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興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来。南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
南円堂(本尊・不空羂索観音)は西国三十三所第9番札所、東金堂(本尊・薬師如来)は西国薬師四十九霊場第4番札所、菩提院大御堂(本尊・阿弥陀如来)は大和北部八十八ヶ所霊場第62番札所となっている。また、境内にある一言観音堂は南都七観音巡拝所の一つである。
● 歴史
◎ 創建
興福寺の草創に関しては『興福寺流記』が収める「山階流記」が「旧記J・「宝字記」・「弘仁記」の三史料を引く形で記している。「宝字記」の記載によると、当寺は藤原鎌足の妻である鏡王女が鎌足の病気平癒を願い、山背国山階(現・京都府京都市山科区)で創建した山階寺(やましなでら)を起源とする。この山階寺という寺名は鎌足を尊崇する意味において当寺の別称として以後も長く使わわれている。
その後、天武天皇元年(672年)に飛鳥浄御原宮に都が移ったのに伴い、寺も大和国高市郡厩坂に移転して厩坂寺(うまやさかでら)と号したという。『続日本紀(続紀)』にも創建の記載はないが、同書の養老4年(720年)10月丙申条に「興福寺」の記載があるのが正史における初見である。そして養老4年(720年)頃には中金堂、講堂、回廊、中門などの中枢伽藍がほぼ完成していたとみられている。
この頃には南大門、中門、回廊などの伽藍の中央部分も一部完成したか、あるいは施工にとりかかっていたと考えられている。その他、講堂、食堂、僧房なども含めて、おそらく天平16年(744年)までには完成したものと推定される。こうして現在の興福寺の伽藍がある西院は拡充された。続いて現在の興福寺本坊の東側に隣接する位置にあったと推定されている東院の伽藍も造営された、中心伽藍はこの仏堂の建立をもって完成した。元慶2年(878年)に最初の焼失を経験し、以後、延長3年(925年)、寛仁元年(1017年)、永承元年(1046年)、永承4年(1049年)、康平3年(1060年)、嘉保3年(1096年)と立て続けに大小の火災にあった。なかでも、永承元年(1046年)12月24日の大火では北円堂を残して全山が焼失している。また、治承4年(1181年)12月28日には治承・寿永の乱(源平合戦)の最中に行われた平重衡による南都焼討による被害は実に甚大で、東大寺と共に大半の伽藍が焼失した。
当寺はその後も建治3年(1277年)、嘉暦2年(1327年)、文和5年(1356年)、応永18年(1411年)に罹災しているが、その都度復興を遂げていると僧兵等を擁し強大な力を持っていたため、鎌倉幕府や室町幕府は守護を置くことができず、大和国は実質的に興福寺の支配下にあり続けた。しかし、宝徳3年(1451年)10月14日には徳政一揆に襲われて大乗院などが焼失している。一乗院および大乗院の門主は還俗し、それぞれ水谷川家、松園家と名乗った(奈良華族)。
興福寺は寺内から僧侶の姿が消えて空寺の状態となり、復籍して再興を図る動きや東大寺僧による管理の働きかけの動きもあったが、当寺と関係の深かった西大寺と唐招提寺に管理が任されることになった。しかし、五重塔売却の話自体が伝承の域を出ないという説もある。
1979年(昭和54年)8月31日に三重塔の修理が完了と南大門の再建が計画されると、仮再建された中金堂は2000年(平成12年)8月に解体され。檜の大木が国内で入手困難なため、宮大工棟梁の提案で中心部の巨柱はカメルーン産欅を使用した。
● 建築物の年表
・ 和銅7年(714年)3月、藤原不比等が初代中金堂建立 に限っては、例外的に一乗院門跡と大乗院門跡の双方を、他の幾つかの院家と共に兼帯している。また、両門跡に属する門主以外の者が別当に就任した例もある。
また、興福寺がその権限を行使していた大和国守護職については諸説ある。別当が権限を有していた説、両院の門主が共同で権限を行使していたとする説、門主が別当の時は別当が全権を行使し、それ以外の者が別当の時は別当と両院が共同で権限を行使していたとする説である。江戸時代には世俗的権力を失い、江戸幕府から一定の知行(一乗院が1,492石、大乗院が951石)を与えられた単なる寺院となった。両院とも明治の廃仏毀釈で廃寺となった。
● 中金堂
2018年(平成30年)10月再建。そこで、仏像への雨漏り被害を防ぐために1974年(昭和49年)11月23日に中金堂北側の講堂跡地に仮金堂(現・仮講堂)として薬師寺の旧金堂を移築し、本尊の釈迦如来坐像などがそちらに移された。文政再建の仮堂の中金堂は老朽化のため移築再利用も不可能と判断され、一部の再利用できる木材を残して2000年(平成12年)に解体された。その後、中金堂解体後に発掘調査が行われ、創建当初の姿を再現した新・中金堂の建設と境内各所の整備が始められた。創建1,300年となる2010年(平成22年)に中金堂再建工事が着工され、2017年(平成29年)、翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を早くも中金堂に移し、2018年(平成30年)10月に9代目となる中金堂が落慶した、2017年(平成29年)までは南円堂に安置されていた。南円堂本尊の不空羂索観音像と同様、本四天王像も運慶の父・康慶一門の作であると長らく信じられていたが、藤岡穣が1990年(平成2年)に発表した論考で、当時の中金堂(仮金堂)に安置されていた現・南円堂安置の四天王像が、元から南円堂にあった康慶作の像であると指摘して以降、これが定説となった。本四天王像は2017年(平成29年)に東京国立博物館で開催された「運慶展」後に、康慶作の四天王像と入れ替わる形で中金堂に移された。また、多聞天を除く3躯について、持国天と考えられていた像は増長天、増長天と考えられていた像は広目天、広目天と考えられていた像は持国天であることから、それを踏まえた安置となっている。これらの像はもともと北円堂にあったと想定されている。
● 東金堂
国宝。応永22年(1415年)再建。1897年(明治30年)12月28日、当時の古社寺保存法に基づく特別保護建造物(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定。1952年(昭和27年)3月29日、文化財保護法に基づく国宝に指定されている。西国薬師四十九霊場第4番札所。東金堂は神亀3年(726年)に聖武天皇が伯母にあたる元正上皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊像を安置する堂として創建された。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)に興福寺の僧兵・東金堂衆は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)にあった天武天皇14年(685年)に蘇我倉山田石川麻呂の冥福を祈って造立されたものと思われる講堂の本尊・薬師三尊像を強奪し、それを新たな東金堂の本尊として安置した。現存の塔は、応永33年(1426年)の再建であるが、高さは50.1メートルで、現存する日本の木造塔としては東寺五重塔に次いで高いものである。
明治初期、廃仏毀釈政策に基き、奈良県令四条隆平より塔撤去の命令が出て、頂上に網をかけて引き倒そうとしたが、叶わず、焼却のため周りに柴が積まれたが、類焼を恐れた近隣住民の反対により中止された。
1905年(明治38年)7月には三重目の東北隅肘木に落雷が命中し黒煙をはくが、大事には至らなかった。これにより、1907年(明治40年)8月に避雷針を設置している。
1902年(明治35年)に修理を終えて以来、2024年(令和5年)7月からおよそ120年ぶりに本格修理が始まっている。
● 北円堂
国宝。承元4年(1210年)再建。現在の建物は承元4年(1210年)の再建で、興福寺に現存する中で最も古い建物である。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。かつては回廊の復元を計画されたこともあり、現在はその基壇が復元されている。
・ 木造弥勒仏坐像(国宝) - 本尊。晩年の運慶が一門の仏師を率いて建暦2年(1212年)頃に完成させたもの。
・ 木造法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像 - 弥勒仏の脇侍像だが、制作年代は室町時代に下る。
・ 木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝) - 無著・世親の兄弟は5世紀頃のインドで活動した唯識教学の祖で、興福寺が属する法相宗で尊ばれている。本尊弥勒像と同じ頃、運慶一門の作。鎌倉時代のリアリズム彫刻の頂点をなす作品で、日本の肖像彫刻の最高傑作の1つとして高い評価を得ている。※右列に画像あり。
・ 木心乾漆四天王立像(国宝) - 堂内の他の諸仏より古く平安時代のごく初期の像である。弘安8年(1285年)の修理銘によると、本来は大安寺のもので、延暦10年(791年)に造立されたという。なお、本来は現在中金堂に安置されている四天王像が、北円堂の本来像ではないだろうかと判断する学説が根強い。
● 南円堂
重要文化財。寛保元年(1741年)4月立柱、寛政元年(1789年)再建。西国三十三所第9番札所。南円堂は藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂の追善のために弘仁4年(813年)に創建した八角堂である。
・ 木造法相六祖坐像(国宝) - 運慶の父・康慶一門の作。玄賓、行賀、玄昉、神叡、常騰、善珠という、法相宗の6名の高僧の肖像。(※右列に伝・行賀像の画像あり)
● 国宝館
文化財の収蔵と展示を目的とする耐火式収蔵施設で、1959年(昭和34年)に食堂及び細殿の跡地に建てられた。鉄筋コンクリート構造であるが、外観は創建時の食堂と細殿、すなわち奈良時代の寺院建築を模したものとなっている。国宝館の内部には、食堂の本尊であった巨大な千手観音立像(高さ5.2メートル)が中央に安置され、仏像を始めとする多くの寺宝が展示されている。2010年(平成22年)3月にリニューアルオープンし、従前に比べ展示点数が増えた。文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用されたことにより、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになった。その後、2017年(平成29年)1月から12月までの1年間休館して耐震改修工事を施工、2018年(平成30年)1月に再度リニューアルした。館長には小西正文や金子啓明が歴任し、現在は当山貫首が兼務している。詳細は興福寺の仏像を参照。
・ 乾漆八部衆立像(国宝) - 奈良時代の作。もと西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つ。五部浄、沙羯羅(しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われている。中でも三面六臂(顔が3つで手が6本)の阿修羅像が著名である。(※右列に阿修羅像の画像あり)
・ 乾漆十大弟子立像6躯(国宝) - 奈良時代の作。八部衆像と共に、西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の一つである。当然ながら制作当初は10体の群像であったが、4体は明治時代に寺外へ流出し、舎利弗、目犍連(もくけんれん)、須菩提、富楼那、迦旃延、羅睺羅(像名はいずれも寺伝による)の6体のみが寺に現存する。寺外に流出した4体は、明治時代の古写真に写っているがいずれも破損が激しい。これら4体のうち、大倉集古館旧蔵の1体(伝・優波離像)は関東大震災で焼失した。他の3体は以下の所蔵先に現存するが、いずれの像も原形を留めていない。
・ 伝・阿難像(個人蔵) - 1922年(大正11年)に武藤山治が菅原大三郎に修理させたもの。像は大破しており、多くの欠失部分を補って復元されたものとされるが、詳細不明。2014年(平成26年)3月にニューヨークで行われたクリスティーズのオークションに出され66万5千ドルで落札された。
・ 伝・大迦葉像(大阪市立美術館蔵) - 旧田万コレクション。頭部のみ残存。
・ 像名不詳心木(東京藝術大学大学美術館蔵) - 両足先と衣の裾の部分がかろうじて残存する。像名不詳心木
・ 銅造仏頭(国宝) - 旧山田寺仏頭。白鳳時代の作で頭部のみ残っているが、白鳳文化を代表する作品である。元は飛鳥の山田寺(現・奈良県[桜井市)講堂の本尊・薬師三尊像の中尊像で、興福寺の僧兵が略奪してきたものである。薬師三尊像は東金堂本尊として祀られていたが、室町時代に火災に遭い、両脇侍像は助け出されたが中尊像は頭部だけがかろうじて焼け残った。この火災により、左耳付近が大きく変形している。この頭部は新しく作った本尊像の台座内に納められて長らく人目にふれず、1937年(昭和12年)に再発見された。この時には他に、類例の少ない銀製の仏像の腕(重要文化財)も発見されている。(※右列に仏頭の画像あり)
・ 木造仏頭(重要文化財) - 廃絶した西金堂の旧本尊・釈迦如来像の頭部。鎌倉時代の作。頭部のほかに両手の一部、光背を飾っていた飛天像と化仏(小型の仏像)も残っている。従来、運慶の父・康慶の兄弟子・成朝の作とされていたが、近年、興福寺別当(住職)信円の日記の記述から、文治2年(1186年)1月に運慶によって作られたとする説が有力となっている。
・ 木造金剛力士立像(国宝) - もと西金堂安置。鎌倉時代の作。定慶作とする説もある。(※右列に画像あり)
・ 木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝) - もと西金堂安置。大きな燈篭を天燈鬼は肩にかつぎ、龍燈鬼は頭上で支える。架空の存在を写実的かつユーモラスに表現した鎌倉期彫刻の傑作である。龍燈鬼像は運慶の子息である康弁の建保3年(1215年)の作で、天燈鬼も同人か周辺の仏師の作と思われる。(※右列に画像あり)
・ 木造千手観音立像(国宝) - もと食堂(じきどう)本尊。現在は、食堂跡地に建つ国宝館の中央に安置される。高さ5.2メートルの巨像で、像内納入品の銘記から鎌倉時代、寛喜元年(1229年)頃の完成と推定される。この千手観音像は記録によると造像開始から完成まで4半世紀の歳月を要した。当初の造像担当者であった成朝は運慶の父・康慶の兄弟子にあたり、康慶よりも正当な慶派の後継者であった。しかし成朝は病弱であったため千手観音像の制作途中で亡くなったと推定されている。その後放置されていたものが何らかの理由で制作が再開され、別の仏師の手により完成された。像の部材は制作が中止されている間風雨に晒されていたらしく、内部の木肌は酷く痛んだ状態であった。
・ 板彫十二神将像(国宝) - 平安時代11世紀半ばの作。日本では珍しい檜板に浮き彫りで制作された仏像で、現在は剥落しているが、もとは彩色されていた。12面完存している。像容は誇張的にデフォルメされており、武神像でありながらどこかユーモラスな雰囲気が漂う。厚さ3cmほどの板に彫られたとは思えないほど立体感と奥行きが感じられ、特に顔や手足の筋肉は微妙な段差と起伏によって巧みに表されており、作者の高い技量を見て取ることができる。10世紀末期に活躍した画僧・玄朝(源朝)の図様を元に制作された。江戸時代の文献には、この板彫を指すと見られる十二神将像が東金堂にあったという記載があるが、それ以前の伝来については解っていない。十二神将は薬師如来を守護し、仁和寺の薬師如来坐像の台座には十二神将を彫った作例があることから、元々は薬師如来像の台座側面に貼られていたと推測される。
・ 金銅燈籠(国宝) - 南円堂前に立っていた銅製の燈籠。現在は国宝館に展示されている。平安時代初期の弘仁7年(816年)の銘があり、紀年銘のある燈籠としては日本最古のものである。別置される火袋羽目の文字は当代の書道史の遺品としても貴重。
● 伽藍
かつての興福寺には、中金堂(ちゅうこんどう)、東金堂(とうこんどう)、西金堂(さいこんどう)という3つの金堂があり、それぞれに多くの仏像を安置していた。寺の中心部には、南から北に、南大門、中門、中金堂、講堂が一直線に並び、境内東側には、南から、五重塔、東金堂、食堂(じきどう)が、境内西側には、南から、南円堂(なんえんどう)、西金堂、北円堂(ほくえんどう)が建っていた。この他、境内南西隅の一段低い土地に三重塔が、境内南東部には大湯屋がそれぞれ建てられた。これらの堂宇は創建以来火災に度々見舞われ、焼失と再建を繰り返してきた。明治時代以降、興福寺の境内は奈良公園の一部と化し、寺域を区切っていた塀や南大門もなくなり天平時代の整然とした伽藍配置を想像することは困難になっている。「興福寺の仏像」も参照。
・ 中金堂 - 2018年(平成30年)10月再建。解説は既述。
・ 経蔵跡 - 基壇が復元されている。
・ 鐘楼跡 - 基壇が復元されている。この位置にあったとされる鐘楼は、裾がスカート状に広がる「袴腰」をもつ姿であったことが近年の発掘調査で明らかになった。
・ 廻廊跡 - 基壇が復元されている。
・ 中門跡 - 基壇が復元されている。
・ 仮講堂 - 仮講堂の建物は元は薬師寺の金堂で、慶長5年(1600年)に増田長盛によって建てられたものである。薬師寺に新たな金堂が建てられるために撤去されることとなったので、1974年(昭和49年)11月23日に屋根を入母屋造から寄棟造にし、向拝を撤去するなどの大改造を行って当寺の講堂跡の地に仮金堂として移築された。その後、老朽化していた中金堂の本尊・釈迦如来坐像などを移し、長らく仮金堂としての役目を負っていた。2000年(平成12年)に老朽化した中金堂を解体し、2018年(平成30年)10月に中金堂を再建すると、仮金堂は仮講堂と名称を改めて国宝館にあった阿弥陀如来坐像を新たな本尊として安置した。
・ 梵鐘(国宝) - 奈良時代、神亀4年(727年)の銘がある。制作年の分かる梵鐘としては妙心寺鐘(698年)に次いで、日本で二番目に古い。現在は仮講堂に所在。
・ 東金堂(国宝) - 応永22年(1415年)再建。解説は既述。
・ 五重塔(国宝) - 応永33年(1426年)再建。解説は既述。
・ 西金堂跡 - 西金堂は光明皇后が、母・橘三千代の一周忌に際し、釈迦三尊像を安置する堂として天平6年(734年)に創建した。平安時代に2回、鎌倉時代に1回被災したが、その都度再建されてきた。その後、江戸時代の享保2年(1717年)1月4日に講堂からの出火によって中金堂や南円堂と共に焼失した。この時は資金難の為に再建は叶わず、基壇を残すのみという状態になってしまった。そうして今は西金堂跡として往時を偲ぶばかりとなっている。ただ、堂内に納められていた寺宝には焼失を免れて今日まで伝えられているものが少なくない。釈迦如来像(伝・運慶作。体部は焼失し、今は頭部のみが国宝館に安置されている)、両脇侍像(薬王菩薩像と薬上菩薩像。今は中金堂に両脇侍像として安置)、梵天・帝釈天像(奈良時代の作。明治時代に国外へ流出し、今は米国サンフランシスコのが所蔵)、十大弟子像(奈良時代作。今は10躯中の6躯を国宝館などに安置)、八部衆像(奈良時代の作。今は国宝館に安置)、金剛力士像(伝。定慶作。今は国宝館に安置)、四天王像(所在不明)、華原磐(「かげんけい」と読む銅製楽器で、奈良時代の作。今は国宝館に安置)などがそれである。
・ 南円堂(重要文化財) - 寛政元年(1789年)再建。解説は既述。
・ 興善院 - 子院。本来の興善院は菩提院東側にある菊水楼付近に存在した。
・ 一言観音堂 - 南円堂の横にある。南都七観音巡拝所の一つ。明治期に竜華樹院地蔵堂を移築して諸仏を移した。一言念ずれば願いごとが叶うという観音を祀る。
・ 不動堂 - 不動明王坐像などの他に西国三十三所観音霊場のそれぞれの札所の本尊を模した33体の観音像を祀る。
・ 額塚 - 茶臼山と呼ばれる塚。かつて南大門には興福寺の山号であった「月輪山」と書かれた額が掲げられていたが、不思議なことが多々発生し、結局月輪という字が良くないとされてその額がここに埋められ、不思議なことも治まった。それ以来、興福寺は山号自体をなくしてしまった。
・ 鐘楼 - 南円堂南側。6時・12時・18時に時を告げる打鐘がある。
・ 興福寺会館 - 三重塔西側に建つ。佛教文化講座などの講演会や諸行事で使用される。
・ 三重塔(国宝) - 鎌倉時代前期の再建(正確な建立年次は不明)。高さ19m、本瓦葺の三間三重塔婆である。治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討での焼失記録はないが、現在の塔は建築様式から大火後まもなく再建された鎌倉建築と考えられる。
・ 北円堂(国宝) - 承元4年(1210年)再建。解説は既述。
・ 北円堂廻廊跡 - 南側と東側の基壇が復元されている。
・ 食堂及び細殿跡 - 食堂および細殿は奈良時代に創建され焼失と再建を繰り返したが、1874年(明治7年)、廃仏毀釈のあおりで興福寺が荒廃していた時代に取り壊された。跡地には、1959年(昭和34年)になって寺宝を納める耐火式宝物庫「国宝館」が建設された。食堂と細殿の遺構は国宝館の地下にそのままの形で保存されている。
・ 国宝館 - 1959年(昭和34年)築。解説は既述。
・ 南大門跡 - 基壇が復元されている。
・ 般若の芝 - 南大門基壇の南側に設けられている土壇。ここで興福寺薪御能が行われる。
・ 五十二段 - 南大門と猿沢池を結ぶ石段。菩薩五十二位に由来している。
・ 猿沢池 - 興福寺の南側にある池。かつては興福寺の放生池であった。
・ 本坊 - 境内東方に位置する。興福寺の寺務を執り行う場所で一般には公開されていない。
・ 大圓堂(持仏堂) - 明治時代建立。
・ 庫裏
・ 南客殿 - 天正年間(1573年 - 1592年)建立、または菩提を弔う所とされている。大和北部八十八ヶ所霊場第62番札所。詳細は菩提院大御堂を参照。
・ 大御堂 - 本堂。天正8年(1580年)再建。平面は桁行四間、梁間四間。屋根は一重、本瓦葺で、西面を入母屋造、東面を切妻造とする。
● 文化財
現在の境内と合わせて奈良公園の一部にまたがる旧境内が国の史跡に指定されている。所有する国宝は27件になる。
◎ 国宝
○ 建造物
・ 東金堂
・ 五重塔
・ 北円堂(附:旧内陣小壁8枚、銘札1枚)
・ 三重塔
○ 彫刻
・ 木造文殊菩薩坐像(東金堂)
・ 木造維摩居士坐像 定慶作(東金堂)
・ 木造四天王立像(東金堂) ※右列に広目天像の画像あり。
・ 木造十二神将立像(東金堂) ※右列に伐折羅像と波夷羅像の画像あり。
・ 木造弥勒仏坐像 運慶作(北円堂) ※右列に画像あり。
・ 木造無著立像・木造世親立像 運慶作(北円堂)
・ 木心乾漆四天王立像(北円堂)
・ 木造不空羂索観音坐像 康慶作(南円堂) ※右列に画像あり。
・ 木造四天王立像(南円堂) - 2018年度国宝指定
・ 木造四天王立像(中金堂) ※右列に画像あり。
・ 乾漆八部衆立像 8躯(国宝館・旧西金堂)
・ 乾漆十大弟子立像 6躯(国宝館・旧西金堂)
・ 木造金剛力士立像 2躯(国宝館・旧西金堂)
・ 木造天燈鬼立像・木造龍燈鬼立像(国宝館・旧西金堂)
・ 木造法相六祖坐像 6躯 康慶作(南円堂)
・ 板彫十二神将像(国宝館・旧東金堂)
・ 銅造仏頭(国宝館・旧東金堂)
・ 木造千手観音立像(附:像内納入品)(国宝館・旧食堂)
○ 工芸品、書跡典籍ほか
・ 金銅燈篭
・ 梵鐘
・ 華原磬 ※右列に画像あり。
・ 日本霊異記上巻 延喜四年書写奥書
・ 興福寺金堂鎮壇具(銀製鍍金唐花文鋺2口、銀製鍍金唐草文脚杯残欠1口、銀鋺7口、水晶念珠玉5箇、水晶玉類6箇) - 1884年(明治17年)に発掘された鎮壇具の大部分は東京国立博物館の所蔵になっている。興福寺所蔵分は銀器、水晶玉など21点。 ※右列に画像あり。
※ 阿修羅像は「乾漆八部衆立像 8躯」のうちの1躯である。
◎ 重要文化財
○ 建造物
・ 大湯屋
・ 南円堂
○ 彫刻
・ 木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(中金堂)
・ 銅造薬師如来および両脇侍像(東金堂)
・ 木造阿弥陀如来坐像(菩提院大御堂)
・ 木造阿弥陀如来坐像(仮講堂)
・ 木造釈迦如来坐像(国宝館)
・ 木造薬師如来坐像・像内納入品(薬師経)(仮講堂)
・ 木造仏頭(附:仏手2箇)(国宝館・旧西金堂本尊)
・ 木造飛天・化仏 11躯(飛天8、化仏3)(国宝館・旧西金堂本尊光背付属)
・ 木造帝釈天立像(仮講堂)- 寺では「梵天像」と称している。
・ 木造梵天・帝釈天立像(国宝館)
・ 木造地蔵菩薩立像(仮講堂)
・ 厨子入木造弥勒菩薩半跏像(附:像内納入品)(国宝館) - 大乗院持仏堂旧所在
・ 厨子入木造吉祥天倚像(中金堂)
・ 銀造仏手(国宝館)
・ 木造大黒天立像(中金堂)
・ 木造広目天立像(奈良国立博物館寄託) - 四天王のうちの1体。残り3体は滋賀・MIHO MUSEUM(持国天)および奈良国立博物館(増長天・多聞天)所蔵。
・ 木造聖観音立像(弥勒菩薩立像)快円作(本坊持仏堂)
・ 木造釈迦如来立像(1929年盗難)
(参考)広島県尾道市(生口島)の耕三寺所蔵の木造釈迦如来坐像(1901年重文指定)はもと興福寺にあり、第二次世界大戦後に耕三寺に移ったものである。
○ 絵画、書跡典籍ほか
・ 絹本著色慈恩大師像
・ 絹本著色慈恩大師像
・ 絹本著色淄州(ししゅう)大師画像
・ 絹本著色二天王画像
・ 護法善神扉絵 12面
・ 細字(さいじ)法華経 天平十六年書写奥書
・ 経典釈文断簡
・ 成唯識論巻十 天平宝字五年小治田弟成書写奥書
・ 紺紙金字成唯識論 10巻
・ 紺紙金泥金剛般若波羅蜜経 奥に康永二年二条良基の願文あり
・ 宋版一切経 4,354帖
・ 講周易疏論家義記断簡
・ 大慈恩寺三蔵法師伝 10巻
・ 僧綱補任 6巻
・ 明本抄 巻第一、第三、第六、第十紙背文書(内1通栄西自筆)附:建暦二年十二月廿三日貞慶付嘱状等(6通)1巻
・ 延暦寺智行高僧伝
・ 左府抄 3巻 寛喜三年実信鈔写奥書
・ 聖徳太子伝暦 4帖 徳治二年書写奥書
・ 篳篥譜(ひちりきふ)
・ 興福寺別当次第 6巻
・ 造興福寺記
・ 春日版版木 2,778枚(附 版本瑜伽師地論(春日版)91巻、版本大般若経(春日版)610巻)
典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
◎ 国の史跡
・ 興福寺旧境内
◎ 奈良県指定有形文化財
・ 絹本著色法相曼荼羅図 1幅 南北朝時代
・ 絹本著色春日社寺曼荼羅図 1幅 鎌倉時代
・ 絹本著色濮陽大師像 1幅 室町時代
・ 鰐口 1口 建長8年(1256年)
・ 黒漆舎利厨子 4基 内2基は南北朝時代、2基は天文6年(1537年)と天文23年(1554年)
・ 鉄湯釜 2口 平安時代末期から鎌倉時代
・ 大般若経 600帖 室町時代
・ 興福寺大和国雑役免坪付帳 2冊 室町時代
◎ 奈良市指定無形民俗文化財
・ 薪御能(薪御能保存会)
● 主な行事
・ 1月1日 修正堂参(諸堂)
・ 1月1日 - 7日 吉祥天像御開帳(中金堂)
・ 1月2日 春日社参式(春日大社本宮・若宮)
・ 2月3日 追儺会(東金堂)
・ 2月3日(旧暦)解脱上人忌(本坊・持仏堂)*非公開
・ 2月15日 涅槃会(本坊・北客殿)
・ 3月5日 三蔵会(本坊・北客殿)
・ 3月20日 無縁仏供養(菩提院内・供養塔)*非公開
・ 4月8日 仏生会(南円堂前庭)
・ 4月17日 放生会(一言観音堂)
・ 4月25日 文殊会(東金堂)
・ 5月第3金曜・土曜日 薪御能(南大門跡・般若の芝)*薪御能保存会(奈良市観光協会内)が主催。
・ 7月7日 弁才天供(三重塔)
・ 8月13日 - 15日 羅漢供(本坊・持仏堂)*非公開
・ 9月21日 無縁仏供養(菩提院内・供養塔)*非公開
・ 10月第1土曜日 塔影能(東金堂前庭)*雨天の場合は奈良県文化会館にて催行される。
・ 10月17日 大般若経転読会(南円堂)*南円堂は当日のみ内陣の拝観が可能。
・ 11月13日 慈恩会(仮講堂)*会場は薬師寺と隔年交代制。
・ 12月31日 歳末読経(諸堂)、除夜の鐘(南円堂・菩提院大御堂)
上記の他、春と秋の一定期間 (約2週間)、北円堂が特別開扉される。また、通常非公開となっている諸堂の特別公開が行われる。
● 近代以降の住職・貫首
・ 園部忍慶(在職:1881年 - 1890年)
・ 千早定朝(在職:1890年 - 1891年)
・ 雲井良海(在職:1891年 - 1894年)
・ 千早定朝(在職:1895年 - 1899年)※再任
・ 大西良慶(在職:1899年 - 1942年)
・ 板橋良玄(在職:1942年 - 1954年)
・ 多川乗俊(在職:1954年 - 1984年)
・ 多川乗覚(在職:1984年 - 1989年)※2024年3月26日遷化、興福寺長老
・ 多川俊映(在職:1989年 - 2019年)※前貫首。現在、興福寺寺務老院(責任役員)
・ 森谷英俊(在職:2019年 -)
● 前後の札所
◇ 西国三十三所
: 8 長谷寺 - 9 興福寺南円堂 - 10 三室戸寺
◇ 西国薬師四十九霊場
: 3 般若寺 - 4 興福寺東金堂 - 5 元興寺
◇ 大和北部八十八ヶ所霊場
: 61 春岳院 - 62 興福寺菩提院大御堂 - 63 白毫寺
◇ 南都七大寺
: 1 東大寺 - 2 興福寺 - 3 元興寺
◇ 神仏霊場巡拝の道
: 15 春日大社 - 16 興福寺 - 17 大安寺
● 真言・御詠歌
◇ 南円堂(不空羂索観音)
・ 真言:おん はんどま だら あぼきゃ じゃやでい そろそろ そわか
・ ご詠歌:春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲
◇ 東金堂(薬師如来)
・ 真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
・ ご詠歌:猿沢の 池のほとりの 寺庭に 瑠璃の光は あまねかりけり
◇ 一言観音
・ ご詠歌:頼もしく 歩みを運べ 一言の 願いも捨てぬ 誓いいませば
● 拝観
・ 境内は塀などがなく、24時間自由に無料で通行できる(立入禁止区域を除く)
・ 国宝館、東金堂、中金堂は原則通年で拝観が可能だが、ホームページで最新情報を確認する必要あり(それぞれ別々に拝観料を要する。国宝館と東金堂は共通割引券あり)。
・ 北円堂の内陣は春(GW前後)・秋(正倉院展の開催時期)に期間を限定して拝観が可能(有料/期間はその年による)。
・ 南円堂の内陣は10月17日の大般若経転読会に応じて、当日1日のみ拝観が可能(有料)。
・ その他の堂宇(五重塔・三重塔・仮講堂・大御堂など)の内陣は通常非公開。
● 所在地
・ 奈良県奈良市登大路町48
● アクセス
・ 近鉄奈良線 近鉄奈良駅より徒歩約5分。
・ JR大和路線・奈良線 奈良駅より三条通りを東へ徒歩約1.2キロメートル。または奈良交通バスに乗車して県庁前バス停下車。
● 近隣施設
・ 奈良国立博物館
・ 東大寺
・ 春日大社
・ 奈良基督教会
● 映像作品
◎ ドキュメンタリー
・ 「落慶〜奈良・興福寺〜」(2019年1月13日、NHK BS8K)
「興福寺」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2025年6月1日11時(日本時間)現在での最新版を取得
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