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周防 正行(すお まさゆき、1956年10月29日 -)は、日本の映画監督、脚本家。太田出版監査役。高校卒業後に2年間浪人生活を送る。学生時代は、バイトで金を貯めては独自に8ミリ映画作りをする日々を送った。
当時映画界は斜陽産業で映画会社の社員採用試験がなかったが、そんな状況でもピンク映画が作品を量産していたことから、周防はどうにかその撮影現場に入る方法はないかと思案していた。大学4年生の頃とある劇団の女優の紹介で運良く高橋伴明と知り合い、「助監督にして下さい」と頼んで承諾をもらった。
◎ ピンク映画の制作
その後イメージフォーラム映像研究所に進みながら、高橋・若松孝二・井筒和幸といった監督のもとで助監督として修行を積む。この作品では、好きだった小津安二郎のカメラワークを再現、同監督へのオマージュに終始したことが功を奏して、『朝日新聞』で蓮實がその年のベスト5にあげた。
これがピンク映画以外の業界人にも作品を見てもらえるきっかけとなり、ピンク映画以外の映像製作の仕事を依頼されるようになった。その後はカラオケビデオなど色々な映像制作で経験を積んだ。
◎ 「ファンシイダンス」「シコふんじゃった。」で注目
その後、矢島周平名義にてピンク映画にかかわるが、1989年の『ファンシイダンス』で高い評価を得たことから、一般映画に進出することになる。
1992年公開の『シコふんじゃった。』で高い評価を獲得し、興行的成功と共に国内の映画賞を総なめにすると、同年には山路ふみ子文化財団特別賞も受賞。翌年にはアルタミラピクチャーズの設立に参加。
◎ 「Shall we ダンス?」が記録的な大ヒット
1996年に公開された『Shall we ダンス?』では、それまではマイナーだった社交ダンスの人気に火をつけ、記録的なヒットと共に再び国内の映画賞を総なめにする。この作品の成功により、映画監督しての名声を確固のものとした。
また同作において、アメリカの配給会社ミラマックスの元、北米でも公開されると日本映画としては異例の成功も収め、放送映画批評家協会賞やナショナル・ボード・オブ・レビュー賞などの全米各地の映画賞で外国語映画賞を受賞した(ただし、アカデミー外国語映画賞には日本代表としては選出されず、その他の部門でのノミネートもならなかった)。
また、翌年7月には、そのミラマックスと、以後の映画製作に関するファーストルック契約を結ぶ(現在は失効)。
◎ 2000年代
2007年に太田出版の監査役に就任。映画『マルサの女』のメイキングビデオの演出を行った関係で、伊丹十三監督の名前を冠した伊丹十三賞の選考委員を務めている。
2008年、『それでもボクはやってない』が2007年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門の1位に選ばれる。2009年、草刈民代とともに第2回プラチナ夫婦アワードを受賞。
◎ 2010年代
2011年6月に発足した『新時代の刑事司法制度特別部会』の委員に選ばれ、「取り調べの全面可視化」「証拠の全面開示」「人質司法改善すること」を主張。
2013年、『終の信託』で毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞した。翌2014年、山路ふみ子映画賞において第31回文化賞を受賞した。
2016年、春の紫綬褒章を受章。
2018年3月13日より、立教大学相撲部の名誉監督に就任している。
● その他
好きな映画監督は小津安二郎。「もし小津監督の存命時に会えていたとしても、憧れすぎてそばに行けないほど緊張したと思う」と語っている
● メディア出演
・ ETV特集「生誕120年・没後60年 小津安二郎は生きている」(2023年12月2日、NHK Eテレ)
「周防正行」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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