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リトアニア共和国


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リトアニア共和国(リトアニアきょうわこく)、通称リトアニアは、北ヨーロッパの共和制国家。首都はヴィリニュス。フィンランド、エストニア、ラトビアなどとともにバルト海東岸に位置する国の一つである。バルト三国の中では最も南に位置する。ソビエト連邦の崩壊に伴い独立を回復後、2004年に欧州連合(EU)そして北大西洋条約機構(NATO)に加盟、通貨は2015年よりユーロ導入、2018年に経済協力開発機構(OECD)に加盟した。

● 概要
西はバルト海に面し、国境は、北はラトビア、東はベラルーシ、南はポーランド、南西はロシアの飛び地カリーニングラード州と接する。面積は、北海道本島の面積約7.8万 km2の約84%となる6.53万 km2である。 リトアニアは、国連の分類では北ヨーロッパの国であるもしくは中東欧の国との表記も見られる。 第一次世界大戦後の1918年、リトアニア共和国としてロシア帝国より独立。1940年にソビエト連邦から、翌1941年の独ソ戦勃発でナチス・ドイツからも侵略された。その後、ソ連に再占領されてソ連の構成共和国の一つとなったが、ソ連崩壊に伴い1990年に独立を回復し、以後、親欧米路線を歩んでいる。

● 国名
リトアニア語における正式名称は、Lietuvos Respublika(リエトゥヴォース・レスプブリカ) 。通称Lietuva(リエトゥヴァ)、略称はLR 。 日本語の表記は「リトアニア共和国」で、通称「リトアニア」。一部「リトワニア」「リスアニア」と書かれたこともある。「リトアニヤ」、「リツアニア」という表記も見られる。古くは里都亜尼亜、 礼勿泥亜、 里荅烏文。これはラテン語による表記で、文法上は属格での表記であり、この主格は"Litua"となる。当時 [v の発音は "u" で表記されていたが、この「リトヴァ」という呼び方は現在でもポーランド語をはじめとするスラヴ諸語において用いられている(LitwaまたはLitvaと表記)。そして紀元前2000年ごろ、バルト族(現在のリトアニア人やラトビア人のようにバルト語を話す人々)がバルト地域へ定住するようになった。

◎ 中世・近世
「リトアニア」の国名が歴史的な文書に最初に登場するのは1009年である(国名の節参照)。 1230年代にミンダウガスがリトアニアの諸部族を統一。その後、1253年7月6日にリトアニア王となった。戴冠式が行われた7月6日という日付は現在、リトアニアの建国記念日に制定されている(祝祭日の節参照)。1263年、ミンダウガス王が暗殺され、その後はリトアニア大公国では多神教が信仰されていたことからドイツ騎士団やリヴォニア騎士団からの攻撃を受けるようになった(北方十字軍)。リトアニアは西方から100年にわたって騎士団からの攻撃を受け続けつつ、他方では東方(かつてのキエフ公国領)へと勢力を伸ばしていった。 14世紀末までにリトアニア大公国は現在のベラルーシ全域、ウクライナ全域、ポーランドの一部、ロシアの一部を領土とする、ヨーロッパ最大の国家となった。東西の狭間に位置していたリトアニア大公国では、様々な文化や宗教が入り混ざっていた。リトアニアの支配者らはスラヴ文化・宗教に対して寛容で、また言語など多くの伝統をスラヴ部族から受け入れていった。政治的実体もハールィチ・ヴォルィーニ大公国のヴォルィーニ公国にあるほどであった。 1385年、リトアニア大公ヨガイラはポーランド女王ヤドヴィガと結婚し、ポーランド王を兼ねるようになった。これを機にヨガイラはキリスト教を受容。そしてポーランド王国との間にクレヴォ合同が結ばれ、ポーランド・リトアニア合同が形成される。その後、2度の内戦を経て、1392年にヴィータウタスがリトアニア大公となる。彼の治世のもとでリトアニア大公国は最大版図を達成し、中央集権化も進められた。この当時、リトアニア大公国における公用語はリトアニア語ではなく、現在のベラルーシ語の原型であるルテニア語であった。またリトアニア人の大公家を戴いていたものの、その政治的実態はリトアニア(リトゥアニア)人国家ではなく東スラヴ諸部族によるスラヴ人国家であった。 1410年、ポーランドとの協力によりドイツ騎士団との戦いに勝利を収めた。この戦いは中世ヨーロッパで最も大きな戦いの一つであり、リトアニアでは「ジャルギリスの戦い」として知られる。 このとき、リトアニア大公国軍は40部隊からなっていた。そのうち原リトアニアから来たリトアニア人部隊はたったの4つで、28部隊は現在のベラルーシから、8部隊がウクライナから参加していたスラヴ人部隊であった。このことからも、リトアニア大公国の実態がスラヴ人、特に東スラヴ人が主導的な国家であったことがうかがい知れる(一方で当時のポーランドは西スラヴ人の国家であった)。 ヨガイラとヴィータウタスの死後、リトアニアの貴族はポーランドとの合同を解消し、独自にリトアニア大公を選出しようとした。しかし15世紀末にモスクワ大公国が力をつけてリトアニアにとって脅威となり、さらにおよびリヴォニア戦争が起きる中で、リトアニアはポーランドとの関係を強化せざるを得なかった。 こうして1569年、ポーランド王国との間にルブリン合同が成立し、ポーランド・リトアニア共和国(ジェチポスポリタ)が誕生した。共和国内にあってもリトアニアは独自に軍隊や通貨、法令などを有していた。しかし最終的にはリトアニアの政治、言語、文化など、すべての面においてポーランド化が進んだ。16世紀半ばから17世紀半ばにおいては、ルネサンスおよび宗教改革の影響から文化、芸術、教育が栄えた。1573年以降、ポーランド王兼リトアニア大公は貴族による自由選挙で選ばれるようになる。シュラフタたちは「黄金の自由」と呼ばれる政治的諸特権を享受し、当初はこれがいい方向に機能していた。しかし、この制度には自由拒否権に代表される欠陥があった。自由拒否権の廃止といった制度改革が、リトアニアのラジヴィウ家といった一部の裕福で野心的なシュラフタ(騎士階級)の反対によって遅れたことでのちに国家が無政府状態に陥り、最終的に周辺諸国によって分割・解体される要因となった。 1655年から1661年の北方戦争において、リトアニアの領土や経済はスウェーデン軍によって破壊された。復興前に大北方戦争(1700年 - 1721年)が勃発し、リトアニアは再び荒廃した。戦争、疫病、飢餓によって人口の約4割を失うこととなった。周辺諸国、とりわけロシアのリトアニア国内における影響力は増大していった。リトアニア貴族の諸派閥が拒否権を発動し続けたことにより、改革は全て妨げられた。結局、ロシア帝国、プロイセン王国、オーストリア大公国(ハプスブルク君主国)の3か国によって1772年に第1次ポーランド・リトアニア分割が行われ、その後1792年に第2次、1795年に第3次分割が行われた。これによりポーランド・リトアニア共和国は解体された。 現在のリトアニアの領土の大半は、この分割によりロシア帝国領となった。1831年の11月蜂起、1863年の1月蜂起はいずれも失敗に終わり、ツァーリはその後ロシア化政策を強化、リトアニア語による出版物の発行が禁じられ、文化施設や教育機関が閉鎖を余儀なくされた。リトアニア地域はロシア帝国内では北西地方(クライ)と呼ばれる地方に属することとなった。 1877年の露土戦争の後、ロシア帝国とドイツ帝国の関係が悪化するのに伴い、1879年7月7日、ロシア皇帝アレクサンドル2世は、ドイツとの戦いに備えるためにカウナス郊外に要塞を建設することを承認した。 この時代、1868年から1914年までの間に、約63万5,000人、人口のおよそ20%がリトアニアを離れた。その多くは、1867年から1868年に起きた飢饉をきっかけにアメリカ合衆国へと移住した。

◎ リトアニア共和国として独立
第一次世界大戦が起きると、リトアニアは東部戦線の戦場となった。1918年2月16日、ロシア革命の余波が及ぶ中で(タリーバ)はリトアニアの独立を宣言した(リトアニア独立宣言)。当初はリトアニア王国として独立したが、これはドイツ帝国の計画したミッテル・オイローパ構想(汎ヨーロッパ主義)の一環であった。その後、1918年11月11日に第一次世界大戦でドイツ帝国が敗北して崩壊すると、リトアニア第一共和国となった。 その後のリトアニアは、ポーランドおよびドイツとの領土問題を抱えることとなる。1920年、ジェリコフスキ将軍率いるポーランド軍はヴィリニュス地域を侵攻、その後この地域にはリトアニア共和国とは別に中部リトアニア共和国が建国された。中部リトアニア共和国は後にポーランドに編入されたが、リトアニアにとってヴィリニュスは歴史的首都で、憲法でも首都として制定されていたため、その後ポーランドとの間で領土問題を抱え続けることとなった。この結果、戦間期にはカウナスが臨時首都とされ、ポーランド第二共和国とは1938年に至るまで国交が樹立されないままであった。この戦間期におけるリトアニア共和国の領土面積は4万8,712km2であった。 また、ドイツ(ヴァイマル共和政およびナチス・ドイツ)とはクライペダ(メーメル)地方をめぐる領土問題を抱えていた。第一次世界大戦後、クライペダ地方はとされていたが、1923年にリトアニア軍が侵攻し、占領した。しかしその後、1939年3月にこの地方はナチス・ドイツに併合されている。 リトアニア共和国はカウナスが臨時首都とされて以降は議会制民主主義体制がとられていた。1926年の軍事クーデタによりアンタナス・スメトナを大統領とする権威主義体制に移行した。

◎ 第二次世界大戦
1939年8月、ナチス・ドイツはヨシフ・スターリン治下のソ連と独ソ不可侵条約を締結。その秘密議定書でバルト三国と東欧の分割支配を約した。同年9月、ドイツに続いてソ連がポーランド東部に侵攻。ソ連はヴィリニュス地域をリトアニアに編入することを決定、ヴィリニュス地域がリトアニアに返還された。しかしその9か月後の1940年6月、リトアニアはソ連から侵攻され独立を失う。この侵攻は、上記の独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づくものであった。なお、在リトアニア・カウナス日本総領事館の杉原千畝がユダヤ人を助けたのは、このころである。 翌年、ドイツ軍はソ連への侵攻を開始。リトアニアは独ソ戦末期までドイツ軍の占領下に置かれることとなった。ナチスとリトアニア人協力者は、リトアニアのユダヤ人およそ19万5,000人を殺害した(詳細は「リトアニアにおけるホロコースト」参照)。 1944年、ソ連軍が再び侵攻し、その後はリトアニア・ソビエト社会主義共和国としてソ連に編入された。1944年から1952年にかけて、約10万人のパルチザンがソビエト当局と戦った(「森の兄弟たち」)。約3万人のパルチザン兵士およびその支援者は殺され、そのほかにも多くが逮捕され、シベリアのグラグへと強制追放された。第二次世界大戦中、あわせて78万人の住民がリトアニアで殺された。

◎ 独立回復へ
1986年以降、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ政権によるペレストロイカやグラスノスチを機に、国民運動サユディスが設立され、その後独立運動へと発展していった。1990年のリトアニア・ソビエト社会主義共和国最高会議選挙でサユディスは大勝利し、その後の1990年3月11日、初の非共産党員の最高会議議長ヴィータウタス・ランズベルギスが独立回復を宣言。これはソビエト連邦構成共和国の中で最も早いものであった。国内に他民族(主にロシア人)が少なかったことが、国内意見の集約を容易にさせた側面があるとされる。リトアニアの一方的な独立回復宣言を受け、ソ連政府は経済封鎖を実施。さらに1991年1月13日、KGB特殊部隊のアルファ部隊がヴィリニュスのテレビ塔を攻撃、13人の市民が殺された(血の日曜日事件)。 世界の複数の国は、ソ連によるリトアニア併合を国際法的に否認したままであった(バルト諸国占領歴史的考慮を参照)。リトアニアによる独立回復宣言を受けて、1991年2月4日、アイスランドが世界に先駆けてリトアニアの独立を承認。その後、8月にソ連の首都モスクワでのクーデターが企てられ失敗に終わると、9月6日、ソ連もリトアニアの独立を承認した。これによりリトアニアの独立は多くの国によって承認されるようになり、また9月17日にはエストニア、ラトビアとともに国際連合に加盟した。なお、独立回復後は、エストニアやラトビアとは異なり、残留ロシア人に対しほぼ無条件でリトアニア国籍を与えている。 1991年12月25日のソビエト連邦の崩壊後、ソ連軍の主力はロシア連邦軍に継承されたが、1993年8月31日、ロシア連邦軍は全てリトアニアから撤退した。その後のリトアニアは西欧諸国やアメリカ合衆国との結びつきを強めており、1994年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟申請した。計画経済から自由経済へ移行したあと、2004年3月29日にNATOへ加盟。さらに同年5月1日には欧州連合(EU)への加盟を果たした。 2009年5月17日、大統領選が行われ、EUの財政計画・予算担当欧州委員を務めるダレ・グリーバウスカイテ元財務相が圧勝し、リトアニア初の女性大統領に選出された。グリーバウスカイテは2014年の大統領選で再選を果たした。 2015年にそれまでの通貨リタスに代わり、ユーロが導入された。 2018年7月5日、経済協力開発機構(OECD)に加盟した。

● 政治
1990年3月11日の独立回復宣言以来、リトアニアは共和制国家として民主主義の伝統を維持してきた。1992年10月25日には独立回復後初めて議会選挙が行われたが、同日行われた国民投票では、投票者の56.75%がリトアニア共和国憲法の制定を支持している。憲法に関しては、とりわけ大統領の権限について激しく議論がなされ、1992年5月23日に行われた大統領制に関する国民投票では有権者の41%が大統領職の復活を支持していた。

◎ 行政

○ 大統領
大統領はリトアニアの国家元首とされ、5年任期で直接選挙によって選ばれ、最大で2期10年まで務めることができる。大統領選挙で過半数の票を獲得した候補が大統領に就任するが、いずれの候補も過半数の票を獲得しなかった場合は上位2名の候補による決選投票が行われる。 大統領職は儀礼的なものに過ぎず、外交や防衛方針の策定に加わり、それらを形式的に指揮する役割を果たす。大統領は、セイマス(議会)の承認を得て首相を任命し、首相が指名したほかの閣僚も任命する。 2019年に行われた大統領選挙では、祖国連合が支持するイングリダ・シモニーテ候補を決選投票で大差で破って当選し、7月12日にギタナス・ナウセダが大統領に就任した。

◎ 内閣
憲法第91条により、内閣は首相および各大臣によって組織される。 現職は以下の通り(なお、以下の表における役職名は、現職が男性の場合は男性名詞(ministras)、女性の場合は女性名詞(ministrė)を用いている)。
  着任   離任
  首相
Ministrė Pirmininkė     イングリダ・シモニーテ
Ingrida Šimonytė   width="1px"     無所属
(祖国連合推薦)
→祖国連合   2020年11月25日   現職
  環境大臣
Aplinkos ministras     シモナス・ゲントヴィラス
Simonas Gentvilas       自由運動   2020年12月11日   現職。また、6大陸94か国に在外大使館を設置しており、大使館を設置していない2か国に領事館を設置している。 リトアニアは1991年9月18日以来、国連加盟国であり、また国連機関やその他国際機関にも加盟している。また欧州安全保障協力機構(OSCE)や北大西洋条約機構(NATO)、欧州評議会、そして欧州連合(EU)の加盟国でもある。EUの議会組織である欧州議会にはリトアニアから12名の議員が選出され、5年ごとに普通選挙で改選される。2001年から世界貿易機関(WTO)に、2018年からは経済協力開発機構(OECD)に加盟する。 2021年7月に中華民国の代表機関の新設について「台湾」の名称を使用することを同意し、中華人民共和国から大きく非難された。11月18日、中華民国外交部はヴィリニュスにが開設されたことを発表した。中華人民共和国外交部はこれに猛反発し、報復措置として駐リトアニア中国大使の曲柏華を11月21日付で召還、代わりに代理公使を派遣すると発表した。 中華人民共和国は在リトアニア大使館の「臨時代理大使事務所」への格下げに続いて、北京駐在のリトアニア外交官とその家族からの事実上の外交特権剥奪、リトアニア産品やリトアニアの部品を使った工業製品の通関妨害など「報復」を行なっていると報道されている。しかし2023年11月27日にガブリエリュス・ランズベルギス外相が中国による制裁が解除されたことを発表した。

◎ 日本との関係


● 国家安全保障
リトアニアの軍隊は約1万5,000名の兵士によって構成されており、うち2,400名は非戦闘員である。またその他10万人の志願兵がいる。2008年9月までは徴兵制度がとられていたが、一旦廃止され、2015年5月に再開された。2004年以降、リトアニアは北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、ドイツ連邦軍など欧州各国軍が国内に駐留している。また、アフガニスタンの国際治安支援部隊への要員派遣も行っている。 リトアニアの国防制度は、国家安全保障戦略に示されている概念「総合的で絶対的な防衛」に基づいている。リトアニアにおける防衛政策は、リトアニア社会に通常防衛の準備をさせ、リトアニアが西欧の安全保障・防衛機構に統合していくことを目的とする。国防省は戦闘部隊、捜索救難、諜報機関を管轄する。リトアニアに設置されている軍種は以下の通り。
・ 陸軍 (Sausumos pajėgos
◇ SP)
 ・ (Krašto apsaugos savanorių pajėgos
◇ KASP)
・ (Karinės jūrų pajėgos
◇ LKJP)
・ 空軍 (Karinės oro pajėgos
◇ Lietuvos KOP)
・ (Specialiųjų operacijų pajėgos) そのほか、5,400人からなる (VSAT) が内務省の管轄下に置かれ、国境の保護、パスポートおよび関税の管理を担当する。また、海軍と共同で密輸や麻薬取引などを取り締まる。 ロシアによるとみられるサイバー攻撃が頻発しており、2016年に「ナショナル・サイバー・セキュリティー・センター」を設立して防衛体制を強化している。 2019年からパブラデにアメリカ陸軍の重戦車大隊が駐留している。2022年ロシアのウクライナ侵攻を受け、ロシアからの脅威が増したとして駐留期間は2026年まで延長された。

● 地理


◎ 地形
リトアニア共和国はヨーロッパの北東部に位置するバルト三国の中で最も大きな国である。北に接するラトビア(64,589km2)よりもやや広く、スリランカ(65,610km2)よりわずかに狭い。 西部はバルト海と面しており、砂質の海岸がおよそ99キロメートル(61.5マイル)広がる。そのうちの38キロメートル(24マイル)がバルト海の外海に面しているが、これはバルト三国の中でも最も短い。残りの海岸線はクルシュー砂州により区切られているクルシュー潟に面している。主な不凍港はクライペダ港で、クルシュー潟の狭い入り口に位置している。このクルシュー潟は浅く、南にロシア領カリーニングラード州まで続いている。国内最大の河川であるネムナス川(ネマン川)とその支流は国際運河にもなっている。 リトアニアの地形は全体的になだらか平坦である。これは最終氷期に形成された氷河がその後に後退した際、標高差のあまりない、細長く伸びる尾根しか残さなかったためである。このため小山や丘陵、平原がバルト地方の主な特色であると言える。

◎ 気候
海洋性気候から大陸性気候まで及び、湿度は高い。夏も冬も比較的穏やかである。気温は西部と東部でやや異なり、海岸部(西部)は涼しい夏とあまり冷え込まない冬があるのに対し、内陸部(東部)は寒暖の差が激しい。平均気温は、海岸部では1月が-2.5度で7月が16度、ヴィリニュスでは1月が-6度で7月が16度である。夏は日中20度程度、夜間は14度程度であり、ときに30度や35度にも達する。冬はとても寒く、ほとんどの場合-20度を下回る。もっとも寒い冬には、海岸部で-34度、内陸の東部では-43度に至る。 年間平均降水量は海岸部で800ミリ、ジェマイティヤ地方高地で900ミリ、リトアニア東部では600ミリである。雪は毎年10月から4月にかけて降る。9月や5月などは霰や雹が降ることもある。激しい嵐は東部ではあまり起こらないが、海岸部では頻繁に起こる。 バルト地域における気温に関する記録は、古いものでは250年前にまで遡る。そのデータによれば、18世紀後半は暖かな気候であり、また19世紀は比較的涼しい気候であった。20世紀になると再び暖かくなり、1930年代にはもっとも暖かくなったが、その後1960年代まではやや涼しい気候が続いた。その後は温暖化の傾向が続いている。 2002年には、森林および泥炭地における火災が原因で旱魃も起きている。2006年夏には、ほかの北欧諸国と同様リトアニアでも熱波に見舞われた。 リトアニアにおける月別の平均最高・最低気温および最高・最低気温記録は以下の通りである。

● 地方行政区分


◎ 行政区分
現在の地方行政区画は1994年より適用されており、2000年には欧州連合加盟条件を満たすために修正が施されている。リトアニアは3段階の行政区画がある。まず、10の郡が設置されており、その下に60の基礎自治体が設置されている。さらにその下には500以上の区が設置されている。
○ 郡
郡(apskritis、複数形: apskritys)の名称には、それぞれ中心都市の都市の名前が付けられている。郡は、中央政府が任命した郡知事(apskrities viršininkas)が統括する。郡知事は、地方自治体がリトアニアの憲法や法令に忠実であることを保証する。また、郡は自治体が国の法令、綱領、政策を履行しているかどうかを監督する。郡の機能は限られたものでしかなく、そのため、現在は10ある郡の数を減らし、文化的区分にもとづく4つの新たな州を設置する案や、10万人以上の都市を中心とした5つの州を設置する案も出ている。
○ 基礎自治体
基礎自治体(savivaldybė、複数形: savivaldybės)はリトアニアの中でももっとも重要な行政区画である。中には歴史的に地区自治体(rajono savivaldybė)と呼ばれるものもあり、そうした自治体は単に地区(rajonas)とも呼ばれる。他方都市自治体(miesto savivaldybė)と称する自治体もあり、単に市(miestas)とも呼ばれる。それぞれの自治体には選挙で選ばれた執行機関がある。過去には自治体の選挙は3年に1度行われていたが、現在では4年に1度行われている。以前は、自治体議会が市長を選出することとなっていたが、2015年統一地方選より各自治体の市長は直接選挙により選出されることとなった。
○ 区
国内全体で500以上設置されている区(seniūnija、複数形: seniūnijos)は、リトアニアで最小の行政区画であり、国政レベルでは何の機能も果たすものではない。区は各家庭に対して必要な公共サービスを提供する。たとえば、農村部では区が出生や死亡を登記する。社会福祉の面でも最も重要な役割を果たすのが区で、貧困下にいる人や家庭を把握し、生活手当を分配、さらに他の福祉金も準備する。区は、農村部の問題に対する改善策を地元から提起できる立場にあるが、しかし区には実際の権限がなく注目を集めることもほとんどないと指摘されている。

◎ 文化的区分
なお、行政区分とは別に、文化的な観点から5つの地方に分けられる。
・ アウクシュタイティヤ Aukštaitija - 北東部 : 「高地」の意。アウクシュタイティヤで用いられていた言語がリトアニア語の基礎となった。
・ ジェマイティヤ Žemaitija - 北西部 : 「低地」の意。ジェマイティヤで用いられていた言語は現在リトアニア語の一方言とされている。
・ ズーキヤ Dzūkija - 南東部
・ スヴァルキヤ Suvalkija - 南西部
・ 小リトアニア Mažoji Lietuva - 沿海部 : 小リトアニアには現在のロシア連邦カリーニングラード州も多く含まれる。また今日リトアニア領となっている地域はクライペダ地方(Klaipėdos kraštas)ともいわれる。かつてのリトアニア大公国の領土外であり、プロイセン語を話すプロイセン人の居住区であった。現在ではジェマイティヤに含まれる場合も多い。

◎ 主要都市

 リトアニアの都市の一覧

3 width:150 
ヴィリニュス

カウナス

クライペダ

シャウレイ

パネヴェジース
   都市名  郡  人口
(2010年) 3 width:150 
アリートゥス

マリヤンポレ

マジェイケイ

ヨナヴァ

ウテナ

   1  align=left  ヴィリニュス   ヴィリニュス郡   548,835
   2  align=left  カウナス   カウナス郡   348,624
   3  align=left  クライペダ   クライペダ郡   182,752
   4  align=left  シャウレイ   シャウレイ郡   125,453
   5  align=left  パネヴェジース   パネヴェジース郡   111,959
   6  align=left  アリートゥス   アリートゥス郡   66,841
   7  align=left  マリヤンポレ   マリヤンポレ郡   46,256
   8  align=left  マジェイケイ   テルシェイ郡   40,172
   9  align=left  ヨナヴァ   カウナス郡   34,056
   10  align=left  ウテナ   ウテナ郡   31,943
   11  align=left  ケダイネイ   カウナス郡   30,663
   12  align=left  テルシェイ   テルシェイ郡   29,764
   13  align=left  ヴィサギナス   ウテナ郡   28,048
   14  align=left  タウラゲ   タウラゲ郡   27,500
   15  align=left  ウクメルゲ   ヴィリニュス郡   26,970
   16  align=left  プルンゲ   テルシェイ郡   23,063
   17  align=left  クレティンガ   クライペダ郡   21,171
   18  align=left  シルテ   クライペダ郡   20,813
   19  align=left  ラドヴィリシュキス   シャウレイ郡   19,185
   20  align=left  パランガ   クライペダ郡   17,645


● 経済
国連の分類によれば、リトアニアは平均所得の高い国に位置づけられており、鉄道、空港、4車線の高速道路などの近代的なインフラが整備されている。しかし、それでもリトアニアの所得水準は欧州連合(EU)に2004年の拡大前から加盟していた国よりも低く、国際通貨基金(IMF)のデータによれば、リトアニアの1人あたりのGDP(為替ベース)はEU加盟27か国平均の半分ほどの1万5,649ドルにとどまる(2013年)。こうした低所得が要因となり、2004年のEU加盟時には所得の高い国への移住が増加した。 EU加盟直前の2003年、リトアニアの経済成長率はEU加盟国および加盟候補国の中で最も高く、第3四半期には8.8%に達した。その後、2004年にEUに加盟し、2004年には7.4%、2005年7.8%、2006年7.8%、2007年8.9%、2008年第1四半期には7.0%のGDP成長率を記録した。 公式データによれば、EU加盟は海外からの発注の増加や観光業への後押しといった経済成長をもたらしている。それまでの通貨であるリタスは2004年6月28日よりERM IIの対象通貨となっており、1ユーロ=3.45280リタスで固定されていた。2015年1月1日にユーロへ移行した。 リトアニアの貿易は多くがEU圏内で行われており、2009年は輸出の64.2%、輸入の59.1%が対EU諸国であった。その他の国ではロシアが最も高く(輸出13.2%、輸入29.9%)、次いでベラルーシ(輸出4.7%、輸入1.7%)、アメリカ合衆国(輸出2.9%、輸入1.1%)、ウクライナ(輸出3.0%、輸入0.9%)となっている。 2001年には世界貿易機関(WTO)の一員ともなった。国有企業、特にエネルギー部門におけるそれの大規模な民営化が開始されており、現在も進行中である。 リトアニアの経済構造は知識集約型経済へと少しずつ着実に移行してきており、とりわけバイオテクノロジーやレーザー産業が特に盛んで、バルト三国におけるバイオテクノロジーの製造はリトアニアに集中している。またメカトロニクス(機械電子工学)や情報技術(IT)産業も今後のリトアニア経済が目指す方向として期待されている。 失業率は近年上昇傾向にあり、2010年第2四半期の失業率は18.3%である。また、1日1ドル(貧困線)以下で暮らしている人の数は国民の2%にも満たない。 エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによるクオリティ・オブ・ライフ・インデックス(生活の質指数)は、バルト三国の中で最も高い。 2018年7月5日にはOECDに加盟した。 また、中世にヨーロッパ各地からユダヤ人を受け入れたために、リトアニアの都市部にはユダヤ人が多く、その中でも特にヴィリニュスはユダヤ人らから「北のエルサレム」と呼ばれるほど多くのユダヤ人が住んでいた。18世紀末の時点で約25万人のユダヤ人がかつてのリトアニア大公国の土地に住んでいた。しかし、第二次世界大戦中のナチス・ドイツと、その後のソ連支配の時代の弾圧によりユダヤ人人口は大きく減少した。 ソ連からの独立時に、住民全てにリトアニア国籍が与えられた。このため、他のバルト諸国のラトビアとエストニアにある残留ロシア人の無国籍問題は発生していない。

◎ 年齢構成
2020年の推計によると、年齢構成は以下の通りとなっている。
・ 0 - 14歳:15.26% (男性213,802人、女性202,948人)
・ 15 - 64歳:64.29% (男性85,7239人、女性898,892人)
・ 65歳以上:20.45% (男性190,025人、女性368,558人) 平均年齢は44.5歳(男性40.2歳、女性48.2歳)である。

◎ 言語
国語であるリトアニア語はラトビア語とともに現存している2つのインド・ヨーロッパ語族バルト語派の一つであり、リトアニアの公用語にもなっている。2021年の推計ではリトアニア語85.3%、ロシア語6.8%、ポーランド語5.1%、その他1.1%、バイリンガルが1.7%となっている。
○ 方言
リトアニア語には、主に内陸側のアウクシュタイティヤ方言(高地リトアニア語)と海岸側のジェマイティヤ方言(低地リトアニア語)の2つの主要な方言(tarmės)がある。標準語とジェマイティヤ方言の違いは顕著である。現在のジェマイティヤ方言は13世紀から16世紀にクロニア語の影響を受けながら形成されていった。これらリトアニア語の方言はリトアニアの民族誌上の地方と強く関連している。 2つの方言は、さらにそれぞれ3つずつの下位方言(patarmės)に分けられる。ジェマイティヤ方言には西部下位方言、北部下位方言および南部下位方言があり、アウクシュタイティヤ方言には西部下位方言、東部下位方言、および南部下位方言がある(東部と南部の下位方言はズーキヤ方言とも呼ばれる)。下位方言はさらに細かな話し言葉(šnektos)に分けられる。 リトアニア語の標準語は西部アウクシュタイティヤ方言をもとに作られているが、語彙などはほかの方言からの影響も顕著である。

◎ 婚姻
婚姻時、非改姓婚(夫婦別姓)、どちらかの姓への統一(同姓)、複合姓、いずれも選択可能である。

◎ 宗教
リトアニアの宗教は現在ローマ・カトリックが大勢を占め、ほかの宗教は少数となっている。しかし歴史的には多くの宗教が信奉されてきた。もともと現在のリトアニアにあたる地域はバルト人の土地であり、彼らは独自の多神教信仰を持っていた。しかしその後、キリスト教が徐々にリトアニアに入ってくるようになった。農民層が中心のリトアニア人にカトリックが浸透するのは16世紀ごろと言われている。
  ローマ・カトリック教会   align=right   2,752,447   align=right   79.00  
  正教会   align=right   141,821   align=right   4.07  
  正教古儀式派   align=right   27,073   align=right   0.78  
  ルーテル教会   align=right   19,637   align=right   0.56  
  改革派教会   align=right   7,082   align=right   0.20  
  エホバの証人   align=right   3,512   align=right   0.10  
  イスラム教スンナ派   align=right   2,860   align=right   0.08  
  ゴスペル教会   align=right   2,207   align=right   0.06  
  ペンテコステ教会   align=right   1,307   align=right   0.04  
  ユダヤ教   align=right   1,272   align=right   0.04  
  バルト人信仰(多神教信仰)   align=right   1,270   align=right   0.04  
  バプテスト教会ほか   align=right   1,249   align=right   0.04  
  その他   align=right   4,701   align=right   0.13  
  なし(無宗教)   align=right   331,087   align=right   9.50  
  無回答   align=right   186,447   align=right   5.35  
合計 align=right   3,483,972 align=right   100.00


◎ 教育
リトアニアでは、教育法で定められているとおり、6歳あるいは7歳から16歳までは義務教育で、無料で受けることができる。
○ 初等・中等教育
リトアニアにおいては、全ての者が教育を受ける権利を有する。初等教育は6歳あるいは7歳から始められ、中等教育は16歳まで義務となっている。 リトアニアでは、46万4,638人の生徒が初等・中等教育(7 - 16歳が対象)を受けている(2008 - 2009年)。これらの教育はリトアニア語で行われるものが多く、全体の92.4%(42万9,335名、2008 - 2009年)の生徒がリトアニア語で学ぶ。その他の言語で学ぶ生徒の割合は、ロシア語が4.2%(1万9,676名、2008 - 2009年)、ポーランド語が3.2%(1万5,064名)と続く。ほかにも、伝統的にベラルーシ語で教育を行う学校が1校あるほか、近年フランス語で行う学校も1校設立された。英語による学校も1校存在する。 外国語教育で最も一般的なのは英語で、約40万7,700人が学んでいる(2008年 - 2009年)。ヴィリニュス大学(VU、1579年設立)、カウナス工科大学(KTU、1922年)、カウナス医科大学(KMU、1922年)、ヴィータウタス・マグヌス大学(VDU、1922年)などがその代表例である。 大学・短大では経営学を学ぶ者が最も多く、次いで教育学、工学、法学、保健学、社会学・行動科学、建築学、コンピュータと続く。近年経営学を学ぶ学生数が急増しており、2004年の学生数は2000年の約3倍となった。 修士課程においても経営学を学ぶ学生が最も多く、次いで法学、教育学、工学、社会学・行動科学、保健学と続く。人口成長率は0.3%(2007年現在)。 リトアニアの自殺率はソ連からの独立回復期から急激に上昇し、現在ではリトアニア最も自殺率の高い国のひとつとなっている。しかし近年はその自殺率も低下傾向にあり、世界保健機関(WHO)によると、リトアニアの10万人あたりの自殺者数は1995年の時点で45.6人であったが、2000年には44.1人、2005年には38.6人、そして2007年には30.4人と推移しており、現在ではベラルーシの自殺率がリトアニアを上回る結果となっている(ベラルーシの自殺率は2003年の時点で10万人あたり35.1人)。

● 治安
リトアニアの治安は日本に比べるとかなり悪い。同国内務省の発表によると、2020年の犯罪総件数は46,306件であり、2019年に比べ10%減少しているものの未だ危険な状況下に立たされている。特に殺人、強盗、強制性交などの凶悪犯罪の発生件数が日本と比較すると非常に多くなっている(殺人は約4.9倍、強盗は約14.2倍、強制性交などは約4.1倍)。更に日本とリトアニアを犯罪発生件数だけで比較すると、2020年の犯罪発生件数(人口10万人あたり)は日本の約2.8倍となっていることから十分な注意が必要とされている。 また、リトアニアは欧州連合加盟国の中で殺人発生率が最も高い。2020年時点での外国人の被害件数は251件となっている。

◎ 警察


◎ 人権


● マスコミ


● 文化


◎ 食文化
シャコティスという伝統的なケーキが有名。また、トラカイに住むカライ派の人々は、肉のペストリーの一種でキビナイと呼ばれる伝統的な料理を作る。2018年には酒類の消費量を抑制するため、飲酒可能年齢が18歳から20歳に引き上げられた。また、酒類の広告も禁止された。

◎ 文学
中世、リトアニアにおける文学の多くは当時の学術言語であったラテン語で書かれた。リトアニア王ミンダウガスによる勅令はその一例である。また、ゲディミナス大公の手紙もリトアニアにおけるラテン語で書かれた重要な著作物の例である。 16世紀になるとリトアニア語による著作が登場する。1547年、マルティナス・マジュヴィーダス(Martynas Mažvydas)がリトアニア語で『平易な語による教理問答(Catechismusa Prasty Szadei)』を編纂・発行した。これがリトアニア語による本の印刷の始まりである。その後、ミカロユス・ダウクシャ(Mikalojus Daukša)が教理問答を引き継いでいる。 16世紀から17世紀におけるリトアニア文学は主に宗教に関するものだったが、その後、啓蒙時代になるとクリスティヨナス・ドネライティス(Kristijonas Donelaitis)が登場し、それまでの宗教中心のリトアニア文学を変えた。彼の著した「春の喜び」「夏の働き」「秋の幸」「冬の不安」の4篇からなる『一年』は国民的叙事詩であり、リトアニアの創作文学の礎を築くものであった。 19世紀前半のリトアニア文学は古典主義、感情主義、ロマン主義の特徴が合わさったものであった。当時の代表的作家としては、アンタナス・ストラズダス(Antanas Strazdas)、ディオニザス・ポシュカ(Dionizas Poška)、シルヴェストラス・ヴァリウーナス(Silvestras Valiūnas)、マイロニス(Maironis)、シモナス・スタネヴィチュース(Simonas Stanevičius)、シモナス・ダウカンタス(Simonas Daukantas)、アンタナス・バラナウスカス(Antanas Baranauskas)などが挙げられる。そのほか、重要な施設としてはパランガ琥珀博物館が挙げられる。 リトアニアでもっとも有名な画家としてはミカロユス・チュルリョーニス(1875年 - 1911年)が挙げられる。彼は作曲家としても知られている。カウナスの国立チュルリョーニス美術館には彼の作品が多く展示されている。

◎ 映画


◎ 建築

○ 住居
かつてリトアニア人は農民層に多かったが、現在では多くが都市に進出しており、大半がアパートで暮らしている。国民の59%がアパートに住んでおり、次いで32%が一戸建て住宅、9%が半一戸建て住宅に住む。

◎ 世界遺産
リトアニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が4件存在する。

◎ 祝祭日

  1月1日    元日    Naujieji metai   
  2月16日    リトアニア国家回復記念日    Lietuvos valstybės atkūrimo diena    ロシア帝国からの独立記念日(1918年)
  3月11日    リトアニア独立回復記念日      Lietuvos nepriklausomybės atkūrimo diena    ソ連からの主権国家宣言日(1990年)
   (移動祝日)    復活祭(イースター)    Velykos    3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、およびその翌日の月曜日
  5月1日      国際労働者の日(メーデー)    Tarptautinė darbininkų diena   
    5月第1日曜日    母の日    Motinos diena   
    6月第1日曜日    父の日    Tėvo diena    2009年1月1日より施行
  6月24日    夏至祭(洗礼者ヨハネ祭)    Rasos (Joninės)   
  7月6日    建国記念日    Karaliaus Mindaugo karūnavimo diena    初代リトアニア王ミンダウガス戴冠の日
  8月15日    聖母被昇天祭    Žolinė   
  11月1日    諸聖人の日    Visų Šventųjų diena   
    12月25日-26日    クリスマス    Kalėdos   


● スポーツ


◎ バスケットボール
リトアニアで最も盛んなスポーツはバスケットボールである。国内にはプロ・リーグのリトアニア・バスケットボール・リーグ (LKL) があり、その下位に (NKL) 、さらにその下位に (RKL) がある。LKL所属クラブにはヨーロッパ規模のリーグに参加するところも多く、例えばBCジャルギリスはヨーロッパ最高峰リーグのユーロリーグに参加、BCリータスはバスケットボール・チャンピオンズリーグ (BCL) に参加している。 ナショナル・チームは、五輪においてはバルセロナ(1992年)、アトランタ(1996年)、シドニー(2000年)と3大会連続で銅メダルを獲得、2010年バスケットボール世界選手権でも銅メダルを獲得、バスケットボール欧州選手権(ユーロバスケット)では3度優勝を果たすなど、数多くの世界大会で実績を残している。FIBAランキングでもリトアニアは2022年現在で男子世界9位となっており、17歳以下の部門では世界2位となっている。 NBAプレーヤーも多く輩出しており、アルヴィーダス・サボニス、シャルーナス・マルチュリョニス、リナス・クレイザ、シャルーナス・ヤシケヴィチュス、ジードルーナス・イルガウスカス、ダリュス・ソンガイラ、ドナタス・モティエユーナス、ミンダウガス・クズミンスカスらが、NBAやヨーロッパのリーグで活躍した。現在でもヨナス・ヴァランチューナス、ドマンタス・サボニス、イグナス・ブラズデイキスらがNBAでプレイしている。日本ではB3リーグの岐阜スゥープスにてがプレーしている。

◎ サッカー
リトアニア国内ではサッカーも人気のスポーツとなっている。1991年にプロサッカーリーグの「Aリーガ」が創設され、日本のJリーグ同様に春秋制を採用している。主なクラブとしては、FKジャルギリスが4連覇を含むリーグ最多10度の優勝を達成している。さらに2021年にはFKスードゥヴァ・マリヤンポレに、元サッカー日本代表の本田圭佑が在籍したことでも知られる。Aリーガの下位には、、 (SFL) が置かれている。 1922年に設立されたリトアニアサッカー連盟 (LFF) によって構成されているサッカーリトアニア代表は、これまでFIFAワールドカップおよびUEFA欧州選手権の本大会への出場歴はない。

◎ その他の競技
アイスホッケーも人気で、ディフェンスのダリュス・カスパライティスや、右ウィングのダイニュス・ズブルスなどの選手がNHLで活躍している。パワーリフティング選手のジードルーナス・サヴィツカスも知られる。サヴィツカスは世界でも有数の選手で「世界でもっとも強い男」にノミネートされたこともあった。 世界でもトップクラスの円盤投げ選手であるウィルギリユス・アレクナも知られている。アレクナは五輪記録を有しており、シドニー五輪とアテネ五輪で金メダルを獲得した。さらにテニス選手のリチャルダス・ベランキスも、男子プロテニス協会(ATP)ランキングで2010年時点で世界119位であり、同国の選手としては最高位である。 UFCの女子ストロー級王者であるローズ・ナマユナスは、両親がリトアニア人である。自転車競技選手のイグナタス・コノヴァロヴァスや、総合格闘家のマリウス・ザロムスキスも国内では有名である。パラリンピックにおいてもゴールボールの強豪として知られ、2016年リオデジャネイロパラリンピックでは金メダルを獲得している。 モータースポーツはラリー系の競技が盛んで、特にダカール・ラリーに代表されるラリーレイドの活躍が知られる。2002年にギンタス・ペトルスが初めてエントリーして以来多くのリトアニア人たちが参戦した。「ブラックホーク」の愛称で知られる、ベネディクタス・ヴァナガス率いるTOYOTA GAZOO Racing Balticsの漆黒のトヨタ・ハイラックスや、2021年ダカールでリトアニア人初のステージ勝利を飾ったヴァイドタス・ザラ、2022年W2RC(世界ラリーレイド選手権)のグループT4クラスでチャンピオンとなったロカス・バチュスカたちの活躍で国際的にも知られるようになった。2023年は実に7台がリトアニア人のマシンとしてエントリーした。

● 著名な出身者

「リトアニア」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年6月16日14時(日本時間)現在での最新版を取得

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