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花菱 アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年〈明治30年〉7月10日 - 1974年〈昭和49年〉7月25日)は、大正・昭和期の漫才師、俳優である。本名:藤木 徳郎。福井県勝山市出身。
● 来歴
生家は法沢寺という寺院であった。幼くして両親とともに大阪に移り住む。父は仏壇職人になった。移住後、アチャコは奉公に出るなどしていたが、遊芸に興味を持ち、1913年に15歳で新派の山田九州男(山田五十鈴の父)の一座に入って「東明幸四郎」と名乗り、千日前敷島倶楽部で初舞台を踏む。1914年、神戸の喜劇一座「鬼笑会」に入り、漫才に転向。このとき「花菱アチャコ」を名乗る。芸名のうち、亭号の「花菱」は、生家の家紋が由来である。「アチャコ」の由来について、アチャコが決まって説明していたのは「鬼笑会」時代に先輩役者からつけられたあだ名「アーチョン」が転じた、というものである。
1952年に長沖一原作のラジオ番組『アチャコ青春手帖』が大ヒット作となり映画化された。後番組で『アチャコほろにが物語 波を枕に』を経て、引き続き浪花千栄子と共演した『お父さんはお人好し』が人気を博し、これも映画化された。1959年に吉本興業が演芸部門を再開させると、吉本の一枚看板として吉本バラエティの初期を支えた。
テレビが日本の家庭に普及しつつあった高度成長期に「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」「さいなもうー…」の台詞で一世を風靡。
1953年12月24日に千日グランドの杮落しでエンタツと久しぶりに客の前で「僕の家庭」を披露、1963年にはNHKで放映された「漫才の歴史」の番組「漫才繁盛記」(構成:小林信彦)においても披露したが、ブランクを感じさせない名コンビぶりを発揮した。
1974年7月25日、直腸癌のため死去。。戒名は阿茶好院花徳朗法大居士。
◎ 弟子など
弟子には、粋曲漫談ののれん太郎、漫談の鶴乃一声、三五郎、岡八朗、石川大介(付き人)、石川寿子(付き人)、西川花助(付き人)などがいる。
かつて、実質の孫弟子(岡八朗の弟子)「オール阪神・巨人」に「二代目エンタツ・アチャコ」を継がせるという話があったが、オール阪神・巨人側が「おそれ多い」と断った。
孫のアチャマゴ久利(藤木久利)はレゲエミュージシャンで、「アチャコ一座」というバンドを結成して活動している。また、大阪市中央区高麗橋に、1952年からアチャコの妻が経営していた店は現在(2014年)はアチャマゴがたこ焼き屋「ACHAKO」として経営中。
● 歴代相方
菅原家千代丸、横山エンタツ、浮世亭夢丸、千歳家今男とコンビを組む。
● 著書
・
◎ 関連書籍
・のち文春文庫
・「第2章 花菱アチャコ」
● 花菱アチャコを演じた俳優
・角野卓造(1984-1985年・NHK総合 連続テレビ小説『心はいつもラムネ色』) - 役名は「金菱アチャコ」
・オール阪神(1988年・関西テレビ 花王名人劇場『にっぽん笑売人』)
・沢田研二(1998年・舞台『FINAL ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな』)
・桂茶がま(2012年・東海テレビ『鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記』)
・中川礼二(中川家)
・(2012年・舞台『吉本百年物語 キミとボクから始まった』)
・(2021-2022年・NHK総合 連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』)
・北山雅康(2012年・舞台『吉本百年物語 笑う門には、大大阪』)
・藤原光博(リットン調査団)(2012年・舞台『吉本百年物語 わらわし隊、大陸を行く』)
・兵動大樹(矢野・兵動)(2012年・舞台『吉本百年物語 焼け跡、青春手帖』)
・前野朋哉(2017-2018年・NHK総合 連続テレビ小説『わろてんか』) - 役名は「潮アサリ」
・塚地武雅(ドランクドラゴン)(2020-2021年・NHK総合 連続テレビ小説『おちょやん』) - 役名は「花車当郎」
「花菱アチャコ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2025年1月30日13時(日本時間)現在での最新版を取得
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