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恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月21日 -)は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、スポーツ科学者。学位は修士(スポーツ科学)(早稲田大学・2023年)。お笑いコンビ・ホンジャマカのツッコミ担当。相方は石塚英彦。鹿児島県鹿児島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。
● 来歴
鹿児島大学教育学部附属小学校、鹿児島市立甲南中学校、鹿児島県立甲南高等学校卒業。早稲田を目指すも不合格(慶應大学には合格)大学入試3浪後に、東放学園専門学校に就職。
1986年、当時渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメントの親会社)が立ち上げた若手お笑いタレントグループのオーディションに合格し、芸能界に入る。1988年6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL.1」を開催する。1989年、「ホンジャマカ」のメンバーが次々と脱退していく中で唯一残った石塚英彦と改めてコンビを結成し、再デビューを果たす。なお脱退メンバーの中には、後に恵の妻となる松本美貴がいた。
元々は「小デブ」として売り出しており、相方の石塚と区別が付かないほどだった。しかし、友人の岸谷五朗に太っていることを貶されるなどの理由から、20時以降は何も食べないなどしてダイエットをした結果、20kgの減量に成功。それ以来は「痩せている方」と言われるようになった。相方の石塚はこの事について「恵ちゃんが食べなくなったので、その分自分が食べて余計に太った」などとネタで話すことがある。
岸谷五朗がパーソナリティを務めるTBSラジオ『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』では、リスナーから絶大な支持を集めた。今や若者言葉として定着した「てゆ〜か〜」「ぶっちゃけ〜」「正直」などを使い始めた先駆けである。
その当時から恵個人でのソロ活動はしていたが、1998年にフジテレビ『ロケットパンチ MUSIC DELIVERY』で司会を担当したのを皮切りにソロでの司会業が増えていった。現在はTBSテレビ制作番組への出演が多く、特に2009年3月からは同系列局で平日に生放送の情報・ワイドショー番組『ひるおび』の総合司会を、八代英輝(弁護士)と共に務めている。その他に俳優としても活動しており、『毛利元就』や『サラリーマン金太郎』シリーズなどに出演している。
2022年4月、『ひるおび』の不定期コメンテーター・原晋(青山学院大学教授・陸上競技部長距離ブロック監督)からの勧めで、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科(修士課程)に入学した。
2023年3月26日、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了。研究テーマは「情報番組がスポーツを伝える役割」であった。
● 人物・エピソード
父の恵知雄は大島紬の工場(恵大島紬織物)を経営していた職人で、白く染める泥染めの「白恵泥」で特許を取得している。母は京都府京都市出身。
3男1女の父親。妻は、11人体制時代のコントユニット「ホンジャマカ」のメンバーであった松本美貴。
趣味はパソコン。ホンジャマカライブのポスターを自分でデザインしたこともある。その他には映画鑑賞、音楽鑑賞、ゴルフ、ビリヤードなどを趣味に持つ。『ひるおび』のホームページのマイブームの欄に「ゴルフクラブを眺めること・ゴルフクラブの角度調整をすること」と書いていたこともあり、2017年にはチャリティゴルフ大会「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」の著名人の部で優勝した。
長渕剛、三浦春馬のファン。
2001年頃からメジャーリーグに強い関心を持っている。
情報番組で総合司会業を行うことから前日どれだけ多忙でも毎朝5時に起床し、各局の情報番組をチェックするほか移動中もほぼ全ての新聞に目を通している。
TBSの『ひるおび』開始時、島田紳助から「(当時TBS昼枠は視聴率低迷していたため)最下位の球団の監督をやるんやから、勝てるわけはない。FAで誰かをとってこられるわけでもないし。少なくとも1年やれば、視聴率をとることの難しさや、負けることを勉強できる。やるだけやってみればええ」との助言をもらった。
爆笑問題の太田光からは「嫌い」「つまらない」とネタにされている。この件に関して所属事務所であるワタナベエンターテインメントは抗議しているようである。太田は申し訳なく思っているが困るととっさに恵の悪口を言ってしまうようである。恵自身は太田をそれほどは嫌っておらず、DAIGO・北川景子夫妻の結婚式で偶然居合わせて野次を飛ばされた際も普通に受け答えをしている。
ホンジャマカ結成前にはTBS『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の名物コーナー「おもしろビデオコーナー」で前説を務めていた。2020年に志村けんが死去した際には、「前説でうけたら、本番前なのにステージに出てきてくれました。それが嬉しくて、「志村けん」という日本の喜劇の星と、たとえ前説でもいいから絡みたくて、頑張りました。もっともっとご一緒したかった…」とコメントを発表した。
2021年4月28日、東京2020オリンピック聖火リレーにて鹿児島県の最終聖火ランナーに選ばれ、緊急事態宣言下の東京から移動しゴール地点の指宿市営陸上競技場で聖火皿への点火を担った。
● 出演
石塚英彦とのコンビでの出演についてはホンジャマカ出演を参照。
◎ テレビ番組
・ 熱帯夜アカデミー BODY SONIC(1988年 - 1989年、テレビ朝日)
・ 上岡龍太郎にはダマされないぞ(1990年 - 1996年、フジテレビ)
・ ロバの耳そうじ(1994年 - 1996年、日本テレビ)
・ 風まかせ 新・諸国漫遊記(1995年4月 - 1999年3月、フジテレビ)
・ 王様のブランチ(1996年 - 2006年、TBS)
・ サエラの好奇心(1996年 - 1998年、名古屋テレビ)
・ カイカン雛スポ(1996年、テレビ朝日) - サブMCとして出演。メインMCは雛形あきこ。
・ 伊東家の食卓(1999年4月 - 11月、日本テレビ) - 隔週で「大発見」のコーナーの進行担当
・ 男3人ブラ珍クイズ旅 → 男3人ムリ珍お宝旅 → 男3人ワク珍クイズ旅 → 男3人ラブ珍ハント旅 → 男3人ブラ珍ゲーム旅(1997年 - 2000年、TBS)
・ カウントダウンオールヒット(1997年頃 - 2002年、TBS)
・ トロトロでいこう → Ohトロトロでいこう(1997年 - 1998年、フジテレビ)
・ ロケットパンチ MUSIC DELIVERY(1998年 - 1999年、フジテレビ)
・ ゴールデン洋画劇場(1998年 - 1999年、フジテレビ) - 解説者
・ だっちゅーに(1998年 - 1999年、名古屋テレビ)
・ 愛のヒナ壇(1998年頃、TBS)
・ COUNT DOWN TV 特番および年越しLIVE(1998年頃 - 2008年、TBS)
・ 天の恵〜愛の社会科見学〜(2000年 - 2001年、テレビ東京)
◎ 映画
・ 桃色探偵団 PINK DICKS 3 狙われたトランプスーツ(1991年)
・ CUTE(1997年)
・ サラリーマン金太郎(1999年) - 前田一郎 役
・ ござまれじ(2003年) - 自身監督作
・ 姑獲鳥の夏(2005年)
・ 全身と小指(2006年)
・ S-最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE(2015年)
・ 祈りの幕が下りる時(2018年) - 米岡彰文 役
◎ 吹き替え
・ スチュアート・リトル(2000年) - スノーベル 役。テレビ朝日での放送時には内田直哉の吹き替えに差し替えられたが、2013年のTBSでの放送の際に、恵自身の新録による吹き替えに再度差し替えられた。
・ スチュアート・リトル2(2002年) - スノーベル 役
・ スチュアート・リトル3 森の仲間と大冒険(2006年) - スノーベル 役
◎ 舞台
・ 七人ぐらいの兵士(2000年)
● 執筆
◎ 書籍
・ ディアフレーズ すぐ使いたくなるあの人の名言(2003年11月15日、TOKYO FM出版、ISBN 4-88745-090-7)
・ 親父の役目 四人目が生まれて思うこと(2013年6月13日、マガジンハウス、ISBN 978-4-8387-2551-9)
◎ 連載
・ 週刊アスキー(不定期連載、アスキー・メディアワークス)
「恵俊彰」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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