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徳島城(とくしまじょう)は、徳島県徳島市徳島町にあった日本の城。城跡は国指定の史跡、名勝(表御殿庭園)になっている。
● 概要
徳島城はJR徳島駅の北側にあり、徳島市の中心部に位置する。
吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山に築かれた山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城である。
● 歴史・沿革
◎ 渭山城・寺島城
この地は鎌倉時代より伊予国地頭の河野氏が支配していた。室町時代の1385年(至徳2年)に細川頼之が四国地方にあった南朝方の勢力を討ち、現在の城地の城山に小城を築いた。頼之は助任川の風光を中国の渭水に例え、この地を渭津、山を渭山と名付けた。
『城跡記』は徳島城築城について「渭山寺島両城を合して一城となす」と記す。寺島城は平地にあった城で、文献は寺島の西端(現 郷土文化会館付近)とするが、発掘調査ではのちの花畑(現 市立体育館付近)の可能性が示唆される。なお、表御殿庭園の庭石には、眉山の石のほか、鳴門・淡路の海岸から舟で運ばれた石も使われている。これを含め、運送の難から、内陸で採れる石材は使われていない、まもなく、城山の中腹にある東二の丸に天守代用の御三階櫓が構えられた。
東二の丸天守は、天守破却後に天守の代用として建てられた、当時は御三階櫓と呼ばれていたものである。なぜ、二の丸に建てられたのかは定かではなく、景観バランスを整えるためであるとか城の防備上の都合によるものなどが考えられている。1873年(明治6年)の廃城令の発布により撤去された。
3重3階建てで、櫓台はなく初重平面形は正方形である。下から7間四方・5間四方3間四方といった具合の層塔型の特徴である一定の逓減率があるが、外観は望楼型といういわゆる復古型などと呼ばれるものである。外観意匠は、全面下見板張で破風は3重目の入母屋破風のほかに1重目の向唐破風と大入母屋破風が付けられていた。天守の木造復元計画は議論されたが決まっていない。
◎ 城山
城山西方には西の丸、そのさらに西には御花畠(おはなばたけ)があった。
○ 西の丸
現在の内町小学校・ライオンの森・徳島市民庭球場西の丸コートにかけて存在していた。城山と接する東を除く三方を石垣で囲まれていた。内町小学校の西の塀の外側として残存する。
もともとは西からの防衛拠点だったが、太平の世になるとその意義を失い、藩祖家政が隠居してからは、隠居した元藩主の屋敷となった。
○ 御花畠
現在の地方合同庁舎・武道館・市立体育館にかけてあった。以前は瓢箪島(ひょうたんじま)と呼ばれた、助任川・寺島川・人工の瓢箪堀に三方を囲まれた半島である。
御殿と庭園があり、御殿は歴代藩主の子供の養育の場として使われた。庭園は海内無双の大庭園とされ、岡山の後楽園に匹敵したと言われる。しかし幕末には取り壊され練兵場となった。
◎ 城山の南
城山南方に徳島城の主要な殿舎が並び、当時は単に「御城」「御屋敷」などと呼ばれていた。ここでは「居城」とする。そのさらに南には三木郭があった。
○ 太鼓櫓と月見櫓
三木郭から下乗橋で堀川を越え、居城に入る大手口の両脇に構えられた櫓である。東に月見櫓、西に太鼓櫓があった。特に太鼓櫓は、望楼型の3重4階であり、天守のような造りをした大型の櫓であった。どちらも最上階に外廻縁高欄があり、物見の目的と娯楽の目的を持っていた。
いずれも櫓台石垣が現存するが、太鼓櫓の左端は通路確保のために削られている。削った跡に、石垣がきれいに積まれており境を見つけることは難しい。
○ 三木郭と鷲の門
現在の鷲の門広場から文化センターにかけて建てられた曲輪で、東には鷲の門があった。
5代藩主蜂須賀光隆 (在職 1652年–1666年) が三木という人物に命じて作らせたと言われる。しかし、1989年の発掘調査でも文禄慶長期 (1592年–1615年) と推定される滴水瓦が出土しており、『阿淡年表秘録』の記述では1603年(慶長8年)に鷲の門に関する記述があるため、1603年にはすでにあった可能性が指摘されている。
● 城下町
徳島と寺島、つまり、現在の内町地区のうち出来島・旧花畑(および近代の埋立地)以外が内郭とされた。この外の福島・住吉島・常三島・出来島・瓢箪島(以上に徳島・寺島を加え阿波の七島と呼ぶ)・助任・大岡・佐古・富田が外郭である。合わせて御城下(ごじょうか)・御山下(ごさんげ)と呼んだ。門前にある道路の関係から門の規模と位置は当時とは少し異っている。
◎ 城山
徳島城の山城部分は、標高61.7メートルの城山に建っていた。
北面には助任川が流れており、山内の城山原生林は徳島市天然記念物に指定されている。
山麓では1922年(大正11年)、鳥居龍蔵により城山の貝塚が発見され調査された。現在、山腹にアオサギが繁殖し糞害で周辺の樹木が枯れる等の問題が起こっている。
夏になると阿波踊りの練習をするために有名連がここで練習する風景が目立つ。また、付近の幼稚園や小中学校の遠足としてよく利用されている。
◎ 城跡の主な施設
北西から南東の順。(埋)は、江戸時代には河道だった近代の埋立地に一部が建つ施設である。(移)は、城跡外に移転した施設である。
・ 徳島地方合同庁舎
・ 徳島県立中央武道館 (埋)
・ 徳島市立体育館
・ 徳島市立内町小学校
・ 徳島市民庭球場 (埋)
・ 徳島縣護國神社 (移)
・ 徳島県立図書館 (移)
・ 徳島市立徳島城博物館
・ 旧徳島城表御殿庭園
・ 徳島市立文化センター (埋)
● 画像
「徳島城」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年11月10日16時(日本時間)現在での最新版を取得
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