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曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)は、天目茶碗のうち、最上級とされるもの。曜変天目と略称され、「曜変」は「耀変」と書かれることもある。
焼き上げる過程で黒釉が変化して斑紋が生じているのが特色。「器の中に宇宙が見える」とも評されるで作られたとされる。現存するものは世界でわずか3点。
この紋様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかは議論が分かれている。「曜変」とは「天目」という言葉と同じく日本で作られた言葉で、中国の文献には出てこない。南宋時代の作品だが、日本で曜変という言葉が使われた最も古い文献は室町時代の『能阿相伝集』であり、次の使用例は『君台観左右帳記』である
12-13世紀中国で飲茶が盛んな時期に、黒色の黒釉茶碗の生産地は中国福建省にあり、その中で建窯の黒釉茶碗の生産は、北宋中期に始まり、末期には名品として確立し、南宋時代に入ると大規模な生産が行われ絶頂期は西暦1200年頃だが日本にも輸入された。しかし、明代初期からの飲茶法の変化で、14世紀前半には、建窯の生産が絶え、程なくして福建省の天目窯の黒釉茶碗も終息した。しかし、天目茶碗の生産の終了後に日本の茶の湯は盛んとなり、黒釉茶碗が国産窯で焼かれた。南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることはなく、なぜ日本にのみ現存するのか、焼かれた中国では欠けている完全でない状態の陶片は杭州にて出土品として発見されているが、なぜ伝来品としては残っていないのかは、大きな謎として残っている。
「中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、すぐに破棄されたために現存せず、わずかに破壊の手を逃れたものが密かに日本に伝来した」とする説も唱えられたが、後述の中国での陶片の出土状況から南宋時代の最上層の人々に曜変天目が使われていたことが示唆されている。
元は徳川将軍家所蔵の柳営御物の一つで、その中でも最高級の品であった。それ以前の来歴は不明だが、『君台観左右帳記』に本品と特徴が類似する曜変天目についての記述がある。寛永20年(1643年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光の乳母春日局が病臥した際、かつて彼の疱瘡平癒を願って「薬断ち」をした事から治療を断ったため、身を案じた家光により薬と共に下賜され、将軍自らこの碗で服薬させたという逸話が伝わる、同文庫が東京丸の内に開設した「静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)」にて展示されているが、常設ではなく、特別展示として時折公開される。なお、三菱一号館内「三菱センターデジタルギャラリー」では、デジタルコンテンツとして常時閲覧することができる。
◇ 大きさ
・ 高さ:6.8cm。1953年11月14日国宝指定。
◇ 大きさ
・ 高さ:6.8cm
・ 口径:13.6cm
・ 高台径:3.6cmを持つとされて評価が高い。非公開であり、特別展に出展された回数も数えるほどしかない。1951年6月9日国宝指定。
◇ 大きさ
・ 高さ:6.6cm
・ 口径:12.1cm
・ 高台径:3.8cm。1953年11月14日重要文化財指定。
国宝3点とは異なり、曜変は内面の一部に限られ、これを曜変天目茶碗と呼ぶかどうかは議論がある。
◇ 大きさ
・ 高さ:7.1cm
・ 口径:12.4cm
・ 高台径:3.9cm。現在は古越会館所蔵。杭州市は南宋の都・臨安(現在の浙江省杭州市)で、出土場所は皇城の北門付近で、南宋時期には官庁街で主要な官衙が集まっていて、ここは、宮廷の国使節を宿泊させ、もてなす迎賓館のような所である。
◎ 「曜変」の箱書付のある天目茶碗
「曜変」との箱書き付けとともに伝えられたものが何点かある。
例
・ 根津美術館所蔵の加賀前田家伝来の天目茶碗(重要美術品)には小堀遠州の手によるとされる「曜変」との箱書き付けがある。
◎ テレビ番組に登場した「曜変天目」
2016年12月20日放送のテレビ番組『開運なんでも鑑定団』(テレビ東京系列)において、出品された天目茶碗を中島誠之助が「曜変天目茶碗」「4点目」と鑑定し、その価値を2500万円と評価した。しかしその後、9代目長江惣吉(後述)などの専門家からこの鑑定結果を否定する声が挙がり、後に中国の陶芸家・李欣紅が「自らがお土産品として約2年間で大量に作り、100元 - 200元(当時で1500円 - 3000円)ほどで販売したもの」と証言した。
● 日本国内復元の試み
1953年に発表された小山富士夫と山崎一雄による論文「曜変天目の研究」において、ミシガン大学教授のJ.Mプラマーが1935年に建窯窯址から採取した曜変天目の陶片ではないが光彩の生じた陶片の、釉の定量分析と観察により、
・ 光彩発生の原因であると見られていた、釉中に鉛やタングステンは含んでいない。
・ 斑点は、斑点の周囲の釉が失透結晶していること、斑点の周囲に青紫色の光彩があることから、人工的につけられたとは考えにくい。
・ 光彩が斑点の周囲に多く、斑点生成と関係があり、薬品で釉を人工的に腐食させた人工的腐食を行ったとは考えにくい。
また、龍光院の曜変天目の観察により、
・ 青紫色の光彩は釉上の薄膜によって生じた光の干渉による色である。
・ 斑点をとりまく青紫色の光彩は、見る方向により色を変えずに光彩の場所が移動する。この光彩の原因は釉上の薄膜によって生じた光の干渉で、“干渉色”と考える。これは、釉の表面に屈折率の異なる極めて薄い物質が存在し、この膜の表面で反射する光と、膜を通過して釉の表面で反射する光との干渉によって生じた色である。薄膜の屈折率を1.5と仮定すると、青紫色の光彩の生じる膜の厚さは、1万分の1ミリ(0.1ミクロンメートル)程度となる。
とする分析結果を明らかにして、2023年の理化学研究所による検証では釉薬によって形成された2次元の皺構造による回折光と推測されたが、研究者が適切な光源で測定することができないため推定となっている。
・ 2012年10月、愛知県瀬戸市の陶芸家である9代目長江惣吉が、中国江西省景徳鎮市で開かれた国際シンポジウムにおいて曜変天目の焼成方法に関する発表を行った。建窯の周辺で産出される蛍石を窯に投入する方法で、蛍石の化学変化により発生するフッ素ガスによる釉面の腐食により光彩が現れるというもの。また、酸性ガスによる光彩の生成の可能性を示す物質として微量の塩素が検出された。
・ 2019年、京都市の京焼・清水焼の窯元「陶葊(とうあん)」4代目土渕善亜貴が2018年に、特殊な土や釉薬ではなく、窯の中の微妙な環境の違いで酸欠状態の不完全燃焼が曜変の模様を生み出すと考え、まず専用の窯を温度が管理し易いガスと電気の併用で3回作り直して挑戦。鉛を使わない建窯の釉薬をベースに、焼成温度は1320度前後で、酸欠状態への時機や酸素量を調整し2年で、3000 - 4000通りの釉薬の調合や焼き方を試し、焼き続け、光彩が出て徐々に曜変天目に近づいた。これで2019年8月第41回京焼・清水焼展で最高賞・経産大臣賞受賞。2019年11月温度を上げるタイミングが20分遅れたが、茶碗の内側に無数の斑紋が浮かび、今まで一番曜変天目に近づいた。国宝と同じ直径約12センチメートルで、条件は微妙に違い、曜変天目は100個中1、2個となるが定量的に製造できるようになった。
「曜変天目茶碗」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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