ランキング17位
獲得票なし
ランキング4位
獲得票なし
吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)は、広島県安芸高田市吉田町吉田にあった日本の城。安芸国の戦国大名毛利氏の居城であった。城跡は「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」として多治比猿掛城と共に国の史跡に指定されている。
● 概要
城は可愛川(江の川)と多治比川に挟まれた吉田盆地の北に位置する郡山全山に及ぶ。築城初期は砦のような小規模な城だったが、毛利氏の勢力拡大とともに拡張され、山全体を要塞とする巨大な城郭となった。後に毛利輝元が広島城へ移るまでのあいだ居城としていた。
● 沿革
◎ 室町時代まで
吉田郡山城の築城時期は不明とされるが、城内にある祇園社(正中2年(1325年)より以前の創建。現在の清神社)より後に築城されたとされる。吉田荘(よしだのしょう)の地頭職として毛利時親が下向したのは建武3年(1336年)であるが、宝永2年(1705年)に書かれた「高田郡村々覚書」には「時親公より以後」に吉田郡山城に住んだと記述してある。
文和元年(1352年)に毛利元春が「吉田城」なる城に籠もったこと記録されていたり、応永4〜7年(1371-1374年)の毛利親衡書状の宛先が「郡山殿」となっているため、これが吉田郡山城のことを指すのかどうか、現存の吉田郡山城に直接繋がる城なのかどうかは定かではない。少なくとも、南麓に堀が設けられたのは、天文20年(1551年)頃とされで保存されている穂井田元清書状内で、文禄3年(1594年)に元清が兄の小早川隆景とともに吉田に出頭したとあり、何らかの形で吉田郡山城が維持されていたことが確認できる。また、山城を重視する輝元が、完全な平城である広島城に対して、詰めの城として引き続き吉田郡山城を温存していたとの見方もある。
1940年(昭和15年)に吉田郡山城跡が国の史跡に指定され、1988年(昭和63年)には多治比猿掛城跡を追加して「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」となった。元就の屋敷があった。
その他、城内には、毛利元就墓所、毛利隆元墓所、伝元就火葬場跡、毛利氏歴代墓所(毛利時親から毛利豊元迄合葬墓、毛利興元、毛利幸松丸、尾崎局)、嘯岳禅師墓、百万一心碑などがある。
● 現地情報
◇所在地
:広島県安芸高田市吉田町郡山
:(安芸高田市歴史民俗博物館から本丸跡まで徒歩45分)
◇山麓にある公共施設
・安芸高田市歴史民俗博物館(駐車場・トイレあり、100名城スタンプの設置場所)
・ 広島県安芸高田市吉田町吉田278-1
・大通院谷公園(駐車場・トイレあり)
・清神社・郡山公園(トイレあり)
「吉田郡山城」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年10月12日6時(日本時間)現在での最新版を取得
好き嫌い決勝
好き嫌い準決勝
好き嫌い準々決勝
好き嫌い7位決定戦
好き嫌いTOP10圏内確定戦
城の無作為ピックアップ
Powered by