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ダンプ松本


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ダンプ 松本(ダンプ まつもと、1960年11月11日 -)は、日本の女子プロレスラー。タレント、女優。本名・松本 香(まつもと かおる)。身長164cm、体重100kg、血液型B型。埼玉県熊谷市出身。えりオフィス所属。「D・松本」と表記されることもある。

● 人物
中学時代は、バスケ部、水泳部に所属していた。デビュー前はマッハ文朱の大ファンだった。私立大宮開成高校へ入学。高校一年と二年度には補欠ではあるがアーチェリーでインターハイへ出場した。同校卒。 幼いころから父親の金銭問題・DV・女性問題などで苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、ビューティーペアに憧れて女子プロレスラーになることを志す。 1980年に全日本女子プロレスで本名の松本香でプロデビュー。1984年の年明けにリングネームをダンプ松本と変更すると、クレーン・ユウと共にヒール軍団『極悪同盟』を結成。のちに加わり一番弟子となるブル中野らとヒールのタッグチームを組み、人気沸騰中だった正規軍「クラッシュギャルズ」(ライオネス飛鳥と長与千種が当時結成していたコンビ名)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切りデスマッチを行った。フジテレビ系列で放送されていた『全日本女子プロレス中継』ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ」と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの松永高司会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある。ダンプは松永会長からは生前大変に可愛がってもらったとインタビューなどで度々語っている。 得意技はラリアット。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。 悪役レスラーとしての全盛期は、女子プロレスファンの年齢層が低めで、いわゆるマーク(アングルを本気で信じる若年層)が多かった。そのため、ダンプのアンチが実家に押しかけ、「ダンプ出て来い」と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを何度も受けた。他にも当時ダンプが購入したばかりの真っ赤な新車のフェアレディZを納車直後に傷つけられる、私物の自転車や原付バイクを破壊されたり、当時の自宅マンションの空き巣被害や街中で罵声を浴びせられる、飲食店や服屋、デパートなどでの入店拒否など、ヒールとしての嫌われぶりは相当で、付いた異名が「日本で一番殺したい人間」であった。1985年8月に大阪城ホールで行われた長与との敗者髪切りデスマッチでは、試合終了後に暴動状態となり、500~600人のファンが極悪同盟の選手バスを取り囲んで揺らすという事態まで発展した。ダンプは当時の事を「警備員にまで殴られる始末だった。あの時は本当に殺されるかと思った」と述べている他。 また、『夕やけニャンニャン』の片岡鶴太郎への襲撃(片岡へのドッキリ)、『毎度おさわがせします』に出演する格闘技素人の中学生男子(という劇中設定)らに技をかけたり殴る蹴るといった「女チンピラ」のような役どころの影響で、女子プロレスを知らない層にも「ダンプ=公私関係なく乱暴者」というイメージがさらに独り歩きした。母親に怖い思いをさせたことで一時は悪役レスラーを続けるか悩んだが、当時はまだ薄給だったため、つらい中でも必死で頑張ったという。努力の甲斐あって、徐々にギャラも上がっていくとデビューから5年後には、深谷市に念願だった新築一軒家を購入して母親にプレゼントしている。2019年8月7日にはダンプが幼少時から確執があった父親が逝去した。殺意まで抱く相手であり、50年の間、口を利かなかった父親だが、晩年の入院中に意識が朦朧とした中で「この人は誰だかわかる?」と看護師に問われ「ダンプ松本」と答えたことから、テレビで自身を応援していたことを悟り、和解に至った。これが父との最後の会話となった。正確には、その4か月前に父が肺炎で入院していた際に、医師から「持ってあと1週間です」と言われた瞬間、憎しみが消えたという。退院後、認知症の症状が見られた父を介護施設に入所させたが、憎んでいた頃とは全く別人となっていた父と初めて二人きりで写真を撮るなど、父に対する態度は既に軟化していた。ヒールで世間から嫌われていた為に、母親や妹からは逆にダンプがプレゼントした実家へ1988年の全女引退時までは帰って来ないでとも言われていたという。 当初、リング上でダンプが頻繁に用いる凶器は金属チェーンや鞭だった。しかし、凶器を振り回す際、誤って自らを攻撃し激しい痛みがあったことや、場外乱闘中のアクシデントで「全日本女子プロレス中継(フジテレビ)」 常連ゲストの松岡きっこが指を負傷するといった経験から、現在まで愛用している竹刀へ変更した。ほかにもフォークやハサミ、一斗缶なども試合中には多用した。中継試合ではゲスト出演するタレントを威嚇して無礼な態度をとることが定番だった。しかし、ゲストのガッツ石松はダンプの行為に対して本気で怒り、殴りかかる勢いで抗ったため内心は恐怖で逃げ出したかったが、テレビカメラの前だったため平静を装ったという。また、試合前の入場時や試合後に控え室へ戻る際、テレビカメラマンに対する竹刀での攻撃も定番であった(当時、極悪同盟に肩入れしていたレフェリーの阿部四郎も、ダンプに便乗する形で蹴りを見舞ったり物をぶつけるなどカメラマンを攻撃することがあった)。 凶器を多用した試合内容ではあるが、危険度の高い技の使用は控えている。流血した際は麻酔なしで縫合させられ、ダンプ自身が抜糸を行っていた。食事を共にするなどプライベートでも親交のあったプラム麻里子が試合中の事故で亡くなった際、マスコミに対し「最近危険な技が増えてきていて、いつも危ないと思うことがある。いくら体は鍛えられても頭だけは鍛えることができない」と涙ながらにコメントした。 試合中の奇抜なメイクは、ヒールレスラーでありながら笑うとえくぼが出てしまう可愛らしい童顔を隠すために行っていた。デザインはハードロックバンド「KISS」のコープス・ペイントを参考にしている。コスチューム代は自己負担だった。ブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。その際アジャは、希望したベビーフェイスではなくヒールレスラーとして極悪同盟への加入が決まり、渋々取り組んでいたことが普段の態度からも完全に滲み出ていたことに理由があるとして、「自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから」と述懐している。古参となった2016年のインタビューでアジャは「当時の自分は考えがまだ子供でダンプさんも極悪同盟も悪役だったから大嫌いで、グループ内で露骨に嫌な態度を取り続けていて他の仲間からは嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。1988年にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した」と、ダンプを敬愛するコメントを出している。しかし、新人時代に極悪同盟を辞めたいというストレスから、禁止されている飲酒をし酔った勢いで先輩達の制止を振り切りダンプに向かって「鬼は外!」と言い放ちかっぱえびせんを投げつけた事があった。翌日ダンプに殺されると思ったが、ダンプは寛容な態度で一切お咎めが無かった。その出来事から15年後の深夜に泥酔したダンプから電話があり、「アジャちゃんはダンプちゃんの事を嫌いだから、かっぱえびせんを『鬼は外』って投げたんだよね〜?」と当時のエピソードをしっかり記憶しており通話中には冷や汗をかいたとインタビューで語っている。 抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの2人はダンプと同期である。長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあった。飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったため、デビュー前から現在に至るまで公私共に親交が深い仲。しかし、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場での会話や懇意にすることは厳禁だった。そのため、クラッシュギャルズファンに二人の仲を悟られぬよう、プライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までクラッシュの2人とは口を利かなかった。また、会社の上役から身に覚えのない互いの悪口を焚きつけられ、一時は長与や飛鳥と険悪な雰囲気になっていたこともインタビューで明かしている。この件は、後年ダンプとクラッシュの2人が話し合った際、会社に仕組まれていたことが判明し誤解が解けたという。また、全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、ファンは要らないと当時のインタビューなどで語っていた。本心はファンに応援されることがとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る際も「暇じゃねぇんだよ」など、あえて辛辣な言葉を浴びせたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来は優しい人柄で、ファンに声を掛けられると手を振るなどの対応をしてしまうため、「ヒールなんだからそういうのはダメ」とダンプは注意していたという。だが、最初の引退間近の1988年頃から、試合では相変わらずヒールに徹したダーティファイトをしながらも地方興行先では公の場でもベビーフェイス選手と親しげに会話したり、サインや握手、写真撮影などのファンサービスにも応じるようになっていった。 現在は極悪支部というファングループも全国各地に点在し、当時とは異なり「ファンサービスも喜んで応じます」とインタビューで語っている。理想のタイプは俳優の中村雅俊。中村の大ファンであることを現役当時から公言している。 1980年代には、生きたニワトリをハサミで斬首するパフォーマンスを画策したが、生きたニワトリが手に入らなかったため頓挫してしまった。 ダンプ松本の半生を描いたドラマ『極悪女王』が、Netflixにて2023年より配信予定。

● 所属

・ 全日本女子プロレス(1980年 - 1988年)
・ フリー(2003年 -)

● 経歴
1980年 - 前年の全日本女子プロレス新人オーディションに合格するも、プロテストにパスできず、一時は全女の営業車の運転手をしていた。過酷なトレーニングを数多く経験している。先輩の指示で道場に飾られた亀の甲羅を背負い這いずり回ったり、地方巡業中に移動バスの座席へ座ることも許されず長時間立ち通しだった。おもちゃのお金を渡され買い出しへ行くよう強制されたり、ドライブインでの休憩中、故意に置き去りにされ走ってバスを追いかけるなど、幾つもの壮絶なしごきを受けたこともあったという。当時のファイトスタイルは、ニコニコとした顔と丸い体型に合うヒールでありながらコミカルなもので、数年間は全く芽の出ない前座・やられ役の地位に甘んじていたが、1月、地元の熊谷市民体育館にてライオネス飛鳥の持つ全日本選手権に挑戦。飛鳥の負傷箇所である膝を執拗に痛めつけTKO勝ちを収めベルトを強奪する。その後、立野記代、山崎五紀を相手に2度の王座防衛に成功。6月、大宮スケートセンター大会でリターン・マッチに臨んだライオネス飛鳥にベルトを奪い返される。年末のフジテレビ杯争奪タッグトーナメントでは、新人の小倉由美とタッグで出場するも1回戦で敗退。 1984年 - タランチェラの引退、デビル雅美・山崎五紀のヒールからの離脱を機にデビル軍団と袂を分かち、マスクド・ユウ(のちのクレーン・ユウ)と極悪同盟を結成。その直前に本名の松本香から、ダンプ松本へと改名。上役などに伺いを立てず髪を金色に染め上げ試合会場へ登場し、その直後から顔面に派手なペイントを施すスタイルを確立。前年から人気・実力が急上昇していたクラッシュギャルズの対抗馬として名乗りを上げる。レフェリーの阿部四郎と結託し、反則攻撃の「黙認」やクラッシュギャルズに対する超高速フォールカウントなど、贔屓レフェリングのもとに凶器攻撃を多用する徹底的なヒールファイトを展開し、クラッシュファンの少女たちから、憎悪を一身に浴びる存在に。両チームのシンプルな戦いの構図が熱狂を呼び、女子プロレスは全国的なブームへと発展していく。極悪同盟のメンバーは、ブル中野・コンドル斉藤・ドリル仲前・影かほるなど。この時期と前後して、先輩レスラーたちのいじめは嫉妬に変わっていき、会社の上役にダンプへの不満を訴えたが、松永会長は「俺はダンプを取る。不満ならお前たちが辞めろ。」と突っ撥ねてくれたという。 1986年 - WWF(現WWE)に短期間の参戦。現地でもブル中野とタッグを組み3月8日にボストンのボストン・ガーデンでベルベット・マッキンタイヤー&ドーン・マリー組と、同月16日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでマッキンタイヤー&リンダ・ゴンザレス組と対戦している。ビクターエンタテインメントからミニアルバム『極悪』を発表して歌手デビューし、芸能人水泳大会にライバルの長与千種と出演したり、月刊明星では読者のお悩み相談コーナーもレギュラー担当するなど、本業のプロレスと並行して芸能活動も数多くこなした。 1988年 - 1月4日の後楽園ホール試合後に、全女には秘匿しマスコミを集め電撃引退を発表した。引退後は、ダンプの元気で明るくユニークなキャラクターを生かして本格的にタレント、女優として芸能活動を始めた。大森ゆかりと、桃色豚隊(ピンクトントン)というユニットを組み、シングルCD「赤いウィンナー逃げた」を発売。後年のインタビューで「私はその当時、他の選手のような会社から露骨な肩たたきなどはまだされていなかったけど、私が全盛期のうちに引退すれば今後の興行収入などの売上げがガクンと落ちると思い、プロレスは好きだから辞めたくはなかったけど全女を困らせてやりたかったんで引退を決意した。」と引退理由を語っている。ダンプとクラッシュギャルズ全盛期の全日本女子プロレスは年間数十億円もの売上げがあった。会社は相当な利益を得ていたにもかかわらず、経営者である松永一族の浪費、加えて一族の拝金主義のおかげで、ダンプを含む所属選手たちのギャランティーや設備、待遇改善に全く還元されないなど、松永会長以外の上役たちにもかなり不満があったとインタビューでも度々語っている。

● 得意技


・ラリアット : 全盛期のフィニッシャー。横殴り式に放つ。

・パワーボム : 全盛期後半のフィニッシャー。

・凶器攻撃 : トレードマークである竹刀を始め、チェーン、一斗缶、ドラム缶など多彩な凶器を使って攻撃した。

・ボディ・プレス : 近年の主なフィニッシャー。

・パイルドライバー

・ブレーンバスター

● 獲得タイトル

・ 全日本シングル王座:1回
・ WWWA世界タッグ王座:2回(クレーン・ユウx1、ブル中野x1)
・ 全日本女子プロレス殿堂入り
・ レスリング・オブザーバー殿堂入り(1996年)

● 出演


◎ テレビ

・ オレたちひょうきん族(フジテレビ)
・ オールナイトフジ延長戦(1988年、フジテレビ)
・ オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦(フジテレビ)
・ 夕やけニャンニャン(フジテレビ) - 初期の頃出演していた。
・ なるほどザ・ワールド(フジテレビ)
・ おいしんぼ探偵社(TCAT)
・ ほっぷすてっぷダンプ(TCAT)
・ 午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ) - レギュラーコメンテーター
・ ゆうどきネットワーク(NHK)
・ パオパオチャンネル(テレビ朝日) - 金曜日に短期レギュラー
・ 松本伊代のキラキラ80's(MONDO21)
・ 激変ミラクルチェンジ(TBS)(2010年11月17日) - ダイエットに挑戦。約3か月で115kg→91kgの減量に成功。
・ それゆけマーシー(MBS)
・ 土曜だエブリバディ(朝日放送)
・ くりぃむしちゅーの最強アイドル大百科 (2011年10月1日 日本テレビ)
・ クイズ世界はSHOW by ショーバイ(日本テレビ) - 初期の頃、準レギュラーで出演
・ めちゃ×2イケてるッ(フジテレビ) - 極楽同盟を懲らしめる役として。
・ 熱闘スポーツクイズ(テレビ東京)
・ ぽかぽか(フジテレビ)「GW特別企画 激レア品が続々登場? 家にある「金ピカのもの」を持って集合」「あつまれお母さん大好き党」

◎ ラジオ

・ 1985年のクラッシュ・ギャルズ(2013年1月 NHK-FM青春アドベンチャー) - 本人役

◎ テレビドラマ

・ 毎度おさわがせします(1985年1月 - 1985年3月TBS)
・ 夏・体験物語(1985年8月 - 1985年9月、TBS)
・ 毎度おさわがせしますII(1985年12月 - 1986年3月、TBS)
・ 誇りの報酬 第32話「二人だけの非常線」(1986年5月、NTV)※憧れの中村雅俊と共演。
・ 夏・体験物語II(1986年7月 - 1986年10月、TBS)
・ 結婚してシマッタ(1988年、TBS)
・ 木曜ゴールデンドラマ「マルタの女」(1)(2)(1988年、1989年、YTV)※主演
・ 水曜グランドロマン「懲りない女たち(1)」(1988年、NTV)
・ 明日はアタシの風が吹く(1988年、NTV)
・ さすらい刑事旅情編II 第12話(1989年、ANB)
・ いけない女子高物語(1990年、NTV)
・ 社長になった若大将(1992年、TBS)
・ 透明人間 第7話(1996年、NTV)
・ TRICK〜Troisième partie〜 第8話(2003年、テレビ朝日) - 亀山藤二郎の元恋人(写真出演)
・ ハンチョウ〜神南署安積班〜シリーズ4 〜正義の代償〜 第8話(2011年5月30日、TBS) - 昌子 役

◎ Vシネマ

・ DiGi mation 5 新桃太郎伝説 七夕の村は激戦区(1993年) - 金太郎 役

◎ OVA

・ クライング フリーマン(1989年 - 1992年) - 白牙扇 役

◎ 舞台

・ トウキョウ演劇倶楽部プロデュース公演Vol.1「Live in toRAIN No.A-h」(2013年2月9日 - 17日)新宿シアターモリエール

◎ CM

・ 日清食品 「タコヤキラーメン」 : ラーメンの具として、たこ焼き3個が入っている。CM中でのセリフ「おい」「みんな初めは分かってくれないんだ」「マジだぜ」が話題になる。CMは複数のバージョンが作られたが、その1本では冒頭に、ノーメイクの素顔で「たこやきが、ラーメンになったのよ」と明るく商品をアピールする場面もあった。なお、素顔のシーンはリハーサルだと騙されて撮影したものであり、放映開始まで本編での採用はダンプ本人は知らされていなかった。当時ダンプはヒールのイメージを守るため、ノーメイクでのメディア出演を断っていたが、全女側がギャラの上乗せを画策し、ダンプ本人に無断で素顔を出す契約を結んでいた。
・ 金鳥 「どんと」「お風呂どんと ホットマン」 桂文珍と西川のりおと共演。
・ アルペン 松本典子と共演。
・ ジュピター宝飾(東海地区ローカル)
・ 日本水道センター「相談しよう水のトラブル編」/共演者:中村美貴・麻矢
・ ザ・リーヴ プロレスリング・ノア選手らと共演。

● ゲーム


● 音楽

・ 極悪(1985年、ビクター音楽産業、アルバム) :坂本龍一、44MAGNUM、白井良明、タケカワユキヒデと言った面々が楽曲を提供している。
・ 赤いウィンナー逃げた(1988年、ビクター音楽産業、シングル) :大森ゆかりとのユニット「桃色豚隊(PINK TONTON)」名義。タイトルチューンは作詞:秋元康、作曲:見岳章。

● 書籍

・ 「ダンプ松本のマジだぜ」集英社(1986年1月)
・ 「なんたって乙女の底力」スコラ(1988年4月)大森友伽里との共著
・ 「私じゃダメかい」ビクター音楽産業(1988年7月)
・ 「どんとこい芸能界―極悪ダンプの芸能界毒舌言いたい放題 」日本文芸社(1989年5月)
・ 「おかあちゃん」主婦と生活社(1991年5月)
・ 「長女はつらいよ―だけど、元気もりもり」同文書院(1994年2月)
・ 「『ザ・ヒール』極悪と呼ばれて」小学館、ダンプ松本、平塚雅人著(2021年1月)
 ・ 「ダンプ・ザ・ヒール」原秀則によるコミカライズ、ビッグコミック連載、小学館

● 関連作品

・ 極悪女王(Netflix、2023年予定) - 主人公のダンプ松本役をゆりやんレトリィバァが演じる配信ドラマ。

● 関連人物

・ ブル中野
・ 阿部四郎
・ 黒田アーサー

「ダンプ松本」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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