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足尾銅山(あしおどうざん)は、栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾地区)にあった銅山(銅の鉱山)。
近現代には古河鉱業株式会社(現・古河機械金属株式会社)が所有し、1905年(明治38年)以後の名称は古河鉱業株式会社足尾鉱業所。明治時代には銅だけでなく亜砒酸も産出し、精錬の副産物として硫酸も生産していた。明治時代には日本初の公害事件とされる足尾鉱毒事件が起きたことでも知られる。「足尾銅山跡」として国の史跡に指定されている。
● 歴史
◎ 近世
足尾銅山は天文19年(1550年)に発見されたと伝えられている。慶長15年(1610年)、2人の百姓が鉱床を発見し、江戸幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されることになった。足尾に幕府は鋳銭座を設け、銅山は大いに栄え、足尾の町は「足尾千軒」と言われる発展を見せた。
採掘された銅は日光東照宮や江戸の増上寺の部材などに使われたほか。
自社水力発電所と工業用水が山腹水であることから、閉山後も輸入鉱石による製錬事業は続けられた。1989年(平成元年)にJR足尾線の貨物輸送が廃止されると、鉱石と副生成物の硫酸の輸送が困難になったことから製錬事業を事実上停止した。2008年(平成20年)時点では、製錬施設を利用しての産業廃棄物(廃酸、廃アルカリなど)リサイクル事業を行っているのみである。
1980年(昭和55年)4月、足尾町(現・日光市)によって銅山の歴史を伝える観光施設の足尾銅山観光が開業した。実際の坑口からトロッコで坑道に入る体験型見学施設であり、近隣には鉱毒事件にも焦点を当てた古河足尾歴史館もある。また、決壊により、わたらせ渓谷鐵道の線路が破損し、同鉄道は同年4月1日まで運休を余儀なくされた。
・ 2012年(平成24年) - 6月15日、「足尾銅山写真データベース」が正式公開される。
・ 2022年(令和4年) - 2月28日、閉山50年を迎える。
● 公害
周辺の山々の森林では、鉱毒(亜硫酸ガス)による直接的な被害のほか、坑木を調達するための伐採、人口が増えたことによる山火事の発生、生活に必要な薪炭確保のための伐採などが行われたため荒廃が深刻化し、一部は自然回復が不能なはげ山と化した。1892年(明治25年)11月に導入されたベッセマー精錬は、それまで1ケ月かかっていた工程を2日に短縮しその生産増強に伴い亜硫酸ガスによる煙害も増大し、自熔鉱が導入される1956年(昭和31年)になって幾分か鎮静化した。これら森林を復旧するために国や県は、21世紀に入ってもなお治山事業による復旧を続けている。
● 施設
足尾銅山は備前楯山にあり、周辺の山からは銅は産出しなかった。
◎ 坑口
本山坑(有木坑)、小滝坑、通洞坑の3つの坑口があった。本山坑から小滝坑はほぼ一直線に繋がっており、通洞坑はこの太い坑道に横から接続する形になっている。このため、3つの坑口を結ぶ坑道は、T字型になっている。小滝坑は1954年(昭和29年)閉鎖。最後まで使われていたのは本山坑と通洞坑であった。より正確には、本山坑と有木坑は微妙に場所が違い、これ以外に近くに本口坑があった。通常はこの3つの坑口がまとめて「本山坑」と呼ばれる。有木坑は当初梨木坑という名であったが、縁起担ぎで有木に変更された。また、簀子橋という名の坑口もあった。規模は小さく、通洞坑と同一視されることが多いが、名目上は独立していた。現在の簀子橋堆積場付近にあった。
◎ 選鉱場
通洞地区に置かれた。最初期は使える鉱石かどうかを女工が目視で判別、選鉱したという。1918年(大正7年)には鉱石をボールミルで微細粉末にした浮遊選鉱法が用いられ、シックナーで捕集はするもの渡良瀬川は白濁した。
◎ 製錬所
本山地区にあったものが最も大きく、小滝地区にも小規模なものが置かれていた時代がある。鉱石から銅が製錬された。1960年代以降は、製錬時に出る亜硫酸ガスを回収して硫酸を製造し、これも出荷していた。
◎ 浄水場
1897年(明治30年)、鉱毒防止策として政府は足尾の銅山施設全てから出る水を一旦沈殿させることを命じた(第二回予防命令)。閉山後も浄水設備(沈殿池・乾泥池・濾過池、これに間藤〈本山〉のみ集砂池が加わる)の稼動は続けられ、間藤浄水場(本山)、中才浄水場(通洞)の2箇所が2007年(平成19年)時点も稼動中である。小滝にも浄水場はあったが、規模が小さかったため、中才に統合された。足尾銅山の公式な排水口は、精錬工場排水口、精錬カラミ排水口、間藤浄水排水口、中才浄水排水口、簀子橋堆積場上澄水排水口の5か所であったが、精錬を廃止することによって、中才浄水場と簀子橋堆積場以外から処理水の排水はない。中才浄水場は平常時の坑内からの浸透水や降雨時の堆積場からの流出水を石灰によりアルカリ性にして金属を沈殿させ固液分離したのち中性に戻して渡良瀬川に放流している。坑内からの浸透水の流出が続く限り廃止することができないでいる。
◎ 堆積場
鉱石くず(銅含有量の少ない鉱石、選鉱汚泥、カラミ)などを溜めている場所で、鉱滓ダムともいわれる。鉱山保安法に基づき公表されているものは足尾町内に14箇所(小滝堆積場は1990年(平成2年)6月堆積物を搬出したため減となり現在は13箇所)あり、その他、法律未満の堆積場や坑内からの捨石を置いた集積場等は中央グラウンドや旧社宅跡地をはじめとして各所にある。13の使用済み堆積場は金属鉱業等特別措置法により一応の緑化等の鉱害対策がなされたが、有越沢堆積場をはじめとする幾つかの堆積場は今後も維持管理と補植作業の継続が必要性とされている。なお簀子橋堆積場は中才浄水場から発生する汚泥の排出先として現在も使用され、沈殿後の上澄水を排出している。
◎ その他
◇ 社宅
社宅は坑口付近に多くつくられ、ほとんどの鉱夫は徒歩で通勤した。小学校や商店なども周辺につくられた。閉山後は無人となっており、現存しないものも多い。
◇ 神社
本山坑向かいの山頂付近に「本山鉱山神社」が存在する。本殿と拝殿の2棟があるが、何れも放棄されている。このほか、通洞坑には別に神社があり、足尾銅山観光出口付近に拝殿がある。
◇ 鉄索
足尾ではケーブルカー(索道)のことを鉄索と呼んだ。1890年(明治23年)にまず、細尾峠を越えて日光を結ぶ路線が作られた。最も大規模なものは、本山坑から銀山平を経て小滝坑に向かい、そこからさらに利根村根利に向かう路線である。物資や鉱石を運ぶため、足尾町内に大規模なものがいくつも作られたが、閉山後に全て撤去されている。登山家を乗せたという記述も残っており、鉱夫などの輸送にも使われたとみられる。
◇ 鉄道
人や物資を運ぶために町内の道路に線路が敷かれた。初期は馬車鉄道で、後期にはほぼ同じ路線をガソリンカーが走った。初期には馬車鉄道であった路線が、後に鉄索や鉄道に切り替えられたところも多い。
● 作品
※発表順
◇ 映画
・ 『将軍家光の乱心 激突』(1989年) - 竹千代・矢島局・堀田正俊が投獄された場所として登場。
◇ ラジオドラマ
・ 『銅山』(1953年) - 木下順二が手掛けたNHKラジオドラマ。
◇ 小説
・ 『坑夫』(1908年) - 夏目漱石の長編小説。作中では明らかにされていないものの、足尾銅山が舞台であるとされている。
・ 『渡良瀬川』(1941年) - 大鹿卓の長編小説。足尾鉱毒事件を主題としている。中央公論社。大鹿卓は旧制秋田鉱山専門学校出身であり、鉱山を主題とする『野蛮人』や『金山』などの作品も書いている。
・ 『大洗』『閉じる家』『火の車』 - いずれも立松和平の短編小説。立松の曽祖父である片山吉之助は足尾銅山における雑夫飯場の経営者だった。
◇ ノンフィクション
・ 『壺中の天地を求めて』(1988年) - 三浦佐久子によりまとめられた、古河鉱業に勤務し足尾銅山の抗夫を務めた後、「足尾焼」の基礎を作った郡司敏夫を中心に取材を行い綴られたノンフィクション。三浦は「足尾を語る会」の代表も務めた。
・ 『足尾万華鏡 - 銅山町を彩った暮らしと文化』(2004年)- 三浦佐久子によりまとめられた、「足尾焼」に留まらない「足尾銅山で生まれた文化」について綴られたノンフィクションエッセイ。
「足尾銅山」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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