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吸血鬼(きゅうけつき)は、民話や伝説などに登場する存在で、生命の根源とも言われる血を吸い栄養源とする、蘇った死人または不死の存在。その存在や力には実態が無いとされる。
狼男、フランケンシュタインの怪物と並び、世界中で知られている怪物のひとつ。また、用語の転用として、不当に人々から利益を搾り取る人間なども指す。
● 概要
ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』、シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』など、多くの創作において登場してきた。生と死を超えた者、または生と死の狭間に存在する者、不死者の王とされる。凶悪な犯罪者の通称としても使われる、セルビア・クロアチア語の「Pirati(吹く)」も提唱される。
ただしヴァンパイアという言葉が一般的に使用されるようになる18世紀。東雅夫は、日本で初めて「Vampire」の訳語に「吸血鬼」と当てたのは南方熊楠ではないかと主張していた。その根拠が、1914年に芥川龍之介がテオフィル・ゴーティエのクラリモンドにおいて「vampire」を「夜叉」と訳した。その1年後、南方熊楠が「人類学雑誌 1915年4月号」に寄稿した「詛言について」でvampireを「吸血鬼」として訳した。以上から南方熊楠造語説を唱えていたのだが、1914年6月の押川春浪の小説「武侠小説 怪風一陣」でも「吸血鬼」という言葉が使われていたことが判明したほか、更に古い用例があることが判明したことを東雅夫は紹介している。
ノスフェラトゥ (Nosferatu) という呼び名も19世紀末頃から見られるが、その由来は判然としない。
◎ 吸血鬼の姿
ぶよぶよした血の塊のようなものであるか、もしくは生前のままであるとされることが多い。両者とも、一定の期間を経れば完全な人間になるとされることもある。また、様々な姿に変身することが出来るとされる。吸血鬼は、虫に変身する、ネズミに変身する、霧に変身するなどの手段を用いて棺の隙間や小さな穴から抜け出し、夜中から夜明けまでの間に活動するものとされた。また、地域によって異なるが、特定の月齢や曜日、キリスト教の祭日などの日には活動できないとされる場合が多い。吸血する際は、長い牙が出現するとされている。また、最近では、獲物である人間を惹きつけるために、美しい容姿を持つとされることが多い。
● 民間伝承
吸血鬼の概念は、数千年もの前から存在していた。メソポタミア、古代イスラエル、古代ギリシア、古代マニプル、古代ローマなどの各文化には、現代の吸血鬼の前身と考えられるような悪魔や精霊が登場する物語が存在した。このように世界各地の文化に吸血鬼のような存在が伝承されている一方で、今日の吸血鬼に関する民間伝承は、専ら18世紀初頭、東南ヨーロッパにおいて口承されてきた伝説が記録・出版されて広まったものが元になっている。多くの場合、吸血鬼の正体は邪悪な存在や自殺者、魔女などの亡霊とされるが、他にも死体に悪霊が憑りついたり、吸血鬼に咬まれたりすることによって生まれることもある。この種の伝承は広く拡散され、一部の地域では吸血鬼であると言いがかりをつけられた人々が公開処刑されるというような集団ヒステリーを引き起こしたことさえあった。
◎ 共通する言及
○ 外見
ヨーロッパにおける各地の吸血鬼伝承には共通する要素もいくつかあるが、一つの言葉として説明するのは難しい。吸血鬼は通常、太った外見をしており、色は血色、紫色などの暗い色をしていると言われている
。
○ 吸血鬼の発生
元来の民間伝承では、吸血鬼が発生する要因は多種多様であった。スラブや中国における伝承では、動物、特に犬や猫に飛び越えられた死体は甦ると言われ恐れられていた。また、熱湯を通していない外傷を負った遺体もそうなる危険があるとされていた。ロシアの民間伝承では、吸血鬼は生前魔女だったか、ロシア正教会に反逆した者たちの成れの果てだと言われていた。ドイツでは胞衣を纏ったまま生まれた者は死後ナハツェーラーと成ると言われた。アルバニアの民間伝承では、ダンピール(dhampir)は、あるいはとヒトとの間に生まれた混血児とされている。ダンピールはククディやルガットを探知する特異な能力を持っており、通常不死のルガットを殺すことができるのはその子であるダンピールのみである。地域によっては、動物や睡眠中のヒトがルガットに変化するということも伝えられている。なお、ダンピラージ(Dhampiraj)はアルバニアにおける姓の一つとなっている。
○ 吸血鬼に対する予防策
死者が吸血鬼のようなアンデッドになるのを防ぐためのしきたりがしばしば考えられてきた。遺体を逆さに埋葬したり、遺体の近くに鎌などの物体を置いておくことは、遺体に侵入しようとする悪霊を立ち退かせたり、遺体が棺から起き上がれないようにするためとして広く普及した。この慣わしは、古代ギリシアにおける、死者が冥界でステュクスの川を渡れるように代金として死者の口にコインを入れ込むという習慣に類似しており、またこのコインは死者の体内の悪霊を追い払うことも目的としていた可能性が指摘されている。そのため、これが後世の吸血鬼伝承に影響を与えた可能性が取り上げられている。現代ギリシアの伝承にも、人間が死後ヴリコラカスになるのを防ぐために遺体に蝋の十字架と "Jesus Christ conquers" の文字が刻まれた陶器を置くという習慣が残っている。
他にもヨーロッパでは、吸血鬼であると思われる遺体の膝の腱を切断したり、墓の地面にケシの実やキビ、砂を置くなどのしきたりが一般に行われてきていた。後者は吸血鬼のな性質に基づいたものであり、墓の前に落ちた実などを一晩中数え上げさせることによって活動させないことを目的としているとされる。中国の伝承でも同様に、吸血鬼のような存在が米袋を見るとその中の米を一粒ずつ数えたくなるという描写がある。これらの言い伝えは、や、南米の魔女、その他邪悪な存在に関する物語などにも見られるテーマとなっている。
○ 吸血鬼の識別策
吸血鬼のいる墓を識別するしきたりも多く為された。その一つは、女性経験のない男子を同じく交尾を経験した事の無い牡馬に乗せて墓地や教会の土地を周るというものである。すると、馬は問題のある墓の手前でたじろぎするという。他にも、十字架やロザリオ、聖水などの神聖なアイテムが、吸血鬼の厄除けとして考えられていた。一部の民間伝承では、吸血鬼は教会や寺院などの神聖な空間や、流水の上を歩くこともできないとされていた。
伝統的に鏡に吸血鬼を除けるための効果があるとは考えられていないが、扉の外側に鏡を置くと吸血鬼を避けられるとして使用されてきたことがある。一部の文化では、吸血鬼には魂が無いため鏡に反射せず、また影を落とさないとされるが、これは普遍的な設定ではなく、『吸血鬼ドラキュラ』を書いたブラム・ストーカーによって、後世の作家や映画制作者に普及したものである。
また、一部の伝承では、吸血鬼は家の主人に招待を受けない限り、家屋に入ることができないとされている。一度招待を受ければ、その家に自由に出入り出来るようになる。の吸血鬼事件の話においては、吸血鬼の墓の周りの土を食えば同じ効果があると言われた。
○ 吸血鬼の退治方法
吸血鬼を対峙する方法は様々で、南スラブにおいては杭を打つのが最も一般的である。ロシアとバルト三国においてはトネリコ材が、セルビアにおいてはサンザシ材が好まれ、シレジアにおいてはオークが使われたと記録されている。キリストの十字架はアスペン製であるとも言われていたため、アスペンも杭の材料に使用された 。吸血鬼と思われた人物に対しては心臓に杭が打たれることが最も多かったが、ロシアとドイツ北部では口が、セルビア北東部では胃が狙われた。胸を狙うことにより、肥大化した吸血鬼を「萎ませる」効果があったという。この方法は、吸血鬼になる可能性がある遺体の棺に、吸血鬼になろうとして体が肥大化した時に鋭利なものが皮膚が貫通するように遺体に側に鎌を置くというの方法と類似性がある。
ドイツと西スラブにおいては斬首が好まれ、頭部は臀部の後ろ、両脚の間、あるいは胴体と離れたところに埋葬された。一部の文化では魂が死体の中に残ると言われていたため、これによって魂の肉体からの離脱を早めるとされた。また、頭部、胴体、衣服は吸血鬼として遺体が起き上がるのを防ぐために、スパイクで地面に固定されることもあった。
ジプシーの人々は、埋葬時に鉄の針を遺体の心臓に打ち込み、その上で口の中、目、耳の上、指の間に鋼片を置いた。また、遺体の靴下の中にサンザシを入れたり、脚にサンザシの杭を打ち込んだりした。ベネチア近郊に16世紀に埋葬された女性の口の中にレンガが押し込まれているのは、吸血鬼退治の儀式の一貫であると考古学者は解釈している。ブルガリアでは、胴体に鋤の破片のような金属が埋め込まれた100以上の人骨が発見されている。
さらには、遺体に熱湯をかけたり、完全に焼却したりするのも吸血鬼退治として行われた。東南ヨーロッパでは、吸血鬼は射殺、溺殺、葬儀のやり直し、悪魔祓いや体に聖水を振りかけることによって退治されたことがあったという。ルーマニアではニンニクを口の中に入れたり、棺に銃弾を撃ち込んで予防したりするという策が採られていた。なおも問題がある場合は、遺体は解体・焼却された後に水と混ぜられ、厄除けとしてその家族に与えられた。ドイツのザクセン地方では、吸血鬼だと疑われている人の口にはレモンが入れられた。
◎ その他の伝承
マレーシアでは空を飛ぶ頭と首のペナンガラン(宗教的な苦行の最中に誤って首を切り落とした女性が成る)、インドネシアでは強姦されて妊娠した女性が甦り、男性の血を吸うスンダル・ボロンが伝えられている。
◎ 吸血鬼と関連付けされる例
・ ポルフィリン症 - 患者の外観および日光を避ける生活と吸血鬼伝説との関係
・ - 1980年代に精神医学のパロディとして、吸血衝動を持つ人間の症候群というものが創作されたが、真実として受け取ってしまう人もいた。名前はブラム・ストーカーのホラーフィクション小説『吸血鬼ドラキュラ』の登場人物からつけられた。実際に血を飲む欲求にかられた人も報告されているが、なんらかの精神疾患として処理され、特定の症候群としては扱われていない。
● 現代的な吸血鬼の特徴
腕力は人間を超え、体の大きさを自由に変えたり、コウモリや狼などの動物、霧や蒸気に変身でき、どんな場所にも入り込む。また、催眠術やフクロウ、コウモリ、狼、狐、昆虫といった動物、嵐や雷などを操るとされる。トランシルヴァニアの伝説を元にしたブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』は現代の吸血鬼のイメージに強い影響を及ぼしており、従って東ヨーロッパの吸血鬼は現代のそれに近い。『ドラキュラ』の登場人物の一人であるヴァン・ヘルシング教授は、吸血鬼を「怪力無双、変幻自在、神出鬼没」と称する)
・ 緩い水流や穏やかな海面を歩いて渡る
・ ニンニクや匂いの強い香草等を苦手とする
・ ニンニクはエジプトでは広く悪に対して効果があると伝承されており、それが世界各地に広まった。中国やマレーシアでは額に、フィリピンでは脇の下に擦り込み、スラブではドアや窓、首にかける。
ルスヴン卿は、アンチヒーローとしての吸血鬼像を広めた。その後、吸血鬼というテーマは『吸血鬼ヴァーニー』(1847年)に代表されるペニー・ドレッドフルのような連続掲載作品を経由し、最終的に1897年のブラム・ストーカーによる『吸血鬼ドラキュラ』によって頂点に達した。
現在では当たり前となっている吸血鬼の設定もまた徐々に確立されていったものである。ヴァーニーとドラキュラ伯爵に見られるように、突き出た2本の歯を持ち、致命的ではないが日光を苦手とする設定は19世紀に登場した。20世紀に入るとムルナウの映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)にて、吸血鬼にとって日光が致命的な弱点として加わった。
マントは、高い襟と共に1920年代の舞台作品で登場し、これは舞台上でドラキュラが消える演出のために、劇作家によって導入されたものであった。
ルスヴン卿とヴァーニーは月光によって自らの肉体を治癒したが、これも伝統的な民間伝承には存在しない設定である。
必ずしも明示的ではないが、民間伝承でよく見られたのは「不死性」であり、これは吸血鬼映画や文学でも大きく取り上げられている特徴の一つである。永遠の命の代償として、血液を絶え間なく必要としていることが一般に扱われる。
◎ 文学
吸血鬼 ――ヴァンパイア(Vampire)やレヴィナント(Revenant)―― の最初期の例は、ハインリヒ・アウグスト・オッセンフェルターの『吸血鬼』(1748年)、ゴットフリート・アウグスト・ビュルガーの『レノーア』(1773年)、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『コリントの花嫁』(1797年)、バイロンの『The Giaour』(1813年)などの詩であった。
バイロンはまた、吸血鬼をテーマとした最初の散文小説『吸血鬼』(1819年)の作者ともされていた。実際には彼の主治医であったジョン・ポリドリの作品であったが、その着想の元になったのはバイロンの断片的な小説『Fragment of a Novel』(別名:『The Burial: A Fragment』、1819年)であったでも踏襲された。
◎ 映画
古典ホラー映画において傑出したキャラクターの1つと考えられている吸血鬼は、映画・テレビといった映像作品においてよく用いられている題材である。特にドラキュラ伯爵は、シャーロック・ホームズに次いで多くの映画に登場し、初期の吸血鬼映画の多くはストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を原作とするか、もしくはそこから密接して派生したものであった。この中には初めてドラキュラを描いたとされる、F・W・ムルナウ監督による1922年のドイツ表現主義のサイレント映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』が含まれる。この作品は『吸血鬼ドラキュラ』を無断で翻案したものであり、舞台をドイツ、吸血鬼の名はオルロック伯爵といった改変点も多々あった。特に伯爵の最期について朝日を浴びて消滅するというラストに置き換えられたが、これは吸血鬼は日光を致命的な弱点とする、という現代ではオーソドックスな吸血鬼設定の元となった。
その後、トーキーの時代に入って最初に描かれたドラキュラ作品が、トッド・ブラウニングが監督し、ベラ・ルゴシがドラキュラ伯爵を演じたユニバーサルの『魔人ドラキュラ』(1931年)である。ルゴシの演技と映画の総合的な出来はホラーというジャンルの黎明期に大きな影響を与えた。これは、サイレント時代よりも、はるかに効率的に音響や特殊効果を用いることを意味していた。
この1931年の映画の影響は、20世紀後半から現代に至るまで続いている。スティーヴン・キング、フランシス・フォード・コッポラ、ハマー・フィルム、などは、直接にインスピレーションを受け、演出や引用を行っている。
◎ ゲーム
ロールプレイングゲーム『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』は、現代の吸血鬼作品に影響を与え、特に「抱擁(エンブレイス、embrace)」や「サイヤ(sire)」といった用語は吸血鬼小説に影響を与えた。
ロールプレイングゲーム『ダンジョンズ&ドラゴンズ』には吸血鬼が登場する。
● 現代の吸血鬼サブカルチャー
ゴス系サブカルチャーにおいては、他人の血を吸うことを娯楽とすると呼ばれる現代サブカルチャーの用語がある。これは、カルトの象徴的行為やホラー映画、アン・ライスの小説、ヴィクトリア朝イングランドの風俗といった大衆文化史に由来する。
吸血鬼サブカルチャーの中でもよく見られる吸血行為は、一般的に「サングワン・ヴァンパイアリズム」(sanguine vampirism、直訳:享楽的吸血鬼主義)と呼ばれる血液に関連したものと、「サイキック・ヴァンパイアリズム」(psychic vampirism、直訳:精神的吸血鬼主義)と呼ばれる霊的なエネルギーを摂食するものの両方を含む。
「吸血鬼」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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