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福岡城(ふくおかじょう)は、福岡県福岡市中央区にかつてあった日本の城。江戸時代初期、関ヶ原の戦いで功績のあった黒田長政が、加増・移封で与えられた筑前国那珂郡警固村福崎の丘陵地に築いた。この際に、黒田氏ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ福崎を「福岡」と改め、これが近現代の市名・県名にもなった。 城郭構造は梯郭式平山城で、明治まで福岡藩黒田氏の居城となった。別名を「舞鶴城」「石城」ともいい、城跡の主要部分は国の史跡に指定され、舞鶴公園と大濠公園となっている。

● 概要
普請奉行は野口佐助一成である。城地となった警固村福崎は荒れ地で、古くから商人の町として栄えていた博多の西側に川を挟んで位置する。 城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。また、南二の丸多聞櫓に続く北隅櫓が復元されている。なお、平和台球場跡から出土した国史跡鴻臚館跡がある三の丸跡は二重に史跡指定されている。このほか本丸御殿、武具櫓、本丸裏御門、太鼓櫓、松ノ木坂御門、大組櫓、向櫓、本丸表御門、追廻橋、鉄物櫓、上之橋御門、上之橋、土塀の木造復元計画もある。 福岡市役所は2014年に『福岡城跡整備基本計画』を策定し、15年間に約70億円を投じることとしている(「天守台」節で後述)。 毎年春には「福岡城さくらまつり」や「おおほりまつり」が開催され、光雲神社から城跡まで黒田孝高、黒田長政、黒田二十四騎に扮した福岡市長、有名人などの勇壮なパレードも行われる。二の丸の鴻臚館広場にて演武なども行われる。

● 歴史・沿革


◎ 安土桃山時代・江戸時代
1600年(慶長5年):黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、筑前一国52万3千石で筑前名島に入封した。筑前の旧領主小早川秀秋の居城であった名島城に入城した。便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵を新城地に選定した。1601年(慶長6年)には築城が開始され、7年後の1607年(慶長12年)に竣工した。 江戸期には歴代の藩主により二の丸御殿や西の丸御殿の増築など数度の改修が行われたが、特に幕末の嘉永・万延年間に、第11代藩主黒田長溥により大改修が行われた。

◎ 近現代

・1871年(明治4年):廃藩置県により旧下屋敷に福岡県庁が置かれる。
・1873年(明治6年):廃城令発布により存城処分となり、第6軍官に属する。その後多くの建造物が解体され、一部は移築された。
・1902年(明治35年):床下にあった火薬が爆発し鉄物櫓が焼失する。
・1920年(大正9年):祈念櫓が福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)にある大正寺に観音堂として移築された。1983年には再び元の地に移築された。
・1945年(昭和20年):黒田家別邸に移築されていた本丸武具櫓が福岡大空襲で焼失
・1952年(昭和27年)に潮見櫓、1957年に祈念櫓、1961年に大手門・旧母里太兵衛邸長屋門がそれぞれ福岡県文化財に指定された。
・1957年(昭和32年)8月29日:城跡が国の史跡に指定された。
・1971年(昭和46年):南二の丸多聞櫓が国の重要文化財に指定された。
・1987年(昭和62年):三の丸、平和台球場一帯から平安時代の外交施設である鴻臚館の遺構が発見された。
・2000年(平成12年):不審火により下の橋大手門の一部を焼失する。修復工事が行なわれ、2008年11月1日から一般公開。
・2006年(平成18年)4月6日:日本100名城(85番)に選定。
・2013年(平成25年):福岡市の中心部にある城跡を中心とする大規模な歴史緑地公園「福岡セントラルパーク構想」に基づき、城内建造物復元や緑地の整備がスタート。
・2014年(平成26年):廃校となった舞鶴中学校跡地に、福岡城の整備復元を目指す展示拠点施設「福岡城・鴻臚館案内処・三の丸スクエア」が福岡市により開設された。
・2016年(平成28年):重要文化財である南二の丸多聞櫓を修理。
・2018年(平成30年):三の丸家老屋敷跡にあった高等裁判所等が移転、跡地の発掘調査後はセントラルパーク構想に基づき、広場や駐車場として活用予定。

● 構造
梯郭式の平山城で、本丸の南西に南丸(南二の丸)、北東隅に同じような規模で東二の丸、この2つを結ぶようにして囲む二の丸、二の丸の西から北東に三の丸が囲む配置であった。建物は47基の櫓や10棟の城門を配し、縄張りの範囲は約24万平方メートルにおよぶ。東側に那珂川をもって堀とし高石垣を南北に長く築き、また西側は干潟の「草ヶ江」を大きな池沼堀として活用した。城下町は城の北側(博多湾側)に東西に長く開かれた。 福岡市は2013年(平成25年)、舞鶴公園と大濠公園の周辺をセントラルパークのように大規模な公園とする『福岡セントラルパーク構想』を発表した。本丸・二の丸・三の丸は20年から30年の長期計画で城跡の復元整備を行っていく予定としている。

◎ 本丸
本丸にあった建造物の中で資料が多く残されている本丸表御門・太鼓櫓・武具櫓・本丸裏御門・本丸御殿について福岡市は「調査検討を行った上で、復元整備対象とする」とし、特に本丸表御門と太鼓櫓については「復元の可能性が高い」としている。
◇天守台 :大天守台・中天守台・小天守台の3つからなる連立式の天守台。大天守台は東西約25メートル、南北約22メートルの大きさで、東側に中天守台と小天守台が連なる、過去に失われた記録もない。天守台周辺の発掘調査では瓦片の出土があり、天守台に建物があったことは確実視されていると天守の存在を窺わせる記述が発見されたことによって、天守があった可能性が示されている。天守の解体を語ったとされるこの当時は、徳川氏の大坂城普請に諸大名が築城に駆り出されたことから、天守を解体し築城資材として投入することによって幕府の信任を得ようとしたと言う説も上がっている。1593年(文禄2年)に没した小河信章の家督を継いだ小河之直へ長政が発した3月3日付書状に、天守の欄干が腐った旨の記述があるが、これが福岡城を指すのか、それ以前の居城である中津城を指すのかは不明である。 :福岡城や鴻臚館の整備・活用を趣旨とするNPO法人「鴻臚館・福岡城跡歴史・観光・市民の会」は、石垣や礎石から割り出した5重天守の想像図面を作成し、本格的木造建築による再建に向けて運動を展開した。 :福岡市は、歴史資料が不足しているため天守の復元は困難との見解を福岡市議会にて示している。他方、経済界では福岡市を訪れる旅行者数に比べて観光資源が乏しいことから、天守閣の復元を期待する意見がある。
◇祈念櫓 :祈念櫓(きねんやぐら)は、本丸の東北隅に鬼門封じを祈念するために建てられた櫓で、棟札によると1860年(万延元年)3月に起工し、同年10月に竣工した。 :1918年(大正7年)、黒田家の菩提寺である崇福寺が払下げを受け、末寺である大正寺(北九州市八幡東区)の境内に移築して観音堂として使用していた。 :2023年(令和5年)11月から翌2024(令和6年)2月にかけて、二の丸東側の東御門跡から梅園までの園路、さらに梅園南側の園路が舗装された。この時梅園につながる扇坂が、江戸時代の絵図に基づき、築城当時に存在した階段の形で復元されている。

◎ 三の丸
三ノ丸は、北側を土塁と堀で囲まれ、御下屋敷と有力家臣の屋敷が立ち並んでいた。北東に上之橋御門、北西に下之橋御門、南西搦手側に追廻橋門が設けられ、下之橋御門の南側には、黒田孝高の隠居所である御鷹屋敷があった。 1671年(寛文11年)に御下屋敷が北側に移転し、以降は藩主の館および藩政の中心となった。寛文期の御下屋敷は1763年(宝暦13年)に焼失し、翌年規模を縮小し再建された。1769年(明和6年)には7代藩主治之を江戸から迎えるために建て替えられた。御下屋敷は福岡県庁として使用されたが、1876年(明治9年)に県庁の天神町への移転に伴い解体された。 以降は陸軍の軍用地となった。第二次世界大戦後は平和台球場や平和台陸上競技場など多くの公共施設が建設されたほか、一部は城内住宅と呼ばれる宅地となった。平成以降、城跡として整備が進められ、戦後建てられた各種施設の移転が進められている。 江戸期の遺構として堀、土塁、上之橋御門の枡形、下之橋御門が残るほか、城下から旧母里太兵衛邸長屋門と名島門が移築されている。 三の丸にあった建造物の中で、資料が多く残されている上之橋御門、潮見櫓、花見櫓、御下屋敷について福岡市は「調査検討を行った上で、復元整備対象とする」とし、特に上之橋御門・潮見櫓・花見櫓については「復元の可能性が高い」としている。
◇下之橋御門 :下之橋御門(しものはしごもん)は三の丸の北東側に位置する下の橋に設けられた枡形門。二層の櫓門と高さ8m超の石垣・土塀からなり、福岡城東側の守りを固めていた。藩主の出入りや公式行事に用いられた。江戸末期に福岡城に存在した門の中で唯一、当時の遺構が移築を受けず同じ位置に残されており、福岡県有形文化財に指定されている。 :江戸期は二層の櫓門であったが、明治期に一層に改修されたと推測されている。一層への改修時には旧来の部材が用いられ、「文化二年(1805年)」の墨書も残されていた。以降は一層の姿のまま伝わったが、2000年(平成12年)8月の不審火で焼損したことをきっかけに、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、本来の二層櫓門への復元工事が行われた。
◇伝・潮見櫓 :現在下之橋門の南に接して立つ二層の櫓。大正初期に黒田家別邸に移築された。第二次世界大戦後に黒田家別邸が検察庁に譲渡され、櫓が解体されるに当たり、1956年(昭和31年)に福岡郷土博物館建設委員会が現在地に移築した。 :長らく「潮見櫓」とされてきたが、1991年(平成3年)に崇福寺仏殿から潮見櫓を移したことを記した棟札が発見され、崇福寺に月見櫓として伝わっていた櫓が正しくは潮見櫓であることが判明した。2014年(平成26年)10月から2015年(平成27年)4月まで修復工事が行われた。 :明治中期に長崎県へ移築されかけたところを、地元の代議士であった平岡浩太郎によって買い戻され、天神にあった平岡の自宅の門として使用された

● 交通アクセス

・福岡市地下鉄空港線大濠公園駅より徒歩10分(800m)
・西鉄バス美術館東口バス停よりすぐ
・福岡高速環状線西公園出入口より2.7㎞

● 参考文献


「福岡城」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年6月16日15時(日本時間)現在での最新版を取得

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