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サザンオールスターズ


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{{Infobox Musician   名前 = サザンオールスターズ   画像 =   画像説明 =   画像サイズ =   画像補正 =   背景色 = band   別名 =   出身地 = ・東京都渋谷区   ジャンル =   活動期間 =   レーベル =   事務所 = アミューズ(1978年 -)   共同作業者 =   公式サイト =   メンバー =   旧メンバー =
・ 大森隆志(ギター) }} サザンオールスターズは、日本の5人組ロックバンド。所属芸能事務所はアミューズ、所属レコード会社はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、所属レーベルはタイシタレーベル。略称は「サザン」、「SAS」。公式ファンクラブ名は「サザンオールスターズ応援団」。

● 概要
メンバーは青山学院大学で結成され、1974年から断続的に活動が始まった、1979年に「いとしのエリー」がヒットした。1980年代には 「チャコの海岸物語」「ミス・ブランニュー・デイ」「Bye Bye My Love (U are the one)」などがヒットした。1990年代になると「真夏の果実」がヒットし、「涙のキッス」「エロティカ・セブン」「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」の4作がミリオンセラーとなった、第42回日本レコード大賞の大賞を受賞。5年の活動休止を経て、2010年代には「ピースとハイライト」「東京VICTORY」「闘う戦士たちへ愛を込めて」などがヒットしている。オリジナル・アルバムは1978年に『熱い胸さわぎ』、1985年に『KAMAKURA』、1996年に『Young Love』、2005年に『キラーストリート』、2015年に『葡萄』など計15枚、ベスト・アルバムは1998年に『海のYeah』、2018年に『海のOh, Yeah』など計7枚が発売されている。 一般的にはラブソングやエロティックな作風で知られているが、楽曲によっては風刺、反戦、さらには生まれ育った日本への強い愛情や世界平和などのメッセージや国民へのエールが込められたものも存在している。

◎ 特徴
桑田佳祐がバンドマスターを務め、楽曲の作詞・作曲・ボーカルを担当している。原由子は楽曲によってはコーラスワークやカウンターのメロディーを考える役割も担っており、草野マサムネ(スピッツ)や竹内まりやなどミュージシャンの間では原を「サザンオールスターズの主体」と評す者も存在している。桑田はサザンらしさの要因に松田弘の存在を挙げており、「サザンの本当のリーダーは彼じゃないかなってのは僕は思うんですよね」といった発言をしている。 桑田はサザンはメンバーの5人だけではなく、数十人のスタッフを含めた総称であると述べている、メンバー全員は人知れず努力を重ねていると述べている。 桑田はサザンを解散させず長く続けている理由として「絶対、サザンオールスターズは解散しません。だってさぁ… もったいないじゃん」と語っており、2005年に開催した全国ツアー『みんなが好きです』の東京ドーム公演のMCではサザンの活動について「これからもゆっくり、命ある限り続きますんでよろしくお願いします」と発言している。関口和之はサザンが長く続いた秘訣を「『休み休みやることかな』としか答えようがない」と述べている。 バンドの仲について桑田は「やっぱりお互い若い時分には険がありましたよ。だけどもう、これこそ何度かバンドを休ませたりしているうちに、角が取れてきたというか(中略)互いの光る部分を見出し易くなった。今更無理難題を投げ合うくらいなら、その分できる事をたくさん頑張る方がいいもんね」と述べている。桑田は実際に原を始めとした家族との関係やメンバー同士の人間関係を大切にしており、音楽プロデューサーの酒井政利は「原坊はもちろんのこと、メンバーもスタッフもそんな桑田の人となりに惹き付けられて、サザンオールスターズを楽しんでいるように見える」と評している。 バンド活動に集中する時期と各メンバーがソロ活動に集中する時期があるため、関口は「良くも悪くも、何かしら口実を設けないと動きにくいバンド」と表現している。

● メンバー

   男性    A型  神奈川県茅ヶ崎市  ボーカル
ギター  リーダー
   男性    O型  新潟県  ベース  
   男性    O型  宮崎県  ドラムス  
   女性    B型  神奈川県横浜市  キーボード
ボーカル  
   男性    A型  東京都  パーカッション  
   出典:

◇ 元メンバー
   男性    A型  宮崎県  ギター   2001年8月7日付で独立
   出典:


● 名義


◎ バンド名の由来
バンド名の由来は、桑田がアマチュア時代に藤沢青少年会館で行われるコンサートに向けてバンド名を考えたが思い付かず、宮治淳一がポスターを製作している際に間に合わせ的に考案し当日に桑田に伝えたもの。宮治がニール・ヤングのアルバム『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』をレコードで聴きながらポスターを製作中、一息入れるために風呂に入りラジオを聴いていた際にファニア・オールスターズの来日コンサートの宣伝が流れ、風呂から上がった後につけっぱなしのレコードから上述のアルバムにある楽曲「サザン・マン」が流れていて、これらを組み合わせた際の響きに好感を持ち、また当時桑田の家が茅ヶ崎市南湖(なんご)にあったことを掛けて、「サザンオールスターズ」という名前を考案した。

◎ 別名義での活動
アルバム『稲村ジェーン』は同名映画のサウンドトラックという性格上、収録されている楽曲により演奏者などのメンバーが異なるため、同アルバムは「サザンオールスターズアンドオールスターズ (SOUTHERN ALL STARS and ALL STARS)」の名義で表記されている。また、同アルバムの個々の楽曲の中で6曲は「稲村オーケストラ」、1曲は「原由子&稲村オーケストラ」、4曲はサザンオールスターズのままの名義で表記されているが結成された。

● 音楽性
楽曲の曲調は一般的にはロック色の強いもの、ポップス、バラードなどが浸透しているが、それら以外の楽曲も多数発表されており、ハードロック・ヒップホップ・ジャズ・レゲエ・ラテン・ファンク・コミックソングなど幅広い曲調の楽曲がある。前述した通り楽曲の題材は一般的には海や夏などが浸透しているが、夏以外の季節をイメージしたものや、情事・セックス・女性器・アダルトビデオ・自慰・生理・高校時代・大学時代・アイドル・クリスマス・オリンピック・日本への愛・サスペンス。

◎ 楽曲制作方法・レコーディング
桑田はメロディやサウンドを鳴らしたいという動機で作曲や演奏を始めたため、主に楽曲を曲先で制作している。初期の頃は歌詞については「意味はどうでもいい」と捉え「料理でいうお皿のようなもの」という感覚だったと述べているや、サポートミュージシャンを務めた小林武史や小倉博和といった桑田が言うには「詞の事をとても気にする人達」の影響で洗練されたものが多くなっていった。1990年代からは仏教用語や熟語が少しずつ登場するようになった。洋楽への憧れから1980年代には全英語詞曲も制作されたが、2010年代からは英語を意識的に減らしていくようになり日本語を重視して書かれることが多くなった。近年(2021年時点)の代表作は「できる限り平易な言葉を選び、素直でより多くの人々の心に響く歌詞、寄り添い共に歩いていくようなテンポ感による、やさしさと力強さに溢れた作風」とも評される。 桑田は作詞をする際に入念な下調べを行って様々な情報を隅々までチェック・インプットしていて、それが楽曲のアイディアに繋がっていると野沢は述べており、「週刊誌なんかは、ぜんぶ読んでるんじゃないか」といった推測もしている。また、桑田はドラマ『Sweet Season』(TBSテレビ)の内容に合わせて「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」の歌詞を書き下ろす際の打ち合わせで「僕は(音楽の)天才じゃないから、ただ(音楽が好きだから)人の三倍は努力するけどね」と発言した逸話も残っている。 歌詞は楽曲のテーマに関係する人物あるいはそれに詳しい周囲の人物やスタッフへの取材をもとに書くこともあれば、ほとんど想像で書くこともある。歌詞の中で桑田自身とは異なる歌手像やペルソナが設定されていることも多い。桑田が制作した楽曲の歌詞には先述の意味を重要視しないなどの理由からメロディや符割りを優先するために文法が正しくないものや、勘違いして書いた歌詞がそのまま使われたりすることもあり。 サザンの大半の楽曲のレコーディング形式は先行して桑田が楽曲やポイントとなる言葉の一部分を作り、スタジオでメンバー・サポートミュージシャン・スタッフ・エンジニアなどにそれを伝え、全員でアイディアを出し合いながらイメージを膨らませて仮歌やオケを録音する。それと並行して桑田が作詞に取り掛かり、一通り作詞をして歌入れを始める。これ以降アレンジなどの細部の修正を繰り返して楽曲が完成するというものである。楽曲によって異なったニュアンスを出すためという理由から桑田が担当メンバーに代わってベースなどを演奏したり、関口が考案したベースのフレーズをミュージックシーケンサーで打ち込みする手法をとることもある。イントロは基本的に桑田が考案するが、楽曲によっては原がそれに手を加えたり、「海」「ミス・ブランニュー・デイ」などのように最初から原が考案する場合もある。近年はライブなどで演奏することを想定して制作することが多くなった。過去の作品には制作したものの、作り込み過ぎたがゆえにライブで再現ができなかった楽曲が何曲も存在すると桑田は述べているが、1992年ごろからはビクタースタジオとは別に桑田の自宅に「猫に小判スタジオ」も作られており、そこにメンバーが集まって楽曲を制作することもある。機材については、マイクはU-47、コンプレッサーはGML8900、イコライザーもGML製を使用する。サザンの楽曲は大半を桑田が制作・歌唱しているが、関口・松田・原・大森も一部の楽曲を制作・歌唱しており、特に桑田が制作し原がボーカルをとる楽曲は多く存在している。これについて桑田は「やっぱりサザンのアルバムには原坊がヴォーカルを取る曲が絶対に欠かせない」と語っている。また、メンバー全員で制作した楽曲やメンバー同士で共作した楽曲も存在している。

◎ 楽曲の世界観

◇ 日本への愛・国民へのエール 多くの楽曲で桑田の出身地である神奈川県茅ヶ崎市や周辺都市が取り上げられたり、「東京VICTORY」のように日の丸、楽曲によっては歌詞に生まれ育った日本への愛や国民に対するエールなどを取り入れたフレーズが散見されるのも特徴の一つである。 サザンの楽曲にはこういった内容の歌詞に励まされた聴き手が自らを鼓舞させる要素も存在しており、それがゆえに『週刊文春』から「サザン・サウンドが国民的なのは、単に広い人気を誇るからだけではない。多くの問題を孕みながらもなんとか前を向こうとする、そんな『日本の今』がどの曲にも凝縮されているからだ」と評されたり、サザンファンを公言する太田光(爆笑問題)が「桑田佳祐がどんだけ、どんだけ日本を明るくしたか。どんだけ日本人を勇気付けて来たか」と力説するなど高く評価されている。
◇ 和風 教育学者で明治大学文学部教授の齋藤孝は桑田の歌詞について「日本語の可能性を最大限に広げている」と評価しており、文語体と口語体の混在も大きな特色であるとしている。また桑田がたびたび行う当て字(二重読み)についても齋藤は「こうした表現は江戸や明治の時代によく見られる表現なんですね。(中略)ひらがなは私たちの身体にスッと入っているもの、漢字は理知的で、頭のほうに入って来るものですのでこうして表現をすることによって、頭と身体の両方から掴む効果も生んでいると思います」と評価している。初期の楽曲に登場した『ちょいと』などのフレーズに関しては、長唄や落語や江利チエミが歌う「さのさ」などの語感に影響を受けたものであると桑田が述べている。 桑田は日本語の情緒を「ある面でサザンがやっていることと合うと思う」と考えており、「言葉の意味そのものよりも、古来から日本語の持つ情緒、"粋さ"みたいなもんで自分の感性をダイレクトに出したい」「ビートルズとか外国の文化にもろに影響を受けてるけど、やっぱり日本の“ワビ”“サビ”の感覚っていうのを、もっと音楽に出していきたい」と述べている。また、日本的なものから平和を含めた「”和”という言葉が好き」といった発言もしている。音楽プロデューサーの亀田誠治は、桑田のことを「『日本人である』っていうことを最大の武器にして音楽を作られてる方だと思いますね」と評し、歌詞について「すごく日本っぽいキーワードをたくさん使ってる」「日本っていう国が持つ文化とか日本民族の歴史みたいなものを、桑田さんはごく自然に音楽の歌詞としてまとめあげてるんじゃないかっていう気がするんですね」などと高く評価している。主に初期作品での英詞の監修を手掛けていた小林克也は桑田のことを「日本人の洋楽コンプレックスを解放してくれた男」「明治や大正の文豪に連なる人」と評価している。 楽曲だけでなくライブの演出やグッズ・DVDなどにも和風要素を取り入れることが多い。
◇ 和洋折衷 ギタリストのマーティ・フリードマンやお笑い芸人でミュージシャンのマキタスポーツのようにメロディやコード進行などを和洋折衷と評する者も多い。特に「JAPANEGGAE (ジャパネゲエ)」を好きな曲として挙げている松田はこうした和洋折衷な路線を「自分たちなりの和モノ路線というか、洋楽と和モノの折衷を、俺たちはかっこ悪いものとしてとらえていないから」と述べており、桑田の楽曲に対するバランスのとり方を高く評価している。 日本語の歌詞を重視するだけではなく、日本語と英語の折衷も桑田の歌詞の特徴の一つであり、「JAPANEGGAE (ジャパネゲエ)」における『愛苦ねば』と『I could never』や「Missing Persons」における『アカン』と『I CAN'T』などの言葉遊びが用いられたり、「よどみ萎え、枯れて舞え」に出てくる『愛倫浮気症(アイリン・ブーケ・ショウ)』という造語のように英語に存在しそうであるが実際にはなく、意味より英語的な響きを優先し、文字面でイメージを広げさせるフレーズも存在する。 ハードロック調の楽曲を制作する際にはこだわりがあり、桑田は「ハードロックをそのまま弾くのではなく、ちょっとおしろいをハタいて化粧を施すのがサザンのロックに対するマナーである」と語っている。 桑田はかつてミスマッチの仕方が、多少定番とズレている方が面白いという考えを持っており、「愛は花のように (Olé)」や「LOVE KOREA」のようにスペイン語やハングルなどの異国情緒があるモチーフを楽曲や映像に取り入れたこともある。
◇ エロティック 「シュラバ★ラ★バンバ」「エロティカ・セブン」「マンピーのG★SPOT」はファンや識者など一部の間から「エロス3部作」と呼称されることがあり、また「Brown Cherry」「マイ フェラ レディ」「経験II」「BOHBO No.5」「天国オン・ザ・ビーチ」などのようにタイトルや歌詞にエロティックな言葉が含まれる楽曲も多く存在する。こういった曲も造語や比喩、隠しメッセージが多用されているのが特徴的である。桑田はこれらエロティックな楽曲を制作する理由について「音楽って、やっぱりセックスがないとダメだと思うのね。(中略)そういうことの方が素直に歌詞にしやすいわけ。これは性格だと思うんだけど」「いやあ、溜まってるからじゃないですかねぇ(笑)」と述べている、徳光正行は「桑田さんは精神的な”永遠の童貞”的なところがいい」「エロ全開の曲もあれば、私小説のような美しいエロもある」、ミッツ・マングローブは「セックスに憧れている中坊の妄想みたいな感じが歌詞に出てる」「生々しさがない」「これが生々しいエロだったら、老若男女に支持されるはずがない」。加山雄三は桑田のことを「本当にいいやつ。心が素晴らしいから、あんなスケベな曲が作れるんだよ」と述べている。
◇ 社会風刺・反戦・平和 社会風刺や反戦などをテーマにした楽曲については1982年発売の5枚目アルバム『NUDE MAN』の頃から制作されており、「流れる雲を追いかけて」「Computer Children」「怪物君の空」「私の世紀末カルテ」「平和の琉歌」「PARADISE」「爆笑アイランド」「ピースとハイライト」「蛍」「平和の鐘が鳴る」「Missing Persons」などがあるとも述べている。 桑田は風刺は過剰に人を傷つけるものではあってはならないとし、「たとえば直接的に『○×反対』というのではなく、どこか粋でありたいし、○と×の間に様々なグラデーションがあると思います」といった考えを述べている。事実、桑田が風刺や反戦をテーマにして制作した楽曲は、単に平和を希求したり、世相を批判したり、後ろ向きな事柄を描くだけでなく、楽曲によっては後ろ向きな事柄を描いた上で前向きな歌詞を書いたり、前述した日本への愛を表現し、国民の生活に寄り添いエールを送ったり、平和ボケをしている自分たちへ自戒を込めたり、戦死者や遺族の心情に寄り添ったり、解釈を聴き手にゆだねるものも存在するなど、趣向を凝らしていることも特徴である。かつては歌詞に過激なフレーズを入れたこともあったが、後年には「やっぱり流れが良くないと、尖った言葉ばっかりの羅列だと、やっぱりポップミュージックとしてはね。僕はあまり好きじゃないんですよね。メロディも大事だし」「僕だってこう見えて、コンプライアンスだのなんだのと昔と比べたら相当気を配っているんです」と語っている。 反戦歌を制作することについて桑田は「戦争はなかなか無くならないことも、平和を訴えるうえでのある種の虚しさも、大人ですから薄々は気付いています。でも言うだけでも言わなきゃ夢が持てない。僕は夢のない世の中が一番怖いと思っています」と述べている。桑田の反戦を訴える姿勢は祖母や父親の影響によるものであり、特に父親からは満州からの引揚者だったこともあって、満州での話や「品格とは真逆の、人間が究極の状態に追い込まれた時の様子」などの話をよく聞かされていたことを述べている。戦時中の兵隊の苦悩や戦死者や遺族などへの思いを馳せた楽曲が多いゆえ、特に「蛍」についてはタイアップ先の映画『永遠の0』の原作者の百田尚樹から自身のTwitterで「胸に染みいるような素晴らしい歌」と評価されているほか、サザンファンを公言している弁護士の北村晴男は「僕らが生まれる前に太平洋戦争が終わっているがたかだか11年前、親や先輩の年代は本当につらい思いをしていてそれを見事に描いている」。 桑田は社会風刺の面では牧伸二の漫談やハナ肇とクレイジー・キャッツが出演していた『おとなの漫画』が好きだった旨を。これについて桑田は「ぜーんぜん関係ない曲が『タイアップ決まりました』って言われても、あんまり楽しくないからね」と語っている、寺脇康文は「心を震わせるって、こういうことだね。桑田さんの曲って、心を震わせたり、踊らせたりーー耳で聴くっていうより、心に聴かせるという感じ。桑田さん自身がそういう人間だからなんだろうな」。

◎ ライブパフォーマンス
ライブでは初期の頃の楽曲からその時点でリリースした新曲まで幅広い選曲がされており、年々演奏曲が増えていくようになった。2015年の時点で曲数はアンコールを含め30曲を超えることが多く、公演時間は長い場合で約3時間半に及ぶ。 楽曲によっては世界観を表現するためにバックモニターに楽曲のテーマにちなんだ映像が投影されたりダンサーが登場したりする。また、激しい楽曲に乗せて桑田が観客をあおったり、野外ライブでは客席に水を撒くことも特徴である。女性ダンサーと絡んだり。MCではメンバーのキャラクターを活かしたギャグやその時々の流行や会場に合わせた笑いを重視した演出を多く行う。また、直近に自然災害が発生した場合は桑田が被災者へお見舞いの言葉を述べることがある。ライブによってはコスプレやコントなどを行うこともある。 ライブによってはカバー曲を演奏する場合もあり、1999年の『シークレットライブ'99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町』での国歌「君が代」。1974年、桑田佳祐と関口和之が青山学院大学に入学、フォークソング・サークルで知り合い、ロックバンド「温泉あんまももひきバンド」を結成した。1975年、大森と原由子が青山学院大学に入学、桑田や関口と同じフォークソング・サークルに入部したによるサザンでヤマハ主催の音楽コンテスト「EastWest」に申し込んだ。しかし、予選のテープ審査の時期に天野が脱退し、入れ替わりで関口が加入した。本選では入賞を果たし、桑田がベストボーカル賞を獲得した。ちなみにこの際に、松田は欠席し代わりに小野哲夫がドラムを担当した。本選終了の直後にセミプロの野沢秀行がバイト先で知り合った大森の勧誘を受ける形でなし崩し的に加入した。 レコード会社はビクター音楽産業(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)に決まったものの、芸能事務所はなかなか決まらなかった。ビクターのディレクターの高垣健が「女呼んでブギ」のカセットを持って事務所周りをしていた際、当時は新興事務所のアミューズの社長大里洋吉が興味を持ち、練習スタジオを訪問する。この際に「勝手にシンドバッド」を披露し、大里が「この男をテレビに出したら面白い」と考えたことから契約が決まったと大里は話している。アミューズは原田真二の個人事務所のような存在として1977年に設立された会社だったが、大里が解散直前のキャンディーズのプロデュースに専念し事務所の仕事から離れていた時期に、ロック志向を強めていた原田はテレビ的な売り出し方を嫌うようになり、大里が事務所の仕事に復帰した直後に移籍してしまったという。サザンとの出会いはこの事件の2週間後であり、もし原田が移籍してなかったらサザンをやる余裕はなかったと大里は話している。 一方、バーニングプロダクション社長の周防郁雄は、ビクターのディレクターの東元晃から「勝手にシンドバッド」など5曲聞かされ気に入ったが、サザンはホリプロ社員だった奥田義行が井上陽水と立ち上げた「りぼん・なかよしグループ」という事務所に所属することになっていたため、5000万円払って譲ってもらい当時出資していたアミューズの社長である大里に紹介しアミューズ所属となったと説明している(この経緯は大里は知らないという)。 デビューに向けて着々と準備が進む中、メンバー全員が他のレコード会社の契約書にサインしてしまうという事件があったが、ビクター関係者が出向いて話を収拾した。桑田はこのころはまだサザンのリーダーではなかったが、芸能事務所との契約にあたってメンバー全員が大卒初任給をもらえるよう交渉をした。

◎ メジャー・デビュー
1978年6月25日にシングル「勝手にシンドバッド」でビクターからメジャー・デビューし、8月には1枚目アルバム『熱い胸さわぎ』を発売した。同年8月に音楽番組『ザ・ベストテン』のスポットライトのコーナーで初出演した。この際に桑田が「目立ちたがり屋の芸人です」と発言し、これによりイメージの形成に拍車がかかったが。「勝手にシンドバッド」はテレビ番組で披露されたこともあり、大ヒットとなった、音楽ファンや関係者の間で賛否両論が巻き起こった。桑田はこの歌唱法や前述の作詞・作曲法をアマチュア時代からの慣例としていたため、これらが批判されたりしたことを意外に思ったという。同年11月に2枚目シングル「気分しだいで責めないで」を発売し、同年12月から1979年1月にかけて、公式上のデビューコンサート「胸さわぎ」を行った。このころは上記の方向性が影響してコミックバンドとして認識されたり、一発屋で終わってしまう可能性を懸念する風潮があった。 1979年3月に3枚目シングル「いとしのエリー」、精神的にも落ち込んでいたという。年末にはNHK紅白歌合戦に「いとしのエリー」で初出場した。同年2月から7月にかけて、計画の第1弾「涙のアベニュー」、第2弾「恋するマンスリー・デイ」、第3弾「いなせなロコモーション」、第4弾「ジャズマン (JAZZ MAN)」、第5弾「わすれじのレイド・バック」が発売された。同年3月に3枚目アルバム『タイニイ・バブルス』が発売され、自身の作品で初となるオリコン週間ランキング1位を獲得した。アルバムに収録されていた「私はピアノ」は原がボーカルを務め、特に評判となった。同年11月に自身初の両A面となる11枚目シングル「シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー」が発売された。1981年7月には4枚目アルバム『ステレオ太陽族』が発売された。また、2度目のNHK紅白歌合戦に出演した。1983年には音楽業界にシンセサイザーによるデジタルの波が来たことで、同年3月発売の17枚目シングル「ボディ・スペシャルII」辺りからサザンも原がシンセサイザーを使用するようになった。同年7月発売の6枚目アルバム『綺麗』からシンセサイザーを本格的に使用したサウンドとなっている。同年11月に19枚目シングル「東京シャッフル」を発売し、年末に引き続き3度目のNHK紅白歌合戦に出演して同曲を披露した。1984年6月に20枚目シングル「ミス・ブランニュー・デイ」が発売され、絶大な人気と評価を集めた。 1985年9月に自身初の2枚組となった8枚目アルバム『KAMAKURA』を発売した。シンセサイザーをより本格的に使用したサウンドとなり、5か月間制作に打ち込んでいた。桑田や松田はKUWATA BANDとしての活動、他のメンバーもそれぞれのソロ活動に入った。この活動休止については、桑田が「全員がソロ活動をやって、一つ一つが別個性として出てくれば理想的だね」と持ち掛けたところ、全員がそれを受け入れたことや、「あのままだとサザンはパンク寸前だった」「俯瞰で自分やサザンを見直した方がいいんじゃないか」というムードがメンバー全員にあったことが語られている。1987年6月にはバラッドシリーズの第2弾『バラッド2 '83〜'86』が発売された。

◎ 10周年、小林武史との制作
デビュー10周年を迎えた1988年6月25日に24枚目シングル「みんなのうた」を発売し、サザンとしての活動を再開した。7月に全国の球場9か所でライブ『真夏の夜の夢 大復活祭』を開催。1989年6月に発売した26枚目シングル「さよならベイビー」がオリコン週間ランキングで1位を獲得し、デビュー11年目にしてシングル初の首位獲得となった。7月には45万枚限定のベスト・アルバム『すいか』が発売され、こちらは予約だけで完売した。12月には横浜アリーナで年越しライブを開催。 1990年1月にアルバム『Southern All Stars』が発売され、売上枚数は120万枚を記録し、自身の作品としては初のミリオンセラーとなった。9月にはアルバム『稲村ジェーン』が発売され、こちらも売上枚数が130万枚を超えて、アルバム2作連続でミリオンセラーとなった。1991年前半は原がソロで活動しており、7月にサザンとして活動を始め、29枚目シングル「ネオ・ブラボー」を発売した。8月に全国ツアー、12月に年越しライブを開催した。同時に8月より関口が長期休養に入る。 1992年7月に30枚目シングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31枚目シングル「涙のキッス」を2枚同時に発売した。9月には中国・北京でライブを行い、初の海外公演となった。

◎ セルフプロデュース、20周年、ベスト・アルバム『海のYeah』リリース、大森の独立
1993年11月の34枚目シングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後に小林がサザン(桑田ソロ含む)との共同作業から離れた。これ以降の作品は自身によるプロデュースとアレンジで発売するようになった。12月には年越しライブを開催し、1994年からは桑田がソロ活動を始めた。8月には2日間のみのライブ『ホタル・カリフォルニア』を開催。西城秀樹がゲスト出演し話題となった。1996年5月に37枚目シングル「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」を発売し、155万枚のヒットを記録した。7月にはクラシック・ロック・テイストを取り入れた12枚目アルバム『Young Love』が発売された。アルバムは250万枚近くを売り上げ、オリジナル・アルバムとしては最大ヒットとなった。 1997年には直ぐに13枚目アルバム『さくら』の製作に着手し、当時のデジタルのロックの融合にトライ、現代的な要素を盛り込んだ作品となった。8月に39枚目シングル「01MESSENGER 〜電子狂の詩〜」、11月に40枚目シングル「BLUE HEAVEN」が発売され、12月には年越しライブを開催した。1998年に入り、2月には41枚目シングル「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」を発売。デビュー20周年を迎えた6月25日にはベスト・アルバム『海のYeah』を発売して、累計480万枚を記録したことで自身最大ヒット作品となった。8月にはアルバムを引っ提げ2日間のみのライブ『スーパーライブ in 渚園 "モロ出し祭り"』を開催した。10月にはアルバム『さくら』を発売し、120万枚を記録した。1999年3月に43枚目シングル「イエローマン 〜星の王子様〜」を発売し、初のアリーナ・ドームツアー『Se O no Luja na Quites 〜素敵な春の逢瀬〜』を開催した。9月にはシークレットライブ『'99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町』、12月は年越しライブを開催した。この楽曲は当時放送されていたTBS系列バラエティ番組『ウンナンのホントコ』のコーナー『未来日記III』のテーマソングとして使用され、300万枚近くを売り上げて「エロティカ・セブン」で記録した最高売上を更新した。また、当時のオリコン歴代シングルランキングで3位にランクインし。8月には桑田の地元である茅ヶ崎市の地元住民の署名運動によって、2日間の野外ライブ『サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ』を開催した。ライブに合わせて製作された45枚目シングル「HOTEL PACIFIC」を発売し、80万枚を超えるヒットとなった。11月に46枚目シングル「この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜」とバラッドシリーズの第3弾『バラッド3 〜the album of LOVE〜』が発売された。アルバムは290万枚を売り上げ、バラッドシリーズでは最高売上を記録した。2001年から2002年までメンバーは今後のバンドのステップアップを目標にソロ活動を行った。

◎ 25周年、2枚組オリジナル・アルバム『キラーストリート』リリース
2003年6月25日にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」を発売し、25年越しにオリコン週間ランキングで1位を獲得した。同年7月に47枚目シングル「涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜」を発売、直後に大規模な野外・スタジアムツアーを開催し、サザンでの活動が本格的に始まった。 2005年6月にデビューシングル「勝手にシンドバッド」から「TSUNAMI」までのシングル44作を12cmCD化して再発売された。7月4日付のオリコン週間シングルチャートではトップ100に44作全てがランクインし、松任谷由実が保持していた同一アーティストによるシングルTOP100内同時ランクイン数17作の記録を更新した。同年8月には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005」にサザンとして初出演した。同年10月には『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナル・アルバムで14枚目アルバムとなる『キラーストリート』を発売し、110万枚以上の売り上げを記録。同年は桑田はシングル発売やツアーの開催、原は映画主題歌を書き下ろすなど、メンバーが個人で活動した。この活動休止については、発表の当日にNHKの『おはよう日本』が報じたほか、民放各局でも報道や特集が大々的になされ、発表後には所属するアミューズの株価が大幅下落し、「サザンショック」と言われた。また、発表直前の2008年5月12日の東京スポーツ紙上で「サザン解散か」などといった誤った報道がなされ、ファンおよび世間に動揺を与えることになった。これを受け桑田は自身のラジオ番組で「(サザンの)解散は絶対にない」と断言し、憶測や解散説を一蹴した。 2009年から各自がソロ活動を行う。2012年12月に、桑田とスタッフの間で35周年を迎えるにあたっての話が持ち上がったことがきっかけで、「ファンをはじめとした多くの人たちと、楽しめるときに大いに楽しもうじゃないか」とサザンの活動を再開をすることにメンバー5人の気持ちが合致した。この活動休止期間は、2010年に桑田の食道がんによる休養と闘病、2011年に東日本大震災の復興支援のための「チーム・アミューズ」結成や桑田の「宮城ライブ」の開催などがあり、「これまでにない濃密な5年間」と振り返っている。同年8月に54枚目シングル「ピースとハイライト」を発売し、オリコンで首位獲得したことでシングルとして1980年代〜2010年代の4年代で首位獲得、国内グループとしては史上初の快挙となった。年末には年越しライブを開催。並行して31年ぶりで4度目となるNHK紅白歌合戦にシークレットゲストとして中継出演し、「ピースとハイライト」「東京VICTORY」を披露した。 2015年3月には『キラーストリート』以来約10年振りとなる15枚目アルバム『葡萄』を発売。同年4月から8月にかけて全国ライブツアー『おいしい葡萄の旅』を開催。2016年と2017年はサザンとしてシングル・アルバムの発売やライブは行われなかったが、続けて7月には2作目の配信シングル「壮年JUMP」も発売された。8月に入り直ぐに『海のYeah』の続編ベスト・アルバム『海のOh, Yeah』が発売された。このアルバムがオリコン週間ランキングで首位獲得したことにより、史上初の国内グループでデビュー40年を超えての首位獲得の快挙となった。同番組の歌手別瞬間最高視聴率が45.3%を記録し、出場歌手の中で最も高い視聴率を獲得した。 2019年3月から6月にかけて、6大ドームを含む全11か所22公演の全国ツアー『“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ”だと? ふざけるな』を開催した。12月にはサザンの楽曲やソロ5人の楽曲も含め、全972曲のサブスクリプション型サービスによるストリーミング配信が解禁された。 2020年に新型コロナウイルス感染症が流行して、芸能イベントや音楽ライブが中止となり大打撃を受けた。その関係でスタッフ達の仕事が無くなったことを知った桑田は何か音楽で出来ることを考え、サザンとしては「Keep Smilin’〜“出来ることから”ちょっとずつ〜」をスローガンに掲げた特別企画を開始させ、デビュー42周年を迎えた6月25日には無観客配信ライブ『Keep Smilin’〜皆さん、ありがとうございます〜』を開催した。リハーサルスタジオおよび横浜アリーナ内ではアクリル板が配置され、メンバーや演者・スタッフの検温、消毒、マスク着用、ソーシャルディスタンス、桑田と女性ダンサーとの接触は行わないといった感染拡大防止対策を徹底した。スタッフはマスクやフェイスシールドを着用した。チケットはライブ当日まで販売しており、チケット購入人数は18万人、推定視聴者数は50万人ほどであり、ライブの収益の一部はアミューズ募金を通じて、新型コロナウイルス感染症の治療や研究開発にあたる医療機関に役立てられた。同年の大晦日に横浜アリーナで無観客年越しライブ『Keep Smilin’〜皆さん、お疲れ様でした 嵐を呼ぶマンピー〜』が開催された。 2021年以降はサザンとしてのシングル・アルバムの発売、ライブは行われておらず、事実上活動休止状態だが、活動休止などについては桑田をはじめ、メンバーから言及はされていない。

● 評価
10代から70代まで幅広い年齢層にファンが存在しているのが特徴であり。また、サザンの楽曲に励まされ、心の支えとしている者も多いのも特徴の一つであり、それゆえに「日本の宝」「日本最高のポップスグループ」「国民的バンド」「国宝バンド」と評される。音楽ライターの石井恵梨子は2018年のベストアルバム『海のOh, Yeah』が32.5万枚という売り上げを記録した際に、前作『海のYeah』の売り上げも約9,000枚のセールスを記録したことを「これを機に聴いてみよう、と作品を手にした人たちが1万人弱いるわけですね」と指摘しており、これを根拠にサザンのファン層を「だいたいの日本人、と言っていいのでしょう」と定義している。 ファンへの対応も評価されており、チーフマネージャーの話によるとサザンのメンバーは全員、ファンレターにはすべて目を通しており、返信ハガキが同封されたものには時間が許す限り返信を書いているという。また、桑田は公式BBSやライブ後のアンケートの意見にも目を通しており、それに対して共感したり。 サザンの楽曲には桑田の出身地である神奈川県茅ヶ崎市や周辺都市が取り上げられることも多く、市の関係者をはじめとして知名度や経済への貢献を評価する声も多い。 イデオロギーを問わず各界にファンが幅広く存在しており、桑田を始めとしたメンバーは分け隔てなく接している。サザンの幅広い音楽性やエンターテインメント性は藤井フミヤ、浜崎あゆみ、aiko、平井堅を始めとした広範なミュージシャンからリスペクトされている。桑田が影響を受けた加山雄三や前川清、ファンを公言している坂本冬美を始めとした歌謡界の人物、いとうせいこう、PES、R-指定(Creepy Nuts)を始めとしたヒップホップ界の人物からも高く評価されている。ミュージシャンのみならず、政治家では安倍晋三、山田宏、岸田文雄、弁護士では北村晴男、立川志の輔、三代目 桂春蝶、お笑い芸人では内村光良(ウッチャンナンチャン)、出川哲朗、伊達みきお(サンドウィッチマン)、いとうあさこ、バカリズム、ナイツ、カンニング竹山、せいや(霜降り明星)、レイザーラモンRG(レイザーラモン)、大谷ノブ彦(ダイノジ)、男性アイドルでは東山紀之、草彅剛、大倉忠義(関ジャニ∞)、女性アイドルでは遠藤さくら(乃木坂46)、玉井詩織(ももいろクローバーZ)、咲良菜緒(TEAM SHACHI)、スポーツ選手では岡本和真、小説家・作家では池井戸潤、鈴木光司、角田光代、島本理生、漫画家では弘兼憲史、さくらももこ、臼井儀人、稲垣理一郎などのファンが存在している。2013年のサザンの35周年を記念して開設されたYahoo JAPANでの特設サイトでは、サザンファンおよび桑田とゆかりのある広範な著名人から祝福のコメントが寄稿された。また、天皇・徳仁がサザンの楽曲を好んでいることが理髪を担当していた人物の証言によって明かされている。 レイ・チャールズなど外国人アーティストからも高い評価を得ている。日本だけに留まらず英語圏、中華圏、韓国、フランス語圏を始めとした海外のファンも存在しており、前述したiTunesでの世界111カ国配信の開始はこうした海外のファンからのリクエストがあったことも影響している。 桑田と親交がある世良公則は、自身が組んでいたツイストと異なりバンド活動を継続しているサザンに対して尊敬の念を持っていることを言及しており、「サザンには老衰になるまでやってほしい」とも語っている。 亀田誠治は「サザンは、"大人の世界にはこんなお楽しみがあるんだぜ"と公共の電波に乗せて、国民的レベルで知らしめた画期的なバンドだと思うんです。(中略)忘れてはいけないことは、桑田さんは、どんなにやんちゃをしても、どんなに激しいメッセージを出したり、どんなにエッチなことを言ったりしても、基本にあるのは"ラブ&ピース"であって、破壊的なパフォーマンスは絶対にしないということです」と評している。 2003年にHMVが発表した『邦楽アーティストの重要な100人(Top 100 Japanese pops Artists - No.1)』の第1位にサザンが選ばれ、桑田も個人として12位に選出された。 2018年に行われたインターネット調査で日本の中小企業社長100人(20歳 - 59歳)に「前向きな気持ちにしてくれるアーティスト・曲」の質問をしたところ、サザンが1位となり、桑田も個人として3位に選ばれた。 平成のカラオケで最も歌われたアーティストとして、第一興商が運用しているDAMでは5位、エクシングが運用しているJOYSOUNDでは8位を記録した。 2019年の日経エンタテインメントのタレントパワーランキング(音楽編)において、サザンが2位となり、桑田も個人として3位に入った。 2021年4月の時点でドラマ主題歌を最も担当した歌手ランキングにおいてサザン(桑田・原ソロ含む)が22曲で2位となった。

● 受賞


◎ 日本レコード大賞

  1979   10ナンバーズ・からっと   ベスト・アルバム賞
  1981   ステレオ太陽族   '81アルバムベスト10
  1982   NUDE MAN   ベスト・アルバム賞
'82アルバムベスト10
  1983   綺麗   ベスト・アルバム賞
'83アルバムベスト10
  1984   人気者で行こう   優秀アルバム賞
  1985   KAMAKURA   優秀アルバム賞
   1990   真夏の果実   最優秀ロック・ボーカル賞
ロック・ゴールド・ディスク賞
  Southern All Stars   優秀アルバム賞
   1992   世に万葉の花が咲くなり   アルバム大賞
優秀アルバム賞
  涙のキッス   ゴールド・ディスク賞
  2000   TSUNAMI   日本レコード大賞
優秀作品賞
  1979   いとしのエリー   有線音楽賞
・ JASRAC賞
 ・ 金賞「TSUNAMI」(2001年)
・ 菊池寛賞(2013年)
・ CDショップ大賞
 ・ マエストロ賞 『葡萄』(2016年)
 ・ マエストロ賞『海のOh, Yeah』(2019年)
・ MTV Video Music Awards Japan
 ・ SAS Lifetime Achievement Award Japan(2018年)
・ 文化庁メディア芸術祭
 ・ エンターテイメント部門 審査委員会推薦作品「闘う戦士たちへ愛を込めて」ミュージック・ビデオ (2019年)

● 記録


◎ オリコン

・ シングル・アルバム総売上:4897.0万枚(歴代5位・2017年6月現在)
・ 平成アーティスト別トータルセールスランキング(シングル・アルバム総売上):3761.9万枚(歴代9位)
○ シングル記録

・ シングル売上枚数:2535.2万枚(2019年9月現在)
・ シングル1位獲得数:16作品(歴代23位タイ・2018年9月現在)
・ シングルTOP10獲得数:45作品(歴代14位タイ・2017年10月現在)
・ 10位内獲得最多週数:253週(歴代1位・2014年現在)
・ トップ100同時滞在最多数:44作品(歴代1位・2005年7月4日付)
・ 最長キャリア首位獲得記録数:36年2か月(グループ歴代1位・2014年現在)
・ 4つの年代(西暦)で首位獲得:1980年代 - 2010年代(歴代1位タイ)
・ シングル歴代売上ランキング:4位「TSUNAMI」
・ CDシングル歴代売上ランキング:2位「TSUNAMI」
○ アルバム記録

・ アルバム1位獲得数:17作品(歴代5位タイ・2016年9月現在)
・ 最長キャリア首位獲得記録数:40年2か月(国内グループ歴代1位)
・ 4つの年代(西暦)で首位獲得:1980年代 - 2010年代(歴代2位タイ・グループ歴代1位タイ)
 ・ 1980年代『タイニイ・バブルス』『ステレオ太陽族』『NUDE MAN』『綺麗』『人気者で行こう』『KAMAKURA』『すいか SOUTHERN ALL STARS SPECIAL 61SONGS』
 ・ 1990年代『Southern All Stars』『稲村ジェーン』『世に万葉の花が咲くなり』『HAPPY』『Young Love』『海のYeah』『さくら』
 ・ 2000年代『バラッド3 〜the album of LOVE〜』『キラーストリート』
 ・ 2010年代『葡萄』『海のOh, Yeah』
・ 週間1位を獲得したアルバム作品の値段:『すいか SOUTHERN ALL STARS SPECIAL 61SONGS』(税込1万円、歴代1位)
・ アルバム歴代売上ランキング:8位『海のYeah』
・ アルバムミリオン獲得数:7作品 (ミリオン・4作/ダブルミリオン・2作/トリプルミリオン・1作)(歴代7位)
○ 映像作品記録

・ 最長キャリア首位獲得記録数:41年6か月(歴代1位・2020年1月現在)
・ 映像3部門同時連続1位獲得作品数:4作(歴代5位タイ・2021年2月現在)
・ 4つの年代(西暦)で首位獲得:1980年代 - 2010年代(歴代1位・2014年現在)
9月22日 中京競馬場
9月24日 大阪スタヂアム
9月25日 大阪スタヂアム
9月28日 西武ライオンズ球場
9月29日 西武ライオンズ球場
10月4日 横浜スタジアム
10月5日 横浜スタジアム
  1988年 NISSEKI SUPER LIVE 100 真夏の夜の夢
サザンオールスターズプレゼンツ 1988大復活祭   7月26日 西武ライオンズ球場
7月27日 西武ライオンズ球場
7月28日 西武ライオンズ球場
7月30日 長岡ニュータウン公園
7月31日 長岡ニュータウン公園
8月6日 真駒内屋外競技場
8月7日 真駒内屋外競技場
8月13日 泉パークタウンスポーツガーデン
8月14日 泉パークタウンスポーツガーデン
8月21日 愛媛県総合運動公園陸上競技場
8月27日 海の中道海浜公園 野外劇場
8月28日 海の中道海浜公園 野外劇場
9月3日 大阪スタヂアム
9月4日 大阪スタヂアム
9月5日 大阪スタヂアム
9月10日 小牧市総合運動場野球場
9月11日 小牧市総合運動場野球場
9月17日 横浜スタジアム
9月18日 横浜スタジアム
9月19日 横浜スタジアム
  1989年 サザンオールスターズ ハッピーニューイヤーズ'イブ いっちゃエ'89 サザンde'90  
    1990年 Panasonic Cheers
Southern All Stars Concert Tour 1990 夢で逢いまSHOW   2月28日 横浜アリーナ
3月1日 横浜アリーナ
3月3日 横浜アリーナ
3月4日 横浜アリーナ
3月7日 仙台市体育館
3月8日 仙台市体育館
3月10日 新潟市産業振興センター
3月11日 新潟市産業振興センター
3月14日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
3月15日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
3月17日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
3月18日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
3月22日 大阪城ホール
3月23日 大阪城ホール
3月24日 大阪城ホール
3月31日 北九州市立総合体育館
4月1日 北九州市立総合体育館
4月6日 広島サンプラザ
4月7日 広島サンプラザ
4月12日 愛媛県県民文化会館
4月13日 愛媛県県民文化会館
4月21日 真駒内屋内競技場
4月22日 真駒内屋内競技場
4月25日 日本武道館
4月26日 日本武道館
4月27日 日本武道館
4月28日 日本武道館
恒例年越しライブ サザンオールスターズ 歌うサザンに福来たる  
    1991年 WOWOW MEETS
Southern All Stars THE 音楽祭 1991   8月14日 ナゴヤ球場
8月15日 ナゴヤ球場
8月20日 西武ライオンズ球場
8月21日 西武ライオンズ球場
8月22日 西武ライオンズ球場
8月25日 阪急西宮スタジアム
8月26日 阪急西宮スタジアム
8月30日 横浜スタジアム
8月31日 横浜スタジアム
9月1日 横浜スタジアム
Coca-Cola Special
サザンオールスターズ 闘魂 ブラディ・ファイト 年越しLIVE   12月29日 横浜アリーナ
12月30日 横浜アリーナ
12月31日 横浜アリーナ
  1992年 南天群星 北京で逢いましょう   9月12日 首都体育館 (中国)
9月13日 首都体育館 (中国)
  1992年 - 1993年 NTT DoCoMo PRESENTS
サザンオールスターズ コンサートツアー "歌う日本シリーズ 1992〜1993"   1992年
10月14日 国立代々木競技場 第一体育館
10月15日 国立代々木競技場 第一体育館
10月17日 国立代々木競技場 第一体育館
10月18日 国立代々木競技場 第一体育館
10月23日 真駒内屋内競技場
10月24日 真駒内屋内競技場
10月25日 真駒内屋内競技場
10月30日 金沢実践倫理記念会館
10月31日 金沢実践倫理記念会館
11月7日 大阪城ホール
11月8日 大阪城ホール
11月11日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
11月12日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
11月18日 浜松アリーナ
11月19日 浜松アリーナ
11月25日 広島サンプラザ
11月26日 広島サンプラザ
12月1日 新潟市産業振興センター
12月2日 新潟市産業振興センター
12月8日 愛媛県県民文化会館
12月9日 愛媛県県民文化会館
12月10日 愛媛県県民文化会館
12月22日 福岡国際センター
12月23日 福岡国際センター
12月26日 横浜アリーナ
12月27日 横浜アリーナ
12月29日 横浜アリーナ
12月30日 横浜アリーナ
1993年
1月12日 仙台市体育館
1月13日 仙台市体育館
1月20日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
1月21日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
1月23日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
1月24日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
1月29日 大阪城ホール
1月30日 大阪城ホール
1月31日 大阪城ホール
2月3日 日本武道館
2月4日 日本武道館
2月5日 日本武道館
  1993年 - 1994年 Victor PRESENTS
サザンオールスターズ1993年末スペシャル 「しじみのお味噌汁」コンサート   1993年
12月11日 横浜アリーナ
12月13日 横浜アリーナ
12月14日 横浜アリーナ
12月25日 横浜アリーナ
12月26日 横浜アリーナ
12月28日 横浜アリーナ
12月29日 横浜アリーナ
12月31日 横浜アリーナ
1994年
1月2日 横浜アリーナ
1月3日 横浜アリーナ
8月18日 日本武道館
・ いい加減にします(1984年10月6日 - 1985年3月30日、日本テレビ) - 準レギュラー。上記の後身番組。

◎ ラジオ番組

・ 電撃わいどウルトラ放送局(1979年4月 - 1980年3月、ラジオ関東)

◎ CM

・ メンバーが複数人出演のみ記載。
  1979年   日清食品   焼きそば 焼そばU.F.O.  
  1979年〜1980年   ヤマザキビスケット   チップスター  
  1980年     アサヒ飲料     三ツ矢サイダー  
  2017年   夏とサザンとサイダーと
  2018年   三ツ矢andサザン2018
  1981年   アシックス / モンクレール   ダウンジャケット  
  1982年   日産自動車   パルサー  
  1982年   松下電器
(現:パナソニック)   ヘッドホンステレオ World Way  
    1985年   TDK   カセットテープ AD  
  富士通   富士通テレフォン  
  大塚製薬   オロナミンCドリンク  
  1992年   NTTドコモ    
  1996年   麒麟麦酒   ラガー  
  1998年   三菱電機   Pedion  
  2003年     日本航空     FLY JAL '03
 2004年     FLY JAL '04 Spring、FLY JAL '04 Summer
  2004年〜2006年   トヨタ自動車     MORE THAN BEST
    2008年   資生堂     サマーキャンペーン
  KDDI   au LISMO   「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーン
    2013年   フォルクスワーゲン   ゴルフ  
  三井住友銀行     NEVER STOP CHANGING
  2015年   WOWOW    


◎ NHK紅白歌合戦出場歴

年度放送回 回 曲目 出演順 対戦相手 備考
 1979年  第30回  初  いとしのエリー  7/23  大橋純子  
 1982年  第33回  2  チャコの海岸物語  7/22  Sugar  
 1983年  第34回  3  東京シャッフル  15/21  青江三奈  
 2014年  第65回  4  ピースとハイライト〜東京VICTORY  特別枠   -   トリ前、シークレットゲスト
 2018年  第69回  5  希望の轍〜勝手にシンドバッド  特別枠   -   特別企画枠「究極の大トリ」


● 関連書籍

・ 『勝手にシンドブック』(ベップ出版、1979年)
・ 『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』(桑田佳祐著、エッセイつき歌詞集、新潮社、1984年) ISBN 4-10-135301-8
・ 『ケースケランド』(桑田佳祐著、集英社、1984年) ISBN 4-08-780079-2
・ 『ロックの子』(桑田佳祐著、インタビュー構成萩原健太、講談社文庫、1987年) ISBN 4-06-184043-6
・ 『ブルーノート・スケール』(桑田佳祐著、ロッキング・オン、1987年) ISBN 4-947599-13-8
・ 『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん'84-'90』(桑田佳祐著、上記の同名作品の続編、新潮社、1990年) ISBN 4-10-135302-6
・ 『突然ですがキリギリス―サザンオールスターズ音楽青春物語』(関口和之著、集英社文庫、1991年) ISBN 4-08-749719-4
・ 『娘心にブルースを』(原由子著、ソニーマガジンズ、1998年) ISBN 4-7897-1284-2
・ 『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ』(萩原健太・大畑幸子・太田綾子・佐伯明・前田祥丈著、株式会社アミューズ監修、TOKYO FM出版、1999年) ISBN 4-88745-034-6
・ 『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ 改訂版』(株式会社アミューズ監修、上記の同名作品に新作などを追加した新装版、TOKYO FM出版、2005年) ISBN 4-88745-135-0
・ 『クワタを聴け』(中山康樹著、集英社新書、2007年) ISBN 4-08-720380-8
・ 『やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん 桑田佳祐 言の葉大全集』(桑田佳祐著、上記の同名作品の続々編、新潮社、2012年)ISBN 978-4-10-332831-5
・ 『サザンオールスターズ 1978-1985』(スージー鈴木著、2017年、新潮新書)ISBN 978-4106107245
・ 『サザンオールスターズ公式データブック 1978-2019』(株式会社リットーミュージック出版、2019年)ISBN 978-4-8456-3361-6
・ 『桑田佳祐論』(スージー鈴木著、2022年、新潮新書)ISBN 4106109549

「サザンオールスターズ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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好き嫌い決勝

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好き嫌い準決勝

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好き嫌い準々決勝

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5位 vs 6位


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5位 vs 6位


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好き嫌い7位決定戦

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7位 vs 8位


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7位 vs 8位


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好き嫌いTOP10圏内確定戦

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