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RCサクセション


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{{Infobox Musician   名前 = RCサクセション   画像 =   画像説明 =   画像サイズ =   画像補正 =   背景色 = band   別名 =   出身地 = ・東京都   ジャンル =   活動期間 = 1968年 - 1991年   レーベル =   事務所 =   共同作業者 =   公式サイト =   メンバー =   旧メンバー = }} RCサクセション(アール・シー・サクセション、RC SUCCESSION)は、忌野清志郎を中心として結成された日本のロックバンド。 「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど「日本語ロック」の成立、現在日本で普通に見られるロック・コンサート、ライブ・パフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。 1991年より無期限活動休止状態に入ったまま復活することはなく、2009年に忌野が死去したことにより、事実上バンドは解散となった。

● 概要


◎ メンバー
忌野清志郎公式HP「地味変」のUNITのページでは
・1968〜1977年 忌野清志郎、林小和生、破廉ケンチ
・1977〜1979年 忌野清志郎、林小和生、仲井戸麗市、新井田耕造、小川銀次
・1980〜1989年 忌野清志郎、小林和生、仲井戸麗市、新井田耕造、Gee2wo
・1989〜1990年 忌野清志郎、小林和生、仲井戸麗市、春日博文、厚見玲衣 以上4つの形態が紹介されている。
○ 1991年までのメンバー

  ボーカル
ギター
ハーモニカ
etc   忌野清志郎
(いまわの きよしろう)   肝沢幅一   1951年4月2日 -   東京都中野区   1968年〜1991年
  ベース
コーラス
ボーカル   小林和生
(こばやし かずお)   林小和生
リンコ・ワッショー
小林やわお     東京都国分寺市   1968年〜1991年
  ギター
ボーカル
コーラス   仲井戸麗市
(なかいど れいち)   チャボ     東京都新宿区   1978年〜1991年
  ギター
ドラム
コーラス   春日博文
(かすが ひろふみ)   ハチ     東京都港区青山   1978年
1990年〜1991年
  キーボード
コーラス   厚見玲衣
(あつみ れい)       神奈川県川崎市多摩区   1990年〜1991年

○ 過去のメンバー

  ギター
コーラス
ボーカル   破廉ケンチ
(はれん けんち)       九州   1968年〜1977年
  ドラム   新井田耕造
(にいだ こうぞう)       東京都台東区浅草   1978年〜1990年
  ギター   小川銀次
(おがわ ぎんじ)     1956年9月24日 -     1979年〜1980年
  キーボード
ギター
コーラス   Gee2wo   ゴンタ2号
G2
G2wo
柴田義也
G.1,238,471     兵庫県神戸市   1980年〜1990年(1979年よりサポートとして参加)

○ サポートメンバー

  パーカッション   三浦友和
(みうら ともかず)       山梨県塩山市(現・甲州市)   1970年代前期
  ピアノ   佐山雅弘
(さやま まさひろ)   セクシー佐山   1953年11月26日 -   兵庫県尼崎市   1975年〜1976年頃
  ドラム   鈴木ウータン正夫
(すずきウータンまさお)   ワンダフル鈴木     福島県福島市   1975年〜1976年頃
  ギター   阿部昇
(あべ のぼる)       神奈川県高座郡座間町(現・座間市)   1975年〜1976年頃
  キーボード   原田依幸
(はらだ よりゆき)   ハラダーソン     島根県簸川郡大社町(現・出雲市)   1976年
  ドラム   土井耕太郎
(どい こうたろう)         1977年頃
  パーカッション   菊池隆
(きくち たかし)       栃木県大田原市   1984年〜1986年
  コーラス
パーカッション
ギター
ボーカル   金子マリ
(かねこ マリ)       東京都世田谷区下北沢   1988年〜1989年

○ その他のメンバー
エレキ化以降のレコーディング、コンサートでは、ホーンセクションとして梅津和時と片山広明ら(時期によって他のメンバーが入ることもあった)が「ブルーデイ・ホーンズ」(当初は「生活向上委員会」)のユニット名で参加。
○ プロデューサー・編曲家

  穂口雄右
(ほぐち ゆうすけ)     東京都
  星勝
(ほし かつ)     埼玉県
  椎名和夫
(しいな かずお)     東京都世田谷区


◎ 楽曲

○ 特徴
基本的に忌野が作詞・作曲した楽曲をバンドでアレンジして演奏、レコーディング。自作・自演・アレンジまでするスタイルは現代でこそ珍しくないが、1970年代初期ではまだ異例だった。忌野1人による制作曲のほか、時期によっては仲井戸、小林、Gee2woとそれぞれ共作もしている。 音楽性、歌詞の世界観などは「忌野清志郎」の頁を参照。 アルバム『BLUE』以降、仲井戸が作詞・作曲・ボーカルをとった曲が1枚のアルバムに1曲以上収録。

● 来歴
1966年、中学の同級生だった忌野・小林・破廉の3人でバンド「ザ・クローバー(The Clover)」を結成。 1967年、高校進学によりザ・クローバー解散。忌野と小林は、上級生の武田清一(のちに「日暮し」でデビュー)を迎え「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー(The Remainders of the Clover・「クローバーの残党」の意)を結成。初めてギャラを受け取る仕事をする。 1968年、「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」が自然消滅した後、破廉がバンドに戻りバンド名を「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション(The Remainders of the Clover succession(「クローバーからの継続」の意)」の省略形から「RCサクセション」と命名。 1969年、テレビ番組『ヤング720』(TBS系)のオーディションに合格。続いて8月29日、東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションで第3位。この模様を収録したオムニバス盤が初めての公式音源となる。収録曲は「泥だらけの海」。 1970年、「宝くじは買わない」で東芝音工(現EMIミュージック・ジャパン)よりシングル・デビュー。 1971年、RCが活動拠点の一つとしていた渋谷のライブハウス「青い森」で当時フォーク・グループ、古井戸として活動していた仲井戸麗市と出会う。 1972年、ラジオ番組『ハローパーティー』や『バイタリス・フォーク・ビレッジ』などへの出演を始める。3rdシングル「ぼくの好きな先生」がヒット。1stアルバム「初期のRCサクセション」をリリース。 1974年、当時のマネージャー奥田義行が事務所 (ホリプロ)に造反、独立してプロダクション「りぼん」を設立。RCはその騒ぎに巻き込まれ、ホリプロ内で仕事を干される。 1976年、ホリプロから「りぼん」へ移籍。前年既に制作済だった3rdアルバム『シングル・マン』がようやくリリースされるも、1年後に廃盤。破廉は精神状態が不安定になり、ギターが弾けなくなる。 1977年、破廉が正式脱退。 1978年、仲井戸、春日がメンバーとして参加、フォーク形態からロック/R&B形態へバージョンアップされる(当時、その衝撃の大きさからマスコミでは「パンク・ロック」と評されることが多かった)。さらに、新井田が正式に加入、RCの黄金期を形成するバンドの基礎が完成。忌野は髪を短く切り逆立て、派手な衣裳にどぎついメイクをしてステージに出るようになる。 1979年、春日に代わり小川が加入。仲井戸が正式メンバーとなる。Gee2woがサポート参加。RCはそのライブ・パフォーマンスが評判となり、マスコミで度々取り上げられる。ジョニー、ルイス&チャーの前座として初めて日本武道館のステージに立つ。 音楽評論家の吉見佑子らが3rdアルバム『シングル・マン』の再発売を懇願するため「シングルマン再発実行委員会」を発足。ポリドールとの折衝が繰り返された結果、自主制作で300枚限定で異例の再発売が決定。当初は国立の「レコード・プラント」、青山の「パイドパイパー・ハウス」の2店のみでの販売。 1980年、「雨あがりの夜空に」発売記念として渋谷のライブハウス「屋根裏」で4日連続のコンサートを開催。のべ800人の観客を動員、同ライブハウスの動員記録を打ち立てる。渋谷公会堂でのシーナ&ザ・ロケッツ、BOWWOWとのジョイント・コンサートも約2000人の観客動員を達成、RC人気に火が点く。「シングル・マン」が正式に再発売。 エレキ化後のデビュー盤となる「RHAPSODY」をリリース、半年以上のロングランヒット。このアルバムは、1980年4月、東京・久保講堂におけるコンサートの実況録音盤。このコンサートを最後に、小川が脱退。代わって、それまでサポートメンバーとして参加していたGee2woが正式メンバーとなる。同年の一橋大学の学園祭ライブで平沢進が率いたニューウェイブ・テクノポップバンド「P-MODEL」と対バンを行う。 1981年、初の日本武道館単独公演。その後10年連続で武道館クリスマスコンサートを行う。この年は年間100本近いコンサートを行う。 1982年、忌野が坂本龍一(当時イエロー・マジック・オーケストラ)と組んで発表したシングル「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂82年春のキャンペーンソングとしてヒット。MVでは、どぎつい化粧をして男同士でキスをするなど過激なパフォーマンスを展開、時代を席巻。RCとして同年、サム・ムーア、チャック・ベリーらとのジョイント・コンサートを横浜スタジアムにて開催(アルバム『THE DAY OF R&B』収録)。ロンドンレコードに移籍。自身のレーベル「BARCA」設立。 1985年、事務所「りぼん」から独立。個人事務所「うむ」設立。西武劇場(現・PARCO劇場)で独立記念コンサート「スーパーエイプリルフール」開催(泉谷しげる、坂本龍一、矢野顕子、三浦友和らがゲスト参加)。 1988年、東芝EMIより発売予定だったシングル「ラヴ・ミー・テンダー」とアルバム『COVERS(カバーズ)』が、収録曲の歌詞の問題で発売中止。同シングル・アルバムは、古巣のキティレコード(現・ユニバーサルミュージック)から発売、RCとして初のオリコンアルバムチャート1位を獲得。 1989年、HARD TIMES LIVEツアーはリリースされていない新曲中心という異例の構成で行われる。レコード会社に対する不満からステージ上で「録音自由化」を宣言。 1990年、Gee2wo・新井田が相次いで脱退。現段階でのラスト・アルバム『Baby a Go Go』をリリース。続くツアーは札幌、仙台、福岡、名古屋、大阪および日本武道館のみ開催。翌1991年のツアーはすべてキャンセル。 1991年1月、無期限活動休止に入る。 2009年5月、忌野清志郎、死去。

● 詳細・エピソード


◎ 結成 〜 デビュー「宝くじは買わない」(バンド黎明期)
使用楽器、バンド編成はアコースティック(フォーク)ながら、ヘヴィ・ゲージの弦を張ったギターを叩くようにかき鳴らして発せられる楽曲は、コード進行やハーモニー、スリリングなギターソロなどすでにR&B、ロックに近いものだった。 活動拠点としていた「青い森」「渋谷ジァン・ジァン」などのライヴハウスで、古井戸、泉谷しげるらと親交を深める。泉谷は当時のRCを「RCは凄まじかったね。アコースティックギターのリズム隊でありながらロックだったわけよ。ウッドベースなんかスリリングでさ、すんげえソウルフルなんだよ」と評している。 すでにこの時期のセットリストには、「ファンからの贈り物」「ダーリン・ミシン」「うわの空」「マリコ」「君が僕を知ってる」「お墓」等、後年レコーディングされた曲のタイトルが見られる。 デビュー・シングル「宝くじは買わない」は、当時のマネージャーであった金田が連れてきた伊勢田トリオというグループをバックに演奏したが、最終的にレコードになったときにはスタジオミュージシャンのテイクが使われた。

◎ 『初期のRCサクセション』 〜 『楽しい夕に』 (アコースティック期)
1stアルバム『初期のRCサクセション』は、最終的なマスタリング作業にメンバーが立ち会わせて貰えず、完成したレコードの音源に自分たちの意図しない勝手なアレンジが施されていたために不満を感じる。そのため2ndからは自分たちの演奏を主体としたレコード作りを始め、後年まで外部プロデューサーの介入を避けるようになる。 1970年代初期の未発表ライブ音源が『ロック画報2002年第10号』の付録CDに収録。曲は「つまらない仕事」「ぼくとあの娘」「忙しすぎたから」「内気な性格」「もっと何とかならないの?」「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」6曲。選曲は清志郎が行い、マスタリングに清志郎と破廉が立ち会った。 忌野の高校の同級生である俳優の三浦友和は、『初期のRCサクセション』に収録の「言論の自由」にボンゴで参加。三浦はステージによく加わることがあり、また一時期破廉と同居するなどかなりRCと親交が深かった。 忌野が作詞・作曲した「指輪をはめたい」を元にして、井上陽水と「帰れない二人」を共作。もう1曲「待ちぼうけ」を共作、この2曲が収録された陽水のアルバム『氷の世界』(1973年) が日本音楽史上初のミリオンセラーLPとなる。 1974年、ホリプロの奥田義行が、当時大ブレイク中だった陽水を連れホリプロを離れ、独立事務所「りぼん」を設立。この造反行為に激怒したホリプロは、奥田の子飼いだったRCの「りぼん」移籍を阻止。RCはスタッフも仕事も与えられず飼い殺し状態となる。 この頃、3rdアルバム『シングル・マン』を録音するも、事務所の移籍トラブルによりお蔵入りになる。

◎ 『シングルマン』 〜 「わかってもらえるさ」(暗黒期)
1975年、仕事がほとんどなくなり、活動休止状態になる。 1976年、ホリプロとの契約が切れ、正式に「りぼん」に移籍。 レコード会社を東芝音工からポリドールに移籍、3年1ヵ月振りのシングル「スローバラード」、3年4ヵ月振りの3rdアルバム『シングル・マン』をリリース。 更にキティレーベル(後のキティレコード)に移籍、シングル「わかってもらえるさ」を発売するが、すぐにそれらは廃盤となる。 『シングル・マン』には契約上クレジットされなかったが、タワー・オブ・パワーやミッキー吉野、柴田義也らが参加。「わかってもらえるさ」ではメンバーに破廉がクレジットされているものの、破廉は極度の鬱状態でギターが弾けず、ギターはすべて忌野が弾いた。 その後も忌野は2台続け中古のサニークーペを購入。当時一番安い中古車だったからである。 当時、唯一の活動と言ってもよかったのが矢沢永吉、井上陽水等の前座であったが、メインアクト目当てで来ている観客からは「クソッタレ」「早く消えろ」等の罵声を浴びせられることが少なくなかった。矢沢永吉の前座で出演した際にはRCが登場するやいなや観客から「帰れ」コールが浴びせられた。忌野が客をからかって「矢沢B吉でーす。永ちゃんはいま楽屋でクソしてるんで僕らがやりまーす」と発言。客席は大混乱となり、演奏中絶えず「死ね」など怒号のような野次を喰らう。)。

◎ 『MARVY』 〜 『コブラの悩み』(激動期・その2)
1988年、反戦・反核をテーマにしたカバーアルバム『COVERS(カバーズ)』とシングル「ラヴ・ミー・テンダー」を制作するも、発売元の東芝EMIの親会社・東芝が原子力関連企業でもあったため、歌詞の内容が問題視され急遽発売中止。東芝EMIは全国紙(毎日新聞、朝日新聞、読売新聞) で「素晴しすぎて発売出来ません」との広告を打つ(これは忌野が東芝から「企業の倫理とかいうのがあってどうも…素晴らしすぎて出せない」と発売の中止を告げられたことを受け、「素晴らしすぎて出せないっていうんだったら、それを新聞に出してくれ」と言ったことによる。 仲井戸が2ndソロ・アルバム『絵』をリリース。 『Baby a Go Go』の制作中、ミキサーのヘンリー・ハーシュ、デイヴィッド・ドマーニッチ、忌野が、曲によってドラマーを春日博文や外部のドラマーに変えたいという方針を打ち出したことに新井田が猛反発、RCを脱退。

◎ その他のエピソード
アルバム『EPLP』は、EP(シングル)盤で発売した曲を集めた編集盤。EPの曲を集めて作ったLP(アルバム)だから『EPLP』。これに関連し忌野は、音楽メディアがレコードからCDに切り替わった当時、「そのうち『ABCD』ってCDを誰か出すんじゃないか」と言っていたが、後年忌野はミニ・アルバム『abcd』をCDで発売。 アルバム『COVERS』以前からも忌野が書く歌詞は再三物議をかもしている。
・ シングル「ボスしけてるぜ」は、ボス(経営者)に『給料を上げてくれないとやる気が起こらない』と平社員の青年が懇願する内容。この歌詞に関する中小企業の経営者たちからの苦情により銀座地区など歓楽街で流される有線放送で放送禁止になる。
・ アルバム『BLUE』に収録の「あの娘のレター」は曲中「ポリ公」という歌詞がレコ倫に引っかかったためその部分の音声にノイズが被せてある。歌詞カードでも伏字にしてあるが、「ライブでは勝手に歌わせていただきます」という旨の注釈がついている。
・ 「お墓」は、フォーク時代からの重要なレパートリー曲であり、当初73年に陽水と忌野の共作のなかで忌野が提案、陽水が「これじゃ売れないよ」と没となり、74年に事務所などに秘密裡に収録された。アルバム『シングル・マン』に収録予定だったが、タイトルが忌み嫌われ収録を見送られた。結局正式にレコード化されたのは、その7年後にリリースされたアルバム『OK』。なお、歌詞の内容は、自分の元を去った恋人への失望からその恋人との思い出のある街には二度と行くことはない、そこは自分の心が死んだところであり心のお墓が立っている、というものである。
・ ライブ・アルバム『the TEARS of a CLOWN』に収録された「君はそのうち死ぬだろう」は、暗黒期にノイローゼ気味となった旧友を逆説的に励ますために作られた曲であったが、『内容的にまずい』ということで歌詞カードには載せられなかった。 曲に歌われた多摩蘭坂(実際の坂の名前は「たまらん坂」)は、東京都国立市と国分寺市の境にある実在する坂。RCファン・忌野ファンの聖地となっている。近くの大学生が通学時に上るときに「坂がきつくてたまらん」と言ったことが地名の由来。以前は坂の途中の石垣にRCファンによって「清志郎」と書かれた落書きがあったが、現在は取り壊されマンションが建っている。忌野の実家がある国分寺市富士本は位置的にはJR中央線国立駅の北側にあたり、「たまらん坂」はJR中央線を挟んで反対側の西国分寺駅・国立駅間南側に位置する。 『PLEASE』収録の「あきれて物も言えない」は、RCの暗黒期に事務所のスタッフにハッパをかけようとして泉谷しげるが言った「清志郎はもうだめだよ、立ち直れねえよ」という言葉を人づてに歪曲して聞いた忌野が激怒して作った曲。歌詞の「どっかの山師が俺が死んでるって言ったってさ」の部分を、ライブでは足の不自由な泉谷のことをあからさまに侮蔑する歌詞に替えて歌っていた。 氷室京介は、1980年7月5日のRC野音ライブを観て、バンド結成を思い立ったとインタビューで語っている。 その他の詳細エピソードについては、忌野清志郎の頁を参照。

● ディスコグラフィー


◎ シングル

 東芝音楽工業 / EXPRESS
1st   1970年3月5日   宝くじは買わない   どろだらけの海    圏外
2nd   1970年12月5日   涙でいっぱい   イエスタディをうたって
3rd   1972年2月5日   ぼくの好きな先生   国立市中区3-1(返事をおくれよ)   70位
4th   1972年7月5日   キミかわいいね   あの歌が想い出せない    圏外
5th   1972年12月20日   三番目に大事なもの   けむり
 ポリドール
6th   1976年1月21日   スローバラード   やさしさ   圏外
 Kitty Records
7th   1976年10月11日   わかってもらえるさ   よごれた顔でこんにちは    圏外
8th   1979年7月21日   ステップ   上を向いて歩こう
9th   1980年1月21日   雨あがりの夜空に   君が僕を知っている
10th   1980年5月21日   ボスしけてるぜ   キモちE
11th   1980年10月28日   トランジスタ・ラジオ   たとえばこんなラブソング   83位
 ロンドンレコード
12th   1982年6月23日   SUMMER TOUR   ノイローゼ・ダンシング(CHABOは不眠症)   6位
13th   1982年12月15日   つ・き・あ・い・た・い   窓の外は雪   48位
14th   1983年6月1日   Oh Baby   ダンスパーティー   38位
15th   1983年11月7日   ベイビー逃げるんだ。   おはようダーリン   31位
 東芝EMI / EASTWORLD
16th   1984年7月21日   不思議   甘いシル   37位
17th   1985年4月21日   すべてはALRIGHT (YA BABY)   春うらら   53位
18th   1985年11月21日   スカイ・パイロット   LONELY NIGHT (NEVER NEVER)    圏外
19th   1988年3月25日   NAUGHTY BOY   DIGITAL REVERB CHILD
発売中止   1988年6月25日   ラヴ・ミー・テンダー   サマータイム・ブルース   -
 Kitty Records
20th   1988年8月15日   ラヴ・ミー・テンダー   サマータイム・ブルース   10位
 東芝EMI / EASTWORLD
21st   1990年9月5日   I LIKE YOU   忠実な犬   13位
22nd   1991年2月6日   スローバラード (RE-MIXED VERSION)   空がまた暗くなる   20位


◎ アルバム

○ オリジナル・アルバム

 東芝音楽工業 / EXPRESS
1st   1972年2月5日   初期のRCサクセション    圏外
2nd   1972年12月5日   楽しい夕に
 ポリドール
3rd   1976年4月21日   シングル・マン   79位
 Kitty Records
4th   1980年12月5日   PLEASE   21位
5th   1981年11月21日   BLUE   12位
 ロンドンレコード
6th   1982年10月25日   BEAT POPS   2位
7th   1983年7月5日   OK   7位
 東芝EMI / EASTWORLD
8th   1984年11月23日   FEEL SO BAD   17位
9th   1985年11月21日   HEART ACE   25位
10th   1988年2月25日   MARVY   10位
11th   1990年9月27日   Baby a Go Go   4位

○ ミニ・アルバム

 東芝EMI / EASTWORLD
1st   1986年4月23日   NAUGHTY BOY   44位

○ カバー・アルバム

 Kitty Records
1st   1988年8月15日   COVERS   1位

○ ライブ・アルバム

 Kitty Records
1st   1980年6月5日   RHAPSODY   47位
 ロンドンレコード
2nd   1982年4月5日   Yeahhhhhh...at武道館    圏外
3rd   1982年12月10日   THE DAY OF R&B
4th   1983年12月5日   THE KING OF LIVE   19位
 NEWSレコード / SPEED SHOCK
5th   1984年9月21日   The LIVE   圏外
 東芝EMI / EASTWORLD
6th   1986年10月12日   the TEARS OF a CLOWN   圏外
7th   1988年12月16日   コブラの悩み   -
 ユニバーサルミュージック
8th   2005年10月26日   RHAPSODY NAKED   圏外
9th   2013年5月3日   悲しいことばっかり (オフィシャル・ブートレグ)   19位
 なかよしグループ
10th   2016年2月5日   PLEASE ROCK ME OUT at 日比谷野外音楽堂 1981.5.30/5.31   -

○ ベストアルバム

 Kitty Records
1st   1981年6月1日   EPLP   22位
 東芝EMI / EXPRESS
2nd   1982年3月21日   ハードフォーク・サクセション   圏外
 NEWSレコード / SPEED SHOCK
3rd   1984年7月21日   EPLP-2    圏外
4th   1984年12月21日   MIX & MIXER
 東芝EMI / EASTWORLD
5th   1982年3月21日   ニュー・ベストナウ   圏外
6th   1990年11月7日   BEST OF RC SUCCESSION 1970-1980   269位
7th   1990年11月14日   BEST OF RC SUCCESSION 1981-1990   圏外
 Kitty Records
8th   1995年9月25日   SOULMATES THE RC SUCCESSION '76-'81&'88    圏外
9th   1999年6月30日   TREASURE COLLECTION
 キティMME
10th   2001年12月19日   スーパー・バリュー   圏外
 東芝EMI / EASTWORLD
11th   2002年6月19日   ゴールデン☆ベスト   圏外
 ユニバーサルミュージック
12th   2004年2月25日   ゴールデン☆ベスト RCサクセション ユニバーサル・エディション   31位
13th   2005年6月1日   Wonderful Days 1970-80   60位
 東芝EMI / EASTWORLD
14th   2005年6月1日   Greatful Days 1981-90   60位
  ユニバーサルミュージック
15th  2015年11月25日  KING OF BEST  
16th   2020年3月5日   COMPLETE EPLP 〜ALL TIME SINGLE COLLECTION〜  

○ 未発表音源集

 なかよしグループ
1st   2016年11月9日(発売延期)   初期のシングル・マン -The Immortal RC SUCCESSION-   -


◎ ビデオ・DVD

 レーザーディスク株式会社
1st   1982年3月20日   RC SUCCESSION AT BUDOHKAN   1981年12月24日に行われた初の武道館公演。
 ポリドール
2nd   1984年4月10日   THE KING OF LIVE AT BUDOHKAN   1983年のクリスマス武道館公演。
 東芝EMI / EASTWORLD
3rd   1985年12月21日   SPADE ACE (スペードのエース)   『FEEL SO BAD』と『HEART ACE』からのビデオクリップ集。企画、演出は川崎徹。なお「横浜ベイ」に泉谷しげるが出演している。
4th   1986年11月21日   the TEARS OF a CLOWN   1986年、恒例の夏の日比谷野音ライブの模様を収録。4DAYSの映像を巧みに組み合わせまとめてある。
5th   1989年1月25日   コブラの悩み   1988年8月の日比谷野音ライブの映像。『COVERS』騒動の直後のライブであり、会場全体が異様な熱気に包まれている模様が収められている。
6th   1990年11月28日   ミラクル 20th Anniversary   1990年9月の日比谷野音ライブの映像。RC20周年記念にふさわしい選曲となっている。なお、新井田、Gee2wo脱退後であるためドラムとキーボードはそれぞれ春日と厚見が務めている。
 Kitty Records
7th   1994年6月25日   RHAPSODY 〜the video〜   レコード会社の倉庫に眠っていたアルバム『RHAPSODY』の映像版。
 ポリドール
8th   1998年7月15日   THE ROCK'N' ROLL SHOW 80/83   1984年発売の『THE KING OF LIVE』と1994年発売の『RHAPSODY 〜the video〜』をリマスター、2in1にしてDVD化したもの。
 デジタルサイト / DreamTime
9th   2003年10月22日   ライブ帝国 RCサクセション   1980年代後半、テレビ神奈川で放送されたTVライブの模様を収録。
10th   2003年11月27日   ライブ帝国 RCサクセション early 80's   テレビ神奈川で放送されていた『ファイティング80's』で放映された1980年〜1981年のライブ映像。
11th   2003年12月10日   ライブ帝国 RCサクセション 70's   テレビ神奈川で放送されていた『ヤング・インパルス』の1972年4月〜9月のパフォーマンスを収録。
 ユニバーサルミュージック
12th   2016年3月30日   SUMMER TOUR’83 渋谷公会堂 〜KING OF LIVE COMPLETE〜   1983年6月25日、26日の2日間おこなわれた渋谷公会堂でのライブ映像。


◎ 未発表曲
初期(アコースティック時代)
曲名 概要
  ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います   後年、清志郎のソロとしても歌われているが元々はRCの曲。「悲しいことばっかり」に収録
  やせこけた女   学生時代、痩せた女につきまとわれた清志郎の実体験を元にした曲。
  オキナワ・ライン   結成当初に作られた。ベンチャーズを意識したインスト曲。当時、破廉のお気に入りの曲だった。
  貧乏絵描き  
  もうすぐ帰る  
  金曜日の大雪  
  仕事なので   ボーカルは破廉ケンチ。「悲しいことばっかり」に収録
  昆虫採集  
  黄色いお月様  「悲しいことばっかり」に収録
  一日  「悲しいことばっかり」に収録
  黙っていておくれ  
中期(暗黒期)
曲名 概要
  山を降りて出かける日  
  ぼくの記憶では  
  パーティーをひらこう  
  君は素敵  
  女はきみの邪魔をする  
  一五〇パーセント・オレンジジュース  
  別れたあとで  
  ダーリン・カセット  
  こたつバラード  
  重労働  
  洗たくの自由  
  ぼくはラジオが大好き  
  ベルおいで  「悲しいことばっかり」に収録
  アルバイト   忌野の著作「十年ゴム消し」に登場する曲。
  うかれたクリスマス  
  レディー・レイ   作詞は三浦友和が担当している。
  はじめまして よろしく  
  ぼくの眠るところ  
  ゆうべいい事  
後期(復活・ブレイク期〜終焉期)

◎ タイアップ

曲名 タイアップ
  スローバラード   映画『ラブ&ピース』主題歌
  上を向いて歩こう   松竹映画『殿、利息でござる』主題歌
  雨あがりの夜空に   東宝映画『 (アイ・オー)』挿入歌
  こんなんなっちゃった   ミノルタX7 CMソング
  ベイビー逃げるんだ。   MMC『MIRAGE』CMソング
  すべてはALRIGHT (YA BABY)   パルコ CMソング
   サン・トワ・マミー   フジテレビ系ドラマ『やっぱり猫が好き』エンディングテーマ
  松竹映画『バカヤロー 私、怒ってます』主題歌
  I LIKE YOU   セゾンカード CMソング
  スローバラード (RE-MIXED VERSION)   東宝映画『 (アイ・オー)』主題歌
  空がまた暗くなる   TBS系ドラマ『おかしの家』主題歌
 体操しようよ  映画「体操しようよ」主題歌


● 出演
RCサクセションとしての出演番組を記載。個人としての出演も多かった清志郎に関しては、別項忌野清志郎出演を参照。

◎ テレビ番組

・ ヤング720 (1969年5月7日、TBS) - ゲスト出演
・ ヤング・インパルス (1972年4月9日〜1973年4月8日、1976年4月25日、TVK)72年4月の番組開始から翌年4月にかけてレギュラー出演。その後、度々ゲストとして出演した。
・ ヤングおーおー (1979年、毎日放送) - ゲスト出演
・ NTVザ・ヒット ピンク百発百中 (1979年、日本テレビ) - ゲスト出演
・ TVジョッキー (1979年、日本テレビ) - ゲスト出演
・ 金曜娯楽館 (1979年、日本テレビ) - ゲスト出演
・ NTV紅白歌のベストテン (1979年8月、日本テレビ) - ゲスト出演
・ ぎんざNOW (1979年8月16日、TBS) - ゲスト出演
・ 古井戸解散コンサート (1979年12月、テレビ東京) - 泉谷しげると共にゲスト出演
・ ステレオ音楽館 (1980年、テレビ東京) - ゲスト出演
・ 11PM (1980年、日本テレビ) - ゲスト出演
・ サウンズ・クリエーション (1980年7月13日、テレビ東京) - ゲスト出演
・ 音楽自由港 (1980年8月17日、TVK) - ゲスト出演
・ ザ・コンサート (1980年9月13日、TBS) - ゲスト出演
・ よォーこそRCサクセション (1980年10月26日、テレビ朝日) - ゲスト出演
・ アップルハウス(1980年11月8日、フジテレビ) - ゲスト出演
・ ジャムジャム'80 (1980年11月21日、テレビ朝日) - 泉谷しげる、加奈崎芳太郎と共にゲスト出演
・ 夜のヒットスタジオ(1981年2月16日、フジテレビ) - ゲスト出演
・ テレビアンナイト (1981年2月18日、フジテレビ) - ゲスト出演
・ オールナイトニッポン・スーパーフェス (1981年7月30日、フジテレビ)
・ ファイティング 80's (1981年12月18日、TVK) - ゲスト出演
・ ザ・ベストテン(1983年8月5日、TBS) - ゲスト出演
・ 箱根オデッセイ ポップ'83イン・ハコネから(1983年8月20日、NHK)
・ YOU(1983年8月27日、NHK) - ゲスト出演
・ スーパーフェス'84 KING OF LIVE (1984年8月30日、フジテレビ)
・ 面白予約ショウ (1985年6月7日、フジテレビ) - ゲスト出演
・ POP HILL:1986(1986年、石川テレビ) - ゲスト出演
・ BEAT CLUB(1986年8月15日、テレビ朝日) - ゲスト出演
・ オールナイトフジ (1986年12月13日、フジテレビ) - ゲスト出演
・ Live TOMATO (1987年6月4日、TVK) - ゲスト出演
・ MUSIC WAVE SPECIAL (1988年5月10日、NHK)
・ ロック・スペシャル (1988年12月30日、NHK) - MUSIC WAVE SPECIAL短縮版
・ ロックンロール・バンド・スタンド 88-89 (1989年5月27日、NHK) - ゲスト出演
・ ミュージックトマトJAPAN (1990年、TVK) - ゲスト出演
・ ロックンロールオリンピック'90 (1990年8月12日、NHK仙台) - ゲスト出演
・ JT SUPER SOUND '90 (1990年8月19日、日本テレビ) - ゲスト出演

「RCサクセション」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2023年6月11日10時(日本時間)現在での最新版を取得

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