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チャド共和国


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チャド共和国(チャドきょうわこく)、通称チャドは、アフリカ大陸中央部に位置する内陸国。首都はンジャメナである。国土は東はスーダン、南は中央アフリカ、南西はカメルーンとナイジェリア、西はニジェール、北はリビアに接している。

● 国名
正式名称はフランス語で République du Tchad(レピュブリク・デュ・チャド)。通称 Tchad (チャド)。アラビア語で جمهورية تشاد (Jumhūriyyat Tshād)。 公式の英語表記は Republic of Chad(リパブリック・オヴ・チャド)。通称 Chad (チャド)。日本語の表記はチャド共和国。

● 歴史


◎ 独立前
チャド地方に最初に成立した広域帝国は、9世紀ごろにチャド湖北東部のカネム地方に建国されたカネム王国である。カネム王国はサハラ交易を基盤とする国家で、南方から入手した象牙や奴隷などを主に輸出していた。11世紀にはイスラム教を受け入れたが、14世紀に本拠地を奪われ、チャド湖南西岸のボルヌ地方に遷都した(ボルヌ帝国)。しかし、16世紀後半にイドリス・アローマ王が現れてカネム地方を回復し、19世紀に至るまでチャド盆地の主導勢力であり続けた。この2王国は連続性があるため、総称してカネム・ボルヌ帝国と呼ばれる。チャド湖沿岸地域を本拠としたカネム・ボルヌ帝国に対し、その西には17世紀以降ワダイ王国が、シャリ川中流域にはバギルミ王国が存在し、その他に幾つかの小王国が存在していた。 アフリカ分割が進行していた1900年にはフランスがこの地を占領し、フランス領赤道アフリカの一部とした。植民地時代にはフランス人によって落花生や綿花といった商品作物のほか、湿地帯での栽培に向くコメなどの作物が新たに持ち込まれた。1958年にはフランス共同体のもとで自治政府が設立され、1960年にフランソワ・トンバルバイが主導して独立を達成した。

◎ 独立後
1960年に独立後、トンバルバイは与党チャド進歩党による一党制を取り、他の政党を禁止して独裁体制を敷いた。しかしトンバルバイは政権基盤のある南部のキリスト教徒を重視したため、北部のイスラム教徒が反発し、1965年末には内戦が勃発した。この反乱は北部のアオゾウ地帯の領土問題を抱えるリビア政府が支援していた。1975年にはフェリックス・マルームがクーデターを起こしてトンバルバイ政権を打倒したものの、政府が人口の多い南部を重視する姿勢に変わりはなく、北部の反政府軍との対立は続いた。ただ、反政府軍内でもグクーニ・ウェディ派とイッセン・ハブレ派の対立が激化しており、1978年にはマルーム大統領はハブレ派との和解を行い政府内に取り込んだものの、1979年にはこの同盟は瓦解し、結局はハブレ派が首都を制圧して、マルームは亡命した。 首都を制圧したハブレはグクーニ派との北部連合政権を樹立した。グクーニが大統領に就任したものの、翌1980年には対立が激化して戦闘が始まり、年末にはリビアの支援を得たグクーニ派が首都を制圧した。しかしリビア軍はグクーニとの対立から1981年11月に撤退し、主戦力を失ったグクーニ政権は1982年6月に崩壊してハブレが首都を制圧した。しかしグクーニ派は再度リビアの支援をとりつけ、1983年に北部に侵攻、北緯16度線以北の砂漠地帯を制圧した。この対立は1986年末に起きた、いわゆる「トヨタ戦争」によってチャド側が大きく優位に立ち。デビ政権は複数政党制を導入はしたものの、その政権運営は独裁的で、2004年5月には大統領の再選回数制限を撤廃するなどさらに独裁的傾向を強めていった。そうした中、2005年には東部で反政府軍が蜂起し、チャドは再び内戦に突入した。 2006年4月13日、反政府勢力:en:United Front for Democratic Change(FUC)がスーダンから進発し、首都ンジャメナに侵攻(:en:Battle of N'Djamena (2006))。チャド・スーダン両政府間の関係は極度に悪化し、反政府勢力の首都侵攻にスーダン政府の支援があったと非難するチャド側に対し、スーダン側はダルフール紛争へのチャド側の介入を非難した。5月3日には和解協定が締結されたものの、2008年1月28日、FUCを含む反政府勢力・(UFDD)がスーダン国内の基地を進発し、2月2日には首都ンジャメナに侵攻した(:en:Battle of N'Djamena (2008))。一時は反政府軍が首都の大部分を制圧し、外国人の国外退避が行われたが、3日には政府軍の反撃で首都の支配権を回復した。5月11日にはスーダンとチャドが断交し、6月にもチャド東部において反政府軍との激しい戦闘が起きた。2010年2月にはチャド・スーダン間で和解が成立した。 内戦は鎮静化したものの、イスラム過激派組織のボコ・ハラムが近隣諸国で活動を活発化させるようになり、2015年2月にはチャド国内に初めて襲撃をかけ、6月には首都ンジャメナで連続自爆テロが起き120人以上が死亡するなど、治安が大きく悪化した。 北隣のリビアを拠点とする「チャド変革友愛戦線」(FACT)も政権奪取をめざして軍事活動を行っており、2021年4月の大統領選挙に合わせて大規模な軍事攻勢を開始した。チャド軍も反撃する中、イドリス・デビ大統領は、その戦闘を視察中に負傷して死亡。FACT側は攻勢を強め、一時はカネム州を「解放した」と主張したが、チャド軍は2021年5月9日、捕虜156人を報道機関に公開して勝利宣言を行った。

● 政治
チャドは共和制を取る立憲国家である。最後に承認されたは2018年4月30日に承認されたものである。チャドはガバナンス(統治能力)の低さと政府の腐敗のひどさで知られており、2018年度のトランスペアレンシー・インターナショナルによる腐敗認識指数(CPI)は20.0であり、140カ国中でワースト4位(136位)となっている。2021年4月20日に6選が発表されたばかりのイドリス・デビ大統領が北部における内戦の視察中に負傷し死亡したため、彼の息子であるマハマト・デビ(モハマト・デビとも、暫定大統領。その後、軍事政権の統治期間は2022年10月1日に2年間延長が決議されている。なお2018年憲法は2021年4月に軍事評議会によって事実上無効化され、2023年12月17日に執行された国民投票で新憲法が承認された。

◎ 元首
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。1996年憲法では任期は5年だったが、2018年憲法によって6年に延長された。また、1996年憲法では2期までの再選制限が存在したが、2004年にいったん撤廃され、2018年の新憲法によって再び再選制限が導入され、再選1回(連続2期)までと定められた。これらの再選制限をめぐる動きは事実上、現職大統領の任期を継続させるためのものと見做されている。

◎ 立法
チャドの議会は一院制で、188議席の国民議会が置かれている。国民議会議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年である。先述の2021年4月のデビ大統領死亡により議会は解散され。2006年4月には、反政府軍から首都ンジャメナが攻撃を受ける事態となった。イドリス・デビ大統領は攻撃を撃退し、翌5月の総選挙で勝利し再び国内の体制固めを行ったものの、2008年1月には、アティが反政府勢力の影響下となり、翌2月には再び首都のンジャメナが攻撃に晒された。その後、2010年2月に両国で和解が成立し関係は修復された。 西隣のニジェール、ナイジェリア、カメルーンに対しては友好関係を築いており、2015年以降激化するボコ・ハラムのテロ活動に対しては、これら諸国での共同作戦をしばしば実施している。 なお、チャドは中華民国(台湾)の承認国だったが(1962年 - 1972年、1997年 - 2006年)、アフリカにおいて積極的な外交を進める中華人民共和国と2006年8月に復交した。

◎ 日本との関係

・ 在留日本人:5人(2022年6月時点)。 気候区分はほぼ緯度と対応しており、一般に北へ行くほど乾燥が酷くなる。国土の北半分は年間降水量が200mmに達しない砂漠気候(BW)であり、わずかなオアシスを除き植生はほとんど存在せず、広大なサハラ砂漠が広がっている。中部は年間降水量が200mmから600mm程度のステップ気候(BS)であり、乾燥した草原が広がるサヘル地帯となっている。首都ンジャメナもこの地域に位置し、年間降水量は528mmとなっている。南部は降水量が600mmから1500mm。

● 地方行政区分
チャドは首都ンジャメナおよび22の州に分かれている。

◎ 主要都市
最大都市はチャド湖付近に位置する首都のンジャメナであり、人口は121万人(2014年)を数え、突出した大都市である。ンジャメナはシャリ川とロゴーヌ川の合流点に存在し、ここで合流したシャリ川は北上してチャド湖へと流れ込むため、交通の要所となってきた。 これに次ぐ都市は南部のムンドゥ(14万人)、サール(12万人、いずれも2010年)がある。ムンドゥはロゴーヌ川の、サールはシャリ川の、それぞれ増水期の航行上限にあたる。ムンドゥは綿花生産地域の中心地に位置し、その集散地となっている。またサールは中央アフリカへの幹線上に位置する要衝である。これに対して、北部に大きな都市は存在しない。

● 経済
チャドは後発開発途上国の1つに数えられている。2000年代まで長期にわたって続いた内戦、政府の統治能力の低さや腐敗のひどさ、交通網の未整備などが主な原因であり、平和基金会の発表する失敗国家ランキングでは2019年度は171位(ワースト7位)となった。

◎ 農業
チャド北部は乾燥地域であり、農業は中部および南部に限られている。主に降水量の差によって、栽培作物は各地で異なっている。農耕可能限界に近いサヘル地帯においては、乾燥に強いトウジンビエが主に栽培され、農耕よりも牧畜が中心となっている。また、チャド湖の周辺においては氾濫原を利用した集約的なトウモロコシ栽培が盛んである。1980年代にチャド湖が急速に縮小すると、干上がった湖底に住民が定住するようになり、この地域では農業を中心に牧畜や漁業を組み合わせた開発が急速に進んで食料生産が増大した。一方、南部のサバンナ地帯においてはソルガムが主に栽培される。穀倉地帯となっているのは肥沃な土壌の広がるシャリ川およびロゴンヌ川の中流域であり、ここではソルガムを中心に、トウジンビエ、落花生、さらに主に湿地帯を利用するイネなどが栽培されている。南東部においてはキャッサバとソルガムの栽培が主であり、それに落花生やトウジンビエが加わる。商品作物としては南部のシャリ川以南で栽培される綿花が重要であり、原油の生産が始まるまでは輸出の70%程度を占める主力産品だった。2011年の輸出に占める割合は1.2%となっている。 一方、北部においては、砂漠地帯ではラクダ、ステップやサバンナではウシの牧畜が行われており、2011年には家畜の輸出が6.0%を占めて原油に次ぐ主力輸出商品となっていた。

◎ 石油・エネルギー産業
2003年に南部のロゴン・オリエンタル州にあるドバ油田から、大西洋に面したカメルーンのクリビ港までの全長1070 km に達するパイプラインが完成した。これによって、日量10万バーレルの原油の輸出が始まった。参考までに2008年時点においてチャドの電力は、ほぼ火力発電のみに頼っている。また2011年には、チャドの輸出の86.7%は原油によって占められており、以前の綿花に変わって原油輸出が経済の生命線となっている。このため原油価格が経済に直撃する構造となっており、2016年には経済成長率は-1.1%となった。この他、アオゾウ地帯にウラン鉱脈が発見されたものの、これを巡ってリビアと紛争が発生するなどしたこともあり、開発は遅れている。

◎ 観光
同国随一の保護指定区であるの案内が主体となっている。

● 交通
道路はほとんど未舗装であり、場所によっては雨季に使用できなくなる。

◎ 鉄道
鉄道は2011年まで敷設されていなかったが、首都ンジャメナからスーダンとカメルーンへの2路線が計画されており、2016年2月から着工。4年後の2020年に完成予定となっている。

◎ 空港
空港は首都にあるンジャメナ国際空港をはじめとして国内各地に存在する。

● 国民


◎ 民族
住民はスーダン系の黒人が大半を占めており、200近い民族に分かれている。チャドの民族は、宗教によって北部・中部のムスリム(イスラム教徒)系の民族と、南部のキリスト教徒やアニミスト中心の民族に大きく分けられる。チャドは南北の民族対立の激しい国家であるが、いわゆる「南部の民族」の居住する地域は地理的な南部よりもはるかに狭く、シャリ川以南の国土南西部に限られ、それ以外の地域は「北部の民族」の居住地域とされる。北部系の民族で最も大きなものは主に中部に住む牧畜民であるなどのアラブ系民族であり、人口の12.3%(1993年)を占める。国土の大部分がイスラム教徒の多数派地域であり、キリスト教徒は南西部に集住するが、この地域は雨量が多いため人口密度が高く、人口比としてはそれほどの差はない。

◎ 教育
2009年時点での識字率は33.6%と、極めて低い。

◎ 保健
妊娠出産による死亡率が6.49%と世界で一番高い。

● 治安
2010年代後半、隣国のリビアや中央アフリカ、スーダンの紛争地帯からチャドへ銃が流入するようになり、治安が悪化している。ワダイ州などの地方部では、しばしば死者を出す規模の武力衝突が起きている。また、2015年ごろからはボコ・ハラムの襲撃がチャドでも起きるようになり、同年6月には首都ンジャメナで連続自爆テロが起き120人以上が死亡する。2016年末には、中央アフリカからの70000人の難民がチャドに逃れてきていた。

◎ 人権
トランスペアレンシー・インターナショナルは、チャドを「世界で最も腐敗した国」の1つとしてランク付けしている。2007年時点においては、腐敗認識指数において10点満点中1.8点となっている(10点が指数で最も少ない)。

● マスコミ


● 文化


◎ 食文化
米やと呼ばれるパン、インジェラが主食となっている。一般的に消費される穀物にはキビやソルガム、野菜にはオクラとキャッサバが挙げられる。また、肉類をはじめ、魚の燻製や塩漬けが食されており、他にも昆虫食の文化が確認されている。

◎ 文学
チャドは文学における著名人をそれほど輩出していないが、劇作家である、政治家でありながら作家として活動したや、詩人・小説家の活動の傍らで大学講師を務めるら実力派文芸家の存在が知られている。

◎ 音楽


◎ 映画


◎ 世界遺産
チャド国内にはユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が1件、複合遺産が1件存在する。自然遺産であるウニアンガ湖群はサハラ砂漠の中央部、北部のティベスティ山地西部からエネディ地方東部にかけて存在する湖沼群であり、2012年に登録された。エネディ山地の自然的・文化的景観も同じくサハラ砂漠の中に存在し、2016年に世界遺産に登録されている。

◎ 祝祭日

 日付  日本語表記  現地語表記  備考
  1月1日   元日      
  3月8日   国際女性デー      
  4月13日   国民デー      
  5月1日   メーデー      
  5月13日   アフリカの日      
  8月11日   独立記念日      
  11月28日   共和国の日      


● スポーツ


◎ サッカー
チャド国内でも他のアフリカ諸国同様に、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。1988年にサッカーリーグのが創設され、が6連覇を含むリーグ最多7度の優勝を達成している。によって構成されるサッカーチャド代表は、FIFAワールドカップおよびアフリカネイションズカップへの出場歴はない。

● 著名な出身者

「チャド」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年4月19日11時(日本時間)現在での最新版を取得

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