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大場 久美子(おおば くみこ、1960年〈昭和35年〉1月6日 -)は、日本の女優、歌手。心理カウンセラー。埼玉県川口市出身。3人兄妹の長女(兄1人、弟1人)。オフィスキコ所属。
● 人物
・ 公称サイズ:身長153cm・バスト80cm・ウエスト58cm・ヒップ83cm・靴サイズ23cm。
・ 学歴:鳩ヶ谷市立中居小学校、鳩ヶ谷市立八幡木中学校を卒業し、その後東京成徳短期大学附属高等学校商業科入学(芸能界本格的デビューのため転校) → 堀越高等学校卒業。
・ アイドル時代から、自身のことをクーミンと呼んでおり、愛称となっている。
・ 趣味・特技は料理、日本舞踊、ダンス、洋裁(30年以上も続けている)、バトントワリングなど数多い。
・ 資格を107持っている。心理カウンセラー、認知行動療法士、フットリフレクソロジストなど。
・ 1999年から、母の死が引き金となり約8年間、パニック障害を患っていたことを、2008年1月18日に放送された『独占金曜日の告白』(フジテレビ)にて初めて公に告白した。その後、重い病気や障害で患っている人達が新たに彼女のファンになったり、また他のテレビ番組のインタビューでそれが放送されると、放送後、彼女の公式ブログ「大場久美子のエトセトラ」(下記の外部リンクの項を参照のこと)では、重い病気や障害を患っている人達の書き込みが非常に多くなるという現象が起きている。
・ 前記のパニック障害を克服したことを契機に、認知行動療法を学び、2009年10月、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得。翌年半ば過ぎ頃から、心理カウンセラーとしての活動も本格的に開始する。
・ 1995年頃から、カンボジアの教育支援や医療支援などを中心に行っているNGO団体・「公益社団法人セカンドハンド」の活動に協力し、2008年より同団体の広報大使を務めている。
・ 2003年から2007年頃まで、旧鳩ヶ谷市の親善大使を務めていた(旧鳩ヶ谷市役所・広報課)。
・ 2009年に開催された第2回「おもいがわ映画祭」にゲスト出演したことを機に、栃木県小山市より「小山評定ふるさと大使」を委嘱されている。
・ 2011年に発生した東日本大震災を機に、震災で被災したペットの救助・保護を中心に行っているNPO団体・「一般社団法人J-Taz'sアニマルシェルター(旧・UKC JAPAN)」の活動に協力している。
・ 2023年から、石川県から「石川県観光大使」を委嘱された。なお、2015年度より2020年度までの5年間「いしかわ観光特使」に任命されていた。
● 略歴
・ 1960年1月6日埼玉県川口市に生まれる(後に鳩ヶ谷市であった市域で育つ)。
・ 1970年友人の応募で東京宝映テレビのオーディションに合格。
・ 1973年同社が主宰する「劇団フジ」に入り、子役として活動。
・ 1974年日本テレビ系列のテレビ番組「愛の山河」に出演。テレビデビューを果たす。
・ 1975年NETテレビ(現・テレビ朝日)「あなたをスターに」で特別賞を受賞したのをきっかけに、芸能プロダクション「ボンド企画」にスカウトされ、本格的に芸能活動を開始。(この時は、堀越高校在学中だった。)
・ 1976年『遺書 白い少女』で映画デビュー。
・ 1977年6月5日東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック)より『あこがれ』で歌手デビュー。同期デビューは荒木由美子、榊原郁恵など。翌月公開の東宝映画『HOUSE/ハウス』では準主役に抜擢され、女優としても本格始動する。「一億人の妹」というキャッチフレーズの下、その後立て続けにシングル曲を生み出す。
・ 1978年同年6月12日から翌年9月24日まで約1年3ヶ月間放送されたTBS系のテレビ番組「コメットさん」(第2期、全68話)で2代目コメットさんを務め、全国的にその名が知れ渡り、ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルになる。
・ 1979年
・ 3月5日7枚目のシングル「スプリング・サンバ」発売(オリコン最高位44位、シングル売上3万枚)。これが最大のヒット曲となり、彼女の代表曲となる。
・ 10月19日「さよならコンサート」を日本武道館で開催。「私は女優の世界にお嫁に行きます」との言葉を残し、歌手としての活動を一旦終了した。記者会見の際になぜ歌手業をやめるのかとたずねられた際に「私は音痴だから。」と自ら発言し物議を醸した。ただし、後のインタビューでは「歌手活動は最初から数年(2年程度)で止めるつもりだった」とも述べている。
・ 1984年
・ 7月25日10枚目のシングル「悲しみ貯金箱」発売。明確な表明をしないまま、なし崩し的に歌手活動を再開した。
・ ?月?日同年発売の写真集『大場久美子』でヌードを披露した。
・ 1987年実家がもらい火で全焼する。
・ 1990年サイドビジネスで京都市でレストラン『ホワイトバス』の経営を始めるが、経営不振で2年後に閉店する。
・ 1992年当時の所属事務所ボンド企画が倒産。これを受けて、翌年、個人事務所「オフィス大場」を設立。彼女の母親である大場タカ子が事務所のマネージャー等を務めて、母親と二人三脚で活躍する。
・ 1993年6月17日東映ビデオから7月9日発売予定だったVシネマ『スキャンダラス・ボディ』の劇中におけるヌードシーンの吹き替えをめぐって発売中止を求める裁判を起こした。結局、当該のシーンを大幅にカット、追加撮影を行う等の処置を施し、同年9月25日に発売された。
・ 1994年4月12日サイドビジネスで経営していたレストラン『ホワイトバス』の負債の残金1億400万円を返せないことから、同日、自己破産申告が認められた。
・ 1999年6月18日母のタカ子死去(享年62)。
・ 2000年
・ 2月1日6歳年下のダンサー兼振付師の高橋てつやと結婚。
・ ?月?日林寛子、あべ静江、沢田亜矢子と共に自称“熟女ユニット”『女盛りゲザデレタ』を結成。同年6月21日、シングルCD「Animal Blood」をリリースした。
・ 2008年
・ 1月18日この日に放送されたフジテレビ「独占金曜日の告白」にて、8年間パニック症(パニック障害)に悩まされていたことを、初めて公に告白。放送後、大反響を呼んだ。
・ 2月23日「KUMIKO OHBA 35th Anniversary Live」を東京で開催。ライブ中、単独コンサートとしては30年ぶりに「コメットさん」の衣装を披露する。
・ 2009年10月3日認知行動療法を学び、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得する。
・ 2011年5月19日10歳年下の会社員の男性と再婚したことをブログにて公表。
・ 2012年4月4日活動に協力している「一般社団法人UKC JAPAN(現・J-Taz'sアニマルシェルター)」のために、28年ぶりに11枚目のシングル「ボクの命〜20キロ圏内のペット達の想い〜」を配信限定で発売。
・ 2014年
・ 7月8日林寛子とコンビを組み、アマ名義で「キングオブコント2014」(第7回大会)に参加を表明。『○1○2』(マルイチマルニ)というコンビ名で出場したが、2回戦で敗退となる。
・ 10月7日この日発売の「週刊アサヒ芸能」で35年ぶりの水着姿を披露。その後も「週刊ポスト」などで披露する。
・ 2015年
・ 12月18日フットリーディングアドバンスセラピスト(足底反射療法士)の資格を取得する。
・ 12月22日音楽健康指導士2級の資格を取得する。
・ 2024年2月28日家族と別居していることを発表。
● ディスコグラフィー
◎ シングル
発売日
規格
規格品番
面
タイトル 作詞 作曲 編曲
東芝EMI
1977年6月5日
EP
TP-10215
A
あこがれ 岩谷時子 鈴木邦彦 萩田光雄
B
太陽がまぶしくて
1977年10月20日
EP
TP-10329
A
追いかけないで 岩谷時子 鈴木邦彦 萩田光雄
B
枯葉いろのマント
1978年2月5日
EP
TP-10366
A
大人になれば 浜口庫之助 浜口庫之助 萩田光雄
B
恋させて
八坂裕子
萩田光雄
1978年6月5日
EP
TP-10425
A
エトセトラ 小林和子 萩田光雄
B
甘い感傷
1978年8月20日
EP
TP-10460
A
キラキラ星あげる 伊藤アキラ 平尾昌晃 萩田光雄
B
愛をみつけて
1978年12月1日
EP
TP-10515
A
ディスコ・ドリーム 小林和子 和泉常寛 直居隆雄
B
ミルキー・ウェイ
1979年3月5日
EP
TP-10545
A
スプリング・サンバ 小林和子 和泉常寛 萩田光雄
B
ヘッドホーン
1979年8月5日
EP
TP-10575
A
フルーツ詩集 小林和子 萩田光雄
B
あなたとワインと太陽と
和泉常寛
1979年11月20日
EP
TP-10641
A
ハートのポプリ イルカ 佐藤允彦
B
なみだ雲
キティレコード
1984年7月25日
EP
7DS-0072
A
悲しみ貯金箱 なかにし礼 三木たかし
B
明日ではおそすぎる
C-ZONE MUSIC
2001年
CD
1
RE- SET 大倉紳三 大倉紳三 Style Cycle
2
RE- SET(カラオケ)
-
UKC JAPAN(現・J-Taz'sアニマルシェルター)
2012年4月4日
配信
ボクの命〜20キロ圏内のペット達の想い〜 タッズ母 綺音
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2015年3月18日
CD
TKCA-90687
1
能登里山空港 ~おいでおいで~ 三輪一夫 合田道人 寺西誠
2
能登穴水湾
新條カオル
斎藤覚
大森一夫
5
能登のお・も・て・な・し(朗読)
八島弘造
合田道人
◎ アルバム
: いずれも東芝EMI(東芝レコードレーベル。現・ユニバーサル ミュージック合同会社)より発売。括弧内に規格番号、発売日、備考等を記しておく。
・ 『春のささやき』(TP-72300、1978年3月5日。)
・ 『微笑のメロディー』(TP-80030、1978年8月5日。)
・ 『カレンダー』(TP-80055、1978年12月20日。同年10月に、ロンドンのラウンド・ハウス・スタジオにて録音。バックはケン・ギブソン・オーケストラが演奏した。)
・ 『Kumikoアンソロジー』(TP-80070、1979年3月20日。両面、彼女の顔写真が印刷されたピクチャー・レコード仕様の限定盤。内容は彼女のベスト盤。)
・ 『カーテンコール』(TP-80084、1979年7月5日。ミュージカル的内容に仕上がっている。全曲を作詞:小林和子、作曲及びコーラス編曲:和泉常寛、編曲(コーラス部分を除く):羽田健太郎(録音時のピアノ演奏も担当)が行っている。)
・ 『ガラス窓の少女』(TP-80115、1979年11月20日。A面の作詞、作曲を、彼女が大ファンのイルカが、B面を作詞:小林和子、作曲及び編曲を羽田健太郎が担当している。)
・ 『さよならありがとう』(TP-60353 - 4、2枚組、1979年12月20日。1979年10月19日に日本武道館で行われた「さよならコンサート」の模様をライブ収録したもの。このビデオ・ソフト版は、後に、東芝EMIから発売された。)
・ 『Summer Holiday』(TP-80142、1980年6月5日。スカイ・ブルー・カラー・レコード。今まで発売されたアルバムの中から、夏向けの音楽をセレクトしたもの。未発表テイク「サマー・スカイ」を初収録している。)
・ 『大場久美子ベスト「青春 p.s.ありがとう久美子」』(TP-90329、1985年5月。文字通り、彼女の東芝EMI時代のベスト盤。)
○ CD
: いずれも東芝EMI、EMIミュージック・ジャパン(現・ユニバーサル ミュージック合同会社)より発売。括弧内に規格番号、発売日、備考等を記す。
・ 『なんたってアイドルポップ』(TOCT-8061、1993年6月30日。ベスト盤)
・ 『大場久美子/Big Artist Best Collection』(TOCT-8832、1995年2月22日。東芝EMI時代に彼女が発売した全シングル9枚のA、B面全18曲を収録したもの。)
・ 『大場久美子 ゴールデン☆ベスト』(TOCT-10857、2002年6月19日。デビュー時から『スプリング・サンバ』時代までのセレクション盤。この間に発売されたシングルのA面の曲では、「ディスコ・ドリーム」のみ未収録である。)
・ 『春のささやき』(TOCT-25236、2003年11月27日。彼女のオリジナル・アルバム初のCD化。内容は同一タイトルLP(TP-72300)と全く同じ。紙ジャケット仕様、24ビットマスタリングの限定盤。)
・ 『エッセンシャル・ベスト』(TOCT-26321、2007年8月22日。前記の『ゴールデン☆ベスト』から、スプリング・サンバを初めとする最後の3曲を除いたもの。その為、それよりも定価が510円安い1470円となっている。期間限定販売。)
・ 『Kumikoアンソロジー』(TOCT-26625、2008年8月27日。同一タイトルLP(TP-80070)のCD化。内容も全く同じ。紙ジャケット仕様。)
◎ ビデオ・ソフト
○ ライブビデオ
・ さよならありがとう(東芝EMI。発売年月日不明。1979年10月19日に日本武道館で行われた「さよならコンサート」の模様をライブ収録したもの。アナログ盤LPは2枚組で発売された。)
○ イメージビデオ
・ WASHING MY LIFE(1985年 ビデオパックニッポン)
・ 大場久美子の四季 狂香小夜曲(読み方は「セレナーデ」、1985年 徳間ジャパンコミュニケーションズ) - 同名のアルバムがキティ・レコーズから発売されている。(規格番号25MS0082)
○ ハウツービデオ
・ 大場久美子式美活ライフ ~ヨーグルト&クーガーダンス 体質改善で健康やせ~(2016年 ポニーキャニオン)
● 書籍
「大場久美子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年12月27日12時(日本時間)現在での最新版を取得
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