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鍋立山トンネル(なべたちやまトンネル)は、北越急行ほくほく線まつだい駅 - ほくほく大島駅間の新潟県十日町市と上越市の境界にある鍋立山を貫く全長9,116.5 mの鉄道トンネルである。トンネル内に列車交換用の儀明信号場が存在する。
工事が凍結されていた4年程を含め、着工から完成までに 21年11ヶ月近くを要した、屈指の難工事トンネルとして知られる。
● 建設の背景
北越急行ほくほく線は、元は北越北線として改正鉄道敷設法別表55ノ3に「新潟縣直江津ヨリ松代附近ヲ經テ六日町ニ至ル鐵道」と規定されたものであると呼ばれ、鍋立山トンネルにおいて難工事となった十日町市の蒲生地区周辺に位置するが、この付近では複数の泥火山が存在することが明らかとなっているの採用などの対策を必要とすることになった。
斜坑の本坑への到達地点は、儀明信号場の設置のために斜坑交点の34 km250 mから六日町方に350 m、直江津方に330 mの延長680 mが複線となっている。
TBM掘削が順調に進められた区間は、工事中断前に薬液注入を行っていた区間であったことから、薬液注入が効果を上げるものとみて注入工法の検討が行われた。1989年(平成元年)7月24日から様々な薬液の試行を行いながら、手掘りのシールド工法を実施して前進した。東口側からも同様に1989年(平成元年)7月2日から注入を併用して前進し、ついに32 km851 m地点において1992年(平成4年)10月29日に導坑の貫通を迎えた。東口側は平均月進4.9 m、斜坑口側は1.5 mであった。
以降は本坑断面への切り広げ施工が行われた。東口側は1988年(昭和63年)5月8日から、導坑掘削済みの区間について本坑断面への切り広げが開始された。一方斜坑口側でも1993年(平成5年)1月13日に本坑断面への切り広げを開始した。切り広げ工事は超ミニベンチ工法を採用したが、導坑掘削時に行った薬液注入の効果や、ガスが事前に抜けていたことなどによって地山の特性が改善し、比較的順調に工事を進められた。それでも平均月進が10 m程度に留まる掘削の難しいトンネルであることに変わりは無かった。1995年(平成7年)3月7日、32 km937 m地点においてついに本坑の掘削工事が完了した。最終的なトンネルの完成は1995年(平成7年)11月7日で、1973年(昭和48年)12月7日の着工以来、途中の中断期間を含めて21年11か月を要したことになる。
鍋立山トンネル建設に関して、1994年(平成6年)5月26日に土質工学会賞を日本鉄道建設公団が受賞した。建設期間を通じた殉職者は5名であった。トンネルの総工費は299億2000万円であったが、このうち工事再開後の645 mだけで145億7500万円を投じており、この区間のメートル単価は約2260万円となっている。
こうして屈指の難工事となった鍋立山トンネルは、1997年(平成9年)3月22日の北越北線あらため北越急行ほくほく線の開通により供用開始となった。
「鍋立山トンネル」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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