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アルツァフ共和国(アルツァフきょうわこく)、別名ナゴルノ・カラバフ共和国(ナゴルノ・カラバフきょうわこく)は、南コーカサス地方のアルメニア人が多数派を占めるナゴルノ・カラバフ地方に建国された離脱国家であり、その領土は国際的にアゼルバイジャンの一部として認められている。首都はステパナケルト(アゼルバイジャン語名:ハンケンディ)。
アルツァフは1991年から2023年まで、旧ナゴルノ・カラバフ自治州の大部分と、アルメニアに面するアゼルバイジャン領の一部を実効支配しており、事実上の独立国家として機能していた。2023年9月にアゼルバイジャンの攻撃を受け降伏し、解散宣言(後に撤回)を行った。同年10月に政府機能がアルメニアのエレバンへ移転し、事実上の亡命政府となっている。
● 概要
アルメニア人が多く住むナゴルノ・カラバフ地域は、ロシア帝国崩壊後の1918年に両国が独立した際、アゼルバイジャン民主共和国とアルメニア第一共和国の双方が領有権を主張していた。1920年にこの地域をめぐって短期間の戦争が勃発。1923年、ソビエト連邦がこの地域の支配権を確立し、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国内にナゴルノ・カラバフ自治州(NKAO)を創設した後、紛争はほとんど棚上げされた。1980年代後半から1990年代初頭にかけてのソビエト連邦の崩壊過程で、この地域はアルメニアとアゼルバイジャンの紛争の火種として再び浮上した。1991年、ナゴルノ・カラバフ自治州と隣接するシャフミャン州で住民投票が実施され、「独立」が宣言された。アルツァフ共和国は、一院制の議会を持つ大統領制民主主義国家である。アルメニアと密接な関係にあり、事実上アルメニアの一部として機能していた。
アゼルバイジャンはこれを認めず、民族紛争は第一次ナゴルノ・カラバフ戦争へと発展した。その後も断続的に軍事衝突が続き、2020年の戦争でアゼルバイジャンが優勢を確立。アゼルバイジャンは2023年9月19日から20日にかけて「対テロ作戦」と称する全面攻撃を実施。アルファツ共和国が同国軍の武装解除と停戦を受け入れ、サンベル・シャフラマニャン大統領は9月28日、2024年1月1日までに全ての国家機関を解散して存在を停止する大統領令を発出した。前後してシャフラマニャン大統領を含む総人口の8割以上のアルメニア人が脱出し、ナゴルノ・カラバフ地域における実効支配をほぼ喪失した。12月22日、シャフラマニャン大統領は9月28日の大統領令の撤回を宣言し、2024年以降も存続する見通しである。
国土は山岳地帯が多く、平均海抜は1,100メートル。2023年ナゴルノ・カラバフ衝突終結時点の人口は約12万人だったが、アゼルバイジャンが勝利したことにより、同年9月末までに10万人以上がアルメニアへ脱出した。かつての人口の99.7%がアルメニア人で、主にアルメニア語が話され、大半はキリスト教アルメニア使徒教会の信徒だった。歴史的な修道院がいくつかあり、観光客に人気がある。アルメニアとアルツァフ間の移動しかできないため、観光客の多くは民族離散したアルメニア人であった。
アルメニアへの唯一の陸路アクセスルートは、幅5kmのラチン回廊である。アゼルバイジャンがこの地域の封鎖を開始し、軍事検問所を設置するまで、この回廊は2020年ナゴルノ・カラバフ紛争停戦後から2022年にかけて、ロシア連邦が派遣したの管理下にあった。
● 国名
国名の正式名称は「アルツァフ共和国」と「ナゴルノ・カラバフ共和国」の2種類が用意されている。各言語での公式表記は、
・
・
・
とされている。アゼルバイジャン語の表記は、
・
・
・
となる。
2006年12月10日に採択された初代憲法では自称を「ナゴルノ・カラバフ共和国」、別称を「アルツァフ共和国」としていたが、2017年2月20日に採択された現行の憲法(2代目)では自称を「アルツァフ共和国」、別称を「ナゴルノ・カラバフ共和国」としている。
「ナゴルノ・カラバフ」という日本語のカタカナ表記は「カラバフ高地」を意味するロシア語名称に由来する。はテュルク語の「黒い」という語に由来し、この地が緑豊かであることを示す、また「解放される」という動詞の派生でもあるため、民族独立を鼓舞する狙いとしても採用されている、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国領であったナゴルノ・カラバフ自治州および自治州の北部に隣接するシャウミャノフスク地区が合同する形で、「ナゴルノ・カラバフ共和国」の独立を宣言した。ナゴルノ・カラバフ共和国側は、この独立宣言をソビエト連邦憲法や世界人権宣言、国連憲章などに則ったものと主張している、12月10日に実施されたでは99.89パーセントの賛成多数で独立宣言が受け入れられた(ただし、共和国のアゼルバイジャン人住民は投票をボイコットしている)。
◎ 紛争の敗北と国家の縮小
2020年9月に勃発したアゼルバイジャンとの戦争では劣勢となり、南部を中心に支配地域を失った。11月に結ばれた停戦協定によって首都ステパナケルトとラチン回廊以外の多くの領土を失い、残った部分にもロシア軍が平和維持の名目で5年間駐留することとなった。しかし帰属については将来の指導者が判断するとして先送りされた。
2022年2月18日、アルツァフ共和国国民議会は2020年の紛争以前の領土および旧ナゴルノ・カラバフ自治州の領域の領有権を改めて主張し、2020年の紛争で失った地域とシャフミアン地区北部を「アゼルバイジャンの占領地」と認定した。
2023年5月22日、アルメニアのニコル・パシニャン首相が領域内のアルメニア系住民の安全確保を条件にナゴルノ・カラバフでの主権をアゼルバイジャンに認めることを示唆した。
◎ 国家解体宣言
2023年9月19日、アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフからのアルメニア共和国軍の撤退と軍事インフラの無力化を目的とした軍事行動を開始。20日、アルツァフ共和国大統領府は、ロシアが仲介した停戦を受け入れ、ナゴルノ・カラバフからのアルメニア軍の撤退、武装組織(ナゴルノ・カラバフ国防軍)の解散と完全武装解除で合意したとする声明を出した。9月28日、サンベル・シャフラマニャン大統領が2024年1月1日までに全ての国家機関を解散させる大統領令を署名・公表し、アルツァフ共和国は32年間の歴史に幕を下ろすことが確定したとされた。
10月4日までにシャフラマニャン大統領および10万632人のアルツァフ国民がアルメニアへ脱出し、アルツァフの政府機能はステパナケルトからエレバンにあるアルツァフ駐在員事務所へ移転した。他方、入れ替わるようにアゼルバイジャンは各地で支配を取り戻している。10月15日、イルハム・アリエフ大統領はステパナケルト、(ホジャリ)、(アグダラ)などを訪問し、アゼルバイジャン国旗を掲げて「領土の奪還」と「アルツァフの消滅」を国内外へ誇示した。
◎ 国家解体の撤回
ところが2023年10月16日、元国防軍司令官は解散の法令を無効化し、新たな統治機構の創設を検討しているという報道がなされた。20日、シャフラマニャン大統領は大統領令によるアルツァフの解散を否定する声明を発表した。11月1日、シャフラマニャン大統領とアルツァフの国会議員、アルメニアの政治家は国家の維持について非公開の会合を行い、この詳細は明らかにされていないが、参加者の一人である右派アルメニア野党指導者のアラ・ゾフラビャンは「(発言者や方法を明かさずに)アルツァフは帰ってくる」と述べている。一方でアルツァフ政府がアルメニアの安全保障およびアゼルバイジャンとの和平交渉の障害になるとして、アルメニア当局にはアルツァフ再建に否定的な意見が多く、ニコル・パシニャン首相は「アルツァフの解体は問題解決へ向かうための必然的な出来事」だと述べたほか、バアグン・ハチャトゥリアン大統領は「アルツァフ亡命政府は不要である」と述べている。また与党の副党首はアルメニアがアルツァフに資金を提供することはないと強調したうえで、「アゼルバイジャンに侵略の口実を与えてはならない」と批判した。
12月22日、シャフラマニャン大統領はアルファフ政府機関の解散を規定した法的文書は存在しないと宣言し、9月28日付で自らが署名した国家解散の大統領令の白紙撤回を宣言した。また、2024年以降もアルツァフから強制退去させられた住民の問題について引き続き取り組む必要があると表明し、政治家や公務員は無給で引き続き職務にあたることも明らかにした。
アルツァフ政府や政治家が国家機能の維持を主張するのに対し、アルメニア政府はアゼルバイジャンによる攻撃の口実にされかねないとして亡命政権の樹立に否定的であり、資金提供はしないと表明している。
● 政治
アルツァフ共和国は、その憲法において自身を民主主義と法の支配に基づく主権国家と規定している。国民主権 と基本的人権の尊重 を謳い、政体は多元主義と多党制 に基づく大統領制を採用している。2020年9月時点の大統領はアライク・ハルチュニャン であったが、2023年9月1日に辞任を表明し、後継にシャフラマニャンが国民議会により指名されていたと国民議会の議員の任期はともに5年間で、大統領の3選は禁じられている。また、大統領選挙は議会総選挙と同時に行われる。議会は比例代表制による定員27名以上33名以下で、年に2回招集される。大統領選挙・国民議会選挙・国民投票および地方選挙 への投票権は満18歳以上の国民に対して与えられている。大統領選挙の被選挙権は、過去10年間にわたって他国の国籍を有せず、過去10年間にわたって国内に定住する満35歳以上の国民に対して与えられ、国民議会議員の被選挙権は、過去5年間に渡って他国の国籍を有せず、過去5年間に渡って国内に定住する満25歳以上の国民に対して与えられている。地方選挙の被選挙権は満25歳以上の国民に対して与えられ、地方選挙では外国人参政権も場合によって認められている、2017年の憲法改正で廃止された。それ以降は国家大臣職が置かれ、閣僚の中でも筆頭に並べられている。
公用語はアルメニア語とロシア語であり、首都はステパナケルトである。アルメニア教会は自国の文化的発展やアイデンティティにおいて重要な存在と認識されてはいるが、政治には関与しないものとされている。一方、アルメニア語とアルメニア人の文化遺産は国によって保護される地位にある。市民権は、両親のいずれかが市民権を持つ者に対して与えられている。また、国内に居住する民族アルメニア人に対しては市民権の請求権が認められており、彼らに対しては市民権の請求手続きも簡素化が認められている。
司法は三審制をとり、死刑制度は存在しない。
ナゴルノ・カラバフ国防軍は、ナゴルノ・カラバフ戦争中の1992年4月に発足した自衛委員会を前身として、1995年に設立された。国防軍は2023年の衝突の停戦合意で武装解除・解散した。この3か国は、どれも多くの国からは未承認国家であり、民主主義と民族の権利のための共同体を結成している。
・ アブハジア共和国(相互承認)
・ 南オセチア共和国(相互承認)
・ 沿ドニエストル共和国(相互承認)
また、アルツァフ外務省によるとアルメニア、ロシア、アメリカ合衆国、カナダ(アメリカ事務所が兼任)、フランス、オーストラリア、中東(住所非公開)に事務所を開設し、常任代表を派遣している。なおアメリカ合衆国事務所はアルメニア大使館を間借りしている。
◎ アルメニア
アルメニアは軍隊を駐留させていたが、正式には独立を承認していなかった。2020年戦争以前のアルツァフ共和国はアルメニア、アゼルバイジャン、イランの3か国と国境を接するが、アゼルバイジャンとイランとの国境は封鎖されているため、通常はアルメニア側国境からのみ入国が可能となっている。
◎ アゼルバイジャン
アゼルバイジャン検察は2023年10月1日、アルファツ共和国元幹部(アライク・ハルチュニャンなど)ら300人以上を、犯罪に関与した疑いで国際手配したことを明らかにした。
◎ 承認している地方自治体・団体
主権国家ではないが、州・都市や政党レベルでアルツァフ共和国の独立を認めていることがある。
○ アメリカ合衆国
アメリカ合衆国連邦政府は独立を認めていない。
・ 独立を承認
・ (2012年5月)
・ (2012年8月)
・ (2013年4月)
・ (2013年5月)
・ (2014年5月)
・ フレズノ郡 (2013年4月)
・ ハイランド (2013年11月)
・ ロサンゼルス (2014年1月)
・ (2016年3月)
・ (2016年3月)
・ (2017年9月)
・ (2019年4月)
・ 独立を承認する法律を否決した州
・ (2014年4月)
・ アルツァフをアゼルバイジャン領とする(独立を承認しない)法律を可決した州
・ (2014年1月)
・ (2014年2月)
・ アルツァフをアゼルバイジャン領とする(独立を承認しない)法律を否決した州
・ (2014年2月)
・ (2014年4月)
・ (2016年3月)
○ オーストラリア
オーストラリア連邦政府は独立を認めていない。
・ (2012年10月)
・ オーストラリア緑の党 (2017年12月)
○ スペイン
スペイン中央政府は独立を認めていない。
・ バスク州 - 2014年9月、州議会がアルツァフの自決を支持する動議を可決。
● 地方行政区分
2020年ナゴルノ・カラバフ紛争までの行政区画は、首都であるステパナケルトに加え、以下の7地区に分けられ、さらに下位には10町と322村が存在する
(km2)
主都
2020年紛争後から2023年紛争までの状態
2023年紛争後の状態
1
マルタケルト地区
19,800
1,795.07
一部を返還
アゼルバイジャン領
2
アスケラン地区
17,000
1,191.41
一部を返還
3
ステパナケルト
58,300
29.12
変化なし
4
マルトゥニ地区
21,300
951.16
一部を返還
5
シュシー地区
54,000
382.73
県都シュシーを含む一部を返還
6
ハドルト地区
12,000
1,876.76
ハドルト
全域を返還
7
シャフミアン地区
3,300
1,829.89
全域を返還、ただ1994年成立当時から東半分は実効支配範囲外
8
カシャタグ地区
11,700
3,376.57
ラチン回廊を除く全域を返還、回廊はロシアの管理下
● 地理
アルツァフ共和国の主張する自国領は、1万1430平方キロメートルとなっている(政府は、このうち100平方キロメートルはアゼルバイジャン軍の「占領下」にあるとしている)。国土は一般に急峻な山岳地帯で、西部から東部に向かって低くなってゆく。国内最高峰のは3723メートルで、国土全域の平均標高は1097メートルである。2013年の産業別労働人口は、農業が27.1パーセント、教育・文化・芸術分野が17.7パーセント、マネジメント・防衛分野が15.6パーセント、工業が10.1パーセント、通商分野が8.1パーセントとなっている。同じく2013年の労働人口は6万5000人で、失業人口は2600人となっている。
2014年の時点で、国土の51.9パーセントは農地として利用されており、その63.5パーセントが牧草地となっている。40.5パーセントを占める森林も林業資源として利用されている。農業は、なかでも葡萄の生産が盛んで、2500エーカーの葡萄畑から年に3250トンが産出されている。
2013年の工業生産の内訳は、手工業が43.2パーセント、31.1パーセントがインフラ事業、25.7パーセントが鉱業となっており、さらに手工業の内訳では食品・飲料品産業が69.4パーセントにのぼる。その他に重要な工業として、木工、エレクトロニクス、宝石加工がある。また、工業生産の48.4パーセントが首都のステパナケルトに集中しており、次いでマルタケルト地区が28.4パーセントを製造している。
● 国民
2013年末の統計で人口は14万8100人であり。
1991年時点の人口は14万3300人であったが。なお自治州時代の最後の国勢調査となった1989年ソ連国勢調査の人口は189,085人で、独立宣言後に同水準まで回復することは無かった。
2013年の出生率は1.6パーセント、死亡率は0.91パーセントであり、人口成長は0.69パーセントのプラスである。平均寿命は男性が71.0歳、女性が76.0歳で、両性合わせて73.5歳である。2013年に報告された犯罪件数は446件であるが、そのうち80件は薬物事犯であった。
● 文化
◎ 教育
義務教育は6歳から18歳までと定められており、2005年の時点で国内には約400校の義務教育機関が存在する。大学校は9校存在し、アルツァフ大学はそのうちで唯一の国立大学である。また、国民の大多数はロシア語を流暢に話すことができる。
教育機関の拡充には、アルメニア人ディアスポラの慈善家や、アメリカ・、アルメニア救済協会などの援助が役立ったという。
日付日本語表記現地語表記
1月7日 死者の日 lang="hy" Մեռելոց հիշատակի օր
3月8日 国際女性デー lang="hy" Կանանց միջազգային օր
4月7日 母性と美の日 (en) lang="hy" Մայրության եւ գեղեցկության տոն
4月24日 lang="hy" Ցեղասպանության զոհերի հիշատակի օր
5月1日 メーデー lang="hy" Աշխատավորների համերաշխության միջազգային օր
5月9日 戦勝、ナゴルノ・カラバフ国防軍と記念日 lang="hy" Հաղթանակի տոն, Լեռնային Ղարաբաղի Հանրապետության պաշտպանության բանակի եւ Շուշիի ազատագրման օր
5月28日 アルメニア第一共和国の日 lang="hy" Հայաստանի Առաջին Հանրապետության օր
9月2日 ナゴルノ・カラバフ共和国の日 lang="hy" Լեռնային Ղարաբաղի Հանրապետության օր
12月10日 独立に関する国民投票と憲法の日 lang="hy" Լեռնային Ղարաբաղի Հանրապետության պետական անկախության մասին հանրաքվեի և Սահմանադրության օր
● スポーツ
◎ サッカー
アルツァフ共和国ではサッカーが最も人気のスポーツとなっており、2018年にサッカーリーグのが創設されている。初年度にはがリーグ優勝を飾っている。アルツァフサッカー連盟によってサッカーアルツァフ共和国代表が組織されているが、FIFAおよびUEFAには加盟していない。2012年9月25日にアブハジア代表と初の国際試合を首都スフミで行い、試合は1-1で引き分けとなった。
「アルツァフ共和国」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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