ランキング12位
獲得票なし
ランキング10位
獲得票なし
五家荘、五家庄(ごかのしょう)は、熊本県八代市(かつての肥後国八代郡)東部の久連子(くれこ)・椎原(しいばる)・仁田尾・葉木・樅木の5地域の総称。
● 概要
九州山地の西部、川辺川の水源の山林地域である。古来より秘境として知られ、人々は河岸の段丘や傾斜斜面などに小さな集落を作り、木地師として木器を製造したり、蕎麦・稗などの焼畑農業や茶の栽培に携わったりしてきた。ただし、秘境というのはイメージ的な部分が大きく、中世以後隣接する柿迫村をはじめとする外部との交流が盛んであったことは五家荘の外部に伝わる古文書から知られている(反対に内部の文書は焼畑や山火事などによる類焼で原本を失ったものが多い)。例えば、『肥後国誌』では慶安3年(1650年)にその存在は初めて外部の人々に知られたと記しているが、実際には戦国時代には阿蘇惟豊に仕えて所領を与えられていた者がいたことや寛永13年(1636年)の段階で五家荘の人々が熊本藩に飢饉の救済を訴えていることが知られている。
平家の落人の伝説で知られ、伝承によれば平清経が壇ノ浦の戦いの後に伊予国今治に落ち延び、阿波国祖谷を経て、伊予国八幡浜から九州に渡ったという。この伝承によると清経一行は豊後国の緒方家を頼ったとされ、姓を「緒方」に改め、その後は五家庄にある五つの地域のうち清経の長男の盛行が椎原、次男の近盛が久連子、三男の実明が葉木に移り住んだという(伝承中の一説)、2019年3月をもって廃止されている。このため2019年4月以降、公共交通機関で直接五家庄を訪れることはできない。
● 参考文献
・「五家荘」(『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年)
・「五箇庄」(『日本歴史地名大系 第44巻 熊本県の地名』、平凡社、1985年)
・ 村田公三郎「五家荘」(『熊本県大百科事典』、熊本日日新聞社、1982年)
・ 工藤敬一「五家庄」(『国史大辞典 15』、吉川弘文館、1996年)
「五家庄」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2025年3月25日11時(日本時間)現在での最新版を取得











![ノイバラ[五家荘(ゴカノショウ)紅花 野茨] 落葉 小苗珍品・花木・山野草 1,100円](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/g-chicory/cabinet/03560330/imgrc0094933596.jpg?_ex=64x64)





好き嫌い決勝
好き嫌い準決勝
好き嫌い準々決勝
好き嫌い7位決定戦
好き嫌いTOP10圏内確定戦
秘境の無作為ピックアップ
Powered by

