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天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6キロメートルの湾口砂州。日本三景の一つであり、2013年の観光入込客数は178万1900人と京都市を除いた京都府内の観光地で第1位である。
2017年(平成29年)4月、文化庁により、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー「日本遺産」の「丹後ちりめん回廊」を構成する文化財のひとつに認定された。
● 名称
一般的に「天橋立」と表記されるが、砂州を走る府道の名称は天の橋立線である。「橋立」と略される場合もあり、例えば対岸の与謝野町には橋立中学校がある。
読み方は「あまのはしだて」であるが、立の字を濁らせずに「たて」と読むことがある。2003年から2004年にかけて、宮津市と与謝郡4町の合併協議において新市の名称を公募したところ、上位10点に入った「天橋立」「天の橋立」「橋立」にはそれぞれ、濁らせた読みと濁らせない読みの両方が含まれる。なお、合併自体は断念された。
『運歩色葉集』には天橋立を意味する1文字の漢字(国字)が記載されている。之繞に「日」を九つ、読みは「はしだて」である。『詞林三知抄』にも、雁垂れに「有」を六つの一文字で「あまのはしたて」と読ませる文字が紹介されている。
● 地理
大天橋 2410 170 40 18.8
小天橋 830 105 20 4.9
第2小天橋 410 25 7 0.9
小計 3650 24.6
傘松 120 60 15 0.5
合計 25.1
天橋立の北部、およそ南西方向へ延びている部分を大天橋または北砂州という。切戸を隔てて南部、およそ南東方向へ延びている部分を小天橋または南砂州という。これら2か所が宮津湾と阿蘇海を分断し、切戸と文殊水道(天橋立運河)によって両水域がかろうじて繋がっている。切戸には大天橋という橋が架かる。また文殊水道には小天橋という橋が架かり「廻旋橋」として知られる。さらに文殊水道を隔てて南側にある部分を第2小天橋という。これら3か所で天橋立の砂州部分をなし、全幅は20-170メートル、全長は大天橋と小天橋を合わせて約3.2キロメートル、第2小天橋を合わせると約3.6キロメートルである。北方にある傘松地区からは3地区を眺めることができ、これら4地区を合わせて都市公園法に基づく都市公園「京都府立天橋立公園」をなす。文殊堂・智恩寺とその門前町のある天橋立南方を文殊地区という。
全体が外洋に面さない湾内の砂州としては日本で唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。この松は、人の手により植林されたものではなく、大部分が自然発生的に生えたものである。1994年(平成6年)、「天橋立の松に愛称を付ける実行委員会」は、天橋立に生える老松、奇松12本の愛称を公募し「九世戸の松」「知恵の松」などが命名された。天橋立には「日本の道100選」に選定された京都府道607号天の橋立線が走っている。当路線は延長約3.2キロメートル、幅員3.5-12.1メートルであり、近畿自然歩道に指定されている。
● 形成史
天橋立は、宮津湾の西側沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積したことにより形成された。
◎ 日本神話における天橋立
『古事記』によると、イザナギとイザナミの国生みにおいて天の浮橋に立ち、天の沼矛をまだ何も出来ていない海原に下ろし、「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島になったとする。このようにしてできたのが「オノゴロ島」であり、天の浮橋が天橋立のことと言われている。なお、オノゴロ島の位置は現在の沼島であるという説が有力である。
『丹後国風土記』には次のように述べられている。
イザナギは久志備の浜の北にある元伊勢籠神社の真名井原(イザナミのいる奥宮)に天から通うために梯子を作ったが、寝ている間に倒れてしまった、というのが天橋立の名の由来である。また『丹後国風土記』では天橋立の「東の海を與謝の海(与謝の海=宮津湾)と云ひ、西の海を阿蘇の海と云ふ」と説明している。
民俗学者柳田國男は、風土記のいう「天の椅立」がこの砂州を指していることに疑問を呈した。柳田は、ハシダテと言えば専ら梯子を立てたように険しい岩山を指すものであって、それが崩れたものを橋立と呼ぶのは不自然であると主張した。また上記逸文の「此の里の海に長く大きなる前あり」の部分は白文で「此里之海有長大石前。
◎ 天橋立の出現
2万年前、現在の宮津湾にあたる一帯は完全な陸地であった。そのため陳活雄らによると、野田川など河川からの流出土砂の堆積を考えなければ、7,000年前までは天橋立の原型すらなかった。一方、天橋立の基礎部分には砂でなく石か岩があるという説もある、砂州は砂嘴が伸びてできるものであり、海面低下のみを理由とする場合はその後の前進・発達が説明できない。ただ小谷の指摘は、天橋立がいつから形成され始めたかを説明するためには海面変動を考慮しなければならないことを示した点で注目されたの松が生えている。
海岸線における松並木といえば防砂林や薪炭供給用の人工林であることが多い。ところが宮津湾においては丹後半島に守られる地形により北西季節風の影響が少なく、由良川河口に見られるのみである。季節風の影響を強く受ける丹後半島北東部に、京都府京丹後市久美浜町の小天橋のような松林が見られることとは対照的である。天橋立は砂州の幅が狭く、集落などがないため防砂林的性格は薄い。また薪炭供給地としての役割も与えられなかった。阿蘇海北岸に国分寺が置かれ、古代から中世にかけて一帯は府中という丹後の政治経済の中心地であった。薪炭供給地であれば、近世の京都(平安京)周辺の山林が禿山であったように、近くて山を登る必要のない天橋立に松林は残らないはずである。『正保丹後国絵図』の写しによると、供給地は前述のように世屋地区など宮津市北部であった。付近の林ではコナラやクヌギが優勢であることなどから、長年にわたり供給が行われたと考えられる。
また、松林が維持されたのは伐採の制限があったことを理由とする。府中地区には籠神社や真名井神社などが集まり、禁足地である山林も所有していたことから、天橋立の松林も神聖な場所として扱われていたと考えられた。近代以降は観光地・名勝地としてさらに保護されるようになっていった。
● 文化的景観
天橋立が名勝地として認知され始めたのは8世紀初頭、西国三十三所の28番札所である成相寺が開山した頃といわれる。成相寺から見られる天橋立は絶好の眺望を誇る。江戸時代まで天橋立を描いた絵画は、『天橋立図』を除けば府中地区から眺めたものが多い。平安時代、小式部内侍は次の和歌を詠んだ。
1643年(寛永20年)、林春斎は『日本国事跡考』において次のように述べ、松島、宮島、天橋立を奇観と紹介した。
2007年、京都府・宮津市などは「天橋立―日本の文化景観の原点」という名で、文化庁に対し世界遺産暫定一覧表(暫定リスト)記載資産候補としての提案を行った。2008年時点でリストには選ばれなかったが、カテゴリーIa「提案書の基本的主題を基に準備を進めるべきもの」 という評価を受けた。リスト入りのためには「普遍的な価値をもった、内外に比類のない白砂青松であることを示す」という課題が設定された。
◎ 眺望
明治時代まで、来訪者は寺社へ参詣する旅の中で天橋立の景観を楽しんでいた。天橋立を望む視点は、自然とその道中の峠や阿蘇海などの船上、寺社周辺が主であった。とりわけ代表的な三つの視点、樗峠(おうちとうげ、現在の大内峠)、傘松、栗田峠(くんだとうげ)からの眺めは三絶または三大観と呼ばれ、景観研究の対象となった。他に文殊側に位置する櫻山(桜山)や玄妙庵があり、吉見豆人は1921年、著書『天橋紀行』の中で「樗峠、傘松、櫻山、丹後富士(由良ケ岳)を天橋四大観と呼ぶそうだが、その中では櫻山が一番感じが良い」と述べた。一方『樗嶺志』は天橋四大観として栗田峠、大内峠、成相山、櫻山を挙げた。玄妙庵は1386年、足利義満が智恩寺に参拝した際に訪れ「ああこれまさに玄妙なるかな」と詠嘆したことが名前の由来であり、昭和前期の絵はがきに「玄妙庵からの眺めは四大観の一つ」という記述がある。
戦後は天橋立五大観として傘松、玄妙庵、大内峠、滝上公園、獅子崎を挙げた記述が見られた。1970年、文殊地区に天橋立ビューランドが開業すると、そこから天橋立を望む飛龍観が斜め一文字、一字観、雪舟観とともに四大観と呼ばれるようになった。これらのように、明治以降に言われる四大観や五大観は人によって、また時代によって差異があった。1986年、宮津商工会議所などが「天橋立十景」を選定した。これらは新たな展望地や車道の整備に伴い加えられたものであったり、伝統的な視点が再評価されたものである。天橋立地域の広範囲を一体的に眺める遠景を中心としており、櫻山や玄妙庵のような近距離の視点は含まれていない。
2021年(令和3年)1月に実施された大学入学共通テストの地理の試験問題として天橋立の眺望に関する問題が出題された。
雪舟観 獅子崎展望所 2,140
島崎蒼龍観 島崎公園 3,290
戦国ロマン八幡山 八幡山 4,640
滝上弓ヶ観 滝上山 2,930
飛龍観 天橋立ビューランド 1,790
文殊の知恵海道 智恩寺 1,140
一字観 大内峠 5,000
天平の歴史みち 丹後国分寺跡 1,680
斜め一文字 傘松公園 2,070
天上大パノラマ観 仙台山 3,390
備考:太字は前述した戦後の四大観。
◎ 景観問題
◇ 砂州の侵食
近年、天橋立は侵食により縮小・消滅の危機にある。戦前までの砂州は、現代よりスリムで弓なりの美しい曲線を描いていたとされ、戦後は以前より歪に変形してしまったといわれている。これは戦後に河川にダムなどが作られ、山地から海への土砂供給量が減少し、天橋立における土砂の堆積・侵食バランスが崩れたこと、および府中・日置両地区の港湾に防波堤が設けられたことにより漂砂が遮断されたこと。
◇「カキ殻島」の発生
天橋立によって隔てられた内海である阿蘇海に、2000年頃からカキが繁殖するようになり、カキの殻が大量に天橋立周辺に集積し、(「カキ殻島」)が形成されるようになった。これが景観を損ねているとして、京都府は2015年7月11日から大掛かりな撤去作業を開始している。
◇ 広葉樹
松は海岸や山の尾根などの痩せた土地でも育つ代わりに、肥えた土地では生育しにくい。自ら落とす枝葉により土壌の富栄養化が進むと、松以外の植物が育ちやすくなるのである。天橋立の松林が長く維持されたのは、住民が燃料として松の落ち葉や落ち枝を日常利用していたからである。また、松はヤニを多く含み、燃やすと高温になるため製鉄にも用いられた。現代では化石燃料に転換するにつれ松を利用しなくなったため、根元に雑草が茂るようになった。天橋立は地下水位が高く、苦労なく吸水できるため松の根が深く張らない傾向にある。また表土が栄養に富んだ腐植土となったことで、幹だけが大きく育ってバランスが悪くなり、台風や大雪による倒木も多発した。
天橋立では松を育てるための施肥や侵食対策の山土により、広葉樹が増加している。2013年8月時点、幹周り10センチメートル以上の松約4,525本に対し、同じく広葉樹は約1,260本ある。府は広葉樹の伐採と腐植土の除去を試験的に行った結果、松への日光量が増加し、中から外への見通しが良くなった。その一方で外観に大きな変化はなかった。これを踏まえ、府は5年計画により広葉樹300本を伐採し、松の密度を均等にするための移植を行う。
● 名所・施設
・ 元伊勢籠神社 - 丹後国一宮に選ばれている。2013年時点では、天橋立神社の手水として用いられている。湧き水であるので飲まないように注意する立て札が出ている。
・ 天橋立海水浴場
・ 天橋立府中海水浴場
● 周辺
・ 廻旋橋 - 文殊地区と天橋立を結び、橋の中央部分が90度回転する可動橋。1923年(大正12年)に人力で動く橋が完成。1957年(昭和35年)5月に手動ではなくなり電動式になった。男性が天橋立とは反対の方向をのぞく格好でかがんでいたところ、同僚の男性が悪ふざけで押したという。男性は斜面を15メートルほど転げ落ち、大きな外傷はなかったものの重傷とみられている。
転落事故は数年に一度あるが、救助要請は過去30年間で初めてという。観光客からは賛否あるものの、丹後海陸交通は「景観に影響があるのはやむを得ないが、お客さまの安全が第一で、何もしないわけにはいかない。手すりをもって安全に楽しんでほしい」とコメントした。
● 交通
◎ 空路
大阪国際空港(伊丹)より高速バスで、約2時間。
福知山駅行き高速バスを利用し、その後京都丹後鉄道宮福線を利用する方法もある。
◎ 鉄道
最寄り駅は、南側の京都丹後鉄道宮豊線の天橋立駅である。廻旋橋まで0.4 km、廻旋橋から船越の松まで約2.5 kmに上る天橋立ケーブルカー/リフトの府中駅へは天橋立観光船で約22分(乗船12分 + 各駅と各桟橋間が徒歩5分ずつ)、または当駅前から下記路線バスで天橋立ケーブル下バス停まで約25分。
◇ 京都方面から
・ JR西日本山陰本線・京都丹後鉄道宮福線経由(京都 - 福知山 - 宮津 - 天橋立)約1時間40分
・ 大阪線
◇ 一般路線バス
・ 丹海バス
・ 5系統 伊根線
・ 7・8・9 系統 蒲入線
◎ 道路
◇ 高速道路
最寄りのインターチェンジ(IC) は、京都縦貫自動車道の宮津天橋立ICと山陰近畿自動車道の与謝天橋立ICである。天橋立南側(智恩寺側)へは宮津天橋立ICから国道176号と京都府道2号を使う。天橋立北側(傘松公園側)へは与謝天橋立ICを降りたあと、国道176号・国道178号を使い、北上する。駐車場の多くは有料である。
・ 京都市・大阪市方面からの主なルート : 京都縦貫自動車道経由で約1時間15分 。
・ 道の駅海の京都 宮津
◇ 主要地方道
・ 京都府道・兵庫県道2号宮津養父線 - 国道178号同様、通行止めや事前通行規制区間多し - 天橋立駅から天橋立桟橋まで徒歩5分、天橋立桟橋から一の宮桟橋まで約12分、一の宮桟橋からケーブルカー/リフト府中駅まで徒歩約5分。
◎ レンタサイクルなど
・ 天橋立レンタサイクル
・ 天橋立電動キックボード
「天橋立」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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