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三原じゅん子


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三原 じゅん子(みはら じゅんこ、本名:中根 順子、旧姓:三原、1964年〈昭和39年〉9月13日 -)は、日本の政治家、女優・歌手、介護施設経営者、レーシングドライバー。自由民主党所属の参議院議員(3期)、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助)。 以前は出生名の三原 順子で活動。芸能活動期間の所属事務所は東京宝映テレビ。血液型はB型。 参議院厚生労働委員長、参議院消費者問題に関する特別委員長、参議院環境委員長、自由民主党女性局長、厚生労働副大臣、内閣府大臣補佐官、 参議院政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員長、参議院環境委員長を歴任。

● 来歴


◎ 生い立ち〜女優
東京都板橋区出身。父は印刷会社を経営していたが、倒産する。連日、強面の男が借金の取り立てに来たという。劇団に入り演技を学び、ドラマにも出るようになると、学校ではそれを羨んだ生徒から教科書をカッターで切られたり、階段から突き落とされたりと次々にいじめを受けたという。なお当時の三原は後述の金八以後のようなキャラではなく美少女路線であった。 1979年(昭和54年)、『3年B組金八先生』に「山田麗子」役で出演。役柄の「ツッパリ(=不良、非行生徒)」イメージで、人気が急上昇した。中でも同級生へのリンチシーンで仲間を仕切りながら発した「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」のセリフは、三原のヤンキー性を表す代名詞になった。 1980年(昭和55年)、明治大学付属中野高等学校定時制へ入学。後に仕事と勉学の両立が難しくなり中退。この年セクシー・ナイトでデビューを果たし、同曲がヒットし歌番組にも多数出演する。恋人の存在を明かすなど当時の女性アイドルとしては大胆な言動が話題を呼んだ。なお本人は後に「子役時代から活躍していたので、ポッと出のようなアイドル路線は嫌だった。」と語っている。 1982年(昭和57年)には、TAKU(横浜銀蝿)作曲の「だって・フォーリンラブ・突然」のロングヒットで、第33回NHK紅白歌合戦(歌唱曲は「だって…」と同じくTAKU作曲の「ホンキでLove me Good」)に出場した。 1984年(昭和59年)、20歳の誕生日を機に本名の「三原順子」から「三原じゅん子」へ改名。また、「JUNKO」というアーティスト名でハードロックのバンドを組み、ライブ活動をしていた時期もある。 1987年(昭和62年)から1999年(平成11年)にかけては、国際B級ライセンスを取得してレーシングドライバーとしても活動。マーチ・リトルダイナマイトカップ、全日本ツーリングカー選手権、全日本GT選手権(現SUPER GT)、スーパー耐久、スパ・フランコルシャン24時間などのツーリングカーレースで活動し、トヨタのMR2・カローラレビン・キャバリエ、ホンダのプレリュード・インテグラなどをドライブした。レース中の事故による骨折も7回経験しているという。2003年(平成15年)から2004年まで、全日本GT選手権に参戦する「TEAM MACH」の監督を務め、2005年から2007年まで、二輪レースチーム「weave×MIHARA PROJECT」の監督を務めた。

◎ 婚姻歴
1990年(平成2年)、レーシングドライバーの松永雅博と結婚(1999年5月離婚)。 1999年(平成11年)11月、お笑い芸人のコアラ(当時アニマル梯団、のちにハッピハッピー。に改名)と再婚(2007年離婚)。 2016年(平成28年)10月、元秘書である24歳年下の中根雄也と三度目の結婚を発表。

◎ がん撲滅等の啓発活動から政界進出
2008年(平成20年)、ヒトパピローマウイルス (HPV) が主な原因の子宮頸癌を患い子宮を摘出した。この経験もあり、医療や介護問題への関心を強め、がん撲滅等の啓発活動を行うようになったとしている。 2010年(平成22年)3月には自ら介護施設の経営に乗り出す。 2010年(平成22年)4月8日、第22回参議院議員通常選挙に自由民主党から比例区で出馬すると記者会見で発表。この立候補は党からのスカウトでなく自ら名乗り出たことを明らかにした。また、「二足のわらじを履けるほど国会議員の仕事を甘くは考えていない」として、当選した場合は女優を引退すると表明した。同年7月11日の第22回参議院議員通常選挙は自民党にとっては野党の立場として初の大型国政選挙であった。出馬会見では、前述のがん克服体験について語ると共に、なぜ自民党から出馬したのかという質問に対し、今忘れられている日本人の良さ、伝統的な社会の価値観を大切に思っていることを理由として挙げた。約17万票を個人名で獲得し、党内5位で初当選。当選後は女優業をしていないが、例外として2011年(平成23年)3月に放送されたテレビドラマシリーズ「3年B組金八先生」の最終回で過去の出演者達が卒業生として勢揃いで集合する場面では卒業生の一人として特別出演した。なお、国会議員としての映像への出演は行っている。2013年(平成25年)、自民党女性局長(10月8日に総務会指名就任)、自民党オートバイ議員連盟事務局長を務める。2016年1月、参議院厚生労働委員長に就任。
○ 神奈川県選挙区に転出
2015年(平成27年)9月、自民党神奈川県連は第24回参議院議員通常選挙において三原を比例区から転出させ、神奈川県選挙区(定数4)の候補に擁立することを決め、自民党本部に公認を申請した。自民党本部は改選4議席以上の選挙区に2名の公認候補を擁立する方針を立てており、同年6月、神奈川県連には神奈川県選挙区選出の現職小泉昭男と三原の2名が公認を申請していた。 一方で公明党が神奈川県選挙区に公認候補者を擁立する方針を決めたため、自民党神奈川県連では公認候補は1名に絞って参院選を戦うべきであるとの意見が大勢を占めるに至り、党本部が求める公認候補の複数擁立については対応が困難となった。こうした中、県連内部の混乱発生を危惧した小泉が同年8月に公認辞退・議員引退の意向を示した。小泉の引退表明を受け神奈川県連は三原のみの公認申請を決めたが、自民党本部は神奈川県連に対しなおも2人目の候補者擁立を指示し、三原の公認を保留した。 党勢拡大を狙う党本部と共倒れを避けたい県連との間で意見の相違が生じ、他の都道府県や比例区の公認候補が出揃う一方で現職である三原の公認が決まらず出遅れが懸念される中、2016年(平成28年)1月、自民党本部は三原の公認とともに、みんなの党解党後無所属で活動していた神奈川県選挙区選出の現職中西健治・旧みんなの党政調会長に党本部推薦を出し、候補者を2名確保することを決めた。 党本部は中西を推薦した理由について「政策が近い」と説明したが、神奈川県連は中西が過去に自民・公明と袂を分かってみんなの党に参加したことを問題視しており、「党本部推薦であっても中西を県連が組織的に応援することはできない」と反発。三原のみの支援に注力するとの姿勢を示した。 同年3月、自民党本部は公明党の新人候補三浦信祐にも推薦を出したが、神奈川県連は自民党系の候補者が3人になるためこれにも反対。県連は三原支援に専念するとの姿勢を改めて示し、中西は無所属での出馬を余儀なくされた。 同年7月の投開票の結果、三原は約100万票を集め、得票率24.5%でトップ当選。中西も4位で当選し、自民党の追加公認を受ける形となった。 2017年10月、参議院消費者問題に関する特別委員長に就任。 2019年10月、自民党内閣第二部会長代理(部会長代理としての担当は原子力防災、経済再生、TPP、日EU・EPAおよびTAG、全世代型社会保障改革、経済財政政策、金融、デフレ脱却)に就任。 2020年9月、厚生労働副大臣(主に労働、子育て、年金分野)に就任した。 2021年11月19日、野田聖子少子化相により、男女共同参画に関する政策の企画・立案を支援する大臣補佐官に任命される。 2022年7月の第26回参議院議員通常選挙で、再び神奈川県選挙区から立候補し、3選。同選挙区では24年ぶりに自民党が2人を擁立し、公明党と合わせて与党候補が3人立候補する激戦となったが、807,300票を獲得して2期連続で2位以下に大差をつけてのトップ当選を果たした。 2022年10月、参議院政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員長に就任。 2023年10月、参議院環境委員長に就任。

◎ こども政策担当大臣
2024年10月1日、同日発足した第1次石破内閣において、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助)、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣として初入閣した。同年11月11日に発足した第2次石破内閣においても留任。

● 政策・主張


◎ 憲法

・ 憲法改正について、2016年の朝日新聞社のアンケート、2022年のNHKのアンケートで「賛成」と回答。
・ 9条改憲について、2016年の毎日新聞社のアンケートで「改正して、自衛隊の役割や限界を明記すべき」と回答。2022年の毎日新聞社のアンケートで「改正して、自衛隊の存在を明記すべきだ」と回答。9条への自衛隊の明記について、2022年のNHKのアンケートで「賛成」と回答。日本政府が行ったロシアに対する制裁措置についてどう考えるかとの問いに対し、2022年のNHKのアンケートで「適切だ」と回答。「防衛費を今後どうしていくべきだと考えるか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで「ある程度増やすべき」と回答。2016年のアンケートで「どちらかと言えば反対」と回答。全てのがん患者とその家族の苦痛の軽減と療養生活の質の維持向上、がんになっても安心して暮らせる社会の構築を目標としている。
・ がん登録推進法の法制化作業チームの一員として携わった。
・ HPVワクチン接種と検診の無料化を主張している
・ 参議院議員当選後は、参議院厚生労働委員会でHPVワクチンの公費助成、副反応被害救済制度、ワクチンに関する知識の啓蒙に関する主張を行った。
・ がん患者の立場から、受動喫煙防止を目的とした屋内原則禁煙の健康増進法改正を訴えている。
・ 子宮頸がんによって子宮を摘出した経験からワクチンの積極的勧奨再開とワクチン普及啓発に力をいれており、2024年4月9日(子宮の日)に合わせて公表された、子供を持つ母親役で出演するHPVワクチン啓発動画「未来への選択」(一般社団法人 新時代戦略研究所作成)に出演した。

◎ 児童虐待防止

・ 女性局局長として、当選直後から児童虐待防止の問題に取り組んできたという。
・ 全国の児童相談所が2013年に行った調査において児童虐待の件数が23年連続で増加し7万3802件にのぼったことについて、三原はインタビューで「一刻の猶予もありません。報告されていない多数の事例があるはずです。かつては80%が実母による虐待でしたが、最近は実父や母親の交際相手によるケースが増えている。暴力以外に、心理的虐待も多い。これらは子供の心に大きな傷を作り、成長を阻害する要因になっています」と語った。
・ 女性局としては、児童虐待防止および通報を啓発する「オレンジリボンキャンペーン」の実施を率いた。児童虐待の通報ダイヤル「189」は女性局が5年以上の月日をかけて取り組んだ成果の一環であると主張している。
・ 少子化対策との関連において、加害者としての親を救済するべきとする主張を行っている。インタビューでは、これまでの少子化対策は、「産みやすい環境をつくる」ことに重心を置いていたことを踏まえ、これからは虐待しない親を作ることも、政治に求められていることだと語り、虐待をしてしまう不安を抱える親の相談所を整備すべきだと主張している。

◎ その他

・ 永住外国人への地方参政権付与について、2016年のアンケートで「反対」と回答。
・「治安を守るためにプライバシーや個人の権利が制約されるのは当然だ」との問題提起に対し、2016年のアンケートで「どちらかと言えば賛成」と回答。安倍晋三首相は2月15日の衆議院予算委員会で野党の批判に反論し、高市の発言を擁護した。政府の姿勢をどう思うかとの問いに対し、2016年の毎日新聞社のアンケートで「問題とは思わない」と回答。
・ 私事性的画像記録の提供被害防止法(リベンジポルノ法案)の取りまとめを行った。
・ 当時野党議員であった2011年、厚生労働委員会での子ども手当の支給に関する改正案についての審議で、子ども手当よりも東日本大震災の復興へ予算をまわす事が先決であると述べた。改正案が成立すると「子ども手当を廃止して、被災地の皆様の復興の為に使いたかった。力、足りなくて申し訳ございません」と投稿した。 こども家庭庁の予算7兆円もありながら何も成果を上がらず予算が足りないと言って批判されるが政治資金パーティーを実施。

● 発言


◎ 「八紘一宇」をめぐる発言

◇ 概要 2015年3月16日、参議院予算委員会において企業の国際的な租税回避問題に関する質問をした際「八紘一宇」という言葉をとりあげ「日本が建国以来、大切にしてきた価値観である」と述べた。質問中、清水芳太郎の著書『建国』を引用し、以下の発言をした。
◇ 賛同
・ 歴史的な視点によるもの 大原康男は、東京裁判(リンク)で「八紘一宇」が問題とされた際、判決で「その伝統的な文意は、究極的には全世界に普及する運命をもった人道の普遍的な原理以上の何ものでもなかった」と判断されたことに言及し、「こうした経緯を鑑(かんが)みれば、「八紘一宇」が国策に利用された過去があったにしろ、その本義を踏まえた上で今日的な文脈で捉え直した三原議員の発言を頭から否定するのは、言論の封殺に繋(つな)がると言わざるを得まい」とコメントしている。 また、清水芳太郎は国家主義者であり、その著書を引用することはけしからんとの上記批判に対しては、片山杜秀が文芸春秋で反論を行っている。清水の思想は、弱肉強食の原理で敵を倒し搾取することを否定し、むしろ敵を拝んで仲間とすることで平和を達成しようとした点に要点があると指摘、「日本は八紘一宇という建国の精神を改めて想起し、グローバリズムの悪しき側面と戦うべきだ。三原議員はそのような含みで発言したのではないか」と擁護した。さらにこの点を示す清水の著作を引用し「キリストは汝の敵を愛せよと言った。日本教に於いてはもとより当然のことである。(中略)皇室に於かれては、常に敵を拝まれた。敵をも拝むのは、日本宗教の本来の伝統だ。この包容あってこそ、多種多様の民族が、日本において融合統一されたのである」と述べ、八紘一宇の言葉が記された建国の詔には敵を拝む精神が大きく刻印されていると主張した。
・ 経済的な視点によるもの また、小林よしのりは「ピケティみたいなことを主張しているわけで、右巻きの者たちを説得する手段として「八紘一宇」を使ったわけだ。なかなかやるじゃないか」「安倍政権は多国籍企業に有利な政策しか取らないから、どうせ無理な提案だっただろうが、三原じゅん子が強欲資本主義に一定の疑問を持っていることには驚いた」と評した。
◇ 批判
・ 歴史的な視点によるもの ネット上では、「意図する内容を伝えるなら別の言い方があったのではないか」「本来の意味よりも戦時統制のプロパガンダとしてとらえられる危険性が高いのになぜあえて使うのか」「結果的に戦争に結びついた言葉なので、使わない方がいいのではないか」などの慎重な意見が出た。 斎藤美奈子は東京新聞で同発言を「会心の無恥」であると批判し「口が滑った程度の話じゃないからね。(中略)歴史のお勉強をサボると、こういう惨事を招くんです。いずれにせよ、侵略戦争を正当化したいという願望がなげればこんな無知かつ無恥な発言は出ないはず。(中略)厳しく処分しないと禍根を残すよ」とコメントした。また、「戦時中のスローガンを国会でなぜ?」(3月19日付朝日新聞)や「侵略戦争を正当化」(同日付東京新聞)、「戦意活用スローガン『八紘一宇』国会発言」(3月27日付毎日新聞)など、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞とリベラル系メディアが一斉に批判した。さらに、三原が質問の中で清水芳太郎の著書『建国』を引用したことについては「北一輝の流れをくむ国家主義者」を礼賛したとの批判がなされた。 日本美術史が専門の佐藤康宏は、「神武天皇の実在を信じる」三原の発言は「迷妄」であると断じている。
・ 経済的な視点によるもの このほかにも、同発言はアベノミクスに対してネガティブなインパクトを与えると観点からも批判がなされた。冷泉彰彦はニューズウィーク誌上で三原の発言に対し、「租税回避への批判を行うということは、現時点では、つまり日本経済がデフレ克服ができるかできないかの瀬戸際においては、明らかに優先順位が低い問題だということです」「せっかく法人減税をしてビジネスの海外流出を防止しようとしたのに、大企業優遇をイヤがる世論に迎合して、急務である改革よりも『多国籍企業バッシング』というまるで左派ポピュリズムに迎合したようなことを言っているわけです」との批判を行った。

◎ 「神武天皇」をめぐる発言
2016年7月10日放送の『池上彰の参院選ライブ』(テレビ東京)では、「神武天皇の建国のそのときからの歴史というもの、全てを受け入れた憲法を作りたい」と発言し、池上彰から「神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか」とを問われると「そうですね。いろんなお考えがあるかもしれませんけど、私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています」と答えた。「学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた天皇はその後だということになってますが」と池上から指摘されると、「神話の世界の話であったとしても、そうしたことも含めて、そういう考えであってもいいと思います」と答えた。

◎ ワクチンの公費助成に関する国会での発言
2010年10月21日、厚生労働委員会でワクチンの公費助成をめぐり、以下の発言をした。 積極的な国の推奨により子宮頸がんワクチン接種を受けた少女らに、副反応と疑われる重篤な障害が起こり、社会問題となったが、こうした被害者の救済に関し、厚生労働委員会で以下の発言をした。

◎ 健康増進法の改正をめぐる発言
2017年5月15日の自民党厚生労働部会において、受動喫煙防止を目的とした屋内原則禁煙の健康増進法改正をめぐり、以下の発言をした。 この発言中、大西英男から「働かなければいいんだよ」という野次が飛び、問題となった。 これに対し、三原は以下のように述べた。 2018年7月10日の参院厚生労働委員会において、三原は大西の一連の行動について、「当初は様子を伺って、世間からの批判が大きくなって初めて、言い逃れのような釈明を行うというのも潔くないなと感じました」と評した。また、大西の発言内容についても、「がん患者の方々もがん患者の就労はまだまだ厳しい中、危機感を持っている。患者らからも怒りや悲しいという声が寄せられたと述べておられました。私も全く同感です」と述べた。

◎ 「政権を握っているのは総理大臣だけ」
2019年11月1日、自民党女性局のアカウントはツイッターで、女性局の役員を紹介した。これについて、「こんなんが政権握ってりゃ世の中、良くなる訳ない」と他のユーザーから返信を受けると、女性局長であった三原は自身のアカウントで、2日に「私たちは政権握っていませんよ(笑)」と反論。さらに3日には「皆様、コメントが凄いことになってますね〜(笑)正確に申し上げましょう。政権を握っているのは総理大臣だけですよ」、4日には「政府は行政府で与党は立法府で三権分立の観点から同じに捉えるのは、。」、「皆様、大元のツイートから離れていってる〜(笑)私が政権を握ってるのですか〜⁉もしそうなら凄いな。」と持論を展開したが、議院内閣制の日本では、選挙を通じて国会の多数派で得た与党(=自民党と公明党)が政権を担っており、誤りである。これらの投稿を受け、「議院内閣制を分かっていない」「安倍首相による独裁国家だったのか」などと批判が相次ぎ、元新潟県知事の米山隆一からも批判を受けた。

● 人物

・ 1987年4月には、カメラマンとのトラブルがあった。当時のデイリースポーツの報道では、写真週刊誌の契約カメラマンが三原の男性関係を取材するため、尾行。4月1日夕方から2日午前0時ごろまで原宿のスナック、午前1時すぎから同4時半ごろまで六本木のクラブで酒を飲み、知人男性とタクシーに乗りこんだため、追跡し、2人を撮影したところ、男性が激怒し、カメラマンに殴る蹴る。三原も男性もかなり酒に酔っており、現行犯逮捕された。目撃者は「女の声で『テメエなんかぶっ殺してやる』と叫んでました」などと証言。しかし、その後の調べで、三原の関与が薄いことが分かり、5日午後8時ごろ釈放された。当時、メディアは一斉に「三原じゅん子逮捕」などと大きく報道。当初は三原がカメラマンに馬乗りになって暴行などと報じられたが、馬乗りの事実はないとして、起訴猶予処分となった。
・ 自民党の西田昌司参議院議員の影響を強く受けたとされ、参議院予算委員会でも西田の隣席に座り、さまざまなことを教わったという。
・ 菅義偉前首相を支える「菅グループ」に所属し、菅の側近としても知られている。もともと三原は比例区から出馬していたが、2016年参院選で菅の地盤である神奈川選挙区に鞍替えした後、菅の選挙応援演説にも付き従うようになった。
・ 2024年4月、横浜市の自宅駐車場で自家用車(トヨタ・ランドクルーザー)を盗まれたとして、神奈川県警に被害を届け出た。県警が窃盗容疑で捜査している。2日午後5時ごろ車で帰宅。3日昼、外出する際に車がなくなっていることに気付き、警察に通報したという。
・複数のチワワを飼っている。

● 所属団体・議員連盟

・ 日本会議国会議員懇談会
・ 神道政治連盟国会議員懇談会
・ FMシアター 「ある詐欺師の風景」(2004年4月10日、NHK-FM)
・ 青春アドベンチャー 「ラジオの前で」(2007年6月18日 - 29日、NHK-FM) - 工藤あかね 役
・ 青春アドベンチャー 「闘う女。〜そんな私のこんな生きかた〜」(2007年11月26日 - 12月7日、NHK-FM) - 女性ムエタイボクサー 役   青山八郎   河野土洋
 B  夕暮れはセンチメンタル
  1981年1月21日   13位   K07S-155  A  ド・ラ・ム  長戸大幸  中島正雄
 B  泣いてぼっち   長戸大幸
  1981年5月25日   14位   K07S-185  A  サニーサイド・コネクション   竜真知子   網倉一也   松井忠重
 B  ストップ・ザ・サンセット
 1981年7月1日   -  NCS-1432  A  いとしのサマーボーイ  川口真  萩田光雄
  1981年9月21日   20位   K07S-216  A  真っすぐララバイ   三浦徳子   筒美京平   船山基紀
 B  愛ってなんなの
  1982年1月21日   35位   K07S-265  A  氷河期  幸耕平   若草恵
 B  心の棘  長戸大幸
  1982年5月21日   11位   K07S-280  A  だって・フォーリンラブ・突然   T.C.R横浜銀蝿R.S. 山田麗子   TAKU   中島正雄
 B  ほ・ど・ほ・ど・マイ・ダーリン
  1982年9月21日   90位   K07S-333  A  靴音 - Still Liverpool  山田麗子   増尾元章   松井忠重
 B  Still Liverpool(インストルメンタル)   -
  1982年10月7日   28位   K07S-353  A  ホンキでLove me Good   TAKU   中島正雄
 B  身も心も  阿木燿子  宇崎竜童
  1983年2月21日   52位   K07S-376  A  ミスティー・ヒロイン   来生えつこ   南佳孝   松井忠重
 B  ダウン・ビーチ
  1983年5月21日   46位   K07S-400  A  悲・GEORGE  山田麗子    井上大輔
 B  危険  三浦徳子
  1983年9月1日   86位   K07S-460  A  気まぐれSTING   山田麗子  入江純  木森敏之
 B  さよなら BABY FACE   木森敏之
  1984年1月1日      K07S-505  A  夢心中〜MY DESIRE〜  なかにし礼   宇崎竜童  小針克之助
 B  STAY BY MY SIDE  島武実  川崎真弘
  1984年8月25日   83位   K07S-566  A  じゃじゃ馬ならし  及川恒平  芹澤廣明  桜庭伸幸
 B  裸足のストレイ・キャット  宮原茅映  樫原伸彦  鷺巣詩郎
  1985年3月21日      K07S-10002  A  口唇からショット・ガン   宮原茅映  NOBODY   入江純
 B  独り Rock’n Roll  馬場孝幸
  1985年6月10日      K07S-10029  A  とてもいけない過去  阿木燿子   かしぶち哲郎
 B  NITE FLIGHT  福岡有子   松原正樹
  1985年10月21日      K07S-10064  A  So Deep   勝田誠   Haward Killy   Haward Killy Project WAO
 B  City’s Lonely Life
  1985年12月21日      K07S-10074  A  Easy 悪 Rock'n Roll  美衣紫かず美 酒田踊  木下豊美雄  入江純
 B  Be My Baby   Spector・Greenwich・Barry  長岡道夫
  1986年8月21日      K07S-10115  A  殺しは LEMON JUICE で  JUNKO  ANNIE   H.Kelly
 B  TOKYO BLUES  福田純  松本孝弘
 プラッツ
  1991年3月21日      PLDP-1014  1  Straight from the heart(バラード)   Linda Hennrick   井上大輔   Haward Killy
 2  Straight from the heart(ディスコ)
 3  Straight from the heart(カラオケ)   -
 4  CRAZY TOWN  早瀬七美  Haward Killy


◎ アルバム

○ オリジナル・アルバム

・ セクシー・ナイト(1980年)- 1994年2月5日にCDで再発
・ 時限爆弾(1981年)
・ Top Secret(1981年)
・ 乱気流 順子Ⅳ(1982年)
・ Rockin' Road/My Way なんて語れない(ライブ)(1982年)
・ Wash Out(1982年)
・ Windy City 風都市(1983年)
・ I Love Exiting Mini(ミニアルバム)(1983年)
・ MY DESIRE(1984年)
・ じゃじゃ馬ならし(1984年)
・ I Love Exiting Mini(ミニアルバム)(1984年)
・ Versus(1985年)
・ So Deep(1985年)
・ Rock'n Roll パーティー(ミニアルバム)(1985年)
・ スプレンダー(1986年)
○ ベスト・アルバム

・ ベスト・セレクション(1982年)
・ ベスト・セレクション Vol.2(1983年)
・ 三原じゅん子 全曲集(1985年11月21日)
・ アーティスト・コレクション 三原順子(1999年11月26日)
・ 三原順子 パーフェクト・ベスト(キングレコード、2010年7月7日)
・ Junko Mihara 30th anniversary complete collection 三原順子 『JUNKO BOX』(キングレコード、2010年12月22日)
○ オムニバス・・アルバム

・ STRAIGHT FROM THE HEART(CDシングル)(1991年)
・ いつまでも青春してね 「だって・フォーリンラブ・突然」(1991年1月21日)
・ いい歌みつけた 「ファースト・ラブ」(1998年11月27日)
・ キング・アイドル・ヒストリー 「だって・フォーリンラブ・突然」(1999年11月3日)
・ おしえてアイドル キング編 「Easy-悪-Rock’n Roll」(2000年12月25日)
・ Super Select Idol Songs 「セクシー・ナイト」(2002年9月4日)
・ 続・青春歌年鑑 1982 「だって・フォーリンラブ・突然」(2002年11月27日)
・山口百恵トリビュート Thank You For…part2 「愛の嵐」(2005年5月25日)
・ レディーストランス 愛死天流「セクシー・ナイト」、「嵐の素顔」、「また逢える」(2006年10月25日)
・ GIFT 「セクシー・ナイト」(2007年10月24日)
・ MOON (バンド 「THE MOTHER」 のボーカルとして)(2009年5月12日)
・ ラブリー・ビーナス 「セクシー・ナイト」(ソニーミュージック、2010年6月30日)
・ ヴィーナス・レジェンド 〜無敵の80'sアイドル・ヒッツ 「だって・フォーリンラブ・突然」(キングレコード、2010年7月7日)
・ ラブリー・プリンセス 「だって・フォーリンラブ・突然」(ソニーミュージック、2011年1月26日)
・ Bubbly〜バック・トゥ・ザ・’80s(創世期)〜 「セクシー・ナイト」 (ソニーミュージック、2011年4月6日)
・ アイドル黄金時代 「セクシー・ナイト」(キングレコード、2012年5月9日)
・ 筒美京平 GOLDEN HISTORY WAKU WAKUさせて 「真っすぐララバイ」(キングレコード、2012年12月26日)
・ 永遠のアイドル 「セクシー・ナイト」(ソニーミュージック、2013年1月30日)

● 出版


◎ 著書

・ 『片恋いのラブレター あなたに伝えたい』三原順子・著 ワニブックス KKベストセラーズ 1980年
・ 『人形嫌い フォト&エッセイ 蒼い時を超えて』三原順子 ペップ出版 1982年
・ 『もう一度アイラブユー やせたコアラを見てみたい』キャンパスシネマ 2000年
・ 『「シトラ・ノクターン式」成功ダイエット』監修 創芸社 2002年
・ 『生きたい』講談社 2010年
・ 『女性宰相待望論 時代が登場をうながす 対談集』加藤清隆、小池百合子、高市早苗、山谷えり子、ありむら治子、稲田朋美、佐藤ゆかり、丸川珠代、亀井亜紀子共著 自由社 2012年
・ 『よく分かるリベンジポルノ防止法』平沢勝栄、山下貴司共著 立花書房 2016年

「三原じゅん子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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