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改易(かいえき)は、江戸時代においては、武士に対して行われた士籍を剥奪する刑罰。士分以上の者の社会的地位を落とす身分刑であるが、禄や拝領した家屋敷を没収されることから、財産刑でもあるとする見解もある。また大名の所領を没収、減封、転封することを改易と呼ぶこともある。

● 概論
江戸時代中期の国学者谷川士清が表した『和訓栞』によれば、改易とは戸籍を取り上げることを意味していて(古代中国の律法より生まれた)賊盗律の移郷から発展したものであるとされ、平安時代の『続日本後紀』では改易は別の意味で使われており、後年出来た言葉だという。 改易は「職を改め易(か)える」の意であり、もとは律令制度において現職者の任を解いて新任者を補任するという職務の交代・改補(かいふ)を意味していた。職務の交代は概ね不利益を伴うため、中世以降はこの言葉に懲罰的な意味合いが含まれるようになって「所領や所職(しょしき)を没収する」という一種の刑罰をさしたが。 近代以降は大名の領地没収や処罰的な転封を改易と呼ぶことが多いが、同時代史料において大名に対して改易の語が用いられることは極めて稀であり、「領地召上」などの語が使用された。近世初期には大名を中心に「改易」の語が用いられ、中期以降は旗本・御家人が中心となって使用される傾向にある。藤田恒春は本来の改易は減転封等とは異なる概念であり、峻別する必要があるのではないかとしている。

● 幕臣の改易
江戸時代の法制において「改易」の語が初めて用いられるのは元和8年(1622年)2月15日の「付番士当直勤務令」である。『諸例類纂』においては「改易」は「改易者住居御構等ハ無之、御暇被下、平民二相成迄、此名目者當主井嫡子二限り候事」とあり、士分の所領・家禄・屋敷の没収の意味とされた。士籍の剥奪は長期だが、一定期間で許されることも多かった。これに対して遠島や流刑となった場合には許されることは稀であった。『諸例類纂』においては改易の対象は当主と嫡子に限定適用されるとされているが、実際には庶子に対しても改易が行われることは多かった。改易は蟄居より重く、追放刑・遠島・切腹より軽い。 改易の理由としては、世嗣断絶(無嗣断絶)と幕法違反によるものが多かった。元禄5年(1692年)、郡上藩藩主の遠藤常久が死去して、本来であれば無嗣断絶で改易となるところであったが、家綱の側室(瑞春院)の親族(後の遠藤胤親)が家督を継ぐことで改易を免れた例がある。 5代将軍綱吉の時代になると改易は再び増加したが、対象は一門や譜代大名に移っており、一門・親藩の政治干渉を防ぎ、政治安定の実現に主眼があって、綱吉の時代に改易された45件のうち28件が一門・譜代の大名であった。6代将軍家宣以降になると改易は極端に減少し、8代将軍吉宗時代においては「最早改易策による大名取潰しはおこなわれない段階に」達して、無嗣断絶でも末期養子と減知に留める寛大な処置が取られることが多くなった。また、初期の大久保忠隣や本多正純、中期以後の松平乗邑、田沼意次、林忠英、水野忠邦のように、幕府内部の権力闘争に敗れたかそれに連座して、改易された幕臣の大名や旗本も多くいたが、後期の改易は藩での失政や幕府政治の権力争いに関係するものばかりだった。 一方で、幕府が大名を敵視しなくなっても、大名本人が問題となって改易となることがあった。全体を通じて、大名の不行跡や刃傷沙汰、乱心(発狂)といった、広い意味での公序良俗・秩序違反の咎で改易とされた事例が思いのほか多く、赤穂事件の浅野長矩などのように大名同士が事件を起こした張本人であるという事例も少なくなかった。喧嘩両成敗は幕府の法ではなかったにもかかわらず、吉良義央のような幾つかの例外を除いて、刃傷沙汰では被害者も加害者と同様に改易の対象として罰せられた。御家騒動などで家中が揉めて幕府に裁定を委ねる事例があるが、どちらか一方の意見が汲み取られることはむしろ稀で、両派に罰が下されることが通常であり、減知は免れずに家中不行届を理由に改易となることもあった。藩主の失政や苛政により一揆や騒動が起きたという事例が多数あり、大名本人がその地位に就く適性を欠く場合には、不適格者の処分としての改易はむしろやむを得ない処置であったと言える。 改易の処分を受けた後、大名はそれぞれ蟄居や配流といった個別の刑罰に服した。失政や刃傷沙汰を起こした者は切腹となることが多く、島原の乱の原因を作った松倉勝家は切腹ではなく打首となった。ただし処罰後に許され、大名本人または子孫や一族の者が小大名や旗本に取り立てられ家名が存続することは少なくなかった。御家大事の論理を幕府は秩序の維持に有益と考えて重視したからである。譜代・親藩の中には、改易・蟄居処分のあとに許されて、その子孫が旧知とほぼ同じ待遇で復帰した例がある。外様大名でも、改易された有馬晴信の子直純は、例外的にそのまま跡を継ぐことが許された。
○ 改易の申渡しの配慮
改易は領主から家臣と居城、所領を奪い、領国を解体して大名支配を無力化することを意味したので、一つ間違えば反乱の原因とも成り得た。そのため、幕府の側も周到な準備をして、城明渡しの前には諸事に対して万全の配慮を払った。 元和5年(1619年)の安芸・備後50万石の外様大名福島正則の改易では、将軍秀忠が上洛して正則の嫡男福島忠勝を京都建仁寺に呼び寄せ、正則は江戸に留め置かれた状態で、改易を言い渡すが、幕府は正則に対して牧野忠成と花房正成を上使として派遣し、安芸・備後国の所領を召し上げて替地として津軽国に4.5万石を与える旨を伝えた際、同時に在江戸の諸大名に命じて兵を集めて正則の屋敷を取り囲ませるほどの警戒を見せた。正則は粛々と命令を受け入れるほかになかった。 元和8年(1622年)10月の宇都宮15.5万石の譜代大名本多正純の改易は、正純が最上義俊の改易(最上騒動)を伝える上使として山形城に派遣された折りに言い渡された。上使として伊丹康勝と高木正次が追って派遣され、11か条の不審を詰問し、正純は次々と申し開きをしたが、3か条については答えられずに改易されたという。ちなみに正純は出羽(佐竹氏預け)に配流となるが、宇都宮を没収する替地として5.5万石を提示されるが「罪があって御処分ならば受けられぬ」として断る気骨を見せている。 寛永9年(1632年)5月の肥後52万石の外様大名加藤忠広の改易では、忠広は突然老中より「不審の儀がある」として江戸に召喚され、22日に品川宿に着くと江戸に入ることを許さずに池上本門寺で待機するように命じられた。25日に酒井忠勝を徳川御三家に遣わして密議を行い、26日に紀伊和歌山藩主徳川頼宣(夫人が忠広の姉)を江戸に登城させて家光と協議すると、28日に御三家で再び密議をして、29日に再度、頼宣が登城を命じられて忠広の処遇について内達があった。こうして幕府は慎重を期して、徳川頼宣の了解をとりつけた上で、6月1日の拝賀の嘉慶にきた諸大名を前に、老中の口から加藤氏の改易を発表した。諸大名は大変に驚きおののいたが、3日、幕府は肥後国はもちろん全国の各大名の国元に宛に奉書を出して、処分を知らしめた。 この3例は、居城と家臣団から改易大名を切り離した状態を狙ったり、またそのような状況を意図的に作った上で処分を言い渡しており、これは改易を契機とする抗戦を予防するためで、幕府が反乱の芽を摘みとるために細心の注意を払って改易を行っていたことがわかる。 改易では、申渡しの次の段階である国元での城の明渡しについても、細心の注意が払われた。明渡しを告げる「上使」となる幕臣が派遣されるほか、責任者となる「城請取」役の大名が選任され、受け取った後の城を警備する「在番」役の周辺の大名を指名し、万事を監督して将軍に報告する「御目付」となる幕臣も併せて派遣された。没収される藩の石高や城の規模によって、城請取や在番の大名の人数は大幅に増え、それに伴って家臣や動員される人員も大掛かりなものになった。しかし、豊臣家が滅ぼされて以後、武力で抵抗をした大名は皆無で、誰一人として幕府に公然たる反抗をせずに、大人しく取潰されることを受け入れ、無抵抗で城と領地を幕府へ明渡した。福島氏や加藤氏は豊臣以来の大名として強力な存在だったにもかかわらず、他に応援を求めて徳川氏に抗戦するなどという姿勢は微塵も見せなかった。大名は尽く各個撃破されてしまっていたのである。 改易された大名の家臣への扱いは不明なことが多いが、天明7年(1787年)に改易された小堀政方の家臣(近江小室藩)のうち、身寄りがないものに対しては3年間に渡って扶持が行われた。
○ 幕末の改易
幕末には安政の大獄後の彦根藩、第一次長州征伐後には長州藩に対して大幅な減封が行われた。 戊辰戦争によって幕府が崩壊すると、明治新政府は奥羽越列藩同盟に参加した諸侯等に対して処分を行った。仙台藩伊達家、米沢藩上杉家など21家は減封とされ、請西藩林家と会津藩松平家は城地を没収された。このうち会津藩主会津松平家については容保の子慶三郎(松平容大)にあらためて3万石が下賜された。このため、戊辰戦争に関わる新政府処分によって諸侯の身分を失ったのは請西藩林家ただ一家である。これらの諸侯は新たに華族の身分が与えられた。 明治2年6月17日(1869年7月25日)の版籍奉還により諸侯は領主としての地位を失い、行政官としての知藩事となった。ただし知藩事が死亡または隠居した際には血縁者が後継となり、実質的には世襲されていた。明治4年(1871年)7月2日、太政官札贋造事件で福岡藩知事黒田長知は免職され、後任の福岡藩知事に有栖川宮熾仁親王が就任した。その直後の7月14日には廃藩置県を迎え、知藩事は中央から任命される知事に代えられた。ただし、黒田家はこの処分によって華族の身分を喪失したわけではなく、罷免後も旧知藩事に対する家禄をそのまま受け取っていた。

● 関ヶ原の戦いで改易・減封された大名家
順番、石高等は特に出典表記のないものは『廃絶録』による。ここでは自刃は任意の自決を、切腹は処罰として定められたものをさして記した。斬首(その後に梟首ともなる)が一番重い刑罰である。「※」の付いたものは廃絶録にない人物。
 大名   通称年月禄高没収/減封された領地陣営処罰・その後
  織田秀信  岐阜中納言  1600.8  13.5万石  美濃岐阜   西軍   配流(高野山蟄居)
  宇喜多秀家  備前中納言  1600.9-  57.4万石  備前岡山   西軍   配流(八丈島遠流)
  織田秀雄  大野宰相  1600.9-  5.0万石  越前大野   西軍  除封、隠居
  丹羽長重  加賀守  1600.9-  12.5万石  加賀小松   西軍  除封、後に再封(常陸古渡藩)
  木下勝俊  少将  1600.9-  6.2万石  若狭小浜   逃亡  除封、後に再封(足守藩)
  立花宗茂  左近将監  1600.10  13.2万石  筑後柳河   西軍  浪人、後に再封(棚倉藩)
  小早川秀包  筑後守  1600.10  13万石  筑後久留米   西軍  除封、
  前田利政  能登守  1600.11  21.5万石     西軍  除封、隠居
    宮内少輔  1600.11  22.2万石  土佐浦戸   西軍  浪人、後に大坂の陣で斬首
  小西行長  摂津守  1600.9-  20万石  肥後宇土   西軍   斬首
  増田長盛  右衛門尉  1600.9-  20万石  大和郡山   西軍   配流(高野山蟄居)

  石田三成  治部少輔  1600.9-  19.4万石  近江佐和山   西軍   斬首
  青木一矩  紀伊守  1600.10  20/8万石  越前北庄   西軍  除封、
  小川祐忠  土佐守  1600.9-  7万石  伊予今治   寝返  浪人、病死。子が再封とも。
  太田一吉  飛騨守  1600.10  6.5万石  豊後臼杵   西軍  浪人
  瑤甫恵瓊  安国寺  1600.9-  6.0万石  伊予国内   西軍   斬首
  毛利勝信  壱岐守  1600.9-  6.0万石  豊前小倉   西軍   配流(山内家預け)
  山口正弘  玄蕃允  1600.8  6.0万石  加賀大聖寺   西軍   自刃(落城)
  長束正家  大蔵大輔  1600.9-  5.0万石  近江水口   西軍   切腹(捕縛)
  大谷吉継  刑部少輔  1600.9  5.0万石  越前敦賀   西軍   自刃(戦場にて)
  丹羽長正  備中守  1600.9-  5.0万石  越前東郷   西軍  浪人、後に豊臣家へ仕官
  青山宗勝  修理亮  1600.9-  4.6万石  越前丸岡   西軍  浪人
  田丸直昌  中務大輔  1600.9-  4.5万石  美濃岩村   西軍   配流(堀氏預け)、後に赦免
  南条元忠  中務大輔  1600.9-  6.0/4万石  伯耆羽衣石   西軍  浪人、後に豊臣家へ仕官
  真田昌幸  安房守  1600.12  3.8万石     西軍   配流(高野山蟄居)
  小野木公郷  縫殿助  1600.10  4.0/3.1万石  丹波福知山   西軍   切腹
  伊藤盛正  彦兵衛  1600.9-  3.0万石  美濃大垣   西軍  浪人、後に前田家へ仕官
  小野寺義道  遠江守  1600.9-  3.0万石  出羽横手   西軍   配流(津和野・坂崎氏預け)
  原勝胤  隠岐守  1600.9-  3.0万石  美濃太田山   西軍   自刃(後に梟首)
  新庄直頼  駿河守  1600.9-  3.0万石  摂津高槻   西軍   配流
  石田正継  隠岐守  1600.9-  3.0万石  近江国内   西軍   自刃(落城)
  島津豊久  中務大輔  1600.9  2.86万石     西軍   戦死
  堀内氏善  安房守  1600.9-  2.7万石  紀伊新宮   西軍  除封・蟄居、
  木下頼継  山城守  1600.9  2.5万石  越前国内   西軍  浪人、病死
  斎村政広  左兵衛佐  1600.10  2.2万石  但馬竹田   西軍   切腹
  氏家行広  内膳正  1600.9-  2.2万石  伊勢桑名   西軍  浪人
  岡本良勝  下野守  1600.9-  2.2万石  伊勢亀山   西軍   切腹
  木下利房  宮内少輔  1600.9-  3.0/2万石  若狭高浜   西軍  除封、後に再封
  木下一元  美作守  1600.9-  2.0万石  不明   西軍  除封
  木下延重  周防守  1600.9-  2.0万石  播磨国内   西軍  除封
  荒木重堅  備中守  1600.9-  2.0万石  因幡若桜   西軍   切腹
  滝川雄利  下総守  1600.10  2.0万石  伊勢神戸   西軍  除封、後に再封(片野藩)
  垣見家純  和泉守  1600.9  2.0万石  豊後富来   西軍   戦死(謀殺)
  福原長堯  右馬助  1599.12  2.0万石  豊後杵築   西軍   切腹
  多賀秀種  出雲守  1600.9-  2.0万石  大和宇多   西軍  浪人、堀家に居候
  丸毛兼利  三郎兵衛  1600.8  2.0万石  美濃福束   西軍  浪人、逃亡後に前田家へ仕官
  赤座直保  備後守  1600.9-  2.0万石  越前今庄   寝返  浪人、前田家へ仕官
  杉若氏宗  主殿頭  1600.9-  1.9万石  紀伊田辺   西軍  除封
  筑紫広門  上野介  1600.10  1.8万石  筑後山下   西軍  浪人、加藤家に居候
  高橋直次  主膳正  1600.10  1.8万石  筑後内山   西軍  浪人、後に旗本に仕官
  横浜茂勝  民部少輔  1600.9-  1.7万石  播磨国内   西軍  除封
  寺田光吉  播磨守  1600.9-  1.5万石  大和国内   西軍  除封
  氏家行継  志摩守  1600.9-  1.5万石  近江国内   西軍  除封、細川家に仕官
  熊谷直陳  内蔵允  1600.9  1.5万石  豊後安岐   西軍   戦死(謀殺)
  石田正澄  木工頭  1600.9-  1.5万石  近江国内   西軍   自刃(落城)
  宇多頼忠  下野守  1600.9-  1.3万石  大和国内   西軍   自刃(落城)
  平塚為広  因幡守  1600.9  1.2万石  美濃垂井   西軍   戦死
  石川貞清  備前守  1600.9-  1.2万石  尾張犬山   西軍  浪人、剃髪・茶人に
  石川頼明  掃部頭  1600.9-  1.2万石  播磨国内   西軍   切腹(ただし梟首)
  石川貞通  備後守  1600.9-  1.2万石  山城国内   西軍   配流(南部家預け)
  糟屋武則  内膳正  1600.9-  1.2万石  播磨加古川   西軍  浪人、後に旗本へ仕官
  池田秀氏  伊予守  1600.9-  2.0万石  伊予大洲   西軍   配流(藤堂家預け、後に仕官)
  奥山正之  雅楽助  1600.10  1.1万石  越前国内   西軍  浪人、剃髪
  戸田勝成  武蔵守  1600.9  2.0/1万石  越前安居   西軍   戦死
  垣屋恒総  隠岐守  1600.9-  1.0万石  因幡浦住   西軍   自刃(逃亡後)
  松浦秀任  伊予守  1600.9  1.0万石  伊勢井生   西軍   戦死
  赤松則英  上総介  1600.9-  1.0万石  阿波住吉   西軍   自刃(逃亡後)
  寺西直次  備中守  1600.9-  1.0万石  近江・越前国内   西軍  浪人、前田家へ仕官
  上田重安  主水正  1600.9-  1.0万石  越前国内   西軍  浪人、後に浅野家へ仕官
  早川長政  主馬首  1600.9-  2.0万石/1万石  豊後府内   西軍  浪人、後に大坂の陣に参加
  岸田忠氏  伯耆守  1600.9-  1.0万石  大和岸田   西軍   配流(南部家預け)
  木村由信  宗左衛門  1600.9-  1.0万石  美濃北方   西軍   戦死(謀殺)
  高木盛兼  十郎左衛門  1600.8  1.0万石  美濃高須   西軍  浪人、堀尾家へ仕官
  山崎定勝  右京進  1600.9-  1.0万石  伊勢竹原   西軍  除封、後に豊臣家へ仕官
  河尻秀長  肥前守  1600.9-  1.0万石  美濃苗木   西軍   戦死
  中江直澄  式部少輔  1600.9-  1.0万石  不明   西軍   配流(伊達家預け)
  寺西是成  下野守  1600.9-  1.0万石  伊勢国内   西軍  浪人、剃髪
  堅田元慶  兵部少輔  1600.9  1.0万石  安芸等の内   西軍  除封、毛利本家に帰参
  高田治忠  豊後守  1600.9-  1.0万石  丹波国内   西軍  除封
  三好房一  丹後守  1600.9  1.0万石  河内国内   東軍  除封(理由不明)、
  木村秀望  弥市右衛門  1600.9-  1.4万石/1万石  豊後国内   西軍  浪人
  毛利輝元  中納言  1600.10  108.5/100万石  安芸広島→36.9万石   西軍   減封・隠居、
  毛利秀元  甲斐守  1600.10  20万石     西軍   減封、長府藩主
  吉川広家  蔵人頭  1600.10  14.2万石  出雲富田→岩国2.7万石   内応   減封、岩国領主
  上杉景勝  中納言  1601.8  120万石  陸奥会津→米沢30万石   西軍   減封、米沢藩主
  日根野吉明  丹後守  1602  2.8万石  信濃高島→   東軍   減封、壬生藩主
  多賀谷重経  修理大夫  1601.2  6.0万石  常陸下妻   中立  浪人
  山川朝信  民部少輔  1601  2.0万石  下野山川   東軍  除封(東軍内通のため)
  佐竹義宣  右京大夫  1602.5.8  54.57万石  常陸水戸→   中立   減封、久保田藩主
  岩城貞隆  忠次郎  1601  12万石  陸奥磐城平   中立  除封、後に再封(信濃中村藩)
  秋田実季  藤太郎  1602  19万石  出羽秋田→   東軍   減封(讒言により)、常陸宍戸藩主
  佐藤方政※  才次郎  1600.8  2.0万石  美濃上有知   西軍  浪人、大坂の陣で戦死
  山口修弘※  右京亮  1600.8  1.3万石  加賀国内   西軍   自刃(落城)
  青木俊矩※  右衛門佐  1600.10  2.0万石  越前国金剛院   西軍  除封
  宮部長煕※  兵部少輔  1600.10  13.1万石  因幡鳥取   西軍   配流(南部家預け)
  溝江長晴※  彦三郎  1600.9-  1.1(1.07)万石   越前金津   西軍  浪人、井伊家へ仕官
  池田長政※  河内守  1600.9-  1.0万石  不明   西軍  除封
  服部正栄※  土佐守  1600.9-  1.0万石  近江国内   西軍  浪人、後に豊臣家へ仕官
  蒔田広定※  左衛門権佐  1600.9-  1.0万石  伊勢雲出→備中1万石   西軍   配流、
  矢部定政※  豊後守  1600.9-  1.0万石  不明   西軍  除封
  宮城豊盛※  丹波守  1600.9-  1.0万石     西軍   減封
  相馬義胤※  長門守  1600  6.0万石  陸奥中村   中立   除封(※後に安堵・相馬中村藩)
    治部法印  1600.10  1.6万石  三河国内   中立  除封


● 江戸時代以降の改易


◎ 江戸時代に改易・減封された大名
順番は年代順。石高等は特に出典表記のないものは『廃絶録』による。「※」の付いたものは廃絶録にない人物。
大名 領地禄高 年代 改易理由対処・その後
  ※木曾義利     1.0万石  1600   事件:上松義豊の殺害  関ヶ原の戦い以前だが、家康によって改易されている
  小早川秀秋  備前岡山藩  51万石   1602   無嗣断絶  死去
  武田信吉  常陸水戸藩  15万石  1603   無嗣断絶   遺領は異母弟徳川頼将が相続
  大島光義  美濃関藩  1.8万石  1604  所領分知  遺領を分知したため大名格を失い旗本に
  堀鶴千代    3.0万石  1606   無嗣断絶  遺領は後見人堀直寄に還付
  西尾吉次  武蔵原市藩  1.2万石  1606   無嗣断絶   酒井重忠の子・西尾忠永を婿養子として相続
  松平忠吉  尾張清洲藩  52万石  1607   無嗣断絶   
  天野康景    1.0万石  1607  出奔:  子天野康宗が旗本として存続
  稲葉通孝   豊後臼杵藩内分  1.4万石  1607   無嗣断絶  内分遺領は兄稲葉典通に還付。
  津田信成  山城御牧藩  1.3万石  1607  乱暴狼藉  除封
  稲葉通重  美濃清水藩  1.2万石  1607  乱暴狼藉  配流(常陸筑波)
    肥前佐賀藩  35.7万石  1607   無嗣断絶   遺領と龍造寺氏の家督は鍋島勝茂が相続
  筒井定次  伊賀上野藩  20万石  1608  訴訟:  配流(鳥居忠政/藤堂高虎預け)
  前田茂勝  丹波八上藩  5.0万石  1608  乱心:家臣多数を殺害  配流(堀尾忠晴預け)弟前田正勝が旗本として存続
  中村一忠  伯耆米子藩  17.5万石  1609   無嗣断絶  除封
  木下勝俊/木下利房  備中足守藩  2.5万石  1609  御家騒動  浪人、
  松平忠頼  遠江浜松藩  5.0万石  1609  事件:殺人被害  死去、
  水野忠胤  三河水野藩  1.0万石  1609  引責:松平忠頼殺害事件  切腹
  皆川広照  信濃飯山藩  4.0万石  1609  失脚:   蟄居、後に赦免され常陸府中藩1万石に再封
  小笠原吉次  常陸笠間藩  3.0万石  1609   連座:私曲  配流、武蔵に隠棲
  ※桑山清晴  和泉谷川藩  1.0万石  1609  将軍の勘気  蟄居、
  堀忠俊  越後高田藩  30万石  1610  御家騒動:  配流(鳥居忠政預け)
  ※小川光氏  豊後日田藩  2.0万石  1610   無嗣断絶  死去(※従来は幕領代官と見られていた)
  浅野長重  下野真岡藩  2.0万石  1611  他藩相続のため  真壁藩5万石を相続
  金森長光    2.0万石  1611   無嗣断絶  死去、家老3人は旗本へ
  平岩親吉  尾張犬山藩  12.3万石  1611   無嗣断絶  死去、養嗣子早世
  有馬晴信    4.0万石  1612  事件:岡本大八事件   切腹、家康の恩赦で子有馬直純が相続
  松平忠清  三河吉田藩  3.0万石  1612   無嗣断絶  急死、弟松平清昌は旗本として存続
  山口重政  常陸牛久藩  1.5万石  1613  公命違反   配流(武蔵国)蟄居、1628年に牛久藩再興
  大久保忠佐  駿河沼津藩  2.0万石  1613   無嗣断絶  死去
  里見忠重  上野板鼻藩  1.0万石  1613  勤務怠慢  浪人、子孫は越後高田藩に仕える
  石川康長  信濃松本藩  8万石  1613   連座:大久保長安事件  配流(毛利高政預け)
  高橋元種  日向延岡藩  5.0万石  1613   連座:富田信高改易  配流(立花宗茂預け)
  石川康勝    1.5万石  1613   連座:石川康長改易  浪人、大坂夏の陣で戦死
  富田信高    12万石  1613  訴訟  配流(鳥居忠政預け)、次男は後に旗本
  浅野長晟  備中足守藩  2.5万石  1613  他藩相続のため  兄幸長の死により紀州藩を相続
  大久保忠隣    5.5万石  1614  公命違反  配流(井伊直孝預け)
  佐野信吉  下野佐野藩  3.9万石  1614   連座:富田信高改易  配流(小笠原秀政預け)
  里見忠義  安房館山藩  12万石  1614  公命違反   転封、伯耆国倉吉藩3万石に移転
  井伊直孝  上野白井藩  1.0万石  1615  他藩相続のため  幕命で兄直勝を安中藩に移して彦根藩を相続
  奥平信昌  美濃加納藩  5.0万石分  1615  所領収公:隠居料返納  死去により加納藩10万石中5万石の隠居料を返納
  豊臣秀頼  摂津大坂藩  65.74万石  1615  豊臣家滅亡・大坂の陣  自刃
  古田重然  不明  1.0万石  1615  豊臣方加担が発覚  切腹
  池田忠雄  淡路洲本藩  6.3万石  1615  他藩相続のため  兄忠継が急死したため、備前岡山藩を相続
  織田信重  伊勢林藩  1.0万石  1615  御家騒動  除封
  福島高晴   大和宇陀松山藩  3.0万石  1615  豊臣方密通を家臣が密告  浪人、伊勢山田に蟄居
  大須賀忠次    6.0万石  1615  他藩相続のため  叔父榊原康勝の死去により館林藩11万石を相続
  松平忠輝  越後高田藩  45万石  1616  将軍の勘気  配流
  藤田信吉  下野西方藩  1.5万石  1616   無嗣断絶  死の経緯は諸説あり
  大久保忠為   美濃大垣新田藩  1.0万石  1616  不明  死去
  坂崎直盛    4.0万石  1617  事件:千姫事件  自害(家臣に殺されたとも)
  池田利隆  播磨姫路藩  39万石  1617  所領収公:  鳥取藩22万石へ移封
  本多正重  下総舟戸藩  1.0万石  1617  所領収公  死去、2,000石を収公されて大名格を失う
  松平定行  遠江掛川藩  3.0万石  1617  所領収公:本家の加増  父松平定勝が桑名藩に移ったため掛川を返納
  伊奈忠政  武蔵小室藩  1.3万石  1618  所領収公:  熊蔵は小室2,800石に減封、大名格を失う
  村上忠勝  越後村上藩  9万石  1618  御家騒動  配流(松平康重預け)
  近藤政成  信濃近藤藩  1.0万石  1618  所領収公:  重直は5,000石に減封、残りは伯父堀親良に付与
  関一政  伯耆黒坂藩  5.0万石  1618  御家騒動  養子関氏盛は旗本として存続
  福島正則  安芸広島藩  49.82万石  1619  幕法違反:   高井野藩4.5万石へ減封
  土岐定義  摂津高槻藩  2.0万石  1619  所領収公:   死去、頼行は守谷藩1万石へ減封
  ※伊奈忠勝  武蔵小室藩  1.3万石  1619   無嗣断絶  早世、弟伊奈忠隆は旗本として存続
  市橋長勝  越後三条藩  4.13万石  1620  所領収公:   死去、甥長政は仁正寺藩2万石へ減封
  田中忠政  筑後柳河藩  32.5万石  1620   無嗣断絶   死去、
  由良貞繁  常陸牛久藩  1.0万石  1621   無嗣断絶  死去、
  最上義俊  出羽山形藩  57万石  1622  御家騒動:最上騒動   若年により恩赦、大森藩1万石へ減封
  織田長益  大和国内  1.0万石  1622  所領収公:隠居料返納  死去
  本多正純    15.5万石  1622  将軍の勘気:  配流(佐竹義宣預け)
  本多正勝  下野小山藩  1.0万石  1622  連座:本多正純改易  配流(佐竹義宣預け)
  成田泰之  下野烏山藩  2.0万石  1622   無嗣断絶  
  松平忠直  越前福井藩  67万石  1623  将軍の勘気:不行跡   配流(竹中重義預け)
  西尾嘉教  美濃揖斐藩  2.5万石  1623   無嗣断絶  死去、弟西尾氏教は旗本して存続
  田中吉官  近江三河内  2.0万石  1623  連座:組中の罪  浪人、後に恩赦されて2,000石で旗本に
  青山忠俊    4.5万石  1623  将軍の勘気   蟄居、
  内藤清政    3.0万石  1623   無嗣断絶   死去、1626年に甥内藤正勝が2万石で再封
  本多紀貞  上野白井藩  1.0万石  1624   無嗣断絶  死去
 福島正則    4.5万石  1624  幕法違反:  死去、
  高台院  河内国内  1.6万石  1624  所領収公  死去、木下利次に3,000石を付与
  仁賀保挙誠    1.0万石  1625  所領分知  死去、
  ※滝川正利  常陸片野藩  2.0万石  1625  所領収公:病弱無嗣  自主的に所領返上、養嗣子滝川利貞は旗本に
  根津信直  上野豊岡藩  1.0万石  1626   無嗣断絶  死去
  本多忠刻   播磨姫路新田藩  10万石  1626   無嗣断絶   死去、弟本多政朝が継ぐ
  松平重忠    4.0万石  1626   無嗣断絶   死去、松平重直が婿養子となって3万石で継ぐ
  蒲生忠郷  陸奥会津藩  60万石  1627   無嗣断絶   死去、弟蒲生忠知が継いで伊予松山藩20万石に減封
  蒲生忠知  出羽上山藩  4.0万石  1627  他藩相続のため  伊予松山藩主になった
  松下重綱    5.0万石  1628  所領収公:   死去、長綱は三春藩3万石に減封
  徳永昌重  美濃高須藩  5.07万石  1628  勤務怠慢:遅延  配流(酒井忠勝、戸沢政盛預け)
  別所吉治  但馬八木藩  1.5万石  1628  勤務怠慢:仮病  浪人、子別所守治が赦免され旗本
  内藤正勝  安房勝山藩  2.0万石  1629   所領収公:  死去、子重頼は5,000石で旗本として存続
  桑山貞晴  大和御所藩  2.63万石  1629   無嗣断絶  死去、弟桑山栄晴は3,000石で旗本として存続
  近藤秀用    1.07万石  1631  所領分知  死去、
  酒井直次  出羽左沢藩  1.2万石  1631   無嗣断絶  死去
  織田長則  美濃野村藩  1.0万石  1631   無嗣断絶  死去
  三浦重勝  下総三浦藩  3.3万石  1631   無嗣断絶  死去
  ※池田政綱  播磨赤穂藩  3.5万石  1631   無嗣断絶   死去、弟池田輝興が継ぐ
  脇坂安信  美濃脇坂藩  1.0万石  1632  事件:刃傷被害  浪人
  加藤忠広  肥後熊本藩  52万石  1632  不明   配流(酒井忠勝預け)出羽丸岡藩1万石に減封
  最上義俊  出羽大森藩  1.0万石  1632   無嗣断絶  死去、弟最上義智は5,000石で旗本として存続
  徳川忠長  駿河府中藩  55万石  1632  将軍の勘気:不行跡  配流(安藤重長預け)・自ら自害
  鳥居忠房  甲斐谷村藩  3.8万石  1632  連座:徳川忠長改易  配流(鳥居忠恒預け)
  朝倉宣正  遠江掛川藩  2.5万石  1632  連座:徳川忠長改易  配流(松平清匡預け)
  長谷川守知    1.0万石  1632  所領分知  死去、
  酒井重澄  下総生実藩  2.5万石  1633  将軍の勘気:不敬  配流(水野勝成預け)
  堀尾忠晴  出雲松江藩  24万石  1633   無嗣断絶  死去
  竹中重義  豊後府内藩  2.0万石  1634  事件:密貿易  切腹
  蒲生忠知  伊予松山藩  20万石  1634   無嗣断絶  死去
  高木正成    1.0万石  1635  所領収公  死去、3,000石減知
  菅沼右京  美濃加納藩  10万石  1635   無嗣断絶  早世(4歳)
  鳥居忠恒  出羽山形藩  24万石  1636   無嗣断絶   死去、弟鳥居忠春は高遠藩3万石に入封
  京極忠高  出雲松江藩  24.4万石  1637   無嗣断絶   死去、
  本多政武  大和高取藩  2.5万石  1637   無嗣断絶  死去
  松倉勝家  肥前島原藩  6万石  1638  引責:島原の乱  斬首、養子の弟松倉重利も配流(生駒正俊預け)
  寺沢堅高  肥前唐津藩  12.3万石  1638  引責:キリシタン蜂起  減知4万石
  片桐孝利  大和竜田藩  4.5万石  1638   無嗣断絶   弟片桐為元を末期養子として1万石に減封
  真田熊之助  上野沼田藩  3.0万石  1638   無嗣断絶  早世(7歳) 本家真田信之に還付
    信濃飯山藩  3.0万石  1638   無嗣断絶  早世(9歳)
  成瀬之虎  下総栗原藩  1.5万石  1638   無嗣断絶  早世(5歳)
  本多犬千代  下野榎本藩  2.8万石  1640   無嗣断絶  早世(5歳)
  池田輝澄  播磨山崎藩  6.5万石  1640  御家騒動:脱藩   蟄居、
  生駒高俊  讃岐高松藩  17.3万石  1640  御家騒動:生駒騒動  配流・出羽矢島藩1万石に減封
  三枝守昌  安房三枝藩  1.0万石  1640  所領分知  死去、
  池田長常  備中松山藩  6.5万石  1641   無嗣断絶  死去、弟池田長信は1,000石旗本として存続
  堀直定  越後村上藩  10万石  1642   無嗣断絶  早世(7歳)
  那須資重  下野那須藩  1.7万石  1643   無嗣断絶  死去、
  加藤明成  陸奥会津藩  40万石  1643  御家騒動:会津騒動   配流、嫡男加藤明友に堪忍料・石見吉永藩1万石
  加藤明利    3.0万石  1643  乱心  先年死去(1641年)この年に子加藤明勝は3,000石で旗本に
  一柳直家    2.86万石  1644   無嗣断絶  婿養子直次を後継とする届け出を怠る。直次は小野藩主に
  松下長綱  陸奥三春藩  3.0万石  1644  乱心  配流(山内忠義預け)子松下長光は旗本として存続
  松平清道   播磨姫路新田藩  3.0万石  1644   無嗣断絶  早世(11歳)
  池田輝興  播磨赤穂藩  3.5万石  1645  乱心:妻女を殺傷  配流(池田光政預け)子池田政種は3,000石で旗本に
  杉原重長  但馬豊岡藩  2.74万石  1645   無嗣断絶   前年死去、
  皆川成郷  常陸府中藩  1.9万石  1645   無嗣断絶  死去、弟皆川秀隆は5,000石で旗本に
  柳生宗矩  大和柳生藩  1.25万石  1646  所領分知  死去、
  寺沢堅高  肥前唐津藩  8.3万石  1647   無嗣断絶  酒狂いで自害
  松平忠憲  信濃小諸藩  4.5万石  1648   無嗣断絶   前年死去、この年に弟松平康尚が那須藩1万石に再封
  菅沼定昭  丹波亀山藩  3.8万石  1648   無嗣断絶  前年死去、
  古田重恒  石見浜田藩  5.5万石  1648   無嗣断絶  横死
  ※真田信重  信濃埴科藩  1.7万石  1648   無嗣断絶  死去、所領は父真田信之に還付
  稲葉紀通    4.5万石  1649  苛政:住民殺害  謀反の噂があって前年自殺、この年に詮議
  織田信勝  丹波柏原藩  3.4万石  1650   無嗣断絶  死去、叔父織田信当は旗本として存続
  本多勝行  大和国内  4万石  1650   無嗣断絶  早世(12歳)父政勝に遺領還付
  内藤信広    1.5万石  1650  連座:  前年死去、減知7千石、
  松平定政  三河刈谷藩  2.0万石  1651  事件:  永蟄居(兄松平定行預け)子定知らは旗本として存続
  平岡頼資  美濃徳野藩  1.0万石  1653  御家騒動:廃嫡  死去、子平岡頼重が旗本として存続
  杉原重玄  但馬豊岡藩  1.0万石  1653   無嗣断絶  早世(17歳)大叔父杉原義正は旗本として存続
  ※加藤忠広  出羽丸岡藩  1.0万石  1653   無嗣断絶  死去
  ※宮城豊嗣  但馬清富藩  1.3万石  1653   無嗣断絶  死去
  片桐為次  大和竜田藩  1.0万石  1655   無嗣断絶  早世(14歳)弟且昭は3,000石で旗本に
  日根野吉明  豊後府内藩  2.0万石  1656   無嗣断絶  死去、御家騒動があって末期養子の願いを取り下げた
  山崎治頼  讃岐丸亀藩  4.5万石  1657   無嗣断絶  早世(7歳)
  北条氏重  遠江掛川藩  3.0万石  1658   無嗣断絶  落馬死。義兄北条繁広は旗本として存続
  生駒高俊  出羽矢島藩  1.0万石  1659  所領分知  死去。
  堀田正信  下総佐倉藩  10万石  1660  事件:  配流(弟脇坂安政→酒井忠直→蜂須賀綱通預け)
  上杉綱勝  出羽米沢藩  30万石  1664   無嗣断絶   死去。外甥上杉綱憲を末期養子として15万石に減知
  松平重利  下野皆川藩  1.05万石  1665   無嗣断絶  早世(7歳)
  一柳直興  伊予西条藩  2.5万石  1665  勤務怠慢/失政  配流(前田綱紀預け)
  池田政直  播磨福本藩  1.0万石  1665  所領分知  死去。弟政武7,000石・政済3,000石分知
  京極高国  丹後宮津藩  7.82万石  1666  訴訟/御家騒動  配流(南部重信預け)子達も配流
  水野元知  上野安中藩  2.0万石  1667  乱心:妻女を殺傷  配流(水野忠職預け)子水野元朝は旗本として存続
  高力隆長  肥前島原藩  3.7万石  1668  失政  配流(伊達綱村預け)子高力忠弘は旗本として存続
  奥平忠昌     11万石  1668   幕法違反:家臣に殉死者   死去。減知2万石
  酒井忠解  出羽大山藩  1.0万石  1668   無嗣断絶  死去。末期養子は不許可。遺領は鶴岡藩に還付
  池田邦照  播磨新宮藩  1.0万石  1670   無嗣断絶  早世(13歳)弟池田重教は3千石で旗本として存続
  伊達宗勝  陸奥一関藩  3.0万石  1671  御家騒動:伊達騒動  配流(山内豊昌預け)
  土井利久  下総古河藩  10万石  1675   無嗣断絶   早世(10歳)叔父土井利益を7万石で再封
  土井利益    1.0万石  1675  他藩相続のため  古河藩を相続
  新庄直矩  常陸麻生藩  2.3万石  1676   無嗣断絶   早世(17歳)末期養子は不許可で、父直好を1万石で再封
  黒田長寛  筑前直方藩  4.0万石  1677  他藩相続のため  福岡藩を相続して支藩解消
  土井利直  下総大輪藩  1.0万石  1677   無嗣断絶  死去。
  池田恒行  播磨山崎藩  3.0万石  1678   無嗣断絶  早世
  土屋直樹    2.0万石  1679  乱心  所領収公。子逵直は3,000石で旗本として存続
  戸川安風  備中庭瀬藩  2.0万石  1679   無嗣断絶  早世(9歳)
  堀通周  常陸玉取藩  1.2万石  1679  乱心  所領収公。
  永井尚長  丹後宮津藩  7.36万石  1680  事件:刃傷被害   死亡。弟永井直円が大和新庄藩1万石で再封
  内藤忠勝  志摩鳥羽藩  3.5万石  1680  事件:刃傷沙汰  切腹
    武蔵高坂藩  1.0万石  1681  不正:領地改  配流(山内豊昌預け)→閉門(兄石川総良預け)
  酒井忠明    2.0万石  1681  他藩相続のため  厩橋藩を相続
  松平光長  越後高田藩  26万石  1681  御家騒動:越後騒動   配流(松平定直預け)→1687年赦免、堪忍料3万石
  真田信利  上野沼田藩  3.0万石  1681  勤務怠慢  配流(奥平昌章預け)
  酒井忠能  駿河田中藩  4.0万石  1681  将軍の勘気  逼塞→配流(井伊直興預け)後に赦免され旗本
  松平直矩  播磨姫路藩  15万石  1682  連座:松平光長改易   閉門→所領収公:減知7万石、日田藩に再封
  松平近栄  出雲広瀬藩  3.0万石  1682  連座:松平光長改易   閉門→所領収公:減知2万石
  板倉重通  武蔵岩槻藩  6.0万石  1682  失脚   所領収公:減知1万石、坂木藩に転封
  本多政利  播磨明石藩  6.0万石  1682  苛政   所領収公、岩瀬藩1万石に再封
  本多利長    5.0万石  1682  失政   所領収公、村山藩1万石に再封
  桑山一尹  大和新庄藩  1.1万石  1682  不敬  閉門(弟一慶・一矩預け)
  稲葉正往    3.0万石  1683  他藩相続のため  小田原藩を相続
  徳川徳松  上野館林藩  25万石  1683   無嗣廃絶  夭折
  土方雄隆  陸奥窪田藩  1.8万石  1684  御家騒動  配流(榊原政邦預け)別の弟雄賀は旗本として存続
  有馬豊範  筑後松崎藩  1.0万石  1684  連座:土方雄隆改易  閉門(有馬頼元預け)所領は久留米藩に還付
  稲葉正休  美濃青野藩  1.2万石  1684  事件:大老暗殺  死去
  松平重治  上総佐貫藩  1.5万石  1684  勤務怠慢  配流(保科正容預け)子勝秀は旗本として存続
  松平綱昌  越前福井藩  52.52万石  1686  乱心:家臣殺害   蟄居(江戸鳥越の福井藩邸)
  溝口政親  越後沢海藩  1.0万石  1687  乱心:酒乱  配流(兄加藤明英預け)
  那須資徳  下野烏山藩  2.0万石  1687  幕法違反  配流(津軽信政預け)1698年に恩赦。1,000石で旗本に。
    信濃長沼藩  1万石  1688  将軍の勘気  閉塞(丹羽長次預け)
      1.0万石  1688  昇進:  所領収公、後に小田原藩を相続
  堀田正英  常陸北条藩  1.3万石  1688  所領収公  死去。
      2.0万石  1689  勤務怠慢  配流(松平定重預け)
  坂本重治  相模深見藩  1.0万石  1689  勤務怠慢  逼塞→減知7,800石
  本多忠周  陸奥白河藩  1.0万石  1689  勤務怠慢  逼塞→減知3,000石
  山内豊明  土佐中村藩  3.0万石  1689  将軍の勘気  配流(青山忠重預け)
  鳥居忠則  信濃高遠藩  3.0万石  1689  引責:のぞき   閉門→自害。嫡男忠英は能登下村藩1万石に再封
  遠藤常久  美濃八幡藩  2.4万石  1692   無嗣廃絶   早世(7歳)
  松平忠弘  陸奥白河藩  15万石  1692  御家騒動:白河騒動   蟄居→減知5万石で山形藩に再封
  本多政利    1.0万石  1693  事件:殺人  配流(酒井忠真・水野忠之預け)→押込置
  水谷勝美  備中松山藩  5.0万石  1693   無嗣断絶  死去。養嗣子も1ヶ月後に死去。弟勝時は旗本として存続
  堀田正虎  下野大宮藩  2.0万石  1694  他藩相続のため  福島藩を相続
  織田信武   大和宇陀松山藩  2.8万石  1695  乱心:家臣殺害   自害。嫡男織田信休を2万石に減封
  本多重益  越前丸岡藩  4.3万石  1695  失政  配流(池田仲澄預け)後に旗本
  西郷寿員  下野上田藩  1.0万石  1695  勤務怠慢  減知5,000石
  小出重興  和泉陶器藩  1.3万石  1696   無嗣断絶  死去。弟重昌を末期養子としたがこれも死去した
  森長武   美作津山新田藩  2.0万石  1696  所領収公  死去。末期養子の弟森長基が乱心し、支藩解消
  小出英及  但馬出石藩  4.5万石  1696   無嗣断絶  早世(3歳)
  森長成  美作津山藩  18.6万石  1697   無嗣断絶   前年死去。
  水野勝岑  備後福山藩  10.1万石  1698   無嗣断絶   早世(2歳)親戚水野勝長が継ぎ、西谷藩1万石に再封
    豊前中津藩  8.0万石  1698  苛政   閉門(小笠原忠雄預け)弟長円を4万石で減封
  伊丹勝守  甲斐徳美藩  1.0万石  1698  乱心  自害。所領収公
  戸田忠真  不明  1.0万石  1698  昇進:  所領収公
  伊達村和    3.0万石  1699  事件:  逼塞(伊達綱村預け)従者2名死罪。所領は仙台藩に還付
  浅野長矩   播磨赤穂藩  5.0万石  1701   事件:赤穂事件  切腹。
  丹羽氏音  美濃岩村藩  1.9万石  1702  訴訟/失政  閉門。高柳藩に減封
  松平忠充  伊勢長島藩  1.0万石  1702  乱心※  幽閉。
  松平近憲   出雲松江新田藩  1.0万石  1704  他藩相続のため  松江藩を相続。
  阿部正喬    1.0万石  1704  他藩相続のため  忍藩を相続。
  松平頼職  越前高森藩  3.0万石  1705  他藩相続のため  紀州藩を相続するが急死。所領収公
  松平頼方  越前葛野藩  3.0万石  1705  他藩相続のため  紀州藩を相続。所領収公
  井伊直朝  遠江掛川藩  3.5万石  1705  乱心/幕法違反   強制隠居・減知1.5万石。
  前田利昌   加賀大聖寺新田藩  1万石  1709  事件:織田秀親を殺害  切腹。遺領は大聖寺藩に還付
  本多忠孝  播磨姫路藩  15万石  1709   無嗣断絶   早世(13歳)
  松平宗胡  越前高森藩  2.0万石  1711   無嗣断絶  早世(8歳)
  屋代忠位  安房北条藩  1.0万石  1712  失政:万石騒動  逼塞・所領没収
  毛利元次  周防徳山藩  4.5万石  1716  訴訟:  配流(戸沢正庸預け)所領は萩藩に還付
    豊前中津藩  4.0万石  1716   無嗣断絶   早世(6歳)弟長興が安志藩1万石で立藩
  毛利元矩  長門長府藩  5.0万石※  1718   無嗣断絶   早世(15歳)親戚匡広が3.8万石で再封
  浅野長経  安芸三次藩  5.0万石  1719   無嗣断絶   早世(13歳)弟長寔が再封
  黒田長清  筑前直方藩  5.0万石  1720   無嗣断絶  
  浅野長寔  安芸三次藩  5.0万石  1720   無嗣断絶  早世(10歳)遺領は広島藩に還付
  松平宗昌  越前松岡藩  5.0万石  1721  他藩相続のため  弟松平吉邦の死去により福井藩30万石を相続
  本多忠村  大和郡山藩  12万石  1722   無嗣断絶   早世(11歳)弟忠烈が5万石で再封
  本多忠烈  大和郡山藩  5.0万石  1723   無嗣断絶  早世(8歳※)
  内田正偏  下野鹿沼藩  1.3万石  1724  乱心:妻に斬りかかる  強制隠居・蟄居・減知3,000石、
    阿波富田藩  5.0万石  1725  他藩相続のため  兄の死去で、実父蜂須賀綱矩のもとに戻り支藩解消
  水野忠恒  信濃松本藩  7万石  1725  事件:刃傷沙汰  配流(秋元喬房預け)蟄居(叔父水野忠穀預け)
  京極高寛  但馬豊岡藩  3.5万石  1726   無嗣断絶   早世(10歳)弟高永が1.5万石で再封
    美作津山藩  10万石  1726   無嗣断絶   早世(14歳)
  松平明矩   陸奥白河新田藩  1.0万石  1727  他藩相続のため  松平基知の養子となって支藩解消
  松平義真  陸奥梁川藩  3.0万石  1729   無嗣断絶  早世(16歳)
  佐竹義堅   出羽久保田新田藩  1.0万石  1732  他藩相続のため  佐竹義峯の養子となって支藩解消
  井伊直定   近江彦根新田藩  1.0万石  1734  他藩相続のため  井伊直惟の養子となって支藩解消
  松平乗邑  下総佐倉藩  6.0万石  1745  失脚:専横   強制隠居・蟄居・老中罷免・減知1万石
  植村恒朝  上総勝浦藩  1.1万石  1751  幕法違反  配流(植村家道預け)
  安藤信尹  美濃加納藩  6.5万石  1755  御家騒動:安藤騒動   強制隠居・減知1.5万石
  本多忠央  遠江相良藩  1.0万石  1758  失政:郡上一揆  配流(松平長孝預け)若年寄罷免
  金森頼錦  美濃八幡藩  3.8万石  1758  失政:郡上一揆  配流(南部利雄預け)子頼興は旗本として存続
  松平定静   松山新田藩  1.0万石  1765  他藩相続のため  伊予松山藩15万石を相続
  田沼意次  遠江相良藩  5.7万石  1786  失脚/汚職   強制隠居・謹慎・老中辞職・減知2万石
  稲葉正明  安房館山藩  1.3万石  1786  連座:田沼意次失脚  減知3,000石
  田沼意次  遠江相良藩  3.7万石  1787  失脚/汚職   相良城破却・減知2.7万石、子意知は移封
  小堀政方  近江小室藩  1.63万石  1788  汚職・苛政(伏見騒動)  配流(大久保忠顕預け)
  松前章広  蝦夷松前藩  無高  1807  失政  松前領(東)/西蝦夷地の没収、
  酒井忠全   播磨姫路新田藩  1.0万石  1817   無嗣断絶  早世(3歳)
  仙石久利  但馬出石藩  5.8万石  1835  御家騒動:仙石騒動   閉門・減知2.8万石
  林忠英  上総貝淵藩  1.8万石  1841  失脚   強制隠居・若年寄罷免・減知8,000石
  水野忠邦  遠江浜松藩  7万石  1845  失脚:天保の改革失敗   強制隠居・減知2万石
  堀親寚  信濃飯田藩  2.7万石  1845  連座:水野忠邦失脚   強制隠居・老中罷免・減知1万石
  本郷泰固    1.0万石  1859  勤務怠慢  強制隠居・若年寄罷免・減知5,000石、
  久世広周  下総関宿藩  6.8万石  1862  引責:坂下門外の変   強制隠居・減知1万石
  井伊直憲  近江彦根藩  35万石  1862  連座:故井伊直弼糾弾   減知10万石
  間部詮勝  越前鯖江藩  5.0万石  1862  失脚   強制隠居・減知1万石
  酒井忠義  若狭小浜藩  11.35万石  1862  失脚:寺田屋事件余波   強制隠居・京都所司代解任・減知1万石
  久世謙吉  下総関宿藩  5.8万石  1862  連座:   減知1万石
      5.0万石  1862  連座:   減知2万石
    常陸宍戸藩  1.0万石  1864  引責:天狗党事件関与  切腹、明治になり父松平頼位が再封
  堀親義  信濃飯田藩  1.7万石  1864  勤務怠慢   逼塞・役職解任、減知2,000石
  戸田忠恕    7.78万石  1865  勤務怠慢   減知2.78万石


◎ 明治時代

大名 領地禄高 年代 改易理由   対処・その後
  松平喜徳  陸奥会津藩  23万石  1868  新政府への反逆  久留米藩有馬慶頼永預、後に斗南藩松平容大預け
  林忠崇  上総請西藩  1.0万石  1868  新政府への反逆  閉門(小笠原長国預け)
  黒田長知  筑前福岡藩  47万石  1871  太政官札贋造事件  閉門・免官、福岡藩知事の後任は有栖川宮熾仁親王

「改易」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年7月20日1時(日本時間)現在での最新版を取得

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