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浦和レッドダイヤモンズ(うらわレッドダイヤモンズ)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の1つ。呼称は浦和レッズ(うらわレッズ)。

● 概要
三菱自動車工業サッカー部(1950年創部)を前身とする。ホームタウンは埼玉県さいたま市(旧:浦和市)。ホームスタジアムは埼玉スタジアム2002と浦和駒場スタジアム。これについて、Jリーグチェアマンの村井満が2016年6月の臨時理事会後に「クラブライセンス交付第1審機関 が(レッズが日産及び三菱自の子会社・関連会社に該当するかを)認定するためJリーグ側では認定できない」とした上で「現状ではJリーグの規約に抵触する可能性が高い」との見解を表明した。 三菱自工およびクラブ側で株式の委譲などを検討した結果、2016年10月31日に、三菱自工が三菱重工業と共同出資して持株会社「ダイヤモンドF.C.パートナーズ株式会社」を設立し、同社にクラブの全株式を譲渡することを発表。これにより三菱自工の間接出資比率が19.8%となったことで問題を解消した。 2017年1月に1億1280万円の第三者割当増資を実施し、新たに15社が株主に加わり、株主数は43社・2団体となった)、割引率10%未満にもかかわらずシーズンチケット(埼玉スタジアムの約2万2000枚を含む)が軒並み完売していることから、それらが入場料収入の確保に高い安定性をもたらしていることが挙げられる。
・ ユニフォームサプライヤーは、1993年から1996年のリーグ戦 でのミズノ、並びに1997年のリーグ戦でのUMBROを除き、過去は一貫してプーマであったが、2004年からナイキが独占供給契約を結んでおり、2007年からは4年間で16億円の契約に更新することが報じられている。

◎ 地域への貢献

・ 営業収入はチーム強化の他に事業運営の財源にも割り振られ、設備投資をはじめとした高度な地域貢献を可能にしている(参考:同年度事業運営費33億200万円)。2004年には4億5000万をかけてクラブハウスを新築。2階にサポーターズカフェを設け、1階前面には197席の練習見学スタンドを設けた。クラブはこれを地元のファンを中心にした交流拠点としてさいたま市に寄贈している。また、少年サッカーの普及事業として、各種サッカー教室の開講をはじめ、クラブトップチームの優勝賞金の一部を用具などのかたちで地元の幼稚園・小中学校・特別支援学校に寄贈するなど、独特の地域還元の手法を展開している。女子サッカーに関しては2005年2月、日本女子サッカーリーグのさいたまレイナスFCを統合し、浦和レッズ・レディースを設立。アマチュアチームに練習場を提供し、優れた選手にはプロ契約の道を開くなど、女子サッカーの普及と充実に貢献している。
・ 埼玉県内における浦和レッズがもたらす経済波及効果 は、年間127億円(2006年度ベース)。そのうち、直接効果はクラブの支出68億55百万円とサポーターの交通費・飲食代21億25百万円の合計89億80百万円となり、一次波及効果は16億74百万円、二次波及効果が20億65百万円で、経済波及効果の合計は127億19百万円と算出されている 。これにはスカパー(スカパープレミアムサービス含む)や、ケーブルテレビ等のJリーグ有料放送の視聴増加分や大画面テレビ等の購入促進効果、地元でのサッカー人気の盛り上がりに伴う消費拡大などは含まれていない。
・ 特色ある事業のひとつに、主に幼稚園児、小学生を対象にした「ハートフルクラブ」の運営がある。2003年にスタートした同クラブは、元日本代表の落合弘がキャプテンを務め、コーチはOBの杉山弘一、土橋正樹、宮沢克行ら計8人を数える。毎週開催されるサッカースクールのほか、地域の幼稚園(レッズキッズサッカー)、小学校授業サポート、中学校サッカー部活動サポートなどを巡回実施し、また障害者にサッカーの場の提供を行うなど地域貢献にも力を入れている。2006年には約36000人の児童を集め、累計で10万人に達している。中学生未満の児童に対してはテクニック向上を重視せず、サッカーの楽しさやコミュニケーション育成を方針としているため、浦和レッズは競技力を重視する小学生チームを保有していない。
・ Jリーグ百年構想の一環として、さいたま市桜区の14万平方メートルの敷地(元東京農業大学グラウンド)にサッカー場(天然芝2面・人工芝1面)、フットサル場(人工芝8面)、テニス場(全天候型など9面)、野球場(天然芝1面)、ラグビー場(天然芝1面)、サイクリングコース、キャンプ場を整備しており、上述のクラブハウスと併せて、これらの施設をレッズランドとして一般に開放している。現役を引退した浦和レッズの選手が指導するフットサル教室や少年サッカー教室、伊達公子がプロデュースするテニス教室なども開講し、生涯スポーツの普及に取り組んでいる。整備・建設にあたって、批判の多い公的資金の投入を極力回避していることで、このような利用者ニーズに応えた自由な設計が実現している。室内スポーツに関しても、2006年4月に隣接する浦和西体育館の指定管理者となった。クラブでは、地域に根ざしたヨーロッパ型の総合スポーツクラブを目標としている。
・そのほか、2011年3月11日の東日本大震災の復興を支援するために「東日本大震災等支援プロジェクト」に取り組み、サッカーを通じて子どもたちの心のケアに努めている。

◎ 国際交流

・ アジアサッカー連盟が主催する2007年のAFCチャンピオンズリーグ2007(ACL)に日本代表クラブとして出場が決定して以来、「アジアを征して世界と互角に戦う強いクラブを目指す」という目標を掲げている。ACLのホームゲームには、通常予選リーグを開催する水曜は集客率が鈍いため小規模のスタジアムで開催する傾向にあるが、あえて2万人収容の駒場スタジアムではなく6万人収容の埼玉スタジアムで開催。予選通過後の全ての試合を埼玉スタジアムで開催した。また、ACLの海外遠征時には、「ハートフルクラブ」の活動を遠征地でも実施し、草の根レベルでの国際交流・サッカーの普及をはかった。2008年には、前年のACL決勝の際にUAEのドバイで事前合宿をした縁で、中東では初となる「ハートフルクラブ」の活動を同地で実施した。
・ 定期的にさいたまシティカップを開催し、海外のクラブチームと対戦している。
・ 2006年にイギリスのテレビ番組制作会社IMGロンドンによる、世界を代表する10クラブを題材にした番組「キングス・オブ・クラブス」の対象としてノミネートされた。同番組では、他にレアル・マドリード(スペイン)、チェルシーFC(イングランド)、ACミラン(イタリア)、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)など世界的な12クラブがノミネートされ、そのうち10クラブが「トップ10」として紹介される。IMGロンドンのプロデューサー、ゲイル・ファーマーは「浦和の知名度は欧州でも高い」と話している。番組は2007年3月から、日本を含めた世界130カ国で放送された。
・ 2023年、第14回グローブ・サッカー・アワード2023における『最優秀男子クラブ』の受賞候補20クラブが発表され、浦和レッズがノミネートされた。アジアからは浦和の他、アル・ヒラル(サウジアラビア)、アル・イテハド(サウジアラビア)らがノミネートされ、その他地域ではマンチェスター・シティFC(イングランド)、FCバルセロナ(スペイン)やFCバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)などもノミネートされた。

● 歴史


◎ 浦和レッドダイヤモンズ発足まで
浦和市(当時)は当初、日本サッカーリーグ(JSL)1部所属の本田技研工業サッカー部を誘致し、本田技研工業狭山サッカー部と統合した新たなサッカークラブ作りを構想していた。しかし本田技研工業本社がJリーグ不参加を表明したために、JSL2部所属のNTT関東サッカー部(現大宮アルディージャ)の誘致を試みたがJリーグ不参加を理由に断られた。埼玉県にはJSLに所属し大きな資金協力の見込める大企業のサッカー部が他になかったため、当時プロリーグ検討委員会委員長だった川淵三郎に相談したところ、三菱自工の森孝慈を紹介された。森は当時、三菱自工内でサッカー部のプロ化に奔走していた。 三菱自工はサッカー部の活動の中心であり、本社と三菱養和SCが所在する東京都を本拠とする予定であったが、Jリーグが国立霞ヶ丘競技場陸上競技場をホームスタジアムとして認定しない方針を打ち出していたことや、江戸川区陸上競技場の客席増設や同競技場近辺の練習場確保が困難であったことからJリーグ加盟の要件を満たせず、代替候補地の選定を急いでいた。フジタ(現湘南ベルマーレ)が大神練習場を使用し活動していた神奈川県平塚市や、三菱重工サッカー部の初期の活動中心地だった兵庫県神戸市とも交渉したが、いずれも自治体から満足な協力を引き出すまでに至らなかった。 こうした浦和と三菱自工両者の経緯から生じた縁談は、堅実なチームを作っていこうという両者ビジョンの一致を軸に折り合い良く話が進み、時間を待たずに浦和レッズ誕生へと結実した「もっとも悲しいVゴール」と呼ばれた。シーズン途中に中村忠、路木龍次、フェルナンド・ピクン、中谷勇介を獲得、また留学していたカールスルーエSCから永井雄一郎を、練習生としてアヤックスに参加していた岡野雅行を呼び戻すも結果には結びつかなかった。Jリーグトップクラスの人気チームがJ2降格という出来事はテレビや新聞、雑誌などでも特集された。

◎ 2000年代

○ 2000年

・ J2で迎えた2000年シーズンは鹿島アントラーズから阿部敏之、室井市衛を獲得するなど序盤は圧倒的な攻撃力で勝点を伸ばし首位を独走するも、中盤から終盤にかけ苦戦が続き、一時は3位に順位を落とした。この危機的状況に、急遽横山謙三をゼネラルマネージャーから総監督に昇格させて指揮をとらせた。またアジエル・デ・オリベイラ・アモリムを獲得し終盤に勢いをつけ、最終節のサガン鳥栖戦に土橋正樹の延長Vゴールで勝利して、3位大分トリニータとの勝点差わずか1ながらも2位でJ1への復帰を決めた(2000年J2最終節を参照)。
○ 2001年

・ それまでのヨーロッパ流サッカーからブラジル流サッカーへ路線変更を図ったが、ブラジルに強力なコネクションはなく、監督のチッタの意向で獲得したアドリアーノは全く機能しなかった。1stステージ終了後に小野伸二がオランダのフェイエノールトへ移籍、9月には岡野雅行が神戸へ期限付き移籍。川崎からエメルソンを獲得した。2ndステージも成績は振るわず、終盤2勝3分と5試合連続無敗により何とかJ1残留を果たした。
・ 10月13日に埼玉スタジアム2002での杮落しの横浜FM戦が行なわれ、観客動員は当時のJリーグ記録となる60,553人とリーグ戦初の6万人試合となった。なお、埼玉スタジアムは2002年まではW杯開催に備えた芝生管理のため試合数は制限されていたが、2003年から駒場スタジアムと共にホームスタジアムとして登録された。
○ 2002年

・ 森孝慈がGMとして復帰し積極的な補強を行う。元日本代表監督のハンス・オフトが監督、元広島監督のビム・ヤンセンがコーチに就任し再度ヨーロッパ路線へ戻る。2ndステージは第9節まで8勝1分と無敗で首位に立っていたが、その後6連敗で8位に沈んだ。また、ナビスコ杯では決勝で鹿島に敗れ準優勝に終わったものの、クラブ創設後初の決勝進出を果たした。また、苦難の時代を長年支えてきた福田正博と、元日本代表主将の井原正巳が引退。
・ 森孝慈GMの主導で、これまで教育の観点から運営してきたユース、ジュニアユース改革に着手。プロを育成するための下部組織として再出発し、翌2003年にサッカーの楽しさや心を育むことを目的とするハートフルクラブを発足させた。
○ 2003年
:チームスローガン:GO ON SAILING
・ 11月に再びナビスコカップ決勝で鹿島と対戦。試合は大雨の中で行われたが、4-0の快勝で前年の雪辱を果たすと同時に初タイトルを獲得した。
・ J1リーグでは第2ステージの第12節で首位に立ち、2つ目のタイトルを獲得するチャンスがあったが、FWエメルソンの出場停止が響いて2連敗し、またもステージ優勝を逃した。なお、この年をもってオフトが監督を退任した。
・ 前年に社長就任した犬飼基昭が、強力な選手補強やクラブハウス改築、親会社依存経営からの脱皮に手掛けた初年度でもあった。魅力あるチームづくりを背景に、埼玉スタジアム2002の利用拡大もこの年から始まった。
・ 3年かけてチームを強くしようとしたオフトの方針と早期にチームを結果を求める犬飼の要求に関して大きく揉めた。その結果、オフトは、シーズン終了後に解任された。
○ 2004年
:チームスローガン:速く、激しく、外連味(けれんみ)なく REDS GO MARCHING ON
・ 清水から三都主アレサンドロを獲得、岡野雅行が神戸より復帰。
・ 浦和OBのギド・ブッフバルトが監督に就任し、ヘッドコーチにゲルト・エンゲルスを迎える。ナビスコ杯は決勝でFC東京に敗れたが、第2ステージでは首位を快走。11月20日の試合では名古屋に1-2で敗れたものの、G大阪が0-2で横浜F・マリノスに敗れたため2試合を残して地元・駒場で悲願のステージ優勝を決め、翌年より1シーズン制となるためこの年が最後となるサントリーチャンピオンシップ出場権を獲得した。ステージ勝点37は15試合制ステージにおけるJリーグ最多勝点記録であった。
・ 駒場で行なわれたこの試合では、新聞紙290年相当分(約20トン)の紙吹雪を試合開始前に散らすという「史上最大の紙吹雪作戦」が展開された。
・ 12月5日・12日に開かれたサントリーチャンピオンシップでは、第1戦は横浜に0-1で敗れるも第2戦にアレックスのFKにより1-0で勝利し延長戦に突入。延長でも決着がつかずPK戦までもつれた末惜敗。初の年間優勝を逃したが、1st・2ndステージを合わせたリーグ戦年間総合成績では初めて1位となった。
・ 入場料収入が19億5800万円と20億円に迫る拡大を見せる中で、クラブはグッズの開発に取り組み始めた。 グッズの売り上げは、初のステージ優勝効果もあって2002年の4億4100万円が、10億8600万円と2.5倍まで急増した。
○ 2005年
:チームスローガン:速く、激しく、外連味なく 〜TAKE OFF TOGETHER NOW 〜
・ 開幕直前に山瀬功治が横浜FMへ移籍、シーズンの前半でエメルソンがカタールリーグのアル・サッドへ完全移籍し、リーグ戦は最初の8試合でわずか1勝(4分3敗)しかできず最下位も味わい、スタートダッシュに失敗。それでも途中からMFロブソン・ポンテや元クロアチア代表FWマリッチを補強して最終節まで優勝争いに加わり、優勝したG大阪と勝点差1の勝点59で2年連続の年間2位となった。得点は82得点のG大阪に次ぐ65得点。更にリハビリから復帰した坪井慶介や2年連続Jリーグベストイレブンに選ばれた闘莉王とシーズン絶好調だった内舘秀樹、急成長した堀之内聖らの活躍でリーグ最少失点の37失点と、前半戦の苦しい戦いから見れば上々といえる内容であった。天皇杯はマリッチが5試合6得点と全試合で得点をあげる活躍などにより、Jリーグ発足後初(前身の三菱重工時代を含めると25年ぶり5回目)の優勝を飾り、2007年のAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。なおこの年には香港で行われたフィリップス・ライティング国際7人制サッカー大会で優勝した。
・ 2005年2月にさいたまレイナスFCを母体として女子チーム「浦和レッドダイヤモンズ・レディース」が発足。7月、レッズランドが仮オープンした。
・ 2005年度より損失の補填を補償する三菱自工との契約を解消。地域との結びつきを強めるための増資計画が公表されたが、2009年4月の時点で増資の予定は無いとリリースした。
○ 2006年

 年度 所属 合計
動員数   最多動員数   最少動員数   平均
動員数 試合数 ホームゲーム開催スタジアム
(太字は本拠地登録されたスタジアム) 備考
動員数相手会場動員数相手会場
 1993   J  206,265      50,348  清水   国立      8,258   広島   駒場      11,459  18   駒場17、国立1  
 1994  406,457  55,125   V川崎  7,854  18,475  22   駒場8、大宮7
国立4、博多陸1
神戸ユ1、富山1  
 1995  508,554  56,652  9,168  大宮  19,560  26   駒場12、大宮10
国立3、新潟陸1  
 1996  364,936  50,974  京都  5,611  福岡  札幌厚別  24,329  15   駒場11、国立3
札幌厚別1   
 1997  328,060  38,707  広島  14,937  横浜F   駒場  20,504  16   駒場14、国立2
 1998  385,994  46,547  柏  16,971  V川崎  22,706  17   駒場14、国立3
 1999  J1  319,146  46,401  鹿島  13,329  柏  21,276  15   駒場12、国立3  
 2000  J2  338,457  20,207  鳥栖  駒場  13,408  新潟  16,923  20   駒場20  
 2001   J1  400,799  60,553  横浜FM   埼玉  16,808  清水  26,720   15   駒場11、埼玉2
国立2  
 2002  394,445  57,902  磐田  14,499  柏  26,296   駒場9、埼玉5
国立1  
 2003  432,825  51,195  鹿島  18,335  京都  28,855   駒場8、埼玉7  
 2004  549,903  58,334  横浜FM  18,029  柏  36,660   埼玉9、駒場6  
 2005  669,066  55,476  名古屋  15,760  清水  39,357   17   埼玉13、駒場4  
 2006  774,749  62,241  G大阪  16,040  大分  45,573    埼玉15、駒場2  
 2007  793,347  62,123  鹿島  16,709  神戸  46,667  
 2008  809,353  57,050  G大阪  16,225  京都  47,609    埼玉16、駒場1   
 2009  751,565  53,783  鹿島  18,777  神戸  44,210
 2010  678,994  55,410  名古屋  21,625  山形   埼玉  39,941    埼玉17  
 2011  576,477  54,441  柏  20,240  福岡  33,910  
 2012  622,772  51,879  名古屋  25,743  川崎  36,634  
 2013  630,701  54,905  C大阪  23,295  磐田  37,100  
 2014  603,770  56,758   G大阪  19,777   甲府  37,736  
 2015  658,668  53,148  22,363  38,746  
 2016  627,898  56,841  横浜FM  22,766  36,935  
 2017  570,215  57,447  鹿島  21,603  G大阪  33,542  
 2018  603,534  55,689   神戸  21,250  名古屋  35,502  
 2019  581,135  54,599  19,698  G大阪  34,184  
 2020                    


◎ カップ戦(Jリーグ杯・ACL)での主催試合使用スタジアム
:GS=グループステージ(予選リーグ)、PO=プレーオフステージ、PS=プライムステージ(決勝T=決勝トーナメントと同義)
年度Jリーグ杯ACL備考
 1992  大宮3
川越1  5 不参加  
 1993  大宮3  
 1994  (主催なし)  Jリーグ杯=完全トーナメント制
 1995  (非開催)  
 1996  駒場7  
 1997  駒場4  Jリーグ杯=駒場・決勝T1を含む
 1998   駒場2  
 1999   Jリーグ杯=完全トーナメント制
 2000  駒場1
 2001  駒場3
 2002  駒場4  Jリーグ杯=駒場・決勝T1を含む
 2003  駒場5  Jリーグ杯=駒場・決勝T2を含む
 2004  埼玉1
駒場2  Jリーグ杯=埼玉・決勝T1のみ
 2005  埼玉3
駒場3  Jリーグ杯=埼玉・駒場とも決勝T1ずつ含む
 2006  埼玉1
駒場3  Jリーグ杯=駒場・決勝T1含む
 2007  埼玉1  埼玉6  ACL=埼玉・決勝T3を含む
 2008  埼玉2
駒場1  埼玉2  ACL=埼玉・決勝T2のみ
(前回優勝につき準々決勝からシード)
 2009  埼玉3
駒場1   不参加  Jリーグ杯=埼玉・決勝T1含む
 2010  埼玉2
駒場1  
 2011   埼玉3  Jリーグ杯=完全トーナメント制
 2012  
 2013  埼玉2  埼玉3  Jリーグ杯=埼玉・決勝T2のみ
(ACL出場につき準々決勝からシード)
 2014  埼玉4  不参加  Jリーグ杯=埼玉・決勝T1含む
 2015  埼玉1   埼玉3  
 2016  埼玉3  Jリーグ杯=埼玉・決勝T3のみ
(ACL出場につき準々決勝からシード)
 2017  埼玉1  埼玉7  Jリーグ杯=埼玉・決勝T1のみ
(ACL出場につき準々決勝からシード)
 2018  埼玉4  不参加  Jリーグ杯=埼玉・PO1含む
 2019   埼玉1  埼玉7  Jリーグ杯=埼玉・PS1のみ
(ACL出場につき準々決勝からシード)
ACL=埼玉・決勝T4含む
 2020  不参加  Jリーグ杯=当初のGSは埼玉3の予定だったが、
新型コロナウィルスによる日程変更で1試合のみとなった



◎ 最多観客動員試合

○ J1

◇ ホーム
・ 62,241人(2006年第34節・G大阪戦、埼玉スタジアム2002)
※J1リーグ戦観客動員史上2位
 ・ 9,822人(1994年1st第22節・横浜M戦、駒場競技場 - 改修前)
 ・ 22,150人(1995年2nd第8節・磐田戦、駒場スタジアム - 改修後)
 ・ 10,354人(1995年1st第26節・横浜F戦、大宮公園サッカー場)
 ・ 56,652人(1995年1st第13節・V川崎戦、国立競技場)
◇ アウェイ
・ 61,246人(2008年第1節・横浜FM戦、日産スタジアム)
◇ 参考(リーグ戦以外の最高)
・ 64,899人(2004サントリーチャンピオンシップ第1戦・横浜FM戦、横浜国際総合競技場)
※Jリーグ主催公式戦史上最高観客動員
・ 67,005人(FIFAクラブワールドカップ2007準決勝・ACミラン戦、横浜国際総合競技場)
※レッズ出場公式戦史上最高観客動員
○ J2

◇ ホーム
・ 20,207人(2000年第44節・鳥栖戦、駒場スタジアム)
◇ アウェイ
・ 19,825人(2000年第25節・札幌戦、札幌厚別公園競技場)

◎ 最少観客動員試合

○ J1

◇ ホーム
・ 5,611人(1996年第21節・福岡戦、札幌厚別公園競技場)
 ・ 7,854人(1994年1st第4節・広島戦、駒場競技場 - 改修前)
 ・ 13,329人(1999年2nd第2節・柏戦、駒場スタジアム - 改修後)
 ・ 9,168人(1995年1st第22節・広島戦、大宮公園サッカー場)
 ・ 28,054人(2002年1st第9節・札幌戦、国立霞ヶ丘競技場)
 ・ 19,977人(2014年第29節・甲府戦、埼玉スタジアム2002)
・ ※2014年の無観客試合を除く
◇ アウェイ
・ 3,610人(1997年2nd第1節・市原戦、市原臨海競技場)
○ J2

◇ ホーム
・ 13,408人(2000年第26節・新潟戦、駒場スタジアム)
◇ アウェイ
・ 4,891人(2000年第34節・甲府戦、山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場)

● ユニフォーム


◎ チームカラー

・ 赤
袖  三菱自動車工業  MITSUBISHI
MOTORS  2017年 -   創設 - 2004年は胸
2006年はパンツ
2005年、2007年 - 2016年は背中上部
2013年、2015年 - 2016年はACL用の胸
パンツ前面  ディー・エイチ・エル・ジャパン  DHL  2009年 -   2007年 - 2008年は国際試合用の胸
パンツ背面  T&S  NEXT
PROTEIN  2021年 -   

・スポンサーではないが、背中最下部に国際連合承認のNGO「国連の友アジアパシフィック(FOUNAP)」との連携による「SPORTS FOR PEACE」のロゴが入っている(2013年 -)。同様にスポンサーではないが、クラブの誇り「We are REDS」が同じ部分に入れられている(2006年 -)。
・左胸のエンブレム上に星(★)が横並びで3つ付けられているが、2017年までは両端が2004年のJ1・2ndステージおよび2006年のJ1リーグ、真ん中の大きな星がAFCチャンピオンズリーグ2007の各優勝を表していた。2018年からは、前年にAFCチャンピオンズリーグ2017にて優勝したことに伴い、左右2つの大きな星が2つのACL優勝を、その間の小さな星が2006年のJリーグ優勝を表すようにデザインが変更された。AFCチャンピオンズリーグ2023/24以降は、J1リーグおよびACLのタイトルを同一の★のサイズで表現する。
・2007年シーズンは、2006年のJ1リーグ年間優勝クラブであるため、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏の付いたチャンピオン・エンブレムが右袖についていた。

◎ 練習着(プラクティスウェア)スポンサー

・ DHL、三菱自動車工業、カブドットコム証券、トーシンパートナーズ、三菱UFJニコス、メディカル・ケア・サービス、三菱重工業、三菱パワー(2021年 -)

◎ ユニフォームサプライヤーの遍歴

・ 1992年:プーマ
・ 1993年 - 1996年:リーグ戦はミズノ(93年、94年のリーグ戦モデル(2nd・FP用)の組み合わせは、シャツ=水色、パンツ=黒、ストッキング=水色)、カップ戦はプーマ
・ 1997年:リーグ戦はアンブロ、カップ戦はプーマ
・ 1998年 - 2003年:プーマ
・ 2004年 - 現在:ナイキ

◎ 歴代ユニフォーム

         
         
         
         
         
       
          

         
         
         
         
         
 
          

         
         
         
     
          


◎ 歴代ユニフォームスポンサー表記

  年度   箇所   サプライヤー
 胸  鎖骨左  鎖骨右  背中上部  背中下部  袖  パンツ前面  パンツ背面
 1992  GALANT    解禁前 
   解禁前  
  
   解禁前  PUMA
 1993   MITSUBISHI MOTORS /
MIRAGE   WordPerfect   Mizuno /
PUMA
 1994
 1995   COMPAQ
 1996
 1997  UMBRO /
PUMA
 1998   PUMA
 1999   MIRAGE Dingo /
MITSUBISHI MOTORS   トーシン
 2000
 2001   PAJERO /
MITSUBISHI MOTORS
 2002   Smilebit
 2003  COLT /
MITSUBISHI MOTORS  hp
 2004  MITSUBISHI MOTORS  FUSO   SEGA   NIKE
 2005   vodafone  MITSUBISHI MOTORS
 2006  FUSO  MITSUBISHI MOTORS
 2007   ƧAVAS /
DHL   MITSUBISHI MOTORS   FUSO
 2008
 2009   ƧAVAS  POLUS 

 2021  POLUS   MITSUBISHI
HEAVY INDUSTRIES。 2018年2月1日、クラブ設立25周年を機に、クラブの価値観や行動規範を具現化した2代目ロゴが発表された。デザインはエンブレムとの親和性を考えたシンプルなものとし、一文字ずつのエッジに配した、フラッグを想起させる三角形のフォルムには、浦和レッズの熱く前向きな姿勢と「人・街・サッカー」の意味を込め、未来に向かって加速する姿を表現している。元々はサポーターだけが歌っていたが、2012年から槙野智章の発案により、ホームゲームに限って選手とともに歌うようになった。
・ GO REDS GO - 「We are Diamonds」のカップリング曲。スタジアムで選手紹介時にかかっていたが、リニューアルに伴い2012年シーズンで終了。
・ KEEP ON RISING - レッズのオフィシャルサポーターズソング。2007年10月からJR浦和駅の京浜東北線南行(東京・横浜方面)ホームで、発車メロディーに採用されている。また、同じく埼玉スタジアムでレッズ戦がある場合に限り埼玉高速鉄道浦和美園駅でも発車メロディーに採用されている。

● サポーター
1993年のJリーグ開幕当初から熱狂的なサポーターを獲得していることで知られている。初期の応援を担った「クレイジー・コールズ」のリーダーはロックを基調にした応援スタイルと、チームに対するサポーターの思想や哲学を広めて今に続くサポーターの応援の原型を作り上げ、1997年から2014年にかけて活動していた「URAWA BOYS」や「URAWA BOYS」を中心とした連合体「クルバ・エスト」にも受け継がれた、経済産業省関東経済産業局は「Jリーグ開幕当初はチームが弱く、『俺たちが支えよう』という気持ちの醸成が一助となった。 レッズのサポーターは熱狂的であるが、それが故にトラブルを引き起こすサポーターも存在しており、2000年以降、サポーター起因によるクラブへの懲罰事案は11件発生している。 2013年の清水戦(アウェイ)では試合前に相手チーム選手が乗ったバスに対して爆竹や発煙筒を投げつけた後、入場を制止した警備員に対し暴行を加えた容疑で4人が逮捕された。 2014年3月8日の鳥栖戦(ホーム)で起きた浦和レッズ差別横断幕事件によりクラブは史上初の無観客試合開催という重い制裁を受けた。この事件をきっかけとして、レッズレディースを含むすべての直系育成チーム の試合における横断幕(ビッグフラッグ、ゲートフラッグ、人文字、プラカードも含む)、大旗の使用をアウェイ・ホーム開催を含め一切禁止する自主規制が一時期実施され、「URAWA BOYS」を含むサポータークラブ連合体『クルバ・エスト』を構成する11組のサポーターズクラブが解散した。また、「URAWA BOYS」は2018年より活動を再開している。 2014年フランス『ラ・グリンタ』の「2013-14シーズンのコレオグラフィー・トップ10」で世界7位に選ばれた。 2017年、スルガ銀行チャンピオンシップ2017でシャペコエンセ(ブラジル)と対戦した際、同クラブの復興を願いトップチームやレディースチームのホームゲーム会場等で、義援金募金活動(募金合計:4,246,634円)を行った。さらに浦和レッズサポーターは募金活動への参加に加え、「サッカーを愛する仲間として、何か力になりたい」という思いから試合終了直後、ポルトガル語で「世界の舞台でもう一度会おう、友よ!」と書かれた横断幕と共に、緑色のビジュアルシートでゴール裏のスタンドを埋めた。その際に使用したビジュアルシートを、企画主旨に賛同したDHLジャパンの輸送支援を受けシャペコエンセへ贈呈した。また、AFCチャンピオンズリーグ2017で浦和が優勝した際、公式Twitterで祝福のメッセージが送られた。同年、アメリカ『フォックス・スポーツ』による「最も筋金入りのファンを持つ5クラブ」に、CAリーベル・プレート(アルゼンチン)、ガラタサライSK(トルコ)、リヴァプールFC(イングランド)、FCバルセロナ(スペイン)と並び選出された。 2023年8月2日の天皇杯4回戦・名古屋戦(アウェイ)で浦和サポーター70人以上がスタジアムで暴徒化し、相手サポーターへの威嚇行為や警備員などへの暴行、横断幕などへの破壊行為を行い、愛知県警察が出動する暴動が発生した。当該サポーターに関しては日本サッカー協会(JFA)が同月31日に国内各カテゴリの試合について17人を無期限の入場禁止、1人を5試合の入場禁止とする処分を行ったが、クラブに関しては同年9月19日のJFA規律委員会で、2024年の天皇杯参加資格の剥奪と譴責処分が科された。このように不祥事が依然として続いている事から、クラブ・サポーターの自浄作用のなさについて各方面から問題提起されている。

● メディア

・ テレビ
 ・ REDS TV GGR(テレビ埼玉)毎週金曜 23:30-24:00(再放送)翌日土曜 7:30-8:00
 ・ REDS NAVI(テレ玉)2010年を持って放送終了。
 ・ REDS GET GOAL(J:COM さいたま、J:COM 東上、J:COM 所沢、J:COM 川口戸田、J:COM 北関東:ケーブルテレビ・制作 ジェイコムさいたま)インタビュアー 河合貴子
 ・ スーパーJリーグマッチ(テレ玉)ホームゲームの大半を中継
 ・ REDS REVIEW(スカパー・スカチャン1(CS801、Ch.581、Ch.181)、BSスカパー、スカパー!オンデマンド)
・ ラジオ
 ・ WARMING UP MUSIC(NACK5)
  ・ 「ALL THE REDS」 毎週月〜金曜 6:53-
  ・ 「SPORTS SHOT」 毎週月〜金曜 7:26-
  ・ 「HEART BEAT REDS」 毎週月〜金曜 8:26-
 ・ FUN FUN SOCCER(NACK5) 毎週土曜 6:00-7:00 2016年9月をもって終了
 ・ REDS WAVE(87.3 MHz) 「24時間いつ聴いてもレッズ」をコンセプトにしたコミュニティFM。浦和レッズと浦和をメインとするさいたま市の街の情報が中心で2005年12月に開局した。
 ・ 週刊☆サッカー王国 (NHK-FM さいたま放送局) 毎週金曜 18:00-18:50
・ 新聞・雑誌
 ・ 埼玉新聞 (地方紙)
 ・ 浦和レッズマガジン(フロムワン発行、朝日新聞出版発売)浦和レッズ専門雑誌
 ・ 浦和フットボール通信(フリーペーパー)浦和レッズ・浦和の街の情報を集めた季刊誌
 ・ マッチデープログラム 1992年のJリーグカップ以降、全てのホームゲームにおいて発行されている(その他、カップ戦の決勝戦の際にも発行され、シーズン開幕前には増刊号が発行される)。定価は税込み300円(2005年、2006年は200円であった)。2004年までは地元の埼玉新聞が編集を行っていたが、2005年から浦和レッズが直接携わり、編集は埼玉新聞に勤務していた清尾淳が一貫して担当し続けている。略して「MDP」という呼び方は、特に浦和レッズのマッチデープログラムを呼ぶのに使われる。
 ・ 朝日新聞タブロイド紙レッズトゥモロー 2007年からパートナーの朝日新聞が埼玉県内限定でホームゲーム前日に発行する4ページタブロイド紙を始めた。浦和レッズが編集しており、浦和レッズに関する情報が掲載されている。1回当たりの発行部数は60万部で、年間約25回発行される。サッカー専門の紙媒体としては、日本で最大部数となっている。
 ・ Little Diamonds ユース、ジュニアユースの活動を紹介するリポートで毎月1回発行。レッドボルテージおよび大原のクラブハウスのサポーターズカフェで閲覧できるほか、クラブの公式サイトからPDFで閲覧できる(2010年4月4日配布のNo.48が最終号となった)。
  ・Little Diamonds
・ インターネット
 ・ 浦和レッズ・オフィシャル・ウェブサイト 浦和レッズが発信する公式ホームページ。通常のニュースや情報のほか、動画による配信もある。
 ・ 浦和レッズモバイル 浦和レッズが運営する有料の携帯サイト。
 ・ レッズプレス 外部メディアが運営する有料の非公式携帯サイト。

● ホームタウン浦和
旧浦和市域(浦和地区)には、2023年時点で約60万人が居住し、桜区、浦和区、南区、緑区に分かれている。サッカーが盛んな地域という他、県立浦和高校や浦和画家などに象徴される文教都市や、高級住宅街としても知られている。 緑区の埼玉スタジアムを筆頭に、各区に浦和レッズに関連した施設が所在する。桜区にはレッズランド、埼玉大学が所在している。浦和区には浦和駒場スタジアムや大原サッカー場、レッドボルテージなどの施設があり、伊勢丹浦和店ルイ・ヴィトン前には主要選手の手形や足形のレリーフが毎年設置されている(伊勢丹浦和店浦和レッズレリーフを参照)。また浦和駅1番線の発車メロディとしてオフィシャルサポーターソング『Keep On Rising』が使われている。そして南区には漫画・アニメ『赤き血のイレブン』の舞台のモデルである浦和南高校が所在する。サッカーの街浦和としてさいたま市役所や埼玉県庁などにおいてもポスターや旗の掲示を行っている。 埼玉スタジアムには浦和駅からの直行バスが運行されており、浦和駒場スタジアムがホームスタジアムだった頃と変わらず、週末には浦和駅周辺でもサポーターをみることができる。 また、各区とも駅周辺や商店街などを中心に浦和レッズの赤い幟や旗が掲げられており、中央区(本町通りや北与野駅)や岩槻区、越谷市(主要スポンサーのポラス本社が所在)などの旧浦和市域以外でも旗や幟をみることができる。

● 決算
浦和レッズの決算は、つぎのとおり。

◎ 損益

年度 広告料 入場料 その他 事業費
   2005     5,805   1,660   1,949   549   1,647     5,448   4,986   2,342   462     357     167
   2006     7,078   2,288   2,531   688   1,571     6,855   5,934   2,499   921     223     156
   2007     7,964   2,384   3,008   835   1,737     7,744   6,958   2,841   786     220     62
   2008     7,091   2,374   2,866   350   1,501     7,057   6,149   2,406   908     34     24
   2009     6,432   2,735   2,461   336   900     6,358   5,595   2,464   763     74     6
   2010     5,625   2,256   2,249   279   841     5,898   5,217   2,282   681   
273   
260

・ 金額の単位: 百万円
・ 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010
年度 広告料 入場料 その他
   2011     5,382   1,821   1,918   268   21   1,353     5,290   1,866   615   364   67   55   2,302     92     61
   2012     5,353   2,121   1,988   267   18   959     5,202   1,910   449   412   101   65   2,265     150     151
   2013     5,786   2,319   2,132   258   15   1,062     5,633   2,016   497   434   102   62   2,522     153     92
   2014     5,854   2,380   1,982   263   16   1,213     5,642   2,054   488   404   107   84   2,505     212     118
   2015     6,088   2,549   2,174   270   16   1,079     5,961   2,099   539   420   105   73   2,725     127     51

・ 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015
年度 広告料 入場料 物販 その他 物販
   2016     6,606   2,593   2,375   319   14   778   527     6,426   2,381   594   450   113   71   502   2,315     180     173

・ 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2016

◎ 資産
2017年1月に第三者割当増資が実施され、資本金が増加した。
年度 総資産 総負債 純資産 資本金
   2005   2,421   2,093   327   160
   2006   2,240   1,757   482   160
   2007   2,262   1,717   544   160
   2008   2,116   1,548   568   160
   2009   1,890   1,316   574   160
   2010   1,450   1,135   315   160
   2011   1,297   921   376   160
   2012   1,129   602   527   160
   2013   1,279   659   620   160
   2014   1,309   571   738   160
   2015   1,549   760   789   160
   2016   2,015   828   1,187   273
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016 金額の単位: 百万円

● 提携チーム

・ バイエルン・ミュンヘン(2006年 - 2009年)
・ CDグアダラハラ(2015年 -)
・ フェイエノールト(2019年 -)
・ ムアントン・ユナイテッド(2021年 -)
・ アイントラハト・フランクフルト(2022年 -)
・ 浦和学院高校(2022年 -)

「浦和レッドダイヤモンズ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年3月19日11時(日本時間)現在での最新版を取得

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