ランキング32位
獲得票なし
ランキング34位
獲得票なし
『失われた時を求めて』(うしなわれたときをもとめて, À la recherche du temps perdu)は、マルセル・プルーストによる長編小説。プルーストが1922年の没時まで執筆、校正した大作で、1913年から1927年までかけ全7篇が刊行された(第5篇以降は作者没後に刊行)。長さはフランス語の原文にして3,000ページ以上、日本語訳では400字詰め原稿用紙10,000枚にも及び、「最も長い小説」としてギネス世界記録で認定されている。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』などと共に20世紀を代表する世界的な傑作とされ、後世の作家に多くの影響を与えている。
社交に明け暮れ、無駄事のように見えた何の変哲もない自分の生涯の時間を、自身の中の「無意志的記憶」に導かれるまま、その埋もれていた感覚や観念を文体に定着して芸術作品を創造し、小説の素材とすればよいことを、最後に語り手が自覚する作家的な方法論の発見で終るため、この『失われた時を求めて』自体がどのようにして可能になったかの創作動機を小説の形で語っている作品でもあり、文学の根拠を探求する旅といった様相が末尾で明らかになる構造となっている。
こうした、小説自体についての小説といった意味も兼ねた『失われた時を求めて』の画期的な作品構造は、それまで固定的であった小説というものの考え方を変えるきっかけとなり。また、数百人にも及ぶ厖大な数の登場人物のうちの主要人物も数多く、その関係も複雑で、物語に様々な伏線が張られているなど、作品全体の構造が捉えにくい面もある。プルーストは外部の騒音を遮るため、コルク張りにした部屋に閉じこもって書き続け、42歳となった1913年11月に第1篇『スワン家のほうへ』を自費出版した。この時点では当初3篇(全3巻)の予定であったが第一次世界大戦により出版が中断し、さらに新たな要素を加えるなどの改稿を続けて長大化していく。
作中の年代は、およそ1880年代から1920年代頃と推定され(第1篇第2部「スワンの恋」は除き)。
このように、物語全体はフィクションであるが、芸術家である作者の自伝的な作品という要素も色濃い。名前のない主人公の〈私〉は、プルースト自身を思わせる人物で、少年期の回想や社交界の描写、恋愛心理などにプルーストの体験が生かされている。この年の初頭より、プルーストは『フィガロ』紙に、英国の首都ロンドンで当時起きた詐欺事件「ルモワーヌ事件」を題材に、バルザック、ミシュレ、ゴンクール兄弟、フローベールなどのパスティーシュ(模作)を発表しており、これが直接のきっかけになって評論活動への意欲を抱いた。
プルーストは、文芸評論家のサント・ブーヴが、スタンダール、バルザック、フローベールなど同時代の作家を軽視し見誤った作品評をしたと考え、サント・ブーヴに対する批判として作家論を書く計画を立てていた。
◎ 第1巻刊行と大幅な構成変更
『失われた時を求めて』というタイトルがプルーストの書簡に表れるのは1913年5月半ばのことであり、当初プルーストは2巻ないし3巻で刊行が完結すると考えていた。1912年にほぼ原稿が出来ていた3篇構成の『失われた時を求めて』では、1913年11月に第1巻が『スワン家のほうへ』としてグラッセ社から刊行された時点では、翌年以降に第2巻『ゲルマントのほう』、第3巻『見出された時』の刊行が予告印刷されており、このとき第2巻はすでに活字を組む作業が開始され、3巻目の草稿も大まかな形で出来上がっていた。
1907年に避暑地カブールで出会った自動車運転手のアルフレッド・アゴスチネリは、その後1913年に職を求めてプルーストの元を訪れた。
さらに後年になって、プルーストは死の直前に第6篇『消え去ったアルベルチーヌ』に大幅な変更を施していたことが明らかになった。
ここで書かれるのは語り手の一家の友人であるユダヤ人の仲買人スワン(フェルメール研究している美術品蒐集家)が、高級娼婦オデットに恋をするようになった経緯や、さまざまな駆け引きのあとで彼女への恋が冷めるまでのエピソードが描かれ、ヴェルデュラン邸(称号のないブルジョア)のサロンを舞台として首都パリの社交界の様子もここで初めて記述される。
スワンがオデットに誘われて、初めてヴェルデュラン夫人のサロンに行った際、そこでピアノ演奏されたソナタに感動するが、それは前年にある夜会で聴いて惹かれていたヴァイオリン演奏のソナタと同じ曲であった。スワンはその曲の作曲者が、ヴァントゥイユという名前の人物だとそこで知る。
このヴァントゥイユ作曲のソナタ(Sonate de Vinteuil)は、スワンとオデットの恋を記念する「恋の国歌」となるが、オデットとの恋が破綻しそうになった後も、小楽節はそれらを越える表現を持ってスワンの魂を捉えた。スワンは、ヴァントゥイユがいかなる苦悩の奥底から美しく神々しい音楽を創造したのか考えるが、自分自身は好事家のまま、次の女との出会いを求めていく。
○ 第3部「土地の名、名」
第3部は第2篇第2部「土地の名、土地」と対応している。ヴェネツィア、フィレンツェ、パルマ、ノルマンディーの(架空の町で、カブールがモデルの地)など、まだ行ったことのない土地の名前についての語り手の想念に始まり、期待を膨らませる。
また、高熱を出したために旅行を禁じられた幼い語り手が、代わりにシャンゼリゼ公園に出かけてジルベルトに出会い、そこから子供らしい2人の淡い恋が始まる様子が描かれる。第1篇第2部でスワンはオデットと別れたかと思われたが、ここでは彼らは既に結婚し、スワン夫妻の間には娘ジルベルトがいる。
◎ 第2篇『花咲く乙女たちのかげに』(À l'ombre des jeunes filles en fleurs、1919年6月刊)
○ 第1部「スワン夫人をめぐって」
前述の「土地の名、名」の最後の部分を受け、まずジルベルトとの間の恋が描かれる。語り手はスワン家に出入りするようになり有頂天になるが、ジルベルトとは気持ちのすれ違いが多くなり恋の情熱は失われていく。一方スワン夫人(オデット)のサロンには出入りを続け、そこでピアノ教師ヴァントゥイユが作曲したソナタを聞き、やがて語り手は少年の頃から愛読し憧れていた作家のベルゴットにも出会い、自身の天分に目覚めていく。
○ 第2部「土地の名、土地」
前篇の「土地の名、名」と対をなす部分。前章から2年たち、ジルベルトとの間の恋の痛手も癒えた語り手は、祖母とその女中フランソワーズと共にノルマンディーの避暑地バルベックにバカンスに出かける。美術に造詣が深いスワンの説明から美しく思い描いていたノルマンディー風ゴシック建築の教会は、実際に目にすると期待外れで想像より劣っていた。
語り手はここで、祖母の旧友でありゲルマントの一族の出であるヴィルパリジ侯爵夫人(ゲルマント公爵の叔母)と出会い、ゲルマント公爵夫妻の甥である貴公子ロベール・ド・サン=ルー侯爵、ゲルマント公爵の弟シャルリュス男爵とも知り合いになる。
また堤防の上でバラのように華やいだブルジョワの娘たちの一団(「花咲く乙女たち」)を見かけ、後に画家エルスチールの紹介で彼女たちとも親しくなり、この中の1人であるアルベルチーヌ・シモネに恋するようになる。ある晩、アルベルチーヌにキスしようとするが、語り手は彼女に拒否されてしまう。
◎ 第3篇『ゲルマントのほう』(Le Côté de Guermantes、1920年10月-1921年5月刊)
○ 第1部「ゲルマントのほう I」
第3篇は、語り手の一家がヴィルパリジ侯爵夫人の勧めで、パリのゲルマント邸の館の一角(アパルトマン)に引っ越すところから始まり、語り手が次第にゲルマント家の世界に入り込んでいく様が描かれている。日常のゲルマント公爵の様子を目にすると、今までの高貴なイメージが萎えることもあったが、語り手はオペラ座のボックス席のゲルマント公爵夫人の艶やかさを眺め、自分に手を振って合図してくれた公爵夫人に夢中になり、彼女に挨拶するために毎日待ち伏せをするようになる。
そして、彼女に紹介されることを願いつつ、その甥である隣人のサン=ルーとの交友を深めていき、その後には彼とその愛人ラシェルとの関係にも立ち会うことになる。実在のドレフュス事件の話題もここで初めて登場し、ヴィルパリジ侯爵夫人邸でのマチネ(昼の集い)のシーンのあと、語り手の祖母がシャンゼリゼで軽い発作を起こすところでこの部は終わる。
○ 第2部「ゲルマントのほう II」
第2部はさらに2章に分けられている。第1章では、祖母の病気と死が語られる。これよりずっと長い第2章の始めでは、語り手とアルベルチーヌとの間の関係が再燃し、初めて彼女とキスをする。
そして、語り手は念願かなってゲルマント公爵夫人邸の晩餐会に招待され、シャルリュス男爵に会う。その後、語り手はシャルリュス男爵を訪れ、そこで男爵の尊大で奇妙な振る舞いに困惑したりするが、その頃にはすでにゲルマント公爵夫人に対する熱は冷めていた。その2か月後、語り手は、公爵夫人の従姉であるゲルマント大公夫人のサロンへの招待状を受け取る。
◎ 第4篇『ソドムとゴモラ』(Sodome et Gomorrhe I et II、1921年5月-1922年5月刊)
○ 第1部「ソドムとゴモラ I」
第4篇は、悪徳と退廃の町として旧約聖書に登場する「ソドムとゴモラ」から名を取られている。第4篇以降、本作の同性愛のモチーフが全面的に展開されていく。第2部よりずっと短い第1部で語り手は、ゲルマント家の館の中庭に面した場所に店を持つ仕立屋ジュピヤンとシャルリュス男爵が中庭で偶然出会い、同類同士の勘で蘭の花とマルハナバチのような求愛の仕草を取り合っている光景を目撃してしまい、そこから女としての特徴を持つ男についての想念を展開していく。
○ 第2部「ソドムとゴモラ II」
第2部は4章に分けられている。最初は語り手が招待されたゲルマント大公夫人の夜会の場面に始まり、その夜会の後でアルベルチーヌが語り手のもとを訪ねてくる。その後、語り手は2回目のバルベック滞在に向かうが、そこのホテルの部屋で靴を脱ごうと身をかがめた瞬間、不意に祖母の思い出が「心の間歇」として甦り、その死を実感させられる。
また、語り手にアルベルチーヌに対する同性愛(レズビアン)の疑いが初めて兆して、彼女に対する愛情と嫉妬が語られる。その一方、バルベックで再会したシャルリュス男爵と、ヴァイオリニストのモレルとの間の同性愛関係も語られていく。語り手は、アルベルチーヌに疎ましさを感じるようになり、一時考えていた彼女との結婚を断念しようと考える。しかし、アルベルチーヌから、同性愛者であるヴァイントゥイユ嬢の女友達との親しい関係を告げられると嫉妬に駆られ、急遽彼女をパリに連れて行き自宅に住まわせることにする。
◎ 第5篇『囚われの女』(La Prisonnière、1923年刊)
この巻以降は未定稿であり、いずれも内容に区切りが付けられていない。また第5篇はタイプ原稿では「ソドムとゴモラ IIIの第1部」という副題が付けられており、前篇に続いて同性愛を主題とした内容が続いている。
語り手は、アルベルチーヌが身をよせたトゥーレーヌのボンタン夫人(アルベルチーヌの伯母)の元へサン=ルーを密使として送り、また夫人の気を引くために、手練手管を用いた内容の手紙を送って、彼女を自分の元に戻らせようとする。しかし、そのうちにボンタン夫人から、アルベルチーヌが乗馬中の事故で死亡したという知らせが届く。「自分をもう一度受け入れて欲しい」「戻りたい」という内容のアルベルチーヌからの手紙が届いたのは、その知らせの後だった。
語り手は、彼女を失った悲しみに加えて、その死後もなお彼女の同性愛趣味に対する嫉妬に激しく苦しめられる。しかし、その苦しみを他人に語り時間が経つにつれて、少しずつ和らいでいく。そして、母オデットの再婚によってフォルシュヴィル嬢となっていた初恋のジルベルトと語り手は再会もした。その後、念願だったヴェネツィアに語り手は旅行するが、そのときにはもうアルベルチーヌへの想いはほとんど消え去っている。パリへの帰途で、語り手は、ジルベルトとサン=ルーの結婚を知る。
◎ 第7篇『見出された時』(Le Temps retrouvé、1927年刊)
語り手は、コンブレーのジルベルト邸に滞在し、ここでジルベルトから、それまではまったく別の方向だと思っていた「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」の2つの道が、ある点で合流して意外な近道で繋がっていたことを知らされる。それから、ゴンクール日記(引用はプルーストによる模作で、原文には存在しない)を読んで、文学の価値に懐疑を抱くとともに自身の才能に対して疑念を持つ。
その後、語り手は病を治療するために数年の療養所生活を送る。それから、語り手は一時、第一次世界大戦下のパリに戻り、そこで人と社会のさまざまな変化を目にする。コンブレーはドイツ軍に占領されており、敵国のドイツ贔屓になっていたシャルリュス男爵は社交界での輝かしい地位を失っていた。語り手は、空襲に晒されたパリの灯火管制下の町のホテル(ジュピヤンが管理人の男娼窟)で、自分を若い男に鞭打たせて快楽に浸っている血だらけのシャルリュスを見かけ、またサン=ルーもこの宿に出入りしていたらしいことを知る。その後、まもなくサン=ルーは戦線で死を遂げ、語り手は再び療養所生活に戻る。
さらに数年経ち、語り手は再びパリに戻ってくる。語り手は、ゲルマント大公夫人(これは寡となった大公と再婚した元ヴェルデュラン夫人である)のマチネに出席し、ゲルマント家の中庭の不ぞろいな敷石で躓いた瞬間、ヴェネツィアでまったく同じ体験をしたことを思い出す。これをきっかけにして、かつてマドレーヌによって引き起こされたのと同じような「無意志的記憶」が次々と引き起こされ、語り手に過去の鮮やかな記憶が次々と甦ってくる。
この体験によって、語り手は、自分の文学的な天分を発見し、時勢や特定の観念におもねらずに、このように生々しく甦ってきた生の軌跡を描いていくべきだと確信する。そして、語り手は、ゲルマント公妃の開いたパーティの場で、すっかり老いてまるで仮面を被っているかのように様変わりした人々の姿を見て、「時の破壊作用」を目の当たりにする。そしてまた、「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」の2つの道の合流を象徴するジルベルトの娘サン=ルー嬢に出会い、時がもたらす至福をも実感する。
こうして小説の題材をすっかり捉えた語り手は、自分の死を背後に感じながら、時と記憶を主題とする長大な小説を予告し、物語を終える。
● おもな登場人物
◇私〈語り手〉(Narrateur)
:物語の主人公。姓・名とも物語中では不明。パリの裕福なブルジョアの家庭に生まれた男性。父親は高級役人。母親と祖母(母方)の愛情を一心に受けて育った。身体が弱く繊細。読書好き。兄弟はいない。祖父は株式仲買人であった。
◇母
:語り手の母親。幼い語り手がベッドで眠る前に、おやすみのキスをする習慣がある。幼い語り手にはそれがないと耐え難い。ある晩は遅くまで眠らずに、両親が来客のもてなしを終えて2階に上がって来るまで待ち続け、足音がすると階段まで飛び出していってキスをねだったこともある。その時母は一晩中、語り手のベッドに寄り添い、ジョルジュ・サンドの『』(孤児フランソワ)を読み聞かせる(義母と息子の恋愛部分は飛ばして)。語り手が成長したある冬の寒い日に、外から帰ってきた息子に紅茶とプチット・マドレーヌを出す。
◇レオニ叔母
:コンブレ―にいた親戚。語り手の大叔母の娘。灰色の古い家に住む。裏手に庭に面したところに語り手一家が滞在するための別棟がある。幼い語り手は、レオニ叔母の家で、紅茶やシナノキの花のハーブティーに浸されたマドレーヌを食べた思い出がある。
◇祖母(バチルド)(Bathilde Amédée)
:語り手の母方の祖母。孫の語り手に深い愛情を注ぐ。少年の語り手を連れてノルマンディーの避暑地バルベックにバカンスに行ったことがある。語り手が成長後には、体調がすぐれない中、語り手と一緒に出掛けたシャンゼリゼ公園で発作を起して重篤になり、死去する。
◇ゲルマント公爵(バザン)
:由緒ある大貴族の生まれ。夫人は従妹。の最高の地位にある家柄。結婚の翌日から浮気をし、次々と愛人を作ったが、美しい妻が社交界で発揮する才気(エスプリ)が自慢で、その引き立て役を喜んで演じている。知り合いの侯爵の訃報を聞いても知らなかったことにして、晩餐会や仮装舞踏会を優先する。
◇ゲルマント公爵夫人(オリヤーヌ)(Oriane de Guermantes)
:貴族社交界のスター的な存在。夫のゲルマント公爵は従兄。美しく才気があり、辛辣な警句や大胆な言葉を他者に言ったりする。痛烈な観察眼でその場にいない人を毒舌的に嗤い者にする振舞いが社交界の人々に受けて喝采を浴びている。語り手は夫人に憧れて親しくなったが、その後は、夫人の社交場の批評だけの生活が不毛なものに見え、社交生活と本当の社会活動や仕事との関係を「批評と創作の関係」になぞらえる。夫人の主要モデルは、だが、プルーストの同級生だったジャック・ビゼーの母親の(作曲家ビゼーの妻で、夫の死後に銀行家ストロースと再婚)が才気な会話のモデルとなっている。
◇アンドレ
:「花咲く乙女たち」の1人。アルベルチーヌの友人。
◇ボンタン夫人
:アルベルチーヌの叔母。戦時下では、ヴェルデュラン夫人と共に社交の場で女王のように君臨している。
◇ブロック(Albert Bloch)
:語り手の年長の悪友。語り手に悪所(売春宿)通いを教える。下層出身のユダヤ人。語り手にベルゴットの小説を読むように勧めた友人。高踏派詩人のシャルル=マリ=ルネ・ルコント・ド・リールに心酔している。育ちが悪く小生意気で人の気持を逆撫でするようなことを言う。のちに社交界に出入りし、戦後は作家として成功してジャック・デュ・ロジエと名乗るようになると、控え目な性格に変貌する。
◇ラシェル
:元娼婦。ユダヤ人。語り手がブロックと行った売春宿で働いていた。サン=ルー侯爵の恋人となり、前衛的な女優となる。
◇フランソワーズ(Françoise)
:語り手の家の女中。コンブレ―のレオニ叔母の近隣の農家の出。語り手の祖母の世話をする。病身のレオニ叔母の世話をしていたこともある。料理が得意。語り手の家に夕食に招かれたノルポワ侯爵はフランソワーズがつくった「牛肉のゼリー寄せ」を絶賛する。
◇デュ・ブールボン医師
:有名な脳神経科の医師。語り手の母親の友人。ベルゴットの熱狂的愛読者。体調を崩していた祖母の病気を、この「名医」が誤診し外出を勧めたため、ホームドクターから安静にしているべきと診断されていた祖母がシャンゼリゼ公園に出掛けることになった。語り手はわざわざ母に頼んで、自分がブールボン医師を呼んだことに自責の念を覚える。
◇ノルポワ侯爵(Marquis de Norpois)
:外交官。語り手の父親と親しくしている。ベルゴットの人間性を酷評し、その文学も低評価する。
◇ルグランダン
:週末だけコンブレ―に来るパリのエリート技師。立派な風采と洗練された物腰。スノビスムを罵倒しながらも、自身もスノブである。同性愛者傾向があり、秘かに少年愛を持つ。少年の語り手を夕食に招こうとする。バルザックを愛読している。
◇サン=ルー嬢
:ジルベルトとサン=ルーの娘。
● 特徴
◎ 文体
『失われた時を求めて』の文体は、複雑な構文と多くの隠喩を持った非常に息の長い文章に特徴づけられている。ただし、こうした長い文章は、実際には作品全体の三分の一程度を占めるに過ぎず、作品全体を通じて常に用いられているわけではない。このため、作品の全体像は容易には把握しがたい。しかし、プルーストは、この小説を非常に緻密に構成している。
まず作品全体を支える構成として、語り手が不意に経験する記憶の奔流(無意志的記憶)が、論文における序文と結論のように、予め作品の始めから配されており、冒頭に置かれている無意志的記憶が作品の原動力となっていく。プルースト自身、全体を大聖堂や交響曲に喩えているように、幾何学的な構成となっている。また、プルーストは同性愛者であったが、この要素も語り手からは排除されており、同性愛のモチーフは語り手の恋人であるアルベルチーヌや、サロンで知り合うシャルリュス男爵などへ転嫁されている。
なお、この長い小説の中で語り手である〈私〉の名前は、一度も出てこない。何度か語り手の名前を出さざるを得なくなるような状況は出てくるものの、プルーストはそのつど名前を告げなくてもいいように注意深く配慮している。
ちなみに第5篇『囚われの女』では、アルベルチーヌが語り手のことを「マルセル」と呼ぶシーンがあるためにしばしば語り手の名前は「マルセル」であると誤解されたが、よく読めばわかるように、このシーンは〈もし語り手がこの本の著者と同じ名前であったら〉という仮定の上で書かれている場面であり、むしろ語り手の名が「マルセル」ではないことを逆証明するものである。ただしこれは、あえて虚構の設定を課すことで、作者の真実を語るという小説というものの、作品と作者の関係性のからくりを表わしているものでもある。さらに、特定の名前を持たない〈私〉とすることで、その私が容易に読者自身にすり替わることができるよう配慮したものだと考えることもでき、そこに無名性の意味があると見られている。プルーストは、意志や知性を働かせて引き出される想起(「意志的記憶」)に対して、ふとした瞬間にわれしらず甦る鮮明な記憶を「無意志的記憶」と呼んで区別した。
このような「無意志的記憶」の現象は、最終巻『見出された時』において、ゲルマント大公邸の中庭で敷石に躓いた時に、ヴェネツィアの寺院の洗礼堂でタイルに躓いた記憶が蘇り、第1巻のマドレーヌのときと同じような歓喜の感覚を再びすることによって、その幸福感の秘密が解明される。それは、同じ感覚を〈現在の瞬間に感じるとともに、遠い過去においても感じていた結果〉、〈過去を現在に食い込ませることになり、自分のいるのが過去なのか現在なのか判然としなくなった〉ためで、この瞬間〈私〉は〈超時間的存在〉となる。
◎ 芸術と芸術家
上記のように『失われた時を求めて』は、芸術を求める〈私〉が様々な経験や考察を経た後で、文学の意味を発見し、文学的使命に目覚めるまでを描いた物語であり、一種のビルドゥングスロマン(修行小説)、語り手による、文学の根拠を探求する小説として読むこともでき。ヴァントゥイユの作曲したソナタ (Sonate de Vinteuil)は、作品の第1巻第1部「スワンの恋」でスワンとオデットが近づくきっかけになり、またヴァントゥイユのソナタと同じモチーフを持つ未完の遺作の「七重奏曲」は、のちにその娘ヴァントゥイユ嬢の同性愛の相手によって完成させられ、サロンでそれを聞いた語り手の魂に深い感銘を与えることになる。
避暑地バルベックで親しくなる画家のエルスチールの絵画『ミス・サクリパンの肖像』には男装の麗人が描かれ(モデルはオデットだったとされる)、『カルクチュイ港』にも対象の本当の印象や、芸術家の内的なビジョンの真実を表現する意図がエルスチールにはあった。
◎ 社交界とスノビズム
パリの社交界は『失われた時を求めて』の主要な舞台の1つであり、作品中ではサロンの描写に非常に多くのページが割かれている。作中ではパリの社交界の中心にあるのはゲルマント公爵夫人のサロンであり、その周りにそれよりも威光があるが閉鎖的で退屈なゲルマント大公夫人のサロン、同じ一族であるが低位にあるヴィルパリジ侯爵夫人のサロン、そしてスワンとオデットとの恋の舞台でもあるヴェルデュラン夫人のサロンなどが配されている。
作品の始めのほうにおかれたスワンの恋は、後に語り手が経験する恋愛の一種の予告編であり、細部に渡って語り手の恋愛との共通点を持つ。
しかし物語が進むと、スワンは高級娼婦オデットと結婚してから社交界での立場が悪くなり、さらに妻の社会的地位の向上を気にかける俗物的な面を見せるようになり、反対にブロックは社交界での地位を登りつめ、作家としても認められ貴族社会に入り込むことに成功して、育ちの悪さも無くなってくる。
ユダヤ人であったプルーストはドレフュス事件に早くから関心を持ち、親ドレフュス派として署名運動に関わったり、これに関するエミール・ゾラの名誉毀損裁判を熱心に傍聴したりしていた。しかし『失われた時を求めて』では、プルーストはむしろ社交界における様々な反応を描くことに専念している。
1913年11月14日に第1篇『スワン家のほうへ』が刊行されると、プルーストの知り合いの編集者に働きかけたこともあって、新聞各紙に書評が掲載された。
しかし、最も反響があったのは、先に『失われた時を求めて』の出版拒否を行なっていた『新フランス評論』の内部であった。
1921年5月に『ゲルマントのほう II』『ソドムとゴモラ』が出版され、その同性愛の主題がはっきりしてくると、ジッドは、そこで同性愛があまりに陰惨に書かれていることに対して、難色を示した。
● 日本語訳
・ 『失ひし時を索めて 第1巻・スワン家のほう』武蔵野書院、1931年。作品社(3冊刊)、1931-1934年
・淀野隆三・佐藤正彰・井上究一郎・久米文夫訳
・ 五来達訳『失はれし時を索めて』三笠書房 (第3篇途中まで)、1934-1935年
・訳者は、フランス文学者ではなく化学者。1954年に『見出された時』(三笠書房)を刊行。
・ 『失われた時を求めて』(全13巻)新潮社、1953-1955年、新潮文庫(改訂版)、1958-1959年/新潮社(全7巻組)、1974年
・淀野隆三・井上究一郎・伊吹武彦・生島遼一・市原豊太・中村真一郎訳
・ 井上究一郎訳『失われた時を求めて』筑摩書房〈筑摩世界文学大系 全5巻〉、1973-1988年
・改訂版『プルースト全集 1-10』筑摩書房、1984-1989年/ちくま文庫(全10巻)、1992-1993年。グーテンベルク21(電子書籍、2021-2022年)で再刊
・ 鈴木道彦訳『失われた時を求めて』(全13巻)、集英社、1996-2001年/集英社文庫(改訂版、各・巻末エッセイ)、2006-2007年
・抄訳版が先行出版。単行版(上・下)、1992年。文庫版(全3巻)、2002年
・ 吉川一義訳『失われた時を求めて』(全14巻)、岩波文庫、2010年11月 - 2019年11月(最終巻に総索引収録)
・ 吉川一義編訳『「失われた時を求めて」名文選』岩波書店、2024年9月
・ 高遠弘美訳『失われた時を求めて』(全14巻予定)、光文社古典新訳文庫、2010年9月-刊行中(2019年時点で第6巻まで刊行、電子書籍も出版)
・ 高遠弘美訳『消え去ったアルベルチーヌ』光文社古典新訳文庫、2008年5月
・1980年代に発見された新たな原稿を基にしたもの。
・ 角田光代、芳川泰久訳『失われた時を求めて 全一冊』新潮社〈新潮モダン・クラシックス〉、2015年5月
・プレイヤッド版(1987-1989年)を底本に、約十分の一の長さで縮訳した書。あとがきで訳者の芳川は、短くしてはいるが原文にないものは付け加えておらず、いわゆる超訳ではない、と述べている。電子書籍も出版。
長編作品として「20世紀文学の最高峰」と評される作品だけに、フランス文学者にとしてライフワークで取り組み完訳も複数ある。
◇上記の岩波版『名文選』の他に、以下の訳者らによるガイドブックや研究・解説本が刊行。「参考文献」も参照。
・鈴木道彦『マルセル・プルーストの誕生 新編プルースト論考』(藤原書店、2013年)
・芳川泰久『謎とき「失われた時を求めて」』(新潮選書、2015年)- 以下は電子書籍も出版
・鹿島茂『「失われた時を求めて」の完読を求めて 「スワン家の方へ」精読』(PHP研究所、2019年)
・吉川一義『『失われた時を求めて』への招待』(岩波新書、2021年)
・吉川一義『絵画で読む『失われた時を求めて』カラー版』(中公新書、2022年)
● 翻案
◎ 映画
・『セレスト』1981年、西ドイツ
・ 監督:パーシー・アドロン
・ 出演:Y・ヤルゲン・アルント、エヴァ・マッテス、ノーベル・ヴァルタ
・『スワンの恋』1983年、フランス・西ドイツ合作
・ 製作:マルガレート・メネゴス。監督:フォルカー・シュレンドルフ
・ 出演:ジェレミー・アイアンズ、オルネラ・ムーティ、アラン・ドロン、ファニー・アルダン
・『見出された時〜「失われた時を求めて」より〜』1998年、フランス・ポルトガル・イタリア合作
・ 製作:ジョン・マルコヴィッチ。監督:ラウル・ルイス
・ 出演:エマニュエル・ベアール、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジョン・マルコヴィッチ
・『囚われの女』2000年、フランス・ベルギー合作(『囚われの女』La Prisonnièreの自由な翻案。映画タイトルはLa Captive)
・ 製作:パウロ・ブランコ。監督:シャンタル・アケルマン
・ 出演:スタニスラス・メラール、シルヴィー・テステュー、オリヴィア・ボナミー
・『囚われの女』2015年、ポーランド
・ 監督:クシシュトフ・ガルバチェフスキ
・ 出演:バルトシュ・ゲルネル、カロリーナ・ピエホタ
◎ テレビドラマ
・『失われた時を求めて』2011年、フランス(全2話)
・監督・脚本:ニナ・コンパネーズ。原案:フォルカー・シュレンドルフ
・出演:ミッチャ・レスコット、キャロライン・ティレット、ドミニク・ブラン
◎ 舞台
・バレエ『プルースト 失われた時を求めて』1974年初演
・振付:ローラン・プティ
◎ 戯曲
・ルキノ・ヴィスコンティ『シナリオ 失われた時を求めて』大条成昭訳、筑摩書房、1984年/ちくま文庫、1993年
・スーゾ・チェッキ・ダミーコと共著、1970年代の晩年、映画化を構想していた。
・ハロルド・ピンター/ダイ・トレヴィス『失われた時を求めて』
・喜志哲雄訳、早川書房「作品集Ⅲ」ハヤカワ演劇文庫、2009年/霜康司訳、文芸社、2020年
・中村真一郎『失われた時を求めて ラジオ・ロマン』筑摩書房、1985年。全5回の放送台本
◎ 漫画
・ ステファヌ・ウエ『失われた時を求めて フランスコミック版 第1・2巻』中条省平訳・解説、白夜書房、2007-2008年。
・『失われた時を求めて フランスコミック版』中条省平訳、祥伝社、2016年 - 。新訂版(2022年に2巻目刊行)
・ バラエティ・アートワークス『失われた時を求めて まんがで読破』イースト・プレス、2009年。
「失われた時を求めて」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2025年1月30日16時(日本時間)現在での最新版を取得
好き嫌い決勝
好き嫌い準決勝
好き嫌い準々決勝
好き嫌い7位決定戦
好き嫌いTOP10圏内確定戦
漢字の無作為ピックアップ
Powered by