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トーゴ共和国


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トーゴ共和国(トーゴきょうわこく)、通称トーゴは、西アフリカに位置する共和制国家。東にベナン、北にブルキナファソ、西にガーナと国境を接し、南は大西洋のギニア湾に面する。首都はロメである。

● 概要
トーゴはサハラ以南の熱帯国で、アフリカ大陸においては波乱に満ちた歴史を持ち合わせる国の1国である。11世紀から16世紀にかけて、部族が様々な方向から同国地域に侵入して来ており、16世紀から18世紀にかけては西アフリカ沿岸部がヨーロッパ人の奴隷購入における交易の中心地であった点からトーゴ地域とその周辺地域は「奴隷海岸」と呼ばれていた。 1884年、ドイツが自国の保護領を含む地域の樹立を宣言し「トーゴラント」と呼ばれる地域を発足させる。第一次世界大戦後、トーゴラントの統治はフランスへ移譲されるものの、イギリスとフランスにより2つの委任統治領に分割された。この分割された地域のフランス領はのちに1960年にフランスから独立を果たし、現在のトーゴとなった。 トーゴは世俗国家であり、国際連合、アフリカ連合、イスラム協力機構、のメンバーとして加盟している。また、フランコフォニー国際機関、イギリス連邦および西アフリカ諸国経済共同体にも加盟している。

● 国名
正式名称はフランス語で、République Togolaise (レピュブリク・トゴレーズ)。通称、Togo (トゴ)。 公式の英語表記は、Togolese Republic (トウゴウリーズ・リパブリック)。通称、Togo (トウゴウ)。 フランス語でRépublique du Togo、英語でRepublic of Togoと表記することもある。 トーゴはエウェ語で「川辺の村」という意味である。1884年にドイツのグスタフ・ナハティガルが沿岸の小村であるトーゴ村の族長と保護条約を結び、内陸進出の足がかりとしたため、拡大後の植民地にもこの小村の名前がそのままつけられた。

● 歴史


◎ 独立前
沿岸部には15世紀末にポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られたが、この地域を領する大規模な国家は存在せず、19世紀まで奴隷の供給地とされていた。海岸部にあるプティ・ポポ(現アネホ)は奴隷の積み出し港であり、初期にはポルトガルが、17世紀以降はフランスがたびたび進出を図った。 1884年にドイツの探検家グスタフ・ナハティガルによって海岸地域が保護下におかれ、1885年トーゴ全域がドイツ領トーゴラントと宣言された。1914年に第一次世界大戦が勃発するとトーゴラントは速やかに隣接するイギリス・フランス両国の植民地軍によって占領され、ドイツが敗戦すると国際連盟委任統治領とされて、東部3分の2を占めるフランス領トーゴランドと西部3分の1を占めるイギリス領トーゴランドに分割された。1946年には国際連合の信託統治領へと改組されたが、植民地支配が継続されたことに変わりはなかった。

◎ 独立後
1960年4月27日、フランス領地域が独立しトーゴ共和国が建国された。初代大統領にはシルバヌス・オリンピオが就任した。しかし、オリンピオ大統領は1961年の選挙で野党の立候補を禁じて一党制を敷くなど独裁化し、反対派を亡命に追い込んでいった。こうした中、1963年1月に、トーゴ軍への編入を拒否されたフランス植民地部隊からの復員兵がクーデターを起こし、オリンピオを暗殺した。クーデター派はすぐに民政復帰を行い、亡命から帰国したニコラ・グルニツキー元自治政府首相が大統領に就任したが、新政府はグルニツキー率いる南部派とアントワーヌ・メアチ副大統領率いる北部派が対立して再び機能不全に陥った。 こうしたことから、1967年1月にニャシンベ・エヤデマ陸軍中佐がグルニツキー大統領を追放し、4月には自ら大統領に就任した。エヤデマは1969年に(RPT)を設立し、一党独裁の強固な支配体制を築いた。1970年代には主要産品であるリン鉱石の価格が上昇し、これを原資とした利益分配で支配体制はさらに強固なものとなった。 しかし1980年代に入るとリン鉱石の価格低落によってトーゴ経済は長期不況に入り。 1993年8月、(RPT)による一党独裁から複数政党制へ移行後初めての大統領選が行われ、エヤデマ大統領が当選した。1994年2月、議会選で大統領与党であるRPTが過半数割れし。2003年11月、中華人民共和国の援助で新しい大統領府を建設し始める。

◎ ニャシンベ政権
2005年3月5日、エヤデマ大統領が療養のためフランスに向かう途中、飛行機の中で死去した。同大統領は、1967年のクーデターにより政権の座に就いてから死去するまでのおよそ40年近く政権の座にあり、アフリカ最長の国家指導者という事実上の独裁者として君臨した。 トーゴ共和国憲法では大統領死去の際の代行職には国会議長が就くとされているが、ナンジャ陸軍参謀長は「国会議長は外遊中であり、権力の空白を防ぐため」として、エヤデマ大統領の息子フォール・ニャシンベ設備・鉱業・電気通信相が代行職に就いたと発表した。しかし、実際はトーゴ軍が陸海空全ての国境を閉鎖したため国会の議長がトーゴ国内に戻れなくなっており、「権力世襲」「憲法違反」の措置であると西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)やアフリカ連合(AU)などの国際社会から非難され、2月25日にニャシンベ大統領は辞任した。議会のボンフォー・アッバス副議長が暫定大統領に就任したが、4月24日の大統領選でニャシンベが当選し、5月4日より再びニャシンベが大統領の座に就いた。しかし、選挙に不正があったとする野党側との対立で154人が死亡する流血事件に発展した。 2010年3月4日には大統領選挙が行われた。事実上ニャシンベ大統領と、党の総書記の一騎討ちとみられていたこの選挙では抗議デモがあった他は流血沙汰には至らず、選管はニャシンベ大統領が60.9%の票を獲得して再選されたと発表した。2015年の大統領選で、ニャシンベ大統領は3選された。2020年2月の大統領選挙では野党側が分裂したため、ニャシンベ大統領が大勝して4期目を迎えた。 2022年6月25日、同じく旧フランス領のガボンと共にイギリス連邦に加盟した。非イギリス植民地の加盟はモザンビーク、ルワンダに続く3か国目。

● 政治
トーゴは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。 大統領は強大な権力を憲法により保障されている。

◎ 行政
国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年と長く、再選制限がなかったが、2019年5月の憲法改正によって2期までの再選制限が導入された。しかし、憲法改正以前の任期が任期制限に含まれなかったため、改正時現職であるニャシンベ大統領はさらに2期の再選が可能となった。

◎ 司法
トーゴの司法は、フランス司法の影響を強く受けている面を持つ。 司法は、一般裁判所と専門裁判所の2種類の裁判所によって管理されている。

● 国際関係
旧宗主国であるフランスとの関係が深い。西隣のガーナとは旧トーゴランド植民地の帰属を巡って1960年代から1980年代にかけては激しく対立したものの、関係は改善されている。近隣諸国とは1975年に西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)を結成しており、また旧フランス領西アフリカ諸国とは西アフリカ経済通貨同盟(UEMOA)を結び、共通通貨であるCFAフラン圏を形成している。

◎ フランスとの関係


◎ 日本との関係
2001年1月、森喜朗が日本の内閣総理大臣として初めてサハラ砂漠以南のアフリカ諸国(南アフリカ共和国、ケニア、ナイジェリア)を訪問し、21世紀に向けた日本の対アフリカ協力基本方針を明らかにした。日本はトーゴへのODAを実施し、現在もそれは続いている。 資金援助の他にも、放送器材を提供して国営放送を支えている。日本はトーゴから綿花や魚介類を輸入している。東日本大震災において、国際熱帯木材機関を通じ復興用木材の提供を行った。

◎ 駐日トーゴ大使館

・住所:東京都目黒区八雲二丁目2-4
・アクセス:東急東横線都立大学駅北口 トーゴに日本の在外公館は存在せず、在コートジボワール日本大使館が兼轄している。トーゴは東京の目黒区に在日本トーゴ大使館を置いている。 在留日本人数 - 3人(2021年10月現在) 在日トーゴ共和国人数 - 42人(2021年6月現在)。北部はなだらかに起伏するサバナで、中部には北東から南西にかけてアタコラ山脈が走るがそれほど標高は高くなく、この山脈に属しトーゴ最高峰であるアグー山ですら986mの高さに過ぎない。海岸平野は潟と沼沢からなるが、ギニア湾岸における少雨地帯、いわゆる「ダホメ・ギャップ」地域に含まれるため熱帯雨林は形成されず、サバナや森林が広がる。北から流れるモノ川がベニン湾に注いでいる。

◎ 気候
国土のほぼ全域がサバナ気候(Aw)に属する。降水量は内陸部の丘陵が最も多く、北に向かうにつれて減少するが、北部では少ない地域でも1000mm前後の降水量はある。最も降水量が少ないのはロメ周辺の海岸部であり、年間780mm程度の降水量にとどまっている。人口10万人以上の都市はソコデ、カラがある。ソコデはトーゴ中部の中心都市であり、周辺の農産物の集散地である。カラはトーゴ北部の中心都市であるが、ニャシンベ・エヤデマ前大統領の生地に近いためエヤデマ政権時にトーゴ政府の集中投資を受け発展した(1人当たり990ドル、2022年)である。外国からの援助に依存しているが、欧州連合 (EU) は1993年8月のエヤデマ大統領当選を認めず経済援助を停止し、その後トーゴ国内の混迷に伴い数度の援助再開と停止を繰り返した、トーゴもこの新通貨を導入する予定であるが日時は決定していない。

◎ 農業
農業が労働人口に占める割合は大きいものの、基本的にトーゴの農業は自給農業の色彩が強い。食糧作物としては、南部ではトウモロコシとキャッサバ、中部ではヤムイモ、北部ではトウジンビエが主に栽培されるが、生産は停滞気味である。商品作物としては南部海岸でアブラヤシ、内陸南東部におけるカカオとコーヒー、そして全土で栽培される綿花があり、独立時には総輸出の89%がカカオやコーヒーなどの農産品によって占められていたが、カカオとコーヒー栽培は衰退しつつある。輸出農産品としては綿花が最も大きく、2016年度には総輸出の7.2%を占めた。

◎ 鉱工業
トーゴの最大の鉱物資源はロメ近郊のハホトエで採掘されるリン鉱石である。しかしリン鉱石の産出は減少傾向で、2003年時点には53万トン、2015年には40万トンまで減少している。 ロメにあるロメ空港は近隣諸国からの国際線が多数就航しており、近隣諸国政府との共同出資によって設立されたASKY航空のハブ空港ともなっている。トーゴにはこのほか、北部のニャムトゥーグーにニャムトゥーグー国際空港が存在するものの、これは前大統領ニャシンベ・エヤデマが自らの地盤である北部の開発のために建設させた空港であり、定期便は就航していない。

● 国民


◎ 人口・住民
トーゴの人口は、1963年に156万人だったものが1986年には305万人。

◎ 民族
住民は、アフリカ系が99%で40以上の民族がある。最大民族は南部に住むエウェ族であり、人口の約22%を占める。このほか、北部に主に居住しエヤデマ一族の属するが13%を占める。識字率は、2015年のデータで66.5%である。

◎ 法執行機関
トーゴにおける法執行は、主に国家警察、文民国家警察、準軍事組織であるによって分担されている。

◎ 人権


● マスコミ
トーゴの代表的な報道機関には(ATOP)が挙げられる。 トーゴ通信社はAFPと国際ニュースを提携している。

● 文化


◎ 食文化
トーゴ料理はアフリカ料理、フランス料理、ドイツ料理の影響を受け、それらが融合したものである。トーゴ料理には多種多様なソースやパテがあり、それらの多くはナスやトマト、ほうれん草、魚を材料としている。同国ではこれらの料理とさまざまな種類の肉や野菜を組み合わせて、風味豊かな料理が作り上げられている。屋台ではバンバラマメ、オムレツ、串焼き、軸付きとうもろこし、焼きエビなどの料理が販売されている。

◎ 文学


◎ 音楽
ベラ・ベロー、アコファー・アクサー、アフィア・マラ、イタディ・ボニー、ウェルボーン、キング・メンサー、ジミ・ホープなど、国際的に有名な人気エンターテイナーを数多く輩出している。

◎ 映画
トーゴにおける映画監督にはが挙げられる。ボッソウはベナン出身のトーゴ人で、アフリカ各地でも活動していた。

◎ 世界遺産
トーゴ国内には、世界遺産のうちの文化遺産が1件存在する。バタマリバ人の土地クタマクは2004年に世界遺産に指定された。

◎ 祝祭日

日付日本語表記現地語表記備考
  1月1日  元日  lang="fr" Jour de l'an  
  4月27日  独立記念日  lang="fr" Fête de l'indépendance   
  5月1日   メーデー  lang="fr" Fête nationale du travail   
  6月21日   殉教者の日  lang="fr" Jour des Martyrs   
  12月25日   クリスマス  lang="fr" Noël   


● スポーツ


◎ サッカー
トーゴ国内でも他のアフリカ諸国同様に、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。1961年にサッカーリーグのが創設された。によって構成されるサッカートーゴ代表は、FIFAワールドカップには2006年大会で初出場を果たしたものの、グループリーグ3戦全敗で敗退した。 アフリカネイションズカップには8度の出場歴があり、2013年大会ではベスト8の成績を収めている。トーゴ人の世界的に有名なサッカー選手としては、主にアーセナルなどで活躍したエマニュエル・アデバヨールが挙げられる。2008年にアフリカ年間最優秀選手賞を受賞するなど、トーゴ国民の英雄的な存在として知られる。

◎ オリンピック
トーゴはオリンピックには1972年ミュンヘン大会で初出場し、1984年ロサンゼルス大会以後は連続して参加し続けている。2008年北京大会ではカヌー競技・スラローム男子カヤック1人乗りで、が銅メダルを獲得し同国選手として初のメダルを手にした。

「トーゴ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年3月30日0時(日本時間)現在での最新版を取得

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