[いきはります ほて ちょ[ーないに[よったら おちご[さんだしはる[とこもあれば [そーゆーなことでまた [いっしょー[けんめー [いっしょー[けんめー[みたもんです [ゆーちょーな[もん[でして
 ・: 行列していかれます そして 町内によったら お稚児さんを出されるところもあれば そういうようなことでまた 一生懸命 一生懸命見たものです 悠長なものでして
 ・ (そういうのが今は全然なくなってますね)
 ・ ありませ[ん ありませ[ん もー ぜん[ぜん、
 ・: ありません ありません もう 全然、
 ・ [そーでしてん まー そ[れぞれの[ね、
 ・: そうだったんです まあ それぞれのね、
 ・ あのーおみやさん[の、
 ・: あのーお宮さんの、
 ・ [そのおわた[りわあるそ[れぞれでっ[せ、
 ・: そのお渡りはある それぞれですよ、
 ・ ある[とこもない[とこもありましたやよってに[ね
 ・: あるところもないところもありましたからね
 ・ (やはり船場)
 ・ まーやっ[ぱしあた[しらー [そーゆーことやっぱ [なつかし[なと [おもて いま[でも[おもてますけど[ね、
 ・: まあやっぱり私らー そういうことやっぱり 懐かしいなと 思って 今でも思っていますけどね、
 ・ [もー おそらくわたしが[しまいでしょ
 ・: もう 恐らく私が最後でしょ

「大阪弁」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年6月17日0時(日本時間)現在での最新版を取得

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