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バカ
生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年〈昭和43年〉4月28日 -)は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)、外務大臣政務官。元女優、タレント、歌手。女性アイドルグループおニャン子クラブ及び派生ユニットうしろ髪ひかれ隊の元メンバーで。結婚後の本名は、佐山晃子。
● 来歴
◎ 生い立ち
1968年(昭和43年)4月28日、東京都世田谷区の都立母子保健院にて生まれる。幼少期は世田谷に住んでいた。地元のジュニアサッカーチーム「小金井フットボールクラブ」に所属し、全国大会優勝した時のメンバーである。
小金井教会幼稚園、小金井市立小金井第三小学校、小金井市立緑中学校、吉祥女子高等学校、恵泉女学園短期大学英文科を卒業。高校は芸能活動禁止であったが、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許可された。
◎ デビュー
1984年、『第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン』の賞金(優勝者本人に100万円、推薦者に50万円)に惹かれ、兄を推薦者にして「もし優勝したら150万円山分けしようという事で」応募したことが発端。3次落選となったものの、ホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて所属することになり、マクドナルドのCMや中1~中3コース、カメラ雑誌等に出演。カメラ小僧相手の撮影会では水着姿を披露していた。(それ以前にも、アイドル雑誌ザ・シュガーの「今月のセーラー服美人」というコーナーで紹介記事が計3ページにわたって掲載されている)。
1986年3月、「これでダメなら大学受験に向けた勉強に専念しよう」と決めて『タッチ』ヒロイン・浅倉南のイメージガールを選ぶ「Soda Fountainミス南コンテスト」に出場。原作者のあだち充が生稲を推したこともあり大会関係者から「たぶん優勝は君になる」と優勝内定を知らされていたが、生稲が事務所に所属していることが問題となり、発表当日になってこの話は流れてしまった。このとき居合わせたキャニオン・レコードの関係者から「おニャン子クラブのオーディションを受けてみますか?」と声を掛けられる。優勝内定から一転、落選したショックから直ぐに次に繋がる話に飛びつく思考に切り替えることが出来ず、即答は避けて一旦保留とする返答のみをして帰宅した。
おニャン子クラブのファンだった兄はオーディションの話に乗り気だったが、当の生稲本人は「何で売れるの?普通の子じゃない。」と当初はおニャン子をあまり好意的に見ていなかった。兄がおニャン子の『セーラー服を脱がさないで』のレコードを嬉しそうに買ってきた際は、「何つーものを買うのよ」と怒る程だった。
二の足を踏んでいた生稲であったが、当時生稲がファンだった「トシちゃんのレコードをあげるから」とキャニオン関係者から言われたため、ためしに受けてみる事になった。また「(夕やけニャンニャンに出演時は)時給5千円」の一言にも魅力を感じたという。
◎ おニャン子入りと大学受験
1986年6月、『夕やけニャンニャン』内のオーディションコーナーで合格し、1986年6月13日に、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー。10月、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。11月1日、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」で、メインボーカルとしてフロント4人の中に入る。12月、ローソンのからあげクンのCMに単独で出演。おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用される。デビュー以降多くのファンを獲得し、当時のおニャン子クラブにおいてトップの人気を誇った"W渡辺"(渡辺美奈代・渡辺満里奈)の間に割って入る存在とされた。
高校での成績は優秀だったものの、芸能活動をしているという理由で大学入試の際に学校からの推薦が得られなかった。1987年になると、芸能活動を控え、『夕やけニャンニャン』にも約1ヶ月ほど出演せず受験勉強に専念した。1987年4月に恵泉女学園短期大学(英文科)に入学。
受験を終えて芸能活動を再開。新ユニットうしろ髪ひかれ隊のメンバーに工藤静香・斉藤満喜子と共に抜擢される。
1987年5月7日、『うしろ髪ひかれ隊』は『時の河を越えて』でレコードデビュー。同曲及びc/w『うしろ髪ひかれたい』は、アニメ『ハイスクール奇面組』の主題歌とエンディング曲に起用された。1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得。音楽番組にも多く出演し、順風満帆なスタートを切った。これを期に、メンバー3人揃って芸能プロダクション「プロダクション尾木」に移籍。
◎ おニャン子解散・うしろ髪活動休止
もともと生稲は長く芸能活動を続ける意向は強くなく、将来的に堅実な学校教諭になる道を考えていた。そのため学業を疎かにせず、大学進学後も意欲的に講義を受けていた。『うしろ髪ひかれ隊』としての活動はおニャン子クラブの活動終了とともに終える青写真であり、同時に芸能界も引退する心積もりであった。しかし、スタッフの「やめようと思っていたけど、売れたんでこのまま続けるから」の一言で、1987年9月20日のおニャン子クラブ解散後も「うしろ髪」としての活動は続行された。
それだけにおニャン子解散時の精神状態は不安定であった。解散特番のラジオの終盤では夕ニャンのスタッフに「もう「深呼吸して」は3人じゃ歌えないんだな…」としみじみ言われたことを涙ながらに語っていたが、聞き役の渡辺満里奈に叱責され、我に返っていた。
おニャン子クラブ解散後も、うしろ髪ひかれ隊として各種メディアへの出演や地方キャンペーン、コンサートなど多方面に活動をしてきたが、1988年5月をもって活動を休止する。
◎ ソロアイドル時代
1988年5月21日に『麦わらでダンス』(フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』主題歌)でソロデビュー。オリコン週間チャート8位となり、『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』『夜のヒットスタジオ』にも出演するなど自身最大のヒット曲となる。7月にはフジテレビ系ドラマ『あそびにおいでョ』で連続ドラマに初出演。アイドル誌の表紙やグラビア特集の他、写真集も出版するなどグラビアアイドルとしても活動した。9月リリースのセカンドシングル『Virgin少年に接吻を』がオリコン週間チャート9位に入る、日本青年館・大阪厚生年金会館にて初のソロ・コンサートも開催する。
1989年4月、初単独パーソナリティ番組、ニッポン放送『生稲晃子 デートはこれから』開始。7月、恵泉女学園短期大学を卒業。8月にはセカンドアルバム『日本「生稲」紀行』リリース。このアルバムを引っさげて、サマー・コンサート・ツアー(1989年8月16日 - 8月28日、全国8ヶ所)を開催した。またフジテレビ系ドラマ『ゴメンドーかけます』に出演。
◎ 女優・タレントとして
90年代以降は女優として多数のテレビドラマや映画、舞台に出演。タレントとしてもバラエティ番組などで活動した。1996年にはセミヌード写真集も出版している。
2001年4月、永らく所属していたプロダクション尾木より独立。女優としてCBC制作のドラマ『キッズ・ウォー』シリーズに長く主演したほか、テレビ朝日の人気時代劇『暴れん坊将軍』にはVIIシリーズからVIIIシリーズ第1話は魚屋兼岡引・おぶん、VIIIシリーズ第2話から800回スペシャルは江戸町火消しめ組の頭長次郎(山本譲二)の妻・おぶんとして出演していた。古典芸能に造詣を持ち、NHKの『日本の古典芸能』『芸能花舞台』の司会も務めた(毎回和服姿で番組を進行)。
2003年にCM制作会社プロデューサー・佐山智洋と結婚(結婚後、鉄板焼き店経営)。2005年10月、妊娠していることが判明、「思っていたよりつわりがひどかった」とのこと。2006年3月に第1子(長女)を出産。
2006年からは芸能事務所・株式会社ポートレーブに所属。家事の都合や子育てに支障が出ないスケジュールを組んでもらい、主に女優やレポーターなどの仕事を中心にしていた。テレビ朝日系『ちい散歩』や『三波豊和の日本が元気です』等司会やレポーターの仕事を中心に活動。
2009年よりプロダクション尾木に復帰。2010年7月、ハートフルライフカウンセラー学院 にて学び、心理カウンセラーとして活動を始める。
その後、日本推進カウンセラー協会認定の認知行動療法士の資格を取得した。
2010年9月、AKB48Team Ogiが開催した音楽イベント「Team Ogi祭り」に城之内早苗らとゲスト出演。『麦わらでダンス』を当時の衣装、ダンスとともに披露した。
◎ がんとの闘い
2011年3月、42歳の時にがん発覚。4月28日、43歳の誕生日に乳がんの告知を受ける。(正式な告知を受けたのは2011年4月28日)。5月6日に腫瘍のある部分を切除する乳房温存手術を受け、放射線照射と薬による治療を続けた。2012年の夏、再発が判明。がんのできた部分を切除する再手術を受ける。2013年10月に3度目の切除手術、同年12月27日に右胸の全摘手術を受けた。2015年10月27日、右乳房の再建手術を受ける。同年11月、自らのがんを公表。
2016年9月26日、「働き方改革実現会議」の有識者委員に選出される。
2019年9月29日に行われた「ピンクリボンフェスティバル」において、これまで5回にわたる手術歴の事や闘病生活を乗り越えられた「家族と2人の"ママ友"」の存在を語った。
◎ 2022年参議院議員選挙
2022年1月21日、東京都選挙区(改選数6)の参議院議員の中川雅治が、同年夏の第26回参議院議員通常選挙に立候補しない意向を固めたことが明らかとなった。中川の「安倍派枠」を守るべく、安倍晋三の2人の側近、自民党都連会長の萩生田光一、党参議院幹事長の世耕弘成が中心となって候補者選びが行われた。現職の朝日健太郎と支持層が重ならないよう、党は複数の女性のアナウンサーやキャスターに打診するが、いずれも断られた。「タレント候補を選ぶべきでない」として都議会議員を推す声も上がったが。
同年3月30日、生稲を擁立する方向で自民党が調整していることをメディアが報道。4月6日、党は東京都選挙区の公認候補として生稲を擁立すると正式に発表した。生稲の選挙対策本部長は下村博文が務めた。下村と同様に安倍晋三の最側近と言われた萩生田光一は6月18日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の票を確実なものとするため、生稲を連れて萩生田の地元である八王子市の教団施設を訪問した(後述)。朝日健太郎は2016年の選挙において菅義偉官房長官の全面支援を受けて初当選しており、東京都選挙区は安倍、菅にとって、どちらの票が上回るか、参院選後の求心力維持と拡大のため負けられない選挙区とみなされていた。安倍は朝日陣営に配慮し、朝日の最初の演説会場である新宿駅西口に応援に駆け付けたが、安倍派が生稲に戦力を大きく注いでいることは明らかであった。
同年6月30日、自民党本部で、生稲と、比例区から立候補した今井絵理子の決起大会が開催。同大会に日本音楽事業者協会、日本音楽制作者連盟、コンサートプロモーターズ協会、日本音楽出版社協会の音楽業界4団体の代表らが訪れ激励し、今井と生稲に対する支持を表明した。
安倍が銃撃を受け暗殺された翌日の同年7月9日、銀座四丁目交差点で選挙戦最後の街頭演説が行われた。生稲は、安倍がこの日、生稲の応援演説に駆けつける予定だったことを明かした。萩生田は「亡くなられた安倍晋三元総理が最後に見いだした国会議員の候補が、生稲晃子さんです。私たちはその思いに応えていきたい」と訴えた。7月10日、投開票。朝日健太郎は得票数1位で再選を果たし、生稲は得票数5位で初当選した。雇用主を失った安倍の公設秘書は、生稲の公設秘書となった。
◎ 外務政務官
2024年11月、第2次石破内閣において外務政務官に起用される。
2024年11月24日に新潟県佐渡市で開催された「佐渡島の金山」の朝鮮半島出身者を含む全労働者のための追悼行事において、日本政府代表として出席する生稲が2022年8月15日に靖国神社に参拝していたと共同通信が報じたことから、朝鮮半島出身者の遺族や韓国政府関係者が参加を見送り、韓国のマスコミは生稲を「極右政治家」として報じた。しかし生稲はその日に靖国参拝をした事実はないと否定し、11月25日には共同通信がこの記事は誤報であり、実際には参拝していなかったことを認め加盟社に訂正記事を配信した。翌26日には林芳正官房長官が、共同通信の誤報が混乱を生じさせたとして遺憾の意を表明し、同社に対して事実関係や経緯説明を求める考えを示した。11月28日、共同通信の水谷亨社長が生稲本人に直接謝罪した。11月30日、共同通信は誤報問題に関する検証記事を配信した。
● 政策・主張
◎ 憲法
・ 憲法改正について、2022年のNHK、毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答。
・ 9条への自衛隊の明記について、2022年のNHK、日本テレビのアンケートで「賛成」と回答。
・ 憲法を改正し緊急事態条項を設けることについて、2022年のNHK、東京新聞のアンケートで「賛成」と回答。
◎ 外交・安全保障
・ 敵基地攻撃能力を持つことについて、2022年の毎日新聞社、日本テレビのアンケートで「賛成」と回答。日本政府が行ったロシアに対する制裁措置についてどう考えるかとの問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった。「防衛費を今後どうしていくべきだと考えるか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった。
・ 同性婚を可能とする法改正について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「反対」と回答。
・ 富裕層や大企業への課税強化について、2022年の毎日新聞のアンケートで「反対」と回答。一方、同年の朝日新聞のアンケートでは「どちらかと言えば賛成」と回答した。また、同年のNHKのアンケートでは回答しなかった。
:2022年の参院選に際し、生稲は公示前から連日、各地を飛び回り街頭演説を行っていた。Twitterに告知された同年6月18日の演説スケジュールは以下のとおりであった。
:
時刻 場所 自治体
11時30分 八王子駅南口 八王子市
13時45分 多摩センター駅前 多摩市
16時30分 町屋駅前 荒川区
17時15分 LaLaテラス南千住 荒川区
17時55分 日暮里駅前 荒川区
:八王子駅南口での演説を終えたあと、生稲は、同席していた自民党東京都連会長の萩生田光一に連れられ、八王子市子安町の統一教会の施設「八王子家庭教会」に向かった。八王子家庭教会には150人ほどの信者らが集まった。司会者は期日前投票に行くことなどを求め、生稲と萩生田の入場を告げると、教会は拍手に包まれた。信者は『巨人の星』の替え歌で「行~け行~け~晃子~、どんと行け~」と激励。生稲は目頭を押さえ、萩生田は生稲の支援を要請した。二人は30分ほど滞在した。
・ 上記の八王子教会訪問は長く伏せられていたが、同年8月16日、新潮社の情報サイト「デイリー新潮」がスクープする形で世に明らかとなった。八王子家庭教会の教会長を務めた人物は、統一教会伝道教育局の副局長に昇進しており、2020年2月7日には長女が文鮮明の孫の文信興と「祝福結婚」していた。八王子教会は萩生田の古巣でもあり、訪問は集票という点で大きな意味があったとされる。
・ 2022年7月から8月にかけて、共同通信社は、全国会議員712人を対象に、統一教会との関わりを尋ねるアンケートを実施。8月31日に各議員の回答の全文を公表した。「旧統一教会またはその友好・関連団体等から選挙活動への支援、協力を受けたことはあるか」「行事、会合、集会等に出席したことはあるか」との問いに対し、生稲はいずれも「ない」と回答した。
◎ 支援団体
・ 日本音楽事業者協会(2022年参院選時に支持)
・ 日本音楽制作者連盟(同上)、「こんな妙な声は自分しか居ないんだし、ヘタでも自分らしく歌えればいいやって」と思うようになったという。
・ アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあった。1917年はロシア革命の年であるため、「ロシア革命、1917(いくいな)」という語呂合わせが成立する。『夕やけニャンニャン』内でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使われている。
・ TIMのレッド吉田が『内村プロデュース』内で、「友達の友達が生稲晃子」というフレーズを独特のイントネーションで発する(NO PLANのアルバム内の一曲『内P"COCO JAPAN"Remix』にレッドの「生稲晃子」が収録されている)。
・ ソロ・デビュー曲「麦わらでダンス」の替え歌が、1988年にプロ野球の広島東洋カープに在籍していた、ランス、アレンの応援歌に使われている。また他のプロ野球選手や高校野球、Jリーグ・FC東京の応援ソング等でも、長年同曲の替え歌として使用されていた。
・ 仲が良かったおニャン子メンバーとしてよく名前を挙げるのは、立見里歌、永田ルリ子、白石麻子、高畠真紀など。ほかに芸能界では島崎和歌子、小林千絵などと仲が良いと公言したことがある。
・ 血液型は生まれてから不明であったが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際に血液検査され、B型と判明した。
・「生稲」という苗字を「いくいな」と正しく読まれたことが少なかったという。デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビを付けられることが多かったという。
● 作品
◎ シングル
ポニーキャニオン
1st
1988年5月21日
麦わらでダンス
全2曲
麦わらでダンス
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夢に逢いたい
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
8位
2nd
1988年9月21日
Virgin少年に接吻を
全2曲
Virgin少年に接吻を
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Shadow of Palm Tree
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
9位
3rd
1989年1月25日
ファンファーレが聴こえる
全2曲
ファンファーレが聴こえる
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
わたしだけのリバティー
作詞:森本抄夜子
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
15位
4th
1989年5月24日
Japanese Girl
全2曲
Japanese Girl
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夕映えの橋
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
23位
5th
1989年9月27日
忘れたいのに
全2曲
忘れたいのに
作詞:田久保真見
作曲:国安わたる
編曲:戸塚修
朝露の瞳
作詞:西脇淳子
作曲:国安わたる
編曲:船山基紀
39位
-
1989年11月21日
あっこのX'mas Calendar
全7曲
[12/18(月) ジングル・ベル
[12/19(火) サンタが町にやって来る
[12/20(水) 赤鼻のトナカイ
[12/21(木) ママがサンタにキッスした
[12/22(金) うれしいうれしいクリスマス
[12/23(土) サンタクロースがやってくる
[12/24(日) もろびとこぞりて
91位
6th
1990年3月7日
日曜日はいらない
全2曲
日曜日はいらない
作詞:原真弓
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
海になりたい
作詞:サエキけんぞう
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
48位
7th
1991年2月21日
LUNA Great
全2曲
LUNA Great
作詞:和泉ゆかり
作曲:川井憲次
編曲:川井憲次
ストリングスアレンジ 田中公平
ルナ・バルガー走る
(富沢美智恵)
作詞:秋津透と魔獣騎士団
作曲:川井憲次
編曲:川井憲次
93位
ダブリューイーエー・ジャパン
8th
1995年6月10日
ファンキーララバイ
全2曲
ファンキーララバイ
作詞:三浦徳子
作曲:羽田一郎
編曲:羽田一郎
ファンキーララバイ (Long Version)
作詞:三浦徳子
作曲:羽田一郎
編曲:羽田一郎
◎ デュエットシングル
日本クラウン
地井武男/生稲晃子
2008年10月8日
Oh散歩日和
全2曲
Oh散歩日和
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童
編曲:竜崎孝路
昔だったら
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童
編曲:竜崎孝路
◎ アルバム
○ オリジナルアルバム
ポニーキャニオン
1st
1988年11月21日
「生稲」De-Dance
全8曲
おとといおいで
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
鍵穴の熱帯
作詞:売野雅勇
作曲:羽田一郎
編曲:後藤次利
麦わらでダンス (ターンテーブル・ミックス)
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
今はすべての途中だから
作詞:原真弓
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
チェイス チェイス チェイス
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
ティラノザウルスロック
作詞:岩里祐穂
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Virgin少年に接吻を
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
恋のルフラン
作詞:かしぶち哲郎
作曲:かしぶち哲郎
編曲:後藤次利
11位
2nd
1989年8月2日
日本「生稲」紀行
全8曲
Jealousy In The Night
作詞:吉元由美
作曲:影家淳
編曲:山川恵津子
北斗七星の一夜
作詞:原真弓
作曲:井上ヨシマサ
編曲:井上ヨシマサ
忘れたいのに
作詞:白峰美津子
作曲:国安わたる
編曲:戸塚修
オ・メ・デ・ト・ウ
作詞:さかたかずこ
作曲:山川恵津子
編曲:山川恵津子
モノローグ…春
作詞:かしぶち哲郎
作曲:かしぶち哲郎
編曲:戸塚修
あした元気になぁれ
作詞:田久保真見
作曲:井上ヨシマサ
編曲:井上ヨシマサ
Japanese Girl
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
さよならの岸辺から
作詞:吉元由美
作曲:石川Kanji
編曲:戸塚修
33位
2008年7月16日
日本「生稲」紀行 + シングルコレクション
全18曲
Jealousy In The Night
北斗七星の一夜
忘れたいのに
オ・メ・デ・ト・ウ
モノローグ…春
あした元気になあれ
Japanese Girl
さよならの岸辺から
麦わらでダンス
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夢に逢いたい
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Virgin少年に接吻を
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Shadow Of Palm Tree
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
ファンファーレが聴こえる
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
わたしだけのリバティー
作詞:森本抄夜子
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夕映えの橋
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
朝露の瞳
作詞:西脇淳子
作曲:国安わたる
編曲:船山基紀
日曜日はいらない
作詞:原真弓
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
海になりたい
作詞:サエキけんぞう
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
○ ベストアルバム
ポニーキャニオン
1st
2002年7月17日
Myこれクション 生稲晃子BEST
全16曲
麦わらでダンス
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夢に逢いたい
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Virgin少年に接吻を
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Shadow of Palm Tree
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
ファンファーレが聴こえる
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
わたしだけのリバティー
作詞:森本抄夜子
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Japanese Girl
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夕映えの橋
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
オ・メ・デ・ト・ウ
作詞:さかたかずこ
作曲:山川恵津子
編曲:山川恵津子
あした元気になぁれ
作詞:田久保真見
作曲:井上ヨシマサ
編曲:井上ヨシマサ
忘れたいのに
作詞:白峰美津子
作曲:国安わたる
編曲:戸塚修
朝露の瞳
作詞:西脇淳子
作曲:国安わたる
編曲:船山基紀
日曜日はいらない
作詞:原真弓
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
海になりたい
作詞:サエキけんぞう
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
LUNA Great
作詞:和泉ゆかり
作曲:川井憲次
編曲:川井憲次
ストリングスアレンジ 田中公平
ファンキーララバイ
作詞:三浦徳子
作曲:羽田一郎
編曲:羽田一郎
2nd
2007年8月17日
生稲晃子 SINGLESコンプリート
全16曲
麦わらでダンス
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夢に逢いたい
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Virgin少年に接吻を
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Shadow of Palm Tree
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
ファンファーレが聴こえる
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
わたしだけのリバティー
作詞:森本抄夜子
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Japanese Girl
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夕映えの橋
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
忘れたいのに
作詞:白峰美津子
作曲:国安わたる
編曲:戸塚修
朝露の瞳
作詞:西脇淳子
作曲:国安わたる
編曲:船山基紀
日曜日はいらない
作詞:原真弓
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
海になりたい
作詞:サエキけんぞう
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
LUNA Great
作詞:和泉ゆかり
作曲:川井憲次
編曲:川井憲次
ストリングスアレンジ 田中公平
ファンキーララバイ
作詞:三浦徳子
作曲:羽田一郎
編曲:羽田一郎
ファンキーララバイ (Long Version)
作詞:三浦徳子
作曲:羽田一郎
編曲:羽田一郎
LUNA (Bonus Track)
3rd
2010年4月21日
MyこれLite 生稲晃子
全13曲
麦わらでダンス
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夢に逢いたい
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Virgin少年に接吻を
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Shadow of Palm Tree
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
ファンファーレが聴こえる
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
わたしだけのリバティー
作詞:森本抄夜子
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Japanese Girl
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夕映えの橋
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
忘れたいのに
作詞:白峰美津子
作曲:国安わたる
編曲:戸塚修
朝露の瞳
作詞:西脇淳子
作曲:国安わたる
編曲:船山基紀
日曜日はいらない
作詞:原真弓
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
海になりたい
作詞:サエキけんぞう
作曲:松本俊明
編曲:西平彰
LUNA Great
作詞:和泉ゆかり
作曲:川井憲次
編曲:川井憲次
ストリングスアレンジ 田中公平
◎ タイアップ曲
麦わらでダンス
フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』オープニングテーマ
シングル「麦わらでダンス」
夢に逢いたい
フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』エンディングテーマ
シングル「麦わらでダンス」
LUNA Great
オリジナル・ビデオ・アニメーション『魔獣戦士ルナ・ヴァルガー』エンディングテーマ
シングル「LUNA Great」
ファンキーララバイ
日本女子サッカーリーグ シロキFCセレーナ チームイメージソング
シングル「ファンキーララバイ」
Oh散歩日和
テレビ朝日系『ちい散歩』エンディングテーマ
シングル「Oh散歩日和」
◎ おニャン子クラブのメインボーカル曲
・ 恋はくえすちょん
・ あんみつ大作戦
・ 雨のメリーゴーランド
・ ハートに募金を
・ 誰のせいかな
・ ワンサイド・ゲーム
・ シンデレラのシューズ
・ 雨のあやとり
・ 風の物語
◎ うしろ髪ひかれ隊のソロ曲
・ 素敵なモーニングドライブ
・ マーマレードの黄昏
「生稲晃子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年12月27日12時(日本時間)現在での最新版を取得
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好き嫌いTOP10圏内確定戦
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