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取(しゅ)とは、サンスクリット語およびパーリ語のウパーダーナに由来する言葉であり、「ある活動を活性化させ維持させる源や手段となる、燃料、物質的原因、気質」という意味である。
仏教では、アタッチメント、執着、掌握といった意味を指す重要概念である。これは渇愛(tṛṣṇā、トリシュナー)の結果として生じるものであり、煩悩の一種とされ、最終的には苦に繋がる。
● 仏教において
◎ 執着の種類
経蔵においては、釈迦は4つの執着を示している。
・感覚-喜びへの執着 (kam-upadana, 欲取)
・間違った視点への執着 (ditth-upadana, 見取)
・儀式と象徴への執着 (silabbat-upadana, 戒禁取)
・自我信条への執着 (attavad-upadana, 我語取)
この4つを総称して、四取(ししゅ)と呼ぶ。
釈迦は、最初の3つへの執着については他宗派(沙門婆羅門)による適切な分析を取り入れたが、一方で、我語取については、釈迦自身のみで完全に解明したのだと述べている。
アビダンマとその解説書では、四取についてさらに以下を定義している。
欲取: 世俗的なものへの、繰り返される渇愛。
見取: たとえば常見(世界と自分は永遠である)や断見(断滅論)。六師外道も参照。
戒禁取: 文献通りの修行だけを行えば、ストレートに解脱できると信じている。例えば「牛の練習」や「犬の修行」など。
我語取: 自我(アートマン)を不変の主体であると識別している。たとえば有明小経や、五蘊、無我などで語られる。
ブッダゴーサによれば、この四取は上から挙げた順番に減少していくという。
◎ 四取の相互作用
我語取
↓
見取
↓
↓
戒禁取
欲取
ブッダゴーサは、この四取が相互接続されていることを発見している。
こういった取の相互関係を右図に示す。したがってブッダゴーサの分析によれば、取は、習慣化した感情経験(欲取)よりも、中核的信念(我語取)の根本的誤りが本質である。
◎ 取の表現
アビダルマにおいては、欲取と、その他の取(見取,戒禁取,我語取)の違いについて、それは貪と悪見の違いであることを特定している。取は経験的に、アビダルマの4分類において以下の表として特定される。
特徴
作用
現れ
考えうる原因
貪 (lobha, ローバ)
物体を手に入れる
取りつくようなもの
諦めることができない
束縛を楽しんでいるから
悪見 (ditthi, ディッティ)
解釈が間違っている
推定による判断
間違った信念
法をまだ聞いていない
渇望(トリシュナー)と取(ウパーダーナ)の区別として、ブッダゴーサは以下の喩えをあげている。
「トリシュナーは、泥棒が暗闇の中で手を伸ばしているように、まだ到達していない物体を目指していることである。ウパーダーナは、泥棒が目的のものを握りしめるように、取得したものを離さないことである。これらは、探しつづける苦と、守り抜くという苦の原因である」
従って、釈迦が「取の蘊」について語っているのは、肉体的、精神的、意識的な経験について、それを掴み守り抜くことであり、それらは我々が間違って真実だと信ずるものである。
◎ 苦の因果関係の一環として
四諦における1つ目の諦では、苦の中核的経験の一つとして取(ウパーダーナ)を挙げている。2つ目の諦では、苦の基礎として渇愛(タンハー)を挙げている。このように、仏教の最も根本的な教えには、渇望と執着の因果関係が見いだされる
十二因縁(十二縁起)において、「取」は9番目に登場する。
・ 取(ウパーダーナ)は、渇愛が存在している状態へ依存している。
: 渇愛の条件を満たすとき、ウパーダーナが発生する。
・ 取はまた、次の条件である有(ビハーバ)の発生要件である。
: 取の条件を満たすとき、有が発生する。
ブッダゴーサによれば、欲取の取とは、渇愛によって発生し、その状態が維持されるのだという。
● ヒンズー教において
「取」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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