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浅田 真央(あさだ まお、ラテン文字:Mao Asada、1990年9月25日 -)は、2000年代から2010年代にかけて活躍した日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。中京大学体育学部卒業。マネジメントはヒーローズマネジメント株式会社。
主な競技成績は、2010年バンクーバーオリンピック銀メダル、2014年ソチオリンピック6位入賞、2008年・2010年・2014年世界選手権優勝、グランプリファイナル優勝4回、四大陸選手権優勝3回、全日本選手権優勝6回など。
シングルの選手で男女を通じ史上初めてファイナルを含むグランプリシリーズ全7大会を制覇。2010年バンクーバーオリンピックでは、女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させた。
姉は元フィギュアスケート選手・タレントの浅田舞。
● 人物
愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立高針小学校、名古屋市立高針台中学校、中京大学附属中京高等学校(84回生)、中京大学体育学部体育学科卒業。血液型はB型。名前の真央は、父親が女優の大地真央のファンであったことに由来する。浅田の2005年グランプリファイナル優勝と荒川静香の2006年トリノオリンピック優勝の相乗効果で、日本はフィギュアスケート・ブームになった。
尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどり、エフゲニー・プルシェンコ。伊藤の衣装を着用して競技に臨んだこともあり、「みどりさんの衣装を着るといつも調子がいい」と語っていた。1998年長野オリンピック金メダリストのタラ・リピンスキーにも憧れの言葉を寄せており、彼女の演技を見て自分もオリンピックに出たいと思うようになったという。趣味はジグソーパズルとレゴ制作。現役時代、練習中や試合前によく聴いていた曲はDREAMS COME TRUEの『何度でも』。2005年世界ジュニア選手権で優勝した時からトイ・プードルを飼いだした。愛犬の「エアロ」は、ネスレのチョコレート菓子「エアロ」に由来しており、同製品のイメージキャラにも選ばれた。
オリコンによる「好きなスポーツ選手ランキング」の女性部門において、2007年、2009年、2010年、2011年 2013年 、2014年で1位 となった。バンダイが行ったアンケート「バンダイこどもアンケートレポート」によると、子供が好きなスポーツ選手として、2009年7月(集計は5月に実施)では総合2位・女の子部門1位、2011年9月(集計は7月に実施)では総合1位 に挙げられている。
2020年7月22日に放送された『水曜日のダウンタウン』の「古今東西 日本人知名度ランキング」では、第27位(86.3%)にランクインした。これは女性スポーツ関係者ではトップで、スポーツ関係者全体でも3位である。
● 技術・演技
◎ ジャンプ
アクセルやループを得意とし、当時の女子としては希少な3回転アクセルを含む6種類全ての3回転ジャンプを跳ぶことができる選手であった。小学生のうちから3回転アクセルの練習を始め、2003年の中部ブロック大会(ノービスA)で3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプに成功。
2006年世界ジュニア選手権でショートプログラムに3回転アクセルを取り入れ、2008年グランプリファイナルのフリースケーティング(フリー)で女子シングル史上初の2度の3回転アクセルに成功。2010年バンクーバーオリンピックでは、オリンピックの女子シングル史上初めてショートプログラムで3回転アクセルを成功させた。同一競技会でショートプログラム、フリーと合わせて3度の3回転アクセルを成功させたのも女子シングル史上初であり、ギネス世界記録に認定されている。
一方でルッツやサルコウを苦手、以降はプログラムに入れていない。
かつては3回転フリップ-3回転ループを積極的に取り入れており、数々の試合で成功させていたが2008–2009シーズンからセカンドジャンプで回転不足を取られることが多くなり、2009年世界選手権ショートプログラムでの成功を最後にプログラムから外すようになった。2013年四大陸選手権から再び取り入れるようになり、中々完璧な成功とはならなかったが、2015年NHK杯ショートプログラムで久々に成功と認定された。
◎ ジャンプ以外
しなやかさと力強さを兼ね備え、現行採点では評価のウエイトが大きい柔軟性を生かしたスピンやステップ、スパイラル(現在のルールでは技術要素から外されている)を行うことができ、高いGOEを獲得することができる、またサーキュラーステップシークエンスのレベル4を2009年世界国別対抗戦のショートプログラムで獲得している(2011–2012シーズンからステップのレベル取得の要件が緩和されたが、それ以前にレベル4を獲得していたのはカロリーナ・コストナー、レイチェル・フラット、鈴木明子、浅田の4人のみ)。
● 経歴
◎ 幼少期
1990年9月25日、愛知県名古屋市で誕生。若い頃にバレエダンサーを目指していたというバレエ好きの母の影響で、3歳からクラシックバレエを始める。その後12歳まで越智久美子によるバレエのレッスンを受けていたほか、ジャズダンスや器械体操、英会話など、多くの習い事を経験した。5歳の時、姉の舞とともにスケートリンクに遊びに行き、スケートに出会う。その後、舞とともに門奈裕子コーチが教える名東フィギュアスケートクラブに入会し、スケートに取り組んだ。浅田の母はスケートに関しては素人だったが、トレーニングの本を購入し、1998年長野オリンピックを制したタラ・リピンスキーの演技を映像で見て夜中まで研究するなど、浅田を献身的にサポートした。この試合がきっかけとなり、マスメディアには「天才少女」と呼ばれるようになった。2003–2004シーズンには全日本ノービス選手権Aクラスで2連覇、全日本ジュニア選手権4位、全日本選手権8位の成績を収めた。
◎ ジュニア・シニアデビュー
2004–2005シーズン、ジュニアグランプリシリーズで2戦連続優勝を果たし、ジュニア国際デビューを飾った。ジュニアグランプリファイナルでは、国際大会女子シングル史上5人目、ジュニア女子では史上初となる3回転アクセルを成功させ、優勝を果たした。国内では全日本ジュニア選手権で初優勝し、シニアの全日本選手権でも3回転アクセルを跳んで2位となった。2005年世界ジュニア選手権では大会史上初めて3回転アクセルを成功させ、初出場にして初優勝を果たした。
2005–2006シーズン、シニアのグランプリシリーズに初参戦。初戦の中国杯では世界女王のイリーナ・スルツカヤに次ぐ2位、エリック・ボンパール杯ではサーシャ・コーエンを破ってシリーズ初優勝を果たした。グランプリファイナルではスルツカヤを破り、日本選手として村主章枝以来2人目の優勝を果たした。全日本選手権では非公認ながら女子シングル史上初となる2度の3回転アクセルを成功させ2位となる。グランプリシリーズの実績から2006年トリノオリンピック出場を期待する声もあったが、国際スケート連盟の定めた「五輪前年の6月30日までに15歳」という年齢制限に87日足りず、代表資格を得られなかった。連覇が期待された2006年世界ジュニア選手権は、ジャンプのミスが響き2位に終わった。
◎ バンクーバーオリンピックまで
2006年夏、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、米国カリフォルニア州レイクアローヘッドに拠点を移す。2006–2007シーズンが開幕すると、NHK杯で総合得点199.52点の歴代最高得点を叩き出して優勝。グランプリファイナルは、フリーのジャンプで2度転倒して2位に終わった。地元名古屋開催の全日本選手権では、大会直前に右手小指を骨折しながらも初優勝。東京開催の2007年世界選手権ではショートプログラムで5位と出遅れたが、フリーで当時の歴代最高得点を出して巻き返し、銀メダルを獲得した。
○ 世界選手権初優勝
2007年夏はロシアに渡り、タチアナ・タラソワの下でバレエなどに取り組んで表現力や芸術性の強化をはかった。2007–2008シーズンのグランプリシリーズは2戦とも優勝し、3季連続出場のグランプリファイナルではショートプログラム6位から巻き返して2位となった。全日本選手権では、ショートプログラムでシーズン初の3回転フリップ-3回転ループを成功させ、2連覇を達成した。同年12月、慣れない海外生活での心労 や、5月に中京大学のフィギュア専用リンクが完成し、国内で練習に専念できる環境が整ったことを理由に、練習拠点を米国から愛知に戻す。アルトゥニアンは定期的に来日することになっていたが、四大陸選手権の直前に電話で「責任を持てない」と伝えられたため、師弟関係を解消した。2008年世界選手権では、フリー冒頭の3回転アクセルを踏み切ろうとした瞬間に大きく転倒したものの、その後は落ち着いて演技をまとめた。結果、ショートプログラム2位から逆転優勝を果たし、日本人選手5人目の世界女王となった。
2008–2009シーズンからはタチアナ・タラソワに師事。苦手なルッツやサルコウをプログラムに入れること、フリーで2度の3回転アクセルを跳ぶこと、フリーの『仮面舞踏会』でこれまでとは違う傾向のプログラムを滑ること、と多くの課題に挑戦した。シーズン2戦目、NHK杯のフリーで2度の3回転アクセルに挑戦し、2度目が回転不足判定となったものの、他の出場選手に大差をつけて優勝した。キム・ヨナの地元韓国で開催されたグランプリファイナルのフリーでは、国際大会では女子史上初となる2度の3回転アクセルに成功し、3季ぶり2度目の優勝を果たした。全日本選手権では3連覇を達成。2009年世界選手権では、ショートプログラムで3回転フリップ-3回転ループが認定される一方、3回転ルッツが2回転となるミス。フリーは再び2度の3回転アクセルに挑んだが、2本目で転倒し総合4位となり、シニア国際大会では初めて表彰台を逃した。2009年国別対抗戦はショートプログラムで3回転アクセルのコンビネーションに成功、フリーでは2度の3回転アクセルに挑戦し(2度目が回転不足判定)、キム・ヨナに次いで女子史上2人目となる200点超えの総合得点を記録した。このシーズンはジャンプの回転不足が厳しく判定される傾向にあったため、3回転-3回転が成功と見なされないことが多く苦心した)の評価があることを聞いて落ち込み、一時期は練習の意欲を失った。浅田は伊藤みどり・荒川静香に次ぐ日本女子史上3人目のオリンピックメダリストとなった。試合後にはフリーでのミスに対し「悔しい」と涙を流したが、その夜、母から「銀メダルって凄いんだよ」という言葉をかけてもらったことで結果を受け入れることができたという。
◎ ソチオリンピックまで
2010–2011シーズンは6月から9月頃まで長久保裕をジャンプ専門のコーチにつけ6種類全てのジャンプの矯正に取り組む。9月から佐藤信夫コーチに師事し、ジャンプの矯正も続けた。グランプリシリーズのNHK杯、エリック・ボンバール杯では新しく変えたジャンプに苦しみ、2大会とも表彰台に登れずグランプリファイナル進出を逃した。1か月後の全日本選手権では復調し、ショートプログラム1位、フリー2位で安藤美姫に次ぐ総合2位となる。四大陸選手権ではショートプログラムで冒頭の3回転アクセルが着氷に乱れたもののフリーでは成功させ、シーズンベストを大幅に更新し、安藤に次いで2位となった。連覇のかかった世界選手権は東日本大震災の影響により1か月先に延期、その間に被災地の惨状を目の当たりにし、「こんな時に大会に行ってもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなった。みかねた佐藤コーチから1週間の休養を与えられたが、重要な時期に食が細くなり、いつもより体重が4、5kg減少した。
2011–2012シーズンはグランプリシリーズ初戦のNHK杯で2位、ロステレコム杯では日本選手最多となるグランプリシリーズ8度目の優勝を果たし、3季ぶりにグランプリファイナル進出を決めた。だが、カナダでのグランプリファイナル開幕直前、以前から体調不良だった母親の健康状態が悪化したとの連絡を受けて帰国し、ファイナルを欠場した。その後、母は肝硬変のため死去(48歳没)。浅田はその死の際に間に合わなかった。母親の葬儀翌日の12月13日から練習を再開し短期間の調整で臨んだ全日本選手権では、2年ぶり5度目の優勝を果たした。四大陸選手権ではショートプログラム、フリーともに同シーズン中封印していた3回転アクセルに挑戦したが、どちらも回転不足と判定された。ショートプログラムではトップに立ったものの、フリーではルッツやサルコウなどのミスも響き2位となった(ただし総合点ではシーズンベストを更新した)。世界選手権ではショートプログラム・フリーともに3回転アクセルを含むジャンプのミスが重なり、2年連続の総合6位に留まった。
シーズン終了後にはスケートへの意欲を失い、辞めることも考えたという。その後、トロントとモスクワでの振付作業や、ハンガリーでのバレエレッスンなどを通してスケートへの気持ちが戻り、7月ごろから本格的に練習を再開した。9月中旬から11月中旬までは、かつて師事した越智久美子のもとでバレエのレッスンを受けた。
2012–2013シーズンは中国杯、NHK杯とグランプリシリーズで連勝、だがNHK杯後に疲労から発症した腰痛が悪化してしまう。腰痛が完治していない状況下で臨んだグランプリファイナルでは4年ぶり3度目の優勝を果たした。
○ ソチオリンピック6位入賞
2013年4月、ソチオリンピックシーズンを限りに引退する意向を表明した。2013–2014シーズン、スケートアメリカで優勝。シングルの選手でファイナルを含むグランプリシリーズ全7大会を全て制したのは史上初で、全体を通じても申雪/趙宏博組に続き2組目である。続くNHK杯も2連覇、グランプリファイナルでは歴代最多タイ記録となる4度目の優勝を果たした。
ソチオリンピックでは、団体戦のショートプログラムで冒頭の3回転アクセルを失敗し3位。女子シングルのショートプログラムでも3回転アクセルの転倒に加えて3回転フリップの回転不足、またショートプログラムの必須要素であるコンビネーションが跳べないなど痛恨のミスを犯し、16位と大きく出遅れてしまう。演技後のインタビューでは「何もわからない」と放心状態となった。しかし、翌日のフリーでは冒頭の3回転アクセルを成功。その後も多少の回転不足はあったものの、全6種類、計8度の3回転ジャンプを大きなミスなく滑り切り、142.71点と自己ベストを更新し3位となる。演技を終えると感無量の表情で涙を浮かべ、歓声に笑顔で答えてリンクを去った。結果成績はショートプログラムの点差が響きメダル獲得にはならず、最終順位は6位入賞となった。フリー終了後、世界中から寄せられたエールについて「昨日はすごく悔しい思いをして、心配してくださった方もたくさんいると思うんですけど、今日はこうして自分の中で最高の演技をできたので、恩返しができたと思います」と答えた。
自国・さいたま市で開催の世界選手権ではショートプログラムで完璧な演技を披露して78.66点をマーク、歴代最高得点を更新する演技で首位に立った。フリーでも首位を守り総合では自己ベストを大きく更新し216.69点で4年ぶり3度目の優勝を果たした。世界選手権の3回制覇は、日本男女シングル通じて最多となった。集大成と位置付けて臨んだソチオリンピックシーズンを終えても進退についてなかなか結論が出せずにいたが、2014年5月19日に1年間の競技生活休養を発表した。その後は現役続行の可能性について「ハーフハーフ」と話し、引退するかどうかは休養期間中にゆっくり決める予定であるとしていた。
◎ 競技復帰へ
2015年5月18日、公式ブログにおいて、現役続行の意思を明らかにした。2015–2016シーズン、2015年ジャパンオープンで競技復帰し、141.70点という高得点をマークして女子1位となる。グランプリシリーズ復帰戦となる中国杯を優勝で飾り、NHK杯では3位となりグランプリファイナルに進出するも、グランプリファイナルでの出来はショートプログラムで3位、フリーで6位と芳しくなく総合では最下位の6位に留まった。フリー当日は体調を崩しており、フリー演技後に医師の診察を受けた結果「胃腸炎」と診断され、出場が予定されていたエキシビジョンをキャンセルし緊急帰国した。全日本選手権ではショートプログラムで5位と出遅れるも、フリーで苦手の3回転ルッツをクリーンに成功させ3位となり、伊藤みどりに並ぶ11個目のメダルを獲得した。四大陸選手権と世界選手権の代表に選出されたが、世界選手権に集中するために、四大陸選手権は辞退した。2季ぶりの出場となった世界選手権では、シーズンベストを記録し7位に入った。
2016–2017シーズン、グランプリシリーズのスケートアメリカで6位、フランス杯では9位と不振続きで、3回転アクセルの解禁も全日本選手権まで遅れた。全日本選手権では3回転アクセルを解禁して臨んだが、ショートプログラムでは1回転となり8位と出遅れ、フリーでは転倒。その後3回転ルッツを成功させるものの、その他ではミスが目立って12位となり世界選手権代表を逃した。
2017年4月10日夜、競技選手としての現役引退をブログで表明し、同12日に東京プリンスホテルで引退会見を開いた。
◎ プロスケーターとして
プロスケーターとしての1歩として、アマチュア時代の2007年夏から毎年開催出演するアイスショー「THE ICE」の大阪公演(7月29日~7月31日、大阪市中央体育館)および愛知公演(8月4日~8月6日、愛知県体育館)に出演した。またCMなどタレントとしても活動している。2018年5月からは「全国に感謝を届ける」というコンセプトのアイスショー「浅田真央サンクスツアー」を開催。2021年4月まで全国各地を回り、全202公演を滑り切った。2022年9月からは「過去を超えて進化する」というコンセプトのアイスショー「BEYOND」を開催し、2023年7月まで全国23か所で全103公演を行った。
2023年3月28日、国際規格のスケートリンクと千人規模の観客席を備えた施設「MAO RINK」を2024年秋にも東京都立川市に開設する計画を立飛ホールディングス(立飛HD)とともに発表した。多摩都市モノレール線立飛駅近くの敷地約9000平方メートルを立飛HDが提供して総工費数十億円の大半も負担し、スケート競技やアイスショーだけでなくスケート教室も開催できるほか、浅田の衣装などの展示も予定している(2016年エフゲニア・メドベージェワが更新)
・ 女子2人目となるISU大会での200点超え
・ 女子フリースコア世界記録更新(133.13)、2007年世界選手権 (2007年金妍児が更新)
・ 女子合計スコア世界記録更新(199.52)、2006年NHK杯
・ 女子ジュニア合計スコア世界記録更新(179.24)、2005年世界ジュニア選手権(2012年ユリア・リプニツカヤが更新)
・ 女子初となる冬季オリンピックショートプログラムでの3回転アクセル成功(2010年バンクーバーオリンピック)
・ 女子初となる同一プログラムで2度の3回転アクセル成功(2008年グランプリファイナル)
◎ 他記録
・ アジア人初の世界選手権シングル3回優勝
・ 史上初となるグランプリシリーズ(2005–2013)7大会シングル全て優勝
・女子初となるトリプル・キャリアグランドスラム達成
・歴代3位 グランプリシリーズシングル通算15回優勝
・ グランプリファイナル通算優勝4回シングル最多タイ記録
・ 四大陸選手権優勝3回シングル最多タイ記録
● 競技成績
◎ ISUパーソナルベストスコア
・ SP - ショートプログラム、FS - フリースケーティング
・ TSS - 部門内合計得点(英: Total segment score)は太字
・ TES - 技術要素点(英: Technical element score)、PCS - 演技構成点(英: Program component score)
◎ 戦績表
・ GP - ISUグランプリシリーズ
・ CS - ISUチャレンジャーシリーズ
・ J - ジュニアクラス
・ 括弧内の数字は団体戦における個人順位
・ JGP - ISUジュニアグランプリシリーズ
・ S - シニアクラス
・ 無印 - ジュニアクラス
・ N - ノービスクラス、A - ノービスAクラス、B - ノービスBクラス
◎ 詳細
2000-2004 シーズン
開催日
大会名
SP
FS
結果
2003年12月25日-26日
第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野)
6
8
8
2003年11月22日-23日
第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(京都)
4
4
4
2002年12月20日-22日
第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都)
9
7
7
2002年11月23日-24日
第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋)
3
4
4
2001年11月23日-24日
第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(東京)
8
6
background-color: c9c9c9" 6
● プログラム使用曲
・ 背景が青い箇所は冬季オリンピックシーズン
・ エキシビションのアンコールは含まない
scope="col" シーズン
scope="col" ショートプログラム
scope="col" フリースケーティング
scope="col" エキシビション
scope="row" 2001–02
scope="row" 2002–03
セイ・ヘイ・キッド
インカダンス&アンデス
インカダンス&アンデス
scope="row" 2003–04
scope="row" 2004–05
scope="row" 2005–06
scope="row" 2006–07
scope="row" 2007–08
scope="row" 2008–09
scope="row" 2009–10
scope="row" 2010–11
scope="row" 2011–12
scope="row" 2012–13
scope="row" 2013–14
scope="row" 2015–16
scope="row" 2016–17
● 受賞
◎ 日本オリンピック委員会
・2004年度JOCスポーツ賞 新人賞
・2007年度JOCスポーツ賞 最優秀賞
・2009年度JOCスポーツ賞 最優秀賞
◎ 日本スケート連盟
・2013年度JOC杯
・2016年度特別表彰
◎ 行政
・2005年国際競技大会優秀者表彰(文部科学省)
・2007年国際競技大会優秀者表彰(文部科学省)
・2008年国際競技大会スポーツ功労者顕彰(文部科学省)
・名古屋市スポーツ功労賞
・愛知県スポーツ功労賞
・愛知県県民栄誉賞
◎ マスコミ
・中日新聞 第20回中日体育賞(2005年)
・テレビ朝日
・第40回ビッグスポーツ賞(2005年)
・第43回,第45回,第47回,第48回,第49回ビッグスポーツ特別賞(2008年,2010年,2012年,2013年,2014年)
・第43回テレビ朝日スポーツ放送大賞(2008年)
・第52回ビッグスポーツ特別功労賞(2017年)
・読売新聞 第55回日本スポーツ賞 奨励賞(2005年)
・朝日新聞 2008年度朝日スポーツ賞
・東京運動記者クラブ 2009年度、2013年度スケーター・オブ・ザ・イヤー
◎ 雑誌
・2017年ナンバーMVP特別賞(Number)
・GQ Women of the Year 2018(コンデナスト・ジャパン)
◎ 協会
・2017年度第65回菊池寛賞(日本文学振興会)
・2019年度第20回ベストフォーマリスト賞(日本フォーマル協会)
・2020年度第31回日本ジュエリーベストドレッサー賞(日本ジュエリー協会)
◎ Sports@nifty フィギュアスケートアワード
・2007 コスチューム・オブ・ザ・イヤー ショートプログラム『ノクターン』
・2008 フィギュアスケーター・オブ・ザ・イヤー
・2008 コスチューム・オブ・ザ・イヤー フリープログラム『幻想即興曲』(四大陸&世界選手権バージョン)
・2009 フィギュアスケーター・オブ・ザ・イヤー
・2009 プログラム・オブ・ザ・イヤー フリープログラム『仮面舞踏会』(振付/タチアナ・タラソワ)
● 関連活動
◎ アイスショー出演
海外の興行会社による日本公演
・スターズ・オン・アイス・ジャパン(Stars On Ice Japan)(2007、2008、2010 - 2016) 日本の興行会社による国内公演
・プリンスアイスワールド(2006、2008、2010 - 2014)
・THE ICE(2007 - 2017)
・クリスマス・オン・アイス(2014)
・浅田真央サンクスツアー(2018 - 2021)
・浅田真央アイスショー「BEYOND」(2022 - 2023)
・浅田真央アイスショー「Everlasting33」(2024) 海外の興行会社による海外公演
◎ テレビ出演
バラエティー番組のゲスト出演等は除く。
・24時間テレビ(日本テレビ)
・誓い〜一番大切な約束〜(2008年8月30日)アイスショー「THE ICE」で義手のヴァイオリン少女が演奏する「虹の彼方に」に乗せて演技する模様が放送された。
・ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜(2010年8月22日)アイスショー「THE ICE」で右半身麻痺の少女と競演する模様が放送された。
・人と人〜ともに新たな時代へ〜(2019年8月24 - 25日) - チャリティーパーソナリティー
・ドラえもん秋の1時間スペシャル(2008年10月24日、テレビ朝日、第2期) - 本人役(声の出演)
・浅田真央 ドリーム・ラボ(2009年4月19日 - 2010年3月28日、TBS)
・真央が行く!(NHK BS1、NHK総合でも再放送)
・熊本編(2018年7月24日)
・北海道編(2018年12月16日)
・真央が行く!年末スペシャル(2018年12月31日、NHK総合)
・大阪編~シッティングバレー&アーチェリー~(2019年5月3日)
・岐阜編~競泳&ゴールボール~(2019年7月30日)
・東北編~車いすバスケットボール&やり投げ~(2019年12月7日)
・福岡編~車いすラグビー&パラ柔道~(2020年3月20日)
・横浜編〜パラ卓球&ボッチャ〜(2020年12月12日)
・山梨編〜パラ陸上走り高跳び&車いすカーリング〜(2021年2月7日)
◎ ラジオ出演
・住友生命 Presents 浅田真央のにっぽんスマイル(2015年3月2日 - 6月29日、TBSラジオ) - パーソナリティ
・ 番組枠は姉の浅田舞が引き継ぐこととなった(「住友生命 Presents 浅田舞のマイYOUNG JAPAN ACTION」)。
◎ CM出演
・王子ネピア(2006年 -)
・「ネピア プレミアムソフト ティシュ」
・「ネピア プレミアムソフト トイレットロール」
・「鼻セレブ」
・「ウェットントン」
・「トイレットン」
・伊藤ハム「朝のフレッシュ」(2006年 -)
・NEC「VALUESTAR W」(2006年)
・ 日本コカ・コーラ「大豆ノススメ」(2006年)
・ オリンパス「μ-DIGITAL」(2006年 -)
・ Nestlé「エアロボックス」(2006年 -)
・ オムロン
・ 「電動歯ブラシ」(2007年 -)
・ 「カラダスキャン」(2007年 -)
・ 「歩数計」(2010年)
・ 花王「アジエンス」(2008年 - 2011年)
・ NISSAY(2008年 -)
・森永製菓「ウイダーinゼリー」(2008年 -)
・ロッテ
・「クリミオ」(2008年 - 2009年)
・「ガーナミルクチョコレート」(2009年 - 2016年)
・「クランキー」(2010年)
・「コアラのマーチ」(2011年)
・「デュアル」(2012年)
・佐藤製薬
・ 「ストナ」(2010年 -)
・ 「ストナリニS」(2011年 -)
・ 「ストナリニZ」(2011年 -)
・ 「ナザール」(2017年 -)
・ 「ユンケル黄帝液」(2018年 -)
・エアウィーヴ「エアウィーヴ」(2011年 -)
・JAL(2013年 -)
・住友生命
・「浅田真央応援プロジェクト」(2013年 - 2014年)
・「ヤングジャパンアクション」(2014年 - 2015年)
・「好きこそ、無敵。」(2016年 -)
・アルソア「アルソアクイーンシルバー」(2015年 -)
・アサヒビール「アサヒスタイルバランス」(2015年 -)
・ECC「ECCジュニア開設者募集」(2015年 -)
・MTG ウォーターサーバー「Kirala」(2017年 -) - 愛知県、岐阜県、三重県限定
・JA全農にいがた「新潟米コシヒカリ」(2017年 -)
・おやつカンパニー「おやつタウン」(2019年 -)
・東邦ガス(2019年 -)
・森永乳業「トリプルヨーグルト」(2020年 -)
・宝酒造 松竹梅白壁蔵「澪」(2021年 -)
◎ 雑誌連載
・ 『Number』「私のスケート愛」(隔号)(文藝春秋、2018年3月15日 -)
・ 『クララ』「浅田真央さんがアドバイス☆夢に向かってがんばるみんなへ!」(新書館、2018年4月10日 - 2019年2月9日)
・ 『オレンジページ』「おうちごはん1年生」(オレンジページ、2020年3月2日 -)
◎ 公的活動
・2006年3月31日、ナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズ対広島東洋カープの開幕戦で舞とともに始球式を務めた。『くるみ割り人形』の曲をバックに特注のコスチュームで登場し、谷繁元信捕手に投球。野球観戦は初めてだったそうで再登板を希望していた。
・2007年4月6日、姉の舞と日本とカナダの観光での交流を推進する「日加観光親善大使」に任命され、冬柴鉄三国土交通相とジョセフ・キャロン駐日カナダ大使と共に記者会見を開いた。
・2010年4月15日、春の園遊会に招待され、明仁天皇、美智子皇后と懇談した。懇談後、記者に「お会いできてすごく光栄でした。本当に優しい方だと思いました」と感想を述べた。
・2010年4月23日、総理官邸に招待され、当時内閣総理大臣の鳩山由紀夫と初対面し、地方自治体などの財源縮小でスケートリンク場が減り続けている現状などを訴えた。
● 関連作品
◎ 書籍
・浅田真央、15歳(文藝春秋、2006年)- ISBN 9784163682303
・浅田真央、16歳(文藝春秋、2007年)- ISBN 9784163696409
・浅田真央、17歳(文藝春秋、2008年)- ISBN 9784163709208
・浅田真央、18歳(文藝春秋、2009年)- ISBN 9784163720302
・浅田真央 age 15‐17(文藝春秋、2009年)- ISBN 978-4167773120
・真央らしく(朝日新聞出版、2009年)- ISBN 9784022505088
・浅田真央 奇跡(ミラクル)の軌跡〜ファースト・フォトブック(新書館、2010年)- ISBN 9784403310577
・浅田真央公式写真集 MAO(徳間書店、2010年)- ISBN 9784198628932
・浅田真央 POWER&BEAUTY(小学館、2010年)- ISBN 9784093881210
・浅田真央物語 Princess Mao(角川書店、2010年)- ISBN 9784046310897
・浅田真央 さらなる高みへ(学研教育出版、2011年)- ISBN 9784052032929
・浅田真央、20歳への階段(文藝春秋、2011年)- ISBN 9784163738000
・浅田真央 Book for Charity(学研教育出版、2011年)- ISBN 9784054049949
・浅田真央 美しく舞う言葉(イースト・プレス、2012年11月18日)- ISBN 9784781608723
・浅田真央 そして、その瞬間へ(学研マーケティング、2013年10月22日)- ISBN 9784052037283
・浅田真央 age 18-20(文藝春秋、2013年12月4日)- ISBN 9784167838959
・浅田真央 夢の軌跡〜ドリームのきせき〜(新書館、2013年12月26日)- ISBN 9784403310836
・浅田真央 希望の軌跡(新書館、2017年8月12日)- ISBN 9784403311154
・浅田真央 私のスケート人生 (新書館、2017年12月15日)- ISBN 9784403231261
・浅田真央 オフィシャルフォトエッセイ また、この場所で(集英社、2018年5月2日)- ISBN 9784087808414
・夢をかなえる力―私がスケートから学んだこと―(新書館、2020年1月25日)- ISBN 9784403330674
・浅田真央 100の言葉(扶桑社、2020年11月30日)- ISBN 9784594086084
◎ CD
・浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック(EMI Music Japan、2007年11月28日)
・浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック 2008-09(EMI Music Japan、2008年11月26日)
・浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック 2009-10(EMI Music Japan、2009年10月14日)
・浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック 2010-11(EMI Music Japan、2010年10月20日)
・浅田真央 スケーティング・ミュージック 2011-12(EMI Music Japan、2011年11月9日)
・浅田真央 スケーティング・ミュージック 2012-13(EMI Music Japan、2012年12月19日)
・浅田真央 スケーティング・ミュージック 2013-14(ユニバーサルミュージック、2013年10月2日)
・浅田真央 スケーティング・ミュージック 2015-16(DVD付属)(ユニバーサルミュージック、2015年11月25日)
・ジュピター ~未来への光~(LIBERA RECORDS、2016年2月17日)
◎ DVD
・浅田真央 20歳になった氷上の妖精(ポニーキャニオン、2011年3月16日)
・浅田真央 Smile ~氷上の妖精10年の軌跡~(ポニーキャニオン、2014年4月16日)
・All History 浅田真央 ~花は咲き星は輝く 浅田舞・浅田真央姉妹11年間密着~(ポニーキャニオン、2014年4月16日)
・『Smile Forever』~美しき氷上の妖精~(ポニーキャニオン、2017年10月4日)
・浅田真央 チャリティーBlu-ray&DVD『祈り』(ポニーキャニオン、2018年4月18日)
・浅田真央 サンクスツアー Blu-ray&DVD(ポニーキャニオン、2020年4月1日)
◎ 著書の発売中止
2012年2月8日に発売予定であったエッセー『大丈夫、きっと明日はできる』(浅田真央著 佐藤雅美著)が浅田の意向により発売中止となった。予定されていたエッセーは209ページにわたり、2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得した以降の生活などを綴ったもので、書店からは10万部以上の予約が入っていたという。 ところが、浅田は2011年12月に母を亡くした事を踏まえ、自身のウェブサイトで「本の宣伝、告知について、私の思いと異なるもので進められたところがあり、出版を中止させていただくことになりました」と報告している。発売を予定していたポプラ社の広報では、宣伝告知ポスターに浅田の写真と『ママ、ほんとうにありがとう』という母の死を強調する様なメッセージが添えられていた事が問題だったのでは無いかと言う見解を示した。また浅田のマネジメント会社では、浅田が出版社側の宣伝方法に不信感を抱き、年明けには出版中止の意向を固めたとの説明をしている。 これについて出版社であるポプラ社のウェブサイトでは、「この本は約1年以上前から企画していたもの」と前置きした上で「一部宣伝方法に著者ご本人の意にそぐわない部分がございましたので、誠に勝手ながら発売を中止させていただきたいと思います。」と読者に向けて謝罪文を公表した。尚、ポプラ社の広報では、出版中止に伴う損害賠償については、その意向を否定し「今後も真央さんのご活躍を心から願っています」と表明している。 またNEWSポストセブンでは、母を亡くした直後にポプラ社へ発売延期を申し入れたが断られた事、その3週間後に「真央ならできる」と、本文から遺言の如く引用した広告を出した事に対し、「ママの死を売り物にするようなことは絶対にやめてほしい」と関係者に洩らしていた事、そして追い討ちの如く「ママ、ほんとうにありがとう。何度、ありがとうと言っても足りません」と、本の引用ではない宣伝用の言葉が用いられた事の3つの要因による決断であるとの、フィギュア関係者の見解を紹介した。
「浅田真央」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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