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体育(たいいく)または身体教育(しんたいきょういく)とは、身体に関する教育を指す言葉である。スポーツとは区別される。
● 語源
「体育」という言葉は、1876年に近藤鎮三によって「Physical Education」の訳語として使用されたのが最初とされる。当初は「身体に関する教育」として扱われ、その後、「身体之教育」から「身体教育」に、そして「身教」を経て、「体育」に至った。
教科名としては明治以来、体操科が用いられたが、1941年の国民学校令により体練科、戦後には体育科あるいは保健体育科に改められた。
● 歴史
◎ 古代
紀元前8世紀頃、アテネでは軍事目的の訓練施設としてギムナシオンがつくられた。紀元前6世紀以後にはオリンピアなど4都市で開催されていた四大競技祭が興隆し、体育は軍事目的から離れて、人々は一般市民の教養としてギムナシオンに通うようになった。
◎ 近代
ルネサンス期にはイタリアで体育の実践的な活動が行われていたがヨーロッパ全体に普及するものではなかった。しかし、啓蒙思想家たちによってギリシャ・ローマの体育思想が復活し、フランス革命や産業革命の影響も背景に、教育において体育が実践されるようになった。汎愛学院の教師だったC.G.ザルツマン(1744-1811)は同じ趣旨の学校をシュネッペンタールに設立し校長に就いており、そこでは専用の運動場で体育教官と補助主任が指導しながら生徒全員が能力に応じて走・跳・投・平均運動などを行う教科体育の原型がつくられた。ザルツマンの学校に体育主任として着任したグーツ・ムーツ(1759-1839)は従来の包括的な身体教育ではなく、体育を教育的運動を手段とする独立した領域として理論化した人物といわれ「近代体育の創設者」と呼ばれている。
● 欧米の学校体育
学校における体育活動を学校体育という。学校体育はヨーロッパでの近代の国民国家の成立とともに絶対王政が崩れ、主権者として国民(一般市民)は国家を防衛する義務があるとの認識から、フィヒテやフランツ・ナハテガルなどによって体育の重要性が説かれるようになり近代的な国民体育(学校体育)が形成されることとなった。一方、近代資本主義の発展により労働者の健康が深刻な問題となり、婦人や児童の健康の問題とあわせて新たな体育論が展開された。トゥルネンの活動は仲間意識や国民意識の高揚を図る内容であり、ウィーン会議の後に弾圧を受け1820年に禁止されたが、3月革命の前後から活動が再開された。
学校体操は1824年から1827年にかけてF.L.ヤーンの影響を受けた、C.フォレン、C.ベック、F.リーベルらがアメリカに移住して始まった。
「体育」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年4月20日4時(日本時間)現在での最新版を取得
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