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五社 英雄(ごしゃ ひでお、1929年(昭和4年)2月26日 - 1992年(平成4年)8月30日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家。本名の読みは「ごしゃ えいゆう」。明治大学商学部卒業。ニッポン放送プロデューサー、フジテレビ映画部長、五社プロダクション社長を務めた。テレビ業界出身の映画監督第1号である。
時代劇の殺陣において、竹光でなくジュラルミンの刀身を採用して俳優の迫真の演技を引き出し、刀と刀がぶつかる際の金属音や、人が斬られる時の効果音を音響スタッフと共に独自に開発したことで知られる。
● 来歴
◎ 生い立ち
1929年(昭和4年)2月26日、東京府北豊島郡滝野川町大字西ヶ原(現・東京都北区西ヶ原)で生まれる。父親は吉原の近くで飲食店を営んでいたが、英雄が誕生した頃は古河財閥の使用人(用心棒のような仕事)をしており、母親は英雄を産んだ時42歳であった。
高視聴率のドラマを連発し、フジテレビの看板ディレクターとなった五社は、黒澤明のような時代劇の演出を目指した。
松竹のスタッフはテレビ局のディレクターの五社に反感を持ち、様々な嫌がらせしたこともあったが、平然としてエネルギッシュな演出をみせる五社と次第に打ち解けていった。夏八木と五社はお互い下町育ちで、「なっちゃん」「五社亭」と呼び合う仲になっていった。五社は、深作欣二監督・丸山明宏主演の『雪之丞変化』、田中徳三監督・天知茂主演の『無宿侍』、円谷プロダクションと提携し不条理ホラー『恐怖劇場アンバランス』などを製作するが、丹波哲郎発案の『ジキルとハイド』の内容が過激すぎ、試写を見た上層部が難色を示して、映画部長を解任された。
拳銃は他人から預かっていたものと見られ、その人物について五社は黙秘していた。そんな不遇の中の五社を救いの手を差し伸べたのは、かつて五社と『牙狼之介』などで組み、東映の社長となっていた岡田茂と、俳優座の佐藤正之だった。
当初、『陽暉楼』の主役は、『鬼龍院花子の生涯』に引き続き仲代達矢で行く予定であったが、仲代が黒澤明の『乱』に起用されたためダメになり、緒形拳に決まった。
同年4月、五社は京大病院に入院したことを仕事仲間や娘に隠すためにオーストラリアにいる兄の所に行ったふりをした。『陽暉楼』では、日本アカデミー賞において監督・脚本・主演男優・助演男優・助演女優の主要5部門で最優秀賞を独占しながら、作品部門では優秀賞(上位5作品)に漏れるという珍記録を作っている。
● 人物像
・1958年(昭和33年)に産まれた娘・巴が中学生になると、かつて上野で喫茶店兼スナックを経営していた妻が外で働きたいと言ったが、亭主関白の五社は、金の苦労はさせてないから働く必要はないと叱り、妻がずっと専業主婦でいることを望んだ。
・フジテレビ時代は、「江戸っ子は、宵越しの金は持たない」と言い、酒場で領収書をもらったことはなく、給料が入ると一晩で使ってしまうこともあったという。
・俳優の好き嫌いが激しく、特に女優の好みにはうるさかった
◎ テレビドラマ
特記がないものは全てフジテレビ製作・放送。
◎ 映画
◇監督
●印は脚本を兼務。
◇監修
・世界最強のカラテ キョクシン(極真映画製作委員会、1985年)
◇原案・脚本監修
・ 陽炎2(バンダイ/松竹、1996年)
◎ 舞台
・デスクトップ(1985年)
・スプレー(1986年)
◎ その他
◇作詞
・ 三匹の唄(1970年)- 作曲・編曲:佐藤勝。歌:銀座ミユキ
・テレビ時代劇『新三匹の侍』(フジテレビ・松竹制作、1970年7月)の主題歌。
「五社英雄」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年12月12日12時(日本時間)現在での最新版を取得
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