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岩本 輝雄(いわもと てるお、1972年5月2日 -)は、神奈川県横浜市金沢区出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。ベルマーレ平塚を皮切りに名古屋グランパスエイトを退団するまで6チーム(ベルマーレの前身、フジタを除く)に在籍した。
2004年に名古屋グランパスエイトを退団後、約2年間選手生活から遠ざかっていたが、2006年10月、ニュージーランドのオークランド・シティFCと契約を結び、12月に行われたFIFAクラブワールドカップのオセアニア地区代表として2試合に出場した。独身。
● 来歴
◎ フジタ / ベルマーレ平塚
横浜商科大学高等学校卒業後の1991年、フジタサッカークラブに加入。高校時代まではミッドフィールダーだったが、同年7月にニカノールヘッドコーチによって左サイドバックにコンバートされた。元々、左サイドバックを務めていた名良橋晃を右サイドに移した上での起用となったが、当時の岩本は左足の確かな技術を有する一方で、守備については不安視をされていた。一方、ニカノールは「カバーリングと1対1で負けないこと。それだけ気をつけておけ」と岩本を後押ししたという。
加入初年度から出場機会を得ると1991-92シーズンのJSL2部では22試合に出場し、7得点を記録。
ファルカン監督時代の1994年、日本代表に初招集され、同年5月22日に行われたキリンカップのオーストラリア代表戦で代表デビューを果たした。
日本代表に選ばれた当初は背番号6を付け、左サイドバックでプレーした。
10月から広島県で行われたアジア大会では澤登正朗を抑えて10番に抜擢されたが。アジア大会終了後、ファルカンが解任され、加茂周が監督に就任すると、これ以降は再び代表に呼ばれることはなかった。5月29日のナビスコカップ予選Bグループ第3節対アルビレックス新潟戦(名古屋市瑞穂公園陸上競技場)でジャンプ後の着地に失敗し、右足首を負傷し、途中交代、10月、12月に2回手術を受けたが回復しないまま、同年限りで名古屋を退団。2005年夏にはメキシコに渡りデポルティーボ・トルーカFCの練習に参加するが、足首の痛みが再発したため帰国。帰国後検査すると、足首に3箇所の亀裂骨折が見つかった。そこで日本代表時代のチームドクターだった武井経憲を頼ったところ、過去の手術で腱を縫い付けていた糸が中で腐っていたことが発覚し、それを取り除く手術を受けた。オークランド・シティはFIFAクラブワールドカップへの出場を控えていたが、岩本以外の全選手がセミプロ契約というチームだった。
2015年8月よりワタナベエンターテインメントとマネジメント契約することが本人のブログで明らかとなった。
● エピソード
◎ AKB48のファンとして
現役引退後は、AKB48の熱狂的なファンとしても知られるようになった。推しメンバーは小嶋菜月と大島涼花であることも公言していた。本人曰く「頭の中はサッカーが8割、AKB48が2割」とのこと。2015年9月18日にAKB48劇場で初日を迎えた岩本輝雄『青春はまだ終わらない』公演のプロデュースを行い、小嶋菜月をセンターに指名した。
しかし、2019年6月26日放送の『有吉大反省会2時間SP ウソつきアイドル祭り』に出演し、これまで「小嶋菜月の推し」を大々的に明言していたが、実は2推しで1推しは渡辺麻友であり、「推しメン詐称」をしていたことを告白・反省した。
● 所属クラブ
・ 瀬ヶ崎S.C.
・ 1985年 - 1987年 六浦中学校
・プロ野球みんなが知らないおカネの話3 ~グランドにはゼニが埋まっている?スペシャル~(2018年9月28日、BSスカパー!)
◎ その他のテレビ番組
・ いのちの響(TBS)
・ 旅するためのイタリア語 (2022年4月11日〜、 NHK教育)
◎ イベント出演
・ 宮澤ミシェルのJトークライブ
「岩本輝雄」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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