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山岡 久乃(やまおか ひさの、1926年〈大正15年〉8月27日に委任されている。生涯のテレビドラマ本数は400本以上にも上る。
● 来歴・人物
◎ 役者デビュー
1942年、33期生として宝塚音楽舞踊学校に入学。男役志望で清澄あきらの芸名も予定していたが、太平洋戦争が勃発・進展により劇団生活に限界を感じ、一度も舞台に立つことなく1944年に音楽学校を中途退学する。
終戦後改めて俳優座養成所で演技の勉強をし直し、1946年俳優座に正式入団。同年の『文化議員』で初舞台を踏む。初出演映画は1953年の『やっさもっさ』である。1954年には、同じ俳優座の準劇団員だった東恵美子、初井言榮らとともに劇団青年座を結成。第4シリーズから突然、主演が次女役の泉ピン子に代わり、視聴者からは「山岡が出ていなくて寂しい」「どうなってるんだ」といった投書が新聞社などに寄せられた。これに対し橋田がTBSに「山岡さんなしではドラマが成り立たないので、もうこのドラマはやめましょう」と打ち切りの方針を伝えたが、人気番組となっているためTBSは納得せず、節子を死亡した設定にして脚本も作り変え、製作することとなった。最後のOPクレジットにおいては、第3シリーズ総集編が組まれた上にスタート時点で生存設定であった第4シリーズ第1話が、OPで山岡の名前が載った最後の回となった。ちなみに、山岡は第3シリーズ放送終了後、1997年国際演劇月参加作品東宝現代劇5・6月特別公演「渡る世間は鬼ばかり3」の舞台版まで岡倉節子役を演じており、岡倉節子役を最後に演じたのはテレビではなく、この舞台公演であった。1997年6月29日の国際演劇月参加作品東宝現代劇での公演が岡倉節子を演じた最後の公演である。
理由のはっきりしない山岡の突然の降板は、世間では数々の臆測を呼び、民放各局のワイドショーや週刊誌などで報道された。節子役の「急死による降板」について、一部マスメディアからは「橋田の意見で節子を殺した」と強い言葉で報じられた。
山岡は1970年代にドラマ『あんたがたどこさ』や『三男三女婿一匹(第2シリーズ)』等で共演した、傍若無人な振る舞いの和田を叱り付けたことがある。当時歌手・タレントとして多忙だった和田がある日ドラマの朝10時からのリハーサルに遅刻してしまい、山岡から「あなたは忙しいんでしょうけど、ドラマは皆で作るのよ!(遅刻したら皆に迷惑がかかる)」と烈火の如く叱りつけた。この叱咤によって改心した和田は以降、山岡のことを「おっかあ」と呼んで母親のように慕うようになった
・鏡子の家(1959-1960年)
・赤い繭(1960年、NHKラジオ第二、NHK-FM実験放送)- 女
・吼えろ(1962年、朝日放送)- 座員C 役
◎ 吹き替え
・アガサ・クリスティー ミス・マープルシリーズ(1984年 - 1992年、NHK、テレビ東京)- ミス・マープル役
・石の花 (NHK)(魔女〈タマーラ・マカーロワ〉)
・FBIアメリカ連邦警察(TBS)27(エイミー・デュセット〈コリーン・デューハースト〉)
・看護婦物語 (NHK)
・「白衣の傷あと」(リリアン・パウエル博士)
・「死への逃亡」(ボーマン夫人〈ビネカ・リンドフォース〉)
・「リリアン,眠らないで」(リリアン・キャロル〈リー・グラント〉)
・黒水仙(NHK)(アヤ〈メイ・ハラット〉)
・自殺への契約書(ダニエル・ダリュー)
・ビロードの手袋 (NHK)(マリアン)
・キャサリン・ヘプバーンの吹き替え
・大草原
・アフリカの女王NHK版
・去年の夏 突然に
◎ 劇場アニメ
・少年ジャックと魔法使い(1967年、魔女グレンデル役)
◎ 広告
・ハウス食品「ハウスほんとうふ」
・ニッポンハム「ウイニー」
・キッコーマン
・日本コカ・コーラ「スプライト」
・ミツカン「すし酢」
「山岡久乃」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2025年5月10日4時(日本時間)現在での最新版を取得





























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