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宮崎駿


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宮崎 駿(または宮﨑 駿、みやざき はやお、1941年〈昭和16年〉1月5日 -)は、日本のアニメ監督、アニメーター、脚本家、漫画家。別名義として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てるき つとむ または てれこむ)がある。株式会社スタジオジブリ取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事長、三鷹市立アニメーション美術館(三鷹の森ジブリ美術館)名誉館主(初代館主)。 東京府東京市出身。学習院大学政経学部卒業。1963年に東映動画にアニメーターとして入社。その後いくつかの会社を経てフリーとなり、その間にテレビアニメ『未来少年コナン』、初の劇場用アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』で頭角を現した。 1984年に個人事務所の二馬力を設立し、翌年に高畑勲らとアニメーション制作会社スタジオジブリの設立に参加(2005年に同社取締役に就任)。以後『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』などの劇場用アニメーションを監督し、『千と千尋の神隠し』でベルリン国際映画祭金熊賞とアカデミー長編アニメ映画賞を受賞した。2014年には日本人で2人目のアカデミー名誉賞を受賞した。埼玉県所沢市在住。

● 来歴


◎ 生い立ち
数千人の従業員を擁した一族が経営する宮崎航空興学の役員を務める一家の4人兄弟の二男として、1941年1月5日に東京市で生まれた。比較的に裕福な暮らしをしていたという。 太平洋戦争が始まり、宮崎航空機製作所が宇都宮に移転したこともあり、幼児期に家族で宇都宮に疎開し、小学校3年生まで暮らしていた。1947年、母親が結核を発症し、以後9年間にわたり寝たきりの状態となる。1950年、小学校4年に進級時に東京都杉並区永福町に転居。 幼少時は身体が弱かったので運動は苦手だったが、絵はずば抜けて上手かった。熱心な読書家であり、手塚治虫や杉浦茂の漫画、特に福島鉄次の絵物語『沙漠の魔王』のファンという“漫画少年”でもあった。 進学校である東京都立豊多摩高等学校在学中、中学3年生の時に観た東映動画製作『白蛇伝』に感動し、アニメーションにも関心を持つようになる。学生時代に、中学の恩師・佐藤文雄のアトリエでデッサンを独学で学び、ポール・セザンヌのような印象派に影響されている。

◎ アニメーターの道へ
学習院大学に進学し、児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。幾つかの人形劇を企画しつつ、漫画家を志し漫画を描き続けていたが、アニメーションの世界へ進む事を決断する。 学習院大学を卒業し、アニメーターとして東映動画に定期採用で入社し、動画などを手がける。当初は東映動画で制作されていた作品に魅力を感じることが出来ず、漫画家への未練を断ち切れずにいたが、入社1年後に観たソ連製作長編アニメーション映画『雪の女王』に強い感銘を受け、アニメーションを一生の仕事にしようと決意した。 『ガリバーの宇宙旅行』のラストシーンが宮崎のアイディアで変更されるなど、早くから才能を現した。大塚康生は「あ、これはぼくより沢山絵を描いている」と感じたという。 結成間も無い東映動画労働組合の書記長に就任し、アニメーターの待遇の改善に尽力する。高畑勲・森康二・大塚康生らと共に3年がかりの大作、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1965年 - 1968年)を作り上げた。 1965年秋には、東映動画の同僚で、アニメーターの大田朱美と24歳で結婚し、その後2人の男児をもうける。

◎ ルパン三世で初監督
1971年、高畑勲、小田部羊一と共に東映動画を退社し、新企画『長くつ下のピッピ』を制作するためにAプロダクションに移籍したが、原作者の許諾を得られず立ち消えになってしまう。 その後、宮崎と高畑は大塚康生に誘われ、視聴率が低調だったTVアニメ『ルパン三世』で宮崎にとって事実上の初監督の仕事を引き受ける(高畑と共同。名義上はAプロダクション演出グループ)。半年間で放送は終了したが、その後の『ルパン』の基礎となる部分を作り上げた(詳しくはルパンの項を参照)。

◎ アルプスの少女ハイジ
「ピッピ」の経験を活かし、大塚、高畑、小田部らと子供向け映画『パンダコパンダ』(1972年、1973年)を2本作る(脚本、場面設定、美術、原画などを担当)。 高畑、小田部とともにズイヨー映像(のちの日本アニメーション)に移籍し、『アルプスの少女ハイジ』の準備に入る。1974年TVアニメ、『アルプスの少女ハイジ』で全カットの場面設定・画面構成(レイアウト)を担当。この作品は最高平均視聴率が26.9%となるなど大ヒットとなり、宮崎としても初の大きな成功であった。

◎ 未来少年コナン
1978年、『未来少年コナン』(NHK)で監督を務める。名義上は演出であり監督ではないが、他に監督はおらず、実質的には監督として現場を仕切っていた。 毎週放送という厳しいスケジュールの中で、演出を行いながら、オリジナルスケッチ(ストーリーボード)・設定・キャラクターデザイン・メカデザインを全話担当し、大半の絵コンテ、レイアウトを描いた上、スタッフの作った脚本・絵コンテ・レイアウト・原画を、高畑勲応援分を除き全て1人でチェックするという、前代未聞の超人的な作業量をこなした。

◎ カリオストロの城
その後、リニューアルされ人気を博していた『ルパン三世』の映画を大塚に持ちかけられ、宮崎は演出を引き受ける。その為、テレコム・アニメーションフィルム(東京ムービー新社内)に移籍し、映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)で映画作品の監督デビューをした。 宮崎は「カリオストロではじめて体力の限界を知った」というほど、監督として映画製作に尽力し、4ヵ月半という短い期間で作り上げた。しかし、当時の『2ndルパン』のイメージと違う作風や、SFアニメ全盛の時代ということもあって不発におわり、興行的には前作に及ばなかった。むしろ興行的不振のために、しばらくの間映画に携われない不遇の時を過ごすことになった。 しかしロリコンブームを追い風にヒロインのクラリスが美少女アニメファンからカルト的支持を受け、後に再放送されては高視聴率をあげるなど、アニメーションの金字塔的作品として高い評価を受けている。 美術担当の小林七郎は「宮崎駿監督は大変優れた人で、常識的なセンスの中で完成度を上げていき現在のような大衆的な支持を得たが、自分で全部やりたい人で、すべてを自分の枠にはめようとする。なので、ジブリからは新しい可能性は出てこない、というのが私の考えです。」と評している。 宮崎本人は「ルパンや東映時代にやったことの大たなざらえ」と位置づけており、自らが手がけた『ルパン三世』1stシリーズのいくつかのエピソードも元ネタにしている。 この直後には、『ルパン三世 PART2』で第145話と最終回の制作に脚本、絵コンテ、演出として携わっている。後の『天空の城ラピュタ』に登場するロボット兵や飛行船など、この頃から構想があったとみられる。『カリオストロの城』制作時に、当時『アニメージュ』副編集長で取材に訪れた鈴木敏夫と出会っている。 1984年の『ルパン三世 PartIII』放送にあわせ、劇場版第3作の製作が決定した際は、監督としてまず前作の監督であった宮崎駿に再度依頼がなされたが、宮崎は参加を拒否。宮崎の推薦により、当時宮崎の事務所にいた押井守が監督を務めることになったが頓挫した(詳細は「押井版ルパン三世」参照)。

◎ 風の谷のナウシカ
テレコム・アニメーションフィルムによる日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に大塚康生や高畑勲らと共に携わり、アメリカとの間を行き来したが、企画への疑問から降板。1981年4月に公開された『じゃりン子チエ』を監督予定だったが原作をそのまま使わない意向を示して高畑勲が監督することになった。テレビシリーズについては1981年4月から製作開始した『名探偵ホームズ』の監督に就任していたが、合作相手のイタリア側の事情で4話分が完成した段階で制作が中断した。同時期には『花王名人劇場』の枠で1981年8月に放送されたテレコム制作の『東海道四谷怪談』も最初は宮崎が監督をすることになっていたが、宮崎が推薦した大塚康生に変更になった、宮崎の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプロジェクトが結成され、1984年にアニメーション映画として製作・公開された。 映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟ってヒット作となり、作家としての宮崎駿が広く認知されることとなった。

◎ スタジオジブリ設立
1985年に徳間書店の出資を得てスタジオジブリを設立し、以後の制作の基盤とした。1986年の『天空の城ラピュタ』と1988年の『となりのトトロ』では興行成績はそれほど振るわなかったが、その後両作の人気は著しく高まり、ぬいぐるみなどのグッズの販売やビデオ販売の収入により、ジブリの経営を支えた。 また1986年頃、宮崎が推薦した押井守によるルパン三世劇場版第3作の頓挫後にはスタジオジブリで押井を監督に据え、宮崎の脚本による作品『アンカー』を準備するなどしている。 『魔女の宅急便』(1989年)はスポンサーの意向により、当初指名されていた佐藤順一、次に指名された片渕須直が降板し宮崎が後を継いだ。本作はその年の興行トップとなる大ヒットとなる。これを受けてジブリの労働環境を整えるため社員化を決定する。 『紅の豚』(1992年)は、もともと日本航空の機内で上映される中編として企画されたが、次第に構想が膨らみ、長編作品として公開された。 『耳をすませば』(1995年)で、脚本、絵コンテ、製作プロデューサーを担当。 1997年に公開された『もののけ姫』は、ジブリ史上最大の製作費、宮崎の監督引退説などが話題になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画興行記録を15年ぶりに塗り替える大ヒット作となった。宮崎駿は完成後の打ち上げの際、これが最後の作品となると発言し大きく報道されたが、翌年に引退宣言は撤回した。

◎ 世界的な巨匠として評価
2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は興行記録をさらに塗り替え、観客動員2,350万人、興行収入308億円 と、日本における映画史上第1位の新記録を作った。日本国外からの評価も非常に高く、翌年のベルリン国際映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊賞を受賞し、2003年にはアカデミー賞長編アニメ賞を受賞した。『千と千尋の神隠し』の完成記者会見でも「もう長編アニメ映画は無理ですね」と引退を宣言している。 2004年公開の『ハウルの動く城』は、もともと細田守監督作品として進められていたが降板し、宮崎が後を継いだ。公開2日目で観客動員数110万人、興行収入14億8,000万円と日本映画歴代最高のオープニングを飾り、映画史上第2位の大ヒットを記録。さらにヴェネツィア国際映画祭のオゼッラ賞、ニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞し、その年の米アカデミー賞の長編アニメ部門に再びノミネートするなど前作同様、日本国外においても高く評価された。2005年には、ヴェネツィア国際映画祭において優れた世界的映画人に贈られる栄誉金獅子賞を受賞。2006年には、アカデミー賞の選考委員に選ばれ、招待状が送付された。宮崎はこれ以前に2度選ばれているが、創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。 2006年公開の『ゲド戦記』は、宮崎が1983年に刊行した「シュナの旅」(徳間書店刊)が原案としてクレジットされており、各所に同書に登場する設定が用いられている。また、鈴木敏夫や宮崎吾朗によれば、イメージボードやアイデアスケッチ等を書いていたようである。なお、「ゲド戦記」原作者のル=グウィンは宮崎が監督を務めることを希望していたが、息子の吾郎が監督となった。 2008年7月19日に、新作『崖の上のポニョ』を公開。公開後1か月で興行収入100億円を突破する興行成績を挙げた。『崖の上のポニョ』製作中、体力的にも本作が最後の長編になるだろうと述べていた。しかし、映画公開後に宮崎が『崖の上のポニョ』の観客動員数より、『ハウルの動く城』の方が高かった事実を知ってショックを受け、「もう一本作る」とやる気を出し始めたという。今後の作画に関しては『崖の上のポニョ』のように手描きでいくとの意向であるが、以前のような作画に戻る可能性もあると示唆した。 マスコミの前に出ることを嫌う時期もあったが、『崖の上のポニョ』の製作時にNHKによって2度、「プロフェッショナル 仕事の流儀」にて密着ドキュメントが作られた。アニメ作りに苦悩奮闘する素の宮崎駿の姿が放送され、大きな反響を呼んだ。また、2008年11月20日の日本外国特派員協会に招かれ、アニメ界の危惧も含め、熱く論弁した。2012年には、文化功労者に選ばれた。 2013年に、自身の漫画作品、『風立ちぬ』を原作とした、アニメーション映画『風立ちぬ』を公開。同年9月1日、宮崎が長編映画の製作から引退することをスタジオジブリ社長星野康二が発表。

◎ 長編監督引退後
2013年、戦国時代を舞台にした漫画を執筆中であると『月刊モデルグラフィックス』2014年1月号で発表された。しかし時代考証を重ねるうちに手が止まってしまったことを理由に同誌2015年6月号ならびに『アーマーモデリング』2015年5月号で中止または無期限延期が発表された。予定されていた作品の題名は『鉄砲侍』であった。 三鷹の森ジブリ美術館の企画展示「クルミわり人形とネズミの王さま展」の企画・制作・監修を手がけた。同年11月、第87回アカデミー名誉賞を受賞。日本人としては黒澤明以来2人目の快挙となる。同時受賞となった女優のモーリン・オハラは長年の憧れで、会えたことに感動したという。同年11月、一人芝居「うつ神楽」を考案。京都府八幡市の石清水八幡宮の本殿で奉納された。 2015年、鈴木敏夫が講演会で、ジブリ美術館用の新作短編アニメ『毛虫のボロ』を制作中であることを明らかにした。宮崎にとっては初の3DCGアニメーション作品となる。制作部門が解体されたスタジオジブリに代わり、アニメーション制作はスティーブンスティーブンが担当している。 2015年5月8日、在日米軍再編における普天間飛行場の名護市辺野古移転計画に反対する辺野古基金の共同代表に就任した。同年7月13日、日本外国特派員協会の要請に応じて東京都小金井市にあるスタジオジブリで記者会見を開き、基地移転だけでなく沖縄県に負担が集中している状態そのものを批判し、かつて鳩山由紀夫内閣が提案した県外移設の実現を強く求めた。

◎ 引退撤回
2016年11月13日午後9時からNHKで放送された特別番組「終わらない人 宮﨑駿」の番組内で、宮崎が「長編企画 覚書」と書かれた書類を鈴木敏夫に提示する場面が放送された。書類の内容はモザイクで隠されていたが、「2019年完成」と記されていたことから、新作長編が2019年に公開されると予想された。3か月後の2017年2月24日、鈴木敏夫が「Oscar Week 2017」で、長編映画の制作に復帰したことを公表し、事実上の引退撤回となった。5月19日、新作のスタッフを公式サイトで募集開始し、本格的に制作がスタートし、10月28日には早稲田大学で開催されたイベントで新作の題名が『君たちはどう生きるか』であると明かされた。 2018年5月15日、4月に死去した高畑勲のお別れ会に出席し、開会の辞を読み上げた。 2023年7月14日、『君たちはどう生きるか』が公開。9月に行われた第48回トロント国際映画祭で日本映画史上初となるオープニング作品となり、観客賞の次点第2位となる。翌年にはゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞で日本映画史上初となるアニメ映画賞を連続して受賞し、2024年3月11日に行われた第96回アカデミー賞では自身としては2度目となる長編アニメ映画賞を受賞した。

● 略歴

・ 1941年 - 1月5日、東京府東京市に生まれる。同年生まれのアニメ監督に、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鳥海永行がいる。
・ 1945年 - 7月12日、宇都宮空襲に遭遇。
・ 1950年 - 杉並区永福町に転居。杉並区立永福小学校、杉並区立大宮中学校、東京都立豊多摩高等学校卒。
・ 1963年 - 学習院大学政経学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政経学部卒業生には、麻生太郎(元内閣総理大臣)、高島肇久(JICT会長、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店元社長)、有薗憲一(ベスト電器元社長)らがいる。
・ 1964年 - 東映動画労働組合の第2代書記長に就任。なお、初代書記長は大塚康生。
・ 1965年 - 同僚の大田朱美と結婚。
・ 1967年 - 長男(宮崎吾朗・(財)徳間記念アニメーション文化財団理事)誕生。
・ 1970年 - 所沢市に自宅を移す。次男(宮崎敬介・木口木版画家)誕生。
・ 1971年 - 高畑勲、小田部羊一と共にAプロダクション(現・シンエイ動画)に移籍。
・ 1973年 - 高畑勲、小田部羊一と共にズイヨー映像(後に日本アニメーションに改組)に移籍。
・ 1978年 - 『未来少年コナン』で演出家に転向。
・ 1979年 - 東京ムービーの子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。
・ 1982年 - 1月より『アニメージュ』誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。日米合作劇場アニメーション映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが企画への疑問から制作から降り、11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。
・ 1984年 - 4月、個人事務所二馬力を設立。
・ 1985年 - スタジオジブリを設立。
・ 1988年 - 第12回山路ふみ子映画賞を受賞。
・ 1990年 - 東京都民文化栄誉章を受章。
・ 1996年 - 淵の森保全連絡協議会を結成し、会長に就任。
・ 1998年 - スタジオジブリを退社し、「豚屋」を設立。第26回アニー賞・生涯功労賞、淀川長治賞を受賞。
・ 1999年 - スタジオジブリに所長として復帰。
・ 2000年 - 第3回司馬遼太郎賞を受賞。
・ 2001年 - 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。第49回菊池寛賞、第25回山路ふみ子映画賞を受賞。
・ 2002年 - 朝日賞、フランス国家功労勲章、パリ市勲章を受章。『Business Week』誌のStar of Asia・イノベーター部門に選出。
・ 2003年 - 埼玉県民栄誉賞を受賞。『TIME』誌アジア電子版の「アジアの英雄20人」に選出。
・ 2004年 - 12月、パリ造幣局美術館にて、初の個展となる「MIYAZAKI-MOEBIUS」展を開催。
・ 2005年 - 徳間書店より独立した、株式会社スタジオジブリの取締役に就任。第62回ヴェネツィア国際映画祭・栄誉金獅子賞、国際交流基金賞を受賞。『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。
・ 2006年 - 日本テレビ2階・マイスタ外壁に設置される巨大時計のデザインを手掛ける。『TIME』誌アジア版の「60年間のアジアの英雄」に選出。
・ 2008年 - スタジオジブリ社内保育園『3匹の熊の家』を竣工し、初代園長に就任。東京都小金井市名誉市民に選出。長男に息子が生まれ、初孫を授かる。
・ 2009年 - 第2回バークレー日本賞を受賞。『Fast Company Magazine』の「ビジネスシーンで最もクリエイティブな世界の100人」の31位に選出。
・ 2010年 - 東京都三鷹市の名誉市民に選出。
・ 2012年 - 文化功労者。
・ 2013年 - 9月、長編映画制作から引退すると発表。児童文学を愛読している。 : 宮崎は、自分の息子が子供だった頃には、その年代に合わせて、成長するにつれて対象年齢を上げて作品を作り、息子が成長しきると今度は友人などの子供を対象にしており、『千と千尋の神隠し』の公開時には、ガールフレンドである友人の娘のために作った作品だと説明している。スタジオジブリについても、子供向けのいい映画を作るスタジオにしたいと語っていた。
◇ 主人公の性別 : 『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』などに見られるように、主人公が少女であることがやや多い傾向にあるが、この理由は同性であると対象化しきれず、元気な女の子の方がやる気が出るからとのこと。同性だと自身と重ね合わせすぎて、悲観的な物語にしかならないとも語っている。 : しかし、『未来少年コナン』『カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』『紅の豚』『もののけ姫』などのように、男性が主人公の作品も少なくなく、主人公の性別にこだわっている訳ではない。
◇ 脚本なしでの制作 : 制作の準備段階でイメージボードを大量に描いて作品の構想を練り、脚本なしで絵コンテと同時進行で作品を制作していくという手法で知られる。これは、周囲から「日本アニメーション界のウォルト・ディズニー」「制作要らずの宮さん」と呼ばれる程の超人的な制作管理能力と、クオリティとスピードを両立した作画能力を持つ宮崎にして初めて可能な手法である。 : また、漫画作品においても、一コマ単位で下書き・ペン入れ・仕上げを行うという独特のスタイルで執筆されている。ただし、まったくの白紙の状態から絵コンテを描くわけではなく、ノートにストーリーの構成やアイディアを書いている。本人によれば、「一日中文字を書いていることもある」という。
◇ キャラクターデザイン : まず宮崎によるキャラクターのオリジナルデザインの原案イラストが描かれ、それを作画監督がトレースする形で設定表を作っていく。設定表が作られた後も物語の展開によって、キャラクターデザインそのものが変わる場合もある。井上俊之曰く「90%は宮崎さんのもの」とのこと。
◇ 作画作業 : 他のアニメーターによる原画が上がった段階で、宮崎が簡単に修正した後、作画監督がクリンナップしていく。 : ジブリ内の会議中でも、暇さえあれば今でも戦車の落書きを描いているという。また『天空の城ラピュタ』や『崖の上のポニョ』の劇中、モールス符号での通信シーンが登場するが、あの符号は全て実在し、言葉としてきちんと成り立っている。最も本人の趣味が反映された『紅の豚』に関しては製作後も「道楽でくだらない物を作ってしまった」と罪悪感に囚われ続け、次回作が完成して漸く「呪い」から解放されたと述べている。
◇ 作品名の共通点 : 監督を担当した長編アニメーション映画のほとんどの作品名に、千と千尋の神隠し、崖の上のポニョなど、平仮名の「の」が含まれている。 : ただし、必ずしも本人の意図ではなく、『もののけ姫』では『アシタカ𦻙記』を題名にしたかったという宮崎の意に反して鈴木敏夫により『もののけ姫』で既成事実化されたといい、宮崎本人は必ずしも拘ってはいない。
◇ 作風の変化 :『崖の上のポニョ』制作の過程を追った『ポニョはこうして生まれた』で「僕は、もう既成の起承転結のよくできたストーリーの映画なんか作りたくない」「自分の作品の大衆性が低くなっている」と発言している。

● 高畑勲との関係
アニメーション作家・映画監督の高畑勲は東映動画(現・東映アニメーション)時代の先輩であり、宮崎に多大な影響を与えた。東映動画の労働組合に書記長として従事した際、高畑は副委員長として宮崎を支え交流を深めていった。 高畑の初監督作品・映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)の制作がスタート、当時新人だった宮崎だったが、次々とイメージボードを描きアニメーター(兼 場面設定)として大抜擢された。人間の深層心理を描いた初のアニメーション映画でありアニメ作品としての構成、作画クオリティは当時として最高峰であり、児童向けアニメながら、高畑が注入した職人ギルド・コミューンの形成と善悪の彼岸を描いた思想背景、労働者コミュニティの連帯感、ベトナム戦争が影を落とした社会情勢も加味して作品作りに反映させ、強烈な“作家性”に宮崎が傾倒。含蓄ある知識と主義思想を物語に落とし込み、大胆なレイアウトで魅せる高畑の演出も宮崎にとっては憧れの的だった。 ルパン三世第一シリーズ(共同演出)、パンダコパンダ(高畑が監督、宮崎が脚本、画面設計)、アルプスの少女ハイジ、母をたずねて三千里(高畑が監督、宮崎が画面設定)などを共に手掛け、高畑の演出テクニックを吸収した。 その後、ファンタジーやリアリティの考えの違いから2人は別個に創作するようになるが常に2人は相手のことを気にかけていた。互いに強烈な負けず嫌いという共通点もあるが、高畑に対する宮崎の畏敬の念は特別だった。『千と千尋の神隠し』の制作の際、宮崎は視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていた。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑さんに教わったためである。

● アニメ界への意見

◇ 日本のアニメ界への危機感 : 以前から、短時間・低予算で量産される日本のアニメーションに対して危機感を抱き続けており、1985年2月号のアニメ雑誌『アニメージュ』の押井守、河森正治との対談や、1986年『天空の城ラピュタ』製作中に行ったアニメーション雑誌記者との会見にて「セーラー服が機関銃撃って走り回っているアニメーションを作っていちゃダメなんです」「女の子がバズーカ振り回すような作品は、いいかげんやめてほしい」と発言していた。 : 2002年、ドイツのベルリン映画祭金熊賞受賞の際、記者会見で「今の日本のアニメーションはどん詰まり」などと語り、イギリスのBBCなど、日本国内外の様々なメディアで伝えられ、日本国内のみならず、世界のアニメーションファンを含めて、様々な反響があった。
◇ 手塚治虫の評価 : 1989年、手塚治虫が亡くなった際に、漫画史における手塚の功績に敬意を表した上で、手塚のアニメーション作品は、店子を集めて無理やり義太夫を聴かせる落語(『寝床』)の長屋の大家と同じ旦那芸であると痛烈に批判し、手塚がリミテッド・アニメーションとフルアニメーションの違いもろくに理解せず喧伝していたことなどに触れ、「アニメーションに関しては(中略)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです」と述べた。また、手塚作品の悲劇性についても否定的な見解を示しており、その文脈から「ある街角の物語」「しずく」などの手塚が自主制作していたアニメ作品に対しても否定的評価を下し、「趣味としてみればわかるんです。お金持ちが趣味でやったんだと思えば」と総括している。 : 宮崎の監督作、『ルパン三世 カリオストロの城』について手塚が意見を述べたことがあり、作画を担当したテレコム・アニメーションフィルムのアニメーター達に対し、カリオストロは3コマ作画だそうだが、手塚が総監督した『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』は2コマのフルアニメーションであると語ったという。しかし、宮崎の盟友であり、『カリオストロ』で作画監督を務めた大塚康生によると、『火の鳥』には、2コマ特有の描き方や工夫が全く入っていなかったという。大塚は「手塚先生は理念としてのフルアニメーションに憧れていらっしゃるが、技術的な使い方はご存じない、もしくは関心はお持ちでないのだとわかりました」と指摘している。 :一方で、手塚がテレビアニメ『鉄腕アトム』を安価な予算で作って以来、日本におけるアニメの製作費が低くなる前例となってしまった件に関して、宮崎は、日本が経済成長を遂げていく過程では必然のことであり、「引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけ」とする立場を取っている。その上で、あのタイミングで手塚さんが始めなければ自分達はあと2、3年は(当時の東映動画で)腰を据えて長編アニメーションを作れたかもしれないが、それも今となってはどうでもいいことだと述べている。 : それ以降、宮崎が手塚について語る事はほとんど無かったが、2009年に行われたインタビューにおいて、7歳の時に手塚の「新宝島」を読み「言い難いほどの衝撃」を受けたことや、初期のSF三部作の虜になっていたことを明かし、「モダニズムとは、繁栄や大量消費と同時に、破壊の発明でもある。そのことに、ひとりアジアの片隅で行き着いたのが手塚さんだった」と評している。だがアニメ作品に対しての評価は変わらず、「しかし、僕は手塚さんがひどいアニメーションを作ったことに、ホッとしたのかもしれません。これで太刀打ちできると」と述べた。 : 宮崎は1963年に東映動画で手塚治虫原案の『わんわん忠臣蔵』にアニメーターの一人として参加し、1977年には手塚治虫原案の『草原の子テングリ』でレイアウトを務めた。また1981年には手塚と宮崎との合作アニメ映画『ロルフ』も企画されていた。この合作は実現しなかったがロルフの企画は名前を変え『風の谷のナウシカ』の原案になった。
◇ ディズニーの評価 : 前述の手塚治虫に対する批判の1年程前に、ディズニーに対しても批判をおこなっている。「ぼくはディズニーの作品がキライだ。入口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。ぼくには観客蔑視としか思えないのである」。

● 政治的・思想的スタンス


◎ 戦争観
: 著名なミリタリーマニアである一方、現実の戦争行為には断固として反対している。大学時代には「戦争がいかに経済的に不合理であるか」という経済学の講義に感銘を受け、収集していた軍事関係の書籍を全て捨てた経験もある。作品中では『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』などに見られるように、侵略者や圧制に対する武力抵抗を肯定するような描写もあり、そのスタンスは単純な非暴力・反戦というわけでもない。しかし一貫して戦争の悲惨さや愚かさを描き、兵器や戦争が登場する作品でそれらを安易に美化する事はない。『風の谷のナウシカ』など複数の作品に登場する戦火にのまれる街の描写などは堀田善衛「方丈記私記」をイメージしたものだという。湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明して、小田実を中心とする市民グループ「市民の意見30の会」による、「ニューヨーク・タイムズに湾岸戦争を批判した意見広告を掲載しよう」という呼びかけに応じている他、同時期に製作した『紅の豚』も湾岸戦争に対する反感が作風に反映されているという。
◇ 第二次世界大戦 :宮崎は、イギリスの児童文学作家ロバート・ウェストールの『ブラッカムの爆撃機』に併収された2006年の漫画「ウェストール幻想 タインマスへの旅」でのウェストールとの架空対話において、神風特別攻撃隊について志願しただろうと語っている。 : 『風立ちぬ』製作時には作品テーマもあって、第二次世界大戦における日本の戦争責任について積極的に発言している。「自分は若い頃は戦争責任があるかないかと言う見方をしていた。しかし後の世から断罪するのは簡単。一方で、零戦を作った優秀な技師として二郎を祭り上げる動きもあります。いずれも、あの時代の空気を肌で感じようとしていない」「一つの時代を遠くから見て、灰色だとか決め付けることは間違っている」 としつつも、堀越二郎を祭り上げる動きに関しては「零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は、コンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。僕は今度の映画で、そういう人々から堀越二郎を取り戻したつもりです」「二郎や自分の父親が無罪だなんて思っていません」 と述べている。 : 同時期にスタジオジブリ出版の小冊子『熱風』の寄稿文で、日本が第二次世界大戦に参加したことについては子どもの頃に「本当に愚かな戦争をした」「実際情けない戦争だったんだ」と感じたと述べている。この他にも「日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって『最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?』と言うのもおかしい」「非武装中立ということは現実にはあり得ないです。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃいけない。ただ、それ以上は『ちょっと待て』っていうのがやっぱり正しいと思うんです」「慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです」とも述べている。 : こうした姿勢は当事者国の一つである東アジア諸国で広い賞賛を受けており、中国の「人民日報」は微博(国営SNS)を通じて「記憶にとどめておくべき良識ある日本人」として宮崎の名を挙げている。韓国でも『風立ちぬ』公開時に意図を説明する為の記者会見を行うなどの姿勢もあり、「日本の生ける良心」と賞賛されている。
◇ 憲法改正 : 2013年に憲法改正論議が過熱した際、スタジオジブリ出版の小冊子『熱風』2013年7月号での特集「憲法改正」で現状での改正には反対声明を行った。宮崎は「憲法を変えるなどもってのほか」を寄稿、日本国憲法の改憲に反対の立場であることを闡明にした。寄稿文の中で、日本国憲法を議論する環境として「得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほか」であるとしている。特に憲法9条と自衛隊については「憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい。」と述べ、自衛隊は専守防衛に徹するべきであり、「そうしないと、本当にこの国の人たちは国際政治に慣れてないから、すぐ手玉に取られてしまいます。もし戦争になるとしても、そのほうがまだましだと考えます」としている。同寄稿文では、現行憲法下での自衛隊についても好意的に評価している。災害時の活動について「やっぱりこれはいいものだと思います。隊員たちはよくやっていて、礼儀正しい。」とし、イラク戦争で行われた海外派遣については「イラクに行かざるを得なくなっても一発も撃たず、ひとりも殺しもせず帰って来ました」「僕は立派だったと思います」と評価している。 : また憲法96条を先に改正する案についても「条項を変えて、その後にどうこうするというのでも成り立つ」が、それは「詐欺」で「やってはいけないこと」であるから、国の将来を決定するには「できるだけ多数の人間たちの意見を反映」させ「変えるためには、ちゃんとした論議をしなければいけない」と述べている。
◇ 集団的自衛権 : 憲法改正論議が沈静化した後、海外活動を円滑化する為に憲法解釈を用いた集団的自衛権の整備が第2次安倍内閣で推進されると、日本外国特派員協会での記者会見で、内閣総理大臣安倍晋三を「偉大な男として歴史に残りたいと思っているんだと思います」「でも残らないでしょう」と厳しく批判した。

◎ 人工知能技術への批判
: 2016年11月、宮崎に密着したNHKのドキュメンタリー「NHKスペシャル 終わらない人 宮崎駿」が放映され、その中でドワンゴ創業者川上量生のチームが宮崎に対して行ったプレゼンの様子が物議を醸した。当時、CGを使用した短編アニメの制作に取り組んでいた宮崎に対し、川上は自ら開発を進めている人工知能を応用したCG技術を紹介した。このCGはゾンビのようなキャラクターが頭を足のように使い、体をくねらせ移動させる奇妙なものだった。これに宮崎は激怒した。 これを作る人たちは痛みとかそういうものについて何も考えないでやっているでしょう。極めて不愉快ですよね。〔…〕 そんなに気持ち悪いものをやりたいなら勝手にやってればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません。極めて何か生命に対する侮辱を感じます。 : 後に宮崎がこの発言の真意について問われると「要するに、人工知能というものを色々もてはやすと、やっぱり馬鹿げた事が起こるんだなって。その時に川上さんみたいにアナーキーな人が歯止めを持っていないなと思いましたね」と回答した。 : 2022年にMidjourneyやStable Diffusionなどの著作物を無断利用した生成AIがリリースされ、海外のアーティストによる批判が高まると、宮崎の「生命に対する侮辱」(英: an insult to life itself)という発言は、クリエイターによる人工知能に対する拒絶のメッセージとして、映画監督のギレルモ・デル・トロなどによって引用された。

◎ 左翼・社会主義
: 学習院大学時代に社会主義や共産主義などの左翼運動を知り、大学で過ごした4年間で少しずつ傾倒していったという。実際に高畑勲らと入社後に激しい組合活動を行っている。宮崎は理論や理屈で物事を語る事を嫌っており(本を読む事も本来は好きではないと語っている)、政治についても経済学部出身ながら資本論などの理論書は読んでいないと率直に述べている。宮崎は「社会主義っていうのは、そんなに難しい問題じゃないんじゃないかと思いましたからね。希望ということなんじゃないかって思いましたから」と述べている。 : 冷戦終結後の1990年代、『もののけ姫』の公開後にかけて「社会主義への傾倒から照葉樹林文化論への転向」と分析する宮崎駿転向論もあったが、しかしこうした「左翼から転向した」という言説については宮崎自身が再三にわたって否定する発言をしている。宮崎はもともと統制的・強権的なソ連型社会主義には懐疑的で、ソ連や中国の「間違った社会主義」に対する批判は以前から行っており、「ソ連も嫌いな国ですが、中国も嫌いだし、アメリカも嫌いです。日本も嫌いだけどね」と発言している、後に「かつて毛沢東の写真を最初に見た時、なんて嫌な顔だろう、と思いました。周囲が『大きな温かい人だ』と言うから、たまたま写りが悪かったんだ、と思おうとしたけど、その勘を信じればよかった」と述べている。 : 宮崎は「左翼思想の根源にあったものっていうのは、時代を超えてもね、違う形をとっても同じだと思っています」と述べている。

◎ 反原発
: スタジオジブリの小冊子『熱風』2011年8号で、宮崎が「NO 原発」と書いたプラカードをぶら下げて歩く写真が表紙を飾った。表紙の説明には「6月11日、宮崎駿監督は東小金井で小さなデモをした」と書かれてある。6月11日は同年3月に発生した東日本大震災の福島第一原子力発電所事故に関連して全国一斉にデモなどが呼びかけられた「6・11脱原発100万人アクション」の一環として新宿では約2万人が参加した大規模な反原発デモが行われた日であった。この号の特集「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」には、宮崎駿、鈴木敏夫、河野太郎、大西健丞、川上量生による特別座談会が掲載され、宮崎は原発をなくすことに賛成と語っている。座談会では他に、1年前の2010年夏ごろ福島原発の施設内(福島県双葉郡富岡町の「エネルギー館」)に知らないうちにトトロなどのキャラクター商品を販売する店が置かれていたことが発覚し撤去させたことや、ジブリとしては原発に反対であることなども語られている。また、2011年6月16日からは、東京都小金井市のスタジオジブリの屋上に、宮崎の考案で「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と書かれた横断幕が掲げられている。

◎ 欧米世界への批判
: J・R・R・トールキンの作品『指輪物語』がピーター・ジャクソン監督により映画化された際、悪の勢力に味方するために象をつれて登場した人々が“アジア的”に描かれていたため、宮崎はこれを「黄人差別映画」であると批判した。また原作についても同様の批判を展開し、西洋ファンタジーの古典にそうした側面がある事を理解しない風潮を「馬鹿なんです」とも語った。また上述の流れからアメリカ映画(ハリウッド)全体に対しても「アメリカ人はダーッと撃ったらドイツが爆発したとか、相変わらずそんな映画ばかり作っている」「アフガニスタン戦争での誤爆と同じ理屈」など痛烈な批判を行い、(作り手の欧米人はともかく)日本人が一緒になって喜んでいる事を「信じられないぐらい恥ずかしい事」と評した。

● 影響を受けた作家・作品

◇ アーシュラ・K・ル=グウィン : ファンタジーの要素が含まれた作品を作る上で『指輪物語』を厳しく批判する一方、アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』からの影響をしばしば公言し、「シュナの旅」などの作品に現れている。1976年に翻訳版が出た直後から読み始めて以降、片時も手放さず、何時でも読める様に寝るときも枕元に『ゲド戦記』を置いていたという。後年にル=グウィンと面会した時には自分が今まで作ってきた作品には全て『ゲド戦記』から影響された部分があると語っている。
◇ サン=テグジュペリ : フランスの作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの愛読者であり、とくに『人間の土地』を何度も読んでいる。様々な著名人が思い入れのある土地を旅するNHKの番組『世界・わが心の旅』(1998年放送分)の企画で宮崎は、サン=テグジュペリの時代の飛行機で航空郵便のパリからトゥールーズ、さらにスペイン経由でサン=テグジュペリが所長を務めたカップ・ジュピー飛行場跡(モロッコ)まで訪れており、この中で「サン=テグジュペリに一番影響を受けている」と発言している。サン=テグジュペリが当時危険だった郵便機乗りとしての経験を通じ作品の中で「生命より尊いものがある」と断言したことなどに共感をしめしている。その時に描かれた絵がのちに新潮文庫の「夜間飛行」「人間の土地」の表紙に使用されているほか「人間の土地」の解説を書いている。
◇ 中尾佐助
◇ 堀田善衛
◇ 網野善彦 : 『もののけ姫』には、従来の日本の中世史ではあまり語られてこなかった、たたら(鑪・鈩)製鉄技術者集団、馬子運送業者、ハンセン病患者が登場し、女性が産業を担い発言権を持っている描写や、「天朝さまとはなんぞや。」と話す女性を登場させるなど、網野善彦の中世史観の影響が強く窺える。この作品については、網野自身も自著において「ずいぶん勉強した上でつくられている」と高く評価する。
◇ レフ・アタマーノフ : 宮崎はの『雪の女王 (1957年の映画)』を見た時に、「目の上のラインは実線で描くが下の所には色線を描くというのを見て、こういう眼差しが優しくなる描き方があるのかと驚嘆した。それまでは上下両方とも実線で繋げた切れ長の目を描いていたが、そこから抜け出すヒントが雪の女王の中にあった。外国人がなんで日本のアニメーションはみんな目の線が切れているんだと言うけれど、僕らは雪の女王から貰った。」と語っている。
◇ 映画化に関連する作家・作品 : ある作品を原作として宮崎駿がその物語を脚色しアニメーション映画化された例もあり、角野栄子の『魔女の宅急便』、柊あおいの『耳をすませば』、堀辰雄の『風立ちぬ』、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』などがある。
◇ 上記以外の作品 : 20世紀のなかで最も影響を受けたものとして、ブルース・スプリングスティーン、映画『イージー・ライダー』、そしてジョン・フォードの監督作品、とりわけヘンリー・フォンダ主演『荒野の決闘』を挙げている。そのほかに、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』、ノーマン・メイラーの『裸者と死者』、デヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』、フリッツ・パペンハイムの『The Alienation of Modern Man』といった本からも影響を受けたと述べている。 : ルイ・マル ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォー同じくフランス映画のヌーヴェルヴァーグを代表するルイ・マル(死刑台のエレベーターや鬼火でしられる)を敬愛しており、さよなら子供たち公開時には劇場パンフレットに山田宏一や辻邦生、黒田邦雄、スタンリー・ホフマンらと共に、宮崎は同作の評やマル論などを書いており、この宮崎評なども高く評価されている。 : 他者などの指摘
・ 鈴木敏夫 :鈴木は宮崎に影響を与えた、日本映画の大きな流れとして、「黒澤明の強さ、木下恵介の弱さ」と、そして「内田吐夢作品の祝福されてこずに生まれた者の業」「抑えきれない怒りなどの衝動」を指摘し、内田作品の宮崎への影響として、「ナウシカ」で父を殺されたナウシカの怒りなどを挙げ、特に宮崎が好きな作品としてたそがれ酒場を挙げ、また宮崎が山中貞雄作品河内山宗俊(1936年)をテレビで見て衝撃&感動を受けた様子などを著書「映画道楽」(ぴあ (2005/4/1)。)に書き記した。また宮崎と鈴木はヘンリー・フォンダ主演のテキサスの五人の仲間が大好きである。1970年前半ころから映画やテレビを見る習慣を無くしており、宮崎いわく「映画を見てるよりも街を歩いている方が大切」といい、鈴木いわく「宮さんは未だに(2008年当時)ゴッドファーザー(フランシス・フォード・コッポラ監督)すら見てませんから」とのこと
・押井守 : 前述のように手塚治虫は漫画家としては尊敬していても、アニメ制作者として批判し、リミテッドアニメや虫プロ関連は批判しており嫌いだが、例外が富野由悠季(代表作は海のトリトンや機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン)であり、押井いわく「宮さんと富野さんは仲良しでさ、たまに電話して話してるんだ」「宮さんは虫プロは大嫌いだけど、富野さんだけは例外で好きで、富野さんは苦労人だから、そこも気に入ってる」と評し、しかし富野だけが例外であり、手塚アニメや虫プロ関係者は嫌っており、特に出崎統は痛烈に批判している。またリミテッドアニメについて押井は「宮さんはリミテッドアニメ嫌いだけど、日本アニメはリミテッドアニメで進化した」と評している。
・北爪宏幸 : 自身が関わることの多かった富野由悠季と比較して、作画視点でのアニメーションは素晴らしく完成度が高いが、登場人物の葛藤や確執と言った、映像面では描きにくい深層心理の描写は思いの外少なく、富野由悠季とは対極の位置にいる存在であると述べている。
・イギリスのウェブサイトが報じた宮崎のお気に入り映画10選

● 評価


◎ 幾原邦彦
アニメーション監督で音楽プロデューサーの幾原邦彦は、宮崎駿の人間性について、同年代の富野由悠季と類似した部分があると前置きした上で、若手に対する強迫観念があり、有能な若手アニメーターの手腕は評価するが、演出については酷評している点に注目して、監督として一番欲しいのは従順で腕の言いアニメーターであり、才能ある若手の演出力とその台頭を恐れていると指摘している。

● 作品


◎ 長編映画
※監督作のみ太字
 公開年  作品名  制作(配給)  役職
 1963年  12月21日  わんわん忠臣蔵   東映動画
(東映)  動画
 1965年  3月20日  ガリバーの宇宙旅行  原画
動画
ラストの演出
 1968年  7月21日  太陽の王子 ホルスの大冒険  場面設計
美術設計
原画
  1969年  3月18日  長靴をはいた猫  原画
 7月20日  空飛ぶゆうれい船  原画
  1971年  3月20日  どうぶつ宝島  アイデア構成
原画
 7月18日  アリババと40匹の盗賊  原画
 1972年  12月17日  パンダコパンダ   東京ムービー
(東宝)  原案
脚本
場面設定
原画
 1973年  3月17日  パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻  脚本
美術設定
画面構成
原画
 1979年  12月15日  ルパン三世 カリオストロの城  東京ムービー新社
(東宝)  脚本(山崎晴哉と共同)
監督
 1982年  7月3日  SPACE ADVENTURE コブラ  東京ムービー新社
(東宝東和)  原画(ノンクレジット)
 1984年  3月11日  未来少年コナン 巨大機ギガントの復活  日本アニメーション
(松竹)  監督
 1984年  3月11日  風の谷のナウシカ  徳間書店
博報堂
トップクラフト
(東映)  原作
脚本
監督
 1986年  8月2日  天空の城ラピュタ  徳間書店
スタジオジブリ
(東映)  原作
脚本
監督
EDテーマ『君をのせて』作詞
 1987年  8月15日  柳川堀割物語  二馬力  製作
 1988年  4月16日  となりのトトロ  徳間書店
スタジオジブリ
(東宝)  原作
脚本
監督
EDテーマ『となりのトトロ』作詞
 1989年  7月29日  魔女の宅急便  徳間書店
ヤマト運輸
日本テレビ
スタジオジブリ
(東映)  プロデューサー
脚本
絵コンテ(近藤喜文と共同)
監督
 1991年  7月20日  おもひでぽろぽろ  徳間書店
日本テレビ
博報堂
スタジオジブリ
(東宝)  製作プロデューサー
 1992年  7月18日  紅の豚  徳間書店
日本航空
日本テレビ
スタジオジブリ
(東宝)  原作
脚本
監督
 1994年  7月16日  平成狸合戦ぽんぽこ   徳間書店
日本テレビ
博報堂
スタジオジブリ
(東宝)  企画
  1995年   7月15日  耳をすませば  製作プロデューサー
脚本
絵コンテ(近藤喜文と共同)
EDテーマ『カントリー・ロード』補作
 On Your Mark〜ジブリ実験劇場  原作
脚本
監督
 1997年  7月12日  もののけ姫  徳間書店
日本テレビ
電通
スタジオジブリ
(東宝)  原作
脚本
監督
主題歌『もののけ姫』作詞
 1999年  7月17日  ホーホケキョ となりの山田くん  徳間書店
スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン
日本テレビ
博報堂
(松竹)  制作
 2001年  7月20日  千と千尋の神隠し  徳間書店
スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン
日本テレビ
電通
東北新社
三菱商事
ディーライツ
(東宝)  原作
脚本
監督
 2002年  7月20日  猫の恩返し  徳間書店
スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン
日本テレビ
博報堂
三菱商事
ディーライツ
(東宝)  企画
 2004年  11月20日  ハウルの動く城  徳間書店
スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・ジャパン
日本テレビ
電通
三菱商事
ディーライツ
(東宝)  企画
脚本
監督
 2006年  7月29日  ゲド戦記   スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・ジャパン
日本テレビ
電通
博報堂DYメディアパートナーズ
三菱商事
ディーライツ
(東宝)  原案
 2008年  7月19日  崖の上のポニョ  原作
脚本
監督
OPテーマ『海のおかあさん』作詞(共同)
EDテーマ『崖の上のポニョ』補作詞
 2009年  3月14日  ルパン三世 1st.TVシリーズ  トムス・エンタテインメント (三鷹の森ジブリ美術館) ※特別上映  監督(高畑勲と共同)
  2010年  6月18日  トイ・ストーリー3  ピクサー・アニメーション・スタジオ  スペシャルサンクス
 7月17日  借りぐらしのアリエッティ  スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・ジャパン
日本テレビ
電通
博報堂DYメディアパートナーズ
三菱商事
ディーライツ
ワイルドバンチ
(東宝)  企画
脚本(丹羽圭子と共同)
美術設定
 2011年  7月16日  コクリコ坂から  スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・ジャパン
日本テレビ
電通
博報堂DYメディアパートナーズ
三菱商事
ディーライツ
(東宝)  企画
脚本(丹羽圭子と共同)
 2013年  7月20日  風立ちぬ  スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・ジャパン
日本テレビ
電通
博報堂DYメディアパートナーズ
三菱商事
ディーライツ
KDDI
(東宝)  原作
脚本
監督
 2023年  7月14日  君たちはどう生きるか  スタジオジブリ  原作
脚本
監督



◎ 短編映画

 公開年  作品名  制作(配給)  役職
 1977年  4月23日  草原の子テングリ  雪印乳業
桜映画社
シンエイ動画  レイアウト(ノンクレジット)
  2001年   10月1日  フィルムぐるぐる   スタジオジブリ  絵コンテ
監督
 くじらとり  脚本
監督
  2002年  1月3日  コロの大さんぽ  原作
脚本
監督
 10月2日  空想の機械達の中の破壊の発明  企画
 9月29日  めいとこねこバス  原作
脚本
監督
トトロ役
   空想の空飛ぶ機械達  原作
脚本
監督
ナレーション
  2006年   1月3日  水グモもんもん   原作
脚本
監督
 やどさがし
 星をかった日  脚本
監督
  2010年  1月3日  ちゅうずもう  企画
脚本
 11月20日  パン種とタマゴ姫  原作
脚本
監督
 2011年  6月4日  たからさがし  企画
構成
 2018年  3月21日  毛虫のボロ  原作
脚本
監督


◎ テレビ

 期間番組名制作(放送局)役職放送タイトル
 1964年6月7日  1965年8月31日  少年忍者風のフジ丸   NETテレビ
東映アニメーション   原画(手伝い)   
 1966年4月23日  1967年3月24日  レインボー戦隊ロビン
 1969年1月6日  1970年10月26日  ひみつのアッコちゃん
 1969年10月5日  1970年12月27日  ムーミン  フジテレビ
瑞鷹
シンエイ動画
トムス・エンタテインメント  原画  第23話「チビのミー大作戦」
   1971年10月24日    1972年3月26日   ルパン三世   よみうりテレビ
トムス・エンタテインメント  演出(高畑勲と共同)  第4話以降
 原画  第9話「殺し屋はブルースを歌う」
第14話「エメラルドの秘密」
第15話「ルパンを捕まえてヨーロッパへ行こう」
第16話「宝石横取り作戦」
第17話「罠にかかったルパン」
第18話「美人コンテストをマークせよ」
第19話「どっちが勝つか三代目」
第21話「ジャジャ馬娘を助けだせ」
第23話「黄金の大勝負」
 1972年4月5日  1973年3月28日  赤胴鈴之助  フジテレビ
トムス・エンタテインメント  絵コンテ  第26話「やったぞ赤胴真空斬り」
第27話「大暴れ真空斬り」
第41話「キリシタンの秘宝」
 1973年3月2日  1973年9月28日  ジャングル黒べえ  毎日放送
トムス・エンタテインメント  キャラクター原案  全話
 1973年10月7日  1974年9月29日  侍ジャイアンツ  よみうりテレビ
トムス・エンタテインメント  原画  第1話「ほえろバンババン」
 1974年1月6日  1974年12月29日  アルプスの少女ハイジ  フジテレビ
瑞鷹  場面設定
画面構成  全話
 1975年1月5日  1975年12月28日  フランダースの犬  フジテレビ
瑞鷹
日本アニメーション  原画  第15話「古い帳簿」
   1976年1月4日    1976年12月26日   母をたずねて三千里   フジテレビ
日本アニメーション  場面設定
レイアウト  全話
  原画  第2話「ジェノバの少年マルコ」
 1977年1月2日  1977年12月25日  あらいぐまラスカル  第4話「ミルウォーキーのお月さま」
第5話「オスカーへの贈り物」
第6話「さようならスカンクたち」
第10話「はじめての探検」
第12話「本と1セント銅貨」
第13話「夏休みの第一日」
第14話「母のない子」
第15話「アリスと友達になれたらなあ」
第16話「楽しいパーティの夜」
第17話「ラスカルの冒険」
第18話「森で会った不思議な青年」
第19話「ラスカルとトウモロコシ」
第20話「スターリングの悲しみ」
第21話「あぶないラスカル」
第22話「森と湖と動物たち」
第24話「走れ走れぼくらのカヌー」
第25話「森で見つけた仔鹿」
第26話「森と湖の夏まつり」
第28話「檻の中」
 1977年10月3日  1980年10月6日  ルパン三世  日本テレビ
トムス・エンタテインメント  脚本
絵コンテ
演出  第145話「死の翼アルバトロス」
第155話「さらば愛しきルパンよ」
   1978年4月4日    1978年10月31日   未来少年コナン   NHK
日本アニメーション  キャラクターデザイン
メカニックデザイン
場面設定
演出
監督  全話
 絵コンテ  第1話「のこされ島」
第2話「旅立ち」
第3話「はじめての仲間」
第4話「バラクーダ号」
第8話「逃亡」
第15話「荒地」
第16話「二人の小屋」
第17話「戦闘」
第18話「ガンボート」
第19話「大津波」
第22話「救出」
第23話「太陽塔」
第24話「ギガント」
第25話「インダストリアの最期」
第26話「大団円」
 1979年1月7日  1979年12月30日  赤毛のアン  フジテレビ
日本アニメーション  場面設定
画面構成  第1話「マシュウ・カスバート驚く」
第2話「マリラ・カスバート驚く」
第3話「グリーン・ゲイブルズの朝」
第4話「アン・生立ちを語る」
第5話「マリラ決心する」
第6話「グリーン・ゲイブルズのアン」
第7話「レイチェル夫人恐れをなす」
第8話「アン日曜学校へ行く」
第9話「おごそかな誓い」
第10話「アン・心の友と遊ぶ」
第11話「マリラ・ブローチをなくす」
第12話「アン・告白をする」
第13話「アン・学校へ行く」
第14話「教室騒動」
第15話「秋の訪れ」
 1980年10月3日  1981年9月25日  太陽の使者 鉄人28号  日本テレビ
トムス・エンタテインメント  原画(Aパート担当)  第8話「恐怖の殺人合体ロボ」
   1984年11月6日    1985年5月20日   名探偵ホームズ   テレビ朝日
トムス・エンタテインメント
RAI
REVER  脚本  第3話「小さなマーサの大事件?」
 絵コンテ
演出  第3話「小さなマーサの大事件?」
第4話「ミセス・ハドソン人質事件」
第5話「青い紅玉」
第9話「海底の財宝」
第10話「ドーバー海峡の大空中戦」
 監督  第3話「小さなマーサの大事件?」
第5話「青い紅玉」
第9話「海底の財宝」
第11話「ねらわれた巨大貯金箱」
    2020年12月30日   アーヤと魔女   NHK
NHKエンタープライズ
スタジオジブリ   企画  


● その他の作品


◎ 漫画・絵物語・イメージボードなど

・ 長靴をはいた猫
・ 砂漠の民(秋津三朗名義)
・ どうぶつ宝島 ※以上は初期作品
・ 妹へ(「宮崎駿・大塚康生の世界」に収む)
・ 風の谷のナウシカ(全7巻)※第23回日本漫画家協会賞大賞受賞
・ シュナの旅 徳間書店アニメージュ文庫※アイズナー賞最優秀アジア作品(Best U.S. Edition of International Material—Asia)受賞
・ 駆けろ二馬力 風より疾く(『NAVI』1989年12月号、『CAR GRAPHIC』2010年8月号、各二玄社)
・ 空中でお食事(日本航空のJALWINDS、1994年6月号に収む)
・ 風の谷のナウシカ-宮崎駿水彩画集 徳間書店
・ もののけ姫 徳間書店
・ 飛行艇時代 「紅の豚」原作(大日本絵画 1992年、増補改訂版2004年)
・ 宮崎駿の雑想ノート(大日本絵画 1992年、増補改訂版1997年)
 ・ 知られざる巨人の末弟
 ・ 甲鉄の意気地
 ・ 多砲塔の出番
 ・ 農夫の眼
 ・ 竜の甲鉄
 ・ 九州上空の重轟炸機
 ・ 高射砲塔
 ・ Q.ship
 ・ 特設空母安松丸物語
 ・ ロンドン上空1918年
 ・ 最貧前線
 ・ 飛行艇時代
 ・ 豚の虎
・ 宮崎駿の妄想ノート(大日本絵画 2002年8月)
 ・ ハンスの帰還
 ・ 泥まみれの虎
・ 『ブラッカムの爆撃機』 ロバート・ウェストール・作、宮崎駿・編、金原瑞人訳(児童書、岩波書店、2006年)
・ 『水深五尋』 ロバート・ウェストール・作、金原瑞人・野沢佳織訳(岩波書店、2009年3月)
 ・ 続篇、チャス・マッギルのもう1つの物語
・ 風立ちぬ 宮崎駿の妄想カムバック(大日本絵画、2015年11月)、『モデルグラフィックス』に連載

◎ デザインワーク

・ TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号」
・ TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜」
・ 実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船
・ 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」(TVCMのアニメでは演出も担当)
・ 神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」
・ 三鷹の森ジブリ美術館
 ・ 「幽霊塔へようこそ展 通俗文化の王道」 展示漫画描き下ろし
・ 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」
・ 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」
・ 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」
・ 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ」
・ 日本テレビ社屋外壁(マイスタジオ上)の大からくり時計「日テレ大時計」
・ 広島県福山市鞆町の坂本龍馬のゆかりの宿「御舟宿いろは」
・ 小金井市のイメージキャラクター「こきんちゃん」
・ 日本アニメ(ーター)見本市のロゴ(題字)

◎ 作詞

・ 『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』主題歌)
・ 『となりのトトロ』(『となりのトトロ』主題歌)
・ 『風のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)
・ 『カントリー・ロード』(『耳をすませば』主題歌)※補作
・ 『バロンのうた』(『耳をすませば』イメージアルバム より)
・ 『もののけ姫』 (『もののけ姫』 主題歌)
・ 『タタラ踏む女達』 (『もののけ姫』 挿入歌)
・ 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム
 ・ 『神々さま』
 ・ 『油屋』
 ・ 『さみしい さみしい』
 ・ 『白い竜』
・ 『崖の上のポニョ』イメージアルバム
 ・ 『崖の上のポニョ』(『崖の上のポニョ』主題歌)※補作詞
 ・ 『いもうと達』
 ・ 『ポニョの子守唄』
 ・ 『ひまわりの家の輪舞曲』
・ 『お母さんの写真』(CMソング)

◎ 著書(対談・インタビュー・共著も含む)

・ 『トトロの住む家』 (画文集/写真和田久士) 朝日新聞社(1991年)/増補改訂版 岩波書店(2011年1月)
・ 『時には昔の話を』(加藤登紀子との共著、絵本、対談) 徳間書店(1992年)
・ 『時代の風音』(司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談) UPU(1992年)。 朝日文芸文庫(1997年)
・ 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒澤明との対談集) スタジオジブリ(1993年)
・ 『巨樹を見に行く―千年の生命との出会い』(共著) 講談社カルチャーブックス(1994年)
・ 『出発点 1979〜1996』(エッセイ・発言集) 徳間書店(1996年)
・ 『教育について』(共著、インタビュー集) 旬報社(1998年)
・ 『虫眼とアニ眼』(養老孟司との対談) スタジオジブリ(2002年)。新潮文庫(2008年2月)
・ 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(渋谷陽一によるインタビュー集)ロッキング・オン(2002年)。文春ジブリ文庫(2013年11月)
・ 『折り返し点 1997〜2008』(エッセイ・発言集) 岩波書店(2008年)
・ 『本へのとびら―岩波少年文庫を語る』(お薦め本50冊の紹介) 岩波新書カラー版(2011年10月)
・ 『腰ぬけ愛国談義』(半藤一利との対談)、文春ジブリ文庫 (2013年8月)
・ 『続・風の帰る場所―映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか』(渋谷陽一によるインタビュー集)ロッキング・オン(2013年)

◎ 表紙イラスト

・ 『チェスタトンの1984年/新ナポレオン奇譚』(ギルバート・チェスタトン)、春秋社(1984年)
・ 『惑星カレスの魔女』(ジェイムズ・ヘンリー・シュミッツ)、新潮文庫(1987年)、創元推理文庫(1996年)
・ 『夜間飛行』(サン=テグジュペリ)、新潮文庫 (1993年、改版2012年)※新装カバー
・ 『人間の土地』(サン=テグジュペリ)、新潮文庫(1998年、改版2012年)※新装カバー
・ 『真夜中の電話』(ロバート・ウェストール)、徳間書店(2014年)
・ 『遠い日の呼び声』(ロバート・ウェストール)、徳間書店(2014年)
・ 『幽霊塔』(江戸川乱歩)、岩波書店(2015年)

◎ 実写作品

・ 巨神兵東京に現わる(2012年、巨神兵)

● 絵コンテ集


◎ 劇場用アニメーション映画

・ パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)
・ ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)
・ 風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳間書店)
・ 天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳間書店)
・ となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3(徳間書店)
・ 魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳間書店)
・ 紅の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳間書店)
・ 耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳間書店)
・ もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳間書店)
・ 千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳間書店)
・ ハウルの動く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳間書店)
・ 崖の上のポニョ スタジオジブリ絵コンテ全集16(徳間書店)
・ 風立ちぬ スタジオジブリ絵コンテ全集19(徳間書店)
・ 君たちはどう生きるか スタジオジブリ絵コンテ全集23(徳間書店) 

◎ テレビアニメーション

・ ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば愛しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)
・ 名探偵ホームズ 小さなマーサの大事件?/ミセス・ハドソン人質事件/青い紅玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)
・ 名探偵ホームズ 海底の財宝/ドーバー海峡の大空中戦/ねらわれた巨大貯金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期(徳間書店)

● 幻の作品
宮崎駿が関与・企画・構想するも諸般の事情で幻に終わった、もしくは実現していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮題である。
◇ サイン・コサイン・シータ : 大学時代の子供向け人形劇用の脚本。舞台は精神病院、少年アルファ何号と、少女シータ何号による物語。上演は実現しなかった。
◇ 長くつ下のピッピ : 1971年頃、アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品。企画した東京ムービー社長の藤岡豊自らスウェーデンに赴いて原作者から映画化の承諾を得ようとしたが、面会できずに頓挫する。このとき、宮崎はロケハンの目的で藤岡に同行し、現地で見た風景や家屋をもとに帰国後にイメージボードを描いている。残った制作資料は、子息である宮崎吾朗が『山賊のむすめローニャ』をアニメ化した際に原作者(の著作権継承者)サイドの許諾が下りて、『幻の「長くつ下のピッピ」』(岩波書店、2014年10月、高畑勲・小田部羊一共著)として刊行され、宮崎によるイメージとストーリーボードおよびインタビューが掲載されている。また、鈴木敏夫によると、スタジオジブリ設立後も宮崎と何度もアニメ映画化について相談したが結局実現せず、リンドグレーンの没後に著作権継承者からジブリにオファーがあったときには宮崎は「遅すぎる」「時機を逸してしまった」と述べたという。コロポックルを主人公とし、彼らが人間のものを「狩猟」と称して勝手に持ち出すストーリーで、キャラクターもデザインした。
◇ 突撃アイアンポーク : 1985年頃、「宮崎駿の雑想ノート」から派生したOVA作品の企画で、これも監督に押井守が予定されていた。
◇ 大東京物語 : ふくやまけいこの漫画。後に現代には合わないと判断している。
◇ 墨攻 : 古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説。構想では、敵に包囲された都市を1人の墨者が防衛するというもの。押井守の監督で検討されたが宮崎と話が食い違い、消滅する。
◇ 東京汚穢合戦 : 宮崎が1997年、NHK番組『トップランナー』に出演した時に語ったもの。
◇ ゴチャガチャ通りのリナ : 柏葉幸子原作の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』
◇ 煙突描きのリン : 架空の震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でそのプロットが見られる。かなり具体的に構想され、約1年間の検討の末にボツとなった。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となり、主人公の「リン」の名は同映画の登場人物に再使用されている。
◇ 毛虫のボロ : 長年宮崎が温めてきた「虫の視点から世界を描く」という企画。長編化困難として『もののけ姫』の前に一旦ボツになったが、ジブリ美術館用の短編として完成した。
◇ 旅のラゴス : 筒井康隆原作のSFファンタジー小説
◇ ジョナサンと宇宙クジラ : ロバート・F・ヤングのSF小説
◇ 名探偵芥川龍之介対夏目漱石 : 明治の文豪が出てくる探偵モノ。
◇ ポルコ・ロッソ 最後の出撃 : 紅の豚の続編
◇ 宮崎駿版ゲド戦記 : 宮崎は本作の古くからのファンであり、1980〜90年代に出版社および原作者に対し、二度映画化の打診を行い断られている。その後2000年代に入り宮崎の映画が原作者にも知られることとなり、「もし「ゲド戦記」を映像化するとしたら、OKを出せるのはあの人だけ」と言わしめるが、当の宮崎は既に本作に対する当時の情熱を失っており、紆余曲折の末宮崎の息子の吾朗により映画化された。
◇ 鉄砲侍 : 長編監督引退後を参照。

● 出演


◎ 長編映画

・ 「もののけ姫」はこうして生まれた。(スタジオジブリ、1998年6月26日発売、VHS)-『もののけ姫』の創作現場密着ドキュメンタリー
・ ラセターさん、ありがとう 〜「千と千尋」アカデミー賞受賞に隠された宮崎駿とジョン・ラセターの20年にわたる友情〜(スタジオジブリ、2003年11月19日発売、DVD)- 宮崎駿とジョン・ラセターの密着ドキュメンタリー
・ 宮崎駿プロデュースの1枚のCDは、こうして生まれた。(二馬力、2004年8月6日発売、DVD)-「お母さんの写真」の創作現場密着ドキュメンタリー
・ 宮崎駿とジブリ美術館(スタジオジブリ、2005年3月18日、DVD)
・ ポニョはこうして生まれた。 〜宮崎駿の思考過程〜(NHKエンタープライズ、2009年12月8日発売、DVD・Blu-ray)-『崖の上のポニョ』の創作現場密着ドキュメンタリー
・ 夢と狂気の王国(ドワンゴ、2013年11月16日公開)-『風立ちぬ』の創作現場密着ドキュメンタリー

◎ 短編映画

・ もののけ姫 in U.S.A.(スタジオジブリ、2000年4月29日公開)
・ オーニソプター物語〜飛べ!ひよどり天狗号(スタジオジブリ、2002年10月2日公開)

◎ テレビ特集

・ 世界・わが心の旅「サンテグジュペリ 大空への夢 〜南仏からサハラ〜」(BS2、1999年放送)
・ プロフェッショナル 仕事の流儀「映画を創る 〜宮崎駿・創作の秘密〜」(NHK、2007年3月27日放送)
・ プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル「宮崎駿のすべて 〜ポニョ密着300日〜」(NHK、2008年8月5日放送)-『崖の上のポニョ』の創作現場密着ドキュメンタリー
・ 「NHK ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎 駿×宮崎吾朗〜」(NHK、2011年8月放送)-『コクリコ坂から』の創作現場密着ドキュメンタリー
・ NHKスペシャル「終わらない人 宮﨑駿」(NHK、2016年11月13日放送)-『毛虫のボロ』の創作現場密着ドキュメンタリー
・ BS1スペシャル「さようなら全てのエヴァンゲリオン〜庵野秀明の1214日〜」(BS1、2021年4月29日放送)
・ プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル「ジブリと宮﨑駿の2399日」(NHK、2023年12月16日放送)-『君たちはどう生きるのか』の創作現場密着ドキュメンタリー

● 受賞歴

 日本アニメ大賞  1984年  作品賞  『風の谷のナウシカ』    
 1986年  特別賞  
    
  1988年  作品賞   『となりのトトロ』    
 脚本賞    
 星雲賞  1985年  映画演劇部門  『風の谷のナウシカ』    
 1989年  映画演劇部門  『となりのトトロ』    
 1995年  コミック部門  『風の谷のナウシカ』    
 毎日映画コンクール  1986年  大藤信郎賞  『天空の城ラピュタ』    
  1988年  日本映画大賞   『となりのトトロ』     
 大藤信郎賞  
 1989年  アニメーション映画賞  『魔女の宅急便』    
 1992年  アニメーション映画賞  『紅の豚』    
  1997年  日本映画大賞   『もののけ姫』     
 アニメーション映画賞  
  1997年  日本映画大賞   『千と千尋の神隠し』     
 監督賞  
 アニメーション映画賞  
 2008年  大藤信郎賞  『崖の上のポニョ』    
 ブルーリボン賞  1988年  特別賞  『となりのトトロ』    
 1997年  特別賞  『もののけ姫』    
 2001年  作品賞  『千と千尋の神隠し』    
 報知映画賞  1988年  監督賞  『となりのトトロ』     
 2001年  監督賞  『千と千尋の神隠し』  
 芸術選奨  1989年  文部大臣賞(映画部門)  『となりのトトロ』    
 ゴールデングロス賞   1989年  最優秀金賞  『魔女の宅急便』     
 マネーメイキング監督賞  
  
  1992年  最優秀金賞  『紅の豚』     
 マネーメイキング監督賞  
  
 1997年  最優秀金賞  『もののけ姫』    
  2001年  最優秀金賞  『千と千尋の神隠し』     
 マネーメイキング監督賞  
  
  2005年  最優秀金賞  『ハウルの動く城』     
 マネーメイキング監督賞  
  
  2008年  最優秀金賞  『崖の上のポニョ』     
 マネーメイキング監督賞  
  
  2013年  最優秀金賞  『風立ちぬ』     
 全興連特別功労大賞  
  
 2014年  全興連特別賞  
    
 アヌシー国際アニメーション映画祭  1993年  長編部門クリスタル賞(グランプリ)  『紅の豚』    
 日本漫画家協会賞  1994年  大賞  『風の谷のナウシカ』    
 日本アカデミー賞  1997年  作品賞  『もののけ姫』    
  2001年  作品賞  『千と千尋の神隠し』     
 会長功労賞  
  
 2008年  アニメーション作品賞  『崖の上のポニョ』    
 日刊スポーツ映画大賞  1997年  監督賞  『もののけ姫』     
 2001年  作品賞  『千と千尋の神隠し』  
 アニメーション神戸  1997年  部門賞・演出部門  
     
 2001年  作品賞・劇場部門  『千と千尋の神隠し』  
 文化庁メディア芸術祭  1997年  アニメーション部門大賞  『もののけ姫』    
 2001年  アニメーション部門大賞  『千と千尋の神隠し』    
 川喜多賞  2020年 
  
    
 アニー賞  1998年  ウィンザー・マッケイ賞  
    
  2002年  長編作品賞   『千と千尋の神隠し』     
 長編作品監督賞  
 長編作品脚本賞  
 2013年  長編作品脚本賞  『風立ちぬ』    

 ベルリン国際映画祭  2002年  金熊賞  『千と千尋の神隠し』    
 アカデミー賞  2002年  長編アニメーション映画賞  『千と千尋の神隠し』    
 2005年  長編アニメーション映画賞  『ハウルの動く城』    
 2013年  長編アニメーション映画賞  『風立ちぬ』    
 2014年  名誉賞  
    
 2023年  長編アニメーション映画賞  『君たちはどう生きるか』    
 ニューヨーク映画批評家協会賞  2002年  アニメ映画賞  『千と千尋の神隠し』     
 2005年  アニメ映画賞  『ハウルの動く城』  
 2013年  アニメ映画賞  『風立ちぬ』  
 ロサンゼルス映画批評家協会賞  2002年  アニメ映画賞  『千と千尋の神隠し』     
 2013年  アニメ映画賞  『風立ちぬ』  
 2018年  功労賞  
  
 ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞  2002年  アニメ映画賞  『千と千尋の神隠し』    
 2013年  アニメ映画賞  『風立ちぬ』    
 ザグレブ国際アニメーション映画祭  2004年  功労賞  
    
 バークレー日本賞  2009年  
  
    
 アイズナー賞  2014年  漫画家の殿堂  
    
 2023年  最優秀アジア作品(Best U.S. Edition of International Material—Asia)  『シュナの旅』    
 サン・セバスティアン国際映画祭  2023年  ドノスティア賞  
    
 ゴールデングローブ賞  2023年  最優秀アニメーション映画賞  『君たちはどう生きるか』    

「宮崎駿」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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