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ガンビア共和国


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ガンビア共和国(ガンビアきょうわこく)、通称ガンビアは、西アフリカ西岸に位置する共和制国家。イギリス連邦加盟国であり(2018年に復帰)、西はガンビア川の河口がある北大西洋に面している。陸地部分の国境はすべてセネガルと接している。言い換えれば、海に面した西側以外でセネガルに取り囲まれている。首都はバンジュールで、最大の都市はセレクンダである。

● 国名
公用語である英語では Republic of the Gambia。通称 Gambia 。 国名はガンビア川に由来する。英語では正称・通称ともに国名の前に定冠詞(The)を付けるが、これは15世紀にこの地にポルトガル人が入植したときに、川の名前を「Rio Gâmbia」と呼び、それを英語に直訳した「The Gambia river」に由来し、長年同地域を「The Gambia」と呼ぶのが一般的であったことからである。ガンビアがイギリスから独立した1965年ごろに、非常によく似た名前を持つザンビアも独立をしたことから、混同を避けるために定冠詞をつけた状態を正式名称とした。英称で定冠詞(The)をつける国は他にバハマ、スーダン、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、フィリピン、オランダ、アメリカなどがある。 2015年12月10日に当時の大統領ヤヒヤ・ジャメによってガンビア・イスラム共和国(Islamic Republic of the Gambia)に変更されたが。 日本語の表記は、ガンビア共和国。通称ガンビア。

● 歴史


◎ 独立以前
ガンビアの地域が初めて歴史に登場するのは、9、10世紀のアラブの商人の記録である。13世紀にはマリ帝国の勢力圏に入った。13世紀にマリンケ族の商人がイスラム教を広め、18世紀まで強い影響力を持っていた。1446年にはポルトガル人がガンビア川下流域に到達し、数十年後には当時まだガンビア川流域に影響を及ぼしていた内陸のマリ帝国と接触している。しかし16世紀末にはマリはガンビア川流域を失い、サルムなどいくつかの王国がかわってこの地域に成立した。また15世紀末以降、ガンビア川は内陸から金と奴隷を海岸部のヨーロッパ勢力へ輸出する主要ルートのひとつとなっていた。1678年にはイギリスが進出、その後フランスと争った末、1783年のパリ条約によりイギリス植民地となる。 1816年には河口にバサースト市(現・バンジュール)が建設された。1902年にはバサーストのあるサントマリー島が植民地、残りのガンビア川流域が保護領となり、ガンビア植民地および保護領が成立した。 1950年代後半になるとガンビアでも政治運動が盛んとなり、直轄植民地において民主党(DP)や統一党(UP)など、いくつかの政党が結党された。1958年にはダウダ・ジャワラがマリンケ人の支持により保護領地域を基盤とする初の政党であるを結成した。1960年には普通選挙制と国会が設置され、統一党のピエール・サン・ヌジエが首相に就任した。1962年の選挙ではPPPが勝利し、ジャワラが首相になり自治権を獲得した。 これによって両国間の関係は緊密化し、1982年2月にはセネガルとの国家連合を形成、セネガンビア国家連合となったものの、ガンビアが自国よりはるかに巨大な勢力であるセネガルに飲み込まれて独立が失われることを恐れたため次第に関係は悪化し、1989年には国家連合を解消した。ジャワラは民主主義と長期政権を維持し、1992年には6選を果たしたものの、長期政権による腐敗や経済の低迷によって国内の不満は高まりつつあった。

◎ 軍政から民政移管へ
1994年7月、当時29歳のヤヒヤ・ジャメ陸軍中尉による無血クーデターで、ジャワラ大統領はセネガルへ亡命、長期政権に終止符が打たれた。その後はジャメを国家元首とする軍政が敷かれたものの、ヨーロッパ連合やアメリカ合衆国などから援助停止の通告を受けたため、数度のクーデター未遂を経ながら民政移管へと向かっていった。ジャメはその後の選挙でも再選を重ねていったが、2008年には同性愛者に国外退去を求めたり、2009年には魔術師狩りを行って国内外から激しい非難を浴びたり、2013年にはイギリス連邦から脱退し、2014年には突如英語を公用語から外すことを宣言するなど暴政や奇矯な行動が目立ち、人権や民主制の状況への懸念から欧米の主要援助国との関係は悪化の一途をたどっていた。 2016年12月の大統領選挙では、長期政権を築いていたジャメを破り、野党連合統一候補のアダマ・バロウが当選した。ジャメは当初は退任を受け入れたものの、のちに退任を拒否し首都に軍隊を配備した。そのため、バロウは2017年1月19日、隣国セネガルの首都ダカールにあるガンビア大使館で宣誓式を行った。15か国で構成される西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、ジャメに対し20日正午までに権限移譲するよう要求し、セネガル、ナイジェリア、ガーナが結成した連合軍は2017年1月19日にガンビアへの軍事介入を表明。これに対し21日、ジャメは退陣を宣言、赤道ギニアへと亡命した。 バロウ政権はジャメ政権時代に悪化した国際関係の修復に努め。ダウダ・ジャワラの長期政権を支えたは、1994年のクーデターでジャワラが亡命するとその後の国政参加を禁止されて衰退、2005年にに合流した。

◎ 司法
最高司法機関は最高裁判所である。

● 国際関係
隣国セネガルとは民族や文化の多くが共通し、両国を合わせてセネガンビアという地域名で呼ばれることもある。ガンビア国土のほとんどがセネガルに取り囲まれる形になっていることもあって両国の関係は深く、1982年から1989年までセネガンビア国家連合を形成していたが、ガンビア側の自立への危惧により解散した。その後、2017年2月14日にバロウ大統領は連邦への復帰手続きを開始し、2018年2月8日に復帰した。 近隣諸国との友好関係の維持に努めるとともに、イスラム諸国圏との緊密なつながりを構築している。1994年の軍事クーデター発生以降、西側諸国より新規援助停止を含む厳しい措置をとられてきたが、1996年以降民主化プロセスの進展に伴い1990年代後半に援助は再開された。しかしジャメ大統領治下の人権状況の悪化に伴い再び援助停止などの措置がとられたが。

◎ 日本との関係
ガンビアに日本の在外公館は設置されておらず、在ガンビア大使館は在セネガル大使館によって兼轄されている。2015年、名古屋でガンビア料理店を営むガンビア出身の女性を名誉総領事に任命し、在名古屋ガンビア共和国名誉総領事館を開設した。
・ 在留日本人数 - 8人(2022年3月現在)
・ 在日ガンビア人数 - 98人(2020年12月、法務省)。 ガンビア川の河口にある島に首都バンジュールが存在し、河道に沿って都市が点在する。全土がサバナ気候(Aw)に属し、6月から10月までは雨期であり、それ以外は乾期である、その後ガンビア経済に占める再輸出の割合が増加するにつれてラッカセイ関係の重要性は低落していき、1986年にはラッカセイ・ラッカセイ粉・ピーナッツオイルを合計しても総輸出の30%程度となり、2014年のデータでは輸出の上位品目から落花生関係が姿を消してしまうなど、輸出に占める割合はわずかなものとなっている。 1977年にアメリカで放映されたテレビドラマ『ルーツ』の主人公であるがガンビア出身の黒人奴隷であったことから、1970年代後半にはその故郷であるジュフレやジェームズ島に欧米の観光客が訪れるようになり、観光業が盛んとなった。その後も英語が通じることもあって、ヨーロッパ諸国から気軽に行ける観光地として人気が高まり、1990年には落花生に変わって観光業が外貨の稼ぎ頭となった。ガンビアの観光シーズンは冬の乾期であり、冬季とはいえ熱帯に属し気温は下がらないため、避寒のためにヨーロッパから多くの観光客が訪れる。ガンビア観光で人気があるのはビーチリゾートであり、大西洋岸にはリゾートホテルが多く存在する。しかし1994年のクーデター時には観光客が大きく減少するなど、政情不安の影響を受けやすい。この再輸出貿易はしばしば非公式貿易の形を取り、ガンビア経済の最も大きな柱となっている。 通貨はダラシ。ガンビア中央銀行が発券銀行である。独立以前に用いられていた西アフリカ・ポンドが1968年にガンビア・ポンドに置き換えられ、さらに1971年に新通貨としてダラシが導入された。

● 交通


◎ 空港
バンジュール国際空港は、全長3,600メートル、幅員45メートルの滑走路を持つ。スペースシャトルの非常時代替着陸地としてNASAの資金および技術援助のもと1989年に改修された。

◎ 河川・港湾
バンジュール港はアフリカ西海岸で有数の天然港である。そこからは、3,000トン級の船舶がガンビア川を遡行して内陸のジャンジャンブレアまで航行が可能である。

● 国民


◎ 人口
ガンビアの人口は急速に増加しており、1963年に31万6,000人だった、2017年には210万人にまで増加した。アクと呼ばれる解放奴隷のクレオール人も少数だが存在する。 アレックス・ヘイリー著のアメリカの黒人奴隷を描いた小説、およびそれをもとにしたテレビドラマ『ルーツ』に登場するは、このガンビア出身の人物をモデルとしている。

◎ 宗教
イスラム教が95.7%、キリスト教が4.2%である、医療専門家らの間では「患者たちに誤った希望を抱かせる」と非難されたことがある。

● 治安


◎ 人権


● マスコミ
国営のGRTSはガンビアで唯一の放送局である。2014年現在、日刊紙は政府系の新聞社である『』と独立した新聞社である『』の2社に加え、2008年からは『Today (英語版) 』が日刊紙となった。それ以外には独立系の『』が週に2、3度発行される。 ガンビアの憲法は言論・思想・報道の自由を定めている。しかしジャメの軍政下では軍政の方針から外れる意見を述べたジャーナリストが逮捕、拘束、国外追放される状態にあり、2005年にはNGOの国境なき記者団のブラックリストにジャメの名前が掲載された。

● 文化


◎ 食文化


◎ 音楽


◎ 世界遺産
ガンビア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件登録されている。

◎ 祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
 1月1日  元日    
 1月13日  預言者生誕祭    イスラム暦第3月の12日
 2月18日  独立記念日    
 4月18日(2014年)  聖金曜日    
 4月20日(2014年)  復活祭    
 5月1日  メーデー    
 7月22日  共和国の日    
 7月28〜30日(2014年)  コリテ (ラマダーン明けの祝日) (イード・アル・フィトル)  korite  イスラム暦第10月の1日~3日
 8月15日  聖母被昇天    
 10月4日(2014年)  タバスキ(犠牲祭)(イード・アル・アドハー)  Tobaski  イスラム暦第12月の10日
 12月25日  クリスマス    


◎ スポーツ
ガンビア国内でも他のアフリカ諸国同様に、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。1965年にサッカーリーグのが創設された。ガンビアサッカー連盟(GFA)によって構成されるサッカーガンビア代表は、FIFAワールドカップには未出場である。しかしアフリカネイションズカップには2021年大会で初出場し、グループリーグではチュニジア代表を破るなど快進撃をみせベスト8の成績を収めた。

「ガンビア」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年11月11日14時(日本時間)現在での最新版を取得

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