ランキング131位
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佐竹 雅昭(さたけ まさあき、1965年8月17日 -)は、日本の空手家、格闘家、コメンテーター、政治活動家。大阪府吹田市出身。大阪府立北千里高等学校、関西外国語大学卒業。
● 人物
佐竹自身が造った言葉「闘志天翔」(「運命とは、すでに決められたもの、それを自分の力で切り拓き、突き進み、変えていくことが人生」を意味する)を座右の銘とする。
大学卒業後、不動産会社の内定を蹴って正道会館の職員となり、その後プロに転向した。
K-1創設に携わり。
1996年
:10月18日、K-1 STAR WARS '96で1年半ぶりに復帰するも、アンディ・フグに0-3の判定負け。
1997年
:7月20日、JAPAN GPに出場。決勝で鈴木政司に勝利し優勝。
:11月9日、K-1 GRAND PRIX'97の決勝トーナメントに進んだが、準々決勝においてアンディ・フグに1R15秒、左ハイキックでKO負けした。
1998年
:8月28日、JAPAN GPに出場。決勝で中迫剛に勝利し二連覇を果たした。
:9月27日、K-1 GRAND PRIX'98のGP1回戦でグラウベ・フェイトーザに判定勝利するも、12月13日の準々決勝でピーター・アーツに1R2分40秒、左膝蹴りでTKO負け。
1999年
:10月5日、 K-1 GRAND PRIX '99のGP1回戦で武蔵と対戦し、ダウンを奪うも0-3の判定負け。その直後リングサイドにいた石井和義館長と結果を巡って激しい口論を交わした。この敗戦を最後にK-1および正道会館から離脱。
2000年
:1月30日、PRIDE初参戦となったPRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦のGP1回戦でマーク・コールマンに1R1分14秒、ネックロックで敗れる。
:10月31日、PRIDE.11で小川直也と対戦し、スリーパーホールドで一本負け。
2002年
:4月28日、PRIDE.20でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、ジャーマン・スープレックス気味に投げられKO負けとなった。この投げで頭蓋骨骨折し病院で開頭手術を受け、背骨にもヒビが入る重傷を負った。
:11月17日、K-1主催のプロレスイベントファンタジーファイトWRESTLE-1にリングネーム「SATA...yarn」(さたやん)としてプロレスデビュー。アブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦し、大回転チョップなどを繰り出すも、毒針エルボーからの体固めで敗退した。
:12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002で吉田秀彦と対戦し、フロントネックロックで一本負け。この試合をもってプロ格闘家としての現役を退く。
2003年
:1月19日、WRESTLE-1でアブドーラ・ザ・ブッチャーと再戦し、またしても毒針エルボーからの体固めで敗退した。
:10月、「総合打撃道」を掲げ、京都府京都市内に佐竹道場を構える。得票数27582票(得票率0.6%)。
● 逸話
・ 小学時代は少年野球でキャッチャーを担当していた。
・ 1986年1月の吹田市の成人式の際は、新成人代表として壇上で挨拶をした。
・ 1992年から1994年にかけて、佐竹本人を主人公とした実録漫画『となりの格闘王』が、週刊少年チャンピオンで連載された。
・ トレーディングカードゲームであるマジック:ザ・ギャザリングをプレイしていたことがあり、関口宏の東京フレンドパークII出演時にダーツの景品としてBlack LotusとAncestral Recall(共に高額なレアカード)をリクエストしたことがある。ゲーム雑誌『ゲーメスト』『メガストア』でコラムを連載していたことがあり、コラム内ではマジック・ザ・ギャザリングの話題が多かった。
・ 1992年、みうらじゅん、筋肉少女帯、人間椅子のメンバーで構成されたロックバンド「大日本仏像連合」のメンバーとして加入。佐竹は筋骨隆々の肉体を生かしたパフォーマーとして参加した。
・前田日明を慕っており、1999年2月の前田の引退試合での対戦相手であったアレクサンドル・カレリンが来日しないという噂が事前に流れた時、対戦相手に立候補していた。試合は予定通りカレリンを相手に行なわれている。
・ 引退後、著書『まっすぐに蹴る』で、石井和義による搾取、正道会館の後輩が死亡事故に見舞われた事例、角田信朗に人望がなく後輩から苦情を出されていたという人物評等、所属していた正道会館の内幕を語っている。
・ 同書で書かれていた自身のパンチドランカー気味の症状については、2015年の取材インタビューで、当時医者からこのまま試合を続けていたらアルツハイマーになると忠告されただけであり、「実はパンチドランカーでも何でもありませんでした。ですがいつの間にか、まわりにパンチドランカー扱いされていました」と否定している。
・ 得意技のひとつであるローキックの威力は多くの選手からも恐れられており、ピーター・アーツやアーネスト・ホーストにも「K-1選手の中でもトップクラスの破壊力」と言わしめた。
・ K-1創成期当時、佐竹以外にヘビー級で戦える日本人がほとんどおらず、同じ階級の選手とスパーリングをするには海外に出張稽古に行くなど、ヘビー級選手としてまともにトレーニングができる環境ではなかった。そのため、自分のスパーリングパートナーを自ら育て上げなければならないという状況であった。
・ 『最強の男は誰だ壮絶筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦』の第1回プロスポーツマン大会に出場した際、THE FINAL PUSH-UPという太鼓の音に合わせて1回ずつ腕立て伏せを行う競技種目で、佐竹は300回やり遂げ、池谷幸雄、秋田豊と並んで種目別No.1に輝いたが、佐竹の腕立て伏せが視聴者から疑惑をもたれ、『筋肉番付』内で行われた同種目の全国大会やTBS『SASUKE』の予選会など、現在の腕立て伏せレースでは、用意された顎付け台に顎をきちんとつけないとカウントされず、足を開く範囲も50cm以内というルールになっている。
・人気バラエティ番組『超天才・たけしの元気が出るテレビ』にもレギュラーメンバーとして出演していたが、後年ビートたけしからは『北野ファンクラブ』内で酷評された。また、正道会館時代、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』に何度か出演しているが、現在発売されているDVD版では佐竹の登場シーンはほぼ削除されており、顔が映るようなカットもすべてモザイク処理が施されている。
・ 後述するように、1990年代にはコラムニストとして多数の新聞・雑誌で連載を持っていた。本人によれば、元々愛読誌だった『熱烈投稿』(コアマガジン)の編集部に自ら「アニメのヒロインについて書かせてほしい」と連絡したのが発端。以後「サブカルチャーに詳しい空手家」というポジションで人気を博し、ピーク時には「月20本以上は書いていた」という。
● 戦績
◎ 総合格闘技
◎ リングス
◎ キックボクシング
◎ 空手
◎ ミックスルール
● 獲得タイトル
・ フルコンタクト空手
・ 第3回全日本空手道選手権大会 第4位(1984年)正道会館主催(関西外語大学一回生時・初出場)
・ 第4回全日本空手道選手権大会 準優勝(1985年)正道会館主催(関西外語大学二回生時)
・ 第5回全日本空手道選手権大会 準優勝(1986年)正道会館主催(関西外語大学三回生時)
・ 第6回全日本空手道選手権大会 優勝(1987年)正道会館主催(関西外語大学四回生時・初優勝)
・ 第7回全日本空手道選手権大会 優勝(1988年)正道会館主催(2連覇)
・ 第8回全日本空手道選手権大会 優勝(1989年)正道会館主催(3連覇)
・ 第8回ストロングオープントーナメント重量級 優勝(1988年)士道館主催
・ 第1回リアル空手トーナメント 準優勝(1988年)
・ 第2回リアル空手トーナメント 優勝(1989年)
・ 第1回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会 優勝(1992年)
・ 第2回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会 優勝(1993年)
・ カラテワールドカップ'93 優勝(1993年)
・ キックボクシング
・ ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座
・ 初代UKF世界ヘビー級王座(1993年)
・ KICK世界スーパーヘビー級王座
・ K-1 GRAND PRIX '94 準優勝
・ K-1 JAPAN GP '97 優勝
・ K-1 JAPAN GP '98 優勝
● 芸能活動
◎ 映画
・ 1・2の三四郎(1995年7月15日、東宝) -主演
・ 極道甲子園(2004年4月25日、RIKIプロジェクト)
◎ テレビドラマ
・ 金田一少年の事件簿「金田一少年の殺人」(針生聖典 役)
・ 聖龍伝説 (幻龍三鬼神・雷神役)
・ 爆竜戦隊アバレンジャー第33話(佐竹昭雅 / ヒルリンドウの声 役)
◎ テレビアニメ
・ バトルファイターズ 餓狼伝説(1992年、ジョー・東 役)
◎ バラエティ等
・ マジカル頭脳パワー(日本テレビ)
・ クイズ どんなMONだい?(日本テレビ)
・ 超天才・たけしの元気が出るテレビ(日本テレビ)
・ ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(日本テレビ)
・ バリキン7賢者の戦略(TBS)
・ IT'sアクセス(テレビ東京)
・ オールスター感謝祭(TBS)
・ ゴールデンタイム(フジテレビ)
・ バラいろダンディ(2015年10月2日 - 2018年3月30日、TOKYO MX)金曜ダンディ
・ ゴジラ海を渡る 世界制覇へのシナリオ(1998年 NHK)
・ 出没アド街ック天国(テレビ東京)
・ 「大塚」2001年9月8日
・ 「川越」2002年11月9日
・ BSマンガ夜話『空手バカ一代』(2002年8月8日 NHK BS2)
◎ 佐竹雅昭をモデルにしたオモチャ
・ミクロマン・レッドパワーズ L-07 スーパーサタケ(タカラ)
・ミクロマン・レッドパワーズ L-21 レーザーサタケ(タカラ)
・変身サイボーグ99 サイボーグサタケ(タカラ・ハイパーホビー誌上限定販売)
◎ ラジオ
・ 佐竹雅昭の平成武師道 俺たちの背中を見ろ!(Kiss FM KOBE 89.9)
・ SNK一撃ネオ・ラジオ(MBS毎日放送)
・ 佐竹・林原の覇王塾(以降『-覇王塾F』→『-無法塾』→『-阿呆塾』とタイトル変更)
・ 佐竹雅昭の暁の黒海老団
◎ 音楽
・ 覇王咆哮(佐竹雅昭with林原めぐみ名義)CDアルバム。全9曲中6曲ボーカル、1曲林原めぐみとのデュエット。エース清水(聖飢魔II)プロデュース。
・ 闘志天翔 -覇王 佐竹雅昭のテーマ- (伊福部昭提供『怪獣大戦争マーチ』の新編曲バージョン)
◎ CM
・ 餓狼伝説SPECIAL - (ジョー・ヒガシ役)
・ 覇王マガジン - (創刊時の雑誌名は『スーパーゲームマガジン覇王』)
・ ツムラ「インセント」
● 執筆等
◎ 書籍
・ 世紀末覇者伝(1992年12月、JICC出版局) ISBN 9784796605465
・ まっすぐに蹴る(2003年12月5日、角川書店)ISBN 9784048838580
・ 武師道 ‐士から師へ-(2011年12月1日、角川書店)ISBN 9784041100349
◎ 連載
・ ゲーメスト 連載コラム「天使万歳」(1992年 - 1998年) - 1993年からは「天使万歳 ふたたび」と改題。
・ 朝日新聞 夕刊コラム「私の○○」(1995年6月19日 - 6月23日の全5回) - 学生時代の最後の試合、炒めもの、怪獣、パソコン、漫画などについて書いた。
◎ 雑誌記事
・ 特撮雑誌 宇宙船 1992年夏号 - 「特撮とプロレス」の記事で取材を受ける。また竹内義和が連載コラムで「友人の佐竹」について記している。
・ BRUTUS 1995年8月15日号 - コレクター特集の記事で自室を公開した。
「佐竹雅昭」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2025年5月10日7時(日本時間)現在での最新版を取得
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