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K2(ケイツー)は、カラコルム山脈にある山。標高は8611 mで、エベレストに次ぐ世界第2位の高さである。パキスタンのギルギット・バルティスタン(インドの主張によればインドカシミールのパキスタン占領地)と、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区との国境に位置する。
K2という頭文字はKarakoram No.2 、つまりカラコルム山脈測量番号2号を意味する。
パキスタンの最高峰であり、カラコルム山脈の最高峰でもある。
● 山名
世界第2位の高峰であるにもかかわらず、人里から遠く離れた奥地にあるため、19世紀末まではほとんど人々に存在を知られることもなく、名前さえも無かった。
イギリス統治時代ののトーマス・ジョージ・モントゴメリーが1856年からカラコルム山系の測量を始めた際に、南方210 kmから測量した特に標高が高い山々にカラコルム(Karakoram)の頭文字「K」を取って順に、K1, K2, K3, K4, K5 と測量番号を付けた。その後K2以外の山には、新たに名前が付けられたり、現地の名前が採用されたりしたが、K2だけは測量番号がそのまま山名に残った。登頂の難しさでは世界最高峰のエベレスト(標高8848 m)よりも上で、世界一登ることが難しい山とも言われる。その理由として、人が住む集落から遠く離れた奥地に存在することによるアプローチの困難さ、エベレストよりも厳しい気候条件、急峻な山容による雪崩、滑落の危険性などが挙げられる。K2登山に関しては一般的なルートでさえ、エベレストのバリエーションルートに匹敵すると言われる。これらの困難さから、全部で14座ある8000メートル峰の中で最後の冬季未登頂峰であったが、2021年1月16日、ネパールの登山隊によって初めて達成された。2012年3月までの時点で登頂者数306人に対し、死亡者数は81人に達し(その時点でのエベレスト登頂者数は5656人。
・ 1996年7月29日 - 戸高雅史が南東稜クラシックルートで無酸素登頂。
・ 1996年8月12日‐8月14日 - 日本山岳会青年部登山隊(山本篤隊長)の12人が南南東リブルートより登頂。K2登山史上1チームによる最大人数登頂。
・ 2000年7月30日 - 山野井泰史が南南東リブルートより無酸素登頂。
・ 2004年
・7月27日 - 「チベット登山隊」(西蔵登山探検隊)が中国人初の登頂。
・8月16日 - 北海道在住の社会人で編成された「どさんこ同人会」(松本政英隊長)の5人が、南南東リブルートで登頂。
・ 2006年8月1日 - 東海大学山岳部登山隊が南南東リブルートより登頂。登頂隊員・小松由佳は日本人女性として初登頂(女性としては世界で8人目)。また、隊員の青木達哉(当時21歳)が世界最年少での登頂。
・ 2008年8月1日 - 大規模な氷塊の崩落事故が発生し3人が巻き込まれ、オランダ、フランス、ノルウェー、韓国、ネパールの11名が遭難死した。
・ 2011年8月23日 - オーストリアの女性登山家ゲルリンデ・カルテンブルンナーが、北稜を無酸素登頂し14座制覇を達成。
・2024年7月27日 - 日本の中島健郎と平出和也が未踏の西壁ルートを登攀中に、標高7550メートル付近から滑落。6300メートル付近でザイルに繋がった状態の2人を確認するも、救助が困難な事から30日に救出を断念する。
◎ 登頂の記録
・ 2004年初めの時点で、登頂に成功した女性登山家は5人しかいなかった。この5人がいずれも酸素ボンベなしで登頂を果たしたことは特筆に価する。また、この5人のうち3人が下山中に死亡し、残りの2人は他の8000メートル峰で遭難死しており、誰も存命していない。
・ 2009年6月、ミシェル・フェイトが山頂からの滑降に挑戦したが転倒して死亡。当時、同行していたスウェーデンのプロスキーヤー、フレドリック・エリクソンは、翌2010年に挑戦を決意するものの、同年8月登頂中に難所であるボトルネックから滑落して死亡。ボトルネックは滑落すると到底助からないとされ、同氏も900 m滑落した。
・ K - 原作・遠崎史朗、画・谷口ジローによる登山をテーマにした連作漫画。第1話がK2。
・ K2 - 村上もとかの漫画作品。『岳人列伝』の1編。
「K2」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年10月14日7時(日本時間)現在での最新版を取得
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