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『赤い靴』(あかいくつ)は、1922年(大正11年)、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡である。
2006年(平成18年)に文化庁と日本PTA全国協議会が「日本の歌百選」に選定。
● 歌詞
:
1. 赤い靴(くつ) 履いてた 女の子
異人(いじん)さんに 連れられて 行っちゃった
2. 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに 連れられて 行っちゃった
3. 今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
4. 赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える
4番の詩は原稿段階では「赤い靴 見るたび 思い出す」だったものを「考える」と直した跡がある。
発表はされなかったものの、1978年(昭和53年)になって発見された草稿には、以下の5番もあった。
: 生まれた 日本が 恋しくば
: 青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
: 異人さんに たのんで 帰って来(こ)
● 「定説」としての『赤い靴』
歌詞は、実話を題材にして書かれたという説がある。
野口雨情は1907年(明治40年)に札幌の北鳴新聞社に勤務時に岩崎かよと知り合った。「定説」によると、この岩崎かよの娘である佐野きみ(1902年(明治35年)7月15日 - 1911年(明治44年)9月15日)がその赤い靴を履いていた少女のモデルとされた(「佐野」は戸籍上の名前。母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこみ、東京の孤児院で結核で天昇したことを知らないまま一生を過ごしたを投稿した。
この論文の中で亀井は指摘する。『赤い靴』の像を建立した人々は、自分が作っているのは『赤い靴』から誘発された虚構の像であることを認識している。その想像力は赤い靴の少女と異人さんとの暮らしに向かわず、平民農場における母子再会という虚構の物語を構築して、この母子の不幸を癒してやる方へのみ向かっている。その出発点には岡そのがいて、そのの新聞投書『幻の姉「赤い靴の女の子」』こそ雨情の童謡から言葉を借りた表現であり、ここから菊地寛のドキュメント、山口昌男論文、各地での記念像建立の動きが始まったと結論づけている。
これに対して、阿井渉介は反駁を試み、『国語論集・10』(2013年3月)に『「赤い靴」をめぐる言説」について』を投稿した。ただ阿井は、記念像建立に携わった者はすべて菊地説を妄信しているとして、「テレビの低劣なこしらえ物を基に、高次の文学論争をすることに意味があるとは思えない」「文芸的ではない人々を文芸的な思惟で囲い込まないほうがいい」としている。岡そのも菊地の被害者とみており、阿井の論文中では実名を一切使わず「□ □□」としている。岡そのの投書を、赤い靴現象の根幹とする亀井の立論はまったく無視されている。
阿井は、自らが唱えていた「赤い靴=赤い箱車=社会主義」説は撤回すると言い出している。「赤い箱車」についての自らの立論が、鈴木志郎の社会主義運動に対する雨情の共感を前提とする点では菊地説と同根であると、亀井論文を読むうち遅まきながら気づいたとしている。『赤い靴』の発表は雨情と鈴木志郎の出会いから14年後で、その間、雨情は鈴木志郎を忘れずにいたとする山口昌男の憶測は安易ではないか、とする亀井の指摘も尤もだ、とする。
『国語論集・11』(2014年3月)には福地順一(元・札幌拓北高等学校校長)が
『童謡「赤い靴」のモデルについて』を投稿、改めて、きみは『赤い靴』のモデルにはなりえないと考証している。阿井らが既に指摘していたことに加えてさらに、
野口雨情、鈴木志郎(および石川啄木)が小樽日報社に入社したのは事実だが、それより前、三人が札幌の北門新報社で同僚だったとする岡そのの投稿には誤りがある。同社に勤めていたのは志郎と啄木であり、雨情が勤めていたのは北鳴新報社である。
岡そのは、雨情と志郎が札幌の山鼻で一軒家を借りていたとするが、その言葉の裏づけは皆無である。
菊地は、岡そのの証言の矛盾を解消するため、志郎が北鳴新報社に勤めていた時期があるとする説を唱えているが、この新説の裏づけもない。
雨情は1945年(昭和20年)に他界するまで、きみが『赤い靴』のモデルであるとは一言も言及していない。
の諸点である。
● 赤い靴の像
1979年(昭和54年)、横浜・山下公園に『赤い靴はいてた女の子像』が作られた。これは純粋に雨情の詩のイメージをモチーフにしたもので、赤い靴を愛する市民の会(後に赤い靴記念文化事業団と改称)から寄贈されている。同会は、この像のミニチュア版(999個制作されたうちの1個)を1982年(昭和57年)8月に横浜駅へ寄贈、当初は同駅南口に設置されていたが駅改良工事に伴い1998年(平成10年)に撤去となり、その後は保管されていた。2010年(平成22年)12月に同駅自由通路(中央通路)に移設されている。
2010年(平成22年)、山下公園の少女像と同型の像が、横浜市と姉妹都市のアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ市の海辺に建てられ、6月27日に関係者が出席して除幕式が行われた。
以下の6つの像は、前述の「定説」に基づいて建てられた。
・ 静岡県日本平『母子像』(1986年)
・ 東京都麻布十番『きみちゃん像』(1989年)
・ 北海道留寿都村『母思像』(1991年)
・ 北海道小樽市『赤い靴 親子の像』(2007年)
・ 北海道函館市『赤い靴 少女像』(2009年)
・ 青森県鯵ヶ沢町『赤い靴 親子像』(2010年)
青山霊園の事務所には『赤い靴 少女の像』が置かれた。留寿都村には1997年(平成9年)に、かよを描いた『開拓の母』像も建てられている。
2015年(平成27年)6月には雨情夫妻と鈴木夫妻が住んでいたとされる札幌市中央区山鼻地区の山鼻公園に、『赤い靴の歌碑』が建立された。
● 村岡花子と佐野きみ
NHK連続テレビ小説『花子とアン』(2014年度前期)の原案となった、村岡恵理の著書『アンのゆりかご-村岡花子の生涯-』には、村岡花子と佐野きみの出会いについて触れた一節がある。
1903年(明治36年)、村岡はな(花子の本名)は東洋英和女学校に給費生として編入学しており、毎週日曜日は給費生の必修として、東洋英和が運営している永坂孤女院の日曜学校に教師として出向いており、身寄りのない孤児たちに、物語を語り聞かせていた。「赤い靴はいていた女の子」とうたわれている少女はそのころ永坂孤女院にいた佐野きみであるとの記述である。この記述は厳密には「はなが物語を語り聞かせていた孤児たちの中に、はなより9歳年下のきみがいた」とはしていない。「孤児たちに物語を語り聞かせていた」と「佐野きみが永坂孤女院にいた」との記述である。
きみが永坂孤女院に預けられた時期については議論(前述)もあるが、東洋英和女学校在学中であったはなは、1911年(明治44年)9月のきみの訃報に接していた。
『アンのゆりかご-村岡花子の生涯-』は、きみの生涯を「定説」に拠る。
● その他
歌詞の中に出てくる、「いじんさん」は幕末から明治にかけてよく使われた言葉で、異人さん、つまり外国人のことで、特に“青い目”と歌われている事から白人男性と見られる。「偉人さん」、「にんじんさん」、「いい爺さん」、「曾爺さん」等と誤解されることがある。
漫画『ドラえもん』には、童謡『赤い靴』の女の子をモチーフにした『赤いくつの女の子』(雑誌掲載当時の題は『ノンちゃんのクツ』)がある。後にアニメでは、『赤いくつの女の子』『赤いクツの思い出』が発表されている。
阿井渉介は、『流離の詩・赤い靴はいてた女の子』以前にも、『赤い靴』をモチーフにしたテレビ脚本を阿井文瓶(本名)名義で執筆している。『ウルトラマンタロウ』の第45話「日本の童謡から 赤い靴はいてた…」(1974年〈昭和49年〉)は、幼い頃、異星人に連れ去られて、地球侵略のための怪獣にされてしまった女性とその幼なじみのZAT隊員を描いた話である。『特捜最前線』の第349話「ギリシャから来た女」(1984年〈昭和59年〉)では、横光克彦扮する特命捜査課刑事と少女の交流が描かれ、横光が当曲を歌う場面もある。
「定説」に対する批判運動のために発足した「赤い靴の会」(のち「日本赤い靴の会」と改称)は、阿井が会長、横光らが名誉顧問、福地順一らが顧問を務めているが、横光は「テレビ出身の衆議院議員」としての参加であると語る。
2003年(平成15年)にNPO「日本童謡の会」が全国約5800人のアンケートに基づき発表した「好きな童謡」で、「赤い靴」は293票を獲得し第3位に選ばれた。
映画『大決戦超ウルトラ8兄弟』(2008年〈平成20年〉)は、横浜港開港150周年の前祝作品として製作され、山下公園の女の子像も作中に登場した。一見ふつうの人間の「赤い靴の少女」が、時空を超越してウルトラマンを導く存在として登場したが、正体は不明である。
2007年〈平成19年〉に放映されたテレビドラマ『喰いタン2』Menu.3「プヨプヨちょっとカタ〜いを食い荒らす!」では、日本人の母親から引き離され外国へ行った男性が自分の境遇とこの歌を重ねており、山下公園ロケも行われている。
横浜で夏に開催されるヨコハマカーニバルで、よさこい祭りを元にした「ハマこい踊り」と呼ばれる踊りの大会が催される。その踊りのルールの一つに、楽曲に童謡『赤い靴』を入れるものがある。
「赤い靴」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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