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パラオ共和国(パラオきょうわこく、、通称パラオは、太平洋に位置し、フィリピンの東方にあるミクロネシア地域の島々からなる共和制国家。首都はマルキョク。2006年10月7日にコロールから遷都した。
● 国名
正式名称はパラオ語で Beluu er a Belau。公式の英語表記は、Republic of Palau。通称、Palau。日本語表記は「パラオ共和国」。漢字表記では「帛琉」と書き「帛」と略す。現地ではべラウと呼ぶこともある。国名の由来は、マレー語で「島」を意味する「Pulau」である。
● 国旗
国旗のデザインは海を表す青地に月を表す黄色い丸が配置されている。日本の国旗である日の丸が元となっている説もあるが、パラオの国旗の発案者のジョン・ブラウ・スキーボング(John Blau Skebong)は「私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない」と否定している。
● 歴史
◎ 有史以前
有史以前のパラオについては未解明の状況であるが、国内に多く残る遺跡などを研究した結果、約4000年前から人が住んでいたと推定されている。
◎ スペイン帝国の植民地
16世紀ごろから、海軍の進歩によりミクロネシア諸島にヨーロッパ人が訪れるようになった。最初にこの地を踏んだのはスペイン人で、次いでポルトガル人やイギリス人がやってきたとされる。1885年にパラオはスペイン領東インド(Indias Orientales Españolas)の一部となった。これらのヨーロッパ人の来訪により天然痘が流入したほか、彼らの現地人に対する搾取が原因で、パラオの人口は約98%減少したとされる。
◎ ドイツ帝国の植民地
1899年、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、ドイツ・スペイン条約によって、グアムを除くスペイン領東インドを450万ドルでドイツ帝国に売却した。パラオもこれに含まれ、これ以降ドイツ領ニューギニア(Deutsch-Neuguinea)の一部となった。
ドイツはパラオでココナッツ、タピオカ栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興を行った。しかし、遠く離れたドイツから送られる人員はほとんどないにもかかわらず、パラオがもたらす富はドイツ人に独占された。貨幣経済の一般市民への浸透もままならず、それどころか他のドイツの植民地と同様に道路や水道などのインフラ整備や、現地人への初等教育すらほとんど行われなかった。実際に、スペインや日本時代の遺構や遺跡は数多く残されているものの、ドイツ時代の遺構や遺跡などはほとんど残されていない。
1914年に第一次世界大戦が開始されると、当時締結されていた日英同盟により、イギリスやフランスなどと同じ連合国の一員として、ドイツに対して宣戦を布告した日本が海軍を派遣し、ドイツ守備隊を降伏させてパラオ島を占領下に置いた。
◎ 大日本帝国の植民地
1919年、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領(実質的な植民地)になった。コロールには南洋庁および南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島の中核的な島となり、多くの日本人が移住した。パラオ支庁管内の住民の4人に3人は日本人となった。軍人を除く1943年6月末時点の居住者33,960人の内訳は、内地人(内地出身日本人)25,026人、朝鮮人(朝鮮半島出身日本人)2,460人、パラオ人先住民6,474人、他にスペイン人・ドイツ人宣教師18人。
日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった電気や水道、学校や病院、道路や公的施設など社会的基盤の整備、貨幣経済への移行が重点的に行われた。これにより1920年代ごろになるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させた。元駐日大使のミノル・ウエキによれば、日本はパラオでは積極的な日本化をおこなわず、教育や医療、経済といった、社会基盤の整備に努めた。
また、日本統治の開始に伴い日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになった。ただし、本科3年・補習科2年の課程であり、日本人子弟とは学校が別だった(公学校)。現地用の教科書編纂のため、南洋庁の書記として赴任していた中島敦は個人的感想として、原始的に暮らしている現地住民に近代的な高等教育を施すことへの疑問の手紙を家族に送っているが、基礎的な日本語がわからないうちに日本歴史、地理、理科などを教えるのは島民児童や教員への負担が大きく困難だとして、民政時代には3科目を省くなどパラオの実態を考え、変更を重ねた。更に1941年(昭和16年)1月9日からはパラオを起点として南洋島内を結ぶ空路が開設されたほか、同年10月以降にはパラオと東ティモール(当時ポルトガル領)間に空路が開設された。
第二次世界大戦(太平洋戦争)が始まると、コロールは海軍の重要な基地として北西太平洋方面の作戦拠点となった。そのため、西方のフィリピン戦線の状況と連動して連合軍の攻撃対象となり、1944年(昭和19年)にはペリリューの戦いなどで両軍に多くの戦死者を出した。なお、ペリリュー島の戦いではパラオ民間人の死者はなかった。しかし、日本国籍を持たない現地人であっても、本人の事前の了承を受けてパラオ挺身隊などに軍属として動員されることがあった。
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1945年(昭和20年)8月の連合国に対するポツダム宣言受諾に伴う日本の降伏により、日本の統治が終了したものの、現在でも非常に親日的でかつ多くの日本人観光客が訪れている上、アメリカからの援助額を超え、日本から最も多くの経済援助を受けている(2017年)。
◎ アメリカの信託統治
戦争終結後の1947年に、アメリカが施政権者である太平洋諸島信託統治領の一部となった。アメリカはミクロネシア地域には動物園政策をとり、教育や福祉健康には援助を行ったが、日本とは違い産業開発にはほとんど投資を行わなかった。首都マルキョクやロマン・トメトゥチェル国際空港のあるバベルダオブ島と旧首都のあるコロール島とは橋で結ばれている。コロール島とペリリュー島の間にあるロックアイランドは、2012年7月に世界遺産に登録された。
◎ 地方行政区分
パラオは、16の行政区域に分かれている。
・ アイメリーク州 (Aimeliik)
・ アイライ州 (Airai)
・ アンガウル州 (Angaur)
・ ハトホベイ州 (Hatohobei)
・ カヤンゲル州 (Kayangel)
・ コロール州 (Koror)
・ マルキョク州 (Melekeok)
・ ガラルド州 (Ngaraard)
・ アルコロン州 (Ngarchelong)
・ ガラツマオ州 (Ngardmau)
・ ガスパン州 (Ngatpang)
・ エサール州 (Ngchesar)
・ アルモノグイ州 (Ngeremlengui)
・ オギワル州 (Ngiwal)
・ ペリリュー州 (Peleliu)
・ ソンソロール州 (Sonsorol)
州内の自治は州政府(州知事が首長)によっておこなわれるが、伝統的な酋長制度も並存している。パラオには州単位の酋長で構成される酋長協議会がある。
◎ 気候
全域が熱帯雨林気候(Af)であり、年平均気温は27℃と温暖である。また、スコールなど通年で雨が多いが、特に7月と10月の雨量が多い。年間雨量は3,800mmになり、平均湿度は82%である。台風の襲来はほぼない。
◎ 標準時
全土でパラオ時間 (Palau Time, PWT) が施行されている。UTC+9で、日本標準時 (JST) との間に時差はない。
● 政治
パラオは任期4年の大統領制をとり、議会は二院制の国民議会(下院16名、上院13名。任期4年)である。独立時にアメリカ合衆国と自由連合盟約を締結しており、安全保障並びに外交上の権限の一部をアメリカ合衆国が保持している。そのため自国軍隊は保持していない。また、この盟約に基づき一部のパラオ国民はアメリカ軍人として採用されている。
今日の政治課題として、アメリカの経済援助が2025年に終了することによる財政の自立化や、世界に広まったCOVID-19以降減少した観光客の誘致などが挙げられている。
2023年、世界銀行は太平洋諸国の過剰債務のリスクを検討。他国が2019年以降、COVID-19対策で政府支出を拡大して債務を増やす中、パラオの債務に関しては持続可能という判断を示した。
◎ 国際関係
○ 日本との関係
・ 2003年現在、日本や台湾(中華民国)、アメリカ、フィリピンを含む29ヶ国と外交関係を樹立しているが、その中でも旧統治国である日本やアメリカとの関係を重視している。中華民国と対立関係にある中華人民共和国とは国交がない。
・ 1996年に崩落したKBブリッジの再建を始めとした多くの援助が日本によってなされているなど、パラオと日本の関係は国際連盟の委任統治時代以降も深い。
・ 三重県はナカムラ元大統領の父が三重県伊勢市の出身であった縁で、1996年以降友好提携関係にある。また旧首都コロールは現在東京都と姉妹都市になるべく交渉中である。
・ コロール島の旧官幣大社南洋神社やペリリュー島のペリリュー神社(南興神社)、アンガウル神社が、1980年代以降に日本からの資金により再建された。また、日本からの遺骨収集団や慰霊団も度々訪れている。
・ 現在でも日本や日本語に親しみを持ち、子供に日本風の名前をつけるパラオ人も多い。パラオ語には多くの日本語の言葉が取り入れられており、また、パラオにある唯一の公立高校では、1964年から選択科目として日本語を取り入れている。さらに、アンガウル州では州の公用語の一つとして採用されている。
・ 第7代大統領のトミー・レメンゲサウは、2005年7月の来日前に行われた会見で当時の小泉首相の靖国神社参拝について「すべての人のために祈るのは正しいことだ」と支持を表明した。また、第6代大統領クニオ・ナカムラの代理人が靖国神社に参拝した。
・ 一方でクニオ・ナカムラは「南洋」という言葉が旧植民地宗主国の主観に基づくものとして「われわれの国々を“南太平洋”と呼ぶのもけっして適当とはいえない。“太平洋諸国”といってほしい。“南”は不要です」と発言している。なお、パラオは北半球に位置する。
・ 2021年、他のミクロネシア圏の4カ国とともに太平洋諸島フォーラムからの離脱を表明。
・ 2022年2月、中台関係問題に関する不満から、2021年2月に始まった太平洋諸島フォーラムからの脱退手続きを停止し、2022年7月に脱退を撤回した。
○ 天皇・皇后の訪問
2015年4月8日から9日にかけて、日本から明仁天皇、美智子皇后(いずれも当時)が国際親善と戦没者慰霊のため訪問した。
明仁天皇は長年、パラオを含む西太平洋地域での戦没者の慰霊を強く希望しており、慰霊に際してはパラオのトミー・レメンゲサウ大統領夫妻のほか、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の大統領夫妻も同席することとなった。天皇の訪問はパラオの報道で大きく取り上げられ、歓迎ムードのなか、天皇を迎えるにあたって道路の整備が行われ、道路脇などにはいくつもの日の丸が掲揚された。
この訪問に際し、パラオ人に行われたインタビューでは「日本との交流は素晴らしかったので年配の人たちは日本と交流したい気持ちである」との声や「パラオ人も嬉しいが一番嬉しいのは同地での戦没者であろう」との声が寄せられた。
この訪問後、観光でペリリュー島に訪れる日本人が増加している。
● 経済
IMFの統計によると、2013年のGDPは2億4,600万ドルである。一人当たりのGDPは14,022ドルで、世界平均を30%ほど上回る、同時に電気、水道などのライフラインも失われたため、首都機能は麻痺し、パラオは非常事態宣言を発令した。現在の橋はパラオからの求めに応じ。
1970年の人口規模は1万数千人で、海外移住者は2500人以上であったと推定されており、この年以降も数百人規模で海外移住が行われている。特に1972年以降に大規模な海外移住が始まっている。
◎ 言語
パラオでもっとも使われている言語はパラオ語 (64.7%|公用語) である。次いでフィリピン語 (13.5%)、英語 (9.4%|公用語)、中国語 (5.7%)、カロリン語 (1.5%)、日本語 (1.5%)となっている。
日本統治時代に教育を受けたパラオ人は、日本語で不自由無く意思疎通ができるレベルに達している者が多い。また、パラオ語にはかつての統治国の言語に由来する借用語が多く存在し、日本語に由来する語彙も日常的に用いられている。
◎ 宗教
主な宗教はキリスト教で、カトリックが41.6%、プロテスタントが28.2%。他にカトリックと伝統宗教が融合した新宗教モデクゲイが8.8%、エホバの証人(166人)、末日聖徒イエス・キリスト教会(124人)や、土着の宗教がある(2000年センサスより)。
● 文化
パラオでは映画やテレビ、ラジオが娯楽の中心であり、「エコパラダイスFM」はエフエム東京(TFM)と日本航空などが協力し設立されたラジオ局で、TFMの一部番組もネットされている。
◎ 音楽
◎ 教育
外務省によると、義務教育は小学校(1年生から8年生)と高校(1年生から4年生)。卒業後多くの学生が、下記の国内唯一の短大であるパラオ短期大学に進学している。2013年時点で小学校は16校、高校は5校ある。2020年時点では、公立小学校が15校、私立小学校が2校。高校は公立校1校、私立校4校存在している。赤道近くに位置するため、一年を通じて気温は28度前後であり、四季はない代わりに雨期と乾期がある。それゆえ小学校では、夏休みが2ヶ月半と長く、年末年始の休みは10日間、イースター休暇(日本の春頃のお休み)は1日となっている。
・ ロックアイランド群と南ラグーン
◎ 祝祭日
日付日本語表記現地語表記
1月1日 元日 New Year's Day
3月15日 青年の日 Youth Day
5月5日 敬老の日 Senior Citizens Day
6月1日 大統領の日 President's Day
7月9日 憲法記念日 Constitution Day
9月 第1月曜日 労働者の日 Labor Day
10月1日 独立記念日 Independence Day
10月24日 国連の日 United Nation's Day
11月 最終木曜日 感謝祭 Thanksgiving Day
12月25日 クリスマス Christmas
● スポーツ
◎ サッカー
パラオ国内ではサッカーが最も人気のスポーツとなっており、2004年にパラオサッカーリーグが創設された。によって構成されるサッカーパラオ代表は、FIFAワールドカップやOFCネイションズカップには未出場である。
◎ 野球
1920年代の日本による委任統治時代に持ち込まれ、1927年には日本人との試合が行われた記録がある。かつては人気スポーツであったが、他のスポーツの人気拡大などに伴って人気は低迷している。
実力は周辺諸国の中では抜きん出ており、パシフィックゲームズ野球競技では全ての回でメダルを獲得している。しかしながら、オリンピックやワールド・ベースボール・クラシックには未出場である。
◎ オリンピック
「パラオ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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